1 :
考える名無しさん:
自殺は自由にしていいものなのでしょうか?
それとも自殺はしてはいけないのでしょうか?
皆さんの意見を聞かせて下さい。
2 :
考える名無しさん:01/10/13 13:47
「いい」とはどういう意味か。
「いけない」とはどういう意味か。
3 :
ポンコロシミコロリウス:01/10/13 13:57
ふむ、いい質問だね。(ずずず・・と茶をすする音)
ありとあらゆる問題については、おのずと限界というものが存在している。
例えば議論をする場において議論をさえぎる行為はしてはならないという暗黙
のルールがある。自由な議論である以上、なにを問題として取り上げても本来
はかまわないはずである・・・がしかし、実際上は議論の場そのものを崩壊
させる恐れのある意見を言うことは許されない。
このような限界と同じように、我々が自殺について考えるためには死んで
しまってはそれを為すことができなくなってしまうという矛盾を抱えているわけだ。
だからどうしても自殺をしてよいという言説は普遍性を持ち得ないのだ。
5 :
考える名無しさん:01/10/13 14:41
悪い事じゃないと思ってた方が、遥かに気が楽。
6 :
考える名無しさん:01/10/13 15:11
まず、是か非か、という分類が可能なのか?
個人的には是非は問えないと思う。
後に死体が残るというのは迷惑だし、
マンションなんかから飛び降りたりしたら後片付けは管理人がやるんだし。
管理人さんにとっては非になるんじゃないかな。視点の問題。
7 :
考える名無しさん:01/10/13 15:15
『天 天和通りの快男児』でカイジが自殺しようとして、
それを止めさせようと説得してるけど、どうよ?
8 :
考える名無しさん:01/10/13 15:32
プラトンは自殺したね。
仮に自殺しては「いけない」と決めたとして、
そのことに一体なんの意味があろうか?
10 :
ポンコロシミコロリウス:01/10/13 15:50
さて、話しの続きだ。さらにもう一つアプローチをあげるとすればだね
、(ずずず・・と茶をすする音)生存を権利として捉えることができないか
ということだ。
俗っぽいたとえですまないが、君がパチンコにいったとしようじゃないか。
そこで幸運にも確率変動を引いたら当然のことながら余程の事情
がない限り確変が終わるまで遊戯を続けるだろう。一旦獲得した権利を
みすみす逃す手はないのだからね。生きるということもこうした権利として
捉えるならばいつかは失われる以上敢えて自分から権利放棄をするのは
得策とはいえないのじゃないかね。
そうだとしてもだ。往々にして人生は確変ばかりが待ち構えているわけではない。
生きていることがあまりに辛くてたまらない場合には死を選ぶという選択も
あってしかるべきという議論は当然出てくるだろう。尊厳死などの具体的な
テーマはまさにこの部分の話しだが、痛さや辛さに耐え切れず死にたくなる
ということはそれはそれで、ある意味理解できる範囲の話しではあるだろう。
>>10 >そこで幸運にも確率変動を引いたら当然のことながら余程の事情
>がない限り確変が終わるまで遊戯を続けるだろう。一旦獲得した
>権利をみすみす逃す手はないのだからね。
続ける続けないは個人の自由じゃないかな?確率変動を引いたとしても
パチンコをしている本人が止めようと思ったら止めるんじゃない?
権利を獲得したとしても本人がいらないなら、逃してもいいんじゃない?
12 :
考える名無しさん:01/10/13 16:06
自決が良い。
13 :
考える名無しさん:01/10/13 16:07
とりあえず、自殺というのは、その人を生かすために、
あるいはよりよく生かそうとするために示された
全ての善意への裏切りであるとはいえるね。
14 :
考える名無しさん:01/10/13 16:23
15 :
考える名無しさん:01/10/13 16:26
>>14 自己完結というのは、当人の主観でしょ。
裏切りというのは客観的に見た場合の話だよ。
16 :
考える名無しさん:01/10/13 16:27
というか、自己完結であれば、裏切りでないってわけでもないし、
無関係っしょ。
単なる苦痛からの逃避じゃないの?
死の恐怖というものは「観念」でしかないが、
自殺を思う人が感じている苦痛は
否定しようのない「実在」だ。
いくら道徳や倫理の力によって自殺を「いけないこと」と
決めつけようとも、死を覚悟した人間に対しては
全くの無力ではなかろうか。
結局のところ、自殺の是非とは、
「残された者」にとってのみ、意味を持つのだ。
18 :
考える名無しさん:01/10/13 16:41
己に対する自己のまたは他者の期待に背かぬために
裏切らぬために、己を完遂する方法として
自決は一手段としてありえると思う。
19 :
考える名無しさん:01/10/13 16:44
これから氏ぬっつうのに、
どうして他者の期待に応える必要があるのか?
20 :
考える名無しさん:01/10/13 16:45
>>20 ふーむ。どうにも共感できないが、
そういう理由で死んでいく人間が存在するということは
理解できる。
22 :
考える名無しさん:01/10/13 18:41
他の観点で少し。
現実問題として、自殺すると、自分が死んだことに気付かず、
自殺現場で永遠と自殺行為を続け、もがき苦しみ続ける。
当人にとってこれほど恐ろしく辛いことはない。
本人の苦しみを勘案すれば、自殺は是認できない、絶対に。
現実は非常に厳しい。
23 :
考える名無しさん:01/10/13 18:44
>>22 >現実問題として、自殺すると、自分が死んだことに気付かず、
>自殺現場で永遠と自殺行為を続け、もがき苦しみ続ける。
意味不明。
24 :
考える名無しさん:01/10/13 18:50
幽霊が何で自殺現場で多く目撃されるのか、
冷静に考えてくれ、たのむ。
25 :
考える名無しさん:01/10/13 18:50
>>22 少しどころかえらく異なる観点だね
霊の話?
