スピノザ

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1考える名無しさん
フッサールやハイデガーはまかせておくとして・・・
ここは一つスピノザでまったりと行きましょう。
2考える名無しさん:01/09/11 21:57
汎神論マンセー!!
3考える名無しさん:01/09/11 22:40
「我々の精神が知覚するものは、我々の身体の変容である。」
(だったかな)というフレーズを憶えている。
こうして2ちゃんねるにカキコしているのも、唯一無限の神の
変容の一部なのかなあ。
4考える名無しさん:01/09/11 22:40
素人なんですが、とても興味があります。
どなたか、イロハをご教授下さい。
入門書があったら、教えていただきたいのですが。
5考える名無しさん:01/09/11 22:45
自然は神であるというやつじゃなかったけ?
故に我々に神が宿っている??
6考える名無しさん:01/09/11 22:50
>>4
僕個人の経験では、まず『倫理学』(邦訳でいいから)を
読んでみることをお奨めします。5部構成で、最初の2部は
純理論的(はっきり言ってスコラ的)で何言ってんのか
チンプンカンプンだけど、そこをクリアすれば、第3部以降は
俄然面白くなる。人間の精神、情念の世界の底知れなさが、
最初の2部で出てくる道具立てでメスを入れられるさまは
読んでいて息を呑むほどです。僕が読んだのは、中公『世界の
名著』に入ってるやつで、ライプニッツ(これももう一つの
高い山です)と組み合わせになっています。下村寅太郎氏の
解説付で、値段も手ごろで結構お奨めです。
7考える名無しさん:01/09/11 22:54
>>5
我々に神が宿るんじゃなくて、
我々は神の一部なんですよ。
8考える名無しさん:01/09/11 22:55
霊魂にとっての最高の善は神の認識である。

神の認識=徳ってあるけど、この場合の徳って何を指摘しているわけ?
9考える名無しさん:01/09/11 23:01
>6
そうそう。解説書とかだと後半をばっさり飛ばしたりするから
俄然つまらなくなる(w
でも初めからいきなりエチカを読むのはきびしそうだなあ。
私はまずアランの解説を読みました。
104:01/09/12 00:09
>>6
>>9
情報ありがとうございます、
さっそく書店で探してみますです
11考える名無しさん:01/09/12 01:13
アランの本はいいですね。
『知性改善論』も読むといいと思いますよ。
12(゚д゚):01/09/12 01:18
>『知性改善論』
おいらもお薦め。

岩波文庫版は、しばらく絶版になってたけど、
何度か特別復刻されたよね。
今は、きちんと再版されてるのかな?

とにかく、薄くて安い本だから、見つけたら即ゲットが吉。
13考える名無しさん:01/09/12 18:57
アランの解説本、確か題名は
「スピノザに倣いて」。
何か知らんがかっこよすぎるぞ!
表紙もかっこよかった。
14考える名無しさん :01/09/12 20:34
取りあえず『エチカ』だろうね。訳は岩波文庫の
畠中訳の方が良いと思われる。
あと入門書ではないが
ドゥルーズの『スピノザと表現の問題』は読んでおいた方が良いと思われる。
154:01/09/12 23:32
>>all
有益な情報どうもです。
みつけしだい読みあさりたいと思います。
16考える名無しさん:01/09/13 00:03
>14
その本はある意味「エチカ」よりも難しい(笑
17チンポ太郎:01/09/13 00:07
聖書で聖書を読む。『神学政治論』で太郎とGO!
18妄想小説:01/09/13 15:40
 ひどく蒸し暑い日の紅時、夕食を終えた私はデザートに台湾産のバナナを
食べることにしました。バナナの皮をもむくと、そこには体長10cm程の
スピノザがたたずんでいました。彼は遠い目をして言いました。
「定義 1。自己原因とはその本質が存在を含むもの、あるいはその本性が
 存在するとしか考えられえないもの、と解する」

 私はバナナをごみ箱に放り投げ、何気なくテレビを観ました。
そこにはスピノザが写っていました。彼はカメラ目線で語りました。
「定理 7。実体の本性には存在することが属する」

 私はリモコンでテレビの電源を切りました。待機電力は 4Whです。
ふと、リモコンに目をやると、ボタンの一つ一つがスピノザの顔になっている
ことが分かりました。彼らは声を揃えて言いました。
「定理11。神、あるいはおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの
 属性から成っている実体、は必然的に存在する」

 私はリモコンを水槽に沈め、虚空を見やりました。どうやらスピノザはいない
ようです。しかし、空間を見つめているうちに、私は空中に漂うチリが全て
スピノザであることを知りました。彼らは微かな声で呟きました。
「定理14。神のほかにはいかなる実体も存しえずまた考えられない」

 私はもしやと思い、近くの鏡を覗き込みました。そこに写っていたものは、
まぎれもなくスピノザの姿でした。彼は…、そして私は叫びました。
「神、即ち自然!」
19考える名無しさん:01/09/13 22:52
趣味の読書でニーチェ読んで、聖書読んで、なにげにエチカを3部まで読んでる途中なんだけどさぁ、
自己保存の本能やら感情の心理学から、善の基準や生の意義を探ったことは、前提と結論はまったく違うにしても、ニーチェとスピノザには共通するものがあると思ったんだけどなぁ。漏れの読み方どうよ?
20考える名無しさん:01/09/14 00:45
19さんのおっしゃる通りです。
ドゥルーズによれば、ニーチェとスピノザの偉大な同一性(イデンティテ)が見られることは、明白です。
共通点は、以下三つの論点において指摘されています。
第一に、意識批判=唯物論者としてのスピノザ―ニーチェ。
第二に、善悪批判=反道徳者としてのスピノザ―ニーチェ。
第三に、悲しみの批判=悦びを評価する無神論者としてのスピノザ―ニーチェ。
アランも好いし、ドゥルーズのも好いけれど、『スピノザと表現の問題』は、偏差値90ないと理解できません(もちろん、僕にもちんぷんかんぷんです)。
ですから、『スピノザ−実践の哲学』(鈴木雅大訳、一九九四年、平凡社)をお薦めします。『エチカ』は、五部→三部へと、逆に読み進んだ方が面白いと思います。
21考える名無しさん:01/09/14 01:16
「スピノザの生涯と精神」に掲載されている「レンブラントの生涯と時代」を読んで心底マターリした。
22考える名無しさん:01/09/14 12:50
>>19
スピノザとニーチェの共通点に気が付くというのは感度がいいね。
だって、ニーチェの著作の中では、スピノザ的な「神への知的な愛」は
ルサンティマンの塊というか、ヒッキーみたいな扱いでぼろくそに
やっつけられているからね。それに逆らって(?)読めるのはいいこと。
存在するもの(スピノザ)あるいは生成するもの(ニーチェ)に対する
絶対的な肯定とか、自由意志の神話の否定とか、いろんな側面が
指摘できるよね。
>>20
ドゥルーズは読んだことないけど、スピノザって唯物論なの?
たしかに、精神と身体とは同一の秩序を持ち、精神の認識の対象は
身体ということになっていて、精神が身体に対して独立に力を振るう
ことは否定されているけど、両者が因果関係で(身体が原因、
精神が結果)結ばれているという論理構成ではなかったと思う。
精神は神の属性の一つである思惟の様態の一部、身体は、同じく
神の属性である延長の様態の一部(だったかな)であり、思惟の様態
が延長の様態によって限定される(因果関係等を持つ)ことはないと
いう議論だったと記憶しているけど。まあ、こりゃ、唯物論の定義の
問題かもしれないけどね。あと、イダンティテ(という表記が一般的
と思う)フランス語であげたのは、何か特殊な意味を込めているの?
23考える名無しさん:01/09/14 13:25
適当なところで改行を入れて下さい。読みにくいです。
24スピノザはエコロジカルな生物だ:01/09/14 18:45
スピノザとニーチェ のスレがたっからこのスレはおしまい?
25考える名無しさん:01/09/14 18:50
>>22
ドゥルーズは「ある意味で唯物論的だ」といった誉め方をしているのですよ。
精神と身体のどちらか一方に他方を暴力的に支配させたりしない、と
いう感じですかね。
2622:01/09/14 18:52
>>25
レスサンクス。「精神の身体に対する優位を否定」というのが
ポイントということなのかな。
27考える名無しさん:01/09/14 19:06
28考える名無しさん:01/09/14 19:08
>27
なぜageた?
29考える名無しさん:01/09/15 03:35
心身平行ということですね。
(御都合主義的にもちだされた)民主主義と言う理念で身体を支配するな。
こんなことを言うのはスピノザ的ではないのかな?
30考える名無しさん:01/09/16 21:43
ぶっちゃけた話、
「汎神論」や
「心身平行」
を(現代の自分の問題として)肯定的にとらえられる人って
どれくらいいるのかな?
31考える名無しさん:01/09/17 12:46
「心身平行」については、現代でも結構重要な問題じゃないかな。
我々が外界を認識するのは感覚器官によっているわけだし。
それよりも、思惟の諸様態あるいは延長の諸様態は無限に連鎖し、互いに
限定しあっていて、その中では最終的なものは存在しないという指摘が印象的。
人間精神の底知れなさ(善悪含めて)、その中での意志や理性のか弱さを
教えている。
人間として普通に生きていくうえで、欠かせない認識じゃないかと思うよ。
「汎神論」については、この世に生きていくうえで欠かせない希望といった
印象でした。(まだ『エティカ』全部読みきっていないんですよ。)
32考える名無しさん:01/09/18 16:24
人=神の一部ということは人の自由意志は存在するということなんでしょうか?
33考える名無しさん:01/09/18 17:43
ほとんど忘れかけていますが…
スピノザのいう神とは自然を言い直しただけのものでしょう?
だったら神の力=自然法則、人間は神の一部=人間は自然界の一部
と言い直してもいいと思う。
これなら現代の科学とも互換性を持たせて考えることができるね。
34考える名無しさん:01/09/18 19:19
>>32
スピノザの神は、必然的に存在するものであり、他のあり方で存在する
ことなど考えられません。したがって、神の自由意志もありえません。
ひるがえって、神の思惟の様態の一部である人間精神についてみると、
その中で最終的な支配権を有するものは存在しないということになって
おり、自由意志なるものが支配権を振るうことは考えられていません。
自由意志とは一種の錯覚のごとき扱いを受けていたと記憶しています。
>>33
「神即自然」というのはスピノザ哲学を語るときの定番フレーズです。
ただし、スピノザの神はキリスト教のそれのような創造神・人格神
ではないけれども、物理的な自然のみならず精神的な部分も含みます。
「神即自然」から現代科学との互換性を強調しすぎると、じゃ、現代の
科学を知っていればスピノザなんて読むだけ無駄ということに
なりかねませんから。(W
それより、スピノザの概念構成で重要なのは、神の属性とその様態との
区別、諸様態相互の関係性ではないかと思います。
35考える名無しさん:01/09/18 23:45
あげ
3633:01/09/19 14:50
>>34
基本は思惟と延長だったね。うろ覚えのために赤っ恥をかいた。
私たちが知覚できるもの(延長)と、思われること(思惟)は神の
無限にある属性のうちの二通りのあり方で、私たちの捉えられるもの
すべてが神の表現だからその意味での「神即自然」ということか。
こんなところでいい?
37考える名無しさん:01/09/20 11:05
>>36
>>34です。自分のカキコがさもエラソーな印象を与えてしまったか
と反省しています。僕もたかだか1回読んだだけの人間です。
「赤っ恥」ということはないです。物理的世界も神の現れなのだから。
スピノザと現代科学の関係については、僕は現代科学には疎いけど、
アインシュタインが「スピノザの神なら信じられる」と言っている
そうで、あなたの見方は当たっているかもしれない。
38考える名無しさん:01/09/20 20:33
落ちたスピノザのピスタチオ

回文だそうです。
39考える名無しさん:01/09/21 01:08
うーん、ドゥルーズはスピノザへの導入にはいいけど、
あれでニーチェと並行的に理解しちゃうと
やっぱすこし違うと思う。
40考える名無しさん:01/09/21 14:04
>>39
ご意見非常に興味があります。もっと詳しく聞かせて
くれませんか。
41:01/09/21 15:08
「道徳的世界観から倫理世界観へ」
ドゥルーズのスピノザ=ニーチェの理解は
こんな感じじゃなかったかしら。
一言で言うと(複数形の)力の思想。
42考える名無しさん:01/09/28 12:32
どうもなかなかレスがつきませんね。
>>39
スピノザとニーチェの違いについては、こういうことが言えませんか?
両者とも、>>41さんが言う「諸力の思想」(仏蘭西現代思想の決まり
文句みたいだけど、何の解説もないと、意味がわからない。
僕の勘ぐりでいうと、スピノザについては、諸様態がお互いに
限定しあっている有様をさしているのかな?)なんだろうけど、
スピノザについては、そうした諸様態の原因(という言い方が
適切かは教えて。)として、存在者としての神が背後にいて、
精神は、それを認識することにより、受動の状態を脱して、
能動に至る。
それに対して、ニーチェの場合は、諸様態の背後の原因者としての
存在なんて認めていない。
ニーチェにとっては、スピノザの「神への知的な愛」は、現象を肯定
しているようでいて、その実、神の立場にたって現象を支配しようとする、
歪んだ権力意志のあらわれと見える。
この問題についての僕の印象はこんなところです。
この対立は、アリストテレスの『二コマコス倫理学』の勇気を論じた部分を
思い起こさせます。アリストテレスは、ソクラテスが勇気を知に還元する
ことに反対して、「知が十分に発揮し得ないところでどこまで頑張るかが
勇気ではないのか」と批判しています。
スピノザが倫理の問題を知の問題に還元する傾向にあることに対しては
何か意見がありうるところだと思います。
43考える名無しさん:01/09/28 15:38
(初心者)『エチカ』(世界の名著)

そもそも、冒頭「本性」と「本質」の区別がつかない。
44考える名無しさん:01/09/28 23:45
>42
そうそう、ニーチェにはスピノザ言うところの
「第三種認識」の問題系は全く存在しません(当然だが)からね。
そこはニーチェとは全く違いますね

でも、スピノザの神はあくまで内在であって、しかも存在者でもないので、
>存在者としての神が背後にいて、
という言い方はミスリーディングだと思います。
45考える名無しさん:01/09/29 00:34
上野修「精神の眼は論証そのもの」
って、どうでしょうか?
46考える名無しさん:01/09/29 03:01
>>44

「神はあくまで内在であって、しかも存在者でない」

っていうのは、ほとんど仏教ですね。
それも如来蔵思想に近いといえば近い。

中沢新一がチベットのモーツアルトのころから好んで引用してる。
47考える名無しさん:01/09/29 18:48
>>46
ドイツでそんなこと思った奴らが
スピノザ・ルネサンス、18世紀後半。
48考える名無しさん:01/09/30 12:51
>>44
>>42です。レスどうもありがとうございます。
「背後」という言い方は確かに適切ではないかもしれない。
諸様態は相互に限定しあっていて、神が直接に働きかけるという
構成になっていないので、そう書いたまでです。
ところで、スピノザの神が内在であるというのは判るけど、
存在者でもないというのは引っかかります。
『エティカ』の初っ端で、実体は存在を本質として含むという定義
があるのですが、それをどう理解すればよいのでしょう。
ご教示ください。
49考える名無しさん:01/09/30 13:03
『レヴィナスコレクション』(筑摩学芸文庫)に
「あなたはバルフを読み直したか」が入ってる。
50再生産:01/09/30 15:10
>>48
>>44
>>43です。
 (繰返します。便乗)
 「本質として含む」の近くに「本性云々」があります。
 意味が取り難いです。
51考える名無しさん:01/09/30 20:57
>>50
>>48です。ごめんなさい。僕もよくわからない。
おそらく、原文でも違った言葉を当てていると思われます。推測ですが、
「本質」はessentiaで、ものの定義、「本性」はnaturaで、生まれつきの
性質というか、それを発生面から捉えたということなのでしょうか。
このことばは両方ともギリシャ以来の歴史を背負っているけど、
使い分けが難しい。僕も良くわかりません。誰か教えて。
確かに、中公版ではこれについて何の注もないのは不親切という気がする。
それとも両者にあまりたいした実質上の違いがないと判断している
ということなのかもしれません。
52考える名無しさん:01/09/30 22:17
この人は自説を曲げずに火あぶりになったのですよね。
すごいよ。デムパかもしれんが。ガリレオはヘタレやな。
教会の圧力に屈したので。精神に関しては普通の人ですね。
53考える名無しさん:01/09/30 22:32
>>52
誰のこと?ジョルダーノ・ブルーノ?
スピノザは火あぶりになんかなっていないです。
ユダヤ教共同体から破門されたとは聞いているけど。
54考える名無しさん:01/10/01 11:01
>>51
 ありがとう。
 「公理」「定義」「定理」の重要なところに、こんな
 曖昧にとれてしまう言葉をつかわざるをえない日本語
 がわるい。(「本」が「『本』性」「『本』質」で共通
 するから初心者=私はいらぬ神経をつかってしまった。)
55再生産:01/10/01 20:10

 >I. Per c a u s a m s u i intelligo id,
 >cuius essentia involvit existentiam,
 >sive id,
 >cuius natura non potest concipi nisi existens.

