1 :
考える名無しさん :
01/09/13 18:56 コンドノジケンデワカラナクナッタ タスケテ
2 :
考える名無しさん :01/09/13 19:16
信念
3 :
考える名無しさん :01/09/13 19:44
すべてを蹴落としていって最後まで残ったものが正義です。 もし何も無くなってしまったら作ってしまいましょう。
我等が正義
5 :
考える名無しさん :01/09/13 21:01
正義って、正当な倫理のことですか?
7 :
考える名無しさん :01/09/13 21:11
ローティはコメント出したのかな?
8 :
3倍の速度の名無しさん :01/09/13 21:25
絶対的な正義というものは、宗教になってしまいます。
正義はなかったということで満足しましょう。
10 :
考える名無しさん :01/09/13 21:32
正義は存在しないようにおもう。 強いものの理論=正義。 正直者がバカをみる。残酷な世の中ではある。
11 :
考える名無しさん :01/09/13 21:58
正義とは、「良いこと」ではないのかね?
12 :
3倍の速度の名無しさん :01/09/13 22:04
>>10 >強いものの理論=正義。
正義 = 価値観
強いものの価値観 = 正義
一般論ではこうなるけど、
これ以外にもなにか正義というか
ものごとに普遍的に存在する真理というかが
あると考えたいのが人間ではないでしょうか?
人によってそれを宗教・イデオロギー等に投影して
思考停止してしまう人達もいますが
1>>さんは自分なりに考えてみようとして
悩んでおられるのでしょうか?
>>7 ホント、「エスノ・セントリスト」の彼に聞いてみたいものだ。
湾岸戦争の時にも、そう思ったよ。
14 :
考える名無しさん :01/09/13 23:09
>>13 奴は確かにエスノセントリストだけど、アメリカ国内の政治状況
に対してはリベラリストの装いをしてるよね。
今回の件ではアメリカのリベラリストがテロ弾劾はもちろんだと
しても、どこまで「アメリカの正義」を振りかざすかちょっと興
味がある。コソボの時にはかなりナーバスだったし。
あと、NATOへの集団安全保障要求が通った場合、ハバーマス
御大も発言せざるをえないから発言するのだろうね。ギデンズはほっ
とくとして、ブルデューどうするんでしょ。
15 :
考える名無しさん :01/09/13 23:13
デリダとジジェクのコメントが知りたいなあ。 あとハーバーマスも。
16 :
考える名無しさん :01/09/13 23:22
今回のテロについてどっちが正義とかってのは言えないなあ。 結局「なるようになった」としか言えない。歴史の摂理っていうか。
デリダのコメント 「今こそ民主主義vsテロリズムという安易な二項対立を脱構築 する必要がある。脱構築は正義なのだ」 ジジェクのコメント 「テロリズムとは享楽であり、それは対象aの深遠を回り続ける。 その深遠はテロリズムはおろか民主主義によっても埋められるもの ではない・・・」
正義は必要なし。 持ち出せば、かえってやっかい。 正義なしでもやっていける。妥協の精神。つまり議論を通した調整。 別名、民主主義。 正義をかざせば、その根拠が問題になる。そんなものは無いのだから、 どっちも負けはしない。無垢な特攻隊員はその犠牲者だ。 今回の事件でも。正義を盾にとるブッシュも痴れ者なら、 突撃した者を祭るテロ指導者も同様。 元をただせば、アラブの言い分を聞こうとしない米国に、 問題があるのかもしれん。つまり、「調整」ができんということだろう。
19 :
考える名無しさん :01/09/13 23:43
君達は正義といものをいったい何だと思っているのかね?
20 :
考える名無しさん :01/09/13 23:49
正義とは、己れの宿命を背負うことによって現れる。 西郷の反乱はその意味において正義。例え歴史に逆行していたとしても。
21 :
考える名無しさん :01/09/13 23:52
無知のヴェールで情報を遮断して、物事を公正に見定める必要 があるってことだね。
正義は「正しいこと」ではないのかね?
23 :
考える名無しさん :01/09/14 00:00
24 :
考える名無しさん :01/09/14 00:03
正義の概念については諸説あるが、何らかの意味での公平さが基本となる と思う。それが機会均等なのか、財貨の分配の公平さなのかは、判断に迷う。 ただ、自分の国がやられたから仕返ししちゃえ、というのは、「公平」の拡大 解釈に過ぎる。よって正義にもとる。 というか、人を殺しちゃいかんよな〜。
25 :
考える名無しさん :01/09/14 00:05
>>22 その正義は誰にとって正しいの?