そういうの怖くて自殺なんて出来るか阿呆
26 :
考える名無しさん:01/10/13 18:51
>>24 >幽霊が何で自殺現場で多く目撃されるのか
意味不明。
27 :
考える名無しさん:01/10/13 18:53
首吊りをしたものは、その場で何千回も首吊りを
し続ける。信じろ、本当のことだ。
28 :
考える名無しさん:01/10/13 18:53
>>16 なんで裏切りでなくなるの?
というか、それはあくまでも、「自殺する個人の中では」ってことでないの?
このスレの「是か非か」ってのは、そういう話なの?
>>27 >首吊りをしたものは、その場で何千回も首吊りを
>し続ける。信じろ、本当のことだ。
意味不明。信じてもらいたいならば、具体的な根拠もしくは
明白な物的証拠を明示して下さい。
30 :
考える名無しさん:01/10/13 19:01
君が幽霊を信じているのなら、マジレスするのだが。
信じていますか?
31 :
考える名無しさん:01/10/13 19:47
つーか幽霊ってなんですか?
32 :
考える名無しさん:01/10/13 20:17
簡単に説明します。外層に残留思念、
中核に霊で構成され、霊エネルギーを吸収して活動する生命体です。
残留思念は、死んだ時に強い感情が発生すると
まれに肉体消滅後も残り、これが幽霊となります。
特に、自殺や事故死、苦痛の伴う病死、あるいは強い怨念、
未練があると残りやすいといわれています。
自殺と幽霊の因果関係は、自殺した部屋と
いわくつき住宅物件との相関関係を調査することで可能です。
話題がずれるので、終わりにしますが、
騙されたと思っても、心の片隅にしまっておいて損はありません。
くれぐれも自殺だけは止めましょう。
33 :
考える名無しさん:01/10/13 20:40
・・・で結局のところ自殺は是なの?それとも非なの?
34 :
考える名無しさん:01/10/13 22:41
本人にとっては、自分がおかれた状況に対する判断が、
死よりひどいと思う場合は、マイナスが0になるという意味で、是。
本人を大切にしている人にとっては、非。
本人を嫌っている人にとっては、場合による。
本人と関係ない人は、一般的に死ぬことについての不利益を
念頭において考えるので、非。でも事情を斟酌して、本人と同じ
判断に至ることもあり。
>>34 死ぬことについての不利益→死ぬことで失われる利益を
に訂正します。
36 :
考える名無しさん:01/10/13 22:57
是非の問題でなくアリでしょう
自殺は人間の本能である
淘汰された結果である
38 :
弁証法的理性批判放棄:01/10/13 23:01
自殺はあらゆる責任の放棄
39 :
弁証法的理性批判放棄:01/10/13 23:03
>>37 自殺は理性的である。何故なら本能は生きる事を欲するからだ。
自殺は本能的である。何故なら本能は死なない事を恐れるからだ。
って事?
40 :
貴様、ビール?なに?:01/10/13 23:15
悲しむ人が一人でもいる場合、するべきじゃない。でも普通の精神状態じゃないからな〜
41 :
考える名無しさん:01/10/13 23:16
自殺は個体のアポトーシス
42 :
考える名無しさん:01/10/13 23:16
個人でやるなら趣味の問題だから、同情もしないし止めもしない。
是非は自分で決めるべき。ただし失敗したときのことには
充分に想像力を働かせた方が良いだろうな。
自殺について考えたいならデュルケームの『自殺論』でも読んでみては?
43 :
ポンコロシミコロリウス:01/10/13 23:22
>11
ふむ、確かに君のいうことも可能性としてはないではない。
(ずずず・・と茶をすする音)実際問題としてパチンコ屋に赴いた時点では
皆勝ちたいのだからごくわずかなケースだとはいえるだろうがね。
逆に君に聞いてみたいのだが、せっかく僥倖にも手に入れた権利なのだから
それを生かしたほうが賢明じゃないかね。いつでも我々は死ぬことはできる
けれども、死んだ状態から常時生きかえる(古代エジプト人たちが考えたようには)
ことはできないのだ。この世界をフィールドワークしてみて、この甘い権利
の果実を享受できることの意味を噛み締めてみてほしい。そうしたら何かが
変わるだろう。
44 :
考える名無しさん:01/10/14 10:21
>>43 >せっかく僥倖にも手に入れた権利なのだから
>それを生かしたほうが賢明じゃないかね。
自殺する人は、生かしたほうが賢明とは思わないから
自殺するのでは?
45 :
考える名無しさん:01/10/14 13:20
自殺したいやつは勝手に自殺すればいい。
46 :
考える名無しさん:01/10/14 13:32
そう。45みたいに言えないもんかね。
子供にはなかなか難しいんだろうな。
いいかっこしたいんだね。
47 :
考える名無しさん:01/10/14 13:32
自殺は、脳の器質的な問題による影響が大きいとしたらどう?
48 :
考える名無しさん:01/10/14 13:34
↑
今の哲学研究者はそんなこと考えられないよ。
勝手に意味付けして害悪を垂れ流すだけ。
49 :
考える名無しさん:01/10/14 13:49
プラトンさえ自殺しているのに、自殺が非であると論理的に導くのは
無理なのでは?
50 :
考える名無しさん:01/10/14 14:29
>>40 >悲しむ人が一人でもいる場合、するべきじゃない。
何故?
51 :
40ではないが:01/10/14 14:34
>>50 他人に「悲しみ」という辛い思いをさせるのは、
悪ではないのかね。
52 :
考える名無しさん:01/10/14 14:36
>>51 人間は寿命で死ぬこともあります。その場合、他人が悲しむこともあると
考えられますが、他人が悲しむようなことをしたその人は悪なのですか?
