こんばんわ。竹田青嗣です。
すみませんでしたー!!!!!!
3 :
考える名無しさん :01/10/11 03:11
以前この人の「プラトン入門」「ハイデガー入門」を 読んであきれかえった。 でも今日、「エロスの現象学」なる持論の本を読んで、 見直した。哲学的じゃないぶん、思想に酔わせる芸があるね。
4 :
Ray.na ◆8bwLPiQ6 :01/10/11 03:15
おひさしぶりですー!! 最近ご無沙汰してしまってます。。 あんなにお世話になったのに。 って、本物のわけないか。なんか忙しかったり、いろいろあって、 お手紙書けなくて、で、もう何年もたつんだよなー。 どうしよ、今からでもお手紙だすかなあ。。。 これ見てたら、私に気付いてくれるかな。
5 :
Ray.na ◆8bwLPiQ6 :01/10/11 03:16
あ、だけど気付いてくれないほうがいいか。ここじゃあ、隠したい事 も全部さらしちゃってるし。
はじめての現象学はあきれかえったが、ハイデガー入門はよいと思われ (きだちゃんより)
素朴すぎるっていうフレーズが好きだ。 あと、テレビ写りが、微妙にキモい(このフレーズよくない)
8 :
Ray.na ◆8bwLPiQ6 :01/10/11 08:50
ひ、ひどい。。。キモいだなんて。。
もう年だしな
10 :
考える名無しさん :01/10/12 04:39
竹田教授に質問です。ひさしぶりに先生のご経歴 を確認しました。大学教授になられた理由は?別に嫌味 ではありません。小阪氏のように在野で活躍するのだと 思っていたんです。
11 :
考える名無しさん :01/10/12 04:50
ざいや いや いや ざいや いや いや ざいや いや いや ざいや いや いや
こいつのはSFだよ。
11>> 喜納昌吉のリズムでよろしいですか?
現象学入門ってどう? 買おうか迷ってるんだけども。
15 :
考える名無しさん :01/10/12 22:19
過去スレないですかね・・・ほとんどこの板来ないんですけど 久々に来たら倉庫にもないでやんの。
16 :
Iridium :01/10/12 22:45
ホントに語学はからきしダメなんですか?
18 :
考える名無しさん :01/10/13 05:22
この人TVでてるの?なんて番組?
19 :
Ray.na ◆8bwLPiQ6 :01/10/13 05:39
すごい昔に聞いた話だと、ドイツ語教わりながら原書を読んでたとか 言ってたような…。つまり使いこなせないから、教わりながら読んだん でしょう? 記憶違いだったらカンベン。。
21 :
考える名無しさん :01/10/13 05:51
竹田スレがマッタリしている事に哲板の退潮を感じるのは俺だけじゃないはず。
22 :
Ray.na ◆8bwLPiQ6 :01/10/13 06:08
なんか最近、倉庫の過去ログってユーザーIDだとかなんだか いろいろ持ってないと入れないみたいよね。 私のスレッドもいくつか眠ってるのに、見れないなんてひどくない?
23 :
考える名無しさん :01/10/13 06:16
結局のところ、みんな竹田さんの著作読んでるんですか?
24 :
考える名無しさん :01/10/13 06:19
ひどいといえばひどいが、それが無料サービスの限界。 でも、さがせば見れるのだけどね。
25 :
Ray.na ◆8bwLPiQ6 :01/10/13 06:22
読んでない〜〜、今度必ず読みます。もう…を読み始めてます。 出だしのところのこの一節は…ということですね。……と感じたの ですが、まだ途中なので、早く読みすすめたいです、と言ってたけど ほんとは過激に目くるめく毎日の中いつも忘れてしまってた。。
26 :
Ray.na ◆8bwLPiQ6 :01/10/13 06:23
哲学をやりたいなどと考えていた高校生の頃、私はまだ処女だった。
27 :
考える名無しさん :01/10/13 06:26
この人TVでてるの?なんて番組?
西研という人が『哲学的思考…フッサール現象学の核心』という本を出してる。 オレはまだ読んでないけど、なんかこの本は竹田現象学をよりフッサールの 文献に即して解説した本らしい。 竹田青嗣の現象学を知ってもう十年以上になるが、非常に感慨深いものがある。 これからは西研だね。若いし、勢いありそうだし、ドイツ語出来るし
29 :
考える名無しさん :01/10/14 10:19
>ドイツ語出来るし この部分に死刑囚氏の竹田評価が滲んでるね。
私は、『意味とエロス』(ちくま学芸文庫)の「『あとがき』 にかえて」の文章がとても好きです。 『プラトン入門』(ちくま新書)を読むと、現代思想(ポスト モダン思想)が、とてもつまらないものに思え、プラトン、ニ ーチェ、ハイデガー等の(古典的な)著作しか読むに耐えない 「感じ」になります。
31 :
Ray.na ◆8bwLPiQ6 :01/10/15 04:19
哲学かあ…。おもしろいかな。私もやってみようかな。 やっぱり数学とかみたいに、理知的に、地道に積み上げていかなきゃいけないもの? もしそうならだめだしなあ。。
>>29 ん? 竹田青嗣のことは評価してる。
でも、実際は西研との二人三脚だったんだよね。
>>30 あ、伊藤さんだ。意味とエロスのあとがきはいいよね。
現象学は「陰画的」で、学問じゃなく「態度」だってトコ。
表現しがたい現象学のニュアンスを何とかして伝えよう
いう気持ちが伝わってくる。
>>31 個人的意見だけど、何事も動機が大切だと思ふ。
他人より優れた知のアイテムを増やしたいだけなのか、
それとも、何らかの解決策を哲学に求めているのか。
それによって学習の仕方も違ってくる。
何となく哲学に惹かれるっていうのもアリだとは思うけど、
やっぱりモチベーションの違いはその人の哲学に対する
姿勢に如実に現れてくる。
『哲学の味わい方』(現代書館)という竹田と西の対談本
がオススメ。
33 :
考える名無しさん :01/10/16 06:30
小浜との共著がすごくおもしろい
age
死刑囚。って久々に見た気がするが。
36 :
考える名無しさん :01/10/20 20:37
死刑囚あげ
>>35-36 レスに窮するんですケド。
ところで、最近どうなのよ青嗣は。頑張ってんの?
歌上手いんだってな、青嗣。いっぺん聴いてみたいよ。
カルチャー教室とかやってるんだってな、行ってる人とか
いたら感想聞かせてくれろ。
死刑囚さんは本出したりWEBサイト開いたりとかしないの?
39 :
考える名無しさん :01/10/21 06:32
えー死刑囚。さん、で竹田さんはどういう動機で哲学をなさっているんでしょうか? 著者の紹介文が・・・ 「自分を深く知るために、他者と本当に関わるために哲学するユニークな思想家。」 ・・・なんのこっちゃ?そういえばそうゆう本出してたような(まだ読んでない) いまのところ『エロスの世界像』等々読んで 自分で「ふんふん、へぇー」とぐらいなんですが(初学者) かなりフッサール現象学が彼の思想の核または動機にあるようには思えます それから先ほど死刑囚。さんは 現象学は学問でなく「態度」だと言ってましたけど 正直、これはどういうことに役立つのですかね? 「態度」というからにはなにか実践めいているんですが
40 :
考える名無しさん :01/10/21 07:24
ひどく個人的なことで恐縮だが、Ray.na ってやつきもい。 本当にきもい。文学板などでもよく見るが、お前自分にしか 興味ないだろ?
41 :
Ray.na ◆8bwLPiQ6 :01/10/21 07:25
あら。ばれちゃったみたいね。 って別にかくすつもりも無かったけど。指摘されるのは珍しいので。 そのとおり、自分にしか興味の無い孤独な女なの。 せいぜい憐れんでやって。
42 :
Ray.na ◆8bwLPiQ6 :01/10/21 07:27
ああ、そうそう。文学板で反論があるなら遠慮しないほうがいいよ。 遠慮はストレス生むからね。自分が苦しくなるだけだよ。
43 :
limit-of-sataaaaaaaan :01/10/21 07:31
俺はれいなの味方だぜ。
44 :
Ray.na ◆8bwLPiQ6 :01/10/21 07:36
あ、どっかでみたような、でもたしか哲学が嫌いな人だった気がす るから違うかな。
45 :
Ray.na ◆8bwLPiQ6 :01/10/21 07:37
違う人みたいね。最近であった人?
竹田青嗣は自分の直観を伝えるのにものすごく苦労してる感がある。 見田宗介が「きわどくももどかしく」と評したのはうまい。 その点西研は、もっと卓抜で練れた表現ができてるね。
>>39 >「自分を深く知るために、他者と本当に関わるために哲学するユニークな思想家。」
本当になんのこっちゃやね。センス0。
ま、とにかく竹田氏は在日朝鮮人としての悩みから哲学に興味を持ったと書いてる。
昔の在日の人ってのはさ、己の寄って立つ場所を朝鮮に置いて、反日として生きるか、
それとも、日本人として同化するかの二者選択を強いられていたわけ。
そんな二元論はオカシイだろっていう直感が、哲学を呼び寄せた、らしい。
彼の動機など知ったこっちゃないけど、確かに二元論への懐疑は、現象学の
エッセンスを「体得」するのに重要な点の一つだから、納得できる動機ではある。
「態度」云々については、オレが言ったんじゃなくて、竹田氏が言ってること
なんだけど、難しいね、このへんのニュアンス説明すんのは。
とにかく「役に立たない哲学なんて犬にでも食わせろ」っつう哲学観を持ってるね
オレは。竹田氏もそうだと思う。
日本名の中田でもなく、朝鮮名の姜でもなく、「竹田青嗣」と名乗っている理由も
そのへんにあると思う。
「エロスの世界像」はいい本だけど、初学者ならまず「はじめての現象学」の
前半だけでも理解してから読んだ方がいいカモ。
同じ姜でも姜尚中とは雲泥の差だな。もち姜尚中が泥、というかクソ。
>>46 >きわどくももどかしく
上手いね。ホントにそんな感じ。
でも『意味とエロス』とか『現象学入門』とか『エロスの現象学』
とかの細かい概念を説明する手段としては、かゆいところに手が届く
という感じで、オレ的にはピッタリ来たんだけどね。
軽い読み物はヘタだねこの人、マジもどかしい。
>>48 オレも姜尚中ダメ。
竹田さんって在日だから、寄ってくるらしいのよ。姜尚中みたいな
運動屋が。だから対談したり、この二人けっこう仲はいいみたい。
姜尚中も昔に比べればだいぶマシになったと竹田さん皮肉ってた。
尚中とか辛淑玉とか、アノ手が主流なんでしょ在日って。 竹田さんも大変だよね。まじ同情するよ。
竹田は、記号論批判の本を出します。 年明けぐらいになるかな? 径からです。よろしくお願いします。
53 :
考える名無しさん :01/10/22 15:41
>52 ソースは???
>51 「まじ同情するよ」って、あんた在日なの?
在日奄美人ですが、それがなにか?
56 :
考える名無しさん :01/10/24 03:35
あげ
57 :
考える名無しさん :01/10/24 22:46
>55 ポストモダン批判がライフワークってどういうことよ?
おれに聞かれても…。サトウキビうま〜
59 :
考える名無しさん :01/10/25 00:17
竹田は結局「言語」を考えていないような気がします
>57 ポスト・モダン思想については近代哲学における「主観ー客観 の一致の問題」の理解が必要です。 ポスト・モダン思想についてある程度の知識・理解がある人で も「(主体・世界は)共通認識など、あって無いに等しい」な どと自己流に解釈する人さえ現われています。 このようなことは他の分野には類を見ないことだと思います。
61 :
考える名無しさん :01/10/25 02:50
>60 お前、「ポストモダン依存症」スレで色々書いてた奴だろ。
62 :
考える名無しさん :01/10/25 22:36
>61 お前、小向美奈子でセンズリ書いてた奴だろ。
この読者の質...。 竹田さんも大変だよね。まじ同情するよ。
「天皇の戦争責任」は、どうなんでっしゃろ。
65 :
無罪モラトリアム :01/10/26 04:58
竹田青嗣を読んで、スッっと入ってくる感じがあるかないかはかなり重要だと思う。 たぶん、これは竹田と同じような人生その他にたいする 問題意識を持ち合わせているか否かの差から生じるものだと思われ。 竹田はそんな「感覚の差」が人によって違うことを知ってか知らずか、 エロス原理を「みんなに」提示してしまっている。 だから、形而上学的だとかなんとかという竹田の意図するところと 最もかけはなれた批判を食らうことになってしまっている。 竹田がフッサールを読んだ時の感覚が万人に生じるわけではないのと同じように 竹田を読んだ読者が、必ずしも「竹田が書いたように」読んではくれないのだということを 竹田はちゃんとわかっているのだろうか?
66 :
考える名無しさん :01/10/26 22:42
これで気の利いた切り返しだと思っているんだもんな。 竹田さんも大変だよね。まじ同情するよ。
>67 そう思うなら無視すればいいのに。なぜそう無気になる?
>>68 竹田セイジの読者は生真面目なヤツが多いから余り追求するなよ。
>>65 うーん。
確かに向き不向きの問題はあるとフッサールも言っている。
竹田さんも初期の頃はそんなようなこと言ってたような
気がするが──。
でも、あの人は基本的に「当たり前のこと言ってるだけじゃん」
と思ってるに違いない。
71 :
考える名無しさん :01/10/29 19:49
死刑囚。って、サルにも分かる現象学〜スレの若頭と同一人物じゃないかえ? なんか言っていることが殆ど同じなよーな気が いや、それだけなんだけど・・・
>竹田はそんな「感覚の差」が人によって違うことを知ってか知らずか、 >エロス原理を「みんなに」提示してしまっている。 >竹田を読んだ読者が、必ずしも「竹田が書いたように」読んではくれないのだということを >竹田はちゃんとわかっているのだろうか? どう考えるかは受け手の問題でしかないじゃないか。 竹田だって万人が自論を理解できるなんて期待してないだろ。 アメーバやゴキブリだってエロス原理で生きているというのが竹田理論だが、 アメーバがそれを理解してないからって、竹田の責任じゃないだろ?(笑)
竹田がニューミュージックに魅惑されたのが腑に落ちない
ポスト・モダニズム思想の「頽落論的構図」と「ニヒリズム的 了解」からの脱却。「ニヒリズム的了解」は進行性を持つので ドゥルーズやデリダも精巧な分析で脱却を試みている。「頽落 論的構図」は、ポスト・モダニズム思想が持つ、反=真理、反 =社会、反=自己の思想の為に理解されていない。
もっとわかりやすく
76 :
考える名無しさん :01/10/30 17:56
死刑囚さんは、柄谷行人などをどう思いますか?
もっと具体的に
>71
当たらずも遠からずby立花隆
>>76 柄谷ねぇー。
彼は、殆ど、すでに、オナペットじゃない?
難解なレトリックと隠語をマスターすることで、
自らのコミュニケーション不全を正当化する
知的オタクのための、オナペット。
で、彼自身はフーコーの二番煎じ。
ただオレが柄谷に恐れ入るのは、例えば、フーコーがある事柄の
自明性を、これこれこういう理由で構成されているんだよと歴史的、
超越論的に読み解いて、その自明性を覆していくのに対して、
柄谷は、そういう自明性の中に生きている奴はアホだと主張すること。
とにかく柄谷は「お前らはみんなアホだ」と言いたいんだな。
「他者性」でも「外部性」でも「トランス」でも何でもいいけど、
柄谷的左翼思想の根本には「共同体への嘲笑」がある。
嫌悪じゃなくて嘲笑。あるいは黙殺。
で、フーコー知らない奴が「柄谷さんカコイイ」とか言ってんの。
もう見てらんない。以下略。
「現象学研究会」のHPはいつなったら公開されるのか?
呉智英をどー思う?
ハゲ!
スマン自作自演です!加護ちゃんデス!
83 :
考える名無しさん :01/11/02 17:27
竹田の新刊情報ない?
84 :
考える名無しさん :01/11/03 03:36
age
竹田ってなぜか人気ねーな
86 :
考える名無しさん :01/11/04 04:09
本の装丁ださくないですか?
87 :
考える名無しさん :01/11/06 00:39
永井均が竹田青嗣の書評に怒って反論してるのを読んだけど(「子供のための哲学」だっけ?講談社現代新書のやつ)引用元の竹田の全文がどういう文脈で書かれたのか分からないので、永井が何に怒ってるのかよう分からんかった。この件に詳しい人います?
88 :
考える名無しさん :01/11/06 01:14
竹田青嗣は「存在の本質が何であるかを言い当てることはできないが、 そのものの意味の本質は必ず言い当てることができる」ということを 何かの本で言っていたと思うんだけど(うろ覚えでスマソ)、これっ てホントなのかな。たとえばセックスの意味を竹田はバタイユを引い て「死の乗り越え」だと言うけれど、これを聞いて納得できる人って どれくらいいるんだろう。漏れにとって女とかセックスは、「なんだ か分からないが、ただ好きとしかいえないもの」で「死の乗り越え」 と言われれば、「そう言われればそんなような気もしないではないけ ど、それがなぜセックスや女(しかも若い『美人』の)でなくちゃなら んのか?」とまた謎を生むものでしかない。「これこれのものごとに は実は隠された意味があって・・・」というのは、「実は世界は見え ざるシステムに支配されていて・・・」という世界説明とどう違うん だろう。「意味」も「存在」と同じように、また一つの「超越で」は ないんだろうか?
89 :
考える名無しさん :01/11/06 01:23
ニューアカバブルの頃に宝島ムックの『現代思想・入門』に えーかげんなハイデガー解説書いてたのはこのひとだったか小阪さんだったか。 あんた岩波文庫のてきとーな『存在と時間』訳本読み飛ばしただけやろ、っていう。
>>89 その手の批判は昔のスレで出尽くしたからもういいです。
>>88 竹田さんが本質という意味は、SEXであろうと何であろうと、
それを感じる本人の「固有の意味」は必ず見つけだすことが
できるという程度のことだと思う。
ですからバタイユの「蕩尽」とか「死の乗り越え」という定義は
バタイユなりの本質直観で、その限りにおいて竹田さんも評価して
いるのだと思います。
『恋愛論』や『エロスの世界像』などで竹田さんは、
SEXの欲望の意味(本質)を「徹底した自己中心性の回復」と
定義づけていますね。
オレもSEXの欲望については色々考えてきたけれど、
「徹底した自己中心性の回復」というのはなるほどと思った。
SEXの意味。やりたいからやるで良いじゃないか、と言う人も
いると思うけど、そうじゃない人。なにかSEXという欲望に
不可解なものを感じる人は、それを現象学的に解明していく
ことが出来れば、SEXよりもスッキリする(笑
ま、分かっていても、やりたくなるときはやりたくなるが。
>>90 でも、煽りがいなくなると竹田スレは閑散とする。
このスレが良い証拠(笑
92 :
考える名無しさん :01/11/06 09:46
竹田の本を読むと希望が生じる漏れって痛い?
漏れも小汁よ(w
>>78 >難解なレトリックと隠語をマスターすることで
おいおい、全然難解じゃねーよ。竹田青嗣の「レトリック」については
>表現しがたい現象学のニュアンスを何とかして伝えようという気持ち(32)
を読み取ってるのとはえらい違いだな。
>で、彼自身はフーコーの二番煎じ
超越論的な考察がフーコーの二番煎じならフーコーはニーチェの二番煎じだろ。
批評の多義性をあっさり捨象して「本質直観」(91)するのはやめてくれよ。
>ただオレが柄谷に恐れ入るのは…(略)…柄谷は、そういう自明性の中に生きている奴は
アホだと主張すること。
すごいポイントで「恐れ入る」んですね。
98 :
考える名無しさん :01/11/06 20:27
晒し上げちゃびん
99 :
考える名無しさん :01/11/06 21:01
柄谷批判はいいが確かに
>>97 の指摘するように
変な要約で批判してるなーとは思ったよ
100 :
考える名無しさん :01/11/06 21:23
竹田氏の形相的還元の理解がおかしい気がするのですが如何でしょうか?
102 :
考える名無しさん :01/11/06 23:52
>>97 では柄谷タンはニーチェの3番煎じということで…。
>>91 >竹田さんが本質という意味は、SEXであろうと何であろうと、
>それを感じる本人の「固有の意味」は必ず見つけだすことが
>できるという程度のことだと思う。
その「固有の意味」にも程度差があって、簡単に言い当てられるものも
あればなかなか難しいものもあって、漏れ的には性とか色恋はそういう
もんなんだよね。だから「必ず見つけだすことができる」と言うと、そ
れは信念じゃないのか?という反論がなされると思うんだが、どうでし
ょう。
また「意味」を「こういうものだ」と個人が納得するとき、それでもど
うしても捉えきれないもの・ある感じが残ると思うんだけど、それは竹
田現象学的にはどうなんだろう。観念(意味)は言葉によって編まれる
ものだけど、編まれたもの(観念)は言い表そうとした当のものではあ
り得ないんじゃないか、っていうかね。
>>97 どうもどうも。
でも、実際柄谷氏って、「お前等はアホだ」としかいっていない
ような気がするんですけどね。
フーコーの場合は彼の自己申告を無視すればニーチェというより、
思想のかたち的にはマルクスを借りていると思うけど、
少なくとも彼にはちゃんとしたモチーフがあって、
あの膨大な論証をやっている。つまり、新しい社会の可能性を
目指してやっている。
それに比べて、柄谷氏の場合は「日本近代文学の起源」なんか
が分かり易いと思うけど、思想の形はまったくフーコー。
近代的な「内面」とか「風景」とかいうものは、
自明とされているが、実は日本の特殊な歴史のなかで
創り出されたものにすぎないというわけ。
この「すぎない」というのがミソなんだな(笑
それを強調することこそが、柄谷的左翼思想のポイント。
ようするに、オレはそういった柄谷さんの「根性」がムカツクんだな。
個人的感情かも知らんが。
初期の頃の本はよく読んでいて、感心したもんだけど、
ああいうのを素直に読んで感心しちゃうナイーブさは、
早く卒業するに越したことはないと思ったです。
あと97さんは「多様性」ということをおっしゃる。
でも、ある批判に対して、いや彼の思想は「多様性」が
あるんだからその批判は当たらないという類の反駁には、
オレは常に警戒感を持っています。
>>92-93 小汁ネ。
>>94 ゴメンナサイ
>>99-100 基本的にはオレも柄谷氏の考えを現象学的に通分して
理解しているつもりなので、竹田氏ほど批判的じゃ
ないんだよね。人間的にどーも好きになれないだけで。
>>101 どのあたりがでしょう?
>>102 それ、オレも最近ハッケソしました。
>>103 ワラタ
>>105 パワートダイで見かけていた様な気が・・・
>>104 88さん
なるほど、よくわかります。
色恋の欲望の原因なんて特に、ダヨネ。
竹田現象学のキーポイントは「固有の生の意味」を抽出する
ことだと思うんです。
でも、抽出されたその意味は、他人とは交換不可能ですし、
それ自体も時とともに変容する可能性がつねにあります。
あと「信念」と言われましたが、現象学的には「信じる信じない」
は自分の意志ではどうしようもないものですから、
それが「向こうから」やってたのであれば、それは「絶対」です。
「信」がやって来たら、その時点で還元は終了。
>「意味」を「こういうものだ」と個人が納得するとき、それでもど
>うしても捉えきれないもの・ある感じが残ると思うんだけど
ある感じが残るということは、その意味を言語化した時じゃないで
しょうか? 現象学的な還元をし、本質直観して、取り出した意味に
言葉は不要です。
「なんとなくこんな感じ」という“感情”とか“感覚”が「固有の意味」です。
その意味を他人と共有しようとする場合にだけ、「言語」が必要であり、
その際に齟齬を感じるのは当然のことです。
個人が本当に納得でき、それが恣意的でないものだとすれば、
それで本質直観は完了です。
個人の中で何かが残るということは、還元の仕方が足りないからということになります。
珍しくスレが伸びてたので、マメにレスしちゃいました(笑
勘違いだったかな。
112 :
考える名無しさん :01/11/07 07:04
ノーベル哲学賞なんてのがもしあったら 日本人候補は竹田しかいないと思われ
>>106 >でも、ある批判に対して、いや彼の思想は「多様性」が
>あるんだからその批判は当たらないという類の反駁
「柄谷はフーコーの二番煎じ」というのは柄谷という固有名全体に対するレッテル貼りであって、
到底「ある批判」といったものではありえません。
ドゥルーズやデリダはもちろんのこと、ヴァレリーやヴィトゲンシュタインやスピノザやマルクスを
「読む」ことで成り立つ柄谷の批評活動の全体を「フーコーの二番煎じ」と断じるのであれば、
最もフーコー的な「日本近代文学の起源」だけでなく、「言語・数・貨幣」や「探究」や
「トランスクリティーク」についてもそれを示してください。
どうも死刑囚さんは柄谷を典型的なポストモダニストのようにイメージされているようですが、
「批評とポストモダン」以後の柄谷がむしろ積極的にポストモダニズム批判を
開始したことを御存じないのでしょうか。
114 :
考える名無しさん :01/11/07 15:04
>>113 ほぼ同意。 思ったのだが、竹田青嗣もあいつは「ポストモダン」だ!というレッテル貼りをしてるような・・・
115 :
考える名無しさん :01/11/07 15:13
まぁ死刑囚は厳密な批判として批判したんではないんだろうが。
>>106 以前の某哲学版の議論・『フッサール』講談社学術文庫 田島節夫・
『現象学』クセジュ文庫 等を読んでいて(後者二つは読み途中)
感じたことです。
>>113 >批評とポストモダン」以後の柄谷がむしろ積極的にポストモダニズム批判を
開始したことを御存じないのでしょうか。
よーく知ってますよ。
柄谷氏は自分はポストモダニストじゃないと、ある日突然
言い始めた。
でも柄谷氏のポストモダン批判なんて、殆ど意味不明。
柄谷によればポストモダンとは資本主義社会の自意識に
なるような考え方で、自分はその外に立つというわけ。
柄谷のことはどうでもいいんだけど、こういった柄谷言説を
どんな義理があるのか知らんが、驚異的な素直さで拝読
して、左様ですか、柄谷様は反ポストモダニストですか
とやる柄谷マンセー野郎は非常に不愉快というか、
『隠喩としての建築』から『探求U』までは、柄谷を
追っかけてきた者から言わせれば、寒いんだよね。
あ、97さんのことじゃないよ。
一般的な柄谷マンセー野郎のこと。
で「批評とポストモダン」以降、彼の書くものは、
ますます「お前等はアホ」度が高くなってきたように思うね。
それまでは少なくともフランス思想を高度なレベルで紹介してきた
わけで、利用価値があったんだけど、東西の内外価格差で食えなく
なってきた途端、ポストモダン批判らしきものをするわけ。
あとね。言わずもがなだけど、「お前等はアホ」的言説が
無ければオレも柄谷を「二番煎じ」だなんて言わない。
どんな思想にも系譜というものがあって、必ず何らかの
影響下にあるし、思想家は必ず何らかのモチーフや、
乗り越えようという意志によって思想を支えているから。
でも、その一方で「お前等はアホ」と言うためだけに、
先達の尻馬にのる奴に対しては「二番煎じ」だと揶揄する
必要があると思うわけ。これは個人的感情だけじゃない。
だから、最近の柄谷さんの活動は良いんじゃない?
興味はないけど(笑
>>114 そうかな?
>>115 柄谷さんも何処か憎めないというか、本人クソ真面目だから
NAMも洒落でやってんのか何なのか……。
あと、柄谷さんの美点は「歩み寄ってこない」ところだ。
こちらに歩み寄ってくる大人ってキモイじゃない(笑
竹田さんにはない美点だね。
>>116 そうですか。
批判点が明確になったら、書き込んでみて下さい。
>>117 まったく(笑
>>112 文学賞があるんだから哲学賞もあっていいよね。
年内に、竹田は、径から、 ソシュール言語学批判を土台とした (これはつまり、”実存論的還元”という視点の欠如した 諸科学、現代哲学全般に対する批判と考えてもらっていいと思います) 超越論的哲学(おもいっきり文句言われそうですね)の復興のための 本を出します。かなり久しぶりの著作なので、みなさん、お楽しみに。 それから、竹田に文句、批判がある人は、直接聞いてみるといいと思います。 大学、カルチャーセンターなどに行って、授業の後にでも、問いを 投げ掛けてみましょう。こういうところで、思考を試して行くのもイイですが、 直接話せば、それなりに自分の持っている疑問などもすっきりするのでは ないでしょうか。彼はそれを適当に流すようなひとでは無いです。 とりあえず、西研さんの「哲学的思考」と合わせてよろしくお願いします。
>>119 >「お前等はアホ」的言説が無ければオレも柄谷を「二番煎じ」だなんて言わない
ああ、そうだったんですか。つまり死刑囚さんは柄谷が
>「お前等はアホ」と言うためだけに、先達の尻馬にのる
ということを批判したいだけなのですね。よくわかりました。
柄谷は確かに共同主観性=共通感覚を一貫して批判していますが、同時に、脱構築ブームの中で
構築の必要性を、物語批判に対してはそれを必要とする現実の批判を、美学的アナーキズムに
対しては統整的理念の必要性をそれぞれ主張して来たのです。
死刑囚さんがそのことをわかったうえで上記のように判断されているなら、
とても私の手には負えない絶望的な状況なので、これ以上何も申しません。
死刑囚さんは「哲学」のことは良く御存じでも、「批評」については全くわかっていないようです。
抽象的に「柄谷マンセー野郎」(118)という「共同体」を想定し、
それに対して「お前らはみんなアホだ」(78)と言いつのって
「嘲笑」するのはおやめになってはいかがでしょうか。
そのような倫理性の欠如が、柄谷の批評=批判を「共同体への嘲笑」(78)と
とらえることを可能にしているのだ、とだけ言っておきます。
住民のみなさん、スレ違いの議論で御迷惑をおかけしました。
123 :
晒し上げちゃびん :01/11/08 13:23
だからageて構わないって。 竹田に絡んで面白い展開になるやもしれぬ。 竹田スレは喧嘩が売りなんだし。
125 :
考える名無しさん :01/11/08 14:41
『ハイデガー入門』(講談社選書メチエ)に想う。 日常生活の「頽落」のうちでの人間関係のそのつどの可能性と して「ほんとう・よい・美しい」という価値を鮮やかに描いて 見せる竹田青嗣が大変な知性の持ち主であるに違いないと思う。 現象学的「還元」の精緻さ、「根源的明証性」「意識の彼岸 性」という言葉にみなぎる生命・エロス感によって描かれた世 界像がいかに身近なものであるかと同時に、竹田青嗣の思索の 根気強さや事物に対する本質直感の確かさを感じさせ、いつし か竹田現象学の「哲学的思考」に引きずりこまれてしまうので ある。 竹田青嗣は、本質直感を行いなら、エロスの世界像を描く。 ハイデガーの思想は日常生活の「頽落」からの索漠とした空し い心が癒される思いがした。ハイデガーは「頽落」を振り切っ た聖域を「保管」する形而上学者に「転回」した。竹田青嗣は 時が経つのも忘れて思考を続けた。竹田青嗣の指先を通じてあ たかもソクラテスーニーチェが乗りうっていくかのように、人 間の生活の内から「ほんとう」や「よい」の根拠に明瞭な輪郭 と豊かな色彩を与えられ、『ハイデガー入門』という書物の上 に躍動したのだ。
128 :
考える名無しさん :01/11/09 02:01
>>122 >抽象的に「柄谷マンセー野郎」(118)という「共同体」を想定し、
>それに対して「お前らはみんなアホだ」(78)と言いつのって
>「嘲笑」するのはおやめになってはいかがでしょうか。
>そのような倫理性の欠如が、柄谷の批評=批判を「共同体への嘲笑」(78)と
>とらえることを可能にしているのだ、とだけ言っておきます。
うーん。ちょっと議論がすれ違っちゃってるみたい。
まず、「共同体への嘲笑」は柄谷さん自身が言っていることだし、
幾らでも言質が取れています。というより、皆知ってるでしょ?
それに「柄谷マンセー野郎」は言いすぎだとしても、柄谷的嘲笑に対して、
嘲笑(というより呆れている)で返すのは倫理性の欠如とは思えないな。
あと一番重要なのは、竹田さんがよく言っているように、
柄谷氏の「共同主観性」に対する理解が間違っているということなんですね。
>柄谷は確かに共同主観性=共通感覚を一貫して批判していますが
群像連載時の「トランス〜」でも共同主観性(間主観性)についての
誤解が染み渡っていて、それを97さんが書かれたように「共通感覚」
程度の意味でしか受け取っていない。
しかし「共同主観性(間主観性)」という現象学の概念は、それとは
まったく違ったものなんです。
ま、ここで細かな現象学の講釈を垂れる気は無いですが、柄谷氏を含め
たある種の人々の現象学に対する無理解が、竹田さんを反ポストモダニズム
に狩り立たせた原因の一つであることは言っておいていいと思う。
>住民のみなさん、スレ違いの議論で御迷惑をおかけしました。
いえいえ。スレ違いもなにも、ほっといたらすぐ下がっちまうスレなんで、
また何か気づいたら書き込んでね(はーと
>>121 昔、径通信てのがあったけど……今もあるのかしら?
竹田の新刊は買いまーす。
でもまだ西研の「哲学的思考」も読んでないオレって……。
ま、これからも二人をプッシュしておくれ。
ちなみに「径(こみち)」と読みます>おーる
>>123 >竹田スレは喧嘩が売りなんだし。
そ、そうだったのか(笑
>>126 マターリといってもねぇー
それそも話題が無いんだよねぇー、竹田さんて。
新刊でも出たら、変わるのかな?
