★★私がハイデガーだが何か質問ある?―その2★★

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1マルティン・ハイデガー(代理)
できるだけ何でも答えましょう。

その1は
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=982695233
2考える名無しさん:01/09/29 00:45
旧スレの1000ですが、
話の腰を折ったようなので罪滅ぼしに新スレ建てようとしたら
すでにこんなのがたってました。
1さん、どうもありがとう。
3マルティン・ハイデガー:01/09/29 00:45
Danke!!
4マルティン・ハイデガー:01/09/29 00:47
(ちょっと改変)
日本人とは何かを歴史的に考えることなく
最先端の日本人像をつむぎ出せるでしょうか?
過去を見ることなしに現在は見えません。もっとも
過去と現在とか重なるその瞬間こそが危険なことに変りはありません。
私の行動原理が批判されるとしたらまさにその一点にかかっているわけですが。。。。
5考える名無しさん:01/09/29 00:50
スレ立てご苦労様。

998 名前:考える名無しさん :01/09/29 00:37
>>994
後からでてきたもので、先にあったものを一方的に断罪しても
何も出てきません。

いやそこで、現前の形而上学の権力の問題とか、散々論じているの
だが、知の頂点とか言って反省の無い思考では議論にならない。
別に断罪しようとは思っていない。
同時に振りかぶらずに、地道な思想で権力に囚われない道を模索し
たいのだが、自分の思想のかたよりを議論できないのでは共通の
土俵が無い。
6考える名無しさん:01/09/29 00:53
どんな思想でも偏りがあるのが、デリダの思想とかから得られる数
少ない教訓でしょう。
その偏りが実践の権力とどのように結びついていくのが、それを問
い直しながら思想が進んでいくべきですが、それを無視して、普遍
性があるかに語ったり、実践には関係ないとか言われるなら問題に
しないといけない。
7マルティン・ハイデガー:01/09/29 00:55
権力にとらわれない道とは
ずいぶん呑気な思考態度ですね。
権力とは別に国家権力の上意下達的な行使のみを意味するわけではないのです。
それは重層的に、かつ局所的に作用するものです。
私に限って言えばそれは、フライブルクの大学自治という政治的地平に焦点化されていました。
大学のあり方というものがあの時期ほど私の焦眉になったことはありませんでした。。。
8考える名無しさん:01/09/29 00:56
>4
その点で、解釈しつつ、思想家の権力意志が介入するわけですが、
そこでの実践との結びつきについて甘すぎるのではないですか?
9考える名無しさん:01/09/29 00:56
前スレの>>995
>肯定という語の意味は、私にはナチズムの台頭が西洋の歴史の歩みそのものと
>重なって見えたということであって、繰り返しますが何らの価値判断や正当化も
>含まれていません。

ということであれば、「肯定」というよりもむしろ「必然」と言った方が
よくありませんか?
「肯定」という語にはどうしても価値判断という要素が入ってきてしまうと
思われます。そこで混乱が生じるのではないでしょうか。
10考える名無しさん:01/09/29 00:58
>7
そんな馬鹿なことは言っていない。
幾分か権力を含みつつより少ない道を必死でさがらなくちゃいけ
ないのに、話を誤魔化さないで欲しい。
11マルティン・ハイデガー:01/09/29 01:00
その意味で私は徹底して大学の権力機構の内側にいました。
これは地方色強いドイツでは半ばやむを得ないことですし
あなたがたがマネをする必要もありません。
私の思想に偏りがあることは確かでしょうが
すべてにおいて相対的観点を取ることは非常に虚しいことであるのも事実でしょう。
その意味で起源や根源へと目をむけることは
非常に魅力的でもあり、危険なことでもあります。
12考える名無しさん:01/09/29 01:01
なりきりハイデガー♪ 暇なのか?
13考える名無しさん:01/09/29 01:02
やっぱり文体が微妙に違ってて騙り臭い気がする夜。
2ちゃんなんだから偽者がいても不思議はないんだけど、
もし万一仮に偽者だったら、ハンドルを気持ちだけでも変えようよ。
でも、本物だったら邪推してごめんね。
14考える名無しさん:01/09/29 01:05
ひょっとしてチンポ太郎じゃあるまいな? >ハイデガー
15考える名無しさん:01/09/29 01:05
現象学の現前の権力性、存在史の過去と現在の重なりの解釈の権力性、
その事を認めるなら、その上で、具体的な個々の実践との権力を分析
する言葉との分析哲学、科学との科学史、知と権力とのフーコーその
他に謙虚に耳を広げて欲しいといいたくて議論したのだが、その謙虚
さに欠けます。
16マルティン・ハイデガー:01/09/29 01:05
>>9
なるほど。しかしナチズムを肯定するというより
ナチズムは歴史的必然であったとするほうが
さらに危険な響きがありますが(笑)
>>8
それはその通りですね。しかし・・・
17マルティン・ハイデガー:01/09/29 01:09
>>15
私は権力論が嫌いなわけではありませんよ。フーコー氏も読みますし。
最近出た全集17巻『現象学的探求への入門』をお読みください。
私がいかに権力論の好きな人間かということが分かります(笑)。
『存在と時間』ではでてこなかったデカルト論(こっちはかなりスキャンダラス)もあります
18てぃmmぽo!:01/09/29 01:09
マルティン・ハイデガーさんに質問。
>これは地方色強いドイツでは半ばやむを得ないことですし

この文が意味不明です。具体的に解説して下さいませんか?
19考える名無しさん:01/09/29 01:12
>17
権力論が嫌いでないということと、思想が実践の中で権力に結びつい
たことは別問題ですよ。
そのことにまともに答えないなら意味が無い。
20考える名無しさん:01/09/29 01:12
>>17
>『存在と時間』ではでてこなかったデカルト論

それは全集第何巻に入っていますか?
21マルティン・ハイデガー:01/09/29 01:13
(しかし、の続き)
しかし私のナチズムとの関係がこれほどまでにスキャンダラスであるのは
思想家としての私ハイデガーとナチスとの関係ではなく
思想史家としての私、つまり西洋の形而上学史そのものがナチスの根源としてあったという
非常に根深い関係が暴露された、という点にありますね。
その意味で哲学者は、自分が権力構造のうちにあったという悔恨と自負を
両方味わうことができるわけですね。。。。
22考える名無しさん:01/09/29 01:14
ただの趣味で権力論論じて、自分の思考の中の偏りや権力性と
その実践との結びつきの関係を思考しないなら無意味です。
23考える名無しさん:01/09/29 01:15
>21
そういう態度が批判されるのです。
24考える名無しさん:01/09/29 01:18
>21
結局、現実と自己の思想の関係を問わずに、野朗自大に妄想する、
プラトン以来の形而上学に忠実な知の官僚ということだな
25マルティン・ハイデガー:01/09/29 01:19
>>18
長い間小国乱立の状態にあったドイツにおいては
大学の自立性といいますか、独自色というのは
今の日本では考えられないほどのアクチュアリティを持っていました。
例えばフライブルク大学では私はマールブルク学派をけなし
マールブルクに移ってからはフライブルクのフッサールを非難しました(笑)
思想そのものが、諸々のローカリティの間で醸成されていくという事態が
ドイツにはあったわけです。とりわけ哲学においてはそうでした。
26考える名無しさん:01/09/29 01:21
>思想史家としての私、つまり西洋の形而上学史そのものがナチスの根源としてあったという
>非常に根深い関係が暴露された、という点にありますね。
>その意味で哲学者は、自分が権力構造のうちにあったという悔恨と自負を
>両方味わうことができるわけですね。。。。

こういう妄想でいいなら思想も楽だ。
27マルティン・ハイデガー:01/09/29 01:25
>>19
実践と言われましても、私は学者およびその代表としてしか実践しませんでした。
ナチスへのその影響が微々たるものであることは分かっていましたし
実際の効果を求めていたわけではありません。
私は時々思います。
マルティン・ハイデガーはナチズムがなくても、その可能性を肯定していたのではなかろうか、と。
思想としてのナチズムとは、一種の西洋思想史そのものの決算です。
はなはだ危険ですね。。。。
28マルティン・ハイデガー:01/09/29 01:27
私も質問したいのですが
哲学にとって実践とは何でしょうか????
29マルティン・ハイデガー:01/09/29 01:28
>>20
 同じく17巻です。内容はむしろ『ものへの問い』における科学論に近いですね。
30考える名無しさん:01/09/29 01:31
>27
結局、薄汚い権力欲ですか、総決算する思想というテロルの。

そんな思想も思想家も過去に数限りなくいて多大な害毒を撒き散らし
てきました。思想による愚劣な政治算術。
31考える名無しさん:01/09/29 01:34
>27、28
権力と、実践と関係ない、といって無数の害毒をまきちらしてきた
知の歴史を踏まえた上での大胆な発言ですね。そういう関わりない
といいつつ、知がいかに抑圧に荷担したか。
32考える名無しさん:01/09/29 01:37
どんな思想でも偏りがあるのが、デリダの思想とかから得られる数
少ない教訓でしょう。
その偏りが実践の権力とどのように結びついていくのが、それを問
い直しながら思想が進んでいくべきですが、それを無視して、普遍
性があるかに語ったり、実践には関係ないとか言われるなら問題に
しないといけない。

現象学の現前の権力性、存在史の過去と現在の重なりの解釈の権力性、
その事を認めるなら、その上で、具体的な個々の実践との権力を分析
する言葉との分析哲学、科学との科学史、知と権力とのフーコーその
他に謙虚に耳を広げて欲しいといいたくて議論したのだが、その謙虚
さに欠けます。

何か間違っていますか?
33マルティン・ハイデガー:01/09/29 01:41
間違っていませんよ。
34考える名無しさん:01/09/29 01:45
>33
それならこういう妄想やめてください(w
>マルティン・ハイデガーはナチズムがなくても、その可能性を肯定していたのではなかろうか、と。
>思想としてのナチズムとは、一種の西洋思想史そのものの決算です。
>はなはだ危険ですね。。。。
>思想史家としての私、つまり西洋の形而上学史そのものがナチスの根源としてあったという
>非常に根深い関係が暴露された、という点にありますね。
>その意味で哲学者は、自分が権力構造のうちにあったという悔恨と自負を
>両方味わうことができるわけですね。。。。
35考える名無しさん:01/09/29 01:46
>33
どっちにしても言い過ぎの上せあがりでしょう。
36考える名無しさん:01/09/29 01:48
結論としてはのぼせ上がった、知の官僚として思想と実践の結びつき
に甘かったということでいいですか?
37マルティン・ハイデガー:01/09/29 01:51
>>34
 あなたには妄想でも私にはそれなりの思想的根拠があるのですが(笑)
 理性自身が持つテロルについてはアドルノ・ホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』がありますが
 理性そのものが一種の排除構造をその本質としてもつということは
 フランクフルト学派の権力論においても、フーコーの理性論においても同一の主題としてあります。
 私の場合においてもそれは変りません。
 別に私は新奇な思想を説いているわけではないつもりです。
38考える名無しさん:01/09/29 01:51
ハイデッガーの思想の偏りが現実に作用し、実践に無頓着で権力欲も
介入し抑圧的に動いたということは、認めますよね?
39マルティン・ハイデガー:01/09/29 01:52
私自身の権力欲?
わははは。それは面白い。
40考える名無しさん:01/09/29 01:54
>37
テロル批判していても実践においてテロルとして機能したことの
問題は無視できません。
41考える名無しさん:01/09/29 01:56
>39
現象学の現前の権力性、存在史の過去と現在の重なりの解釈の権力性、
その事を認めるなら、その上で、具体的な個々の実践との権力を分析
する言葉との分析哲学、科学との科学史、知と権力とのフーコーその
他に謙虚に耳を広げて欲しいといいたくて議論したのだが、その謙虚
さに欠けます。

あなたジタバタし過ぎです。
誤魔化そうとばかりしないでください。
42考える名無しさん:01/09/29 01:57
ハイデッガーの思想の偏りが現実に作用し、実践に無頓着で権力欲も
介入し抑圧的に動いたということは、認めますよね?
結論としてはのぼせ上がった、知の官僚として思想と実践の結びつき
に甘かったということでいいですか?
43マルティン・ハイデガー:01/09/29 01:58
歴史のうちには権力の力関係が
歴史それ自体の原理としてある、こういう思想は
ヘーゲル以来のものですが
歴史学のうちに精神分析を導入したフロイト以来のものです。
心理学や精神分析はいずれにしても、実際の歴史のあゆみを
「あまりに人間的な」個々人の影響作用史として読むように誘惑します。
そこでは心理学的解釈の操作概念としての「想像」がいやおうなしに存在論化されざるを得ない。
これが人間の本質的傾向であるとするなら、この想像の持つアクチュアリティと
イデオロギー性をいかに扱うか、ということが問題になります。
私の思想のあゆみはその試金石でもあるのでしょう。
44マルティン・ハイデガー:01/09/29 02:02
思想が否応なしに実践に結びつく。この構造は何に由来するのでしょうか?
また我々は
実践に繋がる可能性のあるいかなる思想も口にすべきではないのでしょうか?
45考える名無しさん:01/09/29 02:02
>43
現象学の現前の権力性、存在史の過去と現在の重なりの解釈の権力性、
その事を認めるなら、その上で、具体的な個々の実践との権力を分析
する言葉との分析哲学、科学との科学史、知と権力とのフーコーその
他に謙虚に耳を広げて欲しいといいたくて議論したのだが、その謙虚
さに欠けます。

これ認めていて何故思想と実践における抑圧に動いた事実を
誤魔化すのですか?
46考える名無しさん:01/09/29 02:03
>44
誤魔化してんじゃねえよ馬鹿
47マルティン・ハイデガー:01/09/29 02:07
>>45
別にごまかしてもいませんし自己正当化もしていませんが
(きちんと読まれています??)
同一の内容をコピペするよりも、その都度の適宜な返答を望みますが。。。。
48考える名無しさん:01/09/29 02:07
>44
さっきは思想は無力とか言っといて、今度は実践に結びついても
仕方がないと言っていることにまるで一貫性が無い。
自分を無罪にしたいだけの支離滅裂。
49マルティン・ハイデガー:01/09/29 02:10
>>48
>988 :マルティン・ハイデガー :01/09/29 00:26
>>986
思考の普遍性は行動の普遍性とは異なるわけですよ。
もっとも
行動は思想を離れては無意味ですが。。。このあたりが非常に難しい問題なのです。


読まれてます?
50考える名無しさん:01/09/29 02:11
>実践と言われましても、私は学者およびその代表としてしか実践しませんでした。
>ナチスへのその影響が微々たるものであることは分かっていましたし
>実際の効果を求めていたわけではありません。

>思想が否応なしに実践に結びつく。この構造は何に由来するのでしょうか?
>また我々は
>実践に繋がる可能性のあるいかなる思想も口にすべきではないのでしょうか?
51マルティン・ハイデガー:01/09/29 02:12
いかに思想を真摯に展開しよとしても
成果としてのその内容が実際の権力構造へと
応用され転移され、変容した仕方で使用されることがある。
これが思想を離れた立場ではなく、
むしろ思想そのものが持つ技術的知である点、結局これを我々は考える必要があるわけですね。
52考える名無しさん:01/09/29 02:14
>49
そういうふうに思想と行動を切り離すところでいくら権力論論じても
趣味だったとしかいえず、他のアクチュアルな思想と比べて抑圧的と
批判しているんですが?