53 :
考える名無しさん:01/10/14 14:36
>>46 いいかっこしたいんじゃなくて、責任感じたくないんだよ。
自殺したいやつは勝手に自殺すればいい、という自分の言葉で
誰かに自殺されたら困るもの。
直接的な因果関係がないにしても、後ろめたさが残ると思うな。
54 :
考える名無しさん:01/10/14 14:37
自殺は究極の自己愛であるのだろう。
しかし周りから見た場合は大変自己中心的な行動だ。
人の心は人間関係によって形成されているのだから、
勝手に死なれてしまうと残された者は心を再編成しなければなら
なくなる。
ましてや自殺なんてのは勘定も払わずさっさと店を出られたようで
大変腹立たしい。
本人としては理性的に判断したのであればOKなんだろうけどね。
55 :
考える名無しさん:01/10/14 14:39
自殺ってのは単に生きる権利を放棄しただけでしょ。
勝手にさせればいいじゃん。
56 :
メガネ(とりとめなく):01/10/14 14:41
みんな基本的には「人間には生きる欲求がある」っていう前提で
他人と接し、社会を形成してるわけで。自殺なんて迷惑なものだね。
迷惑かけたけりゃ別だけど。死んでも気にしない人もいるわけで。
57 :
40ではないが:01/10/14 14:47
58 :
考える名無しさん:01/10/14 14:48
59 :
考える名無しさん:01/10/14 14:49
60 :
40ではないが:01/10/14 14:54
>>59 安楽死は、故意と不可抗力の境界線上の問題だとは思うが、
どちらかといえば、不可抗力ではないのか?
61 :
40ではないが:01/10/14 14:56
>>58 故意自体は悪ではない。
相手を悲しませることが悪で、
不可抗力なら、死んだ当人の責任ではないが、
それを故意に行うなら、死んだ当人の責任だということだ。
62 :
考える名無しさん:01/10/14 14:57
本人の意思を尊重すべきだと思う。
63 :
考える名無しさん:01/10/14 14:58
64 :
考える名無しさん:01/10/14 15:01
モンテーニュのエセー
それから せねか などの すといしずむ およみなさいませ
どちらかといえば自殺を賛嘆してございます
65 :
考える名無しさん:01/10/14 15:01
>>61 本人が生前に安楽死を望んでいた場合、本人の意思も含まれている
のだから本人の責任もあるのでは?
66 :
40ではないが:01/10/14 15:13
>>65 死を望まざるを得なくなった状況は不可抗力だろう。
安楽死が合法化されている国でも、
「治療法の無い病気」というのが条件になっているはずだが。
67 :
40ではないが:01/10/14 15:14
>>63 悲しんでいる状態と、悲しみの無い状態では、
どちらが良い状態だと思うかね?
68 :
考える名無しさん:01/10/14 15:16
69 :
考える名無しさん:01/10/14 15:17
>>67 どちらが良い状態かなんて分からないっす。
70 :
40ではないが:01/10/14 15:18
71 :
考える名無しさん:01/10/14 15:18
生き続けることによって本人が受ける苦しみと
本人自殺後の周囲の迷惑を秤にかける。
周囲の迷惑のほうが尊重されるってわけか。
72 :
考える名無しさん:01/10/14 15:20
常に他人のことが優先されるのであるならば、自己というものはどこにあるの?
73 :
40ではないが:01/10/14 15:21
>>71 そんなことはないね。
その理屈だと安楽死は認められなくなる。
問題は、当人の苦しみが、
本当に、絶対不可避で、死ななければどうにもならないほど、
深刻なものかどうかだ。
74 :
考える名無しさん:01/10/14 15:23
>>73 それを判断するのは誰?当人?それとも他人?
75 :
考える名無しさん:01/10/14 15:24
>問題は、当人の苦しみが、
>本当に、絶対不可避で、死ななければどうにもならないほど、
>深刻なものかどうかだ。
今のところ、肉体的な苦痛から解放されるための安楽死はあっても
精神的な苦痛からの解放としての安楽死はないよね。
76 :
40ではないが:01/10/14 15:24
>>74 最終的には、当人だけれど、
それ相応の真剣さと熱意をもって判断すべきことがらだろう。
77 :
40ではないが:01/10/14 15:25
>>75 それは、精神的な苦痛が「治療不可能である」ということを
判断することが難しいからじゃないの。
78 :
考える名無しさん:01/10/14 15:26
>>76 当人が判断するのならば、当人が自殺すると決めたらそれでいいのでは?
昔、マルセイユでは、自殺したい正当な理由を議会で言えたものには、毒にんじんが用意されたという。
80 :
40ではないが:01/10/14 15:27
>>78 だから、その判断を真剣に熟慮した上で行っているかどうかが
問題なんじゃないの?
81 :
考える名無しさん:01/10/14 15:29
>>80 それって結局自殺者の誠実性を問うてるんじゃん
82 :
40ではないが:01/10/14 15:29
>>79 そういう方法なら、否定する理由は無いね。
というか、私はもともと自殺を否定はしてないがね。
他人を悲しませる点については悪だ、といっっているだけだ。
83 :
考える名無しさん:01/10/14 15:30
脳の器質的な原因が大きかったらどうするの?
小かとー 自殺
85 :
40ではないが:01/10/14 15:31
86 :
考える名無しさん:01/10/14 15:31
↑しかも腹切り
あとだれだっけな
ローマ人って自殺多いよな
87のレスは84へのものです
クレオパトラ 自殺
ハムレット 自殺
ロミオ 自殺
ジュリエット 自殺
90 :
考える名無しさん:01/10/14 15:34
>>83 今の哲学研究者はそんなこと考えられないよ。
勝手に意味付けして害悪を垂れ流すだけ。
あ ハムレット自殺じゃねーや。。
92 :
考える名無しさん:01/10/14 15:34
>92
うーん あれ 自殺っていえるでしょうか?
94 :
考える名無しさん:01/10/14 15:36
>>85 いや、問うてもいいけど”自殺は是か非か”じゃないやん。
自殺という行為自体の是非は問えないってわけ?
自殺者の誠実性が考慮されるというだけで。
せねか の 死に方なんかあっぱれだけどな
あんな死に方したい
96 :
考える名無しさん:01/10/14 15:40
毒杯をあおる動機は他の選択肢にソクラテスが妥当性を見なかったからでしょ。
神風特攻隊員はどうなんだろ?