>>127 おい! 相変わらずマイペースすぎて怖いじゃないか(笑
131 :
考える名無しさん :01/11/09 03:07
死刑囚さんは才能あるんだから 何で竹田や柄谷辺りでマタリしてるのか不思議でならない。 安直にヘーゲルやカントをやれとは言わないが せめて他スレでも奮起してほしい。 向上心のない人間ではないでしょうから。
在日は死ねということだ。 な、竹田。
>せめて他スレでも奮起してほしい。 >向上心のない人間ではないでしょうから。 何やねん?「向上心」って(w
>>129 すみません、しつこいようですが、もう一度だけ書き込みます。
まず、柄谷はもちろん共同体批判を行っていますが、そこには当然ファシズムなどの全体主義に
対する反省が、すなわち政治的・倫理的な契機があるのであって、それをたんに「嘲笑」と
受け取っているらしい死刑囚さんの考え方には驚きを禁じ得ません。
さらに、私は122の二つ目の部分で、柄谷が自堕落な共同体批判に対してはむしろそれを批判する
側に立ったことを示したのに対し、死刑囚さんは129において、共同主観性という一語のみを
取り出し、「柄谷のこの語に対する理解は間違っている」という話を始められてしまう。
これでは「柄谷は、お前らはアホだとしか言っていない」という死刑囚さんの意見は正しいのか
どうかという議論の核心を、わざと避けていっているようにしか見えない。
118で出てきた柄谷のポストモダン批判についても同様です。
柄谷は、ポストモダンにおける主体の否定が、難しいことや遠い未来のことなど考えるのをやめて
かけがえのないこの現在を楽しく過ごそう、という消費社会のイデオロギーとして機能している、
と批判しました。例えば環境問題というものがありますが、このままでは将来大変なことになると
わかっていても、便利で快適な生活を手放したくない者は「我々が生きている間は大丈夫」と
言うでしょう。つまり、今・ここにいる「われわれ」の立場に立つ限り、環境問題は決して解決
されない。批評が常に政治的・倫理的なものだというのはこういうことを指しています。
死刑囚さんは、例えば「竹田現象学」のような一つの学をうちたてた者が優れた人物として
称賛されるべきであり、柄谷のような批評家がもてはやされるのはおかしい、と思っているので
しょう。別にその発想自体を云々するつもりはありませんが、そのとき死刑囚さん自身が
暗黙に前提してしまっている諸条件を「現象学的」に自己吟味してみることをおすすめします。
『ニーチェ入門』(ちくま新書)との出会い 世界の基本構造としての「真理」というものが壊れてしまい、 思い描くべき憧れの対象がなくなっていて、探究すべき「真理 」が存在しないというショックから、いかに立ち直るか、ふら ふらとカウント9で立ち上がった私は、この書物を読むだけで はなく、対話をしたのであった。 ニーチェの思想の基本の「力への意志・永遠回帰」等がわか りかけてくると、人間の内面世界で非常な盛り上がりがあるこ とは事実である。「俺はもう本当にニーチェ思想の本質を理解 できた」と、自己陶酔的に反=真理、反=社会、反=自己を説 教する人もいる。本当にそうだろうか。人間世界に具体的で生 きた営みなかから「価値」を取り出すことが出来ないこと、人 間の生活の内にある「ほんとう」や「よい」に目を閉じること 、思想・批評界のプロとして切り捨てられないように発言する 「自己保身」の土壌が、「ニヒリズム的了解」なのではないか。 「ニヒリズム的了解」の誘惑から、いかに脱却するかという ことが社会の問題でも人間の問題でも待ち受けている。ヘゲモ ニー(覇権)病の治療の為には超越的な欲望の根本問題に挑ま なければ、どうにもならない。「超人」思想に頼ることなく、 人間はそれほど愚かではなく、昔からみんな何とかもっといい 世の中にしたい、民主的といわれるような組織を作りたいと考 えて努力してきて、そういう人(カント、ヘーゲル、フッサー ル)が多くいるはずなのだ、と。 *「頽落論的構図」「ニヒリズム的了解」等は、『哲学の味わ い方』竹田青嗣・西研、現代書館に解りやすく説明されていま す。竹田青嗣の考えでは、人間において「ほんとう・よい・美 しい」という価値のいきいきとした根拠と条件の原理の探究が 哲学の味わいであるようです。 このような観点からの皆さんの哲学に対する意見、希望をお 聞きしたいと思っています。
現実を、新たな世界図式(世界観)をつぎつぎと輸入すること で追認、理解する思想・批評のプロの人たちが悪いというので はなく、「民主主義」の美名(超越的な理念)の上に安住して しまうことで、現実を根拠づけることへの単なる批判でもなく、 このような土壌の中では、思想(言葉)はいったいどういう理 由で存在し、どこで個人や社会の総体にとっての現実や意味を もつのかといった問いが、現在も内在的に問われていないこと が竹田青嗣の「問題」なのだと思います。
本とは対話をするが、掲示板ではモノローグを展開するってどういうこと?
>>134 > 例えば環境問題というものがありますが、このままでは将来大変なことになると
> わかっていても、便利で快適な生活を手放したくない者は「我々が生きている間は大丈夫」と
> 言うでしょう。つまり、今・ここにいる「われわれ」の立場に立つ限り、環境問題は決して解決
> されない。
柄ヤンに興味はないが、こういう怪しげな前提を立てた上で倫理を問うような思想はロクなもんじゃねえ、と考えるのが竹田青嗣であり竹田読者であろう。
>>131 どうもどうも。
才能なんて無いですよぉ〜。
専門に哲学やってるわけじゃないし。
あと興味のあるスレはたまに書き込んでますけど、
やりだすとすぐはまっちゃうタイプなんで、
奪われる時間がこわい(笑
>>134 >柄谷はもちろん共同体批判を行っていますが、そこには当然ファシズムなどの全体主義に対する反省が、すなわち政治的・倫理的な契機があるのであって
基本的にポストモダニズムというのはマルクス主義への
反省に立ったものですし、97さんが柄谷氏の「倫理性」を上記
のものであるというのは、好意的に解釈すれば理解できます。
しかし、そうであるならばなおさら、柄谷氏の言動は許されない
ものだと思う。
柄谷氏はよく「大衆は相手にしない」と言うのです。
環境問題のことが出てきましたが(非常に良い例を出してくれました)、
それを解決するのに共同体の中にいては解決しないという考えは、
非常に柄谷的ですが、本当にそうだろうか?(つづく)
>例えば環境問題というものがありますが、このままでは将来大変なことになるとわかっていても、便利で快適な生活を手放したくない者は「我々が生きている間は大丈夫」と言うでしょう。つまり、今・ここにいる「われわれ」の立場に立つ限り、環境問題は決して解決されない まず第一に、柄谷氏の発想が97さんが書かれた上記のようなもの になることは良いですが、その柄谷氏の発想を哲学的に支える土台 が、「共同主観性」という現象学用語に対する無理解にあるという ことは、言っておく必要があります。 ま、それはさておき、重要なのは次の問題。 果たして、環境問題を解決するのに、「共同体の外」に立って解決 できるのか? ということです。 そして、「共同体の外」とは具体的にどういったものなのかという ことです。柄谷氏はそれを「他者の他者性」と言います。 じゃあ「他者の他者性」とは何なのか? 97さんが良い例を出してくれたので、これをネタふりとしてみる。 ・環境問題は共同体の中にいては解決できないのだろうか? ・では「共同体の外」とは具体的にはどういうものなのか? 以上ネタふりです。 モデルを単純化して「共有地のジレンマ(だっけ?)」の 解決方法でもいい。 果たして「共有地」に住む人間には解決能力がないのか? 「共有地」に住まない人間などいないのに、その外部に立つ とは具体的にはどういうことなのか?
>>135-136 お勤めご苦労様です(笑
『ニーチェ入門』は良いですよね。
竹田さんは入門書をたくさん出しているけど、
ベストなんじゃないかな。スッゲー分かり易い。
ニーチェが知りたい人には絶対のオススメ。
>>138 確かに、竹田さんはある問題を解決する手段として、
倫理やモラル、はたまた「罪悪感感情」でもって脅かす
というやり方はしないね。
>>139 (英monologue)独白。
特に演劇で、登場人物が相手なしで、心中の思いなどをしゃべるせりふ。
143 :
考える名無しさん :01/11/10 06:35
>>142 もれは竹田のニーチェ入門を読んだ。
その時は哲学の知識まったくなかったけどすげーおもしろかった。
「名詞。」っていい加減止めようよ。
>137 えんま大王のこん棒で一撃されて目覚めるのを待つしかなさそ うです。 ニーチェ、デリダ、竹田青嗣らは、或る挫折を通じて出口すら 見えない欲望を背負い込んでいる自分を自覚したがゆえに、安 易に「帰依」すれば救われる特効薬のような思想というものは なく、生きている限りつきまとう独我論的な「欲望」と格闘し 続けるたくましい<思索者>たりえているのでしょうね。
>安易に「帰依」すれば救われる特効薬のような思想というものはなく 当り前のことじゃん、そんなの。 お前らだけが「格闘」し続けてるわけじゃないんだよ。 竹田&信者ってそういうことを言い過ぎなんだよ。 鬱陶しい。 そこに叩かれる根拠があるんだよ。 誠実に思考してるというポーズをアピールしてるだけ。
148 :
ネタフリOK。 :01/11/11 00:38
>>147 オモシロイ。では実例を挙げて論証しちみちくれ〜イ。
149 :
フッサール娘。 :01/11/11 00:46
このスレで書き込む人は名前に「。」を入れてください。
150 :
モーニング娘。 :01/11/11 00:51
メンバーの中に「。」の正式名称が「句点」だということを 知っている者がいる蓋然性より低い。
151 :
考える名無しさん :01/11/11 01:08
>148 お前は馬鹿か。 実例も何も俺はその上の奴にレスしてるんだけど。 竹田信者ってここまで鈍感な奴とは思わなかった。
152 :
帰れないふたり。 :01/11/11 01:09
なにが低いの?>150
153 :
ネタフリOK。 :01/11/11 01:23
>>151 おや?気分を害しちまったかな?こちらの言葉足らずだったかもしれんな。
つまり竹田のどこが「誠実に思考してるというポーズをアピールしてるだけ」
なのか論証してくれるとオモシロイと思ったのよ。「ポーズ」ってことは、
外見だけで中身がないってことでしょ?ならどこがそう思われるのか、興味が
あったわけ。
151よ。お怒りを鎮めたまい。 でまって名前に「。」(句点)をつけてne!
ぶっちゃけた話151は97でしょ。柄谷タン萌え?
156 :
考える名無しさん :01/11/11 04:19
>>146 別に今の日本で欲望と格闘されてもな(w
「独我論的な欲望」って何なの? わかりにくい。
158 :
考える名主さん。 :01/11/11 10:47
>>156 >別に今の日本で欲望と格闘されてもな(w
つまり↑は「竹田を叩いてもすぐ切り返されるので、
竹田ファンのなかから、くみしやすそうな人を選んで
叩いてみました。」ということでよろしいか(w
竹田信者が(wだって。 笑えないなあ...。
>>159 ンだとォ!?ゴルァ!このオカラ信者が、氏ね!!
「竹田を叩いてもすぐ切り返されるので」だって
>「竹田を叩いてもすぐ切り返されるので」だって 確かにずっとそうだもんな。アンチは分が悪い。
愚直さと粘着性は随一だからな
おまけに論争吹っかけて逃げ出すヘタレアンチ。毎度のこったが。
ヘタレで正面切ってなにも反論できない癖に恨み言いうのは諦められない粘着オカラ=柄谷信者。
カリカリしてる。 名前いちいち変えるの面倒くさくないか?
そうかい?151よ。怒りはおさまったのか?
169 :
考える名無しさん :01/11/11 20:21
>名前いちいち変えるの面倒くさくないか? 柄谷信者は妄想家ですか?(w
妄想、ねえ。 そういう切り返しも飽きたなあ。 竹田さんみたいなスルドイやつ頼みますよ。
171 :
考える名無しさん。 :01/11/11 22:32
柄谷は本当に「スルドイ」から全然シャレになってねえんだよ。 どうしてこんなに切り返しが下手糞なの? 本でも相手に対話してろっての。
あ、あとその等式間違っているから。 センスないよなあ。
竹田は本当に「スルドイ」から170は全然シャレになってねえんだよ。(w
やっとスルドイ返答がきたよ。 やればできるじゃないか。
>柄谷は本当に「スルドイ」から全然シャレになってねえんだよ。 「例えば環境問題というものがありますが、このままでは将来大変なことになると わかっていても、便利で快適な生活を手放したくない者は「我々が生きている間は大丈夫」と 言うでしょう。つまり、今・ここにいる「われわれ」の立場に立つ限り、環境問題は決して解決 されない。」 134に書いてたけど、こんなこという人がスルドイの?
>>175 どうしてこんなに切り返しが下手糞なの?
本でも相手に対話してろっての。
イキリ立っているなあ。 いま134を読んでみたけど、 柄谷はそのカッコ内にあるようなイデオロギーを批判してるって書いてあるぞ。 いったい何を読んでいるんだよ。 なんだかこんなアホを相手にしてたと思うと情けなくなってきたわ。
179 :
考える名無しさん :01/11/11 23:46
>>176 それ間違ってますか?
脅迫とかいうの?
いいね。 哲学板伝統の竹田スレらしくなって来たな。 これでプロパーが荒し介入してdat落すりゃ完璧(笑
>>178 >いま134を読んでみたけど、
>柄谷はそのカッコ内にあるようなイデオロギーを批判してるって書いてあるぞ。
179は「そのカッコ内にあるようなイデオロギー」が正しいと感じてるようだ。
179=134なら、178はまず179と議論して誤読を正してもらった方がいいな。(笑)
>>178 >いったい何を読んでいるんだよ。
>なんだかこんなアホを相手にしてたと思うと情けなくなってきたわ。
あんまりイキリ立たないよーにNE(w
また、冷静さを装おうポーズで落す。 で、相手が取り乱してると見せ掛ける。 都合が悪くなってくるとすぐこの手口だよ...。 ホント芸がないなあ。 引用と地の文の関連がないから説得力もない。 いったい何回こういうやり取りが繰り返されてきたんだろう。 これで終わりにしない?
>>184 君が終わりにしたいなら逃げてもかまわんよ。
ところで184=178よ。ここで問題になる「イデオロギー」とは
「このままでは将来大変なことになるとわかっていても、便利で快適な生活を手放したくない者は
「我々が生きている間は大丈夫」と言う」ではなく、「つまり、今・ここにいる「われわれ」の
立場に立つ限り、環境問題は決して解決されない」ということなのだが、それについてはちゃんと
理解できてるのかい?怒りの余り、スレの流れを見失っているのではないかと心配してしまうよ。
もう一度冷静に読み直してみよう。
>157 「独我論的欲望」の脱却に指針と希望を与えてくれる素敵な対 談(『哲学の味わい方』現代書館)から竹田青嗣の発言の一部 を引用させていただいて>157さんの共感を得たいと思います。 *たとえば、ニーチェは自分こそが正しいことを知っている、 自分こそが義であると言う人間に気をつけろ、と言う。ニーチ ェの読み方は、基本的にさっき言ったその主張の奥の動機を読 んでいく。私は何が正しいか知っている、私は正しいことに向 かっていると言う場合、じつは自分が正しい人間でありたいと いう願望の言い換えにすぎないことが圧倒的に多いというわけ です。そのときハッとするものがあった。つまり、正しさに向 かおうとする思想と、強靱な思想というのは全然違うんだとい うことをニーチェは教えてくれた。もちろんそれは、理想や正 しさなんてどこにもない、という思想ではまったくない。そう ではなくて、自分が絶対正しいんだ、正しいことを考えている 自分こそ正しいんだと思っているうちは、それはじつは正しさ とはほとんど関係がなくて、自分への愛にしかすぎないことが 圧倒的に多いということ。そのことが分かったときに自我の問 題を考え直す大きな糸口がついた気がする。
ということはニーチェは竹田のために本を書いたってことね。
いや。187のために書いたのさ。
誰のためでもない、万人のための書です。
>>186 「独我論的欲望」って竹田青嗣の用語だっけ?
「真理への欲望」のほうがしっくりきそうだ。
>自分が絶対正しいんだ、正しいことを考えている >自分こそ正しいんだと思っているうちは、それはじつは正しさ >とはほとんど関係がなくて、自分への愛にしかすぎない と考えることが絶対「正しい」と主張してるように見えるんだなあ。
>>191 では貴方のその見え方は、絶対に「正しい」のであろうか?
自分においては正しいと思う。 「絶対」なんて絶対に言わないよ。 「自己愛」の段階なんだよ。 いつだって、アイ・ラヴ・ミー。
では竹田青嗣が絶対の正しさを主張し、貴方が自分においての正しさを言うという、その違いを分かつものは何だと思いますか?
自己愛の深さ。 だって俺が好きだから。
>>196 竹田は絶対の正しさを主張するのが「自己愛」だと言い、
貴方は自分の正しを言うのが「自己愛」だと言う。
そう解釈して良いですか?
いや違うな。 竹田氏と191氏を分かつのは「自己愛の深さ」だという答えだから、 自己愛が浅いと(竹田氏のように)絶対の正しさを主張することになり、 自己愛が深いと(191氏のように)自分の正しさだけを言うことになる。 こう言いたいわけですか?
(方法的独我論ではない)独我論の苦しみは、「私は私である 」という意識にしっかりと捕まえられてしまい、「他者」や「 客観世界」の実在が「信じられない」苦しみ、孤独感なのでは ないかと思います。この孤独感が、逆に「華やかな自己解体の 欲望(妄想)」を育み、日常生活の「頽落」を振り切った「外 部」の思想にますます引き込まれていく理由になっていると思 われます。
仮想敵がいないと思考ってできないものなんですか?
絶えざる懐疑が思考を鍛える
竹田現象学の考え方は馴れるのに若干の難しさがあると言われる。 自然的態度に生きる人間にとって世界実在のエポケーは激しい不安を呼び寄せる。 ましてや自然主義の虜囚においては。さよう自我像への執着が強ければ強いだけ、 現象学的還元は苦痛として彼を苛む。結果、怒りもてこれを拒絶するのである。
204 :
考える名無しさん :01/11/17 08:50
竹田&読者はそれを克服しちゃってるわけね。 たいしたもんだ。 それで俺(等?)はその望ましい状況の途上にいるわけね。 竹田&読者は「先行者」の立場からあれこれ言ってるんだな。 早くこっちに来い、と。 俺が竹田&読者に最も違和感を抱くのはこの手の発言だよ。 言ってる方は気持がいいだろうがね。 正しい自分から、誤っている他人への説得。 言われてる者はどう思うか考えたことある?
205 :
考える名無しさん :01/11/17 09:39
>204 同意。 フッサールの著作に当たればこんなふうにお手軽なナルシズムではないんだが。 幾何学の起源や諸学の危機の後期フッサールの科学との対決の難しさとかどう思 っているんだろう。 それだけの頭は竹田も読者もないか。
>201、>203 人間性の極北を描く推理作家の笠井潔に「現実的世界喪失の観 念的自己回復」という痛感される言葉があります。「連合赤軍 リンチ殺人事件」というおぞましい人間性の深淵を垣間見たの ち人間性の深奥を透視する「実存論的還元」という思考によっ て生み出された現象学上の概念です。 世界喪失の苦しさが「正義」や「理想」を呼び寄せる、という のです。対立しあう価値や意味のはざまに生きながら、いつし か「絶対的な正義」や「絶対的な理想」に憧れ、惹かれていく 性情が私たちの内に潜んでいるのではないでしょうか。 「認識と真理の絶対性」、「主体の形而上学」、「普遍性信仰 」といったものを認識論的に「相対化」(=脱構築)すること により克服するのか、「価値や意味への飢え」であることを実 感できる「原理」の探究により克服するのか。 「確信成立の条件」を確かめる現象学の「還元」の作業が私に とって大変、示唆に富むのです。
>>204 >言われてる者はどう思うか考えたことある?
どう思うのかぜひ知りたい。教えて。
>>205 >幾何学の起源や諸学の危機の後期フッサールの科学との対決の難しさとかどう思
>っているんだろう。
それは「現象学的還元の困難」にどう関わってくるのですか?
>人間性の極北を描く推理作家の笠井潔 確かに笠井の著作が体現しているナルシシズムは「人間性の極北」と言えなくもない。
>>206 現実の苦しさが正義や理想という大きな物語を呼び寄せるわけだね。
大きな物語の真理には到達点がないから、個人に無限の奉仕を強いるというジレンマを負っている。
現象学的還元にはその都度「確信成立条件の確かめ」という到達点があるから、無限のジレンマはない。
「確信成立条件の確かめ」って信者同士の無限の頷き合いのことを言ってるの?
>>212 なぜ「信者同士の無限の頷き合い」だと思うのか?
これが「確信成立条件の確かめ」だよ。
アンチにはこれがとても苦痛らしいんだな。
>>213 これだけのことに度を越した拒絶を示すがゆえに、アンチは「竹田フォビア(竹田恐怖症)」と呼ばれるのでしょうな。
215 :
考える名無しさん :01/11/18 20:34
>214 それも「確信成立条件の確かめ」の一種なの?
217 :
考える名無しさん :01/11/18 23:03
フッサールがユダヤ人一人でできなかったことを、他家だは信者を得ることによって 到達させたのですね。納得。
http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/library01/gendai01.htm 私がどうして大学生のときに哲学系のコースにすすんだのかについては、他の場所で詳しく書いた
ことがあるので(1)ここでは繰り返さないが、私は、私が生きている意味とはなにか、宇宙はどうし
てこのような姿で存在しているのか、なぜ私が存在しているのであって存在していないのではないの
か、などの問いに私自身満足のいく答えを出したかったのだ。当時、理科系のコースにいた私は、自
然科学の授業に絶望し、私の問いを正面から受け止めてくれるのは文学部の哲学系のコースしかない
と思いこんでいた。そこにいけば、教師や学生たちが日々、自己とはなにか、死んだらどうなるのか、
人生の意味はなにかなどについて議論しあっており、そのなかからわくわくするようなオリジナルな
哲学がわきあがっているのだと思っていた。
ところが、その期待は無惨にも打ち砕かれることになる。なぜかと言えば、そこに(私が進んだの
は倫理学教室だったが、以下に述べることは哲学教室でも事実上同じだった)あったのは、文献学の
道場であり、哲学者についての研究や、哲学史についての研究をもって<哲学>だと言いくるめてい
る空間であった。だから、私は文学部に移ってきても、ふたたび絶望するしかなかったのであった。
私がやりたいのは、カントがどう考えていたかということではない。私がやりたいのは、私がどう考
えればいいのかということなのだ。哲学とは、そもそもそういうことではなかったのか。哲学すると
は、いまこの一回限りの人生のなかで、この私が、この私にとって切実きわまりない問題に正面から
戦いを挑み、この私のことばと思考でもって答えを模索していく試みのことではなかったのか。私は
そのように思い、そしていまなおそのように思っているのだが、当時の研究室は私のこの思いを受け
入れてくれる雰囲気ではなかった(いまはどうなのか私は知らない)。
竹田と僕はかつて研究会みたいなことをやっていたんだけど、彼との分岐点というのは、やはり彼のカルト宗教的なところだったね。 カリスマが好きなんだよ。 彼は当時、和光大学の非常勤をやっていてちょっと覗いたことがあるんだけど、ほとんどある種のカリスマになるわけ。 やはりヒーリングをやるわけですね、よく生きるとはどういうことか、なーんちゃって(笑)。
220 :
考える名無しさん :01/11/19 09:05
スガポンも自分のカリスマ性でファンを奪えばいいのに。
要は「テレ」があるか、ないか。
222 :
考える名無しさん :01/11/19 09:58
それ以前にカリスマ性があるかないかでしょ。
ああ、やっぱり「カリスマ」と「信者」という図式なんだ。
224 :
考える名無しさん :01/11/19 12:27
カリスマ性というものは信者以外に波及してはじめて 「在る」と言えるものなのじゃないか。 「カリスマが好き」ってところがポイントなんだな。
>>223 で、「カリスマ性」があって信者がいたら竹田の思想評価はどう左右されるわけ?
ひどい、表現力と文体だな。哲学的、芸術的資質がまるでない。 これほど気分悪い文体は珍しい。
>>226 へ〜。気分悪いの?じゃーかぜ薬でも飲め(w
で、どーなのよ?竹田にカリスマ性があったら、その思想内容にどんな影響があるっての?
そこまで考えた上で「カリスマ性」だの「信者」だの言ってたんだろ?ちがうの?
>211 「絶えず、無際限に<真理>に近づく」という信仰は、現象学 の「還元」や「本質直観」の中で破壊されなければなりません。 それは、人間がその相互の自己中心性が矛盾し合うとき、相互 了解に達する可能性の原理を手に入れるための創造的破壊です。
>>228 >「絶えず、無際限に<真理>に近づく」という信仰
「真理への無限奉仕運動」とでも名付けよう。
この信者は毎夜西川のりおのように「ツクツクオーシ、ツクツクオーシ!」と祈りのポーズを
捧げながら、真理への無限運動を行っているに違いない。頼むから竹田を呪うのはやめてくれ(w
そのスガの文章ってさ、高澤秀二・宮崎哲弥とスガが他の言論人を偉そうにコキ下ろすっていう、なんとも安っぽい企画本「ニッポンの知識人」からの引用だろ。どうせ出すならもっと頭の良さそうな本から引用しろよ。恥ずかしい。(w
231 :
考える名無しさん :01/11/20 05:33
>「ニッポンの知識人」 これ↑の竹田評、語学が出来ない・フッサール解釈を専門家に批判されてるからインチキだと決めつけるような外面的なことしか言ってないよ。竹田現象学への具体的な批判は何一つない。各講評文に署名はないけど、あれは宮崎哲也が書いたような気がする。
232 :
考える名無しさん :01/11/20 11:41
竹田は新興宗教的求心力があるが、言ってることが以外とむずいので暇な学生どまりにおわってる。
234 :
考える名無しさん :01/11/20 16:31
↑ で、竹田が書いた批判はどこにあんのよ
信者?カリスマ?思想内容以前にだいたい竹田という人物や 感性が気持ち悪い。生理的に受け付けない。思想云々以前に それを表現する文章、それ自体が気に入らない。 生理的に受け付けないのは、多分俺が美形な二枚目だっての と関係あると思う。
afo?
ほんとは竹田が好きなくせに(藁
236が「美形な二枚目」かどうかは知ったこっちゃないが、文章の味気無さは相当なものだ。
そのサイトは竹田は無関係。
盲点を突かれ狼狽した226はうけ狙いでごまかそうとするが、うけ狙い以前に自らのあほさを隠すことはできないのであった。
確かに竹田青嗣には一種のカリスマ性がある。 ミュージシャンでいえば井上陽水であろう。 哀しいかな 鮭 秀美にはカリスマ性はない。 ミュージシャンでいえばなぎら健一であろう。
>>226 >信者?カリスマ?思想内容以前にだいたい竹田という人物や
自分からいい出しといてこの言いぐさはなんだ?(笑)
>241 その価値の位置付けの露骨な凡庸さ。 一片のシャレも感じられないところが 「カリスマ哲学者」そっくりそのままで怖いわ。 >242 ここにいる狂信者は1人のようだが、 アンチは何人か書き込んでいるよ。
>>241 一人でも二人でも、アンチはヘタレの言いっぱなしばかりなんだから
何人いたって同じじゃないか。
「価値の位置付けの露骨な凡庸さ」「一片のシャレも感じられない」
とか、こういう情緒むき出しのところも同じだなぁ。
根拠のない願望は自由だが、ここでの竹田肯定派も一人ということはないぜ。
おれ以外にも書き込んでるからな。
243氏も「カリスマ」「狂信者」という批判をしたいようだが、
自分は狂信者でない哲学者だと言いたいなら、竹田読者の狂信性を
哲学者らしく理性的に論じてみな。
これまでの「何人か」(?)のアンチくんはからきし駄目だったみたいだけどな。
ほんとに複数いるなら、差別化して証明してみ?(笑)
と、狂信者が言っております。
おう。狂信者でいいから何か反論してみ? …と思ったが、245は駄目なフォビアくんだからムリだな。 同調者を期待して呼びかけてるの?
247 :
考える名無しさん :01/11/23 05:16
あげ
現 象 学的還元 エヴァ風に決めてみました。
意味とエ ロ ス
あ・・・ずれてる。鬱
どうかね、伊藤君とやら。 竹田読者241号の友達になってはくれんかね。
ちなみに私のお友達も募集中だ。
253 :
考える名無しさん :01/11/23 17:14
新刊まだかな?
254 :
考える名無しさん :01/11/23 17:21
255 :
考える名無しさん :01/11/23 18:26
テロのショックか?
254のHPの「アフォリズム」って本当にアフォリズムなの? 俺の「アフォリズム」という概念が打ち砕かれたわ。
ニーチェの魂の叫び&竹田青嗣の実存からのアドバイス <本末転倒> 目的を、目標を、意図をもつとは、総じて意欲とは、より強く なろうと欲すること、生長しようと欲することと同じことであ り、またそのために手段をも欲することともなる。(『権力へ の意志』) <根拠への問い> <真なり>とされるのは、 思考の側面からすると、思考に最大の力の感情を与えるもの。 触覚、視覚、聴覚の側面からすると、そのさい最も強く抵抗せ ざるを得ないもの。(『権力への意志』) <思想について> 権力としての<知>という「裸の王様」を見破る力として、思 想をあつかうこと。(『現代思想の冒険』) <実存の根拠> わたしたちは<意識>のむこう側から届いてくる声を聞かなく てはならない。このときかつての<存在>の意味(概念)が、 普遍や客観への確信から実存のほうへ、はじめて顛倒されるこ とになるはずなのである。(『意味とエロス』) 生の困難につき当たってものを考えなくてはならない立場を見 据えた上での真剣な思索、そして格闘の名にふさわしい言葉か ら、私たちも学びとらなければならないでしょう。
チョン、死ね
>チョン、死ね (プ
261 :
考える名無しさん :01/11/25 07:50
アゲ
262 :
考える名無しさん :01/11/25 21:17
ヨシモトタカアキトドウチガウノ?
263 :
考える名無しさん :01/11/26 03:20
西研の方が書き方が分かりやすい気がするが・・ ところで二人の違いってどこだろう?
264 :
考える名無しさん :01/11/26 03:27
『言語的思考へ──脱構築と現象学』 期待してます。
265 :
考える名無しさん :01/11/26 19:38
age
266 :
考える名無しさん :01/11/27 07:38
>>263 竹田のほうが「スケベ」
よって竹田>西
267 :
考える名無しさん :01/11/27 07:41
268 :
考える名無しさん :01/11/29 00:23
age揚げ
269 :
考える名無しさん :01/11/29 03:19
西研は文章力なさすぎ 竹田は文章力ありすぎ
さらに誉めよ、さらに讃えよ
竹田さん以前の現象学者は「主客問題の解決」をどう扱っていたんですか?
272 :
考える名無しさん :01/12/01 00:36
>>269 さん、どうも。
私は
>>266 ですが、それは、
竹田青嗣のほうが西研より、読み手を幻惑するのがうまい(必ずしも悪口ではないつもりですが)ということでしょうか。
273 :
考える名無しさん :01/12/01 03:21
竹田の文章は魅惑的でエロティックだね
274 :
考える名無しさん :01/12/02 06:31
ageageageageageageageageageageageageageageageagegeagaegaea
エロスとエロティックには関連がないと思われ
関係あるなんていってねーだろ?おめーヴァかか?
277 :
考える名無しさん :01/12/02 10:28
竹田の本はわかりやすい。 たしかに素人にはもってこいだ。 だから竹田を誉める人間は素人ばっかり。
278 :
考える名無しさん :01/12/02 13:29
竹田の専門向けの本読んだ上で逝ってんの?おめー
>>277
279 :
考える名無しさん :01/12/02 13:48
>>278 竹田って専門家向けの本出していたっけ?(藁
アマゾンで調べたけどなかったじょ。
280 :
考える名無しさん :01/12/02 15:54
忙しい素人に代わって考えるのがその道の玄人です。 素人あっての玄人であること忘るるべからず。
281 :
考える名無しさん :01/12/02 15:56
>>279 「意味とエロス」「エロスの現象学」は読みました?
>>279 アマゾンで調べたっていうけど、「専門家向け」とそうでないのと
どうやって区別するの?
丸山圭三郎、見田宗介、川本隆史、橋爪大三郎、小浜逸夫らは竹田を好意的に評価してるよ。 東浩紀も「天皇の戦争責任」を誉めていたから、「竹田を誉める人間は素人ばっかり」というのは 当たっていない。
284 :
考える名無しさん :01/12/02 17:16
フッサールを拡大解釈した竹田は、ソシュールを拡大解釈した 丸山と仲がよさそう。
285 :
考える名無しさん :01/12/02 18:01
>>284 どういうところが拡大解釈か聞こうじゃないの。
丸山さんは言うまでもないでしょう。 竹田さんにつきましては、 「現象学は妥当性を確かめる哲学だ」なんてこと言って、 まるで人類から争いをなくすには現象学が必要てな方向へ もってこうとしている。 こりゃ、現象学の歴史的な意義をすっ飛ばした解釈だね。 彼の興味は「いかに現代において現象学の地位を高めるか」にあって、 ゆえに批判されないように現象学の解釈を組み立てている。
287 :
考える名無しさん :01/12/02 18:17
>>286 全然批判になってないと思うぞ。
現象学に受け入れられる価値があると思ってるから
地位を高めようとしてるんだろ。
そもそも価値がないと思うんならやってないって。
批判されないように解釈するのは、要は反論してるということだろ?
論理的に整合的だったら問題ないじゃん。
問題がある解釈を具体的に指摘しないと無意味だ。
第一現象学の歴史的な意義って何よ?
288 :
>>286 :01/12/02 18:22
>まるで人類から争いをなくすには現象学が必要てな方向へ >もってこうとしている。 お役に立つなら結構なことでは。
289 :
考える名無しさん :01/12/02 18:26
>>287 >論理的に整合的だったら問題ないじゃん
だから論理的に整合していたとしても、
「拡大解釈」していることにかわりはない。
それを自覚せずに著作を垂れ流すのは害がある。
>第一現象学の歴史的な意義って何よ?
自然科学が客観的世界を前提としていることに意義を唱えたわけだろう。
現象学はあくまで、実証主義へのアンチテーゼであるとともに
「意味」のカテゴリーの回復が主題であるわけで、
竹田のように社会変革とかそういう文脈に用いるのは拡大解釈。
>>286 >彼の興味は「いかに現代において現象学の地位を高めるか」にあって、
ゆえに批判されないように現象学の解釈を組み立てている。
なにが悪いねん(w
291 :
考える名無しさん :01/12/02 18:46
>>289 >自然科学が客観的世界を前提としていることに意義を唱えたわけだろう。
この書き方だとフッサールが単純に自然科学を否定してるように聞こえかねないが、そう取って良いのか?
>現象学はあくまで、実証主義へのアンチテーゼであるとともに
>「意味」のカテゴリーの回復が主題であるわけで、
「意味」のカテゴリーの回復ってなに?なんのためにそれが必要なの?