あなたは文章が読めないんですね?
53考える名無しさん:01/09/29 02:17
50で書いたように、一方では効果なんてありませんと言い、他方で、
実践に結びついて抑圧的になっても仕方ないと矛盾すること言わな
いでください。
54マルティン・ハイデガー:01/09/29 02:17
>>52
切り離しては趣味に過ぎないと言われ
同一視すればイデオロギーだと言われるわけですか。
それにしてもただの趣味がそうして抑圧的に機能するのですか?
55考える名無しさん:01/09/29 02:17
現象学の現前の権力性、存在史の過去と現在の重なりの解釈の権力性、
その事を認めるなら、その上で、具体的な個々の実践との権力を分析
する言葉との分析哲学、科学との科学史、知と権力とのフーコーその
他に謙虚に耳を広げて欲しいといいたくて議論したのだが、その謙虚
さに欠けます。

これ認めていて何故思想と実践における抑圧に動いた事実を
誤魔化すのですか?
56考える名無しさん:01/09/29 02:19
>54
あなたはただの趣味を語っていたのですか(w
57マルティン・ハイデガー:01/09/29 02:19
>>53
問題の所在にあなたも気づかれてきたようで何よりです。
その矛盾のうちに思想の本質があるように思われるのです。
私は論争のための論争をするつもりはないので
この点について、あなたにも考えて欲しいわけです。
58考える名無しさん:01/09/29 02:20
>57
何故思想と実践における抑圧に動いた事実を
誤魔化すのですか?
59考える名無しさん:01/09/29 02:21
>57
そんなところに本質はありません。
60マルティン・ハイデガー:01/09/29 02:28
>>58
 さっきから気になりますが
 抑圧に動いた事実、ナチズムへの参与の事実・・といったぐあいに
 まるで既成的事実が確固としてある、という自明性のもとで議論されていて
 肝心の内容については立ち入ってませんし、コピペでごまかしていますね。
 その程度の煽情家とは議論するつもりもありませんよ。
 何度も言うように、私は議論のための議論をする気はないですからね。
 まぁ話のネタになることは(散発的にせよ)十分にバラまいたつもりですし、
 今日はこの辺で打ち止めにしておいてもいいでしょう。
 逃げたと言われるのなら、そう思ってもらっても結構ですよ。
 それでは。
61考える名無しさん:01/09/29 02:29
50の効果ないというのは自分は無力で責任ないという言明で、実践に
結びついても仕方ないというのはやっちゃった自分を弁解する言明で
どちらも自己正当化でしかありませんし、そういう開き直って自己正
当化する欺瞞と知の権力性の危うさを論じたいのですが(w
62考える名無しさん:01/09/29 02:33
別にハイデッガーたたきたいわけじゃないが、何故ここまで他の思想
と比較した甘さとかから目をそむけるかな?
ハイデッガーから権力論や科学技術との関係わざわざ読み込もうと
は思わないのに、それらについても問題なく罪ないかに語るから頭
にくる。
63考える名無しさん:01/09/29 02:35
何で、ここのスレの質問者は無駄に怒っているのだ?
さっぱりわからんちん。
64マルティン・ハイデガー:01/09/29 02:36
>>61
私は実践との結びつきを正当化していませんよ。
よしんばそうしているにせよ、私には傲慢はあるかもしれませんが
欺瞞はありません。
65考える名無しさん:01/09/29 02:38
>>62
>何故ここまで他の思想と比較した甘さとかから目をそむけるかな?

ハイデガー自身の内部の論理を問題にするのでなく、
「他の思想」とやらで断罪するだけなので、迫力にかけるなあ。
66考える名無しさん:01/09/29 02:42
>64
そうですね、欺瞞じゃなくて傲慢ですね、ハイハイ。

>65
書き込みが早すぎるから論じている暇ないだけで、声と現象の
フッサールへの点としての時間への批判や知の形而上学性は、
ハイデッガーにも当てはまるし、分析哲学、権力論、科学哲学
の蓄積考えたら、ただ威張っているだけに見えるよ。
67考える名無しさん:01/09/29 02:47
>>66
問題を指摘して論じないなんて、デリダの論文の末尾みたいですね。

きちんと展開してもらわないと、貴方の批判も、ただ批判しているだけに見えるのですが。
68考える名無しさん:01/09/29 02:47
分析哲学のように論理や言語への接近して権力性考えるなら、
ハイデッガーは文学にしか見えない。

大庭健曰く、ハイデッガーの杜撰さとナチ荷担はつながっている。
69マルティン・ハイデガー:01/09/29 02:48
>>66
時間の現前性の問題はデリダ氏に批判される以前に私自身にも分かっていましたし
(全集24『現象学の根本問題』参照)知の形而上学性についてもそうです
それが転機となっていわゆる「転回(Kehre)」もあるわけですから。
にしてもあなたの「威張っている」というのは私の思想ではなく
いわゆる日本におけるハイデゲリアンについてのものなのではないでしょうか?
だとするなら何よりも思想史を権力的文脈で見ているのはあなたということになりますが・・・
そのあたりは気になさらずに、直に私の定義した問題をみていただきたい、とコメントしておきます。
70考える名無しさん:01/09/29 02:48
>>68
文章が意味不明です。
71考える名無しさん:01/09/29 02:49
>67
すまない。フッサールスレで現象学の歴史性とかで論じてますので、
そちらを参考にしてください(無責任)
72考える名無しさん:01/09/29 02:53
>>71
フッサールスレなんて最近あったっけ?
73考える名無しさん:01/09/29 02:55
>72
大昔。
74あにま:01/09/29 03:01
すごいやりとりですね。
75考える名無しさん:01/09/29 03:04
片方はサッカーで闘っているつもりで、もう片方はバスケットボールのつもり、みたいな
76考える名無しさん:01/09/29 03:04
形而上学だから批判しているわけではなく、ただ現象学でさえ哲学者にとって、
都合の良い解釈まぬかれない部分で、他の思想と学際的に論じて改良していき
たいだけなんだが、思想の普遍性とか、責任免れるかの誤魔化しが一杯語られ
ると困る。
77考える名無しさん:01/09/29 03:07
>>76
勝手に困られても困るなあ
78考える名無しさん:01/09/29 03:09
哲学者にそれだけの責任がある、とみなしている時点で
その実、もはや力など持ってはいない哲学に、存在しない栄光を再び与えようとするねじれた身振りが
あるような気がする。
79考える名無しさん:01/09/29 03:09
別にフーコーとかフランクフルト学派とかより劣ってたって、
一向に構わないし、ハイデッガーの責任でもないが、このスレ
のハイデッガーさんの正当化はやりすぎだろう。
知と実践の関係の分析でそんなにハイデッガーが優越していた
わけないし、責任免れるというのも大嘘でしょう。
並の哲学者を何故あそこまで論じたおせるのか?
80あにま:01/09/29 03:09
形而状学の弱点とは、カントのいう思弁的理性によるところがあるということでしょうか?
81考える名無しさん:01/09/29 03:11
>>79
ハイデガーなら、あれぐらい言いますよ。
82考える名無しさん:01/09/29 03:18
>80
図式化すると、現実の多様性を今ここで捉えようとしても、逆にそれ
は、現実の多様性を抽象化して、多様さを切断して解釈したものにす
ぎず、そこにおける解釈は哲学者や権力者との相互関係で権力として
機能してきたということで、そこにおける知と実践の関係を探ってい
かないといけないということです。
存在史や現象学にもそれがあって、その点が尊大な身振りに結びつい
てるということです。
83考える名無しさん:01/09/29 03:19
>81
言うのは言いそうですね。確かに(w
84考える名無しさん:01/09/29 03:30
傲慢であって、軽々と実践の中で決断して、
実際、ハイデッガーのナチズム荷担で被害を蒙った
大学関係者、思想家がたくさんいてたんだよな。
それで歴史の必然を思考したとか、
後期の技術論論じたからいいとか、思想が責任免れるかの言い方
はひどいよな。
現実の多様さ無視して軽々しく、権力に荷担する要素があったの
は事実なのだから。

これで思想に責任ないなら何が責任あるのか。
85あにま:01/09/29 03:32
>82
なるほど。なんとなく分かるような気がします。知の歴史把握というのが必要ということでしょうか?ボードリアルについて意見を聞きたいのですが。彼の論で無理だな?と思われる個所はどのようなものでしょうか?よろしければ、教えてください。
86考える名無しさん:01/09/29 03:38
>85
すいません。彼も知と権力の変容論じたからの質問でしょうが私は彼を
よく知りませんのであしからず。
87あにま:01/09/29 03:41
わかりました。ありがとうございます。お勧めの哲学文献あれば推薦していただけますか?初心者なので。まだまだ、あたった文献が少ないので・・
88考える名無しさん:01/09/29 03:45
読んでいって気にいった文献から広げていけばいいと思います。
マジレス。
89あにま:01/09/29 03:47
ありがとうございます。色々探して勉強してみます。
90マルティン・ハイデガー:01/09/29 03:50
>>84
詳しく言ってくださいね。
具体的に被害をうけたのは誰ですか?
それとこのスレで多少「正当化」したからといって
それにより私の思想的評価を判断するとはあまりに近視眼的です。
91考える名無しさん:01/09/29 04:40
>>90
近視眼的であってよい部分については正しい判断なんじゃないの?
>>84の言及は。総合的な観点を強調して個別的・具体的な問題点を
回避できるかのように言うさまに納得がいかないというのは、
よくわかるなあ。だってただの論点そらしだからね。
92にゃにゃ:01/09/29 08:15
「とにかくハイデガーは根本的に悪い」という連中は
要するに、ハイデガーの分厚く面倒な本を読まずにすむ理由を見つけたい連中なんだにゃ。
93考える名無しさん:01/09/29 10:14
94考える名無しさん :01/09/29 13:31
>ハイデガーの分厚く面倒な本を読まずにすむ理由を見つけたい
見つけたくない人は幸せですね。
95考える名無しさん:01/09/29 23:43
日本の戦争責任を論じるときもそうなんだけど、
ナチの場合も、ナチのいったいどこを批判し、
またそのナチの悪事に対してハイデガーがどのように荷担したのかを
まず明らかにしておかないと、
不毛な罵倒合戦になってしまうのでは?
96マルティン・ハイデガー:01/09/30 03:11
私が叩かれるのは私が有名だからです。
有名人を叩くのは心地がいいし、それに消費されるべきネタとしても最上のものなのでしょう。
プレスナーではなくユンガーでもなくハイデガーがたたかれる。
まぁ別に叩かれても痛くも痒くもないですけどね。
97マルティン・ハイデガー:01/09/30 03:14
問題は政党としてのナチスではないのですよ。
あの当時の異常なまでのドイツの雰囲気、これが重要なんですね。
ドイツ人は常に徹底しています。真面目です。
日本人もそうですね。思想の暴力を抑止したければ不真面目になればいいんです。
中途半端にシニカルに行為すればいいんです。
98考える名無しさん:01/09/30 03:34
>>ハイデッガー氏
しかし、前から気になってはいたのだが、
ナチスの戦争に対する考えに、
現存在の覚悟性のよりのぞましい契機
を見ていなかったかね?
99考える名無しさん :01/09/30 03:35
もうこの際いっちゃえよ、サチコマンセーってよ!>heidegger
100考える名無しさん:01/09/30 11:52
101考える名無しさん:01/10/08 02:48
ハイデガー先生は、もう来場されないの?
102あほがくせーい:01/10/08 07:54
そんざいとじかんよんでまーす。
むずかしい!ここでべんきょしまっす。
103考える名無しさん:01/10/08 17:52
ハイデガー先生に質問です。
先生は「思想の暴力性」は思想によって克服不可能だとお考えですか?
それとも、暴力性の克服は先生の思考の課題(の一つ)だったのでしょうか?
104ニーチェ:01/10/08 19:16
僕を煽っても無駄だよ。
ドイツ大学の自己主張
「精神」とは空疎なる俊敏さでも、たわいもない機智の遊びでも、
悟性的分析の際限なき行使でも、ましてや世界理性ですらない。
精神とは存在の本質へむけての根源的に規定された決意である。
民族の精神世界とは文化の上部層でもなければ、まして有用なる
知識や価値を生み出す工廠でもない。
それは民族の血と大地に根ざすエネルギーをば最深部において保
守する威力、すなわち民族の現存をば、最奥かつ広汎に昂揚せし
め、ゆりうごかす威力なのだ。

ドイツの本質にとって等しく根源的なものである。そこから発する
3つの奉仕、勤労奉仕、国防奉仕、そして知的奉仕は、ひとしく不
可欠であり、また同格のものである。
現象学は、いろいろな解釈にまみれて、権力とも無縁でない日常の
知を経験そのものの発生する場に戻って捉え直そうとする。結果、
内省と直観に訴える。だがそのやる方は、現実の多様な関係を排除
した貧しいものとなる危険がある。
生きられる現在とは、他との多様な関係、他者に向けて開かれて意
味を持つから当たり前だが。
現実を抽象化して都合の良い解釈を押し付ける側面に気をつけない
といけないというのは、「声と現象」と「幾何学の起源序文」で述
べられている。
ハイデッガーの場合、存在というどこにもあるものを、時間という
観点から相互に関連付け、規則づけるという視点であり、プラトン
のイデア、カントの定言命法とパラレルに、ハイデッガーの関連付
け方は権力とどういう関係にあるかが問われる。
自分一人しか現存在がいないならともかく、血の通う存在が相互に
気遣い利用し意志を押し付けあい、サラには隷従や暴力という側面
が現実世界にある。
そしてハイデッガーの解釈においては、現存在の他の存在への超越
性は動物を排除し正しい言葉の使い方、ギリシア語へつながるドイツ
語の正しい使い方に基礎付けられている。動物という他者、言葉を
正しく使えない他者を排除して、ハイデッガーの世界を解釈し他者
を解釈し知によって他者を規則づけることが可能となる。
それが何をもたらすか問わないといけない。