主客問題すら解決しとらんのよ。
26 :
考える名無しさん :01/09/14 00:05
>>18 民主主義の理念も「正義」の構成要素といえる。
むしろ、その文脈では「大義は必要なし」と言うほうがわかりやすいと思う。
27 :
考える名無しさん :01/09/14 00:10
>>25 「正義」とか「正しい」とかは本来絶対的な概念だと思う。
「××にとって正しい」というのは「××は正しいと信ずる」ということ
の言い換えに過ぎない。
もちろん、端的に「正しい」と言えることがあるかどうかは別問題だけど。
28 :
考える名無しさん :01/09/14 00:17
>>23 私は言葉の定義をいっているのだよ、
それをいったら辞書はトートロジーを書き連ねた書物ということになってしまう。
>>25 まったくそのとおりだね。
「誰にとっての」という前提なしに正義を語るのは無意味だ。
では、このスレにおける「正義」は、誰のための正義のことなのか、
明らかになっているのかね。
29 :
考える名無しさん :01/09/14 00:20
今の世相においては 自分が他人に干渉することについて慎重になることが 一番の正義かも
>>27 >「正義」とか「正しい」とかは本来絶対的な概念だと思う。
これの論拠きぼーん。
>>28 (゜д゜)はぁ?
わたしは普遍妥当性を備えた概念として「正義」を定義するのは
不可能であろうと主張したいのですが?
何故私のレスをみてその様に訊かれるか分りません。
恐らくは相対主義をくぐる作業が必要だと思われますが、何か反論でも?
31 :
考える名無しさん :01/09/14 00:50
>>30 だれか普遍的妥当性を備えた概念として、
「正義」を定義できると主張した人がいたのかね?
何か反論でも?
シテンハ、トリアエズ「ジンルイ」デオネガイシマス
34 :
考える名無しさん :01/09/14 01:01
誰も主張していない意見に対して行われた反論に、 反論するものいるわけはなかろう。 だれかに反論してもらわないと困るのかね?
35 :
考える名無しさん :01/09/14 01:03
>>33 なるほど、「人類にとっての正義」ということだね。
36 :
考える名無しさん :01/09/14 01:04
>シテンハ、トリアエズ「ジンルイ」デオネガイシマス 多数決ってこと? 人類全体に普遍の正義などあり得ないと思うけど
37 :
考える名無しさん :01/09/14 01:08
正義という概念は、個人又は思想集団の観念という狭い枠の中でしか 意味を持たないものなのですか?
38 :
考える名無しさん :01/09/14 01:08
39 :
考える名無しさん :01/09/14 01:13
>>37 それは「普遍的な価値は無いんですか?」と言っているに等しい。
恐らく無いと思う。
40 :
考える名無しさん :01/09/14 01:15
個人の秩序を保つために、 細胞が分裂の抑制力をつけ、抑制力を失った細胞は医学によって取り除かれる。 爪も長くなったのは切られるし、外部からの細菌とかも白血球が殺す。 人類の秩序を保つためなら、 そのような内的な犠牲も正義となるんじゃないかな? そうなると粛清ってのも正義だよね。 やられる人側に絶対に視点を持っちゃいけないのが この場合の正義を語るうえでのポイントだね。
41 :
考える名無しさん :01/09/14 01:16
>>38 ないよ。
私は賛意を示しているだけだ。
賛意を示すものに反論を求める君の思考は理解不能だ。
>>35 ハイ、オネガイシマス
>>36 多数決ではなくて、人の判断基準はその人の経験と、本能に基づくものでしょう
であれば、我々はある「判断」について十分な経験(知識)=判断材料を得ていたのであれば
それが正しいかは検証不可能ではあるけれども正しい結論がいえると思うのです
ある何らかの対象についての判断は、その人の経験(経験)を元に判断するわけですが
互いの判断の結論が違うということは「その双方の経験(判断基準、材料)の相違」はいえますが
これを以って、真に正しい判断、結論は無いと断ずる事は出来ないと思います
つまり、彼らは、おたがいにダブル経験(知識)もあるでしょうが
その経験(判断材料=根拠)が違、互いに不完全が故に結論が違うのですから
つまり、双方足りない経験があるといえますよね
もし、全ての判断材料を集める事が出来れば
つまり、全ての知識を手に入れる事が出来れば
ここには「正しい判断」「正しい価値観」が存在するのではないのでしょうか?