「自然科学が客観的世界を前提としていること」自体は当たり前のことで、 何ら問題ではないと思うが。問題は客観的世界を前提としていることに無自 覚なまま実証主義的手法を全ての学問に敷衍しようとした点じゃないのか? そこに「諸学の危機」の大きな要因があると。 竹田はおよそそのように解釈しているはずだ。
結局284にとっては竹田のフッサール解釈が自分とは違うということだけが
問題であって、竹田現象学について特別の意見はもっていないのと違うか。
>>289 >だから論理的に整合していたとしても、
>「拡大解釈」していることにかわりはない。
>それを自覚せずに著作を垂れ流すのは害がある。
現実的にはどんな「害」もない、と言って良かろう。
あるのは竹田の解釈が優勢になることにより、自分達の「縮小解釈」が劣勢に
なってしまうことへの被「害」妄想くらいだろう。大した問題ではない。
294 :
考える名無しさん :01/12/02 21:40
ここは竹田信者の集い。
295 :
考える名無しさん :01/12/02 21:46
竹田さんの著作はわかりやすいから好きだ。 真に理解しているからこそわかりやすく書ける、のだと思う。 信者とかそういう問題ではない。
>>294 また始まった「信者」(藁
アンチは論破されると決まってこう言いだすね。「信者」「教祖」が出たらもう降参という合図らしい。
もう少し思考力磨けよなあ。
「論破」って言葉、コヴァ板以外で初めて見たわ。
ウソコケ(w
299 :
考える名無しさん :01/12/03 13:11
竹田があまり注目されないのは絶対におかしい。
300 :
縞栗鼠(シマリス)の親方 :01/12/03 13:13
301 :
考える名無しさん :01/12/03 23:13
「確信成立条件の確かめ」が信者同士の無限の頷き合いでないとするなら、 今まで実際に、誰と、どういうことで、そういう確かめ合いがなされたのか、 知っている人がいたら教えてほしい。 「竹田現象学」と現実社会との接点と、その具体的な成果の例を挙げてみて下さい。
>>301 「三角形の内角の和は180度に等しい」と言う人がいるので、なぜか?と問うと
「折り紙で適当に作った三角形の角を切り離しつき合わせてみると、一本の直線ができる。
角度を変えた三角形で何度試しても同じ結果になる」と言うので実際やってみたら、
そのとおりなので納得した。
303 :
考える名無しさん :01/12/04 12:20
>302 質問の意味がわかりませんか? 「確信成立条件の確かめ」とはどういうことか、ではなく、 現実社会の諸問題について、身内でない誰かと 何らかの「確信成立条件の確かめ」というものがなされたか、 その具体例を知りたい、と言っているのです。 「竹田現象学」の現実社会への具体的なコミットメントの現状について尋ねているのです。
>>303 >「竹田現象学」の現実社会への具体的なコミットメントの現状
竹田現象学を何か社会的なムーブメントとして捉えておられるんだろうか?
竹田現象学は人間の思考態度の特定の社会運動を意図したり具体的なプランを提示しようと
するものではない。それは人間の思考態度を基礎的に解明しようとするようなものだから、
「竹田現象学が直接社会を変革した」か否かでは測れない。やがて多くの人に受け入れられ
るようになって社会問題の解決に役立つことも長期的には考えられるけど、まだ世に出て10
年経つか経たないかであれこれ言うのは早計。ただ個人的には仕事なり近所の交わりにおい
て竹田現象学的な発想は大いに役立ってるよ。大文字の社会問題より、個人の切実な社会レ
ベルでの有用性に竹田現象学の価値を感じる。
>竹田現象学は人間の思考態度の特定の社会運動を意図したり具体的なプランを提示しようと >するものではない。 訂正。「竹田現象学は、特定の社会運動を意図したり具体的なプランを提示しようと するものではない。」
306 :
考える名無しさん :01/12/04 23:24
「確信成立条件の確かめ」は「妥協点の確認」とどう違うんですか?
>>306 「妥協点の確認」は利害調整を基軸に行うが、「確信成立条件の確かめ」は確信の妥当性が問われた時にその根拠を個人の自己反省により浮かび上がらせるのが違いでは。
そこには他人はどう介在してくるのですか?
ダイナミックな「確信の構造」の変貌 現象学といっても、「自己」「主体」「同一性」を強調す るサルトルの系譜からデリダの現象学の方法的核心を逆説 的に考える脱構築の立場まで様々であり、更には、似ては いるが微妙に立場が違っていて反目し合っていたり(竹内 芳郎、広松渉)して、「還元」、「本質直観」等の基本的 な考え方がよく見えてこないため、「確信の構造」が了解 出来なくなってしまうだと思います。 竹田青嗣の現象学では、まず「自分はこう読んだ」「こん な考えが強く深く普遍的だ」という意見や主張を述べ合い 共鳴することからはじまります。既成の専門分野に納得の いく思想があるので学ぶというのは次善の方法になります。
310 :
考える名無しさん :01/12/05 11:47
個々人の自己省察によって吟味された「確信の妥当性」が「普遍性」へと至る道筋がわからないのですが。
age
>309 横からすみませんが、「意見や主張を述べ合」った挙句、「共鳴」していないことが明らかになったら? つまり「人はわかりあえないことがわかった」ら? それが社会の常態とあると気づいたら? 他人と「共鳴」している、していたい、という思いは、特に大学生ぐらいの年齢では非常に強固なもので、竹田氏の思想は、そこにうま〜くはまっている、という気がします。
313 :
考える名無しさん :01/12/07 01:20
>つまり「人はわかりあえないことがわかった」ら? >それが社会の常態とあると気づいたら? でも実際には人はさまざまな合意を創り上げて社会を営んでいるし、 幾何学的な証明のように普遍的に妥当するものもある。 「人はわかりあえることもわかりあえないこともある」といのが社会の常態では。
314 :
考える名無しさん :01/12/07 01:31
普遍的に妥当する、って何が?何に?
315 :
考える名無しさん :01/12/07 01:44
「妥当」とは竹田現象学的には不可疑な信念の成立を指す。
>313 >「人はわかりあえることもわかりあえないこともある」といのが社会の常態では なるほど。それはそれで間違ってはいないと思います。 ただ、私の実感では「わかりあえないこと」のほうが圧倒的に多いですね、少なくとも、私の性格と、生きる環境においては。 こんなことを私が思うのは、たぶん私が「わかりあいたい」と本当は思っているからなんでしょうね。 でも「こうありたい→こうであってほしい」という願望と、「(世界は)こうである」という認識は、やはり厳密に区別したいんですよ。 別に竹田氏の思想が間違いだと言っているのではありません。彼にとっては、おそらく真実なのでしょう。 ただ、竹田氏の思想が好きな人たちにも、それが「本当に」当てはまるのかどうか??? 「共鳴」? 美しい言葉ですが、ホントにできるんですか? ...意地悪ですかね(でも「世界」はもっと意地悪♪)
>>316 竹田青嗣は「人は必ずわかりあえる」とは言ってないはずですよ。
人々の間に合意や不可疑な信念が成立する事情を解明しようとしているだけで。
竹田氏によって解明された「人々の間に合意や不可疑な信念が成立する事情」というものは具体的にありますか?
319 :
意地悪な常識人 :01/12/08 00:17
266あらため意地悪な常識人です。 >317 そうですねぇ。たしかに「人は必ずわかりあえる」とは言っていないのでしょう。 私は、氏の言説がひとつも正しくない、「絶対に間違い」である、とは思いません。 が、「わかりあえないこと」のほうが圧倒的に多いのでは? と考えるのですよ。 極端な例えになりますが、「人は、宝くじを買えば、大金を当てることができる!」と、主張する人がいたとしましょう。 その言説は、「絶対に間違い」だとは、言えないでしょう。 ただ、じゃあアナタは全財産はたいて宝くじ買いますか? というハナシになるわけで。 宝くじよりは高い確率で「わかりあえる」のかもしれませんが、基本的にはそれぐらい「危うい」話なのでは?と思います(思想とはそういうものなのかもしれませんが……)。 竹田氏本人は、もしかしたらその「危うさ」について、よく認識しているのかもしれません。 しかし、彼の言説に引かれる人、はっきり言うと若い人たちは、そこらへんの認識はどうよ?と思いますね。
320 :
考える名無しさん :01/12/08 00:31
>が、「わかりあえないこと」のほうが圧倒的に多いのでは? と考えるのですよ。 人が社会的存在であるということだけでも十分「分かりあえることの方が多い」と考える人もいるでしょうね。 それは個人の置かれた状況でいくらでも左右されることだから実際多いか少ないかを問うても仕方がないんでは。
321 :
Маршал Боголюбов :01/12/08 00:36
そんなにわかりあいたいかな???
>>321 はは〜ん。
だからそんな名前なんだな?
323 :
Маршал Боголюбов :01/12/08 00:49
あんたとはわかりあえるだろうよ
324 :
意地悪な常識人 :01/12/08 00:59
>>320 >人が社会的存在であるということだけでも十分「分かりあえることの方が多い」と考える人もいるでしょうね。
そういう人もいるでしょう。しかし私はそうではありません、というか、とてもそんなふうには思えない。
竹田氏の「ファン」の方々はどうなんでしょう?
“人が社会的存在であるということだけでも十分「分かりあえることの方が多い」”と、心の底から思える方々なんでしょうか??
もしそうなら、正直うらやましいです。皮肉じゃないですよ。
「多いか少ないかを問うても仕方がない」ことではあります。それはその通り。
が、それで「多いか少ないか問題」が「解決」するわけではないでしょう。
この「問題」は、依然未解決のまま残ります。
竹田氏がそういう「問題」の解決を課題に掲げてるんですか?
326 :
レヴィ茄子 :01/12/08 09:00
竹田さんが本名を名乗らない、 もしくは敢えて選ばないのはどういう訳でしょうか?
>>326 民族主義への反発だったらしい。でも今はそれほどこだわってないそうです。
328 :
意地悪な常識人 :01/12/08 19:18
>325
私が、
>>319 >が、「わかりあえないこと」のほうが圧倒的に多いのでは? と考えるのですよ。
と言い、それに
>>320 さんが
>人が社会的存在であるということだけでも十分「分かりあえることの方が多い」と考える人もいるでしょうね。
と応じ、さらに「実際多いか少ないか」と「問題」を提出し、それを「問うても仕方がないんでは」と処理してみせた。
私は、結果論としてのその「仕方がない」に同意はするけれども、それで「実際多いか少ないか」という「問題」が「解決」できたわけではないですよ、とクギをさしたのです。
竹田氏が課題に掲げていようがいまいが、議論の成り行きからいって妥当な注釈だと思います。
329 :
考える名無しさん :01/12/08 22:40
「確信成立条件の確かめ」という考え方は何となくわかりました。 「確信の妥当性」を自己省察によって吟味すること。 それはどちらかと言えば自己の内部の問題ですよね。 それが「普遍性」とまで感じられるまでには、何らかの「他人」とのやりとりが必要ですよね。 竹田氏や読者の言う「普遍性」ってそのやりとりの存在があまり感じられないんですよ。 「もうわかっちゃっている者」同士が共通認識を交換しあっているという構図しか見えてこない。
330 :
考える名無しさん :01/12/08 23:02
>>328 「多い・少ない」というだけは感覚的で曖昧ですね。
それが「問題」だから「提出」すると言うなら、まず「人がわかりあう」とは何なのか、
どこまで何ができれば「わかりあった」ことになるのか、何を基準にして「多い・少ない」を
決めることができるのか、それらを明確に客観化した上でなければ「問題」として共有するま
でに至らないでしょう。
>「もうわかっちゃっている者」同士が共通認識を交換しあっているという構図しか見えてこない。 現象学では世界の実在や科学的定説をいったんエポケーして確信の根拠を問うわけだけど、他者の実在もエポケーの対象に含まれるわけで、人によってはそれを了解することにかなり抵抗があるというのが説明の難しさなんじゃないかな。
332 :
意地悪な常識人 :01/12/09 01:19
どうも、つい「まったりと語る」という趣旨から外れてしまいますな。
すみません。>ALL
>>330 私の言う「多いか少ないか問題」は、純粋に数学(というより算数)的な意味で、ちっとも感覚的でも曖昧でもないですよ。
ちょっとよくわかりません。
それと、「実際多いか少ないか」と「問題」を提出したのは、320さんですよ。
>312 「本質直観」は、「生きがい」や「生きる意味」といった言葉 が登場するようなテーマには適するのですが、一人一人に「生 きる意味とは?」とは問えないようなテーマ(「小説とは何か 」、「野球とは何か」)は、本質直観には不向きです。また、 裁判官ような面持ちで両者の間の食い違いの原因は何か、真実 はどこにあるのか、などという態度で聞くのは愚の骨頂になり ます。「共感的に」「受容的」聞く、ということから始まりま す。他の人々の思考と絡み合った時の「張り・手応え」を感じ ながら哲学することを教えてくれるのが竹田青嗣の現象学です。
>>332 「純粋に数学(というより算数)的」ということは、「人はわかりあえないことが多い」ことを示す実証的データ
でもお持ちなんですか?
>それと、「実際多いか少ないか」と「問題」を提出したのは、320さんですよ。
というので320を見ると、・・・
>320 :考える名無しさん :01/12/08 00:31
>>が、「わかりあえないこと」のほうが圧倒的に多いのでは? と考えるのですよ。
>
>人が社会的存在であるということだけでも十分「分かりあえることの方が多い」と考える人もいるでしょうね。
>それは個人の置かれた状況でいくらでも左右されることだから実際多いか少ないかを問うても仕方がないんでは。
320は「実際多いか少ないかを問うても仕方がない」と言っている。
「「実際多いか少ないか」と「問題」を提出したのは、320」というのは誤りですね。
それに意地悪な常識人さんは「実際多いか少ないかを問うても仕方がない」ことに「同意」していますが、
「問うても仕方がない」なら、それは「問題」ですらないのでは。
>>333 そんなふうに言うから竹田現象学を「人はわかりあえるはずだ」と信ずるロマン主義の
ような誤解が後を絶えないんじゃないだろうか。思考てのは大体違和感からの批判的吟
味として始まると思うんだが、「共感的に」「受容的」だけじゃ掘り下げては行けない
と思う。
336 :
意地悪な常識人 :01/12/09 02:10
>>334 実証的データは持っていない。
「わかりあえないことが多い」ことは、信念とは言わないまでも、語るまでもないことだと思っている。
「少ない」という人がいるのなら、どうしてあなたはそう思えるの?と聞きたくなります。
結果論としての「仕方がない」に同意はする。
しかしそのことをもってして「解決」したとは思わない、思えない。
どうしてもきつい言葉になるが、単に「問題」を誤魔化しているだけだと思う。
「問うても仕方がない」などというのは、逃げにすぎない。
私は逃げ、誤魔化している。「問うても仕方がない」に同意するすべての人もね。
337 :
意地悪な常識人 :01/12/09 02:20
338 :
考える名無しさん :01/12/09 02:30
>>334 実証データも無いのにどこが「純粋に数学(というより算数)的」なんでしょうか?
>結果論としての「仕方がない」に同意はする。
ではなぜ「人はわかりあえることが多いか少ないか」を「解決」することにこだわるんですか?
340 :
意地悪な常識人 :01/12/09 02:39
私の
>>316 の焼き直しになりますが、
「こう考えるのが自然である(妥当)」→「こう認識してよいだろう」式の考え方には、
必ず「こうであってほしい」という「願望」が入る。
認識と願望は、厳密に区別したい。
単純な、しかし困難な話です。
>>340 >認識と願望は、厳密に区別したい。
それが「人はわかりあえることが多いか少ないか」を「解決」にこだわる動機だと?
しかし意地悪な常識人さんは「人はわかりあえないことが多い」という「認識」を正しいと信じたいという願望からは自由でないように見えます。
343 :
意地悪な常識人 :01/12/09 03:35
>>338 私は、自分のこの「わかりあえないことが多い」という実感を、うわっつらはともかくとして、世間一般の常識的な感覚だと認識している。
それを
>>330 「感覚的で曖昧」と言われ、
>>332 「純粋に数学(というより算数)的な意味で」と応じた。
私のこの表現は、たしかに言い過ぎなのかもしれない。
が、「実際多いか少ないか」ということを「感覚的で曖昧」と片付けられては、たまらないです。
>ではなぜ「人はわかりあえることが多いか少ないか」を「解決」することにこだわるんですか?
「結果論として」と繰り返しているでしょう?
「問題」は存在する。
→ が、「解決」は困難そうだ(あくまで「そうだ」)。
→ 了解も納得もできないが、受け入れるしかない。
(→ 今は折れたが、「解決」手段が見つかれば、いつでも「問題」に立ち向かってやろう)。
ということです。
それを、「問題」そのものが存在しない(しなかった)かのように考える発想は、疑問です。
無論そう考えたほうがラクですから、実社会に生きる上での処世術として、この発想をしてはいけない、とは言いません(言えません)。
344 :
意地悪な常識人 :01/12/09 03:53
>>341 違います。自分が物を考える時の戒めであり、
「事実」と「主観」、「科学」と「信仰」を区別する上での、
重要な指針だと思っています。
>>342 おっしゃる通り、自由ではありません。その自覚はありますよ、もちろん。
が、自由でないにも関わらず、自分が正しい認識をしているかのような錯覚に陥るよりは、マシだと思っています。
自分の不自由さを常に認識しつつ、より自由になろう(願望)とあがいていたいものです。
345 :
考える名無しさん :01/12/09 10:09
>344 自分の不自由さを認識しつつ、より自由になろうとあがく、というのは、 思考法として、ごく自然なことだと思います。それって、竹田現象学の 方法論と、対立しないと思います。と、いうのも、竹田現象学では、 「私がこう考える」ということの理由、つまり確信成立の条件を考える、 ということを一番の出発点にしているので。共感、というニュアンスはそんなに 強くないと思います。竹田自身も、「共通了解」という言葉は少し強すぎる、 という感じは持っています。ただ、意地悪な常識人さんは、どういったプランが 考えられると思いますか。たとえば、価値観の著しく食い違う人間と、殺し合わず に済む方法があるとすれば、現象学的還元、という方法論は、ある強度を持つ と思います。少なくとも日常レベルでは。もともと、こういう認識問題は、プロテスタントと カトリックの対立に端を発しているわけですし。そこで、「わかりあえるわけねーんだよ」 というポーズをとる、というのも、考え方としてあると思うんですけど、それこそ、 逃げではないかと。思います。そもそも、竹田現象学が自分の不自由さに無自覚である、 というならば、それは間違いです。還元、エポケー、という概念は、そのためにあると思います。
346 :
考える名無しさん :01/12/09 10:19
>価値観の著しく食い違う人間と、殺し合わずに済む方法があるとすれば、 >現象学的還元、という方法論は、ある強度を持つ 相手が現象学的還元という考え方と一切無縁の人間であっても、ですか?
347 :
考える名無しさん :01/12/09 11:02
お前らの理屈は、スノッブの間でしか共有されない
>>343 >私は、自分のこの「わかりあえないことが多い」という実感を、うわっつらはともかくとして、世間一般の常識的な感覚だと認識している。
意外とそうでもないと思いますよ。「人はわかりあえないことが多い」と好んで言う人っ
て大体インテリ志向で自意識が強いタイプでしょう。人付合いとか得意じゃないから生き
難さを抱え込んでしまい、それが自身に由来することを認めたくないためつい「人はわか
りあえない」と一般化して語りがちなんじゃないですか?自分のせいじゃない、自分だけ
じゃない誰だってわかりあえないんだ、それで普通なんだと思いたいという。どちらかと
いうと青年期の自我確立に付きものの悩みだと思います。世間一般の人はそういう段階を
経てそれなりのスキルを身に付けうまく生きていく。そうなれば「人はわかりあえない」
とかことさら意識することもないんじゃないですかね。そういう意味では意地悪な常識人
さんにはまだまだ意地悪さがたりないようにお見受けします。
>が、「実際多いか少ないか」ということを「感覚的で曖昧」と片付けられては、たまらないです。
しかし「多いか少ないか」だけでは主観的・感覚的で曖昧ですよ。何を基準に多いか少な
いか決められないし、何ができれば「人がわかりあった」と認めるのかも決められない。
客観的な議論の対象にはなり得ない。
そもそも「人がわかりあえることが多いか少ないか」という問題の立て方自体がおかしい
と思いませんか?「多い」「少ない」どちらに決まったからといってそれで何が「解決」
するとも思えない。だから「問うても仕方がない」。それよりも意地悪な常識人さんにと
っては「どうすれば人は(自分は)もっと他人と『わかりあう』ことができるのか」こそ
「解決」すべき問題なのではないですか。
>>346 >相手が現象学的還元という考え方と一切無縁の人間であっても、ですか?
「殺し合う」のどうのという極限状態はさておき、現象学と一切無縁の人とでも
「還元」の方法論は経験上ある「強度」を持っていると感じる。
卑近な例だがマンションの管理組合でも根拠が見失われたまま無意味な慣習と化
して不都合をきたしているルールがあったりした場合、それが真に必要なのかど
うかを問い詰めて行くのに、慣習や常識を取っ払って考える「還元」はそれなり
の効力を発揮する。職場での効率化にも役立ってるよ。人は慣習や常識に頼って
考えることをなかなか棄てられないものだから、それらを意識的にエポケーする
ことで思考の自由度は確実に広がる。
、、、、、、、、、、
351 :
意地悪な常識人 :01/12/09 15:01
>>345 1.真っ向から対立してないのは、わかります。
2.「確信成立の条件を考える」のは、結構。しかし、そこを「出発点」にして、なぜ「出発」しなければならないのか?という問いはありますか?
「出発」すること自体を全否定しているのではないですよ(してもいいとは思いますが)、「出発」する際に、「良い目的地があってほしい」という「願望」が、いつしか「良い目的地があるはずだ」という「認識」にスリかわっていませんか?
3「共通了解」という言葉は少し強すぎる、 という感じを、竹田氏が持っていると言うのは、初めて知りました。私としては、希望が持てますね。
4.プランはありません。
5.現象学的還元ですか。それを日常レベルでどこまで「本当に」やれるか、ですねえ。
やれんの?という「意地悪な」疑問が湧いてきますね。
大学生、18歳で竹田現象学に出会い、日常レベルで現象学的還元を始めたとしましょう。それを続けられたとする(それもかなり困難なことだと思いますが)。
しかし、生まれてからこの方、物心ついてからも10年以上は、既に生きているわけですね。思春期という、「物をよく考える」年頃も経ていますね。それらの時間で身につけてしまった己の「(現象学的でない)思考のクセ」を、どこまで分析・解体できますか?
どんなに「ここから出発だ」と思いたくても、「大学生、18歳」は、すでにとっくに「出発」してしまっていますよ。そこに、途中から都合よく(竹田現象学を)「つぎ木」していやしませんか?
6.「それこそ、逃げではないかと。」……痛い言葉です。
7.「竹田現象学が自分の不自由さに無自覚である」とは、言いません。しかし特に自覚的だとも思えません。
8.念の為にもう一度言いますが、
>>319 で書いた通り、私は、竹田氏の思想が「絶対に間違い」だと言っているのではないのですよ。
彼の言説に引かれる、特に若い人が、どうかなあ、と思うのです。
リンゴを手にして、
「これはリンゴか、それとも、う〜ん……」と「本当に」悩み、悩み苦しんだ挙句、
「わかった! 間違いない! これはリンゴだぁ! 俺たちはやったぞぉ!!!」という人たちでしたら、いいのです。
しかし、どうも、
「これはリンゴだ」
で、終わるような人たちには、思えないんですよ。
そこから、どこかに行こう(出発)という願望が強い人たちに思えてならない。どこに行くの?行く時に忘れ物はないの?というかすかな不安がぬぐえません。
レイシズム的なものは論外として、よそからあやこや言われることにも、罵倒に聞こえるかもしれませんが、三分の理がありますよ。
352 :
考える名無しさん :01/12/09 17:41
そんな大層なところへ行こうとしているわけではない。 常に時代の後を追っているだけなのだから。 本人たちは1歩先を行っているという確信を持ちつつ。
意地悪な常識人氏のいってる内容は宮台読者が言いそうなことだな。 羹に懲りて膾を吹くというか、竹田現象学を禿げしく誤解したまま仮想敵にして撃ちまくってる。
確かに誤解してるね。かなり誤解してる。 竹田現象学は批判しないが、その読者は批判するというのも。。。 結局、印象批判なんだよな。 今までの煽り連中みたくタチは悪くないみたいだけど。
せめて「はじめての現象学」くらいは読んでからいってほしい。
356 :
考える名無しさん :01/12/10 03:12
で、女性の竹田ファンっているのかね?
357 :
考える名無しさん :01/12/10 04:12
>「人はわかりあえないことが多い」と好んで言う人って大体インテリ志向で自意識が強いタイプでしょう。 >人付合いとか得意じゃないから生き難さを抱え込んでしまい、それが自身に由来することを認めたくないためつい「人はわかりあえない」と一般化して語りがちなんじゃないですか? >自分のせいじゃない、自分だけじゃない誰だってわかりあえないんだ、それで普通なんだと思いたいという。 >どちらかというと青年期の自我確立に付きものの悩みだと思います。 >世間一般の人はそういう段階を経てそれなりのスキルを身に付けうまく生きていく。 >そうなれば「人はわかりあえない」とかことさら意識することもないんじゃないですかね。 つまり自分は大人でありお前は子供であるって言いたいわけね。 こういう非難は竹田氏の著書のほとんどの購買層である若者には有効かもね。 でも、「人はわかりあえない」というか、他人との齟齬感というものは青年期に限らず多かれ少なかれ不断に回帰する問題であって「克服」するような代物ではない。 そして、それは「自身に由来する」だけの問題じゃない。 あくまで他人とのやりとりの中で具体的に生起するものだからだ。 「インテリ志向で自意識が強いタイプ」はこうであると一般化して語り過ぎなんじゃないですか? 他人との齟齬を感じる者が「自分のせいじゃない、自分だけじゃない誰だってわかりあえないんだ、それで普通なんだと思いたいという」人間ばかりじゃないでしょ、別に。 そう決めつけたいという気持は伝わってきますけどね。 「世間一般の人はそういう段階を経てそれなりのスキルを身に付けうまく生きていく」って、そういう段階って必ず踏まなければダメなんですかね。 いわゆるインテリとは言われない人間だって他人との齟齬感はいつも抱えていることだろうしね。 これが現象学的還元ってやつだったら笑わせるよ。 「慣習や常識を取っ払って考える」割には、何かに縛られた考え方という印象しか持てないから。
>>357 まあそうは言うけど、その都度生起する個別の齟齬感を「人はわかりあえない」と普遍化してかたるのは自我肥大の危険を孕んでるんじゃないですかね。
百歩譲ってそういう実感を持つということは大いにありうるとしても、それが固有の確信に過ぎないという自覚を欠いたまま「人はわかりあえないことの方が多い」という「認識」に
こだわりつづけるのは、やはり自意識過剰だと思うし客観主義的態度だと思いますよ。
現象学的還元はそれらを背理としてしりぞけるだけのことですから。
あと「そういう段階って必ず踏まなければダメ」とは全然思ってないし言ってないので。 ただ個別の齟齬感を世界全体の認識に拡大する危険性には常に自覚的でありたいですね、って ことだけですんで。
工房のとき、駿台で西研先生の授業受けたなー。 ハイデガーの説明(授業とは関係ない)しだして、自分の本の説明まで... でもそれから興味もてたので感謝してます。 そして入った学部に竹田先生いるし..
ども。久しぶりです。 面白い議論が続いていると思います。 でも、ちょっと袋小路に入っちゃってる。 こういう場合は、徹底して原理にたちかえる必要がありますね。 意地悪な常識人さんの文脈に即して言う限り、「人は絶対に分かり合えない」 というのは現象学では大前提です。人は分かりあえないんです。 この前提をすぐに忘れちゃうから、袋小路に入っちゃう。 原理を徹底すれば、「人は分かり合えない」。これが大前提。 でも人は主観内部で「僕と君は分かり合ってる」と確信することがある。 「確信」とは知覚とか感情みたいなもんで、「向こうから」やって来るもの だから、恣意的なものでは無いです。その存在を否定することは出来ない。 現象学では「実際に」分かり合っているかどうかは問題じゃないんです。 「実際に」どうなのかは誰にも分からないこと。 ていうか、そんなものは存在しないんです。 科学という手法は、その存在しない「実際」を、ある文脈で コード化し、「共通了解」を生み出す方便です。 ていうか、そうでなくてはならないというのがフッサールの言い分です。 科学という手法を、「実際」に近づけるための手法と考える限り、 それは形而上学であり、真理主義であり、実証主義であり、ルサンチマン であるというのがニーチェの言い分です。(必ず挫折し、結果ニヒリズムに陥る)
ところで、上記の「共通了解」は、「実際」より、便利なんですね。 複数の人間による争いごとを解決するにも、「実際はこうなんだから、 これに従うべき」というやり方でやると、今のパレスチナ問題をみる までもなく、絶望的なんです。 で、現象学の究極の目標は、人が価値や意味を生みだし、またはそれを 作りかえる構造原理を明らかすることだから、「共通了解」を生み出す ための武器になるわけです。 ただ、それだけのこと。 勿論、その「共通了解」も主観内部の確信に過ぎないのですが、 「実際」なんてものを暗々裡に想定しちゃっているから、 「我々は実は、分かり合えていなかったんじゃないか」との疑いが 深刻なものに思えるわけです。 それに、疑いは生じるのは当たり前のことなんですね。 そんなことよりもっと重要なのは、その疑い自体が、主観の内在、 竹田さん流にいえば確信成立条件があるからこそ生まれるということ。 内在がなければ、疑うことすらできなくなる。
あと何処まで突っ込んで話していいのか分かりませんけど、 竹田さんが「共通了解」といったとしても、それには3つの条件があって、 一つは「それは常に相対的なものであるということ」。つまり、絶対的 な共通了解の形があらかじめ想定されているというわけではなく、 了解する人々の関係によって様々なありようがあるということ。 二つ目は「それはつねに可能性であるということ」。つまり、わかり あえる可能性があるから、それを追求するだけなんです。 必ず解答が得られるわけではない。ダメだったという確信が生じたら、 別の可能性を追求するだけです。 三つ目は「それが一つのエロスであること」つまり共通了解することが 我を通すより心地よいということ。それが感じれなければ、共通了解 する理由が無いんですね。 竹田現象学はその語り口もあって、やはり少し誤解されている 部分がありますね。フッサールよりはマシだけど、やはり何処か 真面目に誠実に自己を省みれば、それで他者とも世界とも分かり あえて、「ほんとう」の生き方ができるみたいな、わけのわかならい コノテーションが蔓延しているみたい…… ま、とにかく、一切は主観内部の出来事だという、とんでもなく ラディカルな大前提を忘れないようにしてちょーだいネ。 分かり合えるもへったくれもすべては主観内部の出来事なんです。 ではでは。
何だかどうでもよくなってきました。 マンションの管理組合での折衝と職場の効率化、頑張って下さい。 ではでは。
どんどん進みますねえ。
>>348 >意外とそうでもないと思いますよ。「人はわかりあえないことが多い」と好んで言う人っ
>て大体インテリ志向で自意識が強いタイプでしょう。人付合いとか得意じゃないから生き
一般論ならわかります。
私個人に関しては、自意識はともかく(笑)「インテリ志向」ではないと思ってます。
私の文章を読んでいれば勘付けるかもしれませんが、そもそも私は、哲学・思想畑の人間ではありません。
>経てそれなりのスキルを身に付けうまく生きていく。そうなれば「人はわかりあえない」
>とかことさら意識することもないんじゃないですかね。そういう意味では意地悪な常識人
>さんにはまだまだ意地悪さがたりないようにお見受けします。
スキルですか。
これも一般論ならわかりますが、そのために特別に竹田氏の言説が必要なんでしょうか。
結局趣味の問題という気もしますが。
「ことさら意識」しているかは、難しいですね。毎日毎日そんなこと考えているわけではないですよ。ここを見ていて言葉が出てきたのは事実ですがね。
>と思いませんか?「多い」「少ない」どちらに決まったからといってそれで何が「解決」
>するとも思えない。だから「問うても仕方がない」。それよりも意地悪な常識人さんにと
>っては「どうすれば人は(自分は)もっと他人と『わかりあう』ことができるのか」こそ
>「解決」すべき問題なのではないですか。
竹田現象学(の議論における応用?)とは便利にできていますねえ。
自分の中でどういう道筋で処理しようが「スキル」と言えましょうが、他人には他人なりの道筋というものがあると思います。なにを「すべき」なのかは、自分で決めますよ。
「正しい(近い? ラクな?)道筋を教えてあげるよ」という、小さな親切大きなナントカを感じますよ。遅れて/迷っている者を教導してあげよう(するのが使命? すれば感謝される?)という、それこそ(一昔前の)インテリくささも。
(↑こういうところが自意識が強い。がしかし、言われるほうの身になってみろよってやっぱり思ってしまいますね。)
「便利」と認めつつ、それを私が使わないのはなぜでしょう?
私は、日常レベルにとどまって、「自分が意固地な性格だから」と処理します。
意固地な性格=不自由、だとは感じます。時にそんな自分にウンザリもします。
それでも私は別の人間になりたくないし、愚かと言われようと警戒心が働くんですよ、そうやって「便利」に考える時に、何か忘れ物をするんじゃないかって。
(↑こういうのって、竹田氏の支持者にとって、格好のネタというか、カモがネギしょってやってきたって感じなんですかねえ...)
>>353 そういう、すぐ誰の読者だとかカテゴライズしたがる性根の人間が、その点に無反省のまま思想の現場に関わる状況を「思想の敗北」と言うんではないですかね。
それに宮台氏の読者でしたら、もっとこなれたというか、ソフィストケイトされた書き方をしそうです。私はアナクロな人間ですよ(「性根」とか言ってしまってますし)。
「羹に懲りて膾を吹く」という状態は、視野が狭くなって自分(私ですね)が損するだけの状態で、それが決定的に間違っている、してはいけないことだとは言えませんね。
まあとはいえ、私へのご指摘としては当たっていると思います(笑) 書いていて、我ながら己の意固地さにおかしくなります。
「誤解」に関しては、言われると自信がなくなりました。
>>354 竹田氏に対する批判が的外れなものが多いのは、私も少しは承知しているつもりですが。
しかし、竹田氏の言説は現象学の分野にとどまっていないのですから、今後も私のこれのように、様々な視点からの疑問・異論が出てくるでしょう。
望む方角からだけ弾丸が飛んでくるわけではありません。
「竹田現象学は批判しないが、その読者は批判するというのも。。。」
。。。の次はなんでしょうね?
私は、竹田氏の言説そのものも無視はしませんが、その影響力のほうも気になりますね。
氏当人に失礼だという以外に、気にし、論ずること自体がいけないという合理的な理由は、ないように思いますが。
私の「つぎ木」に関しては、どう思います?
現象学以外で幼児期から人間社会を観察し、そこに関わり、人格形成をしてきた人間の行う、特に「(人間)社会」に対する
「現象学的還元」というのは、自分がそれまでの人生で培った、物事を認知する際の「クセ」に目を光らせておかないと、充分に機能せず、
「還元したつもり」で終わってしまいませんか?