97 :
40ではないが:01/10/14 15:41
>>92 ソクラテスは厳密には刑死であって、
狭義の自殺とは言いがたい。
単に、刑吏の手にかからなかったというだけのことでしょ。
98 :
考える名無しさん:01/10/14 15:42
脳の器質的な原因が大きかったらどうするの?
そうだ ソクラテスは 自殺は いけない っていってたね。
クリトンだったけかな?
100 :
40ではないが:01/10/14 15:43
>>94 行為自体は非でしょ。それをいったら自然死も非だ。
101 :
考える名無しさん:01/10/14 15:44
102 :
考える名無しさん:01/10/14 15:46
103 :
40ではないが:01/10/14 15:49
>>101 そのあたりの話は「クリトン」を読んで欲しいけど、
単純に言って、「信念に殉じた」というか、
「自らの思想に反する行動を行うこと自体が、精神的な死にあたる」
という考えで、刑に殉じた。
この思想はソクラテスの一生を貫くもので、
自殺と見なすとしても、十分過ぎるほどの熟慮の末のものだ。
彼の意識の中では、法は絶対なものだから、
死刑の判決が出た時点で死は不可避のものであって、
自殺、という認識はなかったと思う。
104 :
40ではないが:01/10/14 15:50
>>102 だから、悲しみを与えるからだと言っている。
そして、悲しみ(=苦しみ)が「悪いこと」かどうかわからないなら、
この問題を考えることは無意味だろう。
105 :
考える名無しさん:01/10/14 15:53
>>104 何故悲しみ(=苦しみ)が「悪いこと」なの?
106 :
考える名無しさん:01/10/14 15:55
一方には悲しみを与え他方には安らぎを与える。
こういうふうに捉えたらどうだ?
107 :
考える名無しさん:01/10/14 15:57
>>103 そうすると、
「自らの思想に反する行動を行うこと自体が、精神的な死にあたる」
が、ソクラテスにとっての自殺だったのでしょうか?
ならば、かなり自殺と呼べなくなる事例がありそうですな。
イデアが私の住む世界・・・
108 :
40ではないが:01/10/14 16:05
>>105 悲しみの無い状態と、有る状態では、
どちらが良い状態だと思うかね。
109 :
考える名無しさん:01/10/14 16:07
110 :
40ではないが:01/10/14 16:07
>>107 というか、そうであったから当人には、自殺とういう認識は無かったのでないの。
111 :
40ではないが:01/10/14 16:08
>>109 どちらも有る状態とはどういう状態だね。
112 :
考える名無しさん:01/10/14 16:09
>>104 何故悲しみ(=苦しみ)が「悪いこと」なの?
『悲しみの無い状態と、有る状態では、
どちらが良い状態だと思うかね。』
という逆質問はもういいから。
113 :
40ではないが:01/10/14 16:14
>>112 なぜその質問をするかといえば、その質問の回答しだいでは、
「悪」では無いからだ。
悲しみのある状態の方が良い状態ならば、悲しみは悪いことではないし、
悲しみの無い状態の方が良い状態ならば、悲しみは悪いことだ。
違うかね?
114 :
考える名無しさん:01/10/14 16:16
脳の器質的な原因が大きかったらどうするの?
115 :
考える名無しさん:01/10/14 16:16
>>104 もう一度聞きます。
何故悲しみ(=苦しみ)が「悪いこと」なの?
その根拠のみ示してください。
116 :
40ではないが:01/10/14 16:20
>>115 悲しみのある状態より、無い状態の方が良い状態だからだ。
117 :
考える名無しさん:01/10/14 16:20
>>114 まずは、脳の器質的な原因が大きいということを証明して下さい。
話はそれからです。
118 :
考える名無しさん:01/10/14 16:21
>>116 何故悲しみのある状態より、無い状態の方が良い状態なの?
119 :
40ではないが:01/10/14 16:23
>>118 単純にいって、主観の問題といっていいだろう。
あなたにとってはそうではないというなら、あなたにとっては
悲しみは悪ではないといえる。
120 :
ポンコロシミコロリウス:01/10/14 16:27
>115
苦しみや悲しみそのものが悪いこと(もの)なのではない。
他人を害して、その他人の意志に反して悲しみや苦しみを与えることが
悪いことなのだ。
中性国家は自殺行為を道徳的に悪いこととする判断を下しはしない。
自殺しようとする者の自己決定権を尊重したのだね。
121 :
考える名無しさん:01/10/14 16:30
>118
悲しみはイヤなことだから。
>115
ひねって考え過ぎだよ。
122は>120だ。
すまそ。
124 :
考える名無しさん:01/10/14 16:36
>>117 では、なぜ器質的な原因が全くないかような議論が行われるのでしょう。
精神病でも器質的な原因のものは多いですよね。
あまりにも哲学内の議論から出られていないと思いますが。
125 :
考える名無しさん:01/10/14 16:38
哲学内自己批判がないのはなぜなんだろうか。
126 :
考える名無しさん:01/10/14 16:49
>>125 ?
哲学ってほとんど自己批判だけで成り立ってるような学問だと思うけど?
127 :
考える名無しさん:01/10/14 16:53
哲学外の事柄を取り入れた仮定をたてられないのはなぜ?
本当はそれも哲学内で語られるはずなのに。
128 :
ポンコロシミコロリウス:01/10/14 16:53
>121
例えばだね、インドの行者や山伏などは敢えて荒行・苦行に耐えて解脱への道
を探るわけだが彼らにとって苦しみや悲しみは悪なのだろうか?
それらが悪を帯びるかどうかは人の意志によって決まるのではないかね。
129 :
考える名無しさん:01/10/14 19:14
↑に同感。善悪は人間だけの思想。動物の面を捨て切れない人間は欲望と理性が発生する。
130 :
考える名無しさん:01/10/14 19:45
>>128 そもそも、修行者にとって、苦行は、
苦しみや悲しみなのだろうか?