現代思想は他者を知によって規則付けるということは何かという点
を軸に回ってきた。
知によって他者をいかに権力で縛ってきたか、フーコー、アドルノ
言語によって、他者が規則づけられる場面とは何か、分析哲学
科学の成立によって、知の枠組みが変わったことが何をもたらしたか
科学哲学。
他者を排除せずに、どこまで規則におさまらない多様性を拾えるかが
問題となっている。
で、それと比較してドイツ大学の自己主張を見る必要がある。
108ハイデッガーの自己主張について:01/10/08 21:07
デリダの「精神について」で論じられたように、現実の多様性を排除
して、他者を排除して、解釈できると見るハイデッガーの知と権力の
結びつきは厳しく問い直さないといけない。
ドイツ大学の自己主張で、凡庸なアメリカ型大衆(民主主義)社会を
露骨に批判している。
それは、そういう凡庸な他者の多様でみっともない、欲望の調整から
無縁に、自分は他者を切り離して、指導的立場に立ち、先導できる
との思い上がりから生じた。
ハイデッガー哲学が他者ととことんつきあわない哲学であること、そ
のことで凡庸さを嫌い、思いあがってナチズムに荷担したこと、その
結果大学の民主主義を圧殺した。ハイデッガー自体は小物にせよ、
そういう積み重ねがナチズムの暴挙を支えたことは明白な事実。
その事実を受け止めた上で、ハイデッガーを呼んでいかないと意味を
成さない。
109考える名無しさん:01/10/08 21:08
>ハイデッガーを呼んでいかないと意味を成さない。

「ハイデガーさ〜ん!」
>109
俺が悪かった。
111考える名無しさん:01/10/08 21:13
>>105-108
哲学者たちは自分たちの存在意義を高めるために、
あえてハイデガーを、悪の原因として祭り上げることで、
いまだに哲学が力を持っているという幻想を作り上げたい
ということを示しているようにも読める。
いや、ナチズムは西洋の必然とかいってほうかむりbyこのスレの
ハイデッガー先生
するより自己批判はあって当然。
言いぬけ言い訳させずにきちんと論じておくことでしか
前進していくことはできない。
たとえほんのわずかにすぎなくとも。
でなければ、ただのおしゃべり。漫談。例、このスレ。
哲学者が世界を存在をある見方で解釈する、その関連付け方が、一般人より優れて
いるか、個々の実践から遊離していないかは問題となる。
プラトンが具体的な存在に対してイデアを対置して、哲学者の優位を獲得する戦術
とって以来、絶えずその問いは顔を出す。
ハイデッガーは存在を言葉で関連付け、その声を正しく聞き取れるというところに
己の優位を見出した。
ギリシアに連なる正しい自然と人間の関係を言葉としてできるものは、言葉を正し
く使えない自然から遊離した愚かな大衆と差異づけられた。
世界-内-存在として日常性を取り込み、点としての認識の配置を批判しようとした
ハイデッガーが「ドイツ大学の自己主張」のように凡庸な他者との差別化、排除の
構図の中で、ナチスを先導できるとの優位性をあらわに哲学を語ったのは皮肉。
ヘルダーリン等の詩の解釈はそれはそれで権力批判を含むが同時にその構図に
よって、他者を排除し抑圧に転ずる部分と切り離せない。
ニーチェ等西洋哲学を形而上学の完成の観点から見る視点も権力批判と同時に
批判することで権力意志を確立する戦略の部分と切り離せない。
ニーチェの方がはるかに繊細に近代の様々な権力や凡庸さと距離を巧みにとり
ハイデッガーが余りに安易に権力に取り込まれたのは事実。
ニーチェとの比較も大切だがスピノザやキェルケゴールの権力に取り込まれな
い単独者の思想との比較も大切。

ハイデッガーはギリシアにつらなり権威づける部分で過去の語や概念とかに対して、
余りにも独自な解釈を連発したことから、マルクス主義のような大文字ではない小
文字にこだわった哲学として脱構築学派には祭りあげられた存在だが、それらの中
の権力批判と権力意志の両方を地道に捉え直していかないといけない。
単なるおしゃべりではなく、哲学が知や実践に対して意味のあるものであるならば。
117権力と知について:01/10/11 22:18
ニーチェの道徳の系譜学は、初心者には誤解する人もいるかもしれないが、
宗教批判ではない。
ニーチェは何等積極的なよいこともせず、悪を蔓延らせながら、無責任、
無抵抗で自分は悪くないという畜群本能を批判した。国家権力、資本主義の
物象化による愚かな諸言説等の、近代の諸権力をたたくアナーキストであり、
右にも左にも立ち向かう全体主義の敵だった。
国家のためという思考放棄を嘲笑し、その中の畜群本能をあばきたてた。
ニーチェがナチ時代に生きていたとして、ナチズムと相容れることはあり
えなかった。反ユダヤ主義も批判していた。近代の諸権力のプロトタイプ
として「道徳の系譜」や「アンチクリスト」を論じただけだから。
にも関わらず、ナチスは、ニーチェ全集を国家事業として(歪曲による歪
曲重ねながら)刊行し、ヒトラーからムッソリーニにその全集が献呈され
もした。
ハイデッガーと離れてすまないが、あの時代だからナチにとりこまれたのは仕方
ないとか、西洋の歴史の必然をはらんでいたから仕方ないというのは、現実にナ
チズムに取り込まれなかった思想もたくさんあり、それらとの差異の問題を隠
蔽するものだ。ナチズムがニーチェ歪曲してそれが通った野蛮さと繋がる。
地道にニーチェが捉えられていれば、先取りしてナチズム的なその畜群本能、本
質的な弱さからもたらされるどうしょうもない暴力を批判する思想の意義が共有
されていれば時代は多少は変わった可能性がある。
思想の全体的な構図と効果、実践との関係を地道に比較していくことが、ナチ
ズムによるニーチェ利用等の愚かさから決別して、権力と知の関係に責任持つ
一歩だ。
そういった意味でハイデッガーの問題ともつながっていると思えるので。
118考える名無しさん:01/10/12 08:56
昔のハイデガーきぼんぬ
119考える名無しさん:01/10/13 18:12
>118
とっくにロクにカキコしてなかったと思われ。
120∴通りすがりのトレッキー:01/10/13 19:52
 おー、最初はデータ少佐がホロデッキで一人遊びしてるみたいだったが、
何時の間にか立派な哲学論文を読んでる自分に驚く。
しかし、
 >>97
 こんなぶっちゃけた、ハイデッガーっておるかいな。
121:01/10/13 19:57
 思想と哲学の関係に付いても、よくわかったような気がする。
名スレだ!

 しかしナチスドイツは、なぜソ連に侵攻したのだろう・・・
122考える名無しさん:01/10/13 20:03
精神医学とナチズム
123弁証法的理性批判放棄:01/10/14 00:04
若き頃のハイデガーはつぶらな瞳が印象的だった。
124権力:01/10/15 22:17
>120
データ少佐って誰っすか?
125:01/10/15 22:54
 スタートレック、ネクストジェネレーションに出てきた
ポジトロニックブレインのアンドロイドたけど?

 昔、データ少佐がディーラーになって、ホログラム装置
の中でニュートン、アインシュタイン、ホーキングと
ポーカーやってるシーン思い出して・・・
126権力:01/10/16 08:19
>125
Thanks
127考える名無しあん:01/10/16 10:18
このスレ軍事板と合わせて読むと面白い
128権力:01/10/18 21:15
>127
言える(w
狂信や全体主義より腐った民主主義に道具渡した方が世界にとって
ほんのちょっとましってことで(w
民主主義者なもので(w
デリダは「ニーチェの耳伝」でニーチェの「われわれの教養施設の将来」を引いて
「教育についてのニーチェの教えをかつて引き合いに出しえた唯一の教育制度が
…ナチであったことになるのか」と論じている。そのことを脱構築してみたい。

ニーチェはその教育に関する講演で、国家主義、マスコミ、画一的教養に罵詈雑
言を与え、画一的マスコミ言説に対置するものとして、良い趣味と厳格な言語訓
練を求めている。自然的言語を論じている。
単純な煽動を目的としたマスコミ的言説への批判としての多様さへの希求。

確かにニーチェは、ナチズム的な国家主義とは異質だ。しかし(ナチズムの)自
然擁護、知識人批判、といった(素朴を装う)大衆へのプロパガンダへ利用され
ざるを得なかったのも事実。
そこには権力の押し付けに対抗して差異=多様さを求める言説が逆に、同一性と
差別に転化され、権力に利用されるジレンマがある。
権力といかに対峙するか、取り込まれないように言説を張るか考察してみたい。
パスカルを考えてみる。彼にはニーチェと同じような取り込まれ方の危うさがあ
るので参考になると思われる。

彼はデカルトへの最初の対決者として、情念の人、あるいは主体の形而上学へ
の批判者として名声を得ている。
「デカルトはできたら神について語りたくなかったのだ。」
だが、この手の言及は、明らかに現実的には党派的な、特殊キリスト教的な政
治的なものだ。デカルトに胡散臭さを感じ主体性の哲学批判するものに仰ぎみ
られての名声だが本当のところどうだろうか?

柄谷行人が論じているが、「デカルトの知の括弧くくり」を既存の知のシス
テムをそのまま受け入れるのでは無いシステムの外部を考察するための意志と
読み替えたスピノザからすれば甘い。
結局、当時の宗教や哲学各派のコップの中の嵐で語ったものにすぎない。

人間は神の前では無力な葦のようなものに過ぎないという認識は、彼が数
学者物理学者として微分を真空を扱い、無限に畏怖できた彼の天才による。
彼は例えばカトリックの司祭が自分を権威づけるために適当なことを言うのと
は違い、誠心誠意なのだが天才なのだが、それが逆に党派的言説を掻き立て煽
り立てることにつながるのが問題なのだ。
神の前では無力だという言説が転倒された形で国家主義的に利用された例など
枚挙にいとまがない。

言語が無限と結びつき、無力のはずの個人が逆に夢想の中で全能になるロマン
主義の構図。その先駆者とみていい。
言葉で意図したものと、利用される文脈の狂いというニーチェ的問題を考える
上で、次はそのロマン主義の起源、近代美学の最初の思考者の一人バークにつ
いてそこにおける無限について、言語と食い違いと権力の関係を見たい。
思想家が「大衆」とか「大地」とか「農夫」とか書くとき、そのことがどうい
う結果をもたらしうるのか、言葉が意図とずれていくことを覚悟して、それで
も権力と戦える思想を鍛えていかないといけないのか考え続けてみたい。
「もっとも明白な社会の区分は金持と貧乏人であり、それに劣らず明白なのは
前者の数が後者の数に比べて非常に不均衡であることである…グレート・ブリ
テンでは、10万人以上の人々が、鉛すず鉄等の鉱山で使われ、これらの不幸
な人々はほとんど日光を見ない。」エドマンド・バーク「自然社会の擁護」
人権や自由の無制限な行使への批判が語れられるとき、その保守反動の思想家
の引用の源としてオルテガと並ぶバーク。
しかし、彼の出発点は上の著作のように反権力だった。理性の名の元に人為的
法律=権力のシステム生産の試みへの批判者としての自然法の思想家、バーク。
彼の出た身分が低かったから大臣の座からは締め出されたが練達の議会政治家
であり、王権や教会から権力を奪うべく闘争していた自由主義者、左派だった。
しかし彼を引用するものは反議会的な右派あるいは書斎の陰に引っ込んで現実
とは関わらない保守主義者でありつづけた。ドイツでも日本でもアメリカでも。
その秘密は彼の言説とその言説を可能にさせる権力意志との関係にある。
国家主義者、反ユダヤ主義者のワグナーへの明瞭な批判者であるにも関わらず、
ニーチェはワグナーに涙するヒトラーを頂点とするナチスの面々によって国家
哲学として受け入れられた。そのワグナーにしても単なる国際ユダヤ資本が悪
いことしているレベルの紋切型の陰謀論であり、強制収容所等全く念頭にない。
にも関わらず、ゲルマン民族の大地の一言半句がニーチェやワグナーから引用
されて、思考停止させるものとしてのワグナーの音楽の陶酔のうちにプロパガ
ンダされていった。
具体的な言葉と切断された陶酔としての美学。有限と無限。
前近代においては倫理や真理と不可分だった美(真善美)について、個的でチ
ッポケな人間の有限な認識にとっては無限を予感させる崇高な感情を論じ、倫
理から独立した近代の美学を成立させた著作がある。
「崇高と美の観念の起源」その著者の名をエドマンド・バークと言う。
バークが「自然社会の擁護」で、個人主義、自由主義を唱えた時、しかし、自然法
=過去からの慣習としての権力について、殆ど論じていない。人為法の暴力を唱え
るなら、自然法の暴力についても批判的であるべきだった。人為法の予定調和のビ
ジョンを批判するのに、自然法にだけ予定調和を見るのは矛盾である。具体的な慣
習や権力闘争の中からでてくる法やシステムについて評価するのは現実主義かも知
れない。しかし、同時にその法が様々な矛盾を抱え、悲劇をもたらすことを見据え
ないで正当化するのは甘さであり、チッポケな自分を越える大きな物への自己同化
という美学でありロマン主義だ。
具体的な言葉と切断された陶酔としての美学。という形での権力意志。
かつてナチス時代、自分がチッポケであるが大きな時代の流れに対して参加すれば
有限な個人が歴史という大きな物に飛び込めばという形で多くのドイツの思想家が
ナチスにコミットして権力意志を満足させ、更に意外な事にフランスでは多くの文
学者がドイツに協力した。
パスカルは天才的な数学者だし、バークは優秀な議会政治家だ。しかし、凡庸な
田舎司祭がパスカルの断章のような警句を、ルサンチマンの復古主義者がバーク
のような省察を書いても言説としてはパスカルの物、バークの物と差異が無い。
そして一番悪いことに、パスカルやバーク自身、その境界に差異が無いことをい
いことに、ある程度無責任に言いたいことを言い、言説のもたらす権力をほしい
ままにした部分がある。それはニーチェの言説の口真似しながら、大上段にふり
かぶったナチスのアジテートと同じようなことなのだ。
ある程度まできっちりと個人主義的、反権力的な思考しながら曖昧な部分を残し
大きな物に飲み込まれることを選択することで却って、反動的、党派的、権力的
な物として現実に関わらざるを得なかった思想。