自分ひとりなら中途半端でもかまいませんが、それを根拠に他人や社会に物を申すのはいかがなものか、ということですね。
「現象学的還元」を、原理的に捉えすぎなんですかね、私は。
私は、自分が物事を認知する際の「クセ」というか、まあ歪みには、言語化はうまくできませんが、自分なりに目を光らせているつもりです。
かなり歪んでる人間だなあとは思い(認識)、
何とか改善したいなあと思いますが(願望)、
まあこれが、少なくとも今の私であって、改善できるかどうかは可能性の問題で未知数、だと捉えています(認識)。
こういうのもカモネギなんですかね。疲れました。
>>361 >>362 >>363 興味深く読ませていただきました。
368 :
考える名無しさん :01/12/11 00:38
>意地悪な常識人さん 現象学的還元、というのが、つまり、 「クセ」がある、ということを、 しっかりと認識する、ということなんだと思います。 その培ってきた「クセ」もまtあ、確信成立条件の ひとつだと思うんですがいかがでしょうか。 改善できるかどうかはは可能性の問題で未知数である。 それについてちゃんと考えたい、わけですよね。 よーするに、答えは自分で出したいので、外側から 便利そうなものを持ってこられても、いまいち信用できない、 というか、主体性が削がれる、ということなんでしょうか。 意固地である、という認識がある、ということは、そういうことなんですか?
>>366 >スキルですか。
>これも一般論ならわかりますが、そのために特別に竹田氏の言説が必要なんでしょうか。
誤解しないでほしいのは、「竹田現象学を学んで大人のスキルを身につけろ」とはひとことも言っ
てない点。あくまで論点は「『わかりあえないことが多い』は世間一般の常識的な感覚」という意
地悪な常識人さんの「認識」に対して反対の認識があることを言ったまでです。竹田現象学は処世
術の伝授じゃないんで。
> 「正しい(近い? ラクな?)道筋を教えてあげるよ」という、小さな親切大きなナントカを感じますよ。遅れて/迷っている者を教導してあげよう(するのが使命? すれば感謝される?)という、それこそ(一昔前の)インテリくささも。
(↑こういうところが自意識が強い。がしかし、言われるほうの身になってみろよってやっぱり思ってしまいますね。)
そのわりには竹田読者に「忘れ物はありませんか?」なんて注意を促してますけど、これは「大き
なお世話」とは思わないんですね。(苦笑)あなたの言うとおり、人間とは都合よくできているも
のですな。
私が疑問だったのは、意地悪な常識人さんがなぜそれほどまでに「人はわかりあえないことが多
い」と世界を確定するのに固執するかです。自分ひとりの確信として持つなら自由ですが、それを
竹田読者にまで向かって、客観的な正しい「認識」として認めさせようとするかのような過剰な情
熱が解せない。348で述べたように、実際の社会で「人はわかりあえないことが多い」かどうかは
曖昧かつ個々の主観に左右されるため、客観的には確定しえない問題です。
竹田現象学では「実際はこうである」ということに固執するのは主観の外側の客観を想定すること
ですから背理です。だから「実際はこうである」と問わずに「その"実際"は私にとってどんな意味
をもって現れているか」「実際はこうである、と問うことによって私は何をしたいのか」と、問い
の形を主観の方に向かって変更するわけです。だから「実際人はわかりあえないことが多いか少な
いか」より「どうすれば人は(自分は)もっと他人と『わかりあう』ことができるのか」こそ問題
では?と聞いたんですが、それを単におせっかいとしかとれないなら仕方ないです。もうあきらめ
の境地。
死刑囚。さんが言うように、主客の一致がありえない以上原理的には他人同士が100%「わかり
あう」ことはない。にも関わらず人は社会を共有し合意を創ることができるという事実を疑えない。
「人はわかりあえない」という一種の感傷に浸るだけでは、このリアリティーを説明できない。少
なくとも「わかりあえない」に固執する無力主義には私は懐疑的ですね。
前スレで死刑囚。氏がいってた竹田批判がやっと腑に落ちた。 逆説的にだけど。自分で書きながらそのデジャ・ビュに笑ってしまった。
371 :
考える名無しさん :01/12/11 03:45
わかりあえないことが多い中にもわかりあえることも確かに存在する。 では、その「わかりあえる」という感覚はどのように成立しているのか? これが(竹田の)現象学。わかった?
372 :
考える名無しさん :01/12/11 04:21
わかりません、先生!!では最初からやりなおしである
373 :
考える名無しさん :01/12/11 06:19
自己愛の強すぎる依怙地っ子には還元は無理なんじゃ。 諦めーィ。
自分(達)にとって都合の悪いことは「還元」の対象にはならないように見受けますが。 そしてその「還元」のやり方も決して自分に都合の悪いようにはなされない。 単なる自己肯定にしか見えません。 自己肯定一般を悪いとは言わないけど。 その「自己肯定」をしようとする心の働き自体の「還元」を避けているのではないでしょうか。
その曖昧な言い方から還元しないとね。>374 だから印象批評って言われるんだよ。具体的に言って突っ込まれないように予防線張るにはいい手かしらんけど。
ごめん、「自己肯定」という言葉は甘かった。 「自己正当化」の方がより適切でした。
その内実を明らかにできるかい?
>>369 一晩たって冷静に読み返すと、頭の悪い人代表みたいな感じですね、私の文章(366、367)。
弾丸だのなんだの、恫喝めいた言い方をしたことも申し訳無いです。
>そのわりには竹田読者に「忘れ物はありませんか?」なんて注意を促してますけど、これは「大き
>なお世話」とは思わないんですね。(苦笑)あなたの言うとおり、人間とは都合よくできているも
>のですな。
ご指摘の通りです。この批判は取り消します。
価値観や思想、利害が異なり対立する、「議論」という手続きの最中に、
>>320 「〜かを問うても仕方がない」
>>338 「なぜ〜を「解決」することにこだわるんですか?」
という言い方をされて、思想より前に「主張」を封じこめようとしているような
印象を持ち、カチンときてしまったんです、私は。
ここの議論では利害は異なりませんが、こういう言い方は誤解を招くと思います。
>>374 「自分(達)にとって都合の悪いこと」とはなんでしょう?
「自分に都合の悪いようにはなされない」「還元」の実例も教えていただきた
いです。
>>376 竹田現象学の還元は「自己正当化」を解体することで成り立つ方法論ですよ。
自分に「これは正当である」という確信が訪れたとき、その理由を確信を解体
するような形で取り出す、神・科学・常識などの聖域をその理由とすることを
徹底的に解体するわけですから、それらを援用して自己正当化を図ることはで
きません。
また確信の理由を隠蔽してその正当性を聖域化せず他者に向かって開示するの
ですから、誰もが対等の権利でその妥当性を吟味することができます。批判点
があれば当の理由に即して語ることができる。そういう意味でも竹田現象学の
還元は開かれた思考法だといえるでしょう。
つい、自分の職場の(日本では珍しい?)ヒートする議論を、想起してしまったのですよ。 ウチでこんな言い方したら、大変なことになりますよ。 「ファシスト!(笑)」とか(どんな職場だ)。 ウチでなくとも、よその会議でも「え?」という感じになると思います。 利害がですよ、対立しあう会議でですよ。
しかしこれはもう、竹田現象学とは関係ないですね。 しばらく書き込みは控えます。 それでは。
383 :
考える名無しさん :01/12/12 00:19
>>377 >>380 例えば、最近の書き込みで「わかりあえるか」「わかりあえないか」というやりとりがありました。
「意地悪な常識人」氏が『自分のこの「わかりあえないことが多い」という実感を、うわっつらはともかくとして、世間一般の常識的な感覚だと認識している』 が述べました。
それに対して
>>348 氏は、その感覚は「インテリ志向で自意識が強いタイプ」の性質によるものだ、と「還元」してみせた。
「わかりあえない」と主張する本当の理由はこうなんじゃないか、と掘り下げて洞察しているわけですよ。
私は「還元」というものを
>>348 前段のような思考方法だと認識しています。
その確信を
>>357 に読まれるように私は疑問に付しました。
『「インテリ志向で自意識が強いタイプ」はこうであると一般化して語り過ぎなんじゃないですか?』と。
そして「そう決めつけたいという気持は伝わってきますけどね」と、その確信はかなり個人的な願望が入った見方であると皮肉を込めて言いました。
そこで、
>>348 氏は、何で自分はこういう見方をしたのか、という疑問にまで至らないのか、と問いたいわけなんですよ。
どうして、その確信の理由を、
>>348 で「意地悪な常識人」氏に対してやったように自分自身に対して掘り下げて洞察してみないのか。
>>357 に対して返ってきた言葉といえば
>>358-359 ですが、こんなの歯切れの悪い自己正当化の試み以外の何も感じられません。
「その理由を確信を解体するような形で取り出す」という建て前とは程遠いですよね。
そういうところが甘い、というわけです。
384 :
考える名無しさん :01/12/12 00:31
だから「自己正当化」を解体するという「自己正当化」じゃない?
・・・ということによって、貴方は自分を「自己正当化」してるんじゃない?
>>383 >「意地悪な常識人」氏が『自分のこの「わかりあえないことが多い」という実感を、うわっつら
>はともかくとして、世間一般の常識的な感覚だと認識している』 が述べました。
>それに対して
>>348 氏は、その感覚は「インテリ志向で自意識が強いタイプ」の性質によるものだ、>と「還元」してみせた。
ん〜。別にその部分は「還元」として書いたわけではないんですが。意地悪な常識人氏の「世間一
般の常識的な感覚」とか「竹田氏の物言いにひかれる若い人」といった表現にことさら世間知を全
面に出すようなニュアンスを感じたので、「世間知で言うなら、こんな見方だって世間には一般的
だぜ」という、やや皮肉っぽい意味を含めて、また「わかりあえないことが多い」という実感が必
ずしも「世間一般の常識的な感覚」とは言い切れない、と言うために書いたものです。だからあな
たの言うとおり「インテリ志向」云々は単純化した見方ではあるけど、それがそのまま私の意見だ
というわけではありません。今読み返せばそう取られても仕方のない書き方だったことは否定しま
せんが。
>
>>357 に対して返ってきた言葉といえば
>>358-359 ですが、こんなの歯切れの悪い自己正当化の試
>み以外の何も感じられません。
>>358-359 は
>>357 への個別の反論でしたが、あなたが「インテリ志向」云々を丸まま私の考えだと
取ったために(それは私の書き方のせいでもあるが)受け取ってもらえなかったようですね。一部
繰り返しになるけど、私は「スキルを身につけて大人になれ」と他人にえらそうに言う気はありま
せん(「大人」とは何かが抽象的ではっきりしないから)。またあなたの言う「(他人との齟齬感
は)自身に由来するだけの問題じゃない」ことにも同意します。確かにそれはシステムの構造的な
矛盾など他者との関係性の中で不断に起こりうる問題ですが、しかし個別の齟齬感が「人はわかり
あえない」「それが世間の常識」という普遍化された「認識」にまで高められるには、やはり観念
的な飛躍があることを感じずにはいられません。なぜなら一方で人は社会を営み矛盾を解決して合
意を形成するという「本来わかりあえなかった人同士がわかりあっている」という場面を不断に経
験しているからです。それを無視して「人はわかりあえない」という「認識」に固執するのは一種
の真理主義ではないか?(現象学的にも背理である)というのが私の真意です。
(…とここまで書いても「歯切れの悪い自己正当化」と言われてしまうかもしれないけど、一応書
きます。)
387 :
考える名無しさん :01/12/12 12:42
>>385 そういうことによって貴方は・・・
っねだから意味ないんじゃない?
自分で自分を疑ってるなんて標榜してもしょうがない
それこそ暗に俺は正しいと言ってるようなもん
冗談はよしな。 そんな甘チャンな答えで満足するほど 君の脳味噌はヤワじゃないはずだ。 違うか!?
>>387 >自分で自分を疑ってるなんて標榜してもしょうがない
>それこそ暗に俺は正しいと言ってるようなもん
いや、ちょっと違うんだな〜。
確かに「私は自分を疑うことを知っている」→だから自分の正しさを疑わないお前らより
正しいことが言えるんだ、…と暗に示すが、実際言ってる内容はムチャクチャという人は
沢山いるね。
しかし竹田現象学の「還元」はただ「自分を疑う」ことに要点があるのではない。
「疑う」ことによって・疑ったにも関わらず、なお「この『正しさ』を俺は疑えない。そ
れは一体なぜなのか?」という、その理由を明らかにしようとするのですよ。
「『疑える』から俺は正しい」じゃなくて「俺はこの正しさを『疑えない』」。
「疑えない」というのがミソなのだ。しかもこの「疑えない」は「正しさ」の客観性を少
しも保証しない。疑うことによって取り出された「理由」が客観的には間違いだと見なさ
れる可能性は幾らでもある。現象学的還元は「正しい」結果を示すことできる、というの
は間違いで、自分が「正しい」と思う理由を「他者の批判的吟味に晒す」だけ。これこそ
が当面の目的なわけ。批判的吟味による客観化という段階を経て初めて共通了解を得る可
能性が開ける(常にとは限らないが)。それが竹田現象学の利点だと私が考える理由。
さて以上のことは387さんにとってなお「自己正当化」になるかどうかお伺いしたい。
いかがですか。
何かを理解することと「何かを理解したかのような気分」になることとの間には、もとより、超えがたい距離が拡がっております。 にもかかわらず、人びとは、多くの場合、「何かを理解したかのような気分」になることが、何かを理解することのほとんど同義語であるかのように振る舞いがちであります。 たしかに、そうすることで、ある種の安堵感が人びとのうちに広くゆきわたりはするでしょう。 実際、同時代的な感性に多少とも恵まれていさえすれば、誰もが「何かを理解したかのような気分」を共有することぐらいはできるのです。 しかも、そのはば広い共有によって、わたくしたちは、ふと、社会が安定したかのような錯覚に陥りがちなのです。
だが、この安堵感の蔓延ぶりは、知性にとって由々しき事態だといわねばなりません。 「何かを理解したかのような気分」になるためには、対象を詳細に分析したり記述したりすることなど、いささかも必要とされていないからです。 とりわけ、その対象がまとっているはずの歴史的な意味を自分のものにしようとする意志を、その安堵感はあっさり遠ざけてしまいます。 そのとき誰もが共有することになる「何も問題はない」という印象が、むなしい錯覚でしかないことはいうまでもありません。 事実、葛藤が一時的に視界から一掃されたかにみえる時空など、社会にとってはいかにも不自然な虚構にすぎないからであります。 しかも、その虚構の内部にあっては「何も問題はない」という印象と「これはいかにも問題だ」という印象とが、同じひとつの「気分」のうちにわかちがたく結びついてしまうのです。
実際、わたくしたちは、そのことで自分が変化する気遣いもないまま、あたりに何かの「問題」をみつけたり、なんらかの「方法」でその「問題」を解決したりしているのです。 「何かを理解したかのような気分」へと人びとを誘っているのは、いずれもそうした虚構の「問題」にほかなりません。 それが虚構にすぎないのは「問題」の解決が「問題」の側に起きる相対的な変化でしかなく、それを解決する主体は、そのことでいささかの影響を蒙ることがないと思われているからです。 もちろん、それは社会の現実からは遠い振る舞いにほかなりません。 社会に生きているわたくしたちは、何かを理解することで変化するのだし、当然、その変化は社会をも変容させる契機をはらんでいるはずです。 ところが、「何かを理解したかのような気分」の蔓延は、そうした変化や変容の芽を、いたるところでつみとってしまいます。
いま、あなたが手にとられたこの『齟齬の誘惑』という書物は、「何かを理解したような気分」のそうした蔓延にさからうことをめざして書かれた文章からなっています。 その意味で、 「何かを理解したような気分」と何かを理解することとを隔てている距離を、あえて視界に浮上させようとする目的がそこにこめられているというべきかもしれません。 社会は「齟齬の誘惑」にみちているからこそ社会なのであり、「齟齬の誘惑」をたちきるあらゆる身振りは、他者とともにあるかのごとき錯覚の共有にしか貢献しないはずです。 だが、知性は、そのことをいまなお記憶しているでしょうか?
提供:財団法人 東京大学出版会
>>390-392 「『何かを理解したかのような気分』の蔓延」というフレーズだけじゃ今ひとつ具体的なイメージを喚起しないね。
それこそ「何かを批判したかのような気分」という文章を読んでいるような。
>提供:財団法人 東京大学出版会 前スレの膨大な加藤HPからの引用(笑)を思い出すのは漏れだけ?
397 :
考える名無しさん :01/12/13 00:08
ハスミンね
>>389 そのお題目を疑うべきでは?現実になかなか共通了解を得られないのは何故か
と考えるのも必要じゃない?
398 :
考える名無しさん :01/12/13 00:14
にもかかわらず、
>>390-394 は、多くの場合、「提供:財団法人 東京大学出版会」が「この印籠が目に入らぬか!」とほとんど同義語であるかのように振る舞いがちであります。
399 :
考える名無しさん :01/12/13 00:21
>>397 「そのお題目」とは?
「現実になかなか共通了解を得られない」とはどの場面のことなのでしょうね。
ははははは、伊藤君、また引用合戦でもしようじゃないか!
>>397 >現実になかなか共通了解を得られないのは何故か
>と考えるのも必要じゃない?
まず「現実になかなか共通了解を得られない」ということを自明の前提にするのは疑問で
すね。それは「人はわかりあえないことが多いか少ないか」を客観的に確定できないのと
同様の事情で、「現実社会は多くの共通了解によって営まれている」という解釈も成り立
つからです。
人々の間に「共通了解を得られない」場合について考えるなら、その理由の一つは、そこ
に共通の利害が期待できないということがあるでしょう。また共通の利害を求める必要が
なければ、人は共通了解を得ようとする積極的意欲を持ち得ません。竹田現象学では共通
了解はあくまで可能性の一つに過ぎません。ある人々の関係性に応じて初めて意味を持つ
ものであり、共通了解に達することがあらかじめ常に正義として設定されているとは考え
ないのです。
(むしろ私は現象学的還元においては、共通了解よりも不可疑性・普遍妥当性、つまり
「誰にとってもその妥当性を疑えない場面がある」ということの方が重要に思えますが。)
ところで伺いたいのですが、397さんが「共通了解を得られないのは何故かと考えるのも必
要」と言う、その「必要」は何のためにあるのですか?
また「竹田現象学では...」ですか。 それより僕と踊りませんか。
>>402 竹田現象学ではあなたと踊っても
齟齬感はぬぐえないような気がするので
踊らないことにします。
>また「竹田現象学では...」ですか。 だってここは竹田スレじゃありませんか...(笑)
お前は踊れない。
403は私じゃないぞ。 「竹田現象学で踊る」ってなんのこっちゃい。
>406 いや、踊らされているのかもしれない。
409 :
考える名無しさん :01/12/14 04:17
竹田の新刊まだ?
410 :
考える名無しさん :01/12/14 04:19
まあだだよ^^
>>393 >社会は「齟齬の誘惑」にみちているからこそ社会なのであり、「齟齬の誘惑」をたちきるあらゆる身振りは、他者とともにあるかのごとき錯覚の共有にしか貢献しないはずです。
>だが、知性は、そのことをいまなお記憶しているでしょうか?
甘美だね。甘美な物語だ。社会的な阻害感や挫折感を慰撫するための物語的世界解釈という気がするな。
「何かを理解したかのような気分」になるためには、対象を詳細に分析したり記述したりすることなど、いささかも必要とされていないからです。
413 :
考える名無しさん :01/12/14 10:01
下げにするなよ。
そう言う412に「きみは詳細に分析したり記述したりもせずに 竹田現象学を理解したかのような気分になってはいなかったか?」 と問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。
アホか?コイツ。 俺は竹田現象学など、理解していないし、理解した気になっていないし、特に理解したいとも思わない。 ただ、議論をしてるだけだ。
ほー。議論をしてるのか?(w で、君のいいたいことは何だ?
俺がやってるのは疑念の提示。 返ってくるのは自己防御と自己正当化しか意味しない言葉。 議論にならないよな、確かに。
418 :
考える名無しさん :01/12/14 17:46
下げにするなよ。
その依怙地さが問題、とは思わぬのだな(苦笑
「依怙地」って何が? 「(苦笑」で身構えてる自分のことを言ってるの?
ハァ?(苦笑
>>415 では竹田現象学の何に疑念を提示したいんだろう?
423 :
考える名無しさん :01/12/14 23:17
「誰にとってもその妥当性を疑えない場面がある」というのは具体的にどういう場面ですか?
>>415 >>417 あなたはどの発言で「疑念の提示」をしたの?
自己防御とか自己正当化とか言葉を投げ付けるだけで
理由を問われても答えないのは逃げじゃないのか。
>>423 たとえば「三角形の内角の和は180度である」という場合、実際に三角に
切った紙の各角を折り返し突き合わせて二直角が得られるのを確認すれば、
人はそれ以上その定理の妥当性を積極的に疑うことができない。幾何学的
な命題を論証を通じて確認する場面では、その不可疑性は恣意的に決定で
きない。強固な不可疑性が普遍的に成立することによって幾何学は文化や
民族を超え広く共有されている。
426 :
考える名無しさん :01/12/15 06:55
>>425 幾何学的には否定される場面でも、現象学的には妥当性が成り立つ場面は
あるわけだから、ソレ、間違ってはいないけど、例としてはどうか。
427 :
考える名無しさん :01/12/15 08:54
>425
またそれかよ(
>>302 )。
それしか無いのかよ。
三角形がそんなに好きなのかよ。
何度も出てくるところを見ると、それって竹田氏の本で挙げられてる例なの?
まさか、そんなことが知りたくて「現象学」やってるわけじゃないでしょ。
>>426 では「人は社会の中で多くの意味や価値を他者と共有しながら生きている
という確信を根底に持っている」というのはどうだろう。
「幾何学的には否定される場面でも、現象学的には妥当性が成り立つ場面」とは
たとえばどんなことですか?
>>427 分かりやすいから出したんだがそれがなにか?
私がどんな「ことが知りたくて現象学やってる」とあなたは思ってるのかな?
430 :
考える名無しさん :01/12/15 12:22
わかりあえないことが多い中にもわかりあえることも確かに存在する。 では、その「わかりあえる」という感覚はどのように成立しているのか? これが(竹田の)現象学。わかった?
「人は社会の中で多くの意味や価値を他者と共有しながら生きている」ってこれ当り前のことでしょ。 だから「社会」が成立してるわけで。 これっていちいち「学問」で確認しなければならないことなの?
432 :
考える名無しさん :01/12/15 12:32
>>427 お前アホか
現象学ってそういうことから始まったんだよ
竹田現象学は知らんが
433 :
考える名無しさん :01/12/15 12:33
>430 では、人はどういうことでわかりあえているのか。 そしてその感覚はどのように成立しているのか? 具体的な対象について論じられたものってあるんですか? 三角形の話はもういいです。
>>431 日常的な実感としては「当たり前のこと」です。
でも学問として突き詰めて行くと実は他人も世界もその実在を何ら保証できない
ことに気づく。(主客不一致のパラドクス)
「学問」は生活世界での有用性を根拠に成立したものだから、それが根本のところで
行き詰まっているのは、日常レベルでも深刻な問題になる。学問における決定不可能
性と、日常レベルでの「人がわかりあって生きてるのは当たり前」「人はわかりあえ
ない」という矛盾の関係をどう理解するかは学問的にも確認すべき問題です。
に
ただ実在は保証できないが、「私」が他者や世界の実在を実感として疑えないのは確かだ。
またこの実感を「私」の意識に現れる他者と共有しているという実感も疑えない。
下段2行は消し忘れだスマソ
>>433 430じゃないけど、「世界で他者と共に生きている」という実感を共有している
という意味では「わかりあえている」という確信がある。
幾何学的な定理についても、その共有があって初めて測量術・建築学が可能にな
り文明社会が構成されることになる。
ところで「具体的な対象」とはどのレベルの話?
437 :
考える名無しさん :01/12/15 16:29
>436 『「わかりあえている」という確信』の理由の「還元」をリクエストします。 そこからが「現象学」なんでしょ?
>>437 まず知覚体験として世界や他者の実在を疑えないこと、
次に世界が常に一定の秩序を持って現れていること、
そしてこの秩序に沿って他者と意味や価値を交換して
いること、それらを日々経験することによって「他者
と共通の社会を生きている」「他者とわかりあってい
る」という確信が形成されている。
なんだか凄く大雑把な話だなあ。 しつこいようですが、これ、本当に学問なんですか? あってもなくてもいいような話じゃないですか。 日常レヴェルでは誰もがその程度の認識で社会生活を営んでいるんだからさ。
>>439 還元−本質直観という概念は現象学の中で様々な術語によって緻密に位置
付けられているが、その要点は「対象の意識における現れようを、ドクサ
や推論を排してありのままに記述する」ということ。「還元は誰にでもで
きる」というのが現象学の眼目ですからね。
>日常レヴェルでは誰もがその程度の認識で社会生活を営んでいるんだからさ。
ということは、つまりこの「認識」が普遍的な妥当性を持つことがあなた
にとっても不可疑として現れている、ということですね。
この点については私とあなたは「わかりあえた」と。(^^)
このことからも分かるように、現象学の方法は普遍的な不可疑性を洗い出
したり、普遍的な不可疑性があると示すのに非常に有効だということです。
そんなに勝ち誇られてもねえ。 そんなことってどうとでも言えますよねえ。 例えば438だって「それらを日々経験することによって」、 「他者とわかりあっている」だけではなく「他者と齟齬をきたすこと」も同時に確信するのではないのでしょうか。 それがキレイに抜け落ちているところが実に恣意的ですね。 正当化のためには都合よくノイズを消去する。 これが「エポケー」ってやつですか。 これって現実を無視して、ある論理というか観念に奉仕してますよね? 俺にはそう見えますよ。 わかりあえることもあればわかりあえないこともある。 肯定的否定的なニュアンスを別として、これって現実的に当り前のことですよね。
>>441 >「他者とわかりあっている」だけではなく「他者と齟齬をきたすこと」も同時に確信するのではないのでしょうか。
まず「わかりあえることもあればわかりあえないこともある」って
>>313 で私が
書いたことなので、齟齬の存在を否定はしていませんよ。
また両者についてもこう思います。
「他者と齟齬をきたすこと」が問題なのは、前提として「他者と共有性がある」
という現実が基盤にあるからだと。だからこの両者は実は矛盾しないのですよ。
もし本当に最初から全く「人がわかりあえない」なら、そもそも「わかりあえな
い」ことが問題になるはずがない。しかし暗々裏に完全な理想としての「わかり
あえる」を想定していると、つい齟齬の深刻さにばかり囚われて「わかりあって
いる、などというのは錯覚で欺瞞に過ぎない」といった現実否認・逃避に走りが
ちです。そこからは現実に働きかけようとする有用な思考は生れない。現象学の
方法はそんな単純な事実に気づかせてくれる。現象学は「現実無視」ではなくて、
「現実」とか「当たり前」とかいった日常的な確信の根を学問的に捉え返そうと
いう試みです。
>>441 >わかりあえることもあればわかりあえないこともある。
>肯定的否定的なニュアンスを別として、これって現実的に当り前のことですよね。
ということで、上記についてもあなたと共通の不可疑の地点を確認できたことになる。
現象学の有効性がよくわかりますね。
>学問における決定不可能性と、日常レベルでの「人がわかりあって生きてるのは当たり前」「人はわかりあえ
>ない」という矛盾の関係をどう理解するかは学問的にも確認すべき問題です。(
>>434 )
>「他者と齟齬をきたすこと」が問題なのは、前提として「他者と共有性がある」
>という現実が基盤にあるからだと。だからこの両者は実は矛盾しないのですよ。(
>>442 )
これは矛盾しているように思えるのですが。
あと「齟齬の深刻さにばかり囚われて」いる人間が多いと確信したいようですが、
世の中そんな人間ばかりじゃないでしょ。
「齟齬」自体を肯定的に択えそれを思考のきっかけにする人間だって大勢いる。
『「わかりあっている、などというのは錯覚で欺瞞に過ぎない」といった現実否認・逃避に走りがち』な人間がいないと何か困る事情でもあるんですか?
>>443 それって
>>440 でも言ってますよね。
そんなに強調するってどういうこと?
鬼の首でもとったようですね。
何が何でも「現象学の有効性」を主張したいようですが、
これも現実を無視して論理に奉仕しているように見受けられますが。
>>444 >これは矛盾しているように思えるのですが。
「『他者と齟齬をきたすこと』が問題なのは、前提として『他者と共有性がある』という現実が基盤にあるから。それが失念されているから決定不可能性や『人はわかりあえない』というニヒリズムに陥る」と言ってるんだから、矛盾はないでしょう。
>あと「齟齬の深刻さにばかり囚われて」いる人間が多いと確信したいようですが、
>世の中そんな人間ばかりじゃないでしょ。
「そんな人間ばかり」とは思ってませんが。
>「齟齬」自体を肯定的に択えそれを思考のきっかけにする人間だって大勢いる。
それはどんな肯定的思考なんですか?おもしろそうですね。
>>445 現象学の方法が優れているのは普遍妥当性・不可疑性の確認だと個人的に思うからです。
それは共有性・人が「わかりあう」とは何かということとも深くリンクする問題です。
「優れて」いなければいけないんですね、やっぱり。 「優れて」いる自分を正当化するために「現象学」が必要なんですね。 確かに、それはあなたにとって切実な「理由」だ、とは思います。
ageるゾ〜。 「世界の中」で「ある価値観」を「他者」と「わかりあってい るorわかりあっていない」ことを「確信」しているという問題を 解くためには、形相学的還元が必要で、特に、他我経験と間主観性 の二つの概念の理解が絶対条件。 要するにですね。単なる超越論的還元でもって、世界像や他者との 価値共有なんて問題を処理することは出来ないんです。 「もの」の妥当と、「価値」の妥当とは、その還元のやり方が違う。 「確信の共有」の問題を扱う限り、他我経験と間主観性は欠かせない。 所謂「超越論的還元」については、もうだいたいの人は 理解しているみたいだけど、そこからの議論がかなりヤバくて、 批判を呼び寄せるかっこうになっている。 結果、竹田の評判が不当に落とされていく。 「私」と「他者」が、ともに世界の中に存在していることを確信 することでもって、ある種の「価値共有」が認められるなんてのは 愚の骨頂。そりゃ批判も招くってもんです。 現象学は一言もそんなことは言っていませんよー 「他我認識」や「間主観性」という概念は、それがなければ、 現象学は単なる毒牙論に終わってしまうというくらい重要な概念 なので、少々難解なんだけど『デカルト的省察』を読んで下さい。 (竹田さんの本を読めばスゴク簡単にわかるんだけどね)
451 :
考える名無しさん :01/12/16 03:22
おまえらくだらねー
452 :
考える名無しさん :01/12/16 03:23
>>448 世の中に優れたものがあっちゃいけないような言いかただな。
「これは優れてる」というと即「自己正当化」に結びつくらしいですね。あなたには。
あなたにとって優れたものはないのか?「齟齬を肯定的に捉え」た思想はどうした?
>>450 >「世界の中」で「ある価値観」を「他者」と「わかりあってい
>るorわかりあっていない」ことを「確信」しているという問題を
>解くためには、形相学的還元が必要で
カッコ内の概念をまず形相的還元せよということですか?
>「私」と「他者」が、ともに世界の中に存在していることを確信
>することでもって、ある種の「価値共有」が認められるなんてのは
>愚の骨頂。そりゃ批判も招くってもんです。
他我と世界の妥当の順序が逆ということかなあ?この辺わかりにく
いんですが、この順序が逆でも、客観的空間・時間・社会・文化・
歴史…と妥当のプロセスを重ねて行くことで他者との価値共有があ
ることを確信するというのは同じじゃないかと感じるんですが、間
違いなんですか?
455 :
考える名無しさん :01/12/16 10:06
>453 「世の中に優れたものがあっちゃいけない」なんて一言も言っていない。 是が非でも自分が「優れたもの」であると確信しなければ気が済まない切実な事情があるということこと指摘したまで。 本当に「優れたもの」なら、そんな事情とは一切無縁であることでしょう。
懐疑主義・相対主義の考え方の中には、人間関係の意見や価値 観、感受性の多様に感じるストレスやさまざまな社会的、政治 的、思想的な「主義」とそれが生み出す「悪」からの精神的外 傷から起因するケース(ポストモダン思想)もありますが、単 に無自覚・無防備なるがゆえに、習慣的に構築されていること の方が多いと思います。つまり現象学的還元が備えるべき条件 ー暗黙の信憑(ドクサ)の根を、「底が尽きる」まで意識して 取り払う状態の自覚は難しいのではないかと思うのです。そこ で「本質直観」という、ドクサや推論を含まないありのままの 観て取りを「気づかせる」という積極的な発想があるのだと思 います。
『「本質直観」という、ドクサや推論を含まないありのままの観て取り』ってモノローグによって保障されているんですか?
>>455 しかしあなたは「優れている」という言葉一点のみに反応して、
私が「優れている」と思う理由についてはひとことも触れていま
せんね。理由についての言及でなければ「指摘」とは言えないで
しょう。ただ「自己正当化」云々というレッテルがあるだけ、言
葉を投げつけるだけで理由を明らかにしようとしない。隠蔽して
いる。それはこすいやり方ですよ。
それと「齟齬を肯定的に捉えた思想」は示せますか?
「肯定的」というのは「自己正当化」とどう違うのか?
>>457 「モノローグ」で何かいけないわけでも?
ダラダラ蓮実を引用するのは「モノローグ」じゃないのか?
>私が「優れている」と思う理由
というか、あなたが自分のことを「優れている」と思いたがっている、いうことについての私の論拠ね。
あなたは、私が「人は社会の中で多くの意味や価値を他者と共有しながら生きている」
「わかりあえることもあればわかりあえないこともある」程度の大雑把な認識が
おおよその現実社会の共通認識として成立している言ったことを受けて
アドヴァンテージをとったつもりで「現象学の有効性がよくわかりますね」と露骨に喜んだ。
けど、ここで言われている「有効性」って何? 何に対して有効なの?