131 :
考える名無しさん:01/10/14 21:02
自殺するまでの苦しみが罰とキリストも言いました。
自殺に非があるとすれば、こういうことでしょう。
苦しみも度を越すと違うものに変わるよ
133 :
Iridium:01/10/14 23:58
苦しみは苦しみのままでないと
意味がないのでは?
違うものに変るときには自分の性質が変っている。
134 :
考える名無しさん:01/10/15 00:33
自殺してもらったほうが社会の為になる人間がいる。
これはホントだね。
自殺してもらっちゃ困る人間がいる。
これもホントだよ。
135 :
考える名無しさん:01/10/15 01:08
良し悪しを考えて自殺する奴など、一人もいない。
自殺する人間は、それしかなくてやってしまう、ためらわない。
自殺と自殺未遂とは、まるで次元が違う。
本当に自殺する人間は、必ず死ねる方法でやる、失敗はしない。
良し悪しを考えたり、自殺未遂したりするのは、
生きることの変形に過ぎない。生き辛さの表現のひとつである。
136 :
Iridium:01/10/15 01:11
>>127 哲学のあり方自体が現代ではどうも硬直的なものに思われて仕方ない。
語り口が一定の種類に固定化されているように見えるし、
閉鎖的で、他分野との交流が少ないように見える。
(実態が見えなのではっきりしたことが言えないのだが)
本屋で背表紙を見ている限り、
ドラスティックさとか、本質的な進展をあまり感じない。
過去(ものすごい過去?)にはもっと自由であったこともあったように思うのだが。
個人的にはこの現象についてもう少し語って(語られて)欲しいが…。
137 :
考える名無しさん:01/10/15 01:12
人間は考える葦である。
考えて出した結果は全て是だろう。
客観的な善し悪しは別にして。
>>136 面白い話題だが、別スレを立てたほうが良いとおもう。
スレ違いをさけるために、
意見はあっても、レスを差し控えているひともいるだろう。
139 :
考える名無しさん:01/10/15 01:39
社会学が哲学にとって代わったみたいだよね。
140 :
考える名無しさん:01/10/16 12:06
で、結論は?
141 :
考える名無しさん:01/10/16 12:23
自殺の問題って結局、善とは何か?、悪とは何か?という問題におきかえれるじゃん。
(かなり中間を説明を省いたが・・・)
行為(自殺という)は存立するか、しないかだけである。
善、悪なんて人間の心おなかのことじゃん。いい悪いを外に求めるのは筋違い。
自分がいいとおもったら善。悪いと思ったら悪。
142 :
考える名無しさん:01/10/19 12:20
命も体も本来自分の物ではないでしょう?
勝手なことしちゃいけないよ。
ちゃんと神様の了解を得て下さい。
143 :
考える名無しさん:01/10/19 12:57
なんで34にレスついてないの? あれでいいんじゃないの?
144 :
考える名無しさん:01/10/19 13:59
34、読んだけど、視点を分解して考えても、常に具体的な自殺については
ひとつの視点しかあり得ないから(誰かが自殺した場合、自分の立場はあれ
だとひとつしかないから)答えとしてはあまり意味がないからだよ。
さて、あまりこういうレスには関わらないようにしているのだが。
私の立場は「絶対に非」である。
これは判断ではなく、宣言ととっていただきたい。
子供の頃、よく「宇宙は無であるべきではないか」と考えた。何も起こらず、
当然時間そのものも存在せず…。
とりあえず、宇宙は無ではない。ならば、無でないところから始めるしかない。
自殺を「是」としてしまった場合、あらゆる生きることの価値を無意味にする危険
をはらんでいると思う。
「どうしても辛ければ仕方ない」としたばあい「どうしても」の限界は個人でいく
らでも下げられる。人間は泣きながら生まれてくる。泣くことは辛いだろう。だっ
たら生まれた時点で殺して上げるのがよい・・・・ま、狂った極論だけど、自殺を
「是」とする思想の先はここまで行くと思う。
だから、「非」から始める。「非」としたところで、死ぬ奴は死ぬし、死ぬ時は
死ぬ。
理念でなく現実的なことをいえば「人を殺すくらいなら自殺した方がよい」といっ
たところかな。しかし、そんな状況はあり得ないと信じている。
自殺を「是」とすることは虚無への道だ。だから、公理として「非」だ。
145 :
考える名無しさん:01/10/19 15:18
「生きることには価値がある」という命題は自明なのだろうか?
146 :
考える名無しさん:01/10/19 15:19
>144
「判断ではなく、宣言」とはどういう意味ですか?
「あらゆる生きることの価値を無意味にする危険をはらんでいると思う。」と
ありますが、そもそも生きることの価値とは何ですか?そしてその意味とは?
「ま、狂った極論だけど、自殺を「是」とする思想の先はここまで行くと思う。」
とのことですが「ここまで」行ってはいけない理由は何ですか?
(「ここまで」行ってはいけないとしか私には読み取れないのですが、、、)
生まれたばかりの子供を殺して良いなどと思っておりません。
しかし、それはたまたま私がそういう教育(人を殺してはいけない)を受けて
きたからに過ぎないからだと思います。
論理的に考えたら(哲学ってそういうことするフィールドだと私は思ってるの
ですが、、、間違っていたらご指摘を)生まれたばかりの赤子を殺してあげた方が
良いのではないのですか?この例え話の場合。
「自殺を「是」とすることは虚無への道だ。だから、公理として「非」だ。」
続けて上述の部分。「虚無」への道だと何故自殺してはいけない(「非」とは
そういう意味で使ってらっしゃるのですよね?)のですか?
よろしければご教授下さい。私アタマの中、少し厨房かも
しれません。
ですが、煽りとかいった類で申してるのではなく、まじめに伺っております。
何故、「絶対に非」と言い切れるのか前述の質問に答えて頂き私にもわかり
やすいようにご説明頂けないでしょうか?