次に言葉と権力の極限について思考するために、ドイツにおける思想的ナチ支持
者と対になるフランスにおける対独協力文学者の例について論じてみたい。
今となってはイメージしにくいが、誇り高きフランス文化人が過去からの因縁浅
からぬドイツの中のドイツ的なナチズムを支持し応援し、結果として口に出すの
もはばかられるように歴史の闇へ消えた反動的、党派的行動を美学の名の元に行
った文学者達がいた。確かに、それは今まで考察してきた言葉と美学と党派性、
権力の問題の極限だろう。
今さらハイデッガーについて何か語る価値のある問題があるなら、それは唯一つ。
無責任な断言がもたらす思想と実践の関係であり、言葉と思想が意図したものと
食い違っていく悲劇にいかに耐えるか、立ち向かうかということだろう。

フランスの対独協力者はいかに考えて行動したのか?
といっても、福田和也氏の「奇妙な廃墟」の丸写しにほかならないが、この著作は
傑作であり、言葉の悲劇を考えるうえで内容紹介も得がたいものになると思うので。
敗戦したって政府やジャ−ナリズムは必要なわけでいきがかり上、それに携わった
ものでは除かれる。そうではなく自分の思想としてファシズムを支持し、ホローコ
ストに協力した一群の文学者達がいた。
戦後、恩赦を受けてメソポタミアからノーノに至る音楽史の名著を書いて隠れたベ
ストセラーを出したルバテは、戦中は、名指しで誰々はユダヤ系だとか、レジスタ
ンスだと発表しては、ゲシュタポの怠慢をなじっていた。
22歳で、古代ローマ詩人ウェルギリウスの伝記を書いたブラジャックは、小学生
であっても、ユダヤ人ならば連行されるべきであると論陣をはった。
なぜ伝統的人文主義の清華ともいうべき人物達が秘密警察の手先、先導者になり
えたのか。その謎を探ってみる。
始めに紹介する何人かは対独協力とは直接には関係しない。反近代主義者として思
想的に背景を成した人物達である。
ゴビノーというトクヴィルの秘書を務めたことのある外交官兼文筆家がいる。
彼には人種不平等論という、著作があるが、題名から想像されるような、レイシズ
ム、反ユダヤや汎ゲルマンの人種主義とは無縁な著作である。
不平等とは人種は均質ではない多様性を保つべきでありという意味で使われていて、
むしろ多文化、多元論擁護であり、ファシズムには直接、関係ないかに見える。
しかし、そこには単純に無関係と言えない事情がある。
その著作には終末論的に人種が混交し活力が無くなり、歴史が終焉するというビジ
ョンがあり、それへの苛立ちとして、多様さを活力を求める方向が求められてるが
そこには根拠が無い。必ず混交したらそれだけで多様性がなくなるのか、むしろ父
=王党派と母=ボナパルト派に引き裂かれた自分を否定することで逆にそうでない
ものとしての自己を取り戻す意図が隠されていないか。
そのことが彼の文学的著作とあいまって、問題を形成する。
彼の文学の代表作、プレイヤードは3人の青年のその恋や人生模様が主題だが、偶
然に出会った3人はたがいに高貴な魂を持った王の息子であることを認め合う。
「私が思うに、誇り高く、みずからの魂の呼び声を聞く人間の火急の義務とは、自
分の中に閉じこもってしまうことでしょう。…いうなればそれは、高き星座<プレ
イヤード>のなかに自分をくわえようとすることですね。」
奇妙なことにその高貴さには根拠がない。閉じこもってという言葉に象徴されるよ
うに外的にはなんの保証も基準も無い。己の意志だけで差別化を図り、高貴さを求
める。そのことが作品の全てであり、作中の恋も高貴さを求めて回転する。
「わたしは危険な女です。…しかし私は変わりたい。」
作中のある女は高貴さを求める女であり、つねに誇り高く振る舞い、男を誘惑によ
り屈服させずにはいられず。そのことにより自分で苦しんでいる。
こういった作品を包む狂熱に魅せられて、ジイドを始めとした多くの文学者に評価
された傑作だが、そこには言葉が無限や空虚に接し、時には美学と手を組んで現実
と遊離する危険、今まで論じてきた意図しない思想の政治性が浮き上がる。
プレイヤードも人種不平等論も近代の単調な凡庸さを批判し、多様さを求める意図
で書かれたものだが、同時に地に足をつかない空虚さをはらみ、差異を求める思想
が同一性の差別を押し付ける萌芽があるのだ。ニーチェが国家主義の哲学に誤解さ
れ、ワグナーの美学がナチズムを先導したのと同じ意味で、言葉が思想を裏切り、
実践にからんでいきホローコストに至りうる道がそこには確かにあったのだ。歴史
はそういうものとして進行していった。そのことをこれから見ていく。
マラルメの火曜会に出ていた若者、バレスはルナン等の著名な作家・評論家を愚弄
する「想像インタビュー」で人気をかっさらったオタクであった。
その評論はオタクであることを自己否定していくものであった。そして、彼は文学
者であるが故に積極的に政治参加を求め、オタクの自己否定を貫いていく。
モルトケとビスマルクにやれれて以来フランスは対独報復とそれを可能とする軍事
独裁への期待が存在していた。その潮流にブーランジェ将軍が乗った。議会と将軍
が対立した時、民衆は将軍を支持し、警察もクーデターを受け入れ閣僚は逃げ出し
たが、唯一それをはばむものがあった。将軍自身がヘタレで、決断できないことに
あった。その事件の時代に若手の知識人として売りだし下院議員になり、文学者と
してもヴェルレーヌと並ぶ人気を誇ったバレスは、ドレフュス事件等の相次ぐ時代
を右翼の大立物として、クレマンソーを支持して第一次大戦の強力な結束の一助を
担う等危機の時代の文学者のアンガージュマンの基本イメージを形成した。対独協
力者達は彼の行動を模倣した。
彼においてはオタクであることと権力政治の猛者であることは矛盾しない。
ヒューム、パウンド、エリオットに影響を与えた詩人、モーラスは文学者を結集し、
当時右翼で最大の影響力を誇るアクション・フランセーズを率いた。彼は文学者と
して美学的にラディカリズムを唱え、アクロバテックに王制主義を唱えるなど現実
を嘲笑し、ドレフュスが無罪の見込みで右派が意気阻喪した時、ドレフュスは無実
だろうが国家のために有罪にすべしと言い放った。
バレスの現実路線を批判し、実力行使も辞さなかった。
彼らは美学的に考え、国家を支えるのは文学者であるという伝統に繋がっていた。
彼の思想は対独協力者のモデルになった。
ブーランジェ将軍は、エリゼ宮からわずか数百mのレストランで食事しながら、
愛人を一人で残すことを拒んだため、クーデターは成立せず、内務省からの脅迫
で国外に逃亡するなどするうち支持を失い愛人の墓前で自殺した。そういう推移
をバレスはつぶさに見ながら、かえって失敗したクーデターを引き継ぐものとし
て自分を位置付け、民衆の無意識的なエネルギーを高く評価して結集する手段と
して、反外国(製品、労働者、ユダヤ資本)を訴え、敵を共同体の外に作り出し
大衆レベルでのデマゴークと組織化に手をつけた。
彼の小説「国民的エネルギーの小説」は3部作で1.地方出身の7人の青年の奮戦
記、2.その人物たちがブーランジェ事件で結集し挫折する、3.人物達は背景にさ
がり、クレマンソーなど実在の人物を通したパナマ疑獄追求物。といった形で、
歴史や全体に民衆の具体的行動通して迫る作品であり、彼において、知と行動
と全体主義は結びつくものだった。

南仏の自然の中に生まれながら、聴覚を喪失したことにモーラスの原点はある。
和解することを求めず、古典を歴史的な距離感から解き放って、否、歴史自体
を現在の中で消滅させて、詩を書いた。政治行動をとった。
アクション・フランセーズを強力に組織化したモーラスはその組織を私的軍隊
というレベルにまで高め、言論で攻撃を加えるだけではあきたらず、しばしば
直接的に政敵に脅威を与えることを好んだ。この暴力的な政治姿勢はソレル等
にも高く評価された。反近代、反ヒューマニズムはブランショを魅了し、現代
思想に影を落とした。その詩と行動は相即的だった。
いよいよ本物の対独協力者を取り上げる。ロシェル、ブラジャック、ルバテ。
今まで論じたゴビノーは人種主義者では無いし、バレス、モーラスは国家主義者
であり民衆煽動者であり右であっても、バリバリの反独主義者でフランス国民が
大事で、ゲルマン民族とか大地と血のイデオロギーとかとは無縁であった。
ナチズムに結びつくものではないのだ。
それらが問題となるのは、言葉が現実を踏みにじっていくその関係性にある。
言葉が無限や空虚と交し合い、現実と遊離して権力に転化する、これまで論じてき
たニーチェやバーク等とも無縁でないアクチュアルな問題である。そして、その言
葉と実践の危うい関係を体現したのが彼らを、彼らの美学を受けてでてきた対独協
力者なのである。そこに問題は集約される。
ロシェルは放蕩者の父を恨みながら成長し、父の破産の尻ぬぐいで没落した祖父
母の期待の元に進学するがドロップアウトした。第一次大戦で召集され、悲惨な
状況の中で、自殺の誘惑にかられながら従軍してる時、ある不思議な体験をする。
シャルルロワの白兵戦のさなか、突如、自分が指導者であるという高揚感を覚え
この戦場の酸鼻ななかでの充溢が彼の文学を決めた。
「僕は、この空っぽの平原にいた…半身を起こしたことで、僕は伏せている敵や
味方から見られていた。僕を見て…僕を呼んでいた…僕しかいなかった。しかし
それで充分ではないのか。それは無限ではないのか…僕は完全に立ち上がった…
僕は知った。自分の生命を知った。」
敵軍の進攻におびえる友軍のなかで身をおこして立ち上がった時に感じた他者と
の差異感。陶酔。しかしその陶酔はすぐ消えうせ、かえって彼に痛みをもたらす。
言葉と現実が結びつくと共に乖離し永遠に失われる散々論じてきたことの極限。
その空虚を埋めるための、麻酔を求めて、彼は、父以上の放蕩にのめり込み、20
年後いい麻酔を手にいれる。ファシズム。
ハイデッガーがドイツ大学の自己主張を書いたときにも手にしてたであろう、決断、
状況への自己投企に伴う陶酔。そしてそれが得られない砂のような日常。
彼は女性から懇請されれば、誇りのためになしえないことも可能だった。目に見
えぬ戦慄だけを求め、それだけを信じた。彼の文学はその放蕩の記録である。
彼の小説、ジルでは、水晶の夜などとも連動するフランスでの34年2月6日の
暴動へのアンガージュマンが語られる。ジルはデモの混乱に巻き込まれるうちに
シャルルルロワの時に彼を捉えた、生命の高揚感を感じ、攻撃と参加の側に彼を
連れ去る。ジルの放蕩や失恋、友情や幻滅の罪重ねの帰結としてファシズムへの
選択が語られる。
ロシェル個人のデカダンスとフランスを覆うデカダンスを結び付け、彼の選択がフ
ァシズムだとしても、フランスのそれは同じではないはずだが彼には同じであると
思い込むしかなかった。言葉と思想の不可能な夢。
やがて彼はフランス人民党に荷担し、ドイツへの敗戦、ヴィシー政権成立後もその
中で主導権をとりフランスにおけるファシズム政権の樹立を目標として行動する。
エコール・ノルマルに入った若きブラジャックはアクション・フランセーズに出入
りしモーラスやその友人ドーデの影響を受けながら22歳で「ウェルギリウスの存
在」を公刊し、俊英として注目される。
それは高度なレベルでの生や現実に密着した古典の捉えなおしを軸とした。
南仏出身であり、モーラスと違って五感でその古典との連続性を受け止められる資
質にも恵まれていた。と同時に彼の政治理解は単純だった。
「かれの愛した大地や、書物、死に瀕しつつある国家…この国と秩序を救うために
は、力が必要であることを彼は知っていたのである。」
モーラス的な政治理解、発想の単純さと、周到な古典解釈の結びつき。そして青春
としての文学。
やがて、彼はスペイン戦争にコミットする。この戦いに希望があるとすれば、古い
価値が没落し、戦いから未来が生まれること。どうしてそう単純に思えるか。彼は
右翼の嘘、左翼の嘘を見分けられるからであり(マルローはいかに混乱していても
民衆の熱狂はコミュニズミに回収され正当化されるというレトリックを根底から批
判され、呵責なく批判される)逆に、現実を鋭く見分けられるが故に、そこから出
てくる結論は時に単純きわまりないものになる。彼の文学読解とジャーナリズム活
動は通底している。そして政治と青春は複雑なものへの対抗としての単純さとして
アンガージュマンが正当化されていく。
プレイヤードを現実に裏返しで生きたロシェルと違い、ブラジャックには現実と感
覚の大きな齟齬は無い。ロシェルの異常な戦争体験のようなものは無い。
ただ青春とその普通の喪失が「時のすぎゆくごとく」で語られてる。島の入り江の
楽園で育った子供が、楽園を去りパリで成人し戦争を挟んで幸福を失う話を描いて
好評を博した。彼には感覚で現実との乖離はないが、行動において、現実を単純化
してしまうが故にそこに青春を見てしまうが故に時にグロテスクに行動することに
なる。逆説的な言葉と思想のずれ。
次の小説七彩では「人生の中には若さしか価値のあるものは無い。そして残りの
日々はそれを惜しむことで過ごすしかないのだ。」と語られる。これは彼の感性
の根底を成す地中海的な官能の世界と共に若者の既存体制への反乱とも通底する。
彼の場合選択先はファシズムだった。
フランスが敗戦した時、ブラジャックはナチズム自体は憎んでいた。ドイツの人
種主義、血のイデオロギーは(同じ全体主義者でも)彼にとってはナンセンスだ
った。敗戦をフランスファシズム確立のチャンスと見る甘さも、憎む体制の崩壊
を喜ぶカタルシスとも無縁だった。
しかし、それでも彼にはナチスに協力するしかなかった。バレス、モーラスの後
を継ぐ文学者としての誇りだった。単純にいえばこういうことだ。
敗戦の祖国、打ちのめされたフランスおいて、叫びたいような息苦しさを感じ、
戦争の帰趨を黙って眺めてなどいられず、彼の文学が無意味であることに耐え
られなかったのだ。この耐えがたい占領をより建設的なものにすることを伝統
に輝くフランスの右翼文学者として求めずにはいられなかった。
彼の求める青春、永遠が許せなかった。
「我々は、フランスに絶望しない…過去を振り捨て新しいフランスを作るのだ。」
「これで僕の未来も文学もだいなしだ」彼にはわかっていた。
「フランスの軍隊は敗北した。…指導者どもが悪いから…ユダ公エンジンにユ
ダ公車…負けてしまったのだ」この状況で口を開くことは、最悪に荷担するこ
とだった。「大司教が、ユダヤ人の扱いに抗議…かれは子供は連れていくべき
ではないと言っているが、ユダヤ人たちは、チビどももひとかたまりで、フラ
ンス人から引き離さないといけない。」
ナチスの手に渡されたユダヤ人の運命を慧眼な彼がわからなかった訳がない。
青春や陶酔を文学で語る彼が見出したものは敵意であり殺意であり呪いだった。
言葉と実践の乖離の極限がそこで見られた。プレイヤードの高貴とホローコス
トがここで結びつかざるを得なかった。
ここで上げられている、対独協力者の中で唯一長く生きたルバテの晩年の著作は
全くここで問題にされているような物と全く関係ない音楽史に関する著作だった。
彼は別に演奏家ではなく、音楽史家でなく、音楽評論の専門家でもなかった。
「モーツァルトが革新を行うとき、それは、常に表現上の目的のためだった…冒
頭の震えるようなアレグロから…彼は革命の意図などとは全く無縁に…生気あふれ
る完全さを実現するためにやってきたのである。」
モーツァルトをめぐる、彼がどこまで古典派であり、どこまでそれを逸脱し、どう
いう意図をもってそれをやったのかを巡る永遠に続くかの議論の中にあって、彼は
アカデミックな理論の助けを借りず、鑑賞者の実践によってのみ音楽家の魂にたど
りつき自分の言葉で本質を提示した。それも小林秀雄式のロマン主義の天才神話に
よらず、地に足がついたものだった。全編この調子で書かれたこの本は隠れたベス
トセラーとして読者に歓迎され版を重ねた。
「私はウィーンからユダヤ人が取り除かれて、きれいに掃除された姿をまのあたり
にした…ウィーンは活気でとびはねてるように見えた…私は復讐のよろこびにひた
り享受した。」ヒトラーがオーストリア占領した後、ルバテがウィーンを訪れた時
の感想である。
ドイツの占領下のフランスにおいて、「残骸」という本が出されて、占領下で奇跡
的ベストセラーになった。その本は怒りの書だった。敗戦により既成の秩序が制度、
道徳が敗北し土にまみれた状況でなおかつそれらに鞭打ち解放の喜びを語る怒りの
書だった。
ルパテの対独協力とは、共和国の崩壊を楽しみ、モーラスら時代遅れの指導者を嘲
り、ヴィシ−政権をたたき、ユダヤ人を腹を抱えて大笑いする未来を望まない黙示
録な無償の行為だった。そしてかってのフランセーズでの仲間達を揶揄し罵倒した。
著者自身も危うくする攻撃性で占領下の暗い世相を席巻した。
新聞では、ユダヤ人やレジスタンス派の密告をやり、警察やドイツ側の怠慢をなじ
った。
ノルマンディに上陸され、パリが陥落間近な時期にナチズムへの忠誠!という記事
を書いた。「ヒトラーが敗北の瀬戸際にあることは認めてもよい…国際金融資本を
敵に回して戦い…世界の四分の三…を敵に回して戦わなければならなかったのだ。
私はヒトラーを尊敬し…その気持ちは全く真摯なものである。」
そしてルバテは連合軍に追われながら、「ふたつの旗」という小説を完成する。
題名の意味はロヨラに由来しイエスとルシファーの旗を意味する宗教と情念を扱
った小説である。
ミッシェルという青年にレジという神父を目指す友人とアンヌというその婚約者
の三角関係を軸に進む。
「わたしはレジを家につれていきました…わたしはもう彼の肉欲をかきたてる必
要がないことがわかりました…彼は恐ろしいほど、わたしを求めていました…で
もその欲望以外は彼はもう軽蔑以外の気持ちをもっていませんでした。」
ユダヤ人であるスタイナーが絶賛せざるを得ない、(元々の原題の)悪魔でもな
く神でもない存在としての人間を受け入れることを描いた小説である。
何故、よりにもよって死刑囚として囚われながらこんな小説書いていたか?
彼は理論の助けを借りずに、自分の感覚を頼りに、音楽の総体を捉えられる天才
であり、それと同じこととして普通に人間の営みの総体としての宗教と情念のを
扱った完成度の高い小説を書いたのであり、そういう人類の積み重ねてきた総体
への判断として、反ユダヤ主義を取り、国際金融資本の陰謀を批判し、自分の感
覚の積み上げからウィーンにおけるユダヤ人の排除を心から感覚的に喜んだのだ。
彼においては、モーツァルトの音楽の核心をつかみとることや天才批評家スタイ
ナーを感心させる小説を書くことと、ゲシュタポに協力しユダヤ人やレジスタン
スを追い詰めることはどっちも大事な取り組むべきことであり価値に差はなかった。
ハイデッガーが哲学史の総体を把握しながら、ナチスの突撃隊にアンガージュマン
したことと並んで、我々にとっては人間的な営みに見える背後に膨大な知に守られ
てると見える所に言葉と思想の断絶の深淵が存在し、その深淵で踏みとどまること
の意味を問いただされるのだ。
フランスが解放される中で、ロシェルは自殺を扱ったエッセイとして秘められた
物語を書き、ハイデガーが「人はその人の死を死ぬという運命だけは奪われるこ
とはない」といったが、現実には大量死の無名性の時代において死が奪われるこ
とへの抗議として、究極の放蕩としての自殺を行った。シャルルロワの戦場で無
名性の闇から立ち上がることで獲得しようとした、自己の死=存在の特権性をや
っと手にいれた。それはツェランの死の無名性の恐怖の訴えへのホローコストに
荷担した側からの答えだった。
ブラジャックは捕らえられ、死刑の判決が下りた時、「名誉だ」と答え国家のた
めに行動した上での死刑だから何の悔いもないと振り返った。
銃殺される時、勇気!と叫んで顔をあげ、目を開き、フランス万歳!と叫んで射撃
された。
一端は死刑の判決を受けたルバテだが、ブラジャックの死刑で文学者への執行に過
敏になった当局から減刑され、この時期にふたつの旗、54年に恩赦されて後には一
つの音楽史を出すことになる。