「普遍妥当性・不可疑性の確認」って、こんなの「象の鼻は長い」って認識の確認とたいして変わりないじゃないか。
現象学に「有効性」があるとしたら、それはもっと狭い、現実的な実践レヴェルで適用されてはじめて測られるものじゃないだろうか。
そんな大雑把なことを確認しただけで「現象学の方法は普遍的な不可疑性を洗い出したり、普遍的な不可疑性があると示すのに非常に有効」「現象学の有効性がよくわかりますね」「現象学の方法が優れている」と露骨かつ性急に結論したがる。
その辺の論理の展開に無理を感じて、ああ、コイツは是が非でも俺からアドヴァンテージをとっておきたいんだな、自分が勝っていないと気が済まないタチなんだな、と思った次第。
あとは竹田読者の書き込みとか竹田氏の著作からみた「本質直感(!)」です。
興味深いのは
>>449 。
同じような見方をしている人が他にもいるってことでしょ。
>>「齟齬」自体を肯定的に択えそれを思考のきっかけにする人間だって大勢いる。
>それはどんな肯定的思考なんですか?おもしろそうですね。(
>>446 )
>「齟齬を肯定的に捉え」た思想はどうした?(
>>453 )
>それと「齟齬を肯定的に捉えた思想」は示せますか?(
>>458 )
ハイ、ハイ、ハイ、ハイ!
よっぽど知りたいんですねえ。
過大な期待に添えなくて悪いんだけど、私が言いたいのは、そんな大それたことじゃありませんよ。
現実に社会で齟齬を感じたって、それが即「深刻さにばかり囚われ」ることに繋がって「現実否認・逃避」に行き着くわけじゃないですよね。
誰もが何らかの方法で現実的に処理しています。
差異を差異として認識して社会生活を営んでいるのが普通じゃないかね。
例えば、あなたと私は、こんなにも齟齬をきたしている。
しかし私はそのことを毛ほども気にしていない。
「わかりあえない」なんて「深刻」に悩んでいるように見えますか?
と言うか、自分と同様の考え方の人間との馴れ合うことより、意見の合わない人間に自分の見解をぶつけてみせることに単純な楽しさを見い出したりすることだってある。
誰にでもあるでしょ、こんなこと。
差異を差異として楽しむ。
これってポジティヴなことじゃないすかね?
462 :
考える名無しさん :01/12/16 22:55
>>460 >現象学に「有効性」があるとしたら、それはもっと狭い、現実的な実践レヴェルで適用
>されてはじめて測られるものじゃないだろうか。
私の個人的な実生活では役に立ってるけど、どうもあなたから見る
と「職場の効率化」なんて通俗的なことは「現実的な実践レヴェル」
と認めてもらえないような雰囲気を感じますね。「現実的な実践レ
ヴェル」とはどんなレヴェルなんだろう?たとえば「現象学で東京
都のゴミ問題問題を解決できた」とかそういったレヴェルかな?
>「普遍妥当性・不可疑性の確認」って、こんなの「象の鼻は長い」って認識の確認とたいして変わりないじゃないか。
しかし「象の鼻は長い」と認識の確認をすること一つとっても、
そこに最低限の「共有性」があることは確かでしょ?主客不一致
問題では「このリンゴ(花)は赤いのか青いのか」という喩えが
使われるが、それをあなたは「リンゴが赤いとか青いとかのレヴ
ェルで何がわかるんだ!?」と言うのですか?
人間の前に「共有性」が現れているのはあなたも疑えないはずな
のにそれを「象の鼻は長い」レヴェルだから「自己正当化」だ、
と言うのは欺瞞じゃないだろうか?
>>461 >と言うか、自分と同様の考え方の人間との馴れ合うことより、意見の合わない人間に自
>分の見解をぶつけてみせることに単純な楽しさを見い出したりすることだってある。
>誰にでもあるでしょ、こんなこと。
>差異を差異として楽しむ。
>これってポジティヴなことじゃないすかね?
あなたがそれを「ポジティヴ」と思うのは自由だけど、それは
「自己正当化」とどういう点で違うのかな?「意見の一致に単純
な楽しさを見出す」ことも同等の権利で「ポジティヴ」と言い得
るんではないの?それとも自分と意見の合わない人間は「自己正
当化」なんですか?
>>450 そーまでいうならさ、死刑囚が「確信の共有」を形相学的還元して見せればどうよ?
死刑囚は現象学に詳しそうだが、肝心のところになると「説明がむづかしい」「向き不向きがある」と逃げてない?そゆとこが「わかった者どうしの馴れ合い」との批判を呼ぶんじゃないかい?
>>454 >カッコ内の概念をまず形相的還元せよということですか?
いえ。そういうことではなく、「物質」ではなく「価値」の
問題を扱うときは超越論的還元ではダメだということです。
しかし、実は「物質」も「価値」が織り込まれている現象なの
で──つまり、純粋な物質な存在しない──ぶっちゃけた話、
超越論的還元は現実世界では一切使い物にならないのです。
それは考え方のモデルを提示しているだけです。
>他我と世界の妥当の順序が逆ということかなあ?
人は、ひとつの〈世界〉を確信し、その中で他人も私も
存在していることを確信しているわけではなく、私と同じ
主観として存在している他人を確信し、その他人も〈世界〉
を確信しているだろうという私の確信が成立することで、
私は〈世界〉を確信するわけです。
「最初の他なるものは他我である」(『デカルト的省察』第49節)
「間主観性」ということを上記のように理解している人って
殆どいなんですよね。
竹田氏が、あれほどわかり易く書いているにもかかわらず。
この問題に気づいた貴方は見込みがある(笑
>>466 まいったね。
実はオレは竹田を読む前から現象学には興味を持っていたんだけど、
竹田さんがあれだけわかりやすく書いているのを、今さらオレが
書けることなんて何もないというのが実感なのよ。
ま、とにかく読みなよ、『現象学入門』。
ところで今、このスレには何人いるのかね。
誰が誰に何を言っているのかゴチャゴチャしすぎ。
コテハンきぼん。
ではでは。
>ま、とにかく読みなよ、『現象学入門』。 肩透かしだな(笑 『現象学入門』より、あんたが「確信の共有」に答えを出せるかどうかだろ?「〜読め」で済むならわざわざここで書き込むこともない。そんなとこまで無責任なアンチに転んだなら話は別だ。
>>465 >人は、ひとつの〈世界〉を確信し、その中で他人も私も
>存在していることを確信しているわけではなく、私と同じ
>主観として存在している他人を確信し、その他人も〈世界〉
>を確信しているだろうという私の確信が成立することで、
>私は〈世界〉を確信するわけです。
なんかすごい。目から鱗。
>463 まず「差異を差異として楽しむ」こと自体が即自己正当化に繋がるという発想が理解できません。 >「意見の一致に単純な楽しさを見出す」ことも同等の権利で「ポジティヴ」と言い得るんではないの? もちろんそうだよ。 それが何か? >それとも自分と意見の合わない人間は「自己正当化」なんですか? 私はあなたや竹田読者の書込みに対して「自己正当化」の臭いを嗅ぎ付けているだけです。
>私はあなたや竹田読者の書込みに対して「自己正当化」の臭いを嗅ぎ付けているだけです。 お前は犬か?(w
471 :
考える名無しさん :01/12/17 23:11
>>468 そうかね?俺は
>人は、ひとつの〈世界〉を確信し、その中で他人も私も
>存在していることを確信している
よ
>>469 >まず「差異を差異として楽しむ」こと自体が即自己正当化に繋がるという発想が理解できません。
そんなこと言ってませんよ?
「差異を差異として楽しむ」が「ポジティヴ」で、私や竹田読者が
「自己正当化」だという違いの理由は何か聞いてるんですよ。
「臭い」なんて曖昧な感覚しかないのですか?
>>460 がその論拠だと言うなら
>>462 で疑義を呈した通りです。
いかがかなりや。
>>「意見の一致に単純な楽しさを見出す」ことも同等の権利で「ポジティヴ」と言い得
>るんではないの?
>もちろんそうだよ。
>それが何か?
じゃあ私も「意見の一致に単純な楽しさを見出」しているので
「ポジティヴ」と認めてくれるんですね?
>死刑囚が「確信の共有」を形相学的還元して見せればどうよ? とか >あんたが「確信の共有」に答えを出せるかどうかだろ? とか、無茶な質問だなーと思ったけど、よく考えれば、ハイデガーが 言うように、ある概念がわかるとは、正確な質問を作り上げることに 他ならないわけで、わかってたらこんな質問しないよね。 と言うわけで貴方の質問を、オレなりの解釈で答える。 タイトルは『確信の共有は如何にして成立するか?』 例えば、オレは2chに書き込んでいると確信している。 ヤフーに書き込んでいるわけではないと思う。 同じように貴方も2chに書き込んでいると確信しているだろうと、オレは確信している。 これが「確信の共有」←この言葉、よく考えると少しオカシイね。 つまり、ある確信が普遍性を得るといっても、それすら個人の「確信の構造」 に過ぎないわけだね。あんだすたん? ま、とりあえず、465を読んで理解して下さいな。 つーか、やっぱり最低限『現象学入門』くらいは読もうよ。
>>468 目から鱗の貴方もスゴイ。
ここだけの話、わかってる人なんて殆どいないんだから(;´Д`)
ちなみにフッサールはこのことを次のように言っている。
他我を構成する層が浮き彫りにされると同時に、しかもそれに動機づけられて、
(略)わたしの第一次世界は、規定された客観世界、すなわち、わたし自身を含めた
すべての人にとって一つの同一の世界としての客観的世界の現れになるのである。
したがって、わたしたちにとって本来最初の他なるものは他我である。
「同時に、しかもそれに動機づけられて」というところがミソ。
〈世界〉にしろ〈価値〉にしろ、それが個人のうちで確信される過程
の中には、必ず「他者の視線」が触媒のようにして働くわけです。
これを無視した議論をするから、変な批判を呼び寄せてしまうわけです。
ではでは。
>>465 >「最初の他なるものは他我である」(『デカルト的省察』第49節)
>
>「間主観性」ということを上記のように理解している人って
>殆どいなんですよね。
>竹田氏が、あれほどわかり易く書いているにもかかわらず。
前からある疑問が引っかかって「世界より他我が先」というのが、
私は腑に落ちないんですが。現象学のいいとこは、誰もが体験を
省みて納得できる所だと思うんですが、「最初の他なるものは他
我である」という「体験」は私にはない。だから実感として分か
りにくい。『現象学入門』では「発達論的」に赤ん坊が「おっぱ
いとそれを吸うための自分の口」というところから他者が始めに
妥当される、と書いてある(しかも「発達論的」なのが問題だと
も書いてある)。しかしそんな記憶を持っている人はいるのか?
私の実感としては、既に物心ついた時には「世界の中で他者と共
にいる」と漠然とはしているが素朴な確信の中に生きている。
「三丁目の角を曲がれば郵便局がある」ということを視覚的に知
り「一週間前も昨日も今日も、あの角を曲がれば間違いなく郵便
局がある(曲がるたびに郵便局がなかったり、駅に変わっていた
りしない)」という秩序を持って世界が現れていることで「現実」
を確信し、誰かに「三丁目の郵便局で切手を買ってきて」と頼め
ば買ってきてくれることで、他者にとってもそれが同一の現実・
同一の世界としてあらわれていることを確信する。理性的に考え
ると、「郵便局」も近代郵便制度によるものであり他者によって
経験的に教え込まれたものであると言えるのだが、「私」には既
にその記憶はなく「郵便局」はそれ自体直感的に訪れる。私にと
っては今この現実だけが実感的な世界であり、他者によって世界
を確信したという実感がない。確かに今でも他者によってその都
度新たに世界の妥当を重ねつつある。したがって「これまでもそ
うだったはずだ、最初からそうだったはずだ」と考えることはで
きるが、それはあくまで推論による「超越」ではないのか?
だから私は「最初の他なるものは他我である」ということを自分
の実感として言うことができない。
>>452 >「他我認識」や「間主観性」という概念は、それがなければ、
>現象学は単なる毒牙論に終わってしまうというくらい重要な概念
「客観主義だ」という批判ならあり得るかもしれないけど、「毒牙
論」というのはよくわかりません(誤変換だからわからないという
意味ではないし、誤変換だからいけないという意味でもない)。
私には世界も他者も恣意性を超えてやってくるものですが、それで
も私の実感は毒牙論なんでしょうか?
>>474 >これを無視した議論をするから、変な批判を呼び寄せてしまうわけです。
そんな文脈があるようにも思えないんだが。
ところでコテハンが御希望なら、私は「ポテトの口ごたえ」にしよ
うと思う。
>>469 さんは「ここ掘れワンワン」にしたらいいと思う。
477 :
考える名無しさん :01/12/18 05:54
age
478 :
考える名無しさん :01/12/18 07:05
>>死刑囚。さん そういえば木田元さんは・・ フッサールにとっては「他我」が厳然たる問題なのだから、その現象学は観念論的に解釈さるべきではない、 ということになるのであろうが、いま「自己投入」によって認識されたフッサールの言う「他我」なるものは いわば人体模型に投射された自我以外の何ものでもなく、全然他の我ではない。 フッサールがこうした困難に陥り、他に解決の策もなかったらしいのは、何よりも「われ」を「われ思う」として、 意識として定義したためと見てよい。 って言ってます。 >「最初の他なるものは他我である」 とは考えていないようで、木田さんもとい一般的解釈ってどーなっているのですか?
479 :
考える名無しさん :01/12/18 18:50
だから竹田はひとりよがりな感じがする
>>475 ポテトの口ごたえさん
なるぼど。わかりました。
だとしたら、形相的還元そのものの意義も、ピンとこないわけですね。
まず、超越論的還元は単なる思考モデルだと言うことを理解してください。
貴方の言うように実感として現れた確信を一切の根拠として扱うことは間違
っているわけではないですよ。
でも、それだけでは「価値」の問題は扱えない。価値の共通了解や、
なぜそのような「価値」が生じているのかを説明することが出来ないんです。
形相的還元とは、発生的還元とも言われるものなんですが、繰り返しますと、
現象学的還元には、「もの」の還元と、「価値(こと)」
の還元があるんです。
しかし「もの」といっても、実はそこには様々な「情報(価値)」が
織り込まれているので、純粋な「もの」なんてものは存在しない。
で、「価値」の還元をするためには、『イデーン』的還元では
事足りないということにフッサールは気づいた。何故か?
例えば、ある物体を貴方が「林檎」だと確信した際でも、そこには
知覚とともに「価値(情報)」が織り込まれている。その情報が
貴方の感受性に寄与し、確信を成立させているわけです。
(ぶっちゃけた話、その情報が他我なんです。他我は無限に肥大化し
情報と化しているんです。ま、それはさておき)
実際、あなたが「林檎」だと確信した物体を、科学者が集まって、
「林檎によく似た科学物質」だったと、結論づけた場合、もう
あなたはその物体は「林檎」だという確信は維持出来なくなる。
他我が貴方の価値観を揺るがしたわけです。
もう一つ例をあげるとすると、ある小説を読んで、貴方はそれを 優れた小説だと確信したとする。 しかし、他の人はみんな下らない小説だと主張したとすると 貴方は自分の確信を維持することが難しくなる。 それでも、貴方は自分の裡で強固な確信があるわけだから、優れた小説 だと強弁することは可能。しかし、それだとそこに共通了解の生まれる 可能性はなくなるんです。小説の評価なんてどうでも良いが、これが 道徳の問題や、社会政策の問題だとしたらどうだろう。 だから、より重要なのは、貴方の裡で生じた「優れた小説だ」という 価値観それ自体が、どのように成立したのかを考えること(形相的還元) であり、それが現象学の究極の目標でもあり、実際それが 価値の共通了解を獲得する唯一の方法なのです。 もっとアクチュアルな問題で言えば、自分の「感受性・価値観」の ために上手く人とつき合えなかったり、人生をスポイルしていると 感じた際に、それを変容させるためには自分の感受性がどのように 成立したかを還元することでしか、その可能性は生じないんです。 この小説は面白いと思った。それはいい。それは確かに確信ですが、 そこにいつまでも留まっていては、独我論の誹りを受けることになる。 価値の問題を扱う場合は、自分の感受性が成立している条件を、 新たに発生的還元する必要があるんです。 オレの説明はわかりにくいかも知れないけど、人間は単なる主観では なく、間主観的存在であることが理解できればそれでOKです。 そもそも、我々は既に客体化されてある世界に生まれ落ちるわけで、 その時点で既に他我経験を得ているわけです。 ある世界像を確信するという契機には、必ず「他者の視線」、あるいは 他者が確信していることの確信、もっといえば「膨大な情報」の確信が すでに存在しているわけです。 ぶっちゃけ、他我が無ければ「世界」は存在しないんです。
>>478 フッサールの他我認識の難点は、木田元の言うとおりで、竹田氏
もそれは認めています。
フッサールの他我論は単なる感情移入のような印象を受けるんです。
でも、それは現象学の発想自体が間違っているのではなくて、
フッサールの他我認識が、「知覚」を根拠としているためだと、
竹田氏は言っています。
フッサールは、自分の身体了解の〈類比〉として、他人の身体を了解する
わけですが、「身体了解という知覚」を根拠として、類比するという
だけで他者のことが分かるわけがない。
そこで、竹田氏はフッサールの論理はそのままに、「知覚」を
「エロス」とか「欲望」と言い換えることで、この問題をクリア
したわけです。
このあたりのことは、人の感情や欲望は、他人のそれに影響される
という心理学ではあたり前の事態を、思い起こせばわかりやすいと
思うのだけれど、フッサールは確かに言葉遣いを誤った。
(それでも、フッサールの意図は正しく、それは彼の思想の全体像をみれば
十分わかると竹田氏は言ってます)
一般的解釈なんてのはアテにはなりませんが、木村敏や柄谷行人も、
木田元の言うままにフッサールの他我論を否定し、現象学に蓋をして
しまいましたから、、、そういうことです。
一方、竹田さんはフッサールの美点を積極的に汲み取って、自らの
『欲望論』を生みだしたんですね。
とにもかくにも、他我認識を肯定するか否定するかが、現象学を
意味ある思想と認めるかどうかの分水嶺ですね。
オレとしては、否定する人に対して、じゃあ他者は何処からやって
来るんだと言いたくなりますが。
483 :
優良スレッド認定 :01/12/19 07:36
若頭も読んでたらなんか書いてよ
>>480-481 死刑囚。さん
「他我=情報」という表現はわかりやすいと思います。
竹田氏は確か、「リンゴ」とは「リンゴ」という意味である・
ルールであるという言い方をしていたんじゃなかったかな。
確信における他者の同意の欠かせなさや感受の還元の必要性は
よく分かるんですが、いくつか疑問を書きます。
>そもそも、我々は既に客体化されてある世界に生まれ落ちるわけで、
>その時点で既に他我経験を得ているわけです。
しかしこだわるようですが、やはり「気がつけば、私は世界の中に
他者と共にいた」。それが他者に由来するものか世界に由来するも
のか、経験的なものか先験的なものかを私は「知らない」。
これはどう考えればいいのか?それとも考えなくていいのか?
つまり、世界が意味の総体であり情報でありルールであることはわ
かるが、それが他者によって編まれたものだと本当に言えるのか?
それが自然や神や実は主観が編んだものでないと言えるのはなぜな
のか。
また竹田現象学に対する不当な評価は、竹田読者の他我無理解によ
る形相的還元不全が原因なのか?批判者は「他者より世界が先」と
いうことに怒っているのだろうか?
>>485 >しかしこだわるようですが、やはり「気がつけば、私は世界の中に
>他者と共にいた」。それが他者に由来するものか世界に由来するも
>のか、経験的なものか先験的なものか
それは、「他者がそのように確信している(他我)」と主観が確信して
いることに由来するわけです。
>つまり、世界が意味の総体であり情報でありルールであることはわ
>かるが、それが他者によって編まれたものだと本当に言えるのか?
>それが自然や神や実は主観が編んだものでないと言えるのはなぜな
>のか。
実際に世界を編んでいるのは何なのかということが気になるのかな?
それなら、無意識に「主─客」構造で考えているということです。
とにかく基本に戻ろう!
世界を編んでいるのは神かも知れないよ? 他の何かかも知れない。 んなことは誰にも分からないんです。 世界を編んでいるのは神ではない、と断言することは「主─客」構造 で考えている証拠です。 言えることは、すべては主観から発生しているということだけ。 現象学は、ただ、これまでの「物語」を相対化しているだけです。 現象学は何かを断言しているわけでもなく、真理を追究している わけでもない。 現象学はメリット主義なんです。 だから、現象学は神を(論理上)相対化しますが、神を信じる人間や、 その有効性(あるとすれば)を否定するわけではない。 現象学が科学を否定しないのと同じ論理です。 現象学を学ぶ際の第一のハードル、「主─客」構造で考える習慣を 相対化する、というのが如何に高いハードルかが分かるでしょ。 名だたる思想家もここでバランスを崩すから、次のハードルまで行けないわけ。 あと哲学や思想を個人で学んでいると、変なところで引っかかって 迷宮に入るようなことがあるんで、つねに原理に還って、まあ、気楽に やって下さい。 ではでは。
>>484 若頭は抗争で敵対組員を10人ばかりぶっ殺し死刑判決を受けました(W
>>486-487 >実際に世界を編んでいるのは何なのかということが気になるのかな?
>それなら、無意識に「主─客」構造で考えているということです。
いやいや、そうではなくて。言い方が足りなかった。(ごめん)
自分でもひっかかりの正体をなかなかうまくサルベージできないんだけど、
言いたいのは多分「最初は××である(だった)」と言うのは主客的な事
実確定、つまりビッグ・バン理論のような仮説を立てるようなものじゃな
いか?ということです。
≪私≫に「最初は他者だった」という記憶(偽記憶でもいい)がないなら、
なにも「他者」でなくとも「神」でも「自然」でも「脳内神経の電子パルス」
でも同じことではないかと。
フッサールや竹田青嗣の言う「最初」が、たとえば「客観より主観が本来的」
という時の「本来的」という意味で使われているならまだ分かるけど、
だとしても「最初の他なるものは他我である」という言い方にはそういう疑念
を招く余地があると思います。(ましてや竹田氏が発達論に留保を置きながら、
巻末で発達論的説明を行うのは疑問。多分竹田氏は「おっぱい」という単語が
書きたかっただけなのだろう。)
>>486 >>しかしこだわるようですが、やはり「気がつけば、私は世界の中に
>>他者と共にいた」。それが他者に由来するものか世界に由来するも
>>のか、経験的なものか先験的なものか
>
>それは、「他者がそのように確信している(他我)」と主観が確信して
>いることに由来するわけです。
でも私が気づいた時「世界」は直感的に与えられていて、他者の確信を
経緯し形成されたという由来は既に問えなくなっているのでは…。
私が、今・ここからの「世界」が他者と共に形成されていくプロセスを
観察できたとしても、それ以前の≪私≫の「世界」が同じプロセスで形成
されたかどうかは、誰にも分からない。
また単に他者によって≪私≫の確信が決まるのではなく、そこにはもう
一つ何かが必要なはず。それが「エロス」だろうと。
科学者が「これはリンゴでなくまがい物の有害物だ」と言えば私は信用するが、
変な酔っ払いのオヤジが言ったとしたらどうか?
「他者」なら誰でも≪私≫の確信を揺るがすわけではない。
そこには必ずエロス性(快-苦)が関わってくる。
「リンゴ」は一つの「快」だが「有害物」は「苦」、それを避けるのは「快」。
科学は快を引き寄せ苦を退けるための強力な方法論であり、その信頼性が
エロスへの期待を直観させて初めて、≪私≫は私の確信を改変する。
酔っ払いのオヤジに利用可能性が直観できなければ、確信を改変する契機は訪れない。
竹田さんがフッサールの「難点」を乗り越えたんだとしたら、それはこういう
意味なんじゃないか、と今また何となく確信した。(うすぼんやりと。)
ホルモン焼きの けむりの向こうで あいつは豪快に 笑いながら喰っていた 唇についた 脂を拭きもせず しゃべり続ける 時に涙を浮かべて 自分をハゲまして 耐えながら騒ぐ 唾を飛ばしながら しゃべりまくる良い男 泣いて笑って 唄って喧嘩して 茶碗のにごり酒 飲み干してはまた吐いて ホルモン焼きの けむりの向こう 今でもあいつは 笑いながら喰っている 笑いながら 喰っている 笑いながら 喰っている
492 :
考える名無しさん :01/12/22 08:38
age
493 :
考える名無しさん :01/12/22 14:32
ageageageagegeagagegegeeagagaae
「利用可能性」って言葉の味気無さときたらどうだろう。
>>489-490 現象学の認識論は構成論的なものではないから(つまり認識を、認識全体と
その構成要素に分解しているわけではないから)、一気にものごとの意味
を直感し、それが何であるかを認める(ノエシス→ノエマ)。
だから、「世界」は直感的に主観の裡に生じるわけで、その直感をさらに
遡行することは不可能──。
というテーゼに従えば、他我経験が客観世界の妥当に先んじるという
のはオカシイということですね?
>自分でもひっかかりの正体をなかなかうまくサルベージできないんだけど、
引っかかりの正体は、主客思考の「習慣」だと推測しますが、そうでなけ
れば、超越論的還元と形相的還元の違いが、ピンと来ていないという
ことだけでしょう。即ち、何のための還元かが分からにゃいと。
何も難しく考える必要はないと思われます。
>≪私≫に「最初は他者だった」という記憶(偽記憶でもいい)がないなら、
>なにも「他者」でなくとも「神」でも「自然」でも「脳内神経の電子パルス」
>でも同じことではないかと。
「神」も「自然」も「脳内神経の電子パルス」も、【他我】ですよ。
それに、言わずもがなですが、原理に就くなら、フッサールや竹田氏の
言葉使いを気にする必要は全くないです。「主客構造の非対象性」を前提
に読んで下さい。むしろ読む側の「習慣」がネックであり、かかる「習慣」
を相対化することの難しさに気づくことが、最初の一歩だと思うから。
竹田氏は「実存の質」というふうに言うけど、形相的還元の意味を、 確信の質を探ることと捉えてみてはどうでしょう? 490の後半を読んでいるとそのへんは理解しておられると感じる。 勿論、これは発達論的な「起源」を問題にしているわけではない (それは主客思考です)。 フッサールはこの「質」について、いろいろな言い方をしているけれ ど、現象学では、この「質」を探ることこそが課題なのです。 そもそも「客観世界」も「他者」も同じノエマで「超越」です。 で、「世界」も「他者」も主観にとっては「他なるもの」ですね。 その「他なるもの」の妥当が、主観の裡で構成されるわけだが、 形相的還元すれば──すなわち実存の質を問題にすれば──もの の妥当には順序っつーモンがあることが分かる……と、こーゆー説明 ではダメでしょうかね? こう考えれば、実在物ではなくて「価値(世界)」の確信を得よう と思ったら、他者の承認が必要だという常識を、複雑に考える必要も なくなると思うのですけど
>また単に他者によって≪私≫の確信が決まるのではなく、そこにはもう >一つ何かが必要なはず。それが「エロス」だろうと。 だから、これもちょっとズレてくる。 所謂、「確信」とは「エロス」そのものであり、それ自体が、他我経験を 経ることで、間主観的に変容しているんです。つねにすでに。 岸田秀的に言えば、【欲望(エロス)とは他人の欲望】なんです。 ま、とにかく第一にまず、徹底して主客思考を取り除く。 次ぎに超越論的還元と形相的還元の意味と意義の違いを理解する。 そして、「世界」を本質直観する。 そうすれば、貴方の疑問は(原理的には)解決する筈なのだ。 これ以上はオレの手に余る!!(笑 ともあれかくもあれ、客観世界の妥当が、他我経験より先んじて あるというのは、掛け値なしの大間違い。これが納得できなければ この先、現象学の理論は崩壊しちゃうので、一連の竹田著書に よくよく就いて、自家薬籠中の物のされたい。 ではでは。
498 :
考える名無しさん :01/12/22 17:23
499 :
考える名無しさん :01/12/22 17:24
西研の「哲学的思考〜フッサール現象学の核心」は分厚いけど読んだ人いますか?
>>495-497 >ともあれかくもあれ、客観世界の妥当が、他我経験より先んじて
>あるというのは、掛け値なしの大間違い。
いや、そういう主張をしたいわけじゃないんですが。
ただ世界より他者の方が「順序が先」というのがピンとこない。
私の実感として持っているのは、
(1)≪世界≫も≪他者≫も、気づいた時にはもう既に直観的に与えられている。
(2)次に、≪世界≫が「リンゴ」「机」「街」「空」「時間」「社会」…
といった諸々の意味・価値・情報(=他我)で成り立っていることを"発見"する。
(3)それによって「客観世界の妥当は、他我経験(または価値共有)によって
"支えられて"いる」という確信が成立する。
という、そういう「順序」なんだけど…。
>>438 を今の言葉で自覚的に言うと
そんな感じ。この「順序」なら納得できるんですけどね。
それは現象学的にも間違ではないと思う。
ともかく勉強にはなりました。今度は竹田氏の著作をレジュメでも作成しながら
読み直してみたいと思う。
死刑囚。さん、ありがとう。
502 :
考える名無しさん :01/12/24 06:14
「言語的思考へ」刊行されました。 というage。
503 :
考える名無しさん :01/12/24 11:08
504 :
考える名無しさん :01/12/24 11:09
>>501 (1)は超越論的還元。すべては主観なんだから主観の中での不可疑
を取り出すことでしか認識はあり得ないということの証明。世に流布
する懐疑論に対するアンチテーゼとして機能する。
(2)(3)は形相的還元。「発見する」というのが本質直観。
「(=他我)で成り立っている」とは、他我がなければ、世界は
存在しないということ。フッサールはそれを「最初の他なるものは
他我である」と、多少刺激的に言っただけなんだ。
で、ポテトの口答えさん、全部正しいじゃん(笑
ちょっとした受け取り方で、すれ違っちゃっただけなんだね。
でも、こういうすれ違いを埋める作業は有意味。
ま、現象学やってると、世の中のどんな諸問題でも
「ちょっとしたすれ違い」にみえてしまうもんだが……
>>502 予約したじょー。
ついでに西研の「哲学的思考」も予約した。
HPの著者からのメッセージを読む限りでは、
なんか小難しい本になりそうだゾ。
形而上学批判というデリタの思惑を現象学的に
再評価するみたい。竹田の尻馬に乗って散々デリタを
批判してきたオレの立場は!!
ま、これも「ちょっとしたすれ違い」でしょう(笑
で、ハイライトは無論言語論。これは楽しみ。
内容は予想がつくけど、お手並み拝見。
凄いって所を見せて欲しい。
7章とか8章はちょっと、まだ意味不明。
早く読んでみたいよーな、でも難しいのは面倒ーって気分。
507 :
考える名無しさん :01/12/24 21:57
おれも読むぞ!!!!!
竹田青嗣ってどう読むの?
「たけだ・せいじ」と読むんだにょ。
511 :
考える名無しさん :01/12/25 00:25
竹田は在日朝鮮人
>>510 てつがくのまえに、ひらがなをべんきょうなさいね。
513 :
考える名無しさん :01/12/25 23:32
511はうじ虫
514 :
考える名無しさん :01/12/26 00:22
「言語的思考へ」おもしろそう!!!!!!
515 :
考える名無しさん :01/12/26 02:49
買いたいけど金がナイ。
516 :
考える名無しさん :01/12/26 07:04
ageましょう!
517 :
考える名無しさん :01/12/27 16:44
age
だいぶまったりしてきたね!!!!!!
519 :
考える名無しさん :01/12/29 07:56
age
520 :
考える名無しさん :01/12/29 12:20
だからぁ、age。
521 :
考える名無しさん :01/12/30 08:45
「言語的思考へ」 読んだ人ご感想をどうぞ。
死刑囚。さん。ども。
>>495 >「神」も「自然」も「脳内神経の電子パルス」も、【他我】ですよ。
この辺もうちょっと詰めたいんですよ。
少なくとも現象学という文脈の中では、なぜ「他我」が世界の源泉と言い得るかを。
>>486 >それは、「他者がそのように確信している(他我)」と主観が確信して
>いることに由来するわけです。
「しかし『他者の確信』も『主観の確信』も、結局は『脳内神経の電子パルス』に
過ぎないじゃないか」とか、
「そう確信させているのは実は『神』なのだ」という反論が出てくるでしょう。
現象学ではなぜそういう立場をとらないのかをハッキリさせときたい。
「他者」と「神」「自然」「脳内神経の電子パルス」が決定的に違うのは、
後者がそれ自体を直接体験できない、あくまで観念的な想像物・超越であるのに対し、
「他者」だけが意識に直接的な内在体験として現れるという点ですよね?
だから意識体験の場面を全ての源泉と見なす現象学では「他者」が特別な意味を持つと。
しかしこれだけではまだ「他者」が「世界」という意味・情報の源泉だとは
言い切れない。
確かに≪私≫は他者という外部から様々な情報を日々得ているが、今≪私≫が抱えている知識が、全て「他者」からもたらされたという確証はどこにもないわけだから。
「いしころ」という概念を私は誰かに教わったという記憶がないなら、
「これは元々私の中にあった知識だ」と考えることもできるわけだ。
そうすると出てくるのが「間主観性」の考え方は、
「今・ここの≪私≫が意識体験を振り返れば情報は確かに他者からもたらされている。
だから他者に教え込まれた記憶のない知識も、遡れば必ずそういう由来を持っている
に違いない」
という、蓋然的に構想された仮説なのかどうか?という疑問です。
それともそのような「確信」が生じる構造を明らかにしたというところに
「間主観性」の学問的な意味があるということなのかな?
523 :
考える名無しさん :01/12/31 14:17
竹田の著作以上に話が小難しくなると間違った方向に進んでいるような気がする。竹田を絶対化しているとかそういう意味ではなく。。
525 :
考える名無しさん :02/01/01 07:40
まったりいこう
526 :
考える名無しさん :02/01/01 09:19
───────────────────────────−──────― ────────‐───────────−────────────―─‐ ─‐────────────‐────────‐∧_∧ ───‐──―──‐ ─────‐∧ ∧,〜 ────────────‐(; ´Д`) ────―─‐──‐ ──−──‐( (⌒ ̄ `ヽ───_ ───────‐ / /─―/ヽ────―─‐ ──―───‐\ \ `ー'"´, -'⌒ヽ──────‐| | 1 ‐─‐/ | | ─────― ―‐――──‐ /∠_,ノ _/_───‐―──―─‐| | /─―/ | |―────―‐ ─────‐ /( ノ ヽ、_/´ \―────‐──‐∪ ./──,イ ∪ ────―─ ────‐ 、( 'ノ( く `ヽ、 ―────―‐| /−─/|| | ──−───― ───‐‐/` ―\____>\___ノ ──────‐|/──/ || | ────‐─―‐ ───/───―‐/__〉.───`、__>.―‐―───‐─―‐| || | ─────―─ ──/──‐──────────────―−───‐(_)_)─────―─ ─/────────−────────────‐──────────―‐ ───────────────────‐─────────―─────‐
527 :
考える名無しさん :02/01/01 21:13
ageまくり
528 :
考える名無しさん :02/01/02 06:04
新しい本かったぞ!!!
