哲学する時の思考方法

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1ワハハ本舗
 自分なりに哲学するとき(物を考えるとき)に
使う思考方法をみんなで語りましょう!!!

 まず、私は、読んでいる本の批判をする人になりきって問題点を
浮き彫りにする。つぎにその問題点を反対の立場になって解決する。
単純なようだけどこれってみんなしてないようなきがする。
 
2生活教徒:01/10/07 03:06
本を読むときは、割と俺は素直に読むな。
「ああそうなのか、なるほど」みたいな感じで。
それから、なにか生活の中とかで考え事をする時に、
「そういえばあいつはこんなことを書いてたな」
みたいに内容を反芻して、一つ一つの事実に照らし合わせながら、
自分にあった哲学なのか、そうでないのかを吟味していってるな。
生活や感情に密着してない哲学に興味はないんでね。
3考える名無しさん:01/10/07 03:17
哲学とは、関係ないように見えるかもしれないけど、理解する過程について
書かれた文章のコピペ。厨房必読らしいです。

>本音言っちゃうと論理的に文章を書けない人間だからちょっと苦手だけど
それは全然問題ないです。本音ではそうだけど(私も自分の書いた文章が
きちんとした説明になっているか、べつに間違っていても自分が悪いとか
いうことは関係ないのに、なんとはなしに不安になることはあります)、
そうした心情を一番大切なものとして過ごしてしまうと、結局きちんとした合意に
至れないから、建て前として論理性を大切にしようと考えるのです。単にそれだけです。
べつに内心で気にいらなくても、方法としてとるべき手段が、そういう気分が悪くなる
恐れを多分に含むものしかないので、仕方がないという面はかなりあると思います。

ただ、論理的に「わかる時」は、結構楽しいです。納得するときですから。
ところで、きちんと論理的に考えていれば、だんだん自分が「わかっていると感じられる時」が
増えてきます(自分が導く結論が正しいことが増える、という意味ではないです。自分の議論が
正しい結論と対応していると、確かめることができる場合が増えることはあります)。
最初は理解をしようとしても、頭がうまく働かなくて、苦痛を感じる過程が長くあって、
それは理解する喜びをあきらめさせるに十分なものですが、だんだん論理的に考えることに
なれてくると、前は苦痛を感じるくらいの集中なりをしなければならなかった展開も、
比較的簡単に行えるようになってきます。そうすると、理解している満足が直ちに感じられる
場面が増えてくるのです。
それをさらに続けたり、議論の前提を正確に根拠付けるために、学問の力を借りたりを
続けていると 「自分が論理的に考えていること(多くの事柄について、みんなが意識
している前提を踏まえることができており、それに基づいて筋道立てて自分が考えられて
いること)」が意識できるようになってきます。そうすれば、苦手であるという意識は
解消されてきます。そのうちに、論理的であることは、頭がすっきりしている状態として
感じられるようになります。
自分がそういう状態になってきて、論理的に論じているときに、論理的であることを示された側が
ある種の冷たさを問題にしてきた場合は、
「論理的な思考を普段展開できるようになっても、論理的でありえなかった場合には、
 やはり苦痛を感じてしまう(論理的になると、残念に思う程度になりますが)という点では、
 かわりない。だからそういう冷たさを感じてしまうことは、わかる」ということを、
率直に認めるようにすれば、大抵は大丈夫だろうと思います。
4asada:01/10/07 13:42
 身体で感じることのできないものは一度疑ってみることでしょう。
あとは、自分の言葉で現象を説明できるように訓練することです。
言葉が洗練化するということは思考の洗練化でもありますから・・・
5考える名無しさん:01/10/24 15:34
例えば合理論と経験論といったように、いくつかの考え方を作っておくといいですね。
そして自分が今どちらの立場から考えているかを確認して、ではもう一方の立場からは
どう考えられるかを探してみる。とにかく思考が一方にはまり込むのを防ぐようにすると
考えが深まっていきます。
6考える名無しさん
何事も信じて疑う。あとトイレ行ってメシを食う。