全ての、相対的視点を含むが故に、この視点は
他のどの、経験の欠けた視点よりも完全であると思われます
>>39 多少こちらの表現したい意味と違います
めんどくさい説明は抜きにして
「本人が無自覚な正義」は存在しえないか、と言い換えます
44 :
考える名無しさん :01/09/14 01:20
>>40 「人類の秩序」が人類にとっての「正義」だということだね。
なぜ、「秩序」が「正義」なのだろう。
つまり「」人類にとっての正義、価値観でお願いしますというのは 人は人としての認知の限界がありますから その人としての限界の「よりよい判断」で、お願いしたいデス ミテマス
Hey! Yo, hicky fucker
>>2 を見たか sageてけ夜はまだまだ
まだ冷めやらぬテンションの中 響いた唸るDistractionの中
刻む騙り 映える煽り It's ill brand new game
言葉巧みオタクに届けるFlow
>>1 の無資格に打ち込むブロー
Some like that yo I got U 速攻 HeadsをLock on
ノッてけよ始まりのゴング はめ外すShow Time It's all night long
天変地異起こす震源地になる
>>1 の脳みそ 察知して速攻キャッチ
百合の精神やどる真の荒し集い 時は満ちた巻き起こすsage荒し
2chを変えるクソスレと お前の脳みそ直接Contact
心に響く凄まじい孤独感 いよいよ>>1は無くなるぞ
2chを変えるクソスレと お前の脳みそ直接Contact
心に響く凄まじい孤独感 いよいよ
>>1 は無くなるぞ
たった今2ch全土を震撼さす
>>1 が生む新感覚
まるで脳天から落とすパイルドライバー グッとくるReal厨房なヤツ愛す奴は氏ね
腐った
>>1 の情報の異常なクソスレ 貴重なレス届けるオレ様
プラス マジハンパ無いレス飛ばすぜ
Yo 待った無しだ 俺の辞書にはない限界 21世紀目も奇跡起こす天才
進化遂げた究極のJapanese レス かなり巧く 語り継ぐ
さらにふかす>>1の妄想 かつて無い衝撃与える
>>1 の到来で
いざsageだ 欠点だらけのメッセンジャー 狙うはスレごと削除だ!
47 :
考える名無しさん :01/09/14 01:26
「秩序」は、「エントロピーの減少」の反対の意味で、 散逸構造をとるものとしてもよいです。 で、 「エントロピーの減少」は「人類の維持に有害だから」 対偶 「人類の維持に無害」は「エントロピーの増大」 つまり 人類にとって正義とされるものは、秩序である。
>>41 では
>>28 の
>では、このスレにおける「正義」は、誰のための正義のことなのか、
>明らかになっているのかね。
と言う意味は何なのですか?
ナニカイッテイルコトヘンナノデスカ?
50 :
考える名無しさん :01/09/14 01:34
>>48 >>33 で 1 が規定してくれたのでもうこの点について議論するのは、無意味だが、
>>25 は、正義という言葉が、「誰にとって」という前提を抜きには語れないと
いうことを言ったのではないのかね?