何だ、(単なる)対句表現じゃないか。
 客観的に「本質」
 主観的に「本性」
だ。同じことを2面で述べてる。
56考える名無しさん:01/10/02 11:56
「定義 1自己原因とはその本質が存在を含むもの、あるいはその本性が
 存在するとしか考えられえないもの、と解する」は、

「自己原因とは、その本質が存在を含むもの、と解する」
(「あるいは」)
「自己原因とは、その本性が存在するとしか考えられえないもの、と解する」

ことから「その本質が存在を含む」という表現と「その本性が存在するとしか
考えられないもの」という表現は、等価。
(A=BかつA=Cであるのは、B=Cを前提としている??)
文脈により「本性」「本質」は交換可能???
57考える名無しさん:01/10/04 00:58
So ist Gott nicht ausserhalb der Welt,
aber er ist nicht in der Welt auch nicht,
er ist die Welt.
58考える名無しさん:01/10/06 18:50
第一部定義に関し
 定義1は自己原因:「存在」がわかればよし
 定義2は有限:「他のもの」がわかればよし
 定義3は実体:定義1と定義2がわかればよし
 定義4は属性:「知性」と定義3がわかればよし
 定義5は様態:「変様」と定義3がわかればよし
 定義6は神:定義3と定義4がわかればよし
 (ここまでは簡単)
59考える名無しさん:01/10/09 16:19
続きをキボーン!!
6019:01/10/09 18:01
やっと、エチカ読み終わった。。。
スピノザの言いたいことは、全ては神のうちにあって、定められていることなのだから、おまえら人間は
文句言わずに、キリスト信じろや、ゴルァ!!ということなのかな_?このあたり、ライプニッツにも通じるね。
でも、スピノザの言う神は人格神ではないよね。
61考える名無しさん:01/10/09 18:13
キリスト教では神が人間を無から創造したということになるけど
スピノザの場合は神から分裂して人間ができたという感じかな。
62考える名無しさん:01/10/09 18:45
今風に言えば、ビッグバンで、宇宙はできたと。
それを、神と呼ぶのかなあ。
いや、神は今もこうして現存していると?
63考える名無しさん:01/10/09 21:00
スピノザは、聖書に現れる預言者達のことをどう思ってたんだろ?
64考える名無しさん:01/10/09 21:01
ていうか、スピノザはキリスト教神学では、どう位置付けられているのかな?
65考える名無しさん:01/10/09 22:07
第一部(続き)定義・公理
 定義7は自由:「他のもの」でない「それ自身」がわかればよし
 定義8は永遠:「存在」がわかればよし

 公理1:「存在」「それ自身」「他のもの」がわかっているから簡単
 公理2:「公理1」を主観的にとらえたもの
 公理3:因果関係を客観的にとらえたもの
 公理4:「公理3」を主観的にとらえたもの
 公理5:「概念」の相互関係
 公理6:主観と客観の平行性
 公理7:「不存在」についての言及
 (公理は受入れるしかない)
6619:01/10/09 22:44
>>20さん
>>22さん
>>61さん
resありがとうございます。参考になりました。

全てが神から発し、神の中にあると考えるスピノザにとっては、人間は被造物というよりは神の現れの一部分だということですね。
67考える名無しさん:01/10/16 22:09
第一部(続き)定理『世界の名著』より
定理1「その本性からみれば、実体は変様に先だっている」

「本性」は定義1でいうところの「本性」
「実体」は定義3
「変様」は定義5
定義5は定義2でいうところの「他のもの」
以上から簡単にわかる。
68考える名無しさん:01/10/16 23:28
スピノザって民主主義を最初に言った人みたいに
聞いたんですが、何を読めばわかりますか?
69びたみん:01/10/16 23:30
田島正樹のスピノザのやつどうかな?
70考える名無しさん:01/10/16 23:36
71考える名無しさん:01/10/16 23:41
>>70

えっ!いや・・・民主主義に関しては分かんない。
ごめん。僕も読んだこと無いから、誰か読んだ
かな〜って思って。
72mimesis:01/10/16 23:58
>>68『国家論』あるいは『政治論』Tractatus Politicus
前半が国家一般について述べていて、
後半が君主政、貴族政、民主政の3つの
政体を論じているのだけれど、
民主国家の叙述の途中で、未刊になってる。
スピノザが民主主義を最初に言ったかどうかは、
私にはわかりませんが、
単に民主政体と言うことならば、プラトンの『国家』に
もでてくる。しかし、なにをもって民主主義とするかは
結構むずかしいと思う。
7368:01/10/17 01:35
mimesis さんありがとうございます。

スピノザの「国家論」「政治論」をあたってみたいと思います。
74考える名無しさん:01/10/17 18:11
スピノザの国家論は、エティカの情念論の原理を政治の世界に
翻訳したようなところがありますね。
その中では、すべての人が固有の生存権を有するとともに、
自然状態(といっていいのかな)においては、すべてに冠絶する
最終的な決定権を有する者は存在しない。
ちょうど、情念の世界ではどのような要素もそれなりの理由があり
意志の力でそれを制御しきるのは不可能であるというふうに。
スピノザを民主主義的というのは、すべての人が固有の権利を有する
というところを指しているのかな。
ホッブズの政治論との比較をすれば興味深いのではないでしょうか。
75mimesis:01/10/17 18:41
>>72 の訂正 5行目 「未刊」は「未完」の変換ミス。すまそ。
あと、念のために『国家論』と『政治論』は同じ本。
タイトルの訳しかたの問題。
『国家論』の名で岩波文庫ででてたけどたぶん今は品切れ状態。

ついでに、スピノザには似たタイトルで『神学・政治論』
Tractatus Theologico-Politicusというのがあって、これは
ほとんどが聖書批判なのだけれど、最終章が「自由なる国家に
おいては各人がその欲することを考え、その考えを言うことが
許される、ということが示される」。私もそうなのだけれど
聖書に親しんでいないとこの本を読むのは辛い。けれど、この
最終章だけ読んでみるのもいいかも知れない。この最終章を
提示することを可能にするためのスピノザの苦闘をすり抜けて、
結論だけ読むのは、安易な態度かも知れないけれど、
読まないよりはいいはず。

この本は
76mimesis:01/10/17 18:44
>>75 最終行「この本は」はただの消し忘れ。無視してください。
77考える名無しさん:01/10/17 21:38
(承前)
定理2「異なる属性をもつ二つの実体は、たがいに共通なものをもたない。」
 これは簡単。
定理3「たがいに共通なものをもたないものは、たがいに他の原因となる
ことができない。」
 この証明で「理解」(公理5)がつかわれるのが、わからん。
 
78考える名無しさん:01/10/17 22:27
汎神論を議論するときに出てくるのが神の絶対性。
汎神論では神でさえも矛盾率に縛られる。これは絶対性といえるのでしょうか?
だとしたら神も人間もそうたいして変わらないと思ってしまいます。
これってスレ違いでしょうか?
79考える?名無しさん:01/10/19 11:11
続きをキボーン!!
80考える名無しさん:01/10/19 12:32
>>78
神の絶対性を議論する際に、矛盾律に縛られないのが絶対性だという
議論はきいたことがありません。キリスト教神学ですか?
スピノザの話に戻ると、汎神論で重要なのは、この世界のすべてが
神の表現であることで、そういう意味では、「人間と神とはたいして
かわらない」という言い方もひょっとするとありうるのかもしれないけど、
神が「必然的に存在し、他の何者にも限定されない」のに対し、
その他の存在者は「必然的には存在せず、その存在消滅は他の者に
負っている(限定されている)」わけで、その違いは決定的です。
81考える名無しさん:01/10/19 14:15
78 みたいなやつとは、
スピノザ自身が往復書簡交わしてるよ。
当時の2ちゃんねるか?
82考える名無しさん:01/10/19 19:46
>>81
ただ、2ちゃんみたいに、匿名で好き勝手なことをいうのとはちがうかもね。
で、教えて君で悪いけど、どういうやりとりをしていたんだろう。
83考える名無しさん:01/10/19 20:08
キリスト教自体が、矛盾律に支配されているのではないか?イエス・キリストは「神+人(堕落以前のアダム)」
と。しかし、それが何故生じるのか、といえば、人間の認識(表現)の限界から
であって、神(キリスト教の)は矛盾律に支配されてはいない。スピノザの神は、矛盾律に支配されている
のか、それとも完全言語化不可能なものだからそう表現しているのか、私はスピノザは詳しくないから
わからない。そもそも矛盾律がどうして有限性なのか?わたしはいないかつわたしはいる、という状態
は想像不可能である。矛盾を含みながら両方存在する、というのは結局言語に頼るのであって、実相は
空虚だ、という批判もできるかもしれない。
84mimesis:01/10/19 23:53
>>82
彼(スピノザ)にとっては、とらわれない精神をもって真理を求める
人ほど歓迎すべきものもないのであった。だから真理追求の名のもと
に集まるところ、オルデンブルグのような世間通の外国人に対しても、
ブレイエンベルフのような一知半解の哲学愛好者に対しても、ボクセ
ルのような幽霊の存在を固く信ずる役人に対しても喜んで返事を書い
たのであった。しかも彼の文通者の多くは、その才能や理解において、
彼と甚だしい間隔があり、時にはニ本の平行線のように始めから相合
う術もないような考え方の持主もあった。こんな相手に対しても、ス
ピノザは、誠心誠意をもってたゆまず教えを説いたのであった。

  『スピノザ往復書簡集』岩波文庫 畠中尚志の解説
85考える名無しさん:01/10/20 07:44
(承前)
 定理4「異なる二つのあるいは多くのものがたがいに区別されるのは、
     実体の属性の相違によるか、それとも属性の変様の相違による。」
 これも、定義3・4・5>>58より簡単。
 他のものとの区別は公理1>>65だから、公理に従うしかない。
86考える名無しさん:01/10/20 09:56
(承前)
 定理5「自然のうちには、同じ本性あるいは同じ属性をもつ二つ
     あるいは多くの実体は存在することができない。」
 いきなり「自然のうちには」と「自然」概念がでてきて困るが、スピノザ
は、自明のものとしているようだ??
 すでに、実体への2つのアプローチ
 1)「それ自身」「属性」アプローチ
   (定義3>>58、定義4「属性」>>58
 2)「他のもの」「変様」アプローチ(定理1>>67をバイパス)
   (定義3>>58、定義5「実体の変様」>>58
をしっている(定理4>>85より)。
 だからすべて、実体の区別に集約される。
 そして、(必殺の)公理6>>65で、認識=対象で証明終り。
87考える名無しさん:01/10/22 23:07
(承前)
定理6「一つの実体が他の実体から産出されることはありえない。」

(次の定理7が、大問題)
88考える名無しさん:01/10/24 10:46
大問題?続きをきぼーん
89考える名無しさん:01/10/24 12:53
定理5は、マクロな物体にしか使えないね。量子統計はスピノザを越えているわけか。だからどうしたとは言わないが。
90考える名無しさん:01/10/24 12:58
>>89
まあまあ、そうあわてないで。スピノザの「実体」というのはあなたがいう
「物体」とは全く異なり、我々の目に見える世界の中で探し出せるものでは
ないのですから。
とりあえず、>>87の続きをキボーン
91考える名無しさん:01/10/24 15:46
スピノザは大好きです。
それだけ言いたかったのでレスしました。
さようなら。
92考える名無しさん:01/10/24 21:29
(承前)
<定理7を考える準備1>引用は『世界の名著』p77
定義1「自己原因とは、その本質が存在をふくむもの、言いかえれば、
    その本性が存在するとしか考えられないもののことである。」
定義2「同じ本性をもつ他のものによって限定されるものは、自己の
    類において有限といわれる。たとえば、物体は有限であると
    いわれる。なぜなら、われわれは常により大きな他の物体を
    考えることができるからである。同じように思想は、他の思
    想によって限定される。だが、物体は思想によって限定され
    ないし、また思想は物体によって限定されない。」
93考える名無しさん:01/10/24 21:35
(承前)
<定理7を考える準備2>
定義3「実体とは、それ自身において存在し、それ自身によって考え
    られるもののことである。言いかえれば、その概念を形成す
    るために他のものの概念を必要としないもののことである。」
94考える名無しさん:01/10/24 21:52
(承前)
定理7「実体の本性は存在することである。」

は?定義1>>92、定義3>>93との関係は??