「ぼくらは かつて 無であり 今なお無であり将来も 無のままであるだろう
 花咲きながら 無の だれでもない者のばら」
ぼくの母の髪は決して白くならなかったと語ったユダヤ人迫害を生き延びた戦後最
大の詩人ツェランの詩である。
かれは、ジェノサイドを糾弾する政治勢力に協力しなかった。そういうことが一つ
の立場、権力に転化しうることを知り尽くしていた。だれでもないものとしてある
こと。そして彼も自殺した。
哲学が言葉が暴走し、思想が崩壊することを防ぎ立ち向かうものであるなら、それ
はツェランのごとくだれでもないものとしてありつつ、そこでふみとどまる術でな
ければいけない。
そのことは、同時にロシェルと共に大量死の時代の自己の尊厳の喪失に向き合い、
ブラジャックと共に栄光と言葉のちょっとした食い違いからの失墜をつなぎとめ、
ルバテと共に全人格の重みが深淵におどりこむことを食い止めるものでないといけ
ない。
そこでのふみとどまりと食い止めの間にニーチェもワグナーもハイデッガーもバー
クもぶちこめなければ意味は無い。
146言葉と思想の悲劇について:01/11/18 08:03
言葉とその他の現実との深淵をみつめた上でないと哲学を語る意味は無い。

という所で終わります。
ド・マンとかルソーとか論じたいことはあるが時間と労力を押さえるに必要な
技量が手に負えないことに気付いた。
(何の得にもならないこと何やってるんだ自分、しかも対独協力者の話は完璧に
他人のふんどしでどこにももってきようがない)

福田先生には感謝。
感謝ついでに、そこでいかに踏みとどまるかが問題のところで、保守思想にも
三分の理を利用してよそいって喧嘩ばっかりしてるのはもうやめて戻ってきて
ください。ってこういう事書くと嫌われるか?
147言葉と思想の悲劇について:01/11/19 21:57
翻訳で読んでも、圧倒され立ちすくまされるツェラン。
言葉や知が権力や実践においていかに無力であるか、否、亡霊として人を死へ
連れ去るかへの深い理解、いやそのことを生きたものによる詩の世界。

まさにその意味においてのネガとして対独協力者の文学は存在する。
ホローコストへの批判がパレスチナの虐殺につながるのを防げない、知と言葉の
運命を両者は深く撃つ。

ツェランについてよく語れなかったがそういうことだ。
148言葉と思想の悲劇について:01/11/19 23:01
「奇妙な廃墟」の著者、福田和也も、この本書いて深淵にいかにふみとどまるか、
果てしない試みに身を投ずるより、権力や人を傷つける言葉に踏み込んでいいん
だとこの本をアリバイにしてどんどん軽々しく、どんどんどうでもいいことばか
りを語るようになったのが困り物。
「作家の値打ち」とか「悪の恋愛術」とかって違うだろ、としか言えない。
149考える名無しさん:01/11/23 07:37
age
150言葉と悲劇:01/11/25 00:02
age
151考える名無しさん:01/11/25 00:06
>>言葉と悲劇 さん

面白い。けどこの文章、どこに発表したもの?
オリジナルがあるなら、初出を知りたい。
152言葉と悲劇:01/11/25 00:14
対独協力者やツェランについては福田和也の「奇妙な廃墟」の要約
ですよ。
153言葉と悲劇:01/11/25 00:19
ハイデッガーのナチ荷担問題やバーグなんかの近代政治思想とルソ
ーやロマン主義の美学の問題考えてたら、フランスの対独協力者の
問題にぶちあたったので自分でわかるためまとめてみたところです。
154考える名無しさん:01/11/28 14:07
やるじゃん
某むつみよりレベル高いんじゃない?
日本だとあんたのような認識は、
批評家になった方が生かされるから、
早く表舞台で論を問うてほしいね。
文人の底が浅い現状からすると。
155考える名無しさん:01/11/28 15:55
糞レスだが、日本に文人はいない。
156言葉と悲劇:01/11/29 22:54
>154
すまんむつみって誰?マジにわからん俺って駄目?
157考える名無しさん:01/11/29 23:03
ハイデガーとハイデッガーとどっちが正しいのですか
158言葉と悲劇:01/11/29 23:05
前スレに表記についての説明があったはず。
159言葉と悲劇:01/11/30 17:46
20 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2001/02/21(水) 19:06

ハイデッガーとハイデガーは同一人物なのですか?
ハイデッゲルなんてのも昔いたような気がします。

関東では「ハイデッガー」関西では「ハイデガー」が通例のようです。
もっとも、フライブルク訛りでは後者に近い気がします。
160言葉と悲劇:01/11/30 17:52
>154
これのことね。了解。
文学のプログラム
著者: 山城 むつみ著
小林秀雄、坂口安吾らは「書くこと」によっていかに戦争に処したか。戦時下にお
ける「書くこと」の意味への問いは、「訓読」というプログラムへと連結される。
「日本精神=イデオロギー」分析へと向かう新鋭の第一評論集。
161考える名無しさん:01/12/08 18:28
前半は結構議論?が起こってるね
162考える名無しさん:01/12/10 04:30
>>1

あなたの「実存主義」とやらはヒューマニズムですか?
163マルティン・ハイデガー:01/12/10 05:06
>>162
 私は実存「主義」なるものとは無関係です。それはヤスパースやサルトルの概念です。
 サルトルへの反駁は『ヒューマニズム書簡』で確認してください。
 −主義のもつ形而上学的構造についてはこれとあと『線について』で触れています。
 ご確認のほどを。

 ナチ問題については前述しました。
 世間の批評家は私のナチ問題を取り上げれば本が売れると思っているようです。
 1923年の私の講義から引用します。
 「1年も読書をすれば、ひとはあらゆることについて語りうるようになり、しかもその語り口は見栄えがし
  読書自身も何かたいしたものを手に入れたように信じ込む」
164マルティン・ハイデガー:01/12/10 05:30
思想家が生み出した言葉が、思想家自身を裏切る構図について最初に表立って指摘したのはアドルノです。
私はこれについて何も反対しません。書かれたものは変更されえないがゆえに、万人に解釈され利用される。
ただそれだけのことです。万人が歴史を語るようになる。思想史をひとしきりまとめて、
何か気の利いたものを述べた気になる。歴史がある必然性によって構成されてゆく。
こうした構成については、今更批評家に何も言われる筋合いはない、というのが私の感想です。
既に終わった歴史、書かれた歴史について、その構造的欠陥をほかならぬ歴史叙述で再現しようとすることに存する
過ちについては、彼らほどの無知はいないのです。
批評家であれば、今まさに書かれんとするその現場にたって限りなくパフォーマティブな反応を行うのがよろしいでしょう。
上の論理でゆけば、それがせめてもの言論の倫理性となるでしょう。しからば沈黙か、ですね。
165考える名無しさん:01/12/11 03:09
>>163

ネタかと思われちゃうんじゃないかと考えてましたが……
レスありがとうございます。
166言葉と悲劇:01/12/13 21:46
ハイデガー哲学が民族や西洋の命運を大上段に語るのと、ルソーなりバークなり
福田和也なりが権力批判しつつ、権力とどう関わっているのかを見定めることは
同じことであり、同じ土俵で論ずる必要がある。
ハイデガーが詩をギリシアを美学を語りながら、暴力に荷担したことは事実だから。
ド・マンなんかにはそういう問題が集約的に出ている。
164のような批評など私の哲学より劣るとでもいいたげな地平に己を持ち上げる暴
論は出来ないはずだ。別に私は批評家ではないが。
167言葉と悲劇:01/12/13 21:50
いくらハイデガー先生が頭良くとも、ド・マンなり福田なりが心血
注いだ問題を無視できるほど頭のいいわけではないよね。
それとも私の相手しているのはそんな偉大な思想家なの。
それなら光栄だが。
168言葉と悲劇:01/12/13 21:58
これにむかっときて反論する奴は自分のこと、ド・マンや福田より天才
と思っている奴ね。