147 :
考える名無しさん:01/10/19 15:57
>144と>146の言ってることは私には難しくて分からない・・・。
>34の言う判断というのは哲学なのですか?
私には感情が先に立っているように思えますが・・・。
苦しいとか悲しいとかで自殺を考える人が多いのは事実ですが、
全く逆の理由で自殺する人がいるのもまた事実です。
>147
出来るだけ感情的にならずにカキコしたつもりなんですが、、、
私の発言のどんなところが感情的ですか?
それから「全く逆の理由」とは具体的にどんな理由ですか?
>147
「感情が先に立っているように思え」るとおっしゃっているのは34さんに
対してですね?失礼しました。
>146
「全く逆の理由」というのは単純に「悲しい苦しい」の逆の意です。
私は全く無知なので、言葉の定義を問いつめられると行き場がありません。
人生を楽しむ余地がある限り、自殺するというのは合理的ではない。
是か非かというより、損か得かということだ。
あと、神に了解を得てからとか宗教まがいのことを言ってるやつは
人間らしくない。とっとと別世界へ消えて神とやらに会ってこい。
152 :
考える名無しさん:01/10/19 16:58
>151
楽しむ余地は楽しめない余地に置き換えられるのでは?
153 :
考える名無しさん(144):01/10/19 17:05
>>146 「判断ではなく宣言」というのは呼んで字の通り、客観的に正しいか
どうかには関係ない、ということです。
マラソンという競技があります。フツーに社会人や学生をやってて、
陸上部にでも入っていなければ、たとえば「市民マラソン」なんかに
わざわざ申し込んで参加するくらいしか機会がないでしょう。
申し込んで、当日が来て、走り始めました。苦しいです。1キロも
走ったところで息が上がってしまいました。やめようかな? 歩く
ことはできます、止まって休むのも自由です、でも、「マラソンを
棄権します」と宣言するまでは走らなくてはいけません。この「棄権」
がたとえば人生においては自殺です。
私は「走り続けなくては<ならない>」などという気はありません。
「私は走りつづけることに<決めた>」と宣言しているだけなのです。
だから他人の棄権する権利を否定する「権利」があるとは思いません。
ただ、どっちかと聞かれたら「棄権なんかアカン」と否定します。自分
の走っていることにより価値を感じたいからです。当たり前でしょう。
「棄権も自由だ」なんて思ったら、自分が走るのもバカバカしくなり
かねませんからね。
「自分は人生のマラソンに申し込んだ覚えはない、気がついたら走らさ
れていたんだ」・・・私は、申し込みをしたことを忘れただけ、と例え
ることにします。
苦しかったことを逃げ出して後悔したことのある方ならこの比喩はわか
っていただけると思います。でも、「走るべき」だから走るのではない
のです。「走る方が棄権よりも楽しい」から走る。それだけです。
意味がわかりません>152
155 :
考える名無しさん:01/10/19 19:22
自殺したくてするわけじゃないというのが、たいていの自殺するひとの気持ちだよね。
楽になりたいから死のうというのはなにか違う感じがする。死ねば終わりと思ってる人
がほとんどなわけで、死は本当の生の終わりだと思いながら死ぬわけだ。
それにしても、自分という存在が無になることを望む、それが二度と帰ってこないことを
望むというのはそれほど多くの人ができることじゃないですね。
156 :
考える名無しさん:01/10/25 04:43
>自殺するまでの苦しみが罰
その一言でキリストが嫌いになりますな。
157 :
考える名無しさん:01/10/25 04:58
158 :
考える名無しさん:01/11/12 08:34
今、テレビで、女子中学生が二人、飛び降り自殺したっていうニュースを見たよ。
自分の哲学(美学)のために死んだんだろうか。
ちなみに通学途中だったらしい。
それで通勤途中のサラリーマンが発見。日常に溶け込んだ死だ。
しかし、このスレ、150過ぎても全然まとまってないね。
自殺する気の無い人は、あんまり自殺について考えないものらしい。
161 :
考える名無しさん:01/11/12 08:51
誰だっけ?哲学において本当の問題は自殺の問題だけだって言ったの。
162 :
現存在009:01/11/12 17:16
自殺は別に良くも悪くもない。だいたい、自殺に限らず、倫理的な「良し悪し」などは
それらを決定する根拠がどこにもない。死を認めれば、生の意味が無くなるだとか、そう
いった類の話は、はっきり言ってどうでも良い。生に意味がなくてはならない根拠がどこ
にもないのだから。よって、良し悪しを決めるという事は、無謀なのでやめよう。
では、ここで考えるべきは、様々な立場における、「是か非か」についてである。
例えば、Aが辛くて死にたいと思う。本人は死にたいと思っているんだから、A的に
は「自殺」は是である。しかし、Aに死なれると困る人物Bがいる。Bは、Aを愛して
いた。だから、BはAに死なれると困る。Bにとって、Aが「自殺」をすること
は非である。もう一人、Aに死なれると困る人物Cがいる。CはAに5000万貸して
おり、これがAが死にたいと思った理由でもあるのだが、とにかくCはAに死なれると
5000万を丸々失うことになってしまうので、困る。よってCにとってもAの「自殺」
は非である。ここに、Aの「自殺」を是とする人物Dがいる。これはCの仕事上のライバル
である。Cのことが大嫌いな人物だ。Cが困った顔を見ると、嬉しくてたまらない。だから
Aが死んで、Cが5000万失うことは、つまらない映画を見るより、断然楽しいのである。
こうして、様々な立場における「自殺」の是非を見てきたが、倫理的な規定を全く抜きに
して見てみると、「是」だろうが「非」だろうが、どーでもいーことが分かる。
→結論:「自殺」は是でも非でもない。どーでもよい。
よって、そういった意味で、個々人は自由に自殺をしても良い。逆に言うと、しなくても良い。
目の前にあるパンを食べるか食べないかという選択と、全く同レベルの話なのである。
163 :
現存在009:01/11/12 17:37
しかし、↑
>>162みたいに言ってしまうと、ありがちだし、つまらないので、
ここではあえて、「自殺をしてはいけないよ」風なことを言ってみよう。
「Aサン、何故自殺をするのですか?」
「辛いからです。まさに借金地獄。仕事場ではシカトされ、女房には逃げられ、
息子には向こうから勘当され、大家さんからは家賃の請求。破産宣告するしか
ないんです。しかし、もう、そんな気力もありません。私をここまで追い詰めた
不条理な社会に、もはや希望などない!破産して、出直す価値など、もはやそこ
にはどうしたって見出せないのです」
「なるほど、大変ですね。で、アナタは自殺ってして良いと思うんですか?