どうも定理6を経由して、
1)「実体」→「それ自身」→「それ自身」の「原因」性→「自己原因」
2)「自己原因」←(定義により)「存在」そのもの。
3) 1)と2)より、「実体」=「存在」となる、みたい。

ここに至って、「空」だった実体に、存在という内実が入ることになる。

なお、この定理7が神の存在証明(定理11)で活躍する。
95mimesis:01/10/24 22:18
定理7の原文(ラテン語)は以下の通り。

Ad naturam substantiae pertinet esistere.

pertinetはドイツ語訳(Philosophische Bibliothek)だと、
gehoertで、これは英語だとbelong toにあたると思います。
すると、定理7の翻訳としては岩波文庫の畠中訳のほうが
適切だと思われます。

「実体の本性には存在することが属する。」
96訂正:01/10/24 22:22
>>95
誤:Ad naturam substantiae pertinet esistere.
正:Ad naturam substantiae pertinet existere.
97考える名無しさん:01/10/24 22:47
(承前)
研究社『羅和辞典』より(見出し語で)
ad:に関して
natura:本性
substantia:実本(引用ママ)、本質
pertineo:所属する
existere<exsisto<exsistentia:存在
なるほど、ラテン語の勉強にもなる。
98考える名無しさん:01/10/25 21:53
(承前)
定理8「すべての実体は必然的に無限である。」

この定理8から定理10は、定理11での神の存在を証明するため
の伏線。
(定理7までで一応「実体」(内=存在、外=それ自身性)の説明
を終えたから、次のステップに進むワケ)
しかし、この注解がすごく長い。しかも定理7>>94をめぐってである。
誤解を防ぐ予防線を必死ではってる感じ。「定理11までは、論破さ
れるか」という気概が感じられる。
99すみません。:01/10/25 22:48
L'ETIQUE の仏訳でよいのはどれですか。
100100:01/10/26 00:44
>>99
Seuilから出てたやつはどう?
101mimesis:01/10/26 01:32
>>99
GF FLAMMARIONの<OEVRES 3 ETHIQUE>はCarles Appuhnの訳ですが、
岩波文庫の『エチカ』の解説にこうあります。
「アッピューンのフランス語訳は、(中略)穏健優秀なものであり、
表現にも苦心の跡がうかがわれ、その註も注意に値する。」(29頁
他人の意見を引用しただけ。(第1種の認識?)
これじゃ私、スピノチストへの道は遠い。
102mimesis:01/10/26 01:48
>>101 訂正 Carles Appuhn → Charles Appuhn
 序文を読むとスピノザがつかった重要単語には同一語を対応させて
訳す方針を表明していますね。これが厳密なやり方(la seule maniere
rigoureuse)なんだと。それによってフランス語の意味が通じ
にくくなるところは、註で補いたいと書いてます。注釈は巻末に
36頁分あります。(自分はもってるだけでゼンゼン読んでないです。)
103ありがとう。:01/10/26 17:27
L'Ethiqueでした。
104考える名無しさん:01/10/26 22:25
みなさん、
スピノザのラテン語の原典の
ゲプハルト版を持っているんですか??
そこから原文引用しているの??
105考える名無しさん:01/10/26 23:55
(承前)
<少し脱線。定義2の語順に関し>
定義2は、ラテン語の原文で読むと、文型が、定義7と類似
の構造。したがって、
「自己の類において有限と言われるものは、同じ本性を
もつ他のものによって限定されるものである。」
という語順であるべきとおもわれる。
106考える名無しさん:01/10/26 23:58
(承前)
<定理9と定理10の準備>
定義4「属性とは、知性が実体に関しその本質を構成するもの
    として認識するもののことである。」
107考える名無しさん:01/10/27 00:02

(承前)
定理9「ものがより多くの実在性あるいは存在をもつにつれて、
    それだけ多くの属性がそのものに帰せられる。」

(仏)Suivant qu'une chose a plus de realite ou d'etre,
 un plus grand nombre d'attributs lui appartient.

ここでの「存在」はetreなんだけど、existereとしての「存在」
(定理7)>>95との区別は?日本語は曖昧ダ。
ものune chose、も、「(ある)もの」くらいに強調しないと曖昧。
証明は定義4を引用するが、定義4>>106からは、ある実体に対する
属性が複数存在してよいかどうかは不明だよネ。
108考える名無しさん:01/10/27 00:10
(承前)
定理10「実体のおのおのの属性は、それ自身によって考え
     られなければならない。」

(仏)Tout attribut d'une substance doit etre concu par soi.

文法的には、受動態でいいのか??
定義3>>93ではトートロジー的な説明で(実は)空っぽにしてあった、
「実体が何を考えるのか?」の回答を、定義4>>106を通じて「属性」であ
るといっている、と考えないと、ここの証明は意味不明。
(ここで悩まず、定理11以降に進んで、あとで戻ろう。)
109考える名無しさん:01/10/28 00:07
>102
その翻訳の姿勢はベンヤミンの翻訳論にいうあるべき翻訳の姿だ。真に
翻訳に値するテクストは逐語訳すべきだという。
110考える名無しさん:01/10/28 03:36
>>109
でもさあ、フランス語ってラテン語だからできるんだよね。
ラテン語→日本語って一語一義で逐語訳したらわけわかんないよね。
ベンヤミンも、他の語族の言語への翻訳は念頭にいれずに行ってると思う。

関係ないレスでスマソ。
111考える名無しさん:01/10/28 15:37
(承前)
<テキストに関し>
 本日、岩波文庫入手しました。良い訳ですね。
 特に、>>105定義2の語順の問題、>>107定理9の「存在」の訳語
の問題も、岩波文庫を使えば、生じない問題です。
 ただ、「一冊にまとまっている」という点、「訳語のおかしなところは
自ずからわかってくる」という点、から、今後も『世界の名著』をベース
にします。(岩波は参考程度)
112考える名無しさん:01/10/28 19:43
(承前)
<定理11のための準備1>
定義6(仏)J'entends par Dieu un etre absolument infini,
c'est-a-dire une substance constituee par une infinite
d'attributs dont chacun experime une essence eternelle et infinie.
定理11(仏)Dieu,c'est-a-dire une substance constituee par une infinite
d'attributs dont chacun experime une essence eternelle est(ママ)infinie,
existe necessairement.
 (estはetの間違いと思われる)
113考える名無しさん:01/10/28 20:00
(承前)
<定理11のための準備2>
定義6(羅)Per Deum intelligo ens absolute infinitum
hoc est substantiam constantem infinitis attributis
quorum unumquodque aternam et infinitam essentiam exprimit.
定理11(羅)Deus sive substantia contans infinitis attributis
quorum unumquodque aternam et infinitam essentiam exprimit,
necessario exist.
(ムム、ラテン語だと、仏訳>>112と違い、神が単数・複数と区別され
 てるようだが??)
114mimesis:01/10/28 20:41
>>113
定理6のラテン語のDeumは単数・対格。
前置詞perには対格が続く。
仮に神が複数だったらper Deosになるはず。
    単数   複数
主格  deus   di
属格  dei    deorum(deum)
与格  deo    dis
対格  deum   deos
奪格  deo    dis

自分もラテン語はちょっとしか知らないので復習。
115考える名無しさん:01/10/29 19:56
キリスト教プロテスタント系サイトの掲示板に、スピノザの神の存在証明について
書きこんだら、いきなり削除されちゃった(w。
キリスト教神学者にとってはスピノザは許しがたい異端の思想家なのかな?
まあ、なんていうか偏狭で排他的な感じの所ではあったよ。
116>115:01/10/29 20:08
単にキチガイが板を荒らしに来たと思われただけだろ。
実際、それはアタリだったりして(ワラ
117>116:01/10/29 20:35
アタリだよ。それがなにか?
118考える名無しさん:01/10/29 21:05
(承前)
<定理11への準備3>
定義6「神とは、絶対無限の存在者、言いかえれば、そのおのおのが
  永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成りたつ実体
  のことである。」

 もうおわかりのようにここでの「存在者」は要注意。岩波文庫では
「実有」です。フランス語でのetreです。
 「存在者」はまずい訳です。
 また「言いかえれば」はc'est-a-direです(これは定理11の
伏線)。
119考える名無しさん:01/10/29 21:10
(承前)
定理11「神、すなわちそのおのおのが永遠・無限の本質を
  表現する無限に多くの属性から成りたつ実体は、
  必然的に存在する。」

 (「すなわち」は「言いかえれば」にしてほしかったヨ。)
定理1から定理10まで順に読んでくると、よくわかる。
120mimesis:01/10/30 01:28
>>118 ens の訳語の問題は深みに嵌まりそう。
ドイツ語訳だと定義6のens は Seiendes と訳されています。
例のハイデガーの「存在者」ととると確かに「神は存在者だ」というのは
おかしなことになる。ハイデガ−の影響力は大きいのはもちろんなのだけれど
あれはハイデガー哲学の概念で外に安易に持出すと誤解のもとになるのでは
ないかと私は思うのですがどうでしょうか。
ensはラテン語のesse(英語のbe,フランス語のetre,ドイツ語のsein)の
「現在分詞型」。(being, etant, seiend)
ensは中世哲学研究においては「有」と訳されたりするそうです。
「実有」というとens realis 「実在的有」の略なのでしょうか?
スピノザはアマチュアっぽいところがあって
哲学あるいは神学用語を慣例と違う使い方をすることがあるそうです。
そのため哲学史の常識で読むとずれていたりする。
だからスピノザはスピノザのテクスト自身にそって内在的に読まねば
ならないなんていわれたりもするのだけれど、ここらへんの
語彙の穿鑿は難しいですね。
「存在論」が「語源学」っぽくなってゆくのは自然の成りゆきなのかもしれない。

私は今テクストを離れてアランの『スピノザに倣いて』を読み返しています。
121考える名無しさん:01/10/30 22:52
煽られてももくもくと読解を続ける・・・。
あんたらすげーよ。まじプロ。
122考える名無しさん:01/10/30 23:29
(承前)
定理12「実体の可分性を帰結するような実体のいかなる属性
     も考えることができない。」

(定理11の余韻にひたって、とくにコメントなし。)
123考える名無しさん:01/10/31 20:53
(承前)
定理13「絶対無限の実体は分割されない。」

(仏)La substance absolument infinie est indivisible.
「絶対無限」は定義6>>118を、参照。
「〜されない。」という文末(岩波文庫も同じ)は、個人的には
嫌。端的に、「不可分である。」でいいじゃん。
124考える名無しさん:01/11/01 20:45
(承前)
<定理14のための準備>
(仏)Il ne peut exister et on ne peut concevoir
   aucune autre substance que Dieu.
125考える名無しさん:01/11/01 20:52
(承前)
定理14「神以外にはいかなる実体も存在しえないし、
              また考えることもできない。」

 いよいよ、定理14だ。
 岩波文庫では、定理2>>77の「二つの実体」との関係を、注で指摘してる。
さすがだ。
126考える名無しさん:01/11/01 21:52
あちぃ(w
がんばれ〜
127考える名無しさん:01/11/01 21:54
モノローグやね。
128考える名無しさん:01/11/01 22:32
問題1。スピノザは結局は童貞・処女の思想か?
ないし、かれは童貞・処女か、清い乱交しか肯定できないのか?
(結婚の閉鎖性はスピノザからは出てこない)
問題2.浅田がスピノザを結局は肯定しないのは、セクースの問題があるのか?
問題3.田島先生の今度の本の最後尾は、スピノザをあまりに能天気な奴に
してしまっていないか? スピノザは言語論的転回ではつぶれない?
129考える名無しさん:01/11/01 23:20
フラ語のアクサン記号を手軽に出すにはどうするの??
130考える名無しさん:01/11/02 13:01
田島さんは POSSIBILITE と VIRTUALITE を区別すべきではないか?
それがためにスピノザをなかばだけしか肯定できない・・・
131考える名無しさん:01/11/02 21:59
(承前)
定理15「存在するものはすべて神のうちにある。そしていかなるものも
     神なしには存在しえないし、また考えることもできない。」

 いよいよ第一部のなかでスピノザらしさがでてきた。
 ただ、「存在」と「神」との間には、「自己原因」「実体」等や、もろもろ
の定義、もろもろの定理が介在している。
 このことを忘れて、字面だけで、「存在」→「神」と短絡的に、理解しない
ように、注意が必要だ。
132考える名無しさん:01/11/03 17:12
(承前)
定理16「神の本性の必然性から、無限に多くのものが〔すなわち、無限知性
     によってとらえることのできるすべてのものが〕、無限に多くの
     仕方で生じてこなければならない。」

 これって、スピノザ的神=ビックバンだ、ってことみたい。
 「すべてのものの動力因」っていってるから。
133考える名無しさん:01/11/04 09:35
134考える名無しさん:01/11/05 21:38
(承前)
<定理17のための準備>
定義7「自由と言われるものは、みずからの本性の必然性によってのみ存在し、
   それ自身の本性によってのみ行動しようとするものである。だがこれに
   反して、必然的あるいはむしろ強制されていると言われるものは、一定
   の仕方で存在し、作用するように他のものによって決定されるもののこ
   とである。」

  岩波文庫『エチカ(上)』p260「必然が自己の内部の法則によるもの
 である時は自由と必然はむしろ合致する。」という説明が、有益。
  しかし、ここまで進んでようやく定義7が活躍する。第一部の構成は
 本当に、奥が深い。
135考える名無しさん:01/11/05 21:41
(承前)
定理17「神はみずからの本性の法則によってのみ活動し、
    だれからも強制されて活動することがない。」

 ビックバン理論だもの。
 ここから、定義7とあいまって、「自由」の話題が派生する。
136考える名無しさん:01/11/05 23:58
スピノザは承前さんのようなナルシストを認めないだろうなぁ。
むろんこのようなコメントに動じるような承前さんではないだろうが。
137考える名無しさん:01/11/06 15:43
とても参考になります。どんどん続きをキボーン。
138考える名無しさん:01/11/06 15:53
次は内在的原因だ。
そもそも「属性」の位置づけがよくわからん。
超難問だ。
139考える名無しさん:01/11/06 16:16
属性の理論はカントの超越論にも匹敵する重要性を
もっていると思う。
マシュレが『ヘーゲルかスピノザか』で属性を中心
テーマとして扱っているが納得できない。
ドゥルーズの「属性の一義性」は直感的に正しいと
思うが、俺の脳みそがとどかない。
140考える名無しさん:01/11/06 19:50
>>135
>ビックバン理論だもの
これだと開き直りと誤解される。
定理17にはクリティカルな側面もある。
定理17の「備考」は人間の特性が密輸された神を
徹底的に廃棄することをめざしている。
141考える名無しさん:01/11/06 21:22
(承前)
定理18「神は、あらゆるものの内在的原因であって超越的な原因ではない。」

(順序が逆だが)
 定理14>>125までの議論で超越的原因性を否定、定理15>>131からの
議論で内在的原因性を肯定。
 ただそれより、岩波文庫p264以下のいうブルヘルスダイクの予備知識が
ないと苦しいよ。
 >>140さんの件、了解しました。
142考える名無しさん:01/11/07 01:14
定理15から。だよね。
ブルヘルスダイク!?
とにかく、定理15は、内在性と結果の産出を同時に考えることを
いってるんだろ?
15の証明ではわからない。
143考える名無しさん:01/11/07 19:08
(承前)
<先に進まず、定理18>>141に、しばし、とどまる>
参考:定理16>>132の系1
「以上の帰結として、神は無限知性にとってとらえることのできる
 すべてのものの動力因となる。」
定理18の証明には、この定理16の系1もつかわれてる。
            