そう思ったから私は賛成の意をしめしたのであり、
そうであるから、
すでに書かれているレスがある以上、
正義を語る上で不可欠な「誰にとっての」という前提を、
彼等がどこで得たのかを知りたかったのだよ。
51 :
考える名無しさん :01/09/14 01:35
結局視点を誰に置くかが 現状の問題点なんだね。
52 :
考える名無しさん :01/09/14 01:41
>>47 であれば、より根源的には、
「人類の存続」が「人類にとっての正義」ということなんだね。
「秩序」はそのために必要であると。
>>50 ああ、なるほど。
誤解が解けました。
私のレスを誤読していた訳ではないのですね。
失敬。
レベル低い、、、というより議論になっちょらんな。
55 :
考える名無しさん :01/09/14 01:57
「人類の存続」が「人類にとっての正義」なら、 最終的には、人類の活動は、存続のみを最優先として 行われるように管理されるべきだね。
では一発、目の覚めるようなレスをかまして下さいよ。 読んでるんだし。
57 :
考える名無しさん :01/09/14 02:22
>>1 まず、1は人類を、不完全なものとして捕らえていないことが分かる。
即ち、理論の集大成、純粋な理性としての完全なる人が
本能という目的に対しその完全なる判断力である理性を手段とし
己の存在目的を自らに示し、その手段を以って達成に進む。
その方向性こそが正義であり
では具体的に其の方向性とは何ぞや、と問うていると判断した。
そもそも「べき」という言葉は正にあるべき状態を問うているのであり
あるべき状態の人とは少なくとも完全に理性を理性として振るえるもので
なければならない。
不完全な我々が、その答えを知ろうとする事は身のほど知らずとしかいいようがないが
同時に人としての限界の答えでよいと、妥当な諦めをしているのであるから
この答えは結論を出す事が一応には可能なものであろう。
ここでは人は何を知りえるかを検証する必要は無いであろう。
結論は「人にとっての正義」であり
原理的に人が知り得ないものをここに持ち出す必要は無い
先ず、観念論者には逝って貰おう、根拠は略
>>1 正義、悪とは「対象から見い出すもの」であるということはいいかな?
58 :
考える名無しさん :01/09/14 02:24
人類全滅こそ正義
59 :
考える名無しさん :01/09/14 02:30
1さんは就寝かな? 私もこんな事をしている暇は本来ないのだが、、、では落ちます。
>>54 でーたー!
自分では何も出来なくせに
俺は他人とは違って頭が良いんだと思い込んでるリアル厨房〜!
もちろん好きな言葉は「レベルが低い」だぁ〜!
これからもせっせと「レベルが低い」と書き込み続けて
矮小な自意識を満足させるがいいさ!
61 :
考える名無しさん :01/09/14 02:48
majidebakadane,pupupu
63 :
考える名無しさん :01/09/14 10:46
専門性は低いわな、このスレ。
専門性の高さを競うなら
>>54 >>57 だって、その分野で飯食ってる
アカデミックな人達の議論には入れないんだから目くそ鼻くそだと思われ。
というよりも、専門性の高さを競う(俺はこれだけ知ってるぜ、というように)
ことが立派だと思ってる厨房が多いから、日本は哲学じゃなくて哲学学だ
と嘆く人が出てくるんだろうな。
64 :
考える名無しさん :01/09/14 10:53
『正しさ』 何が正しいか分からない、という言葉がいろんな場所で見られる。生活の中でだとか、歌詞やドラマなどでもよく耳にする。この言葉は、あたかも一つの美しさを表現しているように見えることがある。 何が正しいかなんて分からない、だけど生きていく。 何が正しいか分からない。でもあなたとなら生きていける。 このような言葉は、人生に対する諦めであって、実は美しい言葉、という訳ではない。この言葉が生まれた背景には、正しいことをしても、結局は間違ったことがまかり通るのであって、無駄な努力はしないほうがいい、という考えがある。 正しいことなんて何もないという言葉を喜んでいる一方で、社会的な問題が生じると、「正義」の名の下に問題に対する批判、批評が飛び交う。実は我々は、何かが正しいという判断を下さなければ生きていけないことを知っている。 先ほどの歌詞やドラマ的な表現の中にも、その考えに価値があるかどうかは別のところで論じる問題としても、「過酷な世界の中で「あなた」と一緒に生きていく」ということが、その人にとって「正しいこと」なのだ、ということが分かる。 生きていく上での基本的な考えに「正しいことは何もない」を据えた場合、結果として、過酷な社会、無意味な人生を生き抜くための処方を求めるようになる。男女の関係に安らぎを見いだす人、お金に安心を見いだす人、地位に居場所を見いだす人、様々である。 