お前はハイデガーより偉いのかという突っ込みは無しね。
ちゃんと、ギリシア語や現存在は何故、アメリカ人や動物に対して、
特権的な問いなのかといった具体的な疑問から論じる権利はあるはず
だ。少なくとも単なる批判のための批判では無く、クンコ学よりハイ
デガーの可能性を引き出して建設的はずだ。
169言葉と悲劇:01/12/13 22:06
危ない思想であるが故にその中のそれでも救わないといけない光るもの
を取り出すという議論なら協力するけど、あまりにもナイーブに大衆社
会からはなれた独善性(で己を権威づけてるスタンスがみえみえの思想
家)を持ち上げるようなら
>しからば沈黙か、ですね。
この言葉そのまま返す。
170:01/12/14 06:44
>>163
私は先日,「ヒューマニズムについて」を読ませていただき,とても感動
いたしました.とくに,第7章第3節「存在の隣人としての人間」におい
て,ハイデガー先生が自らの思考を「極端な意味でのヒューマニズム」と
呼んでおられるのにはびっくりしました.極端な意味であろうと何であろ
うと,ヒューマニズムはヒューマニズムですから,要するにその意味では
ハイデガー先生はヒューマニズムの立場にあると言っていいわけでしょう
か.
171考える名無しさん:01/12/14 10:46
哲学は哲学的にでなければ否定できない
172考える名無しさん:01/12/14 11:44
>171
んなこたぁない。
173言葉と悲劇:01/12/15 09:57
>171
デリダが哲学でないなら、確かにこのスレでの論述も哲学ではないわな(w
174言葉と悲劇:01/12/15 10:32
ミステリー好きで笠井潔の評論について小耳にはさんだことある奴ならわかる
と思うが、何故、クイーンやクリスティや横溝正史のような小説が栄えたかと
いうと、大量死にさらされた現実の中で、ミステリーの名探偵が被害者の個別
性、何故、どういう動機でどういうふうにして殺されたかの理由を舐めるよう
に探ることは、意味もない死に意味を与える儀式の役割を果たしたからだと。
作者たちもある程度そのことに自覚的だったと。

本当かよと、耳のつばつける話だがドリュを読むと、実際、本当に大量死にさら
されながらその中での人間の尊厳を倒錯的にでも追求した文学者がいることに驚
かされる。

本当にいやがった(w
175言葉と悲劇:01/12/15 18:11
あと哲学とそうでないものとの差異とかいう文脈で考えるなら、ツェランの詩
は哲学として、ハイデガーより上だな。
ナチズムを批判することが新たな死の灰を招くことをわかった上での、誰のも
のでもない薔薇。
そのツェランが死んでいくのに手を差し伸べること、温かみを与えることので
きなかったハイデガー哲学はニーチェ等より下に見るしかない。
176言葉と悲劇:01/12/17 21:57
「自分の哲学は他者へ解釈を押し付ける抑圧的な構造を含んでいた。
言葉の恐ろしさを甘く見ていた。ゆえにナチスに荷担してしまった。
すまなかった。」
とツェランの前でハイデガーが謝っていれば。

ツェランの精神は持ちこたえて自殺することも無かったかもしれない。

哲学というものはその生き延びることへの取り組みだ。
政治と美学との結びつきはそれほど邪悪なものですか?
哲学や文学にとって政治に利用されるのは一種のステイタスでしょう?
立派なことじゃないですか。古事記以来の伝統ですよ。
京都学派以降の日本の言説空間は確かに健全かもしれません無力ですよ。
178考える名無しさん:01/12/18 03:37
>>177
美学に関してはすくなくとも
現在では形而上的である必要があるのでは?
政治に利用されるのは、かならずしも文学や哲学の
側の本望でもないでしょうし。
179言葉と悲劇:01/12/19 21:41
>177
福田和也のように右翼や反ヒューマニズムの道を模索するのはありでしょう。
しかし、その前にツェランが死に踊りこむ前で、ブラジャックが情けない知識
人に怒り出す前に踏みとどまるところからはじめないと。

あなたに認めてもらってうれしいです。
180言葉と悲劇:01/12/19 21:49
偉大な思想家のハイデガー先生に論旨を無視されてろくすっぽ相手にされないだけ
だったのに、同じ地平まで降りてきてもらえるようになってありがたいです。

私の文章、それなりに面白いでしょう?
181痔郎:01/12/20 19:52
ハイデガー先生、質問があります。
それは「現前」という概念についてです。
木田元「ハイデガーの思想」ではソクラテス以前の思想家においては「存在=生成」
と見なされていたものがプラトン/アリストテレスに至って「存在=現前性」という
ふうにゆがめられてしまったと書いてありました。
ところが最近スタイナーの「マルティン・ハイデガー」を読んでいたところ次の
ような文章を見つけました。「(ソクラテス以前の思想家において)”存在”とは
基本的にこの現前しているという意味であった。ソクラテス以後のギリシアの思想は・・・
ふたたびこの純粋な原初の存在の根底に、この現実に存在するものの現前性の光、
現前性による光に、立ち戻ることはなかった。」
これを読む限りソクラテス以前の思想家にも現前という言葉が適用されています。
「現前」とはいったいどういう意味なのでしょう?
182マルティン・ハイデガー:01/12/20 23:44
簡単に言いますと
絶えず普遍な恒常性=常に現前するもの=存在、これはパルメニデス
常に変転する=非現前=ヘラクレイトス
こういう図式がソクラテス以前です。
ソクラテス(プラトン)はこの両者を問題にしました。
つまり、非有について「有る」とは可能か、と。
詳しくはソフィステース、テアイテトス、ヒレボスあたりを読んでください。
さらに非有と有の関係は、アリストテレスにいたっては
運動概念を主軸として考察されるようになりました。
木田氏の読みは浅くて誤解をまねきます。
アリストテレス移行におきたのは、存在を現前性として考えることというより
存在について、現前と非現前とを厳格に分ける区分の生起です。
これにより、現前=常に普遍、超越的、超越論的。非現前=不定で経験的
この図式が確立しました。タテに読めばこの二項はキリスト教的で形而上学的な上下関係(ヒエラルキー)
を形成します。近代認識論もこの構図の応用です。
わかりますね、これがいわゆるプラトニズムです。
183考える名無しさん:01/12/20 23:49
>>182
木村氏を批判してるあたり、rageくさいな。
184考える名無しさん:01/12/20 23:54
ハイデガーの思想には、フロイトなどの深層心理学からの影響はあるので
しょうか?
185マルティン・ハイデガー:01/12/20 23:57
>>184
 ニーチェ的な心理学の影響なら確かにあります。
 いやこちらの影響は大きいですよ!
 でもフロイトは殆ど読んでないですね。
 『ツォリコーン・ゼミ』で少しだけ触れています。
186考える名無しさん:01/12/21 00:04
>まるてぃんさん。
「存在と時間」で「良心」を出してくる根拠は、なんですか?
前にもどこかで聞いていろいろ読んだけど
全然わかりませんよ。
187考える名無しさん:01/12/21 00:12
>>185
レスありがとう。
フロイトをほとんど読んでいなければ、アドラー、ユングなんかも
問題外でしょうね。どうもありがとう。
188マルティン・ハイデガー:01/12/21 00:14
神という最終根拠が消えた以上
もう良心しかないですよ。
ただし微妙な話ですね。キルケゴールの場合は、神の前の良心。
私の場合、現存在の、現存在自身にたいする良心。
ちょっとちがいますね。
189びたみん ◆BWLMxAG. :01/12/21 00:17
すいません、せんせい。
確か、「時間性」のドイツ語で2種類ありましたよね?
テンポなんとかと、なんとかカイヒト…だったかな?
その両者の差異はどんなところにあるんですか?
190マルティン・ハイデガー:01/12/21 00:21
Zeitlichkeit・・・現存在の存在の意味
Temporalitaet・・・存在一般の意味
27巻『現象学の根本問題』(邦訳有)を参照。
内容はほとんど変りないです。
191びたみん ◆BWLMxAG. :01/12/21 00:23
>>190
わお。
似たような意味なんですね。
ありがとーございます。
192考える名無しさん:01/12/21 00:23
>現存在の、現存在自身にたいする良心
とするならば、フロイトを重視しなかったのが解せない気がする。
193マルティン・ハイデガー:01/12/21 00:30
>>192
 前期の問題意識を踏襲していれば結果は違ったかもしれないですが
 いかんせんウィーンは私には一つ山向うの異郷の地(w
194考える名無しさん:01/12/21 00:35
そういう即物的なところが好きです
195考える名無しさん:01/12/21 00:36
>>まるてぃんさん
あのですね唐突すぎるんですよ。
「現存在の本来的存在性への呼びかけ」でも
全然かまわないでしょ?
なんで「良心」なんですか?小一時間問い詰めますよ?
のちにでる「負い目」とからめたかっただけちゃうんですか?
196マルティン・ハイデガー:01/12/21 00:40
良心概念は『存在と時間』以後はつかってないですので勘弁してください(w
負い目と良心は連関はもちろんあります。
もともとは、マールブルク大学神学部での講演がもとなんですね、この辺の話は。
197考える名無しさん:01/12/21 00:48
>>まるてぃんさん
わかりました。これ以上問い詰めるのも
私の「良心」(笑)がいたみますからね。
やめます。あ、でも答えてくれて感謝です。
198考える名無しさん:01/12/21 01:27
>>197
真意がわからない。
ちゃんと問い詰めてほしい。
199考える名無しさん:01/12/21 01:39
>>198
ちゃんとといつめたら、「存在と時間」
著作全体の論理的一貫性を問題にしなければならいからでは?
200考える名無しさん:01/12/21 01:46
なら、著作全体の論理的一貫性を問題にしてよ
ごきげんな問題だと思うよ
201考える名無しさん:01/12/23 03:21
ハイデガー先生!
あなた流の哲学から倫理学を作ってみてください。
私には見当もつきません。
202考える名無しさん:01/12/23 03:43
先生!
木田何某とやらが、先生の「存在と時間」の再構築をしようとしているのですが
お読みになられましたか?
203考える名無しさん:01/12/23 04:20

再構築っていっても注釈って感じではあるが。まあハイデガーが生きてたら
そう考えてたかもという欧州じゃ誰もがやってる文献研究。まあ良でしょう。
ていうかこの程度書いたくらいで黙殺する日本哲学「界」の底が知れるが(藁
204考える名無しさん:01/12/28 23:39
先生!
「存在」と「存在者」は、
「破壊」と「破壊者」くらい違うと説明してしまったことがあるのですが、
それでいいのでしょうか。
205言葉と悲劇:01/12/31 08:22
デリダもド・マンのナチスや言葉との厳しい関係の思考なども鼻も引っ掛けない
偉大な思想家ハイデガー先生に浅学非才の身で一言言わせてもらうと、ド・マン
より美学に対して厳しい極端な立場を取ってるのは、レトリックなんであって。

それでもハイデガーが美学的で言葉の恐ろしさを甘くみた哲学者であることは、
示せたと思うが。
ハイデガーが単なる被害者という見方よりも、存在の解釈の特権性を確保する
ハイデガーの権力意志とナチズム荷担はつながっているいう見方の方が多くて、
このスレでも同意が得られたと思うが。
206言葉と悲劇:01/12/31 08:40
で、何がいいたいのかと言うと、そういうハイデガーの危うさが彼を哲学の
巨人にした思想史の不思議な因縁について。福田和也スレ的話題でもあるが。
ハイデガーは後年、ヒューマニズムを批判したが、そもそも、ドイツではナチ
として相手にされていなかった状況でサルトルによる評価がハイデガー復権の
第一歩だった。
前スレの話題だが、
950 名前: 考える名無しさん 投稿日: 01/08/27 04:11 ID:3KgihlQk
ハイデガーのナチ転向を庇ってきたのが、
サルトルやデリダなんかの、
フランスのいわば進歩的文化人というのが、
不思議だ
951 名前: Rage Against The“fucking”Philosophy 投稿日: 01/08/27 04:13 ID:PCX8GMo2
サルトルやデリダは
ヒトラーに協力的だったヴィシー政権についてどう考えているのだろうね。
207言葉と悲劇:01/12/31 09:30
サルトルは左の陣営に組していたが、対独反全体主義としての自分の価値を高
めるため、人間の顔がするマルクス主義を求めていた。いくら何でも、マルクス
主義そのものでは抑圧的、暴力的すぎるのはわかっていた。
208考える名無しさん:01/12/31 14:58
年末age
ハイデガー先生、来年も期待しています!
良いお歳を。
209考える名無しさん:01/12/31 15:19
言葉と悲劇。
あ、相変わらず濃いな。。。

それでは私も年の瀬のご挨拶。

本年は勝手ながら当スレの御世話になりました。
来年も皆様のご活躍期待しております。
では、良いお年を。
210言葉と悲劇:02/01/01 16:24
やっと大晦日で暇になったかと思ったら、ブツ切れになるとは、スマソ(w
で、続き(w
人間学化ということで「危機」の広大な思想史的展望のフッサールは使えない。
「存在と時間」の参加のハイデガーを使ってレジスタンスを権威づけるサルトル。
そこで、ナチス内部の主導権争いにやぶれて、主流派の批判に転じていたハイデ
ガーがヒューマニズムでは無くて、ナチスにもアメリカの大衆社会とも隔絶した
存在の孤高の解釈の特権性を俺は保持してると自己正当化しすれ違いが生じる。
211言葉と悲劇:02/01/01 17:17
フランスにあった、左の全体主義に個人の美学の観点から対抗する思想は、奇妙
な廃墟に書かれてるとおり、敗戦と建て直しとナチスの意志がからんでヴィシー
政権に結集すると共に政権と一緒に命運が絶たれた。忌まわしいものになった。
その後の世代はヒューマニズムが言葉だけで容易に数の暴力に転ずることへの批判
という形で論壇を制覇したサルトルに対抗する必要が生ずる。
ハイデガーは、ナチスもアメリカの機械化された農業も形而上学の歴史の必然
としておぞましいものであり、自分はそれに対抗するために一生懸命思考したと
晩年のインタヴューで答えている。
現実のホローコストにつながったナチスの思想も、幾多の問題はらむとはいえ、
日常の生活を解決する具体的努力としての農業の機械化の差異を抹消し、みそも
くたも一緒にしてしまう傲慢さに支えられてる。自己のやってきたことを正当化
する権力意志が無いとできない発言だが、この権力意志がハイデガーに幸いする。

ドイツ大学の自己主張に代表される参加の論理を提唱者自身が批判してサルトル
の根拠を奪った。ヒューマニズムへの闘争を激しく行うのが仏独に他に無かった。
ものすごい権力意志を持っていて、自己正当化の意志がサルトル型ヒューマニズ
ムに毒を持って毒を征する上で必要だった。
これは綺麗事では無く、食うか食われるかの思想状況の中で、必要だった。