144やっぱスピノザでしょ:01/11/08 00:17
136だが、私はスピノザに反して、136のコメントを心から恥じている。
私の行動能力はただ今減少気味だ・・・
145考える名無しさん:01/11/08 19:14
>>144さんもスピノザ読んでスレに参加してみてはいかが?
今300ページのうち23ページ目だしさ。
中央公論社からも岩波文庫からも邦訳がでてるよ。
146考える名無しさん:01/11/08 19:16
>>145 訂正。中央公論新社
147考える名無しさん:01/11/08 20:52
(承前)
<定理19のための準備>
定義8「永遠とは存在そのもののことである。だが、この場合の存在
    とは、永遠なものの定義のみから必然的に生じてくると考え
    られる存在のことである。」(『世界の名著』)
同  「永遠性とは、存在が永遠なるものの定義のみから必然的に出
    てくると考えられる限り、存在そのもののことと解する。」
                 (岩波文庫)

 あらためて、読むと、ややこしい構文だ。訳も微妙に違う。
 やっと、ここまできて、定義8が活躍するし。第一部の冒頭を
読んだだけだと、チンプンカンプンなのも無理ない。
 
148考える名無しさん:01/11/08 21:01
とりあえず、「原因」に関して、承前さんに従い岩波文庫
p264を確認。
当該ページの指示に従い、『単論文』1の3とp232の訳
者註も確認。
なんてありがたい註だ。
149考える名無しさん:01/11/08 21:03
(承前)
定理19「神あるいは神のすべての属性は永遠である。」

 神→実体→存在→永遠(定義8>>147)というルート。
 神の属性→実体の本質・本性(定理7>>94)→存在→永遠というルート。
 まったり、いきましょう。
150148:01/11/09 01:26
148訂正 単論文→短論文

>>149
これだよ、これ!
この2つのルート。
なぜ2つなのか?
これは同じことなのか、違うことなのか、それとも同じことの2つの側面と
かそういうことか?
属性についての定義4が依然謎のままだ。
151148:01/11/09 01:43
…なんかまったりしてきた。
152考える名無しさん:01/11/09 07:54
(承前)
<定義4に後戻り>
 定義4>>106は、難しいよ。理由は、
まず、素人感覚として「なんでいきなり『知性』がでてくるのか?」と思う。
また同様に、岩波文庫P259でも色々研究者も議論してるように
複数の解釈をゆるすから。
153考える名無しさん:01/11/09 11:35
そうね
154考える名無しさん:01/11/09 21:08
(承前)
定理20「神の存在と本質とは同一である。」

超難解。証明読んで、当り前すぎて逆に「??」。
一日考えて、ようやくわかった。
「実体」という言葉を使わずに、「存在=本質」を導いている
ところに、意味がある(ようだ)。
ちなみに、この定理に関して、『世界の名著』も岩波文庫も、
「注」ありません。
155考える名無しさん:01/11/10 01:41
>>154
>「実体」という言葉を使わずに
びっくりしたよ。
そういえば、神=実体のはずにもかかわらず、定義では実体と神を別々に
定義している。
気づかなかった(ワラ
定義6がポイントか?
悩ましい。
156考える名無しさん:01/11/10 18:03
定義において、自己原因→実体→神、という順番で、同一なるものの段階的な
概念形成がおこなわれたということか。
157考える名無しさん:01/11/10 22:17
(承前)
<ちょっと復習>
自己原因:定義1>>92
実体:定義3>>93
神:定義6>>118
158考える名無しさん:01/11/11 09:43
自己原因→実体→神、の段階的概念形成を考えるならば、エチカの体系の
配線がかっちりとつながるような気がする。
例えば、定理15以降、実体は消える。
しかしそれは消えたのではなく、自己原因、実体を捨てること無く抱えた
まま神へと移行したのではないだろうか。
自己原因、実体は潜在的に丸ごと保存されているのだと。
また、一連の定義の循環論的な閉鎖性は、一転して、運動的な開放性を持
つような気がする。
159考える名無しさん:01/11/11 10:48
(承前)
<定理21の証明を理解する準備として:「思惟」という言葉>
定理14 系2より
「第二の帰結は、延長するものや思惟するものは、神の属性で
あるか、それとも〔公理1により〕神の属性の変様であるか、
のどちらかであるということである。」
160考える名無しさん:01/11/11 12:58
スピノザと表現の問題の翻訳が酷いってのは、みんな
了解してるの?愚問でしたら、ごめんなさい。
161考える名無しさん:01/11/11 15:31
>>160
そうだったんだ。
サパーリ分からんと思っていたら翻訳が駄目だったのか(w
できたら、致命的にマズイ個所を教えて下さい。
162考える名無しさん:01/11/12 00:35
翻訳がよくても、わかりやすくはないさ〜
163考える名無しさん:01/11/12 07:57
(承前)
定理21「神のある属性の絶対的本性から生ずるものはすべて、常にそして
    無限なものとして存在しなければならない。あるいはその属性によ
    って永遠・無限である。」

 いよいよ「属性」のほうにテーマが移ってきた。
証明がわかりにくい。「神の観念」は岩波文庫の注p269にあるように、
「われわれの抱く神の観念」とするのは「誤り」で「神が抱く自らの観念」
とするのが良いみたい。
164考える名無しさん:01/11/12 11:33
ドゥルーズを読むときは・・。例えば、スピノザだったら
、スピノザを全部読むとか・・。プルーストだったら
、全部読むとかした方がよいかと思います。
ドゥルーズのモノとしてのスピノザという形の思想ではない
と思います。スピノザそのものといえば、語弊があるけど、
表現の問題という本の難しさは、スピノザを読めば、それほどでも
ないのではないでしょうか?
165考える名無しさん:01/11/12 17:02
もひとつおまけ。表現の問題は、若いドゥルーズの翻訳者が訳校を
あげていたのだけど、横から日本のスピノザの権威?さんが俺のところで
やらせろと言ってきたわけよ。でね。結果は、あんなのになっちゃったってさ。

あのガッコウには、わりとスピノザ屋さんがいるけど・・。
ドゥルーズの理解もスピノザの理解も○学生程度みたいね(とほほ)。

ま、もひとつの「スピノザ」も訳はいいのだけど、少し固めというか厳めしい
訳になってる。
166考える名無しさん:01/11/12 20:39
(承前)
<定理22の準備というか便宜上>
定義5「様態とは、実体の変様、言いかえれば、他のもののうちに存在し、
    また他のものによって考えられるもののことである。」

「神=(唯一の)実体」を理解してから、定義5を読返すと「他のもの」=「神」
を指すんだなとわかる。
167考える名無しさん:01/11/12 20:48
(承前)
定理22「神のある属性が、その属性のゆえに必然的にそして無限に存在する
    ような様態的変様に様態化するかぎり、この属性から生ずるすべての
    ものは、同様に必然的にそして無限に存在しなければならない。」

>>132>>135でビッグバン理論と書いて>>140で、注意されたけど、
スピノザはこの定理22に関し、「無限に多くの変化をしながら常に
同一にとどまる全宇宙の相」といってるらしい(『書簡』)のだった。
168oh la la:01/11/13 00:39
>もひとつおまけ。表現の問題は、若いドゥルーズの翻訳者が訳校を
>あげていたのだけど、横から日本のスピノザの権威?さんが俺のところで
>やらせろと言ってきたわけよ。でね。結果は、あんなのになっちゃったってさ。

じぇんじぇんスピさん的でないんだねぇ・・・・
かなしいねぇ。これもスピ的でないが。
169考える名無しさん:01/11/13 20:12
定理21から属性の本性としての「表現の問題」の入る。
従って「実体」という概念は本格的に「神」へと移行する。
「無限」であるということは「その絶対的肯定」(定理8備考1)だ。
未知の唯物論の地平が動き出したという感じ。
170169:01/11/13 20:16
訂正)「表現の問題」の入る→「表現の問題」に入る
171考える名無しさん:01/11/13 20:48
(承前)
定理23「必然的にそして無限に存在するあらゆる様態は、必然的に、
    神のある属性の絶対的本性から生ずるか、それとも必然的に
    そして無限に存在する様態的変様に様態化した神のある属性
    から生じてこなければならない。」

「様態」については>>166の定義5参照。
そこらじゅう「必然的にそして無限…」の罠だ。
172考える名無しさん:01/11/13 21:35
>>171
スピノザ的迷宮だ。
チクショウ、絶対読み解いてやる! …なんてね

定理21〜23は超難問だね。
時間かかりそう。
まったりやりますよ。
173考える名無しさん:01/11/13 22:15
そういやぁ、アランがスピノザに倣いてっての書いてるけど・・。
ぜんぜん、スピノニストじゃないじゃん(笑)。
どちらかっつうとよきキリスト者やん。
174考える名無しさん:01/11/13 22:20
c'est-a-direって、いわば、とか、いわゆるって意味よね。
言い換えれば・・ってのもあるけど・・。すなわち、っていうのと
それほどかわらないと思うけど。
175考える名無しさん:01/11/13 22:22
スピノザの翻訳書は、いろいろでてる。
いまじゃあまりうってないけど。少なくとも、五人くらいは、いるんでは?
あと、日本語とラテン語と対訳の試みってのも、でてるよ。
176考える名無しさん:01/11/13 22:26
前の方にある、ドゥルーズの属性の一義性って何?(笑)
177考える名無しさん:01/11/13 23:03
無神論者スピノザを詠えば、唯物論の地平を語れるってのは、
スピノザの自然を大宇宙って呼んでロマンを語るのに近いぞっと。
178考える名無しさん:01/11/13 23:06
もいっちょ。

アランは、スピノザにならってるだけ。アランの思想語ってるだけよ。

スピノザに一番近いのは晩年のニーチェでしょ。なんたって、本人も
言ってんだからさ。
179mimesis:01/11/14 00:13
アランの『スピノザに倣いて』のよいところは
『知性改善論』から話しを始めていることだと思う。

>>176 ドゥルーズは、「存在の一義性」を『差異と反復』で、
スコトゥス、スピノザ、ニーチェに「ならって」(?)
論じていますね。「永遠回帰=存在の一義性」という等式は、
この本のひとつの軸。同一の回帰なのではなくて、
回帰することの同一。生成という存在。という感じかなあ?
「属性の一義性」?? については私は知りません。
>>139さんの勘違いのような気がするのですが……

ドゥルーズのスピノザ論はかなりニーチェよりかも。
『ニーチェと哲学』が1962年で、『スピノザと表現の問題』は1969年。
180考える名無しさん:01/11/14 00:59
>>178
アランはスピノザをダシに使っている部分があるよね。
ただ、思想的バックボーンがしっかりしているのでやはりおもしろい。

ドゥルーズはスピノザとニーチェの統一をめざしたよね。
これはやはり大きなテーマだ。

「スピノザとニーチェ」といっても、ハートの『ドゥルーズの哲学』で
のまとめ方はいかがなものか?
思わず「マジ?」と固まることがある。
だけど、これもおもしろい本だと思う。
181考える名無しさん:01/11/14 01:09
>>179
「属性の一義性」は内在を意味します
(ドゥルーズ『スピノザ』p133、136、『差異と反復』p74)
182mimesis:01/11/14 01:52
 >>181
 確かに「諸属性」の一義性 l'univocite des <attributs>って
ありました。私は、『差異と反復』は断片的にしか読んでいない
のでした。失礼いたしました。
 「定理23」(>>171)はまさに、その「諸属性の一義性」=「内在」を
示した定理といえそうですね。勉強になります。ありがとう。
183初心者:01/11/14 03:27
ドゥルーズ ガタリは一言で言えば時空の彼方に飛ぶ知覚の前衛凧
だから狂うよ 狂ーう語りになる
184考える名無しさん:01/11/14 03:53
存在の一義性ってなんじゃらほい
185考える名無しさん:01/11/14 15:40


ドゥルーズの語るところのスピノザにおいて属性の一義性は
要をなしているってことね。それを、ドゥルーズはいくつかのタイプ
において検討してるね。

表現の問題もスピノザの概念の様々なタイプの組み合わせを
論じてる。

ひとことで言ってこうだという思想として読んでしまうと、スピノザの
新しさもドゥルーズのおもしろさもないよね。
186考える名無しさん:01/11/14 15:48
ドゥルーズのニーチェと哲学って72年じゃなかった?
間違ってたらごめん。
187考える名無しさん:01/11/14 16:02
すっごく前の方のレスで悪いんだけど。スピノザは、無限知性として
キリストを扱ってるよ。

あと、知性改善論はわかりやすいよね。でも、デカルト的な意味で
わかりやすい、ちゅうかスピノザになりきってないって感じぃ。
(近代的な物質・精神の二元論って感じっす)。

スピノザといえば「エチカ」とその過程で取り組んだ「神学政治論」
でしょうね。「神学政治論」は、だいぶ前に、岩波から復刊されてたのね。
188考える名無しさん:01/11/14 20:25
だからなんやねん存在の一義性!!!
189考える名無しさん:01/11/14 20:25
(承前)
定理24「神から産出されたものの本質には、存在がふくまれない。」

定義1は>>92です。
 また、日本語の問題。「もの」が大事な言葉なのに読み流しちゃう。岩波文庫
は「物」。
 無色透明な「もの」の方が「物」よりいいかもしれないが、ここでは、
  神=実体=(本質=存在)と対比して、
「ものor物」=(本質≠存在)だ
ということがはっきりしない嫌いがあるので不満。
<それにしてもすごい盛り上がりですね>
190考える名無しさん:01/11/15 00:48
>>189
承前さんのチェックには助かります。
個々の様態を一言で形容するなら「もの」だよね。
しかしこれでは「読み流しちゃう」。
「物(もの)」という表記にすれば、ヤボったいけどわかりやすいのでは。

定理24では、本質と存在がどの水準で区別されたのかわかりにくい。
191考える名無しさん:01/11/15 09:31
「神から産出されたもの」というのがいわゆる「様態」だとすると、
延長の様態のほかに、思惟の様態もある。感情とか。
日本語の「物」だと、思惟の様態が入らないと考えたのかなあ。
192考える名無しさん:01/11/15 13:03
定理24を読んだ時「えっ?」と思ったが、様態で本質と存在が
区別されているわけね。
ということは、それは、様態の存在のあり方が区別されたとい
うことでもあるのだろう。
内在の論理学とでもいっていいかもしれない。
唯物論らしくなってきた。
193考える名無しさん:01/11/15 16:28
ひとつ単純な質問をします。内在と唯物論とどう関係があるのですか?
前の人が書いてるように、無神論だからですか?それとも、単なる
思いつきとかドゥルーズがそういってたからとかでしょうか?
194考える名無しさん:01/11/15 18:54
承前さん!ちゃんと、上の質問に答えてあげてね。
195考える名無しさん:01/11/15 20:55
(承前)
<前定理までの「もの」を整理・確認、『世界の名著』限定>
定理2>>77 「共通なもの」
定理3>>77 「共通なもの」
定理4>>85 「2つあるいは多くのもの」
定理9>>107 「もの」(「そのもの」はパス)
定理15>>131「存在するもの」「いかなるもの」
定理16>>132「多くのもの」「すべてのもの」
定理18>>141「あらゆるもの」
定理21>>163「生ずるもの」「無限なもの」
定理22>>167「すべてのもの」
定理24>>189「産出されたもの」
 どれが同じで、どれが違うか、が気になってきた。
196考える名無しさん:01/11/15 21:08
(承前)
<「もの」が、岩波文庫だと>
定理2 「共通点」
定理3 「共通点」
定理4 「二つあるいは多数の物」
定理9 「物」
定理15「在るもの」「何物」
定理16「多くのもの」「すべてのもの」
定理18「あらゆるもの」
定理21「生ずる(すべての)もの」、(訳出されず)
定理22「すべてのもの」
定理24「産出された物」
(曖昧だ。こうなると、ラテン語に戻るしかないが、そこまではしない。)
197考える名無しさん:01/11/15 22:18
(承前)
<あらためて、定理20>>154を考えてます。>
(再掲)定理20「神の存在と本質とは同一である。」

 なんで「存在」と「本質」が同一レベルで論じられるの?
198考える名無しさん:01/11/16 00:48
ちょっと整理すると

「存在」と「本質」は、自己原因(定義1)というステージでは、包含関係で
語られる。
そして、定理20では自己原因、実体というステージではなく、神というステー
ジで、「存在」と「本質」が同一レベルで論じられる。
しかし、定理24では、個々の様態というステージにおいて「存在」と「本質」
は区別される。

ということだと思う。
そしてこの論理展開そのものの解明がポイントだと思う。
自分がなにか大ボケかましているのではという不安があるが、とにかく、この
辺のスピノザの論理展開は尋常ではない。
199考える名無しさん:01/11/16 17:53
内在の論理学と唯物論の関係は?簡単でいいから説明がほしい
のですが・・・。あと、何をもって内在を強調するのでしょうか?
200考える名無しさん:01/11/16 17:59
>>198
うむ。スピノザの論理学って記号論理学で描けるのかな?
201考える名無しさん:01/11/16 19:32
表現の問題については、恐らくコイレの著作が参考になるかと思います。

存在の一義性に関しては、ジルソンのD・スコトゥス論がいいのでは?