529 :
考える名無しさん :02/01/02 12:04
より重要なのは、貴方の裡で生じた「優れた小説だ」という 価値観それ自体が、どのように成立したのかを考えること(形相的還元) であり、それが現象学の究極の目標でもあり、実際それが 価値の共通了解を獲得する唯一の方法なのです。 中国共産党政府がしばしば〈南京大虐殺〉を引き合いにしつつ、日本に 対し執拗に過去への「反省と謝罪」を求めるのは、米国議会調査局も分 析しているように、「狙いは援助や譲歩を引き出すこと」にあることは 間違いないが、もう一方には、冷戦終焉後の東アジアに覇権を確保する ために、その障害となる日米同盟に楔を打ち込む一つの手段として、旧 連合国同士で共感を抱きやすい旧敵国日本の「悪行」の記憶を呼び起こ そうとする意図があると見てよい。 だから、より重要なのは、貴方の裡で生じた「優れた小説だ」という 価値観それ自体が、どのように成立したのかを考えること(形相的還元) であり、それが現象学の究極の目標でもあり、実際それが 価値の共通了解を獲得する唯一の方法なのです。 せいぜい「あの戦争は正しかった」っていう程度だろ。 先祖がえりしてどうすんだ。 今どき「正しい戦争」なんて概念持ち出すなんて、 19世紀の帝国主義なみだよ。 『ザ・レイプ・オブ・南京』の拡販活動の背後に中国系米国人や在米華 僑団体を通して中国共産党政府の影が垣間見えるのもこのことを端的に 物語っている。(「結語」より)
竹田に民族問題を絡めても面白くないんだよね。
>>530 529は適当なコピペを張り合わせただけ。ニュース速報板あたりで見たことあるよ。
>>522 >現象学という文脈の中では、なぜ「他我」が世界の源泉と言い得るかを。
現象学的認識論は、主観の裡に疑うことのできない「根源的所与性」を発見する
ことで、ノエマ的内実を得る。即ち、客観像を得る。ここまではOKですね?
「ノエマ的内実=世界」とは、言い換えれば主観の「意味充実」です。
人はノエシス的契機という「意味志向」が常に働いている。そして、その働きを
充たす──即ち意味充実する──ことが、いわば世界生成であり、かかる生成の
根拠が「根源的所与性」とか「内在」とか「確信成立条件」と言われるものです。
これが『イデーン』での還元。
だから、世界の源泉はなにかと言われれば、それは他我ではなく、超越論的主観で
あると答えなければならない。
しかし、主観にとっての最初のノエマ的内実は、「他者」なんです。
分かりやすく言えば、主観にとっての最初の「世界」は「他我」なんです。
主観が「他我経験」を無限に繰り返していくことで、「世界」もまた無限に
肥大化していくわけです。これが間主観性ということです。
>「しかし『他者の確信』も『主観の確信』も、結局は『脳内神経の電子パルス』に >過ぎないじゃないか」とか、 >「そう確信させているのは実は『神』なのだ」という反論が出てくるでしょう。 >現象学ではなぜそういう立場をとらないのかをハッキリさせときたい。 「神」という物語も、「脳内神経の電子パルス」という学説も、 「他我経験」として伝えられるからです。 あと「根源的所与性(確信成立条件)」は、いつでもどこでも自ら反復して 確かめられるものでなければならない。 「脳内神経伝達物質」であろうが「無意識」であろうが、それは客観存在を あらかじめ前提にした思考であるため、それを確かめるためには「主観」と 「客観」を一致させるしか無いし、また当然それは不可能。 養老孟なんか言う「唯脳論」が典型例だね。 世界の本当の姿みたいなものが、何処かにある筈だという前提にたてば、 「唯脳論」であろうが、フロイト理論であろうが、八百万の神であろうが そんなものは幾らでも出てくるわけです。「唯脳論」がある程度の 説得力をもつのは、それが自然科学的手法をとっているためです。 しかし現象学は、観念論ですからそういう考えには立たない。 コレは基本中の基本です。
>「他者」と「神」「自然」「脳内神経の電子パルス」が決定的に違うのは、 >後者がそれ自体を直接体験できない、あくまで観念的な想像物・超越であるのに対し、 >「他者」だけが意識に直接的な内在体験として現れるという点ですよね? >だから意識体験の場面を全ての源泉と見なす現象学では「他者」が特別な意味を持つと。 「他者」が特別な意味を持つのは、「私」と同じ「主観」として存在している ためです。主観は、他観(他我)を感受してはじめて「自己─他者」という 関係に目覚める。言い換えれば、他我を感受してはじめて「自己」を発見する。 >確かに≪私≫は他者という外部から様々な情報を日々得ているが、 >今≪私≫が抱えている知識が、全て「他者」からもたらされたと >いう確証はどこにもないわけだから。 >「間主観性」の考え方は、「今・ここの≪私≫が意識体験を振り返れば情報は確か >に他者からもたらされている。だから他者に教え込まれた記憶のない知識も、 >遡れば必ずそういう由来を持っているに違いない」 情報は他者からもたらされるというより、それは他我そのものです。 「他我経験」とは何も直接他者から教え込まれるといった体のものではないです。
>蓋然的に構想された仮説なのかどうか? 「根源的所与性」はある種の「感じ」であって、それを遡行することは出来ない。 ある飲み物を飲む。あっコーヒーだ、と感じる。この「感じ」が「根源的所与性」 であって、超越論的還元というのは、この飲み物が実際は何であるかの概念を エポケーすることで、「あっコーヒーだ」という「感じ」を得ることです。 一方、この「感じ」から、世界妥当へと至る構造を解明するのが形相的還元 というもので、そうするとそこから必然的に他我経験や間主観性という概念が 導き出されるのです。 で、何度も繰り返し言いますが、形相的還元の意味と、その目的を知って下さい。 フッサールは上記の例でいう「感じ」を『イデーン』では、ただ単に超越論的 還元として処理しただけだった。いわば「ある─ない」の系としての存在論を やったに過ぎなかった。しかし、フッサールは自らを反省して、『デカルト 的省察』では「他我経験」として、『危機』では「生活世界」として、 「美─醜」「真─偽」「善─悪」という系での価値の還元をやったわけです。 何故なら、「根源的所与性」には、実は既に価値が織り込まれていている からです。上で「ノエシス的契機」と書きましたが、この契機は常に「意味 連関」を伴っているのです。「痛い」とは「痛いという意味」であると竹田 氏は書いていますよね? 「世界」は一挙に確信される。しかし、その確信成立条件である「根源的所 与性(感じ)」には、さまざまな「価値観(他我)」が既に織り込まれて いるのです。他我が複雑に織り込まれた主観(間主観)が、意味志向のもと、 一挙に世界を感じ取る──意味充実する──わけです。
ついでに一言。 フッサールは自らの思想を最終的には「生活世界」という概念にまとめました。 で、ぶっちゃけ、「間主観」とは「生活世界」なんです。 厳密なニュアンスは、間主観の生きている世界というか、客観世界と対立 する世界とでもいう感じで、フッサールなりの文脈があるのは確かですが、 オレ的にはわざわざ「生活世界」なんて複雑な概念を使う必要性をなんら 感じないのでありまして、間違っているかも知れませんが、オレは「生活 世界=間主観」と理解している。 だから、ポテトの口答えさんが間主観が分からないというのなら、 見方を変えるという意味で「生活世界」について調べてみてはどうじゃろ? 少なくとも「間主観」という概念の意味合いを理解する助けにはなると思います。 あと、竹田欲望論では、間主観は「幻想的身体」というベタな熟語になりますし、 ハイデガーの「世界内存在」という概念とも、綺麗に重なっていますので、 重ねて調べてみることをオススメします。 ではでは。
537 :
考える名無しさん :02/01/04 11:44
>>535 形相的還元をいうときに、ただ単に「感じ」とかという
説明は控えた方が良いのではないですか?
自由変更によって「イデア的なものを捉える」といった重要な部分を
きちんとおさえて説明しないと(特に竹田氏の本だけ読んでる人には)
誤解を生む可能性があると思いますが。
>>534 >情報は他者からもたらされるというより、それは他我そのものです。
>「他我経験」とは何も直接他者から教え込まれるといった体のものではないです。
ならば「情報」は必ずしも「=他我」でなくても良いのでは?
ただ単に「情報」や「意味」であっていけないんでしょうか。
≪私≫にとっては、それがアプリオリなものか経験的なものか記憶のない
情報=知識もあるわけだから、必ずしも「情報=他我」とは言えないという
気がするんですが。
>>532 >しかし、主観にとっての最初のノエマ的内実は、「他者」なんです。
>分かりやすく言えば、主観にとっての最初の「世界」は「他我」なんです。
これも「『根源的所与性(確信成立条件)』は、いつでもどこでも自ら
反復して確かめられるものでなければならない」という前提に従うなら、
反復して確かめることはできないので確信成立は難しいと感じるのですが。
今読んでいる西研「哲学的思考」に私の疑問そのものの記述が出てきました。 「…実在的世界の存在が信じられていること、これは反省すればただちにわかる。 しかしその信念が赤ん坊にすでにあったとは考えにくい。とすれば、どうやって その信念が時間的に成り立ってくるのか(発生してくるのか)を考える、という 課題が出てくることになる。このように、大人の誰もが獲得している信念や意味 に対して、その成り立ちを時間的な成育のプロセスとして考察するのが、発生的 現象学である。 ``````````` ここで重要なのは、体験の本質観取においては "誰もが洞察し賛同しうる記述" が可能だが、発生的現象学ではそうはいかない、ということだ。発生的現象学は、 一つの仮説的なモデルとして形づくられる以外にはないからである。そのことに フッサールはふれていないが、これは銘記しておくべきことである。」 (P150第三章「何のための<還元>か」) 西氏の説く間主観性がどのようなものかはまだ読んでませんが、生活世界の 概念と共に注意しつつ読み進めてみたいと思います。
>>537 どうもどうも。
オレはむしろ、逆だと思うな。
竹田読者は「確信成立の条件」とか「不可疑性の条件」ということのニュアンスは
正鵠に射抜いている筈。だから、本質直観に至るまでに、想像できる限りの「疑い」
を試すということも分かっているよ。竹田読者を舐めてはイカン。
あとオレが「感じ」とか言ったのは、超越論的還元による「根源的所与性」のことです。
形相的還元から本質を得るまでには、勿論その「感じ」から自由変更や想像変更も
行うのですが、それを可能にするのもすべて「他我経験」なんです。
「他我経験」を説明せずに「自由変更」を理解しても、それは分かったうちに
入らないけど、「他我経験」を理解し、「間主観性」の意味合いがわかれば、
「自由変更」なんてのは当たり前の作業でしょう。
現象学の思想を鳥瞰してみれば、如何に「他我経験」という概念が大切かがわかる。
そもそも最近オレも小難しいことばっか書いているんだから、少しでも
簡単に説明したほうがいいでし。
竹田さんは「欲望」とか「感じる・ありうる・できる」とかと言うし、ハイデガー
は「気遣い」とかいうし、フッサールに至ってはわけがわからないので、
根源的所与性なんて「感じ」とか「感情」で十分。
「形相=イデア」的還元というのだって、その意味合いから言って価値観とか
感受性を探る、という言い方で全然間違ってないと思う。
だいたい多くの研究者は「本家取りゲーム」しか能が無いし、知的オタクは
ターミノロジーを操って上っ面の哲学史をなぞることしかやらないんだから、
こんなのはもっと簡単に説明してやればいいんです。
>>538-539 ポテトの口答えさん
超越論的還元と形相的還元はまったく違う性質のものであるということです。
535は自分でも上手く言えたと思ったのですが……
ちょっと今考え中です(笑
恐らくオレが形相的還元を必要とする現象──それが物であろうが複雑な
価値観であろうが──の、その多様性を無視した議論をしてきたので──
つまりわざわざ還元をしなくても一挙にその根源的所与性が得られるものと
そうでないものとがある──いろいろな疑問を招き寄せているのだと思います。
一般的な存在の根拠だけを確かめる超越論的還元は、いつでも誰でも一挙に
確かめられる根源的所与性を持ちますが、複雑な形相では、誰でも確かめられる
原理をもっているのは確かだが、その過程は「一挙」というわけにはいかない、
なかなか困難な形相もあるということです。
ま、とにかく、超越論的還元と形相的還元は全く性質の違う還元で、その
目的もまったく違うということだけは理解しておいて下さい。
西研さんの『哲学的思考』は、竹田さんの新刊とともに今届くのを待っている
状態なので、届いたら読んでみたいと思います。
「時間的な生育のプロセス」というのは事実そうだしフッサールも「歴史性」
と言い、確かに価値観は時間とともに形成されるものですね。
発生的現象学(形相的還元)が仮説モデルだというのは、誤解を招くので言って
おきますが、それは「形相的還元をおこなった通りに、実際もその通りに価値
観がなりたっているわけではない」という程度の意味でしょう。
ま、届いたらあらためて読んでみたいと思います。
ではでは。
541の上段。ちょっと変な書き方をしてしまった。
「根源的所与性」というか「確信成立の条件」は、確かに還元を必要とする
のだけど、「世界」を感じ取る有り様は、やはり「一挙」に感じ取るよね。
例えば綺麗な花をみて「綺麗だ」と感じ取るのは直感であって、その「感じ」は
根源的所与性なんだ。疑いようがない。
その「感じ」の価値観を探る作業が発生的現象学で、それはまた違った還元が
必要なんだ。
>>480 以降で書いたことや、
>>496 や
>>535 でOK
これ以上の言語化は、かなり面倒な作業になる。ちょっと勘弁してほしい(笑
はじめのポテトの口答えさんの疑問は「最初の他なるものは他我である」という
ことへの疑いだった。
「花」の存在は一挙に感じとれるが、それが「花」であるということや、
それを「綺麗だ」と感じ取る価値観は、「他我経験」を通した「間主観性」
があるからこそ、である。
と、こんな感じかな。
だから、これは「最初の他なるものは他我である」という言い方になるんだ。
「他我(それが花であるという知や、それを綺麗だと感じる価値観を抱く経験?)」
がなければ、「世界(花)」は存在しない、という言い方に。
543 :
考える名無しさん :02/01/06 17:43
age
「言語的思考へ」・・むずかしすぎる・・・。 デリダ読まないといけないな。 東の郵便的なんとかとか
545 :
考える名無しさん :02/01/07 12:15
竹田と西はポア
546 :
考える名無しさん :02/01/07 15:20
「言語的思考・・・」を読んでて最初のうちは以前の偏狭なデリダ批判が修正さ れて、デリダ評価へ大きな転回を遂げているのかと思ったが、徐々に竹田は何も 変わっていないことがわかった。 昔の竹田の文体は独特のシャープさを感じていたが、最近は何でもかんでも無理 に図式に当てはめがちで、なおかつそうした図式が何度も繰り返されて(デリダ・ フッサールなどの哲学史の中での位置づけとか)、かつてのように竹田を読むこ との快楽が得られない。言ってることは間違ってないとは思うんだけど。
547 :
考える名無しさん :02/01/08 01:10
>>540 形相的還元のやり方についての説明としては不十分ではなかったかということであって“目的”についてではない。
形相的還元のやり方が分からないと超越論的還元なども誤解される可能性があると思った。
>後半
哲学的な厳密な概念を簡単に説明することと、分かりやすく説明することとは同義ではないと思う。
そして哲学は諸学の中でも概念の厳密性を要求される学問だと思う。
「分かる」とは、難しい事柄をいかに相手にも分かるように説明しうるかということであろうと思う。
しかしそれは簡単と同義ではないように思われる。簡単に説明するというのは、
必ず、説明する者が、全体の中から主観的に「何が重要で何が重要ではないか」を大規模に選ぶことになるが、
厳密な哲学(以外の学問も同様)には、その影響は非常に大きい。だから竹田氏から出発するにしても、
それだけに頼るべきではないと思う。(だが此処はフッサールスレではなく竹田スレだから余計だな)
たしかに哲学史的に正統性にだけ拘泥するのは問題があると思うが、それは哲学史的なものをきちんと修めた者が
言うからこそ意味があると思う。でないと見苦しいコンプレックスの告白でしかなくなるように思う…
ただし上述は、哲学で飯を食うならともかく、趣味でやるならこだわることもないと思う。
翻訳概念の厳密性が問題となるところに日本哲学の二重の宿命性が表現されているような 竹田スレには著しくスレ違いと思いまふ。
>>547 同意するよ。
でも、哲学で飯を食うヤツなんて例外中の例外だと思われ
>(だが此処はフッサールスレではなく竹田スレだから余計だな)
ここよりマシなフッサールスレがあれば教えて欲しいが
ところで竹田の新刊まだ届かない。
正月休みを挟んだとはいえ、二週間近く経ってるのに。
急いでいるわけではないから良いけど、どうなってんだesブックスは。
550 :
考える名無しさん :02/01/09 08:56
定期age
age
552 :
考える名無しさん :02/01/12 21:12
ageさしてもらいます。
553 :
考える名無しさん :02/01/12 22:18
竹田か?
554 :
考える名無しさん :02/01/13 14:45
街をあるいていると竹田に似た人をよく見かける。
555 :
名無的発言者 :02/01/13 18:31
かなり以前に、TVで柄谷行人と竹田青嗣をみたことがある。 柄谷は中上健次関係で、竹田はNHKでやったニーチェの番組でみた。 著作からの印象とは違って、柄谷はしゃべり方がたどたどしくてアレーと思った。 竹田は揶揄されているような青年って感じはまったくなくて、 なんかマナーのしっかりした大人という印象をもった。ちょっと世間でも珍しいほどの紳士だった。
556 :
考える名無しさん :02/01/14 15:16
はっ!ageなきゃ。
557 :
考える名無しさん :02/01/14 15:18
>>555 竹田のほうがマスコミへの露出が多いから慣れてるんだよ。
558 :
考える名無しさん :02/01/17 05:34
嬰児
559 :
考える名無しさん :02/01/17 16:02
竹田の考え方ってお馬鹿? よくあんなので本出してやがるな。 小径書房で出た本は最悪だった(立ち読みアゲ
560 :
考える名無しさん :02/01/17 16:49
何て本?
561 :
考える名無しさん :02/01/17 17:30
ぼくは馬鹿ですから竹田せんせぇくらいの本が ちょうど分かりやすくていいのれす
562 :
考える名無しさん :02/01/17 20:09
言語的思考だっけの感想他にない?
563 :
考える名無しさん :02/01/17 21:19
>>562 竹田式に本質直感すると「いままでのポストモダン批判を論理的かつ詳細にしただけ」
564 :
考える名無しさん :02/01/18 10:04
竹田ニムは歌好きの在日(隠れ)。 プサン公へ帰れ!(嘘 藁) 竹田の言ってることはわかるなあ〜。おもしろいよ〜。すげータメになるからみんな読もうよ。 言語的思考は致命的だよ、あの本出したこと。もうダメになるしかないというかダメだから科異端だろうなあ。 逝って良し!
565 :
パンチョッパリ竹田 :02/01/18 17:43
竹田です。いやあ、みんなエロス語ってるな! もっとみんなでこの竹田スレ盛り上げてくれよな。 ところでいったいエロスってなんじゃらほい? 私はセックスで満足させたことないので語るしかないのです。 みんな、ゴメン!
『言語的思考へー脱構築と現象学』について ヘーゲルーマルクス主義を代表とするイデオロギー的および科 学的体系の解体を遂行する「現象学的還元」と「外部への遡行 」という二つの思想は徹底しており立派ではあるけれども、欠 落していることがあるのではないか、「脱構築」ー「差延」から 、現実社会や生活の課題を考えていき、様々な嘲笑や挑戦に耐 えうる思考を維持できるかどうかというデリダ的難題に対する 竹田青嗣の火花を散らす思索にすがすがしさを感じました。
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568 :
考える名無しさん :02/01/19 16:16
チョーセンアゲ
569 :
考える名無しさん :02/01/19 18:03
竹田ってどこがおもしろいの? 知識を切り売りして金儲けしている奴にしか 見えないのだが... それになんか極大のルサンチマンかかえてそうだし。 怖そう。
570 :
考える名無しさん :02/01/19 21:42
単なる悪口とファンの要約じゃなくて まともな批評はないの?
571 :
考える名無しさん :02/01/20 11:44
>570 「ないの?」じゃなくて、まずお前からカマせよ。 「まともな批評」ってやつを。
572 :
考える名無しさん :02/01/21 09:25
竹田なんにもないんだろ? まともな批評→「竹田=うんこ」
573 :
考える名無しさん :02/01/21 15:28
ラジオでキンキキッズが竹田さんの『言語的思考へー脱構築と現象学』紹介していました。意外な感じがしましたが、良く読み込んでいるなという感想も述べていた。感心!
574 :
考える名無しさん :02/01/21 16:41
竹田は現象学の守護者みたいになっちまったな。 哲学者は思考の自由を失ったちゃいかんよ。 まあ、意味とエロスはおもしろかったけど。
576 :
明治学院♀ :02/01/21 18:09
577 :
明治学院卒♂ :02/01/22 16:33
竹田って評判悪かったんじゃ? 贔屓野郎ってゼミの人が言ってた。 人間だもの……。
578 :
考える名無しさん :02/01/23 10:24
takeda=うんこ
ageeeeeeeeeee
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581 :
考える名無しさん :02/01/26 17:53
竹田の入門書は、非常にいいね!! 竹田を批判する人間に聞きたいんだが、 ハイデガーを解説した入門書で 竹田の「ハイデガー入門」以上のものがあるか? 現象学全般を解説した入門書で 竹田の「現象学入門」以上のものがあるか?
>>581 わしも、入門書著者としての彼の貢献は高く評価する。
宝島のなんかも、ほかのよりか、わかりやすかったもんな。
浅なんとかとか、橋なんとかとかの現代哲学の本って、
細野くんの経済本なみに、おいおい大丈夫か、と思うもの。
けど、哲学者として何考えてるのか、
どこに独創性があるのか、ぜんぜん知らない。
誰か教えてくれ。
583 :
考える名無しさん :02/01/26 21:38
竹田は入門どまり。 それ以上は語るとそれこそニンニクショーベン  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄終了〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
584 :
考える名無しさん :02/01/26 23:53
>>584 恥ずかしながら、ぜんぜん読んでおらんし、まったく知らぬ。
読むに値するかどうか、お−よそのあらすじを教えておくれ。
586 :
kouhei35 :02/01/27 15:09
ハイデガー入門なんて80年代日本のハイデガー理解、もしくは竹田ハイデガー に過ぎないじゃん。ちくま新書の入門と言いたいところだけど猿には難しかろう から、渡辺の『ハイデガーの実存思想』かbourdieu「l`ontologie politique de martin heideggee」でも読んどけ。ていうか竹田信者の場合ここで竹田が 入門の参考文献であげている本「すら」出てねえことが信者の証なんだよ。
587 :
明治学院学生 :02/01/27 16:55
竹田に関して言わせて貰うと、あいつは言葉を知らない。 言葉をしらないから書いているんだろう(パンチョッパリという意味ではなく)。 前向きなのか後ろ向きなのかよくわからないが、あいつの授業はクソだった。 取り巻き連中の異常さが物語っている。 あの取り巻き連はバカとしか言いようがない。 くだらないごたく並べているならきちんとした授業をやれ! あいつの信奉者がいること自体が新字ら連輪。 はやくコノよから消え去れ! ヨイショで単位とるなんて卑劣なやつらだ。 竹田=うんことあったが、まさしくソーだね。 クソ野郎!
>恐らくオレがオマンコを必要とする現象── それがヘルスであろうが複雑なイメクラであろうが──の、 その店のルールを無視した本番をしてきたので── つまりわざわざ自慰をしなくても一挙にその射精感が得られ るものとそうでないものとがある──いろいろな風俗に行っ ているのだと思います。 一般的な存在の風俗だけを確かめるチンポオマンコハメハメは、 いつでも誰でも一挙にフェラチオされる根源的欲望性を持ちますが、 複雑な体位では、誰でも確かめられる挿入感をもっているのは確か だが、その過程は「オマンコ」というわけにはいかない、 なかなか困難な店、風俗嬢もいるということです。 ま、とにかく、ソープとピンサロは全く性質の違う経営体型で、 その目的(前者はオマンコ、後者はフェラチオのみ、 しかし西川口流のように本番も期待できる) もまったく違うということだけは理解しておいて下さい。 ナメダルマさんの『風俗ルポ』は、竹田(チンカス)の新刊 とともに今届くのを待っている状態なので、 イメクラでおしっこ飲みたいと思います。 「時間的なシックスナイン、或いはクンニ→本番へのプロセス」 というのは事実そうだしフッサールも「射性」 と言い、確かにカチンカチンになっている時間とともに 形成されるものですね。発生的現象学(本番ヘルス嬢)が仮説 モデルだというのは、誤解を招くので言っておきますが、それは 「店の張り紙通りに(本番禁止、しかしヘルス嬢によっては1万円 くらいのチップで本番、あるいは馴染みになり外でおまんこ)、 実際もその通りに店の価値観がなりたっているわけではない」という 程度の意味でしょう。ま、本番ヘルスに行ってみたいと思います。 ではでは。
589 :
考える名無しさん :02/01/27 17:18
本番ヘルス渋谷エデンの待合い室で竹田さんと隣り合いました。 先生も外人すきなんですね。
590 :
考える名無しさん :02/01/27 17:28
591 :
考える名無しさん :02/01/27 17:30
592 :
考える名無しさん :02/01/27 17:34
593 :
考える名無しさん :02/01/29 00:48
594 :
考える名無しさん :02/01/29 11:00
takedaワショーイ!!!!!!!!!!!!!!!!!
595 :
考える名無しさん :02/01/29 19:10
竹田さんの本では、『エロスの世界像』が好きだな〜。
596 :
考える名無しさん :02/01/30 10:16
竹田さんは本では、『エロ本』が好きだ〜。
竹田のティンポが拝める『投稿写真』は何月号ですか?
598 :
考える名無しさん :02/01/30 11:51
600 :
考える名無しさん :02/01/30 18:54
やっぱ竹田青嗣は偉大だよ。
いやあみんなスマンコスマンコ
602 :
考える名無しさん :02/01/30 23:05
1000まで行くよ!
603 :
考える名無しさん :02/01/31 18:41
>>557 >竹田のほうがマスコミへの露出が多いから慣れてるんだよ。
嘘いうな。見たことねえyo!
604 :
考える名無しさん :02/02/01 09:44
605 :
考える名無しさん :02/02/01 14:25
606 :
考える名無しさん :02/02/03 06:04
ていうか「現代思想・入門」の頃のデリダ解釈を完全に放棄したことぐらい 誰かつっこめや(,, ゜Д゜ )ゴルァ
>607 死ねや、お前
609 :
考える名無しさん :02/02/04 21:54
**********竹田自体終了***********
610 :
考える名無しさん :02/02/05 05:11
まだ続くよ。
竹田に誰か小森唄唄ってやれ
612 :
明治学院♂ :02/02/06 10:05
竹田の女紹介キボンヌ! よくブス連れて歩いてるけど
613 :
クロウシテマニヨン人 :02/02/06 10:10
614 :
考える名無しさん :02/02/06 14:10
なんで哲学板に竹田スレが出来るのであろうか? 大体、哲学科で学部一年くらいで読んでみて、 四年になることには、こんな本を読んでいた自分が 恥ずかしくなるって、くらいの代物だろうに……。
615 :
考える名無しさん :02/02/06 19:31
世間では哲学科の方が恥ずかしいって代物だろがw
616 :
考える名無しさん :02/02/06 19:33
>>615 激しく同意。
だが、どうせやるならとことんやっている哲学科のやつのほうが
腹をくくっている分、中途半端に他学科哲学をかじりたいなんて
考えている連中よりマシと思われ。
617 :
現代思想の風景 :02/02/06 22:17
618 :
考える名無しさん :02/02/06 23:43
>>616 結果的には同意しとらんな?(w
覚悟のあるなしって話だろ?それ、形的には精神論なんだよ。
619 :
考える名無しさん :02/02/07 01:14
620 :
考える名無しさん :02/02/07 02:45
同じバカなら哲学しなきゃ損損
621 :
考える名無しさん :02/02/07 03:47
入ることもできない馬鹿
622 :
考える名無しさん :02/02/07 05:22
入れなくてもいい。正業にさえ就いてくれれば。
623 :
考える名無しさん :02/02/07 07:58
発狂する竹田
天皇制に関心あるみたいですね。 竹田は、丸山圭三郎との朝日カルチャーセンター・横浜 の講座で一度だけ見ました。
625 :
名無しさん :02/02/07 18:24
永井が自分の著書でキレてたよね
626 :
spensa :02/02/07 20:07
>>625 彼と対談する、仲魔以外はみんなきれる。
627 :
spensa :02/02/07 20:08
これ竹田の法則ニダ
628 :
考える名無しさん :02/02/07 21:42
そりゃキレるほうが帝脳ニダ
629 :
考える名無しさん :02/02/08 01:44
630 :
講談社学術文庫 :02/02/08 02:39
『エロスの世界像』『世界という背理』 『現代批評の遠近法』ってどうなんでしょう。 ユーミンみたいなマークは何? 竹田は「日本人」にも関心があるようです。 昔、『陽水の快楽』が、共通一次か センター試験に出ましたよね。
631 :
考える名無しさん :02/02/08 23:50
陽水も同胞だしな。 今日本屋に行って驚きなこと発見。竹田の本出している出版社から、あの特殊漫画根本敬の本出してる。 そんなことあり? 根本の方が哲学しってるよ。担当者おんなじ人? 俺の場合、ガロから入って、根本知って、それで大学は心理学部行って、哲学にも傾倒したけど、根本の思考には哲学者はかなわないといつも思ってた。 卒論は「特殊漫画」で卒業しました。
>631 川端康成と三島由紀夫と神ブラザースと梅若クニコとファイティング原田と木の実ナナがレーベルメイトであったことを考えればたいしたことない。
633 :
考える名無しさん :02/02/09 05:46
>>631 飯島愛と司馬遼太郎も同じ小学館から本出してるよ。
司馬より『プラトニック・セックス』のほうが「文学的」だよな(w
635 :
考える名無しさん :02/02/09 06:02
>>631 陽水の家は歯科医だから、世代的に考えて在日じゃないだろう。
636 :
先行予約受付中 :02/02/09 11:33
637 :
『現代批評の遠近法』 :02/02/09 20:12
元の単行本が『夢の外部』だった事もあり、 柄谷の「探求」に対して書かれた感じですね。
639 :
考える名無しさん :02/02/09 23:07
「解説」程度で「解って」しまうものって哲学と何の関係があるんですか?
>>639 関係ないんじゃないですか。デリダやジジェクの「解説」と同じく
639はまだまだ哲学のことが解っておらぬ。
642 :
考える名無しさん :02/02/10 05:41
おまえはわかってるのか?
わかった と思うな 思えば 負けよ
ドキュソ大学なんで大学2年のころの哲学の授業で竹田氏の本を読ませられたけど、 あれはやめたほうがよいと思う。
645 :
考える名無しさん :02/02/10 06:35
お前は勝ちたいのか?
646 :
考える名無しさん :02/02/10 07:58
641、643の流れでは自分は負けてるって言いたいの? 単なる馬鹿?
ふっ。青いな。若いの。
ああ、「単なる馬鹿」じゃなくて、「思わせぶりな馬鹿」だったか...。
まあそう無気になりなさんな。哲学を解ろうとしてはいけないよ。
650 :
考える名無しさん :02/02/10 23:40
むきになってるのはおまえ。
まずは美空ひばりに学ぼうではないか。 哲学の道は『柔』の道よ。
まあまあマタ−リ(生涯かけて500冊しか本が売れない馬鹿教授に死ぬ までこきつかわれる陰性たちよ、くやしかったら数万部売ってみろ!
653 :
考える名無しさん :02/02/11 00:19
指圧の心は母ごころ。
654 :
考える名無しさん :02/02/11 00:21
650も、むきになってる暇があったら定職につけって。
(誰か古い哲学者の著作を現代語訳で再翻訳してくれないかな…。)
656 :
考える名無しさん :02/02/11 01:24
657 :
考える名無しさん :02/02/11 01:26
結論:哲学大師はだれひとり得心させることができない。
658 :
考える名無しさん :02/02/11 05:26
定職が無いからってなんでも否定するのはいかがなものか?>656、657
>>656 あれ?やっていいの?
数万部なら売れるかもしれないアイデアを言ったつもりなんだけどな。
660 :
考える名無しさん :02/02/11 07:11
根拠のない決め付けはいかがなものか?>658
とりあえず(■∀■)メシクッタ?
662 :
考える名無しさん :02/02/11 07:17
>>658 は定職についてないのをコンプレックスにしている就職浪人と思われ。
664 :
考える名無しさん :02/02/11 23:26
>>664 おお?(W
そのいいかただと旧制明大教授だな(”
666 :
考える名無しさん :02/02/12 05:12
>>662 誰でも自分と同類扱いするのはいかがなものか?
667 :
◆yGKIJetc :02/02/12 07:13
夜が明けるYO!
668 :
考える名無しさん :02/02/12 07:46
669 :
◆yGKIJetc :02/02/12 09:43
670 :
考える名無しさん :02/02/12 20:59
>>665 ハァ?意味不明。
竹田は新制明学教授ですが?
つか、あんた無意味な想念が脳内渦巻くキチグァイですな。
671 :
考える名無しさん :02/02/13 05:18
672 :
考える名無しさん :02/02/13 05:19
まあ一度も現象学会に入会希望すら出さない引きこもりチョソは 信者と心中しろってことだ。
673 :
考える名無しさん :02/02/13 05:24
この人の哲学解説書って、哲学用語を普通の言葉で言い直すと 大したこといってないような気が・・・。 そんなわけで、竹田ファンのひとに尋ねたいんですけど、 彼の思想をできるだけ専門用語なしで語ると どんな風になるのですか?
674 :
現象学会? :02/02/13 05:27
あぁキモイ引きこもり信者の集団ですか。 逝ってよし!
がんばってフッサールのうまれかわり
676 :
考える名無しさん :02/02/13 05:37
>引きこもり信者 信者? 何の?
677 :
考える名無しさん :02/02/13 05:37
>>673 「哲学用語を普通の言葉で言い直すと大したこといって」る
実例ってなによ?