当人の頭の中には「正しいことなど何もない」という考えがあるのだが、実際は、当人の見つけた拠り所こそ、その人にとって「正しいこと」になる。 「正しいことなど何もない。この社会は空しいものだ。だから、せめて「生き甲斐」を」この考えから導き出されるのは、自分の拠り所を守るための、万人の万人に対する闘争である。女性を手にするために友人を裏切り、金や名誉のために人々を騙す。 このようにして、終わらない格闘が始まるのだが、それぞれには当然の答えが準備されている。 「だれもがそうしている。正しいことなど何もない。自分の安心できるもののために闘っている。それのどこが悪いのか?」 ごくまれに、全く良心の呵責がない者を除いては、そう言いながらも自分が何か間違ったことをしていると思えてくるのが普通である。 自分の安らぎを獲得し、守っていくために、人はどれだけでも無神経に、下劣になりうる。そして、世の中の過酷さ、矛盾を生み出しているのは、実は自分自身であるとは、ほとんどの場合、気がつかない。 そうなのだ。「矛盾した世の中」とか、「過酷な社会」という考えは、人の社会の中にまるで遺伝のように伝わるのであり、当の自分が、その現実を生み出しているということに気づく必要があるのだ。それははじめからあるのではない。我々が生み出している現実なのである。 矛盾の中に生きている限り、また社会も矛盾する。「正しいことなど何もない」という標語に対して、我々はこう言い直すことができる。 「世の中の何かが正しい。今はまだ分からないが、実際そうなのだ。私はよりよいものを自分で選んで生きていく中で、いつかその「正しさ」にたどりつくだろう。それまで、自分で何が正しいかを判断して生きていこう。私は生きる中でそれを獲得していくのだ。」 この考えは、矛盾のないものであり、過酷さや、無意味さ、に捕らわれない。なおかつ人間を停滞させない。
「正義」の反対語ってなんなんですか? 「悪」じゃないっすよね。だって悪の反対は「善」だし。おせーて。
正義の反対は不正
67 :
考える名無しさん :01/09/14 12:39
>>64 いろんな「正しさ」がゴチャ混ぜになって論理が展開している
「社会的な正しさ」「個人的な正しさ」「あるルールの中での正しさ」「倫理的な正しさ」「絶対的な正しさ」…
同じ「正しさ」という言葉でもそれにこめられてる「意味」はそれぞれ違う
68 :
考える名無しさん :01/09/14 19:05
正義と善は殆ど同じ意味じゃないの。 違いを説明できるひといる?
69 :
考える名無しさん :01/09/14 19:06
70 :
考える名無しさん :01/09/14 19:07
>68 血塗られた正義は善ではないでしょう。
71 :
考える名無しさん :01/09/14 19:09
>>70 そもそも血塗られた正義とは、本当の正義なのかね?
72 :
考える名無しさん :01/09/14 19:13
>>63 専門性って、君の妄想だよ、何処で誰がそれに言及してるんだね?
おもしろいなー
>>72 スマソ 前レス殆ど読まずに
>>54 のようなありがちな批判を批判してしまったよ。
専門性とか言う以前に確かに議論になってないみたい。
(全く噛み合ってないもんな)
っていうか、たとえ2chにおいても、この板に限っては
相手の発言の批判をする際に
ププとか
(藁とか
君 呼ばわり等の
挑発的な批判が無くなればいいのに、と切に感ずる所存でございます。
>>1 あなたの正義はなんですか?
あるなら心の奥にしまっておいて。
正義の違いで傷つけあうのは不毛だ。
自分の正義に誇りを持てればそれでよい。
漏れは大体そう思った。
>>57 >正義、悪とは「対象から見い出すもの」であるということはいいかな?
イイデス
>>74 ワカラナイノデシツモンシマシタ
76 :
考える名無しさん :01/09/16 03:43
正義は愛。愛は正義。 愛は勝つ。たぶん。
結局、テロは正義なのか?
78 :
考える名無しさん :01/09/16 13:15
>>77 正・悪を、具体的な人間に即して、多元的に理解するとよい。
やった人間の信条においては、正しい。
やった人間が信条において、殺人は正当化されると考えるのなら、
その殺人は、悪い。
やられた人間にとっは、悪い。
正義かどうかは、便宜(どの観点を強調するかの問題)。
79 :
考える名無しさん :01/09/16 13:51
テロは「やった人間の信条において」も「正しい」といえるのかな? テロは、「やった人間の信条」にとって 本当に「善いこと」であるといえるのだろうか?
>>79 だから、「多元的に」と述べたんですが・・・。
>>80 だから、
>「やった人間の信条において」も
といったのだが・・・
例えば、「やった人間」一個人の中においても、
多元性があるということかね?