スピノザの概念に関して歴史的な検証が必要なのでは?

スピノザを論じる際、きわめて重要だと思われるゲルーの大著は日本語に
翻訳されていますか?フランス語版は知ってるけど・・。
その他、スピノザに関しての著作で翻訳の予定など知ってる方は教えてください。
202考える名無しさん:01/11/16 21:28
(承前)
<脱線1:定理20再考の続き>
(羅)◎ Dei existentia ejusque essentia unum et idem sunt.
(英)○ The existence of God and his essence are one and the same.
(仏)△ L'existence de Dieu et son essence sont une seule et meme chose.

混乱は(羅)より先に、(仏)を読んで、「chose」がいるの?不要?と考え
はじめたことによる。
203考える名無しさん:01/11/16 21:43
(承前)
<脱線2:定理20>>197再考2、包含関係その他>
>>198さんのレスがあり、助かりました。
 定義1>>92と定理24>>189では「本質」と「存在」との包含関係が
問題(前提)になってるといっても良いでしょう。
 それはそれで良いのですが、間にはさまれた定理20と、次に検討
する予定の定理25は、「本質」と「存在」の同質性(?)を問題
(前提)としているといっても良いでしょう。
 この関係が、私にはまだ、良く整理できないので、定理25にすすむ
前に、定理20の読み直しに着手した次第です。
204考える名無しさん:01/11/16 22:08
(承前)
<脱線3:定理20再考3>
でも、解った。まさに、スピノザの言う通り。
神の属性(永遠)→定義8(永遠=存在)→神の属性(存在)、のルート
神の属性→定義4→(知性がとらえた)神の本質、のルート
から「神の属性(存在)」=「神の本質」
だから、(神に関しては)「存在=本質」。

あるいは、一般には、本質と存在は「包含関係」にあるが、
(永遠を属性にもつ神に関しては)「存在=本質」が成立つ、と。

 ラテン語を挙げたのは、
定理20を「神に関しては、存在と本質は同一、で、ある。」と
読替えが(←主語の一部を副詞的に読む)、可能であるかを検証す
るため。
205考える名無しさん:01/11/17 13:16
知性が捉える神の属性っていうのは、どの知性で、神の属性で
ある思惟と知性の関係はどうなるのでしょうか。
206考える名無しさん:01/11/17 15:16
>>205
『エチカ』を読むと必ずぶつかる問題ですよね。
ヘーゲルは、知性に属性を依存させる解釈をしました。
一般的な解釈としては、知性は思惟という属性の様態に過ぎず、
属性は知性に依存しないということになるでしょう。
(もちろんこんなことはヘーゲルもわかっていたわけですが)
問題はここからです。
というか、定義4に差し戻されます。
しかし、定義4に留まっていては何もわかりません。
つまり、一問一答式でたちどころに解決する問題ではありません。
こういう疑問を抱えたまま読み進めましょう。
このスレも何度もこの問題に触れることになるはずです。
207考える名無しさん:01/11/17 16:59
知性とは様態のことですよね?とすると否定的限界がある。
その知性が神的なものを捉える・・。神的なものの一端に触れる
という感じなのでしょうか。とすると、属性とは定義上のものという
ことにならないでしょうか?
208考える名無しさん:01/11/17 18:37
(承前)
<定理25読解の準備1:ラテン語の「res(rerum)」(物・もの)について>
定理5 In rerum natura non possunt dari dua aut plures substantia
    ejusdem natura sive attributi.

定理24 Rerum a Deo productarum essentia non involvit existentiam.

定理25 Deus non tantum est causa efficiens rerum existentia sed
     etiam essentia.

定理25の系 Res particulares nihil sunt nisi Dei attributorum
       affectiones sive modi quibus Dei attributa certo et
       determinato modo exprimuntur. Demonstratio patet ex
       propositione 15 et definitione 5.

定理29 In rerum natura nullum datur contingens sed omnia ex
     necessitate divina natura determinata sunt ad certo modo
     existendum et operandum.
209考える名無しさん:01/11/17 18:47
(承前)
<定理25読解の準備2>
「自然」(双方とも)= "rerum natura"(定理5・29)
「もの」(『世界の名著』)・「物」(岩波文庫)= "rerum"(定理24・25)
「個物」(双方とも)= "res particulares"(定理25系)
日本語の「自然」「もの」「個物」という語が全部、同じグループ
だということは、注意しないと解らない。
210考える名無しさん:01/11/18 13:44
(承前)
<定理25読解の準備3>
公理4「結果についての認識は原因の認識に依存し、原因の認識をふくむ。」

「認識」対象としての「原因」「結果」が問題。
211考える名無しさん:01/11/18 14:32
(承前)
定理25「神はものの存在のみでなく、その本質の動力因でもある。」(『世界の名著』)

同「神は物の存在の起成原因であるばかりでなく、また物の起成原因
  でもある。」(岩波文庫p69)

原文>>208の文型に忠実なのは、『世界の名著』であるが、一読して
わかりにくい。むしろ、「起成原因=動力因」を二回訳出した、岩波
文庫の方が、わかりやすい。
 また、「もの」「物」については、説明済み。
 なおまた、定理25の系にでてくる「個物」概念は、おそらく、今後
スピノザと唯物論を考える上で、重要となる(はず)。
212考える名無しさん:01/11/18 23:42
198の整理の続き
定理25は、定理24での〈物の本質〉と〈物の存在〉の区別を踏まえている。
そこでこのことをポイントとして、定理24から定理25にかけて自分なりに
読解したものを整理してみる。

定理24〜「神から産出された物の本質は存在を含まない」
証明〜神から産出された物は自己原因ではない。
すなわち〜本質が存在を含むものではない。
したがって〜系〜〈物の本質〉は〈物の存在〉の原因ではない。
そもそも〜定理25〜〈物の本質〉の原因は神である。
213考える名無しさん:01/11/19 18:10
>211
このスレはいつも楽しみにしています。

スピノザと唯物論との関係について少し説明していただけませんか。
214考える名無しさん:01/11/19 21:40
(承前)
<脱線:「もの=res」に関連し、今更ながら、定義2について、>>105も参照>
定義2(羅) Ea res dicitur in s u o g e n e r e f i n i t a ,
       quae alia eiusdem naturae terminari potest.
定義2>>92「同じ本性をもつ他のものによって限定されるものは、自己の
      類において有限といわれる。」(定義の一部)

 ここでの「限定されるもの」の「もの」こそ、「res」としての「もの」の初出だ。
ちなみに、定義1>>92の「もの」は、「res」の訳ではないのだ。
 そして、(やや乱暴な議論だが)定義2の後続の議論を参考にすると、「もの」とは、
「物体」and「思想」の上位概念としての「もの」としか考えにくい。
 (しかもそのことは当然の前提として「自己の類において有限」を定義してる。)
 実は、前から定義1(自己原因)→定義2(類において有限)→定義3(実体)
の順番が謎だったが、
 むしろ、定義1(「存在」)→定義2(「もの」)を押えた上で定義3で「実体」
を定義していると考えるとすっきりする。
215考える名無しさん:01/11/19 22:16
(承前)
<脱線ついで>
「唯物論」「汎神論」「決定論」「無神論」とかについての私見は無し。
それより「もの(物)res」「物体」「自然」「個物」「無限知性」
「思惟」「延長」とかの整理ですら、今、大変。
とくに「自然」の日本語訳は、おかしいのではと疑ってる。
rerum naturaは、自然でなく、「もの(物)」の本性、ではないか?と。
よく「神即自然」と格好良くいわれるが、「神即(ものの本性)」でないか?と。
216考える名無しさん:01/11/20 19:24
承前さんの「もの=res」についての一連の分析はとても刺激になった。
こうなってくると、個人的には、スピノザの「原因」についての整理の
必要性をあらためて感じる。
217考える名無しさん:01/11/20 21:28
(承前)
<「res」以外ノーコメント>
定理26(羅) Res, quae ad aliquid operandum determinata est,
     a Deo necessario sic fuit determinata; et quae a Deo
     non est determinata, non potest se ipsam ad operandum
     determinare.
218考える名無しさん:01/11/20 21:35
(承前)
定理26「何かをなすように決定されたものは、神によって必然的に
  そのように決定されたのである。そして神からこのように決定さ
  れないものは、自分自身を作用へと決定することはできない。」

「動力因」が決まれば、次は、そこから、もたらされるものの話題へ
と移る。
219考える名無しさん:01/11/21 07:03
(承前)
<定理27読解の準備>
公理3「与えられた一定の原因から必然的に結果が生じてくる。逆に言えば、
   一定の原因が与えられなければ、結果が生じてくることは不可能である。」

あらためて、公理3を読み直すと、新鮮。
220考える名無しさん:01/11/21 07:08
(承前)
<しつこいが「res」>
定理27(羅) 「Res, quae a Deo ad aliquid operandum determinata est,
       se ipsam indeterminatam reddere non potest.」
221考える名無しさん:01/11/21 21:02
(承前)
定理27「神によって何かをなすように決定されたものは、自分自身を決定
     されないようにすることができない。」

定理26とセットと、一応、考えとこう。
「決定される」と「産出される」とかの言葉使いも、気になるが。
222考える名無しさん:01/11/22 01:09
>>219
公理3は気の抜けた因果関係ではないことがわかってきた(気がする)。
それで、定義25備考「神が自己原因と言われるその意味において、神はまた
すべてのものの原因である」の「その意味において」は重い表現だと思った。
「その意味において」には内在性(神の存在、即、産出と理解しているが)
が負荷されているのではないか?
223考える名無しさん:01/11/22 07:36
(承前)
定理28「あらゆる個物、あるいは有限でかぎられた存在をもつあらゆるものは、
    自分と同じように有限でかぎられた存在をもつ他の原因から、存在や作
    用へと決定されることによって、はじめて存在することができるし、ま
    た作用へと決定されることができる。さらにこの原因も同じように有限
    でかぎられた存在をもつ他の原因から、存在や作用へと決定されること
    なしには、存在することもできないし、また作用へと決定されることも
    できない。このようにして無限に進む。」

証明のところに「実体と様態のほかには何ものも存在しない(し)」とある。
ということは、「存在するものは、実体か様態だけである」と??
224考える名無しさん:01/11/22 20:43
(承前)
<定理29の読解の準備>
定理29(羅) In rerum natura nullum datur contingens, sed omnia ex
       necessitate divinae naturae determinata sunt ad certo
       modo existendum et operandum.

(「rerum」=「res」よりも、むしろ、)
「rerum natura」と「divinae naturae」の関係を確認。日本語訳ではこの
ニュアンスが、消える。
225考える名無しさん:01/11/23 16:51
(承前)
定理29「自然の中には何一つ偶然的になものは存在しない、いっさいは
   神の本性の必然性から一定の仕方で存在や作用へと決定されている。」

「自然」は「rerum natura」の訳語であり、森羅万象をイメージすると×。
(以下は、無視してください)
3つのレベルでの必然性ひっくるめてるワケ??
1)神のレベルでの必然性
2)様態のレベルでの必然性
3)様態が原因となった結果=「決定されたもの」のレベルでの必然性
226考える名無しさん:01/11/23 17:30
(承前)
<定理29のおまけ>
「naturam naturantem」が「能産的自然」
「naturam naturatam」が「所産的自然」で
邦訳のような「濃い」イメージではない。
227考える名無しさん:01/11/23 19:10
定理28の「個物」がどんな身分で語られているのかわからなかっ
たが、その説明は定理28備考の後半部分「第二に〜」にあった。
わたしはこの部分を、

1.神は個物の遠隔原因ではない。(そう言い切った方がいい)
2.なぜなら、「およそ存在する一切の物は神のうちに在り、かつ
神なしには存在することも考えられることもできないように神に
依存しているからである」
3.「神が直接的に産出したもの」と「普通の個物」がちゃんと区
別できるのなら、遠隔原因という言葉は条件付きであっても不要
(遠隔原因はあまりに不正確な表現で誤解しか生まない)

と理解した。
228考える名無しさん:01/11/24 18:36
(承前)
<定理30読解の準備>
定理14の系1(羅)
  Hinc clarissime sequitur 1. Deum esse unicum, hoc est (per defin.
  6.)in rerum natura non nisi unam substantiam dari, eamque absolute
 infinitam esse, ut in scholio prop. 10. iam innuimus.