悪いことだとは思わないんですか?」
「その点は、アナタの
>>162での投稿を読んだので、整理はついています」
「そうですか。では、アナタは、世間の常識にまどわされず、あらゆる愚鈍な
価値観から逃れ、極めてスマートな思考でもって哲学した結果、自殺を是だと
判断し、今まさに自殺せんとするわけですね?」
「そうです。哲学のなせる技です。哲学板サイコー!」
「そこまで冷静に考えられる頭を持ちながら、何故自殺をしようと思うのです。
考えれば考えるほど、アナタの自殺の動機は、動機に成りえてないじゃあーりま
せんか。自殺の是非を考えるまでは哲学的で、その先の行動はまったく感情的と
いうか、なんの根拠も無い。どうせなら、最後まで哲学したらどうです。アナタ
の言う自殺の動機が、動機でありうる根拠を、もう少し哲学的に深めた方が良い
のではないですか?」
「はあ…」
「自殺は別に悪いことではありませんがね、良いことでもないんですよ。
自殺は別にしてもいいんですけどね、しなくてもいいんですよ!アナタは、
別にしなくてもよい自殺を何故、今、するのか、しなければならないのか、
もっと真剣に考えてもいいはずだ!!」
「そういうもんですかねえ」
「いや、私は別にゴリ押しで言ってるわけじゃあないんです。必ず真剣に
考えなければならないわけではないですからね。別に、死んでもいいんです。
はい。」
すっかり自殺熱の冷めたAは、翌日、自己破産の申請をすませた。
その後、彼は“どうしても自殺しなければならない「動機」を哲学的に
模索すること”に、人生の全てを傾けたのだった。
<完>
P.S.話に無理があってもワシは知らん!!
164 :
考える名無しさん:01/11/12 18:09
助けて
165 :
考える名無しさん:01/11/12 18:16
ん?
>>1 最近思うんだけどさ。いろいろ哲学や宗教で人間が日常的に見る世界以外
のことを膨大な理論でもって構築してみせるみたいだけどそんな遠いところ
まで行かなくても蟻や蚊の一匹一匹が人に踏みつぶされて二度と戻ってこな
いように人もそんなもんなんだと考える方があり得そうな気がしないかい?
だとしたら自殺して君が死ぬだけ。大したことではなくなってしまう。
自殺に是も非も無いだろう。ただ事実として残るだけである。
やろうとしてるならまあやめとけば。俺はそろそろ飛び降りることも
ありえるかなともかんがえているが。まあ多分無いだろう。
現存在009=163
寺山修司みたいだな。対話形式がw
168 :
考える名無しさん:01/11/12 21:35
なんでもっと楽しそうに話さないんだろう。
自殺の話をするのは楽しいのに。
他人の自殺の話じゃないよ、自分の自殺の話だよ。
ポンコロシミコロリウスって人が答え>3で出してるんじゃないかな?
既遂になっちゃうと自殺したいって考えることすら出来なくなるわけで・・・。
是か非かはどうでもいい。
問題は、自殺するかしないか、それだけだ。
171 :
考える名無しさん:01/11/12 21:44
シェ-クスピアぱくったなw
自然にパクってしまったよ。
それはそうと、自分の思い込みで死ねるって凄い事だと思いません?
不謹慎な話だから小声で言うけど、自分の信じるものの為なら
自爆もできるイスラムの人を、俺はかっこいいと思ってしまったよ。
あと、そんなものを持たない自分が悲しくなった。
173 :
考える名無しさん:01/11/12 21:55
>163は基本的に正しい。
自殺は自己決定権の範疇であるが、他者危害の原則というのもある。
したがって他人に迷惑をかけないかぎり、
何をしても良いというのが自由主義の考え方でごぜーますだ。
密室でポルノを読むこと、砂漠で銃をぶっ放すこと、
人気のない山奥で首をくくること。etc
これらは他人に迷惑をかけない以上、自己決定権の範疇なのね。
>173
憲法13条の保障下だね。(という学説もある)
というか、人生がどん底だから死ぬっていうのが一般的だけど、
今が一番幸せだから死ぬ人もいるのよ。
死んで凍結させる、完成させる。
>>163みたいなのは自殺の価値も無い(BY寺山修司)ですね。
>自殺の価値も無い
163がじゃなくて、163が例に挙げた人のことです。
>163
それは社会に殺されてるんですね。他殺です。(by寺山修司)
178 :
考える名無しさん:01/11/12 22:21
自殺機械を作るべきですね(BY寺山修司)
179 :
考える名無しさん:01/11/12 22:33
社会が自殺を非難するその本質は、
自殺者が、自殺者の幸福に照らして、
誤った判断を犯しているという主張ではない。
彼が死ぬことが彼にとって幸福であるか不幸であるかに関わらず
社会は単純に、人の死ぬ様を見たくない、という主張をしているのである
個人の自己決定権を尊重せんとする昨今の風潮が正しく
これからも助長されていくとするならば
自殺も当然是認されるべきである
社会に恩恵は要求するが、
義務を果たすつもりはさらさらないということだね。
181 :
現存在009:01/11/12 22:48
>>177 社会に殺されている?自殺って全てがそうなんじゃないんですか、寺山サン。
純粋に、内発的な理由で自殺する人って、相当狂ってますよね。厳密な意味で
は社会に殺されるんだけども、手を下すのが自分自身であるから、自殺と呼ぶ
わけでせう。
182 :
現存在009:01/11/12 22:56
>>180 恩恵を要求する=恩恵をうける
ではない。
恩恵を要求しても、うけられない人が多くいる。
恩恵を受けられなくても、義務を果たしている人は多くいる。
たいてい、この種の人が、真面目に悩んで自殺をするのでせう。
>>182 >恩恵を要求する=恩恵をうける
>ではない。
もちろんそうだね。
>恩恵を要求しても、うけられない人が多くいる。
>恩恵を受けられなくても、義務を果たしている人は多くいる。
>たいてい、この種の人が、真面目に悩んで自殺をするのでせう。
つまり、「恩恵を受けられないから」自殺すると?