まあ、ジャイアニズム的に自分に反する者を力でのめすのは悪いが、 正義が悪を社会とかの力でのめすのは悪くないっつー事で。 ありきたりでレベル低くてすまん。
83 :
考える名無しさん :01/09/16 15:52
84 :
考える名無しさん :01/09/16 16:06
>>81 1.正・悪を、具体的な人間に即して、多元的に理解するとよい。
やった人間の信条においては、正しい。
2.やった人間が信条において、殺人は正当化されると考えるのなら、
その殺人は、悪い。
1.と、2.は、判断する対象の次元が違う(要するに別問題)だから、
一応筋は通ってるんじゃない?
別問題は、別問題として考え、善・悪はその中で並立して成立しうる、
ということでしょ?
最後から2行目 「善・悪は、各問題ごとに決定する。判断を総合化して考えない。」
>>84 >2.やった人間が信条において、殺人は正当化されると考えるのなら、
>その殺人は、悪い。
この文の意味が不明なので、全体の意味を掴みかねる。
ここでいう「悪い」というのは「誰にとって」なのかね?
「やった人間」にとってという意味にとると、
「当人が正当化されると考えるなら当人にとって悪い」
という意味になってしまうのだが、
そのような意味なのだろうか?
どんな行為だろうと、自国の利益になることが正義だろう。 もちろんこれは短絡的な略奪や侵略は示さない。
どんな行為でもっていうのはアメリカっぽいね。
89 :
考える名無しさん :01/09/16 18:53
大義名分を持つこと=正義
>>86 そのような意味です。
「正当化される」というのは、殺人をする側が、殺人をされる側にとって、殺人が
不利益だということは踏まえているが、「信条(に基づく目的の達成)のためには
「仕方が無い」」という考えが(結論として)もたれる、という意味のことです。
仕方が無い、と考える前提として、仕方が無いと考える者は、殺人が悪いと前提している、
ということです。
>>90 は、変な文なので、修正します。
「正当化される」というのは、
殺人をする側が、「殺人は、殺人をされる側にとって、不利益である」
ことを踏まえいるが、それが「自分の信条(に基づく、具体的な目的の達成)」と
競合した場合には、後者をとるのは「仕方がない」とする場合のことを
指しています。
仕方が無いなどと考える前提として、仕方が無いと考える者は、
殺人が「ある次元において」悪い、と前提している、ということです。
92 :
考える名無しさん :01/09/16 21:31
>>91 では、
ある目的において、
殺して達成した場合と、
殺さずに達成した場合とでは、
殺さずに達成した場合のほうが正しいわけだね。
このことは、次元に関係なくいえるのではないかね。
何を正義としたって飯くってくそして寝るのには変わんないんだから、 あんま難しく考えんなよ。どっちみち人ころしゃ捕まって終わりだし。 無駄な思慮は腹のたしにもならんよ。
96 :
考える名無しさん :01/09/17 02:06
>>95 ネタだとは思うが本気なら是非!
そのまま一生生きてくれ。
>>93 違います。
殺して達成した場合は、殺したことについては悪く、達成したことについては良い。
殺さずに達成した場合は、殺していないので問題が無く、達成したことについては良い。
です。
ごっちゃにするな、と言ってるのです。
コピペのコピペのコピペだけど、予言者がいるよ 174 名前:名無シネマさん :01/09/11 17:17 ID:gZsL0PH. 今夜、映画なんかよりもっと面白いことが起こるよ。 お楽しみに・・・(ワラ 175 名前:名無シネマさん :01/09/11 17:20 ID:bda779K6 >174 なになにおせーておせーて!! 176 名前:名無シネマさん :01/09/11 17:21 ID:gZsL0PH. >175 ビル、飛行機とだけ言っておくよ・・・(ワラ
>>97 すまない、
ちょっと私の方で混乱があって考え違いをしていたようだ。
つまり、あなたは、
「目的によって手段は正当化されない、
それら(目的と手段)は善悪については独立して評価すべきだ」
というようなことを言っているのだろうか?