デリダ等もハイデガーの反大衆から反ユダヤへの思想的傾向はわかりすぎて
いておぞましかったろうが、それをわかった上で、流れに棹さした。
サルトルと後の世代とで思想の良し悪しで決着ついたわけでなく、サルトル
の夢見た人間の顔したマルクスの代わりにスターリンの毛沢東のポルポトの
陰鬱な顔が並んだから交代せざるを得なかった。
で交代した世代はヒューマニズムで主体の頭数数える代わりに、反ヒューマ
ニズムで体制内改革で際限ない解釈のゲームを組織し、解釈の特権性を保持
することで自己を権威づけざるを得なかった。
デリダがそのゲームで活躍したって誰も責められない。ハイデガーの時代が来た。
212言葉と悲劇:02/01/01 17:28
福田和也はその意味でフランス本国の人間が自分自身ではわからない束縛を
明らかにしている。外国人にしか見えないことってあるのだ。
今更、対独協力者の全体主義でありながらもアナーキズムに近い思想に近づく
ことが禁じられている。体制内の解釈ゲームか復古のヒューマニズムか。
個人の美学のアナーキズムを掘り起こすわけにいかないフランス。
そして、そのフランスを輸入する形で60年代以降の大文字無き時代の思想を
語った日本への批判としては一つの立場。
ただ上の方で述べたとおり、福田の立場も、誰のものでもない薔薇でありつづ
けられるよう踏みとどまるよりも、ロマン主義の美学に酔いしれて、権力への
甘さを示していることは確かだ。
その場所でいかに踏みとどまるかの模索が大切だろう。
213考える名無しさん:02/01/01 17:37
さまざまな文献をそれぞれの文脈で使われた意味とは
全く異なる意味において引用し(脱構築と言う名の意図的な「誤読」)、
つぎはぎし(サンプリングとリミックス)
誤読された引用と引用の噛み合わせによって生じる錯覚を
利用して、錯覚的なロジックの円環を構築しているだけである。
東がデリダから学んだもの。
それは他人の文章の一文を切り取って、
文脈を離れた文の意味決定不能性(郵便的な)を利用することで
ある一文を全く別な意味に読み替えて引用し、
自分の文脈に置いて語らせるという脱構築の手法。
これによってハイデガーは、他人の文章の真意を
脱構築的引用(意味を郵便的に転倒させた上での引用)によって
語らせる(作者の言いたくないことを言わせ、結論したくないことを結論させる)
という、錯覚に裏付けさせた論考を次々と生み出している。
つまりハイデガーの生み出しているものはフィクションなのだ。
214言葉と悲劇:02/01/01 18:23
>213
哲学はフィクションだけど、ハイデガーにまともに解釈して
もらえた哲学者っていないかもしれない(w
ニーチェもヘーゲルもデカルトも独自の、存在論史の墓標
としてしか見られてないから。
215素人:02/01/02 02:12
哲学って心理学なの?ってかいまさら何百年たってんのにハイデガーとかプラトンのことの話してる
ってことはぜんぜん進歩してないっていうかそれをもっと深く突き詰めた人間が
まだいないってことなの?今2002年になって、哲学とかものを考えるには人間がいままで認識した心理学とか
哲学社会経済法とか人間に関する学問と宇宙物理化学チリとかの自然の学問と哲学とか道具が増えたんだから
それを全部総括して考えれなきゃ、まったく先に進まなくない?
まずその全体的な知をすべてにおいて研究者レベルまでの知識入れれるような教育ってか方法をこれからのために見つけるべきだし
そこから人間存在論とか生きてる意味とかもうすこし考えられそうじゃん。
人間の生きてる意味とか生き物ってなんなのかっての考えるにはもっと霊とか死後も知らなきゃなんないだろうけど
なんかその究極の意味を見つけたいっす。
216考える名無しさん:02/01/11 16:52
あげちゃびん
217同じく素人>215:02/01/11 17:00
ってかいまさら何百年たってんのにハイデガーとかプラトンのことの話してる
ってことはぜんぜん進歩してないっていうかそれをもっと深く突き詰めた人間が
まだいないってことなの?

というか、<自分>が理解しているか否かだけだと思うけど。
218考える名無しさん:02/01/11 17:21
>>217
いろんな意味で君は痛いな。
よその板に行ったほうがいいんじゃねーの?
219考える名無しさん:02/01/11 17:24
なんで?>217
君のほうこそ何か勘違いしていると思うが。
220219:02/01/11 17:25
あ、まちがい。
217>218
221219:02/01/11 17:28
<究極の意味>をどこぞの他人が理解していることに
ぼんやりとした満足感を感じることができる人なら、
哲学etc.なんかかじってないわけじゃん。

哲学・学はしらんよ。そんなの。それは専門家がやればいいこと。
222216:02/01/11 18:20
あげなきゃよかった・・・。
223考える名無しさん:02/01/11 18:22
>>215
哲学は、深さの問題だと思う。
ハイデガー様の思惟の深さまで自分が到達するのは、至難の業。
他の学問の知識を総動員すれば、その深さに到達できる
というものじゃないと思う。
その深さに近づこうとするなら、
ハイデガー様とともに思索するしかないのでは?
224219>223:02/01/11 20:00
いや、そりゃそうなんだけど、だからといって、ハイデガー様が
<1>そのものとか<善>そのものじゃないわけでしょ。
ハイデガー様をなぞっても、それはどこまでもエピゴーネンでしか
ないわけで。それはそれで社会的にも(職業的にも)意味があるだろうが、
哲学で設定された問題ってそんなもんなんだろうか?と思うんだよな。

とりあえず、ハイデガー様をなぞる、としても、最後の最後は、
ハイデガー様という知的梯子が外れる瞬間があるはずだ、
だから、自分が理解することが大事、としか思えないんだよな。
225219:02/01/11 20:26
おれ、変なこといってるかな? だったら謝るけど。
226考える名無しさん:02/01/11 20:35
これ、本当にハイデガーの言葉なの?

424 :氏名黙秘 :02/01/11 02:17
「教養がない人ほど教養をありがたがる」
――ハイデッガー
227223:02/01/11 22:29
>>224
>だから、自分が理解することが大事、としか思えないんだよな。
それはそうなんだけど、自分一人で考えを深めようとしても
無理だと思うんですよ。
だから、深く思索した人の思索の後を「なぞる」んです。
「なぞる」といっても、コピーしてるわけじゃなくて、
自分自身の経験とも照らし合わせて、自分なりの思索をしてるんですよ。
228219>227=223:02/01/12 00:01
うーん。。。自分が言いたいことと、
同じことを言ってるような気がするが・・・。

すんませんでした。話を続けてください。。。>ハイデガー先生
229考える名無しさん:02/01/12 13:58
ハイデガー先生の書き込みを読んでいると、
どうもハイデガー・マニアの大学生が
ドイツ語のテクストもろくに読まずに
邦訳や二次文献や解説書ばかりを読んで
無意味に難しい言葉をこねくり回して
喜んでいるように見えて仕方ないんですが(藁、
どうなんでしょうか?
230考える名無しさん:02/01/12 15:37
>>229
sageないで直接マルティン・ハイデガー先生に尋ねてみては如何?
231考える名無しさん:02/01/13 07:07
「世界像の時代」について語ってくれや
232  :02/01/13 15:17
『形而上学入門』持ってるんだけど、これってやっぱり『存在と時間』読んでないと
分かんない?
233考える名無しさん:02/01/13 18:35
>>229
発言内容からして、どこかのハイデガー研究者なりとみた。
愚かで無知な僕らを啓蒙して下さい。
234考える名無しさん:02/01/14 07:14
ヲマエら、226に解答しろよ
235考える名無しさん:02/01/14 12:14
226=234
236考える名無しさん:02/01/14 14:34
ハイデガー先生、
「存在」って色即是空の「空」とおんなじ様なものですか?
ハイデガー先生は仏教にも精通していらっしゃるようだから、
もしかして、パクリましたか?
237フリッツ・ハイデガー:02/01/14 17:05
兄に代わってお答えします。
>>236
違います。
「存在論的差異」についてよく調べてみて下さい。
238考える名無しさん:02/01/14 21:29
DaとWeltとLichtungって結局同じSacheなんですか?
239フリッツ・ハイデガー:02/01/15 00:49
>>238
結局は同じになりますね。
240考える名無しさん:02/01/15 01:22
>>239

Vielen Dank fuer Ihre Antwort!

ところで、DingとKunstwerkって結局同じSeiendesなんですか?
241フリッツ・ハイデガー:02/01/15 02:30
>>240
同じといえば同じでしょうが、
しかし、芸術作品のほうには人間による企投、
つまり伏蔵しようとするもの(大地)から
非伏蔵性=真理(世界)を闘い取ろうとする
契機が認められますね。
いうなれば、闘い取られた真理の現成の場が
芸術作品なのです。
物に関してはこういう契機は強調されないですね。
この点については『芸術作品の起源』(1935/36年)を
参照して下さい。

ちなみに後年、私の兄ハイデガーは
『物』(1950年)という講演で、
物が物として存在する(dingen)純然たるあり方に着目して、
企投の契機よりも、性起という働き、つまり物の本性を起発せしめる働き
を強調しています。
242フリッツ・ハイデガー:02/01/15 02:37
付け加えていえば、性起はもちろん
人間的現存在の企投によるものではありません。
243考える名無しさん:02/01/15 02:40
>>241
ありがとうございます。
しかし、Kunstwerkは、投企というよりは、存在の出来事なのではありませんか?
現存在に与えられている役割はBewahrungだと思うのですが・・・。
244考える名無しさん:02/01/15 02:50
>>242
私が書き込みをしている間に補足してくださっていたのですね。
ありがとうございます。

>>243
それから、“Ursprung”では、
Streit zwischen Welt und Erdeと
Urstreitの違いがいま一つよく分かりません。
245考える名無しさん:02/01/15 04:24
「世界像の時代」とは、、、(以下略
246考える名無しさん:02/01/15 06:02
かつての風情をとりもどせるか!?
先生のご降臨を願う!
247フリッツ・ハイデガー:02/01/15 14:48
>>243
「(存在の)出来事」とは「性起(Ereignis)」のことでしょうか?
芸術作品の創作は「創設(Stiftung)」と「見守り(Bewahrung)」という
二つの契機から成っています。
「見守り」すなわち存在への聴従の態度が深ければ深いほど、
そこで創作される芸術作品もより深いものとなるでしょうが、
「創設」すなわち企投の契機がなければ、
そもそも芸術作品は生まれないのです。

>>244
「世界と大地のあいだの闘争」と「根源的闘争」は同じものです。
「根源的闘争」は1960年のレクラム版では「性起」と書き換えられていますよね。
1935/36年当時は兄はまだ「企投」とか「存在了解」といった用語を
堅持しておりましたが、その後このような主体主義的な誤解を招く言い回しを
使わなくなりました。
それによって「見守り」の契機ばかりが強調されるようにもなりましたが、
これによって「創設」の契機が否定されたわけではないでしょう。

>>245
『世界像の時代』について何が聞きたいのでしょうか?
もっと質問のポイントを絞ってもらわないと、
私としても答えようがありません。
248思惟の敬虔さ:02/01/15 21:43
フリッツさん有り難うございます。
名前つけてみました。“Die Froemmigkeit des Denkens”。ちょっと大仰ですかね(笑)。

実は投企をよく分かっていないかもしれません。
この場合、投企をDas Wesen der Wahrheitにおけるdas OffeneやLichtungと同じようなものと考えてよいのでしょうか?
そもそも、私には、“Ursprung”での現存在の性格が不明です。
世界(=Da)を開く作品と、そうした真理の生起に関わっている現存在の現との関係はどう理解すべきなんでしょうか?
大地という概念も謎ですし、“Ursprung”は難解ですね。

あと、『存在と時間』でのRedeって、どういうものなんでしょう?
分節といわれてもいま一つピンとこないんですが・・・。

たくさんお訊ねしてしまって申し訳ありません。

それではまた。
249思惟の敬虔さ:02/01/15 21:47
>>247
だいたい理解できました。
ただ、「世界は単にLichtungに相当するのではないし、
大地はVerbergungに相当するのではない」と書かれていたので、
それが気になっています。
250考える名無しさん:02/01/15 21:57
おいおい、なんか専門的になってきたなあ。
よ〜わからん。
マルティンに再登場してもらって兄弟で語ってほしい!?
251考える名無しさん:02/01/15 22:04
この一九一九年から一九二三年の間に、存在の意味への
問いのための基礎が形作られていた。この時期にはまた、日本からの学生との
ハイデガーの最初の出会いも行われている。これについて大橋良介教授は、
『日本とハイデガー』〔と題された論文集〕のなかに啓発するところの
多い論文を書いている(5) 。
ハイデガーの初期の聴講者には田辺元も属していた。彼は、一九一九年
東京帝国大学の助教授になった後、フライブルクでフッサールとハイデガー
のもとで学んだ。彼は最初の訪問者として一九二四年、『存在と時間』
の出版に先立つハイデガーの思索について詳しい報告を書いているが、
それは、なによりハイデガーの講義『オントロギー(事実性の解釈学)』
を拠り所にしていた。ハイデガーの七〇歳の誕生記念論集のなかで彼は
その時代を思い出しながら、次のように書いている。「私はハイデガーの
思索において死への反省が哲学の中心となり、哲学を根本から支えている、
ということに深く心を打たれた」(6) 。
初期の聴講者のなかには九鬼周造男爵も属している。ハイデガーは前述の
「言葉についての対話」のなかで九鬼の著作『いきの構造』に言及している。
両者の関係についても、大橋教授がメスキルヒの講演で詳しく叙述し、
二人の哲学者のまったく異なる性格を指摘している(7) 。
私はもう一人、和辻哲郎の名を挙げたい。彼は一九二五年講師として
京都に呼ばれ、一九二七年ベルリン滞在の際に『存在と時間』によって
心の底から揺り動かされた。私がここでほかに少なからぬ重要な日本の
哲学者(特に、京都学派に数えられる人達)に触れないとすれば、それは、
私がまったく初期のハイデガーの聴講者だけに例を限定するということに
関係している。私は、私たちヨーロッパ人が〔日本の哲学者達から〕
なお多くの学ぶべきことがある、ということも告白しておきたい。
日本の哲学者達が非常にしばしばドイツ語に卓越して堪能な人達であることは、
この対話〔「言葉についての対話」〕における私たち〔ヨーロッパ人〕の不足分
をもっと大きく見せることになるでしょう。私は、以上の注記をもって、
戦時短縮学期の講義に立ち帰ることにしたい。

初期ハイデガーにおける「世界」概念
ヘルムート・フェッター
浜渦 辰二(訳)より抜粋
252考える名無しさん:02/01/15 22:13
不安は無から開示されるとおっしゃられるが、
そうも思えないんですけど。
253考える名無しさん:02/01/16 02:44
age
254考える名無しさん:02/01/16 03:11
age
255考える名無しさん:02/01/16 04:40
age
256考える名無しさん:02/01/16 23:02
ちきい
257考える名無しさん:02/01/17 03:32
fu=nn
258考える名無しさん:02/01/17 04:07
age
259sage:02/01/18 04:54
"Ursprung"の冒頭で、「ガダマーの序説がWinkしてるよ」
って書いてあるんだけど、この序説の邦訳ってあります?
260考える名無しさん:02/01/18 04:56
ミスった。逝ってくる。
261236:02/01/19 22:06
>>237
お答えの意味がよくわかりませんでした。
存在論的差異は知ってます。それとどう関係するのかがイマイチわかりません。

「性起」は華厳哲学の用語だと思うのですが、
そうすると、「存在」は「理事無礙」の「理(空)」に当たるのではないかと
思ったのですが。
もしかして、華厳の「性起」ではなかったのですか?
262考える名無しさん:02/01/19 22:10
マルティン・ハイデガーてえらいん?
何したん?
映画リトルロマンスでダイアンレーンが読んでたやつ?
263 :02/01/19 23:22
『声の分有』でのナンシーの批判についてどう思う?
264名無し募集中。。。 :02/01/20 02:25
>>262
えー?偉い人だよ。
連合軍の侵入に備えて塹壕堀した人だよ
265考える名無しさん:02/01/20 19:04

マルティン先生とフリッツ先生の再登場を願う!!!