全ての人間が、社会から恩恵をうけられれば、
自殺は無くなるということかな?
184 :
考える名無しさん:01/11/12 23:03
>>181 病気への恐怖などのために
自殺する高齢者は相当数いると思われるが
これらは社会に殺されているのでしょうか?
185 :
考える名無しさん:01/11/12 23:05
>>183 義務が果たせないから自殺するってのも
あるんじゃない?
186 :
Маршал Боголюбов:01/11/12 23:07
「少子高齢化社会」殺されているのだろう
結局、自殺の真犯人は、自らの不満を詩的に表現しただけのものに過ぎないのでは?
>>185 それは、
当人が義務をはきちがえているか、
社会が過剰な義務を個人に課しているかのどちらかだろうね。
188 :
考える名無しさん:01/11/12 23:11
>>186 今ほど「少子高齢化」が進む前から
高齢者の自殺は多かったと思われるが・・・・
189 :
考える名無しさん:01/11/12 23:19
>>183の「この種の人」ってのが
前の2者両方を指すのか、
どちらか一方を指すのかわからんのだけど
>>189 本当のところは、私じゃなく
>>182 に聞いてくれ。
私は両者を指している(恩恵受けられない人全般)と理解した。
191 :
現存在009:01/11/12 23:59
>>183 別に深い考察に基づく考えではないんだがね。
まあでも、確実に減るだろうね。
>>184 それは一種の発狂の類と言えるでせう。
でも、社会が自殺の原因に全く関与していない、とは言えないと思う。
病気の人が、常に、死ぬに至るほどの不安や恐怖を抱くわけではないし、
社会がその不安を取り除いてあげることが出来る可能性は大きいでせう。
>>189 後者のみを指したつもりです。
つまり、義務を果たしてるつもりなのに、頑張ってるはずなのに、恩恵が受けられない人たち。
恩恵って何だ?
どうなれば、恩恵を受けれたことになって、
どういう人は受けれてないのだ。
193 :
現存在009:01/11/13 01:02
>>192 おそらく、「社会の恩恵」については、具体的な事例の説明をしてはならないのでしょうなあ。
恩恵というものは、具体的な事例としてあるべきではなく、定義としてあるべきなのでせう。
というのは、本人が恩恵を受けた、やったー!と、思えば、その人は漠然とした何かを得たことに
なるのでせう。
端から見てて、明らかに恩恵なように思えるものでも、本人が恩恵だと思わなかったら、それは恩恵
じゃあないのでせう。
恩恵がこのように、受け取り方で随分相対的であるのに対し、社会に対する義務ってのは、相手が社会
であるだけに、ある程度規定された、世に言う「常識」の枠内で定義されるのでしょう。
適当に書き過ぎたかな。適当過ぎて考えが浅いので、議論・反論きぼーん。恩恵きぼーん。
194 :
Маршал Боголюбов:01/11/13 01:03
死にたければいつでも死ねるからね
では死んでみたまえ
(再び戯れ)
195 :
考える名無しさん:01/11/13 01:52
フランス語が読める向きは、モーリス・ブランショの『災厄のエクリチュール』
お読みなされ。自殺をめぐる主題が「死」の主題と絡めて展開されておる。
一読の価値あり。ちなみに邦訳はいまのところない。
>>193 >恩恵がこのように、受け取り方で随分相対的であるのに対し、
だから、社会から個人にもたらされる「恩恵」というのは、
直接的なものではないということじゃないの?
おそらく、社会が提供する「恩恵」とは、
個人が「やったー」と思えるような何かを獲得できる「機会」を提供することに
とどまると思う。
その機会を生かせるかどうかは本人しだいだ。
あなたがいうように各個人の欲求の内容が異なる以上、本質的に
そうならざるを得ないし、「本人しだい」の部分まで社会が干渉するのは、逆に、
プライバシーの侵害というものだろう。
それに対して、多くの個人に機会を提供するために、
個人が社会に対して為すべきことは、一般化できる。
それは、上の「本人しだい」の効果によって、
社会の働きを一般化できているからだ。
>であるだけに、ある程度規定された、世に言う「常識」の枠内で定義されるのでしょう。
「常識」で規定される義務を果たすことは、
「義務を果たしているとみなされるようにすること」
でしかない。
あなたが、指摘しているのは、
「義務を果たしているとみなされるようにするためには常識に従うことを強要される」
ということであって、本来の「義務を果たす」ということとは関係無い。
197 :
Iridium:01/11/28 21:55
参考スレage
198 :
考える名無しさん:01/12/10 22:32
是とは考えられないから、非ということかな。どちらかといえば・・。
こんなんで、どうですかー。
199 :
考える名無しさん:
>1
自殺は是か非か、どうぞ一度ご自身で試して頂いて、その実体験のご報告を御願い
します。何しろ試しっぱなしで、誰も報告してくれる人がいないものですから、
是非、これまで誰も出来なかったこの分野の研究に頑張って挑戦してみてください。よろしくお願いしまーす。
そして、この板でのご報告をねがいます。出来れば、年内に報告してね。