もしそうなら、私は逆の意味に解釈していたので、
>>93 の質問は妥当でなかった。無かったことにして欲しい。
つまり、
>>84 の
>2.やった人間が信条において、殺人は正当化されると考えるのなら、
>その殺人は、悪い。
は、
殺した人間が、「目的によって正当化される」と考えているのならば、
「目的が無ければ正当化されない」と自覚しているということなので、
当人も悪いことだと自覚しているということだ。
という意味なんだね。
ここで、「当人の自覚」ということをさしているということが読み取れなかったので、
いろいろと誤解をしてしまった、申し訳ない。
私は「当人が悪い(or 善い)」と自覚していることと、
「当人のために悪い(or 善い)」ことは、必ずしも同じでは無いと考えているので、
変な解釈をしてしまったよ。
100
>>99 うーんと、ちょっとだけ違います。
まず、目的とか手段とかの位置付けは善悪の判断においては
無関係です。目的と手段は、目的がうまくいくために手段が有効か
どうかという問題でしかないです(目的という枠組みとは無関係に、
目的という枠組みの「内容について」善悪を判断する事はもちろん
可能です。手段についても同様です)。
私が言っているのは、その場にいる当事者全てを、「主体的に」
(客体としてではない)把握し、各主体から見た、各主体が受けた
各影響ごとに善悪を判断すべきで、それを場という単位で総合的に
判断するやり方は認めない(それは事実として単に強調される。
そこでは、定量的な観点がもちこまれるが、だからといって、
別の影響を正当化できるわけではない)ということです。
ですから、
>殺した人間が、「目的によって正当化される」と考えているのならば、
>「目的が無ければ正当化されない」と自覚しているということなので、
>当人も悪いことだと自覚しているということだ。
この部分は、以下のようになります。
>殺した人間が、「目的によって正当化される」と考えている場合は、、
>殺された主体にとっては、殺されたことは不利益である。
>だから、悪い。
です。
>>101 うーん。
>私が言っているのは、その場にいる当事者全てを、「主体的に」
>(客体としてではない)把握し、各主体から見た、各主体が受けた
>各影響ごとに善悪を判断すべきで、それを場という単位で総合的に
>判断するやり方は認めない(それは事実として単に強調される。
ここで、善悪の対象になっている当事者は「だれ」を想定しているのかね。
つまり、「だれにとって」善だ、悪だ、という話なのかね?
行為をなした本人かね?それとも被害者かね?
それとも別のだれかが存在するのだろうか?
そこのところが、いまひとつよくわからないのだが。
>>102 善悪の対象になる当事者・・・その場にいる「ある人間(たち)」にとって
です。判断主体は、任意です。
>>101 の2段目がわかりにくいので改めます。
私が言っているのは、その場にいる当事者全てを、「主体的に」
(客体としてではない)把握し、各主体から見た、各主体が受けた
各影響ごとに善悪を判断すべきで、それを場という単位で総合的に
判断するやり方は認めない(そうしたやり方は、事実として
単に強調される。 そうしたやり方では、定量的な観点が
もちこまれるが、だからといって、別の主体についてなされた
影響を議論から排除して、一方の立場を正当視できるわけではない)
ということです。
どうもすみません。
>>103 >>殺した人間が、「目的によって正当化される」と考えている場合は、、
>>殺された主体にとっては、殺されたことは不利益である。
>>だから、悪い。
>です。
この文で、最初の行の
>と考えている場合は、、
という部分で凄く混乱するのだが、
つまり、あなたの意見を私なりに解釈すると、この文は
---
殺した人間が、「目的によって正当化される」と考えて「いたとしても」、
殺された主体にとっては、殺されたことは不利益である。
だから、(殺したことは)悪い。
---
となると思うのだが、実際は違っている。
なぜ、殺した人間の考えが、殺した行為の善悪に
影響するのだ?
>>105 殺した人間の考えは、影響しません。
第一段目は「場」についての判断です。
>>106 >第一段目は「場」についての判断です。
そこがよくわからない。
「場」って何?
>>107 例えば、殺人がおきたとします。AがBを殺しました。
AがBを殺すことについては、多くの人がそうした帰結に
いたっても「仕方が無い」と認める、合理的な理由がありました。
そうした「仕方が無い」という風に、総合的に判断される際に
対象となる事実関係の範囲が、「場」です。
私は、そうした「場」を構成する個々の要素(人・行為・結果)
について、個別に判断を下し、善悪についての判断は、そこで
とどめるべきだ、と主張したのです。
>>108 >対象となる事実関係の範囲が、「場」です。
善悪の判断に影響を与える事実の集合体ということで良いのだろうか?