「自然」=「rerum natura」
229考える名無しさん:01/11/24 18:45
(承前)
<「知性」「意志」は既出?定理30・31・32の読解準備>
 たとえば、
定理17注解(の一部)「さらに私は、以下においてこと定理をの助け
 をかりなくても、神の本性には知性も意志も属さないことを示すであ
 ろう。(以下略)」とかでの議論、「知性」「意志」の位置づけと等、
 確認されたし。
230考える名無しさん:01/11/25 15:36
>>225
「3つのレベルでの必然性」は「必然性」という限り同一の必然性なのか?
ものすごく微妙な問題だと思う。
単純に同一だとすると、全ての牛を灰色にする暗闇に落ち込んでしまう。
違うもの、というのではない区別が必要なのでは?
ポイントは、定理28証明の「ゆえにそれは神のある属性がある様態に変状し
たと見られる限りにおいて神ないし神の属性から生起しなければならぬ」に
見られるような、いわゆる「限りの神」にあると思う。
そして「限りの神」を解明するためには属性の本義を解明しなければならな
いと個人的には思っている。
231考える名無しさん:01/11/25 17:38
(承前)
<定理30読解の準備>
公理6「真の観念はその対象と一致しなければならない。」

(これは公理だから、「どうしてだ??」と言っても無駄。)
ただ、「一致」が重要ではなくて、
「両者の不一致部分(=はみ出る部分)があっては、困る」、
というのなら、納得しやすい。
232考える名無しさん:01/11/25 17:45
(承前)
<脱線、「索引」に関し>
 『世界の名著』の索引は、少なくとも「第一部」読解には
使えないっぽい。ラテン語表示もないし。
 岩波文庫(下)の索引は、ラテン語表示されていて、親切。
ただ、「物」「自然」とかの部分は不満。
233考える名無しさん:01/11/25 19:16
(承前)
<まだまだ、定理30読解の準備>
定理29>>225以降は、「自然=所産的自然or能産的自然」という図式
が、暗黙の了解事項とされる。
定理30や後出の定理31などの読解に注意。
(定理30の証明にでてくる「自然」は「rerum ratura」では、ない。)
234考える名無しさん:01/11/25 19:24
(承前)
定理30「現実に有限な知性も、現実に無限な知性も、神の諸属性と
   神の変様を把握しなければならない。そしてこれ以外の何もの
   も把握しない。」

第1部もあと少し。
今度は主観的側面というか、「思惟」の側面というかの議論に矛先が
向いてきた。
235考える名無しさん:01/11/26 20:17
(承前)
定理31「現実的な知性は、たとえ有限であっても無限であっても、意志、欲望、
   愛、などと同じように、能産的自然ではなく、所産的自然に数えいれなけ
   ればならない。」

証明に、定理5>>86が出てくる。スピノザは、ずっと最初の方をみてるのだな。
236考える名無しさん:01/11/27 01:56
定理31で知性の所在を確認。
可能的知性を退けたところに知性の所在特定の徹底さを感じる。

問題は一つ前の定理30。

定理30だけを見る限り、知性は優越的地位にあるかのように思える。
しかし証明でそうではないことがわかる。
「現実に有限な知性」「現実に無限な知性」の「現実」とは必然の相を指して
いると思われるので、つまり、知性と必然の関係が問題なのであり、知性の職
能が問題なのであり、知性の優越的地位(役職)は問題になってはいない。
これですんなり定理31にいける…かに思えるのだが、しかし知性の優越的地位
(役職)が問題になってはいないと言い切れない曖昧さがどうしても残るのよ。
要するに、知性と必然の関係(「知性のうちに想念的に含まれているものは必
然的に自然のうちに存在しなければならぬ」定理30証明)がよくわからない。

とはいえ、妄想かもしれないが、今の作業を続けていけばそのうちパッとわか
る予感もする。
237考える名無しさん:01/11/27 11:29
スピノザといえば、戦前、
訳者どうしで喧嘩が絶えなかったそうです。
238考える名無しさん:01/11/27 20:36
(承前)
<定理32読解の準備>
定理17系の2(羅)Sequitur 2. solum Deum esse causam liberam.

同「第二に、神のみが自由原因であると帰結される。」(『世界の名著』p98)

定理32(羅)Voluntas non potest vocari causa libera,
       sed tantum necessaria.

『世界の名著』はどちらも、「自由原因」と訳してる。
岩波文庫は、(順に)「自由原因」「自由なる原因」と訳し分けている。
(ところが、双方とも、索引では、定理32の「causa libera」
を無視してる。つまり、索引に載ってない。)
239考える名無しさん:01/11/27 20:44
(承前)
定理32「意志は自由原因ではなくて、必然的な原因としか呼ぶことができない。」

 どうも、定理17>>135での議論の裏返し(または、続き)のようだ。
そして、再び定義7>>134の登場。
 恥かしながらようやく、ごちゃごちゃした、定義7の意味が、はっきりとし
た(気がする)。
240考える名無しさん:01/11/27 23:45
どうなんだろう。スピノザって、もう二度と傷つきたくない人に都合よい
考え方を提供してはいないか? 
241考える名無しさん:01/11/28 00:56
>>239
定理32証明
「必然的なあるいは強制された原因」というのがわかりにくい。
しかし「強制」という表現に、いよいよ第1部も最終局面となり、次の段階に移
るのだということを実感する。
改めて定義7を見ると、これがスピノザの倫理のエッセンスだと思う。
感動的な宣言だと思う。
242考える名無しさん:01/11/28 01:24
>>240
わたしが理解する「もう二度と傷つきたくない人に都合よい考え
方」とは、シニシズム(もうだまされないぞ)、否定神学(負い
目の昇華?)、機械論(自由に対する復讐)といったところです。
しかし、スピノザの哲学からはそういったものは読み取れません。
とはいえ、「もう二度と傷つきたくない人に都合よい考え方」を
採用するならば、機械論は読み取れると思います。
243考える名無しさん:01/11/28 20:38
(承前)
<定理33読解の準備、「res」>
定理33(羅)
 「 Res nullo alio modo, neque alio ordine a Deo produci potuerunt,
quam productae sunt. 」

また「resもの(物)」です。
244考える名無しさん:01/11/28 20:47
(承前)
定理33「ものは現に産出されているのとは異なった仕方で、また異なった
    秩序によって神から産出されることができなかった。」

証明で、定理29>>225が使われている。定理29の「自然」を額面(字面)とおりに
受取ると、(やっぱり>>209とか参照)、繋がりが、読取れない気がする。
あと、注解がすごく長い。第一部の最後(の方)だからってサァ。
245考える名無しさん:01/11/29 01:16
定理33
「resもの(物)」の産出の必然性の原理が、定義7(注解2で登場)を梃子と
してラディカルな批判を展開した、というのが定理33、証明、注解だと思う。
注解が長くなってしまったのは単独者スピノザの現われ?
246考える名無しさん:01/11/29 21:19
(承前)
定理34「神の能力はその本質そのものである。」

 証明にかかわるのは、定理11>>119と定理16>>132のみ。直前の
議論と、断絶してる(後続の定理36の準備か?)。
247考える名無しさん:01/11/29 23:18
>>240
でもさぁ、神への知的愛だけは絶対に裏切られることがないっていうんでしょ?
やっぱ不敗の論理だよ。
むろん人間はつねに受動感情にやられないでいることはできないことを彼も否定
していないわけだが。
248考える名無しさん:01/11/30 02:01
>>246
最初定理34を読んだ時、証明はやけに簡単だし、備考もないので
ハァ???だった。唖然とした。
しかし承前さんの「切断」がヒントになった。
思うに、この「切断」には意味があるのではないだろうか。
「神の意志が本質に属する」という発想を批判する(定理33備考2)
のではなく、それを完全に振切った地点が定理34ではないだろうか。
もう意志は本質ではないなどともうくどくど言わない。能力のみが
神の本質なのだ、と。
定理33の念入りな証明・備考と、定理34の直列方式の簡潔な証明(備
考無し)の対照的な様が象徴的だと思う。
249考える名無しさん:01/11/30 06:57
(承前)
<雑談>
 複数の定理が、まず幾つかのグループを形成し、さらに、「立体的」に
つながってるはず。(幾何学的の意味は証明方法だけか?違う??)
 このことは、なんとなくわかる(もっとも、誤読の不安は常に在るが)。
 ただ、岩波文庫、『世界の名著』も、ここら辺り(=定理の相互関係・立
体構造)の説明に欠けているのが不満。
 特に、『世界の名著』の注は、デカルトとの対比を意識しすぎで、あまり
役にたたなかった(すくなくとも第一部までは)。
250考える名無しさん:01/11/30 22:27
(承前)
定理35「神の能力の中にあると考えられるものはすべて、必然的である。」

 「能力→本質」そして、「本質→必然」、から、「能力→必然」
251考える名無しさん:01/12/01 01:19
>>250
定理35
「能力→必然」からいえば、『世界の名著』の定理35の注(2)の
「神の力の中にあるものは可能的であるばかりでなく、現実的なも
のと考えられる」はおかしい。
やはりスピノザの場合、「能力」から「可能的」なものは締め出さ
れているのではないか?
そうでなければ「必然」がわからなくなる。
「能力」がpotentia,potestas,visと使い分けられているにして
も(岩波の索引)、事態は変わらないのでは?
特に要注意なのはスピノザが意味するところのpotentiaで、これは
神に直結し、定理33の備考で「神の意志」が本質から徹底的に排除
された以上、そこに「可能的」なものを読み取ることはできないと
思う。

>>249
『エチカ』の幾何学的方法の意義については、わたし個人としては、
『エチカ』読了後のお楽しみ。
252考える名無しさん:01/12/01 21:01
(承前)
第一部 定理36「その本性からある結果が生じてこないようなものは、
        何一つ存在しない。」

自己「原因」からはじまり、「結果」で第一部をおえるワケ。

なお、定理25の系は、第二部でも使われるが、「個物」概念につき
再度、調査中。
253考える名無しさん:01/12/02 12:22
>>252
定理36
原因ではじまり結果で終わる。
改めてスピノザの原因〈と〉結果を考えると、やはり一筋縄ではいかない。
結果は自己原因に内在するが、区別はされる。
しかし属性の働きを見る限り、これが還元主義ではないことは明らかだ。
254考える名無しさん:01/12/02 22:21
(承前)
<第二部「精神の本性と起原について」、定義1読解の準備>
第一部定理25の系(羅) Res particulares nihil sunt nisi Dei
attributorum affectiones, sive modi, quibus Dei attributa certo
et determinato modo exprimuntur. Demonstratio patet ex prop.
15. et defin. 5. <res particulares=「個物」>

第一部定理28の一部(羅) Quodcumque singulare, sive quaevis res quae
finita est et determinatam habet existentiam, non potest existere
nec ad operandum determinari, nisi ad existendum et operandum determinetur
ab alia causa, quae etiam finita est et determinatam habet existentiam;
<singulare=「個物」>

第一部定理28注解の一部(羅) Sequitur 2. quod Deus non potest
proprie dici causa esse remota rerum singularium, nisi forte ea de
causa, ut scilicet has ab iis, quas immediate produxit, vel potius,
quae ex absoluta eius natura sequuntur, distinguamus.
<rerum singularium=「個物」>
255考える名無しさん:01/12/02 22:29
(承前)
<第二部定義1読解の準備>
第二部定義1(羅) Per corpus intelligo modum, qui Dei
essentiam, quatenus ut res extensa consideratur, certo et
determinato modo exprimit. Vide P. 1. prop. 25. coroll.
<corpus=「物体」>

第二部定義7の一部(羅)Per res singulares intelligo res,
quae finitae sunt et determinatam habent existentiam.
<res singuares=「個物」>
256考える名無しさん:01/12/04 04:06
(承前)
第二部定義1「物体とは、神の本質が延長するものと見なされるかぎり、神の
     本質を一定の仕方で表現する様態のことである。」
第二部定義2「ものの本質とは、それが与えられれば、そのものが必然的に定
     立され、除去されると、そのものが必然的に消滅するようなもの、
     あるいはそれがなければ、そのものが存在することも考えられるこ
     ともできないようなもの、また逆にそのものがなければ、それが存
     在することも考えることもできないようなものを言う。」
257考える名無しさん:01/12/04 20:31
(承前)
第二部定義3「観念とは、思惟することを本質とする精神が形成する精神の
       観念のことである。」
第二部定義4「十全な観念とは、観念が対象との関係をはなれてそれ自身に
       おいて考えられるかぎり、真の観念のあらゆる特質あるいは
       内的な特徴をもっている観念のことである。」
258考える名無しさん:01/12/06 00:18
(承前)
第二部定義5「持続とは、存在の無際限な継続のことである。」

第二部定義6「実在性と完全性とは同じものであると理解する。」
259考える名無しさん:01/12/06 21:14
(承前)
第二部定義7「個物とは、有限であり、限られた存在をもつもののことである。
     もし多くの個体<あるいは個物>が、すべて同時にある一つの結果
     の原因であるかのように、一つの活動において協働するならば、そ
     のかぎりにおいて私はそれらすべてを一つの個物と見なす。」
260考える名無しさん:01/12/07 20:07
定義の意味がわからなくても、頭に入れる。
とにかく頭にたたき込む。
で、少し定理を予習。
定義が全然使われていない…
261考える名無しさん:01/12/08 09:53
初めて読むなら何?
262考える名無しさん:01/12/08 10:23
_____
 /......  .. .../
 ||:::   ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 | ̄\ ( ゚Д゚)<  訓古学だけならお前らの存在はいらねえ
 |   |: ̄U U ̄:|\_____________
263ひゅーむ:01/12/09 01:07
*********エチカ*********
*                   *
*  どの出版社の本がお薦めですか?  *
*                   *
*********************
264考える名無しさん:01/12/10 07:57
(承前)
第二部公理1「人間の本質は、必然的な存在をふくまない。すなわち、この人間、
    あの人間が存在するもしないも、同じように自然の秩序から起こりうる。」
第二部公理2「人間は思惟する<言いかえれば、われわれは自分たちが思惟する
    ことを知る>。」
265考える名無しさん:01/12/11 07:26
(承前)
第二部公理3「愛や欲望のような思惟の様態、その他感情の名で呼ばれるすべての
   ものは、同じ個体の中に、愛され、欲求されるものの観念がなければ存在し
   ない。しかし観念は、ほかに思惟の様態がなくても存在できる。」
第二部公理4「われわれは、ある物体が多くの仕方で動かされるのを感ずる。」
266考える名無しさん:01/12/11 23:26
(承前)
第二部公理5「われわれは、物体と思惟の様態以外にどんな個物も<あるいは
   所産的自然に属するどんなものも>感覚しないし、知覚することもない。」
267考える名無しさん:01/12/12 23:14
(承前)
第二部定理1「思惟は神の属性である。あるいは神は思惟するものである。」