マルティン先生とフリッツ先生の再登場を願う!!!
266考える名無しさん:02/01/21 22:15
・・・。
ハイデガーなのかハイデッガーなのか。
・・・。
267 :02/01/25 10:43
268小田急ハイデッカー:02/01/25 19:00
>>266
というのもありますぜ。
269フリッツ・ハイデガー:02/01/26 13:57
ただ今多忙につき、レスがしばらくできません。
悪しからず。
270考える名無しさん:02/01/26 14:26
サルトルの「存在と無」をどうご評価なさいますか? ハイデガー先生。
先生のお仕事をどの程度咀嚼しているでしょうか?
271考える名無しさん:02/01/26 21:49
お答えできませんのですかねえ。先生。
できればサルトルが「弁証法的理性批判」へと移行していった過程あたりも
コメントしていただきたいんですが。なにせ、天下のハイデガー先生ですからねぇ。
272考える名無しさん:02/01/26 22:32
バカがウゼェんだよ!
273考える名無しさん:02/01/27 00:06
ダーザインとダージリンって似てるね。
274考える名無しさん:02/01/27 01:18
2chにハイデガーが出現してから早一年になるねえ。
275考える名無しさん:02/01/27 01:19
>>273
真理!
>>272 マンせー
277考える名無しさん:02/01/31 02:11
?
278考える名無しさん:02/02/07 21:12
マルティンとフリッツはどこにいった?
279考える名無しさん:02/02/09 06:50
長谷川西涯ってどうよ?
280考える名無しさん:02/02/14 15:40
妹のマリー、父のフリードリヒ、母のヨハンナの登場はないのか?
281考える名無しさん:02/02/17 00:37
さあ?
282考える名無しさん:02/02/17 03:53
ハイデッガー先生はもう死んでしまったのですか?
「対話に立つハイデッガー」っていう本はどうなんでしょう・・?
283考える名無しさん:02/02/17 07:37
いいとか悪いとかの問題じゃなくて、38歳にもなって親元にいるぷーたろう
は犯罪だと思います。哲学やっている場合じゃないだろう。
284考える名無しさん:02/02/17 09:50
アレント女史のハナシは既出ですか。
285考える名無しさん:02/02/18 02:30
ハイデガー先生は神秘主義の影響を色濃く受けている、とききます
マイスター・エックハルトのそれに対する先生の今のお考えをお聞きしたいのですが
286考える名無しさん:02/02/18 06:47
この板初めて見た厨房なんで、
>283が誰のことか、
わからないんですが…(照
287_:02/02/18 08:56
ハイデガーコネ━━━━━━(゚Д゚)━━━━━━ !!!!
288考える名無しさん:02/02/18 15:36
ちょとあげてみようか。。
289ハンナ・アレント:02/02/18 15:51
なんでわたしに手を出したんですか。先生。
290HA A〜:02/02/18 20:16
君が誘ったからだよ
291考える名無しさん:02/02/19 05:46
あー やややややっ やっ やっや〜 イェイ!♪♪

           /´⌒`ヽ,
          へ@______//
          \(ノノノハ/
         ヽ〆ヽ’ 。’人 θ
           ヽ/  ヽつ/
           〈--、--〉
           ん〜@ゝ
           /_/ ヽヽ
          /_ノ   ヽノ
292考えぬ娘。ヲタ:02/02/26 08:36
age
293atuko:02/02/26 23:23
ハイデッガー無理して読んで、友達に自慢しています。
難しいかんじは読み飛ばしています。
294HEIDEGGER:02/02/27 03:27
「存在」とはオマンコである。
「真理=明け開け」とは、脚を開いてオマンコを見せること。
295SCHOPENHAUER:02/02/27 03:30
ショーペンハウアー「意志と表象としての世界」とは。
             ↓
          チンポと妄想としての世界
296ナナ ◆rzKO2LXY :02/02/27 03:31
くだらねえんだよタコ
297東北人:02/02/27 03:32
はあ、いでっが〜?
(歯が痛むのか?)
298考える名無しさん:02/02/27 10:45
FFシリーズに登場してましたね。ハイデッガー。
299考える名無しさん:02/02/28 03:58
もっと聞きたいのに。
300考える名無しさん:02/02/28 20:15
もしや・・・300?
301考える名無しさん:02/02/28 20:19
mosiya301?
302atuko:02/03/01 09:28
ハイデガーを読んでいる自分に酔っています。
中身は良くわかりません。
303考える名無しさん:02/03/07 17:51
らげたまに見かけるからこのスレにも書き込まないかな
304ハンナ・アレント:02/03/07 18:14
先生は飽きたみたいです。
305ヤスパス:02/03/07 18:37
ハンナ、漏れの方がいいだろ。
306考える名無しさん:02/03/08 10:17
>>304
本人ハケーソ。
飽きたの?残念。
307考える名無しさん:02/03/09 12:55
ハイデッガー研究文献って、ネット上にある?
308atuko:02/03/09 15:08
電車の中でこれみよがしに哲学本を読むふりをする。
至福の瞬間です。
309考える名無しさん:02/03/09 18:48
>>タバコが好きで次から次に吸っていったというのは本当ですか?
310888:02/03/09 19:01
RageちゃまDanke
311atuko:02/03/12 01:10
インテリぶるの疲れてきました。
自分では自分のこと知っています。
ホントはバカだと。
312考える名無しさん:02/03/12 03:19
バカの振りしてる奴よりは
インテリぶってる奴のがはるかにましだ。
313考える名無しさん:02/03/12 03:22
バカの振り   = 嘘つき
インテリの振り = 法螺吹き

だから、バカの振りの方が悪人ってことか?
314考える名無しさん:02/03/12 03:22
無知の知ってのは、バカのふりなのかな。
315考える名無しさん:02/03/12 03:23
バカの振り = 自覚的
インテリの振り = 無自覚的

かと思ってた。
316考える名無しさん:02/03/12 03:25
>ハイデガー
テレビでサッカー観戦して歓声あげてたって本当ですか?
317考える名無しさん:02/03/12 03:25
バカの振りをしていると思っている本当のバカというのもあるな
318考える名無しさん:02/03/12 07:52
まったく言語使わないで思考したり伝達する事できる?
そういう研究してる人いる?
319考える名無しさん:02/03/12 10:47
>317
本当はバカなんてことは、誰にだって言えるのよ。
自覚とは、つまりそれを自覚するという事なのよ。
わかるかしら。

ハイデガーと何の関係もないね。
320atuko:02/03/13 23:46
だから、私はバカなんだってば!
人の話聞かないで自分の感情だけで発言して、
いままでいろんなところでもめてヒンシュク買ったバカ女だって、最近気がつきました
仲間だと思っていた人からも「支離滅裂」といわれて眠剤飲む量増えたんだから。
321atuko:02/03/16 19:47
うつだうつだうつだうつだうつだ
322考える名無しさん:02/03/17 16:38
Hans-Georg Gadamerが死んだぞ。
323名無し募集中。。。:02/03/18 10:26
>>322
ふわー、それまで生きてたんだ
324atuko:02/03/19 21:48
・・・
325:02/03/20 02:35
フッサールと仲良くしてよ
326考える名無しさん:02/03/20 02:48
所詮2chか・・・
327atuko:02/03/21 20:11
そうそう、所詮2ch・・・夢中になっているのはカッコわるいっすよ
328atuko:02/03/26 02:10
2ch・・・夢中になっているのはカッコわるいっすよ
329考える名無しさん:02/03/26 02:14
あれ、ハイデガーいないの?
330atuko:02/03/28 00:07
私は何で生きているんだろう?
331考える名無しさん:02/03/28 01:30
なぜ、エリフリーデを大事にしなかった?

「ハンナは私の情熱だ」?
332atuko:02/03/31 21:35
うつ・・・
333考える名無しさん:02/04/08 06:52
ハイデガー先生、
どうか戻ってきてください!
334考える名無しさん:02/04/08 08:29
age
335考える名無しさん:02/04/08 22:56
<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<
336考える名無しさん:02/04/09 03:20
ハイデガー先生、
どうか戻ってきてください!
33737でーす。:02/04/09 03:22
なんですかあ?ここ
338考える名無しさん:02/04/11 05:59

       /  ̄ ̄ ̄ ̄ \               / \
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     l      i| ||;|||||||i     |.      \/        /   /
    ヽ、   |||||:|||||||||ll  (  /                /   /
     |\   ̄ ̄二 ̄ ̄ |//^\             /   /
_ ,――|  \       / /   \          \  /
 /    |\  ー――一  /    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\  ` '
/     |  \ _/    /    /           \
     |  /  入   /    /              \
339考える名無しさん:02/04/11 20:21
なまじOCRソフトの辞書にハイデッガーがあったためのミスと思われますが、先生はどう考えますか?
ハイデッガー観光とはいったい何か?観光地における観光客の投企なのか?それともフライブルグ観光か?様々なことを考えさせられる名文と言えましょう。

http://lib1.nippon-foundation.or.jp/1996/0419/contents/214.htm
ハイデッガー観光は、現在ローグレードとハイクレートの車種を用意しているが、
今後ハイクレート化の方向に行く。中長距離高速は、現在ハイクレート観光をべースに
トイレ等を取り付けているが、将来はべース車はミドルデッカーの方向(中距離)で
ローグレード化の方向。観光車との差別化、仕様の簡素化、高速仕様の標準化等に
行くと思われる。
340考える名無しさん:02/04/12 05:07
DASEINっていうバンドが出たね、日本人で。
全然音はつまらないけど。
341考える名無しさん:02/04/12 20:38
naissssssssssssssssss
342考える名無しさん:02/04/13 08:22
haidega-
343考える名無しさん:02/04/13 10:33
はい出川!
344考える名無しさん:02/04/14 17:17
はいでがわー
345考える名無しさん:02/04/15 10:24
>>343-344
ゲーハー板にかえれ
346ハンナ・アレント:02/04/15 10:32
このスレの先生はついに帰ってきませんでしたね。

わたしは戦後も先生のことをずっと支え続けました。
何ででしょうね。ユダヤ人のわたしが、老いて尚。
347考える名無しさん:02/04/15 17:50
>>345
プッ

348考える名無しさん:02/04/20 19:34
ハイデガーがサルトルを論じるとどうなりますか?
349考える名無しさん:02/04/20 19:38
歴史上最強の哲学者は誰ですか?
350ハっゲル:02/04/20 20:08
実存主義はヒューマニズムではない。
351考える名無しさん:02/05/02 09:38
ハイデガーさんは?
聞きたいことがあったのに。
352考える名無しさん:02/05/02 12:55
立て逃げサイテ−!
353考える名無しさん:02/05/06 23:24
testtest
354考える名無しさん:02/05/13 23:16
このスレはもう終了か?
355考える名無しさん:02/05/23 01:15
そまみちに入ってる「芸術作品の起源」の新訳が出たけどあれどうよ?
356考える名無しさん:02/05/31 05:26
○△科×に関心をもたれたのは何故なんでしょうか?
357考える名無しさん:02/05/31 06:46
ここで聞きたい。
実存主義は実生活に毒であるか?その考えに忠実に生きようとすると。
だからこそ、キリストは「救い」と言う事で「信仰」を説いたのでは?
358考える名無しさん:02/05/31 06:50
357
レベル低すぎ
なんで、こんなやつらばっかなの
359考える名無しさん:02/05/31 07:57
>>358
でもさ、君さ本の言葉使うだけでそれほどレベル高くないぜ。
人が哲学する上で重要な事はどう生きるかだ。
そのことを自分の経験と思考で話さないと、ただのブランド
好きの女と変わらない。
実存主義唱えてさ、薬かじり、酒にまみれないと自分の唱える
主義を本に出来ないと言う事は、実生活に合わないからさ。
キリストはそれがわかっていたと思う。
生きているうちに体系化は出来ないんだ。
生きて証明出来るか?実存主義を。出来ない。
体系化しようとすれば、その時点でその体系は矛盾を含む。
我我は体系化するのが哲学ではないんじゃない?
生きることが先なんだと思う。
360通りがかり:02/05/31 08:18
宗教と哲学の違い…基本的なところをまず押さえてから、ね。
せめてせめてせめて
  
    『哲学案内』谷川徹三著(講談社学術文庫)
くらいは、
読んでから参加してほしい。定価260円だから。
ブクオフだともっと安いだろう。どうかおながいします>初心者さん
361考える名無しさん
まだまだですね。
宗教と哲学は違うんじゃないんですねえ。
哲学はそれほど広い領域じゃない。
宗教の方が広いし、強力なんです。

極限状態では哲学ははかなく、ただの自らの言い訳と
意味付け、そして蘇生術に成り下がる。