678 :
考える名無しさん :02/02/13 05:38
まあ毎朝5時台に粘着カキコしてる引きこもりの
>>641 ,643,658,666,671
はとっとと職みつけろってことだ。
679 :
考える名無しさん :02/02/13 05:39
680 :
考える名無しさん :02/02/13 05:44
>>678 >まあ毎朝5時台に粘着カキコしてる引きこもりの
オマエノコトダガナーw
681 :
考える名無しさん :02/02/13 05:47
682 :
考える名無しさん :02/02/13 05:49
683 :
ヽ(`Д´)ノ :02/02/13 05:50
ヽ(`Д´)ノ<それを言うならワタシモナーなのだ。
684 :
考える名無しさん :02/02/13 05:57
>>679 それは難しいんじゃない(W
677の質問自体がおかしいから。
答えるとするなら何も変わらない、だろ。
685 :
考える名無しさん :02/02/13 06:14
673は普通の言葉で言えば、なんでも「大したことじゃない」ように 思っちゃうんじゃないの?
686 :
考える名無しさん :02/02/13 06:20
687 :
考える名無しさん :02/02/13 06:29
たとえば「何故私は私なのか?」 この問題を考えるには、哲学用語は殆どいらないが 哲学的な思考を必要とします。 そしてその思考プロセスは「大したこと」だとおもいます。 ちなみにこの問題についてもっともよく考えている永井均に対し、 (永井自身の思索とは無関係な)思想ジャーナリズム的観点から 頓珍漢な反論をしてたのが、竹田青嗣なのです。
689 :
考える名無しさん :02/02/13 20:22
>たとえば「何故私は私なのか?」 >この問題を考えるには、哲学用語は殆どいらないが >哲学的な思考を必要とします。 >そしてその思考プロセスは「大したこと」だとおもいます。 > >ちなみにこの問題についてもっともよく考えている永井均に対し、 いや。 竹田は「そんなことは大した問題じゃねー」 って言っただけだよ。
690 :
考える名無しさん :02/02/13 20:56
>>689 言ってたとしても、それは「現代思想の動向」とかいう
どーでもいい観点から「大した問題じゃない」って
言ってたんでしょ?
そんなに重要かね、現代思想なんて。
691 :
考える名無しさん :02/02/13 21:32
>>687 >そしてその思考プロセスは「大したこと」だとおもいます。
どこが「大したこと」なのか分からんのだが。
>>691 永井スレでも見てくれ。
(関連で「子供の頃の奇妙な思考,観念,妄想」スレも)
ていうか、わからない人にはわからなくても
別に構わないんだけどね。
(だから大したことだと思える人だけが思えばいい問題)
まあ、「現代思想の動向」からみたら
大したことじゃないんだろうけど!?
693 :
考える名無しさん :02/02/13 22:44
「現代思想の動向」なんか知りませんが、 「何故私は私なのか?」 なんて 考えても仕方がないことだと思います。
じゃあ、考えるべきことが 竹田の思想から見出せましたか? どういうのか教えてくれませんか?
695 :
考える名無しさん :02/02/13 23:23
>>692 >永井スレでも見てくれ。
永井なんて興味ないからイラン。
「子供の頃の奇妙な思考,観念,妄想」なんて
「エロスの世界像」を読めばすべて解消。
おととい来やがれの話だな。
>>695 ほ〜、それはすごい。
んで、その「エロスの世界像」には
どんなことが書いてるの?
どうやって解消できるの?
もし言うのがめんどくさいなら、
このスレの何処らへんにそれが書いてるか
教えてくださらぬか?
それほどの名著だから、
このスレの何処かで言ってるはずだよね。
697 :
『現代批評の遠近法』114頁 :02/02/13 23:37
たとえばまた柄谷は、「意識は社会的存在によって規定される」という マルクスの言葉を引いて、マルクスもまた誰もメタレベルに立てないと いう問題を語っているというのだが、わたしの見る限り、これも違っている。
698 :
考える名無しさん :02/02/13 23:41
>>696 明日本屋で買って読んだ方がはえーよ。じゃーな。
>>698 いや、どう考えても教えてくれる方が早いって。
っていうか、このスレに書いてないのか…?
(名著のはずなのに…)
700 :
考える名無しさん :02/02/13 23:52
>>699 そおいう聞き分けのない人には、教えるだけ労力の無駄です。
701 :
考える名無しさん :02/02/15 00:05
言語〜出した径書房って潰れるって業界の話です。 竹田の本出したからか? つまんないよ、ほんとうに。どうしたんだか編集者の意図もきいてみたい。同業者として。 いま竹田の本出してもアホ学生が手にとるぐらいでしょ?
702 :
考える名無しさん :02/02/15 05:14
悔しかったら売れる本出してから言えよ。
703 :
考える名無しさん :02/02/15 07:15
704 :
IQ190以上 :02/02/15 07:22
その昔、竹田と丸山圭三郎との朝日カルチャーセンター横浜の 講座で、竹田の女性ファンが来てた。 僕は竹田ファンじゃないけど、 梅原猛とか中村雄二郎の全集よりはいいんじゃない? 図書館で借りるぐらいですが。
705 :
考える名無しさん :02/02/15 19:03
>>703 売れればいいのかよ。
じゃあ、五島勉や矢追純一のほうが竹田より
優れてるってことだな。
707 :
考える名無しさん :02/02/16 19:28
>>706 五島勉や矢追純一が哲学本出して竹田より売ったんなら聞いてやるよ(w
708 :
考える名無しさん :02/02/16 19:38
>>707 一応、あれでも思想のカテゴリーに入るんだけど・・・。
しかも矢追らとあんま変わらんけどな、俺からしたら。
ていうか威張るほど売れてないだろ、竹田って。
下らん。
709 :
考える名無しさん :02/02/16 21:40
>>708 おまえの思想遍歴が五島・矢追→永井だか柄谷だったってだけだろ。
下らん。
710 :
考える名無しさん :02/02/16 21:44
>>709 おいおい、あまりに悲しすぎる例をだすなよ(w
竹田の場合とくに日本や世界の哲学者とコミットしてるわけじゃないから
永久に他人の声をきかずに哲学(?)できるってメリットはあるかもしれ
んが(w
711 :
考える名無しさん :02/02/16 21:57
>>710 「世界の哲学者とコミット」?あぁ、永久の片思いのことだろ?(w
日本の哲学者って哀しいよな。しょせんは閉じたムラだもんな。
ムラの中での付き合いだけが「他人」との接点か。幸せだね。
狭い社会で永久に自足してな(w
>>711 うーん(w
どうやら竹田が批判してるような海外の哲学者に直接会いにいくことは
意味がないと思われてるらしい(w
まあ一度でいいから竹田も批判してる相手に会ってみろってことだ。
しゃべれたらの話だが(w
713 :
考える名無しさん :02/02/16 22:05
>>712 「哲学」界では、直接会いに行くとか行かないとかがそんなに大事なの?
じゃあ竹田に文句あるなら君が直接会いに行けば?
人前でしゃべれたらの話だが(w
714 :
考える名無しさん :02/02/16 22:06
>>713 いやそりゃそうだろ。対話のないのが閉じたムラってことだろ。711
でいってたのは・・・
715 :
考える名無しさん :02/02/16 22:27
>>714 じゃあ本や論文書くのは今後一切やめて、辻説法でもするんだな。(w
直接対話にそんなにこだわるんなら、まず君が竹田に会いに行けよ。
716 :
考える名無しさん :02/02/16 22:30
>>715 いやそれは竹田だろ(w
馴れ合いをすてさるのはさ。というかそこまでなぜ熱くなれる。もうちょっと
冷静に議論できんとあんたじゃなく竹田に問題があると思われてくるぜ。
老婆心ながら。
717 :
考える名無しさん :02/02/16 22:47
>>716 >いやそれは竹田だろ(w
冷静に考えてそれは違うだろ?(w
竹田は批判対象には直接会わねばならないという主張をしてるわけじゃないんだからさ。
そういう信念に呪縛されてるのは君なんだから、君が自覚しなきゃだめだよ。
もうちょっと冷静に考えてくれたまえ。
718 :
考える名無しさん :02/02/16 23:14
>>717 じゃあ本や論文書くのは今後一切やめて、辻説法でもするんだな。(w
ここのことなんだが。冷静に考えるって言う前に冷静に「読め」よな。
719 :
考える名無しさん :02/02/16 23:19
竹田は狭い文芸批評界しか活躍してるところがないだろ。 あとは取り巻き。閉じたムラとか言って批判するなら まずはそっちの方を問題にしなさいってこった。 ま、まともな哲学は閉じたムラだのなんだの言われても、 そんなのは(事実であっても)関係ないんだけどね。
720 :
考える名無しさん :02/02/16 23:37
>>718 直接対話にこだわるなら著作や文章による表現行為はどうなるのさ
ってことじゃないか。冷静に読めよな。w
>>720 そこのことを言ってるんだが・・・。
だから「著作や文章による表現行為は」やめろってこと。
722 :
考える名無しさん :02/02/16 23:46
723 :
考える名無しさん :02/02/16 23:50
>>719 要するに「まともな哲学」ってムラの論理ってわけね。
哲学者より文芸評論家の方が社会的発言力あるんだから、
ムラの奴に「狭い」なんて言われたかなかろう(w
>>723 だからムラだの何だの下らんことに気にしてないんだってば。
そんな概念にこだわってるのはそっちのほうなんじゃないの?
>哲学者より文芸評論家の方が社会的発言力あるんだから
どれだけの発言力だよ(w
よっぽど周りがみえないようだな。
ま、そんな下らんもの持ってようがなんだろうが
哲学に関係ないっての。
725 :
考える名無しさん :02/02/17 00:06
>>724 竹田も「日本や世界の哲学者とコミット」してるかどうかなんて
小さなムラの論理は気にしてないだろうね。
「日本や世界の哲学者とコミット」してるかどうか気にするのは
小さなムラの住人だけだろうしな(w
>どれだけの発言力だよ(w
哲学者に比しての発言力だよ(w
社会的発言力なんて下らんことに気にしてない哲学者と比べて、 文芸評論家が「発言力」があるなんて威張ってる君はアフォか? その発言力ってのは「絶対的」にみてどれだけなの? あと、相変わらずの「ムラ」がどうのとかいう 馬鹿の一つ覚えはやめなさいっての。 哲学はそんなのに関心ないわけ。
727 :
考える名無しさん :02/02/17 00:22
>>726 そうかいそうかい。
竹田サイドも社会へのコミットなんて気にせずに、
「日本や世界の哲学者とコミット」してるかどうかばかり気にする、
そんな下らんムラの論理に終始してる奴らのことは気にしてないよ。
哲学はそんなのに関心ないんでね。(w
俺は719から書き込んでたんだけど、 こいつなにごっちゃになって語ってるんだ? 相変わらずムラムラ言ってるし。 俺は別に、竹田も所謂「哲学業界」から孤立したままやってても 構わんと思ってるよ。 だけど、あんたが「文芸評論家は社会的発言力をもってる」 (んなもんあるか!)とかいうような、 周りの見えないようなこといってるからアフォだっていってるの。 ムラだのなんだのにこだわって批判するなら、 自分の視界の狭さに気付きなさいよ。
729 :
考える名無しさん :02/02/17 00:43
>>728 だからさ、哲学業界に比べればって言ってるじゃん。
哲学業界には「コミット」せずに「狭い文芸批評界しか」ないと
言われる筋合いないよ、って言ってるだけ。
あんまり熱くなるなよ。
730 :
考える名無しさん :02/02/17 00:45
>>728 だから「哲学業界」に比べて威張ってるんじゃないっての。
しかもあいかわらずごっちゃにして喋ってるし。
731 :
考える名無しさん :02/02/17 01:13
>>730 別に威張っちゃいませんよ。
それに他人の話の流れに割り込んだんだから、前提は了解の上と
取られても仕方なかろ。「ごっちゃ」の何のと怒るのはどうか?
732 :
考える名無しさん :02/02/17 15:21
==========終了==========
>732 却下&退場!
734 :
考える名無しさん :02/02/17 22:49
>734 いまだに絡んでくるお前の方がよほど粘着度の強いヴァカ。
736 :
考える名無しさん :02/02/18 15:02
倒産
737 :
考える名無しさん :02/02/18 20:53
738 :
考える名無しさん :02/02/23 20:17
糞スレ化したのはだれのせいだ?
初めはまともなスレだったとでも? 糞には糞蝿しかたからないのは当然の摂理。
741 :
考える名無しさん :02/02/24 05:14
竹田HPのアホリズムはなぜ更新しない???
最近のここのレスって、竹田の思想内容について言及してないよな。 あるのは中身の無いハッタリばっかりだし。
そうそう竹田さんは思想家。 なのに哲学者のふりするから 叩かれる と 思うんだけど‥‥
思想家じゃなくて啓蒙家でしょ。 人の蒙を啓くありがたい御方よ。
やっぱり糞には糞蝿しかたからないんだなあ。
748 :
考える名無しさん :02/02/24 23:28
まあまあまたーりしようよ。
ほんと糞には糞蝿しかたからないんだなあ。
751 :
考える名無しさん :02/02/25 05:14
…と糞蝿750が手を擦る足を擦る
相変わらず中身が無いなぁ。
753 :
考える名無しさん :02/02/25 05:52
…と、中身があるつもりの糞蝿752。
…という糞蝿753。
755 :
考える名無しさん :02/02/25 06:13
何か良スレですね。 このスレに来て竹田青嗣の哲学の真髄がわかったような気がします。 やっぱりエロス論は永井均や柄谷行人なんて目じゃありませんよね。 竹田青嗣の哲学は、彼を受け入れない日本の狭い哲学業界なんかに 囚われない魅力があります。 恐らく世界中にもっと知られてもいいんじゃないでしょうか?
756 :
考える名無しさん :02/02/25 06:50
竹田氏ってフッサールの後期思想について修めてんのかな? 『イデーン』の概説だけで現象学入門っていうのは……
>755 最近のここのレスって、竹田の思想内容について言及してないよな。 あるのは中身の無いハッタリばっかりだし。
758 :
考える名無しさん :02/02/25 20:56
ちょっと待てよ。 混乱が生じてるのは自分自身をどうしても糞蝿と認めたがらない糞蝿のような奴がいるからだよ。 自覚ぐらいしようぜ。
760 :
考える名無しさん :02/02/26 00:28
普通の蝿はそもそも糞にたかるものです。
762 :
考える名無しさん :02/02/26 00:38
>>759 貴方は自分を糞蝿だと自覚したというワケですね。ほぉーえらいえらい。
では糞蝿は糞蝿らしく早く氏んでください。
763 :
考える名無しさん :02/02/26 00:46
いまやここに書き込む行為じたいが十分糞蝿な行為です。 ていうか、中身あること書けや。 読んで無くてもいえそうなことや 内容の無い悪口ばっか言ってないでさ。 「竹田の読者ってやっぱりこんなレベルか」って思われるのがオチだよ。
764 :
考える名無しさん :02/02/26 00:51
「自分自身をどうしても糞蝿と認めたがらない糞蝿のような奴」という蝿取紙にまんまと引っ掛かった
>>762 という糞蝿中の糞蝿がいるわけ。
765 :
考える名無しさん :02/02/26 00:52
読んでないから糞蝿しかいえないんだな。
ベルゼバブについて語ってるみたいだ・・。
767 :
考える名無しさん :02/02/26 00:54
自覚のない糞蝿がまた一匹。
768 :
考える名無しさん :02/02/26 00:57
このスレに来て竹田青嗣の糞蝿の真髄がわかったような気がします。 やっぱり糞蝿論は永井均や柄谷行人なんて目じゃありませんよね。 竹田青嗣の糞蝿は、彼を受け入れない日本の狭い糞蝿業界なんかに 囚われない糞蝿があります。 恐らく糞蝿中にもっと知られてもいいんじゃないでしょうか?
ゴールディングは偉大だった
770 :
考える名無しさん :02/02/26 00:58
いや、糞蝿はみんな知ってるよ。
771 :
考える名無しさん :02/02/26 00:59
なるほろ。
「蝿取紙にまんまと引っ掛かった」
>>764 =
>>759 という「糞蝿」が
混乱してもがいてるんですね。
772 :
考える名無しさん :02/02/26 01:00
しかし、糞蝿にも色々あって、いい糞蝿と悪い糞蝿がある。
ムスカも偉大だった
774 :
考える名無しさん :02/02/26 01:02
悪い糞蝿の典型は自分が糞蝿であることがわかっていない糞蝿である。
アスタロトはいい線いった
776 :
考える名無しさん :02/02/26 01:02
つ ま り 竹田青嗣のエロスってのは、「糞蝿」ってのを指してるんだな。 このスレを見てよくわかったよ。
777 :
考える名無しさん :02/02/26 01:02
しかしやはりべルゼブブだね。
778 :
考える名無しさん :02/02/26 01:04
もっと悪い糞蝿の典型は自分は糞蝿であることがわかっていない糞蝿よりましであると思っている糞蝿である。
779 :
考える名無しさん :02/02/26 01:06
んで、竹田青嗣は「糞蝿」について どのような見解なんですか?
780 :
考える名無しさん :02/02/26 01:07
>>776 残念ながら、糞蝿に竹田青嗣のエロスはわかりません。
781 :
考える名無しさん :02/02/26 01:08
どうしても自分と糞蝿と認めたがらないようだな。 何故?
782 :
考える名無しさん :02/02/26 01:08
そこが糞蝿の糞蝿たる所以だっての!
あれ? 一つ発言削除されたかな?
784 :
考える名無しさん :02/02/26 01:11
糞蝿言われたくないんなら、竹田哲学語れっての。 語りもしないうちに「わかってない」とか言うなよ。 語れないし読んでないんとちゃうか?
785 :
考える名無しさん :02/02/26 01:13
>>781 >どうしても自分と糞蝿と認めたがらないようだな。
日本語にも成ってませんね。
糞蝿さん、混乱しないで少し落ち着いてください。
786 :
考える名無しさん :02/02/26 01:16
糞蝿のレッテルの貼りあいは結構ですから、 竹田ファンの皆さんは早く竹田哲学について語ってください。
787 :
考える名無しさん :02/02/26 01:19
「糞蝿」相手に語ってモナー。
788 :
考える名無しさん :02/02/26 01:21
▲▲ と⌒⌒つ ゚Д゚)つ < 1000げっとだゴルァ
789 :
考える名無しさん :02/02/26 01:22
語れない言い訳は見苦しいものだ。
790 :
考える名無しさん :02/02/26 01:24
自分が糞蝿でないと言うなら何なんだ?
791 :
考える名無しさん :02/02/26 01:29
所詮、竹田青嗣についてすら語れないんだな。
そう。たかっているだけ。
793 :
考える名無しさん :02/02/26 01:35
「糞蝿」は無視してもいいから、語ってみろや。
オラオラ、たかってみろや。
「竹田を語れよ」って言った途端、それまで「糞蝿」言ってたのが パッタリ書き込まなくなったよ。 わかりやすいヴァカだよなぁ。
『エロス〜』は図書館で見たけど、 なかなか難しそうで良い本の感じ。 でも柄谷が出てこないので借りませんでした。 竹田で勉強する気もないというのもある。
あんまり難しくはないよ(基礎知識はいるかも)。 柄谷も出てくるよ。
798 :
考える名無しさん :02/02/26 05:22
>>795 人間は夜寝るからだよ。君達糞蝿は違うらしいが。
799 :
考える名無しさん :02/02/26 05:25
それでは語ってください。ほらほら。
800 :
考える名無しさん :02/02/26 05:31
>>799 もう十分語った。語りたきゃお前が語れや。
801 :
考える名無しさん :02/02/26 05:33
ぜんぜん語ってないじゃん(w。
802 :
考える名無しさん :02/02/26 05:35
>>800 お前語れないの見え見え。
わかりやすいハッタリだな。
803 :
考える名無しさん :02/02/26 05:36
>>801 はあ?
やはり自覚のある糞蝿の言うことは意味不明ですな。
804 :
考える名無しさん :02/02/26 05:37
805 :
考える名無しさん :02/02/26 05:39
じゃあ、このスレでお前の語った箇所言ってみ。
806 :
考える名無しさん :02/02/26 05:42
すくなくとも
>>800 、
>>803 は糞蝿しか言ってない。
>もう十分語った
スレの何処らへんだ?
糞蝿に教えるのめんどくさいとか言って逃げるなよ。
807 :
考える名無しさん :02/02/26 05:43
教えてやる義務はないね。
808 :
考える名無しさん :02/02/26 05:44
やっぱり逃げてるし。わかりやすいアフォだ。
809 :
考える名無しさん :02/02/26 05:46
>>807 >教えてやる義務はないね。
この程度でごまかせると思ってるの(w
810 :
考える名無しさん :02/02/26 05:48
>>808 義務はないんだから逃げてることにはならんよ。
教える義務があるというなら語ってみれば?(w
>じゃあ、このスレでお前の語った箇所言ってみ。 といってる人は、まず自分が竹田について語ってる箇所を示すべきでは?
812 :
考える名無しさん :02/02/26 05:53
だって俺、竹田なんて読んでないもん。 読んでないから語れない。なんかおかしいか? 別に読んでなくてもこのスレ見てもいいだろ? お前は読んでるんだから語れるよな? いい加減見苦しい逃げはやめろや。
ここにきたのは、竹田についてみんながどう語ってるか 見に来ただけ。だけど、とりわけ最近のレスは何も語っていない。 蝿だの何だの下らない悪口言う前に、竹田ファンはもっと真面目に 語るべきことがあるんじゃないの?
>>812 じゃあ読んでから書き込めば?それもせずに他人に語れ語れと強要するのは
変です。あなたこそテクストにあたるという基本から逃げているのでは?
読んでなくても言えることしか言ってないのが見苦しいのですよ。 別に強要しないけど、そんな空疎な議論して楽しいんですか?
816 :
考える名無しさん :02/02/26 06:04
だから蝿とかの空疎な話を引っ張らないで、 そんなの無視してちゃんと語ってりゃいいじゃん。
>>815 そんなこと言うんだったら貴方が竹田を読んで、読まなければ言えないことを
語ればいい。怒るくらいならそうすべき。
819 :
考える名無しさん :02/02/26 06:08
さあ、ここから竹田青嗣についてまったりと語りましょう。 下らない悪口の言い合いなんてやめてさ。
820 :
大人気ないガキどもは寝ろよ :02/02/26 06:17
ぶたども 義務もクソもあるかよ 青二才のくせしてプライドだけはいっちょまえってか? おまえらみたいな理屈だけの豚は小学生からやり直しでちゅよ。
あ、820は俺じゃないからね。 そんなわけで、みんな竹田について語ってください。 私は竹田にいまのところは魅力はないし、 (このスレじゃその魅力についてまだ何も言われないし) ほかの読むべき哲学書があるので、ファンの皆さんは 頑張って議論してください。 読む気のない人に、読ませるだけの説得をしてみてくださいよ。
しかし、しつっこいやつだなあ。 魅力も感じないものについて何故そんなに「語れ、語れ」っつってんの? その情熱の方が不気味だよ。 お前こそ、このスレッドの前の方のレスについて何か語ってみろよ。 何か感じたからこそこのスレッドに書込んでいるわけだろ。 意味もなくたかっているわけじゃないんだろ。 できなければお前が糞蝿だ。
823 :
考える名無しさん :02/02/26 13:17
何もいえない馬鹿をおちょくってるだけ。 頭悪いくせに、しかも何もいえないくせにいっちょまえのこと いってんじゃねえよ。 しかしこのスレの竹田ファンって馬鹿ばっか。 小学生なみの悪口しかいえないでやんの。
824 :
考える名無しさん :02/02/26 13:54
お前ら竹田信者が竹田青嗣について語らない限り 糞レスが続くよ。 悪口に相手してないで(まあそれしか出来ないんだろうけど) とっとと語れ(ていうか、騙ってるんか?)。
芸もなく繰り返し「語れ、語れ」と急き立てているやつほど糞蝿度が高いから各自自覚しておくように。
こういう風に言えば、語れないこと正当化できるつもりになれるからいいよなぁ。
827 :
考える名無しさん :02/02/26 20:04
>>821 >読む気のない人に、読ませるだけの説得をしてみてくださいよ。
そんな必要がどこにあるのか教えてください。
828 :
考える名無しさん :02/02/26 21:04
>>826 「語れない」または語らないことが正当でない理由は何ぞや?
829 :
考える名無しさん :02/02/26 21:27
>>824 >お前ら竹田信者が竹田青嗣について語らない限り
>糞レスが続くよ。
>悪口に相手してないで(まあそれしか出来ないんだろうけど)
>とっとと語れ(ていうか、騙ってるんか?)。
つまり「もう許してくれ!!」って逝ってるのかな?(w
てめえらって本当にまったりとした糞蝿だなあ。
>>830 また「糞蝿」ですか。
アンチって本当に「小学生なみの悪口しかいえない」のデスね。(w
しかし竹田読者を自称する糞蝿も相当の脳の持ち主と見えるな。 アンチも糞蝿呼ばわりされているのがわからないのか。 どっちにせよ竹田の話題に移行できなければお前等は皆糞蝿だ。
833 :
考える名無しさん :02/02/27 00:24
まあまあまたーり
ほらほら続けろよ、糞蝿共!
836 :
考える名無しさん :02/02/27 00:39
>>835 「語れ語れ」言い続けるのはもうやめたの?(w
さすがに視界狭いなあ、糞蝿は。 世の中には色々な糞蝿がいることさえ想像できない。
>>836 言ってる人が違うんですけど。
ここの信者は、「アンチ」はひとりしかいないと思ってるの?
まあ、信者は2、3人しかいないだろうけど。
アンチなのかよ!!!(w
アンチじゃないんだけどさ(ていうか読むつもりないし)、 あっちが勝手に「アンチ」って言うから わかりやすいように便宜上いったんだよ、括弧付きで。 まあ、いろんな奴を「アンチ」で一括りして 混乱した悪口言うのはあいかわらずだよな。
841 :
考える名無しさん :02/02/27 00:53
>>837 色々な糞蝿がいたとして、それが何か?(w
842 :
考える名無しさん :02/02/27 00:54
「アンチ」でかっこつけた時点でかなり問題かと・・・
843 :
アンチってオモロイ :02/02/27 00:56
>>840 「読むつもりないし」と言いながら読んでるのは
「混乱」してるからですか?(w
勝手に混乱して勝手に開き直って。 美しい糞蝿の自己完結した世界。 物事を単純に割り切れるって一種の才能だと思うな。
846 :
考える名無しさん :02/02/27 01:02
847 :
考える名無しさん :02/02/27 01:03
848 :
考える名無しさん :02/02/27 01:04
>846 レスの末尾に「(w」と付け加えなければ気が済まない奴が竹田青嗣の熱心な読者ってどういうことなんでしょうね。
850 :
考える名無しさん :02/02/27 01:06
w
851 :
考える名無しさん :02/02/27 01:08
>851 糞蝿も半笑いをするのかな?
竹田青嗣氏についてハッタリを語るスレ
854 :
考える名無しさん :02/02/27 01:14
>>852 糞蝿は自己完結してるから分からないなあ。
自分のやってることもわからないほど混乱しているのか、半笑いの糞蝿は!
856 :
考える名無しさん :02/02/27 01:20
>856 わかったよ! 糞蝿は語彙の乏しさや受け答えの単調さを半笑いでごまかしてるんだよ!
竹田青嗣氏についてはったりと騙りのスレ
859 :
考える名無しさん :02/02/27 01:24
竹田って間違いだらけの入門書しか書けないシロートだって有名。 まともな哲学徒は、誰も竹田なんか相手にしてないらしい。
861 :
考える名無しさん :02/02/27 05:25
>860 :早稲田哲学院生博士課程 ってのは「まともな哲学徒」に相手にされるわけ?
てめえらって本当にまったりとした糞蝿だなあ。
ちょっとは頭を働かせてくれよな。 糞蝿が気の利いたリアクションをしてはいけないなんて決まりはないんだから。
竹田青嗣氏についてはったりと騙りのスレ
せめてハッタリをかますくらいの威勢のいいのがいれば面白いんだが、 竹田の熱心な読者には無理な注文だよな。
こんな読者しかいなくて、かえって竹田青嗣が可哀相な気がする。
869 :
考える名無しさん :02/02/28 01:43
↑自主的バカ晒しあげ。
871 :
考える名無しさん :02/02/28 01:53
↑サゲでも反応せずにいられぬヘッピリヴァカ(w
872 :
考える名無しさん :02/02/28 02:05
>>868 は竹田の心配をする前に、
「ハッタリ」「語れ」「騙り」と同じことしか繰り返せない
自分の幼稚な知力を心配したほうがいい。
単純な似非竹田読者に対しては、単純にお相手してあげればいい。
874 :
考える名無しさん :02/02/28 03:40
gotakuhaiikarakatareyo
>>874 さんみたいなひとにも
「語れしかいえないのか」とか言って
結局語ることがいつまでもたってもできない、哀れな竹田読者。
876 :
考える名無しさん :02/02/28 05:09
>>874-875 しかしそんなに竹田について「語れ」と言うことに固執するなら、
君らが語れば良いのではないか?
「語れ語れ」と言うばかりで自分達は語れないなら、
「哀れ」なのは君たちだろう。
877 :
考える名無しさん :02/02/28 06:50
urusaikatatekaraie
お前らを糞蝿扱いするのは、糞蝿に対して失礼にあたる気がしてきた。
879 :
考える名無しさん :02/02/28 10:58
竹田の本売れなくて小径書房倒産の話でている。 竹田の本読む糞蝿。作る糞蝿。
「現代思想の冒険」は わかりやすくて、入門書としてはカナーリ良い。
竹田の本なんて読みたくないっていってるだろうが。 だからこっちに語る義務はない。何でこっちが語らなければならないっての。 ただろくに読んでないくせにいい気になってる読者気取り(特に半笑い糞蝿) おちょくってるだけだよ。ここまで言ってるのに逃げてるだけだし。 ほらみろ、何だかんだ言い訳ばっかりで「語るスレ」なのに 語ってねえじゃねえか。
ここにきてる読者は、ニュースで福岡正行とかの選挙予測とかみて 「これが政治学なんだ!」なんて思ってる田舎者と同類。
883 :
考える名無しさん :02/02/28 15:37
竹田の本売れなくて小径書房倒産の話でている。 竹田の本読む糞蝿。作る糞蝿
∩_∩ (・∀・; )<好きなんだろ?オラオラ!! /)/ノ . ノハヽ⌒⌒) ) )) カクカク ⊂(;´D`; )つ∪ヽ <き、きもちいれす。アンアンアン...
_、-‐--、,,,,,,,,,,__  ̄~^ヽ、;ヽ;;;;ヽ;:ヽ '~" ̄ヽヽ;i;;;i;;;;i;;;;i ノ:ノ::ノ;/;;;;;i;;i __,,,,,,,,,,,___/:/;/:/;;i::ノ/ <あはぁぁぁっ、 く、くる、きちゃうよぉ /^~"´ ̄-‐‐‐'''"´/:/;ノ;;;;ノ:// んあああああっ /::::::/:::::::_,,,、---‐‐'''`~,、-''/::/ /:::/:-‐''''"~~::::::::;;;;-、,,,,、-,,、-‐ヽ,,_ ;/;;'`"~、-''''''~^'''''ー-、_,,i:i、 ヽ`ヽ、;ヽ、,,,ノ. /"´ ̄~''.、 ;;;/~":、---、___/´ ,,i:''' :: ヽ. ヽ.`'''"´ /´ ::: _ヽ_ ;;;;;'''''^~~~~^'''''/ー- ';、 ::: ` ヽ`''ー-,,,i_ -‐''"´ .::。::.`''ー-、,_ ;;;、;;;`''ー-,,,,,,,,,,,,,,_,,,,,、_ '' ',:::: `'ー ::::: "ー-、 ;;;ヽ、ー、;;ー-、,,,,,,,、-‐''" .;´ ̄`, ',::::,,,,、- ..::: 、 ..:::: `''ー- :::::ー、ヽ、,,''ー-ヽ.''''",.,;' "^' 'ー-‐'' . _、-''''''"´ ヽ| :::ヽ、`''ー-、ー-、'ヽ"、i;. ヽ /" i: ... 、::ヽ;;ヽ、:ー-、,,,,,、.ヽ ';'' ノノノ/;/ :::: ::。:: υ .::: ヽ,,_::''‐、,,,,''ー-''ー-"''/~'"''"/:/:: ::、:::.. ...:: ヽー''"~´ ヽ、 "`'i::::::::i、:.. :~^ヽ:.. ....::::::::::::: ~´ ::: :::::::::;;;;;; ;;;;;;;;;;;_,,、--、_i.::::::'ノ:::::::: `''ー-、,...... ....:::::::::υ:::::υ::::::::::::::: ヽ'''''''''''''' '' :::::;;;;;;;;;;;;;;;;`-、:::::::::::::::::iノ::::::::::: """`''ー、,,_;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ::::::::::::''''''''''ー‐‐‐‐'''''''''~^~^~^ー--‐''''`~~`ー-、 _,,,、,,,,,,,,,,___ ヽ,---- 、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;: ,,,,,,,,,,`''''';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;_,,,,、-‐‐''''"´  ̄`''''''''''' ヽ ヽ:::::::::::::::: ー--、,,,,,,,,,_______:::::::::,-‐'''''''ー'''''" ̄ i ヽ:::::::::::: _、-'´ ヽ::::::: :::,;-'''''~'''''''''''ー-----''''''''''''''''ー-‐''''''''‐''''"´ ヽ:::
少なくとも半笑いの糞蝿は 竹田青嗣を読んだふりしてるだけ。
786 :考える名無しさん :02/02/26 01:16
糞蝿のレッテルの貼りあいは結構ですから、
竹田ファンの皆さんは早く竹田哲学について語ってください。
787 :考える名無しさん :02/02/26 01:19
「糞蝿」相手に語ってモナー。
789 :考える名無しさん :02/02/26 01:22
語れない言い訳は見苦しいものだ。
799 :考える名無しさん :02/02/26 05:25
それでは語ってください。ほらほら。
800 :考える名無しさん :02/02/26 05:31
>>799 もう十分語った。語りたきゃお前が語れや。
801 :考える名無しさん :02/02/26 05:33
ぜんぜん語ってないじゃん(w。
802 :考える名無しさん :02/02/26 05:35
>>800 お前語れないの見え見え。
わかりやすいハッタリだな。
803 :考える名無しさん :02/02/26 05:36
>>801 はあ?
やはり自覚のある糞蝿の言うことは意味不明ですな。
805 :考える名無しさん :02/02/26 05:39
じゃあ、このスレでお前の語った箇所言ってみ。
806 :考える名無しさん :02/02/26 05:42
すくなくとも
>>800 、
>>803 は糞蝿しか言ってない。
>もう十分語った
スレの何処らへんだ?