 アレレ、なぜ思惟(様態に含まれる)が属性と結びつくのか??
 思惟は延長とともに「神の中」でしか「存在」できない「様態」の話では??
と最初思った。
 しかし、神のinvisibleな「属性」を、「様態」というvisibleなものを通じて
初めて捉えうる、と無理矢理こじつければ、わからなくない。
268考える名無しさん:01/12/13 18:12
2部定理1
この証明はかなり危うい分、重要なことが含まれているように思われる。
証明は、個々の思想(岩波訳)から神へと遡行するプロセスを踏んでいるように
見える。
もしそれだけのことならば、それは被造物から神を目指す神学と変わらないこと
になり、スピノザは有限と無限の分離・融合を恣意的に操作しているだけのこと
になりかねない。
しかしそれはスピノザが徹底的に批判していることなので、そんなへまはしない。
ポイントは属性の働きにある。
まず、証明を整理する。
1)個々の思想は、神の本性を表現する様態である。
2)個々の思想は、個々の思想を考えられるようにする属性を包含する。
3)ゆえに、神には属性がある。
4)したがって、思惟は神の属性である。
これはできそこないの三段論法ではなく、見慣れない属性の論理だと考える。
ここで問題になるのは1)の「神の本性を表現する」である。
これは1部定義6で示された属性の働きそのものにも見えるが、違う。
証明が準拠している1部定理25系からいえば、個々の思想は神の属性の変状、
ということになるなる(1部定義5の神の変状ではない)。
定理1証明は個々の思想からはじまるア・ポステリオリなものである以上、1)
の段階で様態と神をつなぐ属性はふせられ、ひとつの変状(属性の変状)の結果
が告げられる。
2)で様態と属性の関係が示され、3)で神と属性の関系が示され、4)が結論
されることで、たたみかけるように、属性が様態と実体に共通の形式であること
が示される。(本質においては区別される)
実際、定理及び証明には「あるいは」と反転させて「神は思惟する物である」と
とってつけたような一文がくっついているが、共通の形式が示された以上、この
反転には無理がない。
備考では、証明の逆のプロセスがとられる。

ここでひとつの問題が残る。
様態と様態的変状の区別の問題である。
1部定義5(実体の変状)、1部定理8備考2(実体の変状)、1部定理25系
(属性の変状)を見る限り、スピノザは厳密に区別していないように見える。
岩波の註(p262)ではこれを容認しているようだが、その結果、2部定理1
の証明が混乱したように見えるのではないだろうか?
もちろんわたし自身十分に混乱しているし、誤読もあるだろうと思う。
とりあえず、そんな混乱を抱えたまま読み進めるほかない。
269考える名無しさん:01/12/13 23:08
(承前)
第二部定理2「延長は神の属性である。あるいは神は延長するものである。」
270考える名無しさん:01/12/13 23:21
(承前)
<第二部定理3読解の準備>
「in Deo」を「神のうち」と「神の中」と別異に訳さないで(『世界の
名著』)ほしい。
第一部定理15(羅) Quicquid est in Deo est, et nihil sine Deo
esse neque concipi potest.
 こちらは「神のうち」

第一部定理18証明の一部(羅)Omnia quae sunt in Deo sunt et per
Deum concipi debent (per prop. 15.), adeoque (per coroll. 1. prop. 16.)
 こちらは「神の中」
271考える名無しさん:01/12/18 20:44
(承前)
第二部定理3「神のうちには、神の本質の観念とその本質から必然的に生じて
       くるすべてのものの観念が必然的に存在する。」

「神のうち・神の中」に存在する、という言い方がよくある。「神のそと」
では存在しないなら、結局、条件付(=神の中)での存在。
 (1)条件付きで存在しうるもの
 (2)無条件で存在しうるもの とが在りうるとして、
前者をはたして「存在しうる」といっていいか??
272考える名無しさん:01/12/20 00:40
(承前)
<第二部定理3「注解」の一部分で可笑しいところ>
「だが私は、同じことについてそうたびたび語りたくない。ただ私は読者に、
第一部定理16>>132からその部の終りまで、これに関して述べられている
ことをくりかえし熟考されるよう、くれぐれもお願いする。」(『名著』p129)

第二部の冒頭で、「第一部の後半全部復習せよ!!」とはスピノザ先生も厳しい。
273考える名無しさん:01/12/20 15:14
2部定理3備考
1)「神は自己自身を認識するのと同一の必然性をもって活動する」
2)「神が活動しないと考えることは神が存在しないと考えるのと同様に不可能」

1)では神の自己認識と活動(産出)が必然性の相のもとでつながる。
2)では神の存在と活動(産出)が必然性の相のもとでつながる。

ある種の一義性が語られているのだろう。
一義性の表明は、内と外というパラダイムの廃棄(神の能力に自由意志あるいは
権能を折込むことへの批判)と、「神のうち」(内在性)という表現の成立をも
たらしているのではないだろうか?

一義性に関してドゥルーズは『差異と反復』で想像を絶するすさまじいことを語っ
ている。

「一義性の本質的な点は《存在》がただひとつの同じ〈意味〉において言われる
ということにあるのではない。その本質的な点は、《存在》が、ただひとつの同
じ〈意味〉において、おのれの個体化の諸差異〔ファクター〕つまり本質的な諸
様相〔ファクター〕について言われるということにあるのだ。《存在》は、それ
らすべての様相にとって同じものであるのだが、しかし、それらの様相は同じも
のではない。《存在》は、それらすべての様相にとって〈等しい〉のであるのだ
が、しかし、それらの様相自身は等しくないのである。」(p68〜p69)

あらゆるタイプの弁証法を根こそぎ破壊するような文だ。
まさに載冠せるアナーキーの世界だ。

わたしのなかでは、「知性」の身分は依然曖昧なままだ。
加えて「必然」もよく把握できていない。
要するに「属性」の論理が腑に落ちていないということだと思う。
2部定理1〜3の読解ではジタバタとやたら1部をめくり返した。
近頃スピノザの仕事の大きさに呆然とすることが多い。
274考える名無しさん:01/12/21 07:59
(承前)
第二部定理4「無限に多くのものが無限に多くの仕方で生ずる神の観念は、
       ただ一つしかありえない。」
275考える名無しさん:01/12/22 01:08
2部定理4
どっかで見たよう文だが、証明の指定では出てこない。
しかし1部をめくり返したらやはりあった。
1部定理16
「神の本性の必然性から無限に多くのものが無限に多くの仕方で(言いかえれば
無限の知性によって把握されうるすべてのものが)生じなければならぬ」

これと、2部定理4を合わせて考えると、定理4は前の定理3を受けたものであ
ることがわかる。
すなわち、>>237
1)では神の自己認識と活動(産出)が必然性の相のもとでつながる。
2)では神の存在と活動(産出)が必然性の相のもとでつながる。
に続いて
3)として、〈神の認識と産出〉と〈神の存在と産出〉が必然性の相のもとでつ
ながる。

3)について
定理4及び証明にある「無限に多くのものが無限に多くの仕方で生ずる神の観念
は、ただ一つしかありえない。」は〈ただ一つの神の観念から無限に多くのもの
が無限に多くの仕方で生ずる〉と言い換えられる。
これで1部定理16と同じ文型になってわかりやすくなる。
証明の「神は唯一」に、ものの起成原因、絶対に第一の原因を接続すると、先の
定理16も接続する(強引かもしれないがおもしろいと思う)。
そうすると、〈ただ一つの神の観念から無限に多くのものが無限に多くの仕方で
生ずる〉は定理16とパラレルにかつ対等になる。
よって3)が導き出される。
以上は、定理4の証明を再構成したものではなく、そこから何を引っ張り出せる
かを考えたものである。
そう考えれば定理3との関連も明らかになるのではないかと思う。
アホなことをやらかしているかもしれないので、要再検討。
276考える名無しさん:01/12/22 01:16
275の訂正
>>237>>273
277考える名無しさん:01/12/25 00:41
(承前)
第二部定理5(『世界の名著』)
「観念の形相的存在は、たんに思惟するものと見なされるかぎりの神を原因と
みとめ、他の属性によって説明されるかぎりの神を原因としない。言いかえれ
ば、神の属性の観念も、個物の観念も、観念されたもの自身あるいは知覚され
たもの自身を動力因とはみとめず、むしろ思惟するものであるかぎりの神自身
を動力因とみとめる。」
278考える名無しさん:01/12/25 00:51
(承前)
第二部定理5(岩波文庫)
「観念の形相的有は、神が思惟する物と見られる限りにおいてのみ
神を原因と認め、神が他の属性によって説明される限りにおいては
そうではない。言いかえれば、神の属性の観念ならびに個物の観念
は観念された物自身あるいは知覚された物自身を起成原因と認めず
に、神が思惟する物である限りにおいて神自身を起成原因と認める。」
279考える名無しさん:01/12/25 13:56
ふぅ〜ん。前からちょこちょこ書いてた者だけど。
君って、ドゥルーズの言うとこの唯物論をスピノザにあてて
確かめたいわけね。ま、ハートが解説してるスピノザでもいいけどね。
280考える名無しさん:01/12/25 21:28
(承前)
<第二部定理5のコメント>
「思惟する物」って面白い。(岩波文庫だと明確になる)
281考える名無しさん:01/12/25 21:55
(承前)
第二部定理6
「あらゆる属性の様態は、みずからがその様態となっている属性
のもとで神が考察されるかぎりにおいてのみ、神を原因とする。
そして他の属性のもとで考察されるかぎりの神を原因としない。」

 思惟が神の属性になったから、様態との関係を、柔軟に述べられる
ようになったワケ??
(『世界の名著』の「図2」はなにか違うような気がする。)
282考える名無しさん:01/12/25 23:34
で、スピノザの君流の読みはないの?はじめから、そうだと思ってた
(スピノザの唯物論)事を、これまた、はじめからスピノザを読みも
しないで、先に読んでたドゥルーズ等の読みを再確認するためにやっ
てるんだったら君の読みの意味は?

君って、単にハートのドゥルーズ論とかドゥルーズ読んで、書いてる
だけだよね?

だったらさ、君がハートが解説してること割とそのまま書いてるみたい
だけど、ヘーゲルとの違いのとこやってよ。大論理学のとこさ。
283考える名無しさん:01/12/26 07:58
(承前)
第二部定理7
「観念の秩序と連結は、ものの秩序と連結と同じである。」

(『世界の名著』での「もの」についての曖昧さについては前から指摘して
いるが、ここでも同じ。)
 ここでの「もの」は岩波文庫では「物」。
 ただ、思惟と延長を含む上位概念としての「もの」のはず。
 「心」=「思惟」、「身」=「延長」とするなら、「もの」の
立場が曖昧になるハズ。
 (しかし、第一部の公理4をつかうなよな)
284考える名無しさん:01/12/26 16:34
2部定理5
「単に神が思惟する物であることに基づいて」、観念の形相的有の原因を「(思
惟という)属性によって説明される限り」の神に認めることができる、というの
が定理5だと思う。
わたしは>>268で2部定理1の2つ目の証明である備考を力尽きたので飛ばして
しまったのだが、ひょっとしてこれは定理5と連関しているのではないか?
2部定理1備考のポイントをまとめる。
1)「単に思惟だけを眼中に置くことによって無限の実有を考えうる」
2)この無限の実有は「思惟する力において無限である」

2部定理1備考で〈思惟属性─無限の実有─思惟する力〉の関系が解明された。
そして定理5で、〈思惟する物─結果としての観念の形相的有─かぎりの神〉の
関系が解明された。
この2つは連関するように思えるのだが、今、読解はこれが限度。
285考える名無しさん:01/12/26 16:43
>>282
君は勘違いしているようだね。
時間があれば明日レスする。
286名無しさん@そうだ選挙に行こう:01/12/26 17:56
オール汎神巨人
287考える名無しさん:01/12/26 19:59
スピノザの唯物論への信仰の告白にしか聞こえないよ。
でも、信仰心を持つことはいいことだよ。

でも、モノって言葉に拘っても何もでてこないよ。

そうしたこだわりってさ、現代思想とかをロマンティックに
読んでるヒトに多いんだよ。だってさ、読んだって何も実生活に
関係ないヒトが読んでるんだからさ。それは、芸術とかに関わるヒトが
現代思想とかを読んでるのと同じだよ。なんちゅうの?
ヒトリヨガリ?ジコマン?

君みたいに、一義性なんて言葉とかスピノザの唯物論的読みとか
にロマンティックな同一化するヒトって何考えてるのか、マジ
知りたいっすよ。教えて?おっちゃんは、理解できないのよ。

やっぱ、そうやって読んでると特別な真理に触れてる?って
感じ?それとも、しがないサラリーマンが自分だけ知ってる
特別な世界に没入することから得られる恍惚感?

勘違いってさ、君の読みってドゥルーズやハートをなぞってるだけやん。
288考える名無しさん:01/12/26 20:18
割と笑えたのは、内と外のパラダイムって言葉!そんな
パラダイムどこにのあるの?甘えの構造?

戴冠するアナーキーってか^^確かに、かっこいいよね。
君って若いね♪

ま、君みたいなヒトは、もう少し本気でマルクス主義を読んだ
ほうがいいよ。そうすると、もう少しよくなるよ。あと、
少しだ頑張れ!君が犬に生成変化するのも近いよ!
289通りすがり:01/12/26 20:25
>285
なんかしらんが・・・横柄な物言いですね・・・
290考える名無しさん:01/12/26 23:12
スピノザにアルトーか・・・。ドゥルーズいわれても、おかしくない
な・・・。

横柄さん♪
291考える名無しさん:01/12/27 00:10
>>282
今更ベルグソンにしてもスピノザにしてもドゥルーズを介しない読み
なんてやることこそ意味がないと思うが(w
(まあ修論、博論を捨てるのならいいけど)
292考える名無しさん:01/12/27 00:15
(承前)
第二部定理8
「存在しない個物や様態の観念は、個物あるいは様態の形相的本質
が神の属性の中にふくまれているのと同じように、神の無限の観念
の中にふくまれていなければならない。」

 まだ「人間」がでてこない。いったい第二部の冒頭は、なんの
作業なのか??
「円」「長方形」の例はなんの伏線か?
293考える名無しさん:01/12/27 11:19
ドゥルーズを介してなんていないじゃん!
君のは、なぞってるだけだよ・・(とほほ)。
294ひろぴ ◆bI9Nf.xs :01/12/27 11:40
ちょっと怪しいけど、僕より遥か上レベルの議論をしてるみたいだね。
哲学は全然門外漢だけど、ドゥルーズの本をきっかけにして(しかも表現の問題ではなく実践の哲学)
スピノザには自分なりに感銘をうけたよ。
一見妙な抽象的思弁をなんとかクリアしたあと、
それによってごく身近な問題をバサバサと斬っていくの読んだときは、
まさに哲学(形而上学?)の威力を思い知らされたような気がした。
こんな僕にいい入門書はありませんか?
エチカも実はほとんど意味わからないんですけど。(特に前半)
295考える名無しさん:01/12/27 16:38
>294
上のヒトはね。やっぱ、ドゥルーズの受け売りだよね。
やっぱ、観念論なんだよ。言葉や訳語に拘ってるあたりがそうだね。

そういう点では、形而上学に素直に感動する君は正しいよ。
296考える名無しさん:01/12/27 16:52
読解スレでも哲学者のキャラが出るのかな?
ヴィトスレは基本的に2人の対話が中心で言語ゲーム的。
ここは単独者のモノローグで汎神論的。
なんちって、スレ汚し失礼。
297考える名無しさん:01/12/27 18:40
>295

当たり!この人が、独創的な読みを提出できるんだったら
こんなとこ(失礼)に書かないんでは?