>私は、そうした「場」を構成する個々の要素(人・行為・結果)
>について、個別に判断を下し、善悪についての判断は、そこで
>とどめるべきだ、と主張したのです。
?
しかし、「場」とういう概念は、個々の要素を個別にとどめず、
影響があるものと見なすということではないのかね?
個別に判断するなら「仕方が無い」という判断自体が出現しようがないと思うのだが?
善悪を判断する場合に、「場」を考慮すること自体については、
肯定しているのかね?否定しているのかね?
正義なんていうものは時の支配者が築いてきたもので 正義なんてものは支配者の方針にしかすぎない。
長々とおつきあいくださってありがとうございます。
>>109 >善悪の判断に影響を与える事実の集合体ということで良いのだろうか?
「場」については、善悪の判断をなしえないという点を踏まえた上で
なら、そういう理解で多分大丈夫だと思います。
「場」という概念は、正当化(行動支持)する際に関わってくる
概念です。
善悪を判断する場合には、「場」を考慮する事は否定されます。
善悪の判断でなくて、実践的にある利益を選ぶ側面においては、
「場」を考慮することは、肯定されます。
>>111 >長々とおつきあいくださってありがとうございます。
こちらこそ、物分りの悪い人間に辛抱強く答えてくれて感謝しているよ。
>「場」については、善悪の判断をなしえないという点を踏まえた上で
>なら、そういう理解で多分大丈夫だと思います。
その前提だと、
「なしえない判断に影響をあたえるものの集合体」という意味になってしまうのだが?
「場によって善悪を判断することはできない」ということが
言いたいのだろうか?
>「場」という概念は、正当化(行動支持)する際に関わってくる
>概念です。
正当化するということは、実際には正しくないということ
(正しいものを正当化する必要は無い)
を意味するから、正当化が関わった時点で、それは「悪」ではないのかね?
つまり、あなたもいっているように、
>善悪を判断する場合には、「場」を考慮する事は否定されます。
>善悪の判断でなくて、実践的にある利益を選ぶ側面においては、
>「場」を考慮することは、肯定されます。
ということであれば、善悪の話をする場合に、場の概念は不必要なのではないかな?
>>112 場によって善悪を判断できない・・・
場として見た事実の総体に対して、総合的な判断をくだすことは
認めるが、それは善悪についての判断であるとは認めない、
といったところです。
>正当化するということは、実際には正しくないということ
>(正しいものを正当化する必要は無い)を意味するから、
>正当化が関わった時点で、それは「悪」ではないのかね?
そうではないです。正当化が関わる時点で悪だと言えるのではなくて、
ある主体に与えたある影響が、悪い(ある主体にとっての不利益)と
評価できた場合に「悪」と呼べるのです。正当化は、単なる事実としての
正当化に過ぎない(議論の上での正しさが、実際の正しさと一致するとは
かぎらないこととパラレルに考えて見てください)のであって、
善悪の判断とは、関係がありません(正当化をする議論のうえで、
善悪に関しての判断が関連してくる場合がほとんどですが)。
「場」の概念を持ち出すのは、善悪についての判断と、正当化を
混同する方が多い(例えば、カルネアデスの板とかですね)ので、
そうした混同への注意を促すためです。
善悪の判断に限定するなら、場という概念が不要というのは、
正しいです。
>「場」の概念を持ち出すのは、善悪についての判断と、正当化を >混同する方が多い(例えば、カルネアデスの板とかですね)ので、 >そうした混同への注意を促すためです。 >善悪の判断に限定するなら、場という概念が不要というのは、 >正しいです。 なるほど、ようやく分かったような気がするよ。 しかし、 >そうした混同への注意を促すためです。 のような意図の発言は、そういった(混同を含む)発言に対応してなされるか、 補足的な説明があるかで無いとどうも意図が掴みにくい。 私は、当初、「場によって善悪を判断すべきだ」という主張なのかと 思って混乱してしまったよ。 それで、ずいぶん見当違いな質問をいろいろしてしまった。 申し訳ない。 きちんとこたえてくれて、ありがとう。
>>114 こちらこそ、辛抱強く聞いてもらえてうれしいです。
説明が要領をえない部分が多かったので、ご迷惑おかけしました。
おかげさまで、少しまとまりました(笑