糞蝿に教えるのめんどくさいとか言って逃げるなよ。
807 :考える名無しさん :02/02/26 05:43
教えてやる義務はないね。
808 :考える名無しさん :02/02/26 05:44
やっぱり逃げてるし。わかりやすいアフォだ。
あの〜、
>>740 から糞蝿論議をはじめたものなんですけど、
俺はアンチにも語ってほしいわけなんですよ。
糞蝿という便利なレッテルがアンチのためばかりに利用されてるのを見ると、どうもな〜、って気がします。
いや、俺はアンチなんですけど、別にアンチ同士だからって気が合うわけじゃないし。
>>822 で書いたことを以下に引用します。
>しかし、しつっこいやつだなあ。
>魅力も感じないものについて何故そんなに「語れ、語れ」っつってんの?
>その情熱の方が不気味だよ。
>お前こそ、このスレッドの前の方のレスについて何か語ってみろよ。
>何か感じたからこそこのスレッドに書込んでいるわけだろ。
>意味もなくたかっているわけじゃないんだろ。
>できなければお前が糞蝿だ。
大したことない意見、2回ものっけるなって。 >何か感じたからこそこのスレッドに書込んでいるわけだろ。 まあ、しょうもないことしか言ってないなと感じた訳で。
>889 それって何も言っていないと同じことだよな。 それとも何かを言ったつもりなのか? そもそも何でお前はこのスレッドにたかっているんだ?
891 :
考える名無しさん :02/03/01 05:42
>>887 「語れ語れ」と馬鹿の一つ憶え繰り返す脳しかない糞蝿君だが、
その理由となると甚だあやしいね。
>>831 >ほらみろ、何だかんだ言い訳ばっかりで「語るスレ」なのに
>語ってねえじゃねえか。
「語るスレ」なのに語ってない。それがいけないと言いたいわけか。
だったら竹田読者じゃなくても「語る」べきだよなあ?
オラオラ、とっとと語れやこの糞蝿ども(w
892 :
考える名無しさん :02/03/01 05:46
みみずれてるよ
>>891 半笑糞蝿よ、尻馬に乗るなっての、このカス。
信者・アンチ問わず集まってくるのは馬鹿ばっかと言う事実を、
カリスマ哲学者はどう受けとめているのだろう。
894 :
考える名無しさん :02/03/01 17:42
何か変なスレだなぁ
895 :
考える名無しさん :02/03/01 18:49
木を見て森を見ず
カリスマ哲学者降臨。 必然性ゼロ。
898 :
考える名無しさん :02/03/01 23:00
>>897 「必然性」を言うなら「なぜ語るべきなのか」、必然性を示せ。
応答する必然性ゼロ。
竹田なんて読んでないので語りませんが、何か? >「語るスレ」なのに語ってない。それがいけないと言いたいわけか。 >だったら竹田読者じゃなくても「語る」べきだよなあ? 竹田読者気取りの半笑い糞蝿がバカだってことは「語って」ますけどね。
901 :
考える名無しさん :02/03/02 01:29
>>899 >789 :考える名無しさん :02/02/26 01:22
>語れない言い訳は見苦しいものだ。
だとよ。(w
902 :
考える名無しさん :02/03/02 01:41
>>900 >竹田なんて読んでないので語りませんが、何か?
じゃあ
>>831 で言う
>「語るスレ」なのに語ってねえじゃねえか。
なんてことは語るべき理由にはならんじゃないか。
そんなことも分からぬアフォですか?
竹田にたかるアンチがバカな糞蝿だってことは「語って」ますがね。(w
>>901 ああ、それね。それの前にこんな↓の書いてるんだよ。
787 :考える名無しさん :02/02/26 01:19
「糞蝿」相手に語ってモナー。
まあ相変わらずにげまわってるけどね。
また「アンチ」かよ。
語ってもいない糞蝿に「語ってください」と要求するのがどうしておかしいんだ? 非読者が何で読みもしないのに語らなきゃいけないんだ? 半笑い糞蝿みたいに読んでるふりして語りも出来ないよりマシだと思うが。
906 :
考える名無しさん :02/03/02 02:05
>>905 >語ってもいない糞蝿に「語ってください」と要求するのがどうしておかしいんだ?
要求する理由がわからなかいから。理由不明の要求に従う義務など無いな。
>非読者が何で読みもしないのに語らなきゃいけないんだ?
「語るスレ」なのに語ってない、と怒るなら読者も非読者も関係無く語らなきゃならん
ってことだろ。それが嫌なら他人にばっか「語れ語れ」言うなアフォってことさ。
まあ、語れなんて言わなくても語らないだろうが。
908 :
考える名無しさん :02/03/02 02:09
>>903 「語る」べき理由が語れず逃げ回ってる糞蝿もいるけどね。(w
>「語るスレ」なのに語ってない、と怒るなら読者も非読者も >関係無く語らなきゃならんってことだろ。 「竹田」を語るんだから、竹田の知識のない奴は語らなくていいだろが。 それとも半笑い糞蝿みたいに知ったかぶりしてろってことか? なにも読者が語ってないから要求する、何がおかしい? >「語る」べき理由 そんなもんないよ。こっちだって「理由」があるなんていってない。 ただの要求だもん、ていうか、糞蝿おちょくってるだけ。 語りたくなきゃ(語れなけりゃ)語らなくていいよ。 でもこのままだと、お前(半笑い糞蝿)は語れないってことになるからね。 (ていうか、それが事実なんだろうけど)
910 :
考える名無しさん :02/03/02 05:44
>>909 >なにも読者が語ってないから要求する、何がおかしい?
何日間も延々「語れ語れ」とキチガイみたいに書き込む暇があったら、
自分で竹田の本読んで語ればいーじゃん。
>>「語る」べき理由
>そんなもんないよ。こっちだって「理由」があるなんていってない。
>ただの要求だもん、ていうか、糞蝿おちょくってるだけ。
お?今度は開き直りですかい?(w
論理の破綻は覆い隠しようもないがね。
>でもこのままだと、お前(半笑い糞蝿)は語れないってことになるからね。
>(ていうか、それが事実なんだろうけど)
そんなことにはならないね。
糞蝿に要求されたって、語るべき理由が無ければ語る気にはならんからな。
自分に都合の良い「事実」を夢想して相手を脅迫しようなんて、哲学的な
態度じゃないなあ。(w
てめえらって本当にまったりとした糞蝿だなあ。
912 :
考える名無しさん :02/03/02 06:16
「竹田青嗣氏についてまったりと語るスレ」というスレッドで、 「竹田については語りたくない」ということを延々と主張する信者とアンチ。 まれに見るバカスレだね。
913 :
考える名無しさん :02/03/02 06:26
このバトル最高だよー。セイシデチャタ アフォ同士だと こういうバトルが出来るんだね。ガンバッテモトヤレヨー
914 :
考える名無しさん :02/03/02 06:28
>>912 ものの表面しか見えないアフォは黙ってなさい。
915 :
考える名無しさん :02/03/02 06:32
いやあ、すごく表面的な議論だよなぁ。
916 :
考える名無しさん :02/03/02 06:33
917 :
考える名無しさん :02/03/02 06:34
どうでもいいが、お前らはやく語ってみろって、 語らなきゃ進まねぇよ。マジデ
918 :
考える名無しさん :02/03/02 06:39
「竹田青嗣についてまったく語らずに1000を目指すスレ」 に名称変更ってことで。
919 :
考える名無しさん :02/03/02 06:50
>>918 それじゃあこのスレのかちが無くなるじゃん。
久しぶりっす。微笑ましいやり取りだね…… あああ〜、学生時代の時間って本当に貴重!!! こんなしょうもないやり取りができるんだから。 社会に出てごらんよ。竹田は糞だとか、柄谷はアフォだとか 言ってらんないから。痛切に感じるね、最近、そゆこと。 オレ忙しくてしょうがねー。羨ましい。マジ。君たちが。 で、お利口さんたちに1つ忠告。学生時代の時間を大切に。 さて、新刊の『言語的思考へ』。オレも暇を見つけてはパラパラ読んで いるんだけど、相変わらずの全編これデリタ批判という様相を呈している。 しかしながら、その徹底ぶりが眼を見張るんだなー。これは今までになかった。 今までの竹田さんだと、要点をだけを抽出して分かりやすい言葉で書い ていたけど、今度のは、良い意味で業界向きって感じがした。 西研の『哲学的思考』なんかも、原書を事細かく引いて、フッサール の意図を解説し、批判すべきは批判し、なおかつ現象学のエッセンスを わかりやす〜く抽出している。『哲学的思考』はもう『現象学入門』が 色褪せて見えるくらいの大作ってカンジ。 両書とも、今までの竹田現象学と相違ないが、特筆すべき点はフッサールの 限界点をあらためて明確に示したこと。あとヘーゲルとカントがかなり好意的 に捉え直されている。要するにドイツ観念論の系譜が如何なる意図のもとに生 まれ、それが如何に誤解にさらされて来たかという竹田・西二人の西洋哲学史観 がより明確に確立されている。このへんはかなり重要。かなりオリジナル。
特に『哲学的思考』は現象学解説に留まらず、西研独自の現象学的思考が展開
されていて、非常に読み応えがある。
西研は、竹田以上に誠実な人と言う感じで、思想の共有性、一般性という
ことをしきりに主張していて、これにはオレも眼が醒めた。
ただ、竹田がなんでわざわざ東浩紀批判を打つのかがわからん。
東のデリタ解釈が間違っているって言っているんだけど、もっと酷いヤツ
なんてゴマンと居るんだし、あんなガキんちょ放っときゃいいのに、と思う。
竹田さんはよほど批評空間系の論者が嫌いと見える。彼らの影響力を過大評価
している。放っときゃいいのに。
今まで一度だって反論が帰って来たためし無いんだし。
あと、過去ログに突っ込み所満載のレスがたくさんあるけど、
とりあえず少しだけ。キリがないんで。
まず、哲学科のことが話題にあったけど、大学で習い覚える程度の哲学は、
知的コンプレックスをもった
>>614 とか
>>587 とか、他にもたくさんいるけど、
そういういやらしい感情生活を送っている学生にとっては、むしろ悲惨な理路として働く。
言葉の世界を手に入れたことで人間が失ってしまうものについての
小林秀雄的な考察こそがまっとうな哲学的思考ってもんだ。
それこそが竹田のメッセージ。
竹田の著作の幾つかについて、その文章の幼稚さを感じてしまうのは
オレも心当たりがないわけではないが、例えば『はじめての現象学』など
の愚直な語り口をあらためて読み返してみると、あそこまで完全にレトリック
を排せるもんなんだと、オレなんかはカンドーを覚える。
これは哲学を囓ったことのある人ならわかると思うけど、なかなかできる
ことじゃないんです。
あとこれもかなり前の方のレスの話題だけど、 オレが知っているだけでも、竹田さんはテレビに4回は出てます。 春樹関係で加藤と対談してるでしょ。 陽水関係でも何か喋ってたし、消費社会について考えるという 番組にも、資本主義肯定の立場からコメントしてた。 あとニーチェとハイデガーの生い立ちみたいなもんの解説を 2夜つづけて解説してた。 ちなみに全部ETVね。 柄谷さんは漱石関係で東大の小森と対談してる。 オレが知ってる柄谷テレビ出演はコレ一回きり。 だから、テレビ慣れしてるのは竹田さんの方でしょ。 でも二人の喋り方は似てるよ。二人ともゆっくり喋る。 声質も似てる。心地よい声。 竹田さんは考えながら慎重に喋るという感じで、 柄谷さんは面倒臭そうに喋る。 でも、二人ともテレビには向いてないね。 もっとポンポン喋れって言いたくなる。 その点浅田彰は凄い。完全にテレビ向き、浅田彰は以前ラジオにも よく出てたけど、とにかく喋りの反射神経が天才的。 あそこまで逝くと内容なんざどーでもいい。
最後に「語れ」だの「語らない」だのって、ナン? オレはこのスレでも、前スレでも、他の現象学系スレでも、 かなり真面目に「語って」きたつもりだけど。 勿論、オレに語る義理なんて無いし、「語れ」といわれると、 語りたく無くなるのも人の佐賀。 人から話を聞き出したいなら、具体的なテーマを挙げて、 それに対して、自分はこう思っているんだけど、お前はどうなの? って、よーするに訊き方ってモンがあるだろ、お利口さん? でもまぁ、ホントはみんなこーゆーどーでもいいやり取りがしたいのかもね。
そう、ここには「言葉の世界を手に入れたことで人間が失ってしまうもの」が溢れているんだよ。
925 :
考える名無しさん :02/03/02 08:14
>ただ、竹田がなんでわざわざ東浩紀批判を打つのかがわからん。 華やかに見えるものへのル・サンチマンでしょ。 東浩紀が実際に華やかかどうかは...。
926 :
考える名無しさん :02/03/02 13:36
>>920 >要するにドイツ観念論の系譜が如何なる意図のもとに生まれ、
>それが如何に誤解にさらされて来たかという竹田・西二人の西洋哲学史観
>がより明確に確立されている。このへんはかなり重要。かなりオリジナル。
ここらへんの話、良かったら詳しく教えていただけないでしょうか?
>>922 ど〜でもいいけど柄谷はむか〜し浅田が
プロデュースした8chの単発の深夜番組に出てた。
もっとどうでもいいけど、龍頭ばあにもでてたし、エヌエチケーでドラマにもでてた。
龍頭ばあにでたときのはビデオ持ってる。 NHKのドラマって何?
唐十朗作の芸術祭参加作品とかいうやつ。 講師役で探究の中のヴィトの引用部分を朗読。 「ライオンが人間の言葉を話したとしても..うんぬん」のところで、 女学生から飴だかなんだかを口に突っ込まれる(笑
931 :
考える名無しさん :02/03/02 20:13
どうでもいい話はいいから、
>>926 の話、死刑囚さん以外の方でもいいから
誰か詳しく教えてくれませんか?
932 :
考える名無しさん :02/03/02 21:58
>>931 ポストモダンがドイツ観念論を徹底批判してきた為に現代で流布している
評価はかなり風当たりがきつい。
だがその批判は、多くの誤解とその本質を見通せていないレベルでの批判
がほとんどで、批判していたつもりが実は手のひらの上であった、という
ことが頻繁である。
ということぐらい、で、本質的・体系的に説明するのは俺の知識では無理だ。
933 :
考える名無しさん :02/03/02 22:17
ドイツ観念論を批判してきたっつうか、両者相容れない性質のものでしょ。 ローティーとかは違うけど。
ドイツ観念論を再評価するというのは マルクスを再評価するための布石なんですか?
所謂ポストモダンを問題にするのは、何かあるのですか。 いまどき誰も問題にしてないような気がするのですが。
936 :
考える名無しさん :02/03/03 02:15
素朴に聞きたいんですけど、ポストモダンとかドイツ観念論とかの解釈って 皆さんにどう関わると思いますか? 読者の皆さんはおそらく哲学プロパーではないでしょうから、 そういう「学問的動向」が直接的に関わるのが解からないんですけど…。 つまり、それ抜きで竹田青嗣の「いい所」を教えてほしいんですが。
937 :
考える名無しさん :02/03/03 02:29
>936 >素朴に聞きたいんですけど、ポストモダンとかドイツ観念論とかの解釈って >皆さんにどう関わると思いますか? と疑問を投げかける君が、なぜ >竹田青嗣の「いい所」 を知りたいと思っているの?
938 :
考える名無しさん :02/03/03 02:37
>>937 ん?竹田はポストモダンとか何やら抜きでは「いい所」がないってこと?
ごめん、そういう風にしか読めないんだけど。
だって、「ポストモダン云々」に疑問を投げかける人が「いい所」を
知りたいってのはおかしいって言ってるんでしょ?この文面だと。
939 :
考える名無しさん :02/03/03 02:55
ポストモダニストの文章は昔読んで楽しかったよ。 それだけ
940 :
考える名無しさん :02/03/03 03:19
竹田哲学のいいところは、考える原理を確立した点にある。その原理とは、 確信成立の条件である。これは、現象学的考察で、はじめて可能になった 。ポストモダンの限界は、この原理を確立できないことにある。いつも 何かからのずれしか言わず、核心部分から常に逃避している。核心部分 をはっきり言わないことに、何か深遠で神秘的なものを感じて、評価して しまうのが、昨今の学生に受けるわけだ。
941 :
考える名無しさん :02/03/03 03:28
>>941 昨今の学生はポストモダンなんて読んでないと思われ。
まあ、核心のない話しか出来ないのは確かだけどね。
まあ、それはどうでもいいとして、意地悪く聞くんだけど、
「確信」がなければならないのはどうしてかな?
昨今の学生ならそう聞きかねないだろうからね。
943 :
考える名無しさん :02/03/03 08:53
>940 竹田ははっきりと核心をついているとおっしゃりたい訳ですね。 本当に核心をついていると言うなら、もっと一般にその考え方が浸透していると思いますが、 現状では「信者」しかそう言っていない。 その辺はどうなんですか?
944 :
考える名無しさん :02/03/03 09:52
945 :
考える名無しさん :02/03/03 10:42
つうか「一般」人に、ですよ。ごく普通の。 「考える原理を確立した」なんつったら物凄いことでしょ。
946 :
考える名無しさん :02/03/03 12:00
なぜ、確信を求めるのか。理性による推論構造が、そういう仕組みに なっているからとしか言えない。なぜ、なぜ、なぜというふうに、理 性は理由を求めてやめないから。人間は、納得を求めてやまない存在 だ。 核心をついているから、一般に考え方が浸透しているはずだなんてい う信条が、どうかと思う。それこそ、信者の言い分だ。
947 :
考える名無しさん :02/03/03 12:37
信条? 何言ってんの? 普遍妥当性を求めてやまないものが、それなりの一般性を獲得していないのは、どういうことなんでしょうね、と問い掛けているだけなんだけど。 難解な言葉を使っているつもりはないんだけど、質問の意味分かる?
948 :
考える名無しさん :02/03/03 13:08
今、一般性を獲得していないから、価値がないという君の価値観もどうかと 思う。また、「それなり」という範疇もあやしい。一般性を獲得する には、それなりの歴史的な時間が掛かるものだと思う。コペルニクスの 地動説のようにね。そんなことよりも、自分にとっての竹田哲学とは、 何かを、掘り下げるべきだ。
949 :
考える名無しさん :02/03/03 13:17
一般性という価値秩序に縛られた、自分とは何か、一般性というフィルタ を先に通さないと、価値を定められないという自分とは何かを、まず、 考えるべきだ。
950 :
考える名無しさん :02/03/03 13:44
何でお前に説教されなきゃならないのか理由が全くわからんな。
「一般性を獲得していないから、価値がない」なんて一言も言ってないっての。
>なぜ、なぜ、なぜというふうに、理性は理由を求めてやめないから。
>人間は、納得を求めてやまない存在だ。
こう言ってるよな。それが人間だ、と。みんな核心が知りたいのだ、と。
人間にそういった志向がある場合、何かが本当に核心を衝いてるなら、誰もがこぞって飛びつくはずだよなあ。
「いつも何かからのずれしか言わず、核心部分から常に逃避している」ものなどには目もくれないはずだ。
あんたの論理からすれば。
その割には絶賛するのは依然信者だけという構図。
俺はこういった
>>640 みたいな信者の絶賛と世間の評価との温度差を問うているわけ。
しかし、
>>948-949 のお前、いかにもカルトっぽくっていい感じ出してるよ。
951 :
考える名無しさん :02/03/03 13:55
ついでに書いておけば、俺が竹田の書くものや信者が嫌いな理由は、真実は自分達の側にあると確信をもっている点だな。 カルト教団を叩きたくなる理由と同じ。
952 :
考える名無しさん :02/03/03 15:47
世間の評価が、そんなに大切かね。大衆迎合主義に異義申し立てができる ることこそが、哲学の神髄でしょう。 そもそも、竹田哲学は、信者とか、派閥とかいった集団がなぜ、できて しまうか、その原因を問いただし、乗り越えていくために出て来た考え方 とも言えるわけだ。 >何かが本当に核心を衝いてるなら、誰もがこぞって飛びつくはずだ そうとも言えないでしょう。たとえば、自分がこういう人が理想だなんて 思い描いたところで、そういう理想的な人が、必ず存在するなんて言えない のといっしょだ。 「核心を衝いているなら、誰もがこぞって飛びつくはずだ」なんて、あま りにも。素朴な信条だ。そう思えるなら、あなたは幸せな人だというし かない。
953 :
考える名無しさん :02/03/03 15:57
竹田哲学は、真実が自分達の側にあるなんて、一言も言っていない。 彼は、考え方の原理が、自分達にはハッキリしていると、言っている だけだ。
954 :
考える名無しさん :02/03/03 16:04
>世間の評価が、そんなに大切かね ここがカルトの始まり。 何らかの形で世間には受け入れられないで どうやって影響力をもたせるんだい? それとも影響力が要らないんだったら、竹田読者だけの 「俺たちは確信をもってるんだ、大衆なんか糞だ」っていう 優越感だけでいいのですか?
955 :
考える名無しさん :02/03/03 16:30
っていうか、竹田の本つまらん。害毒。
956 :
考える名無しさん :02/03/03 17:06
だから〜、「大衆迎合主義」なんてこと誰も言ってないの! 竹田の哲学が、普遍的な法則とかを世の中に見い出していく考え方の原理を確立するものだったら、 現実に世間に受け入れられてなきゃどうしようもないじゃないか、って言ってんの。 「普遍」って意味わかってんのか?
957 :
考える名無しさん :02/03/03 17:10
人間は常に安定を求めている。
958 :
考える名無しさん :02/03/03 17:15
人間は思想が高いほど、かっこいい行動ができる。 しかし、それまでの道のりが険しい。 思い込みなど 最強の敵であるよ
960 :
考える名無しさん :02/03/03 18:01
竹田現象学に対するどーでもいいような批判は多くあるが、 本質的・本格的な批判・批評というのは今まで存在したのだろうか? あれば読んでみたいのだが・・・
961 :
考える名無しさん :02/03/03 18:26
>951 :考える名無しさん :02/03/03 13:55 >ついでに書いておけば、俺が竹田の書くものや信者が嫌いな理由は、真実は自分達の側にあると確信をもっている点だな。 >カルト教団を叩きたくなる理由と同じ。 こういう「真実は自分達の側にあると確信をもって」、あるいは正義は自分達の側にあると妄信するヤカラが ファシズムやスターリニズムを起こすのはなぜか?について考えるのが竹田哲学なんだよ。
962 :
考える名無しさん :02/03/03 18:49
>竹田現象学に対するどーでもいいような批判は多くあるが 具体的に教えていただけませんか?
963 :
考える名無しさん :02/03/03 19:07
>>952 >「核心を衝いているなら、誰もがこぞって飛びつくはずだ」なんて、あま
りにも。素朴な信条だ。
禿胴。
カルトのなんのってわめいてるバカ、このスレの前の方でも同じようなこと逝ってたな。
どうしよもなく頭わるい。
964 :
考える名無しさん :02/03/03 19:15
数学の法則や物理学の法則など、国や時代を越えて、現実に多くの人 が、一般的に受け入れているでしょう。 また、カントやヘーゲル、ジャックデリダ、フーコーの哲学も多くの 人に、部分的であれ、受け入れられているでしょう。 受け入れている、また、共感しているということは、普遍性を獲得して いるということですよ。竹田哲学は、それらの底辺に流れる普遍性の確 立を、問い正しているだけです。
965 :
考える名無しさん :02/03/03 19:25
>>962 単に竹田はフッサールをパクっただけだとか、
新しい事は何もいってないとか
966 :
考える名無しさん :02/03/03 19:50
竹田哲学が普遍性を確立するわけではない。 普遍性は、すでに、前もって我々の世界にさまざまなあり方で、確立してい る。そうした、すでにある普遍性の確立条件を、その都度問い直す最もいい 方法が、現象学だと言っているだけだ。 現象学が一般的な普遍性を確立できない現状は、現象学に対する通俗的な理解 やポストモダニズムがもたらした誤解によるところが、最も大きいと、竹田は 見ている。また、フッサール自身の理論の展開の仕方にも限界があり、そこが 誤解を生じさせる一因になっているとも思われる。 しかし、大切なことは、フッサールの言葉足らずの部分を察し、その理論の動 機付けから、本来言いたかったことを推察していくことだ。ここが、最も重要 だ。
967 :
考える名無しさん :02/03/03 20:13
>>947 >普遍妥当性を求めてやまないものが、それなりの一般性を獲得していないのは、どういうことなんでしょうね、と問い掛けているだけなんだけど。
そんなもん理由は簡単だ。人間は考え方の習慣を中々変えられないからさ。
竹田現象学は方法的独我論を前提としており、それは自然的思考態度に変更を迫る。
>>948 も言ってる通り、コペルニクスの地動説が「それなりの一般性を獲得」するのに
いったいどれだけの時間がかかったか考えてみれば分かるだろう。
「一般性を獲得」してなければ「カルト」だって?その短絡思考こそカルトだろ。(笑)
968 :
考える名無しさん :02/03/03 20:47
「地動説」なんて大袈裟なものを持ち出して例証しようとするアホが2人も出てくるところにもカルト性を感じるなあ。 俺の方が正しい、俺の方が正しい、って依怙地さしか伝わって来ない。 別に、いくつかある考え方の一つであるという認識では満足できないわけ?
969 :
考える名無しさん :02/03/03 21:19
地動説が大袈裟だから、持ち出したわけではない。お互いに共通了解を生み出 しやすいと思ったから使ったまでだ。 俺が絶対だ、屈服しろなんて言う意味で、書いているわけではない。かといっ て、相対主義でいいわけでもない。こういう問いかけで、こういうプロセスで 考えていくと、こういう結論に辿り着くよねといっているだけだ。 あなたのように、地動説を相対主義で片付けるバカはいないだろう。この仮説 は普遍的な価値を帯びた見方だと、敵も味方もうなずくだろう。ここの境界ラ インを越えたものの見方がとても大切だ。
970 :
考える名無しさん :02/03/03 21:25
>>968 なんと聞き分けのないバカだろう。
地動説は「大袈裟」だから例証は無効だと?なんのこっちゃろね?
こんな無茶苦茶を言い出したら一切の論証は成り立たないぞ。
まさに「俺の方が正しい、俺の方が正しい、って依怙地さしか伝わって来ない」が。(笑)
カルトはどっちだか。
>別に、いくつかある考え方の一つであるという認識では満足できないわけ?
誰がそれではいけないと言ったのか?
君の依怙地な「竹田=カルト」信仰はどうなの?「いくつかある考え方の一つ」で満足してるわけ?
971 :
考える名無しさん :02/03/03 21:26
>>969 968さんの発言からは「地動説が相対主義である」という
主張は読み取れませんよ。あと「敵/味方」という括りかたは
有益な議論を疎外すると思われるのでよくないと思います。
972 :
考える名無しさん :02/03/03 21:36
敵、見方が気に入らないなら、AとBにしましょうか。 968さんの文脈からは、相対主義に逃げ込んでいるニュアンスを感じる。
973 :
考える名無しさん :02/03/03 21:36
>>968 貴方に聞きたいんだが、貴方の考える「一般性を獲得していて、なおかつ大袈裟でない考え方」
って具体的にどんなものですか?教えてくださいな。
974 :
考える名無しさん :02/03/03 21:51
>>971-972 「正しさ」を病的に忌避して論理的な例証も拒絶するなんて
相対主義への逃避だよな。
975 :
考える名無しさん :02/03/03 21:56
974さんは、何言ってんだ? 意味不明。
968のことを言ってるんだよ。
977 :
考える名無しさん :02/03/03 22:19
敵と見るとなりふり構わず攻撃的な言動に走るところがいかにもカルトなんだなあ。 落ち着いて議論もできやしない。 そんなやつらが「境界ラインを越えたものの見方」なんて言ったところで説得力ないね。 「かつては誰も信じなかったが今は当然の認識としてある」という意味で地動説を引き合いにして竹田の哲学の一般への拡がりについて論じようとする点にカルトの誇大妄想を感じただけなんだけど。
978 :
考える名無しさん :02/03/03 23:02
>>977 >敵と見るとなりふり構わず攻撃的な言動に走るところがいかにもカルトなんだなあ。
自分が攻撃的な言動に走りながらそんなこと言っても説得力ないよ。
「カルトの誇大妄想を感じただけ」なんてのも「落ち着いた議論」とはとても言えないな。
「かつては誰も信じなかったが今は当然の認識として」地動説を引き合いに出したら
どうして「誇大妄想」なのか、「感じただけ」で全然説明できてないな。
そういう感覚的なものに頼るのを「カルト」と言うんじゃないの?
979 :
考える名無しさん :02/03/03 23:09
>>977 「一般性を獲得していて、なおかつ大袈裟でない考え方」
具体的にどんなものか?という問いに答えてもらいたいんだけど。
980 :
考える名無しさん :02/03/03 23:15
977さん。地動説がそんなに、あなたにとって神々しい現象なのかね? 地動説という仮説は、単に普遍妥当性を確立していると言っているだけ だ。 物語や神話を述べないで認識の普遍妥当性を確立しようと試みている竹 田哲学はカルトの誇大妄想でもなんでもない。まったく、その逆だ。 竹田現象学の確信成立の条件を問うことが、カルトで誇大妄想というの なら、それを凌駕できる、あなたなりの認識論の方法を、この掲示板を 借りて、展開してみたらどうだろう。展開できはしないと思うが。
981 :
考える名無しさん :02/03/03 23:19
なんと聞き分けのないバカだろう。 『「かつては誰も信じなかったが今は当然の認識としてある」という意味で地動説を引き合いにして竹田の哲学の一般への拡がりについて論じようとする』「カルトの誇大妄想」が「大袈裟」だ、と言ってんの。 「地動説」なんてどうだっていいんだよ。
982 :
考える名無しさん :02/03/03 23:23
>展開してみたらどうだろう。展開できはしないと思うが。 こんな物腰の奴を相手に「境界ラインを越えたものの見方」をしろって、 そんな寛容な奴がどこにいると言うのだろう。
983 :
考える名無しさん :02/03/03 23:23
>>982 悪あがきは見苦しいですよ。「カルト、カルト」と念仏しかいえないお利口さん。
985 :
考える名無しさん :02/03/03 23:25
977さんには悪いが、批判の内容が高校生のディベートレベルだ。それ 以下か。 自分に相反する考え方を、短絡的にカルトとか、攻撃的だとか言って れば、その場はそれでいいみたいな論理の運び方は、情けないな。もう 少しがんばれよ。
聞き分けのないバカな糞蝿登場。 例によって半笑い。
987 :
考える名無しさん :02/03/03 23:30
982さん。弱腰まるだしだぜ。しっぽをまいて退散かよ。寛容な奴に なって、大風呂敷を広げてみな。できるわけないと思うが。
988 :
考える名無しさん :02/03/03 23:30
>>981 つまり
「かつては誰も信じなかったが今は当然の認識としてある」考えを引き合いにして
竹田哲学の一般性を語れば、何が何でも「カルトの誇大妄想」で「大袈裟」だと
言いたいだけなんですか?
なんだか哀れになってきたな。
>>986 そんなことに反応する暇あったら、まともに質問に答えなよ。
990 :
考える名無しさん :02/03/03 23:45
意味わかんねえかなあ。 竹田の哲学が普遍性を重んじている割には一般に浸透していませんね、と言ったら 信者が「かつては誰も信じなかったが今は当然の認識としてある」という意味で地動説を引き合いにして反論した。 俺は、そこに、信者は竹田の哲学を「かつては誰も信じなかったが今は当然の認識としてある」ようになるものとして受けとめているんだな、と感じた。 そして、それを大袈裟なものと感じ、カルトによくある心証だと考えた。 あくまで「一般への拡がり」という問題に於いて、だ。
991 :
考える名無しさん :02/03/03 23:53
>物語や神話を述べないで認識の普遍妥当性を確立しようと試みている >竹田哲学はカルトの誇大妄想でもなんでもない。 物語・神話と、哲学って分けることができるの? あと、「認識の普遍妥当性」って、 カントの認識論じゃまずいの?
992 :
考える名無しさん :02/03/04 00:09
>>990 >俺は、そこに、信者は竹田の哲学を「かつては誰も信じなかったが今は当然の認識としてある」ようになるものとして受けとめているんだな、と感じた。
思い込みの激しい奴だな。自分の感じを絶対視するなよ。
竹田哲学が将来一般性を獲得するかどうか、そんなことは誰にも分からんよ。
我々が言ってるのは
「どんな一般的認識も浸透するには時間がかかる。今浸透してないからカルト
と決めつけるのは短絡的」ということだろ。
それが何で「誇大妄想」「大袈裟」となるのかね?
993 :
考える名無しさん :02/03/04 00:14
物事の脈絡のわからんやつだな。 だから、「地動説」なんかを持ち出すのは大袈裟だ、って言ってんの。 疲れるなあ。
994 :
考える名無しさん :02/03/04 00:17
>>993 じゃあ何を持ち出せば「大袈裟」じゃないのかね?
995 :
考える名無しさん :02/03/04 00:19
新しいスレで、また不毛な喧嘩の続きやるの? 来なくていいよ。
こんな奴らと「境界ラインを越えたものの見方」? あくまで敵対していたいなあ。
997 :
考える名無しさん :02/03/04 00:35
地動説がそんなに大袈裟かね?普遍妥当性を獲得してれば、理論が大袈 裟でも何でも関係ないわけよ。あなたの理解すべき箇所のフォーカスが ズレているから、疲れるわけじゃない? 990さんへ。竹田哲学は、世界を何か体系的にカテゴリー化しようと企図 するものではない。むしろ、体系化する際に用いる方法を普遍化して取り だそうとしてるだけだ。人間の認識構造は今も昔も変わらない。人間の知 覚や思考能力が変化していないのだから、あたりまえだろう。昔の人間の 世界観や神話が理解できるのは、現代の我々が同じ認識構造を持ち合わせ ているからだ。その構造を普遍化して取り出すことが、なぜ、特異なこと なのだろうか。そう考えれば、カルト的でも大袈裟でもないだろう。
998 :
考える名無しさん :02/03/04 00:38
もうすぐ1000だね。次のスレッドに行きますか?
999 :
考える名無しさん :02/03/04 00:42
>世界を何か体系的にカテゴリー化しようと企図するものではない。 >むしろ、体系化する際に用いる方法を普遍化して取りだそうとしてるだけだ。 カテゴリー化(これがカント?)と普遍化ってどう違うんだ?
1000 :
考える名無しさん :02/03/04 00:43
チンコチンコレヴォリューション!! ヨゥ チェキラ!!  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /⌒\ /⌒\ (( ; 三 ,,)) ヽ ( / ミ キ .メ ./ /⌒\ 乂 ノ /⌒\ ((( ^人^ ) (・∀・ ) (((・∀・ ) ) (⌒))) ) (⌒))) ノ つ つ )) (_ノ⌒ ̄ ((__)⌒ ̄ (((⌒ノ⌒(_
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