この人の読解って口語でわかりやすくって読むってやつですね。
で、もうこの人の頭には結論が見えてるのよ。ドゥルーズの出した
結論ね。だから、こうして信じてお気楽でいられるんでしょうね。

前の人も書いてるけど、信仰の告白は確かにすばらしいし、それを
独創的だと思うナルシズムも必要といえば必要なんだけど・・・。

これじゃ、学生の論文程度だし、知ったかぶりの言葉(例えば、
パラダイム)をさももっともらしく使ってる当たりがショボイよね
298考える名無しさん:01/12/27 20:38
(承前)
第二部定理9
「現実に存在する個物の観念は、無限であるかぎりの神を原因とするのではなく、
現実に存在する他の個物の観念に変様化したかぎりの神を原因とする。そしてこ
の観念も他の観念に変様化したかぎりの神を原因とし、このように無限に進む。」

第一部定理28>>223をすでに読んできたから、この発想方法は受入やすい。
イヨイヨ「人間」に近づいてきたナ。
299考える名無しさん:01/12/27 21:03
ある意味、学生以下かもよ。

要するに、フランスの思想家の言った事を真理だって思って
書いてるわけだよね。ナルシズムちゃナルシズムだわね。

で、論文の体裁をなしていないし、こんなんじゃ、ぜんぜん×だよ。

この人ってドゥルーズ読めるってことを何か大変難解なことに
通じてるって思っているみたいね。その程度じゃ、ぜんぜん・・。
そうやって、わかった気になってる点が、スピノザでもなければ
ドゥルーズでもないね。あえていえば、文学的感傷に近いのでは?
300考える名無しさん:01/12/27 22:15
>>282
スピノザに唯物論を読むのはきわめてポピュラーな立場のひとつなのだ
が、なぜかきみは大騒ぎする。
またヘーゲルの件にしても、君へのレスはヘーゲルの実体・属性・様態
(知性)の地位問題に少し触れたものだが、これはかなり有名な問題だ。
2〜3行で軽く触れればみんなああなるの。
使う表現も「依存する」「後続する」「後にくる」あたりでパターン化
されているんだよ。

ハートの本は『エチカ』の読解には役に立たない。
役に立つのは『スピノザと表現の問題』だ。
しかしこの本は読解の方向性を与えてくれるが、『エチカ』の定理を
ひとつひとつ読んでいくとなると、大雑把過ぎるのだ。
結局方向性を与えられつつも、自分で『エチカ』本体を読み、考えなけ
ればどうしようもない。
そしてわたしはそうしている。

わたしはこのスレで論文を書いているわけではない。
今やっていることは、ちゃんと『エチカ』読むための予備作業である。
書き散らしたメモをこのスレで書き込み用に整理するのは自分にとって
有意義なことだ。
これ以上君につきあう余裕はない。
301考える名無しさん:01/12/28 00:23
あらあら、出てきちゃったよ・・・。君って単純だね。
表現の問題か・・あのめちゃ訳本ね・・。あれじゃ、何も分からない
ばかりじゃなくかえって混乱するよ。君って、差異と反復スレで
アホ書いてた人でしょ?でもさ、ドゥルーズでもいいけど?
翻訳本しか読んでないの?その辺が君の知性の乏しさを証明してるのと、
安っぽい書き言葉に君の日常的な感じ方が現れてるからこの読みは
無意味とは言わないが信仰の告白に見えると言ったわけだよ。

唯物論に関して君は単にそういうものって形で頭に描いているみたいだから
ちゃんと説明してからやったほうがいいと思っただけだよ。

そういう風に見ると、観念的なそれこそ主知主義的な読みに見えるのよ。

君みたいな若いサラリーマン君が一生懸命やってるのは、かわいいけど、
言葉のはしはし安っぽい、それこそ翻訳本に逆上せ上がってる、まっすぐ
ちゃんが見えるのさ。

議論なしでやるんだったら、他でしたら?HPでも立ち上げたらいいのに。
302 :01/12/28 00:49
>>298
スピノザのことについては何も知らないが、
反論がでてるんだから答えれば?
確かに反論の文章はいやらしい書き方だけど、
それが嫌なら家で書けばいいだろ。
俺は哲学を専門的に研究したことないけど、
他の人の批判を受けつけないなんて、どの学問の精神にも反するよ。
303考える名無しさん:01/12/28 01:26
2部定理6証明
「各属性の様態はその属性の概念を含み他の属性の概念を含まない」
これで、実在的に区別された2つの属性(1部定理10備考)によっ
てそれぞれの様態は、それぞれの〈かぎりの神〉(「自らが様態となっ
ている属性のもとで」考案される限りの神)を原因とするということ
になり、観念と観念の対象たる事物はそれぞれ独立した系列をなす。
しかし単に分離されたのではない、ということで証明の後に系がつく。

証明の帰結としての系
1)観念は思惟の属性から生ずる
2)事物は(延長の)属性から生ずる
3)1と2は同一の仕方・同一の必然性から生ずるものである

3)について
定理5,6で〈かぎりの神〉が登場している。
3の「仕方」「必然性」は〈かぎりの神〉においていわれている。
そして再び1部公理4に差し戻される。
304考える名無しさん:01/12/28 01:51
>>294
『エチカ』の冒頭はやはり『表現の問題』がいいと思います。
>>164さんが『エチカ』を読めば『表現の問題』は難しくないとわたし
にアドバイスしてくれたのですが、わたしは「難しくない」とはいえな
いものの、やはりそうなのだと最近思います。
305考える名無しさん:01/12/28 06:43
(承前)
<誤解?「二人いる??」>
>>302さんへ
 スピノザ読みは「二人」います(特に第二部に入ってから)。
ドゥルーズ解釈と対比的に読んでるのは私ではありません。

(もっとも結果として、ドゥルーズ大先生と発想が類似して
たとしたら光栄ですが。)
306考える名無しさん:01/12/28 06:43
そして再び1部公理4に差し戻される。


304 名前:考える名無しさん :01/12/28 01:51
>>294
『エチカ』の冒頭はやはり『表現の問題』がいいと思います。
>>164さんが『エチカ』を読めば『表現の問題』は難しくないとわたし
にアドバイスしてくれたのですが、わたしは「難しくない」とはいえな
いものの、やはりそうなのだと最近思います。


305 名前:考える名無しさん :01/12/28 06:43
(承前)
<誤解?「二人いる??」>
307考える名無しさん:01/12/28 07:50
転換は単なる現象主義であり、主観―客観の対立から「役割存在」−
  「意味構成態」の「相即」(対応?)への転換は(共同主観的とは言
  われても)世界の客観性を廃棄する主観主義である。
執着を持つきっかけはいろいろあって、いつもブサイクだと陰口をきかれるうちに
自分の容姿にものすごく執着して気にしすぎるようになってしまう、
ということもある。
1886年にC・T・ラッセルの出版した「代々にわ たる神の計画」と題する本にも,
「神の計画を説明する,代々の図表」と 呼ばれる同様の図表が収められています。
この「代々の図表」は,今になって考えてみれば,不正確な点が認め られるとはいえ,
それとは逆に、他人から「かわいいね」とか「かっこいいいね」と
言われることによって容姿に執着してしまうケースというのもあると
思う。かっこいいね、なんていつも言われるうちに毎日鏡を見るように
捜そうとしていますが、それが一体なんになるでしょうか?
このスレッドを見てみんなが「ああ、サイエントロジーは悪い集団なんだ」
といくら思わせることに成功しても世界中にいるサイエントロジストが効果
を与えるのを止めることは出来ないことは本当は分かっているでしょう?
あなたがブローした理由が、
戦後の日本は「見せる」「演じる」「上にたって教える」が主流だったと
思います。戦後日本の模範生が高橋佳子というわけです。でもこの模範生も
そろそろ引退という時期なのですね。高度成長時代には通じたものがもう通じ
ないのです。
プロセシングを受けた後でまだそんなことを言っているようなのならあなたは
O/Wです。SPではないでしょうが見せ掛けのSPに圧倒されたPTSですね。
そうではなくて、あなたがもしサイエントロジーには効果が無かったと主張する
のなら修正してもらいなさい。修正を受けても効果が無いのでしたら訴訟でも
何でも起こしなさい。あなたがもしディレッタント勉強でもしてなさい。
内輪もめの論議を上げ続けてもしかたないのですよ。
308考える名無しさん:01/12/28 07:52
(承前)
第二部定理10
「人間の本質には実体的存在が属さない。あるいは、実体は人間の
形相を構成しない。」

「実体と人間との関係」から第一部定理7>>94
「(実体としての)神と人間との関係」から第一部定理15>>131
(やっと人間がでてきた。)
309考える名無しさん:01/12/28 07:56
但し、このキャプションも、基本的に公共図書館を使用しているので
調べられる可能性がある。
>>308
もう一度言う、自分は真面目に千乃正法と佛所護念会との融合を
真剣に考えて、掛け合っているだけの話です。これは千乃裕子先生の
許可で動いている。これは間違いない。
逆でしょう。真面目に研究発表している人に間違っている個所を批判する
のは正しいが、極論は可笑しいでしょう。今千乃正法は其れを行っている。
そして本部の教えは基本的に法華経を導く事でしょう。これも魂の修業の
一つだと言っている。千乃正法会の会長である千乃裕子先生は、紫紺の
「南無東方善徳佛」に当たる事は何回も言っている。但し神の歴史を変えて
はいけない。其れに対しては、真面目に研究する必要がある。其れは天帝一
族の歴史である。
 又、「南無東方善徳佛」は、「南無龍王佛」であり、其れは今は、エル・アール
出版社のミカエル大王様に当たる。今度の消滅宣告は、ミカエル大王様からは、
未だ出してはいない事を忘れてはならない。本当の偽物である大川の「幸福の科学」
では、ミカエル大王様自ら批判している事を忘れてはならない。しかし、このHPの
内容は、天界の話では確証はないので、ミカエル大王様の名で動かしてはならない
との話です。一応カトリックの善霊が良心的に調べているのは、雑誌『JI』の
千乃裕子先生の言葉から理解できると思います。飽く迄も、正しいものと悪のもの
を区別すれば良いのです。今度の神の話は、基本的に神の側に堕天使ダビデの戦略
があった事を言っているだけの話です。其れは、全ての宗教に堕天使ダビデの関与が
あっただけの話で、全てを否定せよとは言っていないのです。
天界の話では、確証は
大王様
310考える名無しさん:01/12/28 08:32
補遺は
311垢ね:01/12/28 09:00
知性改善せよ
312考える名無しさん:01/12/28 10:54
それにしても、不思議なんだけど君たちってドゥルーズを先に読んで
スピノザやらニーチェやらを読んでるみたいなんだけど、どうして?
そんな風に読んでたら全然ドゥルーズなんて分からないじゃん?
プルースト論だってそうだけど、それこそドゥルーズの芸術論なんて
言われてたけど、ありゃプルーストそのもだぜ!そういう人は、ぜんぜん
プルースト読んでないんだなって分かるよ。そこから君もスピノザを
ぜんぜん読んでないのね・・。スピノザなんて著作が少ないんだから
全部の著作を読むのなんて時間かからないよ。ドゥルーズの論じてる
作家、例えばカフカなんてのも同じね。全部読める。

それから修士と博士ってドゥルーズの論文ね・・。あれにしても、
最低限哲学の歴史的な著作くらい教養として読んでから論じてよね。

差異と反復は、なんとなくそういうこと分からなくても読めなくもない
けどさ・・。でも、最低限ってのはあるよ。それがあるかないかで、
君のような一般人の日常の言葉の中にもそれなりに教養の深みがでてく
るもんさ。いっぱい、本読んでちゃんと哲学のおもしろさにふれてみなきゃね。

あと、いっとくけど、ドゥルーズのスピノザをめぐってはいろんなドゥルーズ
学者が海外で書いてるから最低限それくらいは参考にしとくといいよ。
313考える名無しさん:01/12/28 11:02
>306
上のもそうだけど、ちゃんと順番どうりよめば、難しくはないよね。
でも、訳はめちゃくちゃだ・・・。あれじゃ、残念ながらなんも分
からない。英訳は、訳者の訳文についての解説など事細かだよ。

ドゥルーズの原文は、いつもそうだけどとっても明快でテンポがある。
差異と反復でもそうだけど、確か海外の訳者のいってたけど、適当に
記憶にたどって書いてるようなとこがかなりあるよ。
後で、改訂もしていない。引用された名前が違ってたりね(笑)。
314考える名無しさん:01/12/28 11:21
二人いる?唯物論をポピュラーな立場だって書いてるヤツと
まったり読んでる人かえ?君は、表現の問題をエチカを読んでから
読もうって思ってる人かい?それともドゥルーズなぞり?
315考える名無しさん:01/12/28 13:38
2部定理7
>>283
同じく、なぜ1部公理4で証明できるのかわからない。
「観念の秩序および連結」に対しての公理4ならすんなり飲み込める。
しかし、これと「物の秩序および連結」との同一性に対してとなると話しは別だ。
もし公理4がこのように使用されるものならば、その使用は前の定理6の証明で
ぼんやりと現れている。
定理7にもう少し時間をかけたいと思う。
316考える名無しさん:01/12/28 15:21
ああ、わかったアホなドゥルーズなぞりのスピノザ読みと、承前さんね。
上のヤツもそうだけど、同一性なんてスピノザは一言もいってないし、
一義性なんて言葉もない、ましてやパラダイムなんてのもないし、戴冠する
アナーキーなんてのもない。そういう対比をやるんだったらドゥルーズを
ちゃんと押さえておかなきゃね。ドゥルーズ読んでスピノザ読むってこと
やってると聖書読みとおなじになるよ。
317考える名無しさん:01/12/29 09:52
(承前)
第二部定理11
「人間精神の現実的存在を構成する最初のものは、現実に存在するある個物の
観念にほかならない。」

 第二部のテーマ「人間精神」の登場。
 ここで、第二部の公理(の一部)が動員される。
 第二部公理1および第二部公理2は>>264参照。
 第二部公理3は>>265参照。
(この定理の注解がおもしろい、後述)(承後)
318考える名無しさん:01/12/29 09:57
(承前)
<第二部定理11の注解と『エチカ』読者の心得>
「ここで読者は疑いもなく途方にくれてしまうであろう。そして
ためらいを感ずる多くのものを思い出すであろう。このため私は、
読者がゆっくりと私といっしょに歩みを進め、全部を読み終るま
で、これについて判断をくださないようにお願いする。」

 ものすごくヒューマンなコメントじゃないの。
 スピノザ先生は「全部を読み終るまで」と。
 誤読も、第五部までの読解で修正されるはず。
319考える名無しさん:01/12/29 10:18
 又、「南無東方善徳佛」は、「南無龍王佛」であり、其れは今は、エル・アール
出版社のミカエル大王様に当たる。今度の消滅宣告は、ミカエル大王様からは、
未だ出してはいない事を忘れてはならない。本当の偽物である大川の「幸福の科学」
では、ミカエル大王様自ら批判している事を忘れてはならない。しかし、このHPの
内容は、天界の話では確証はないので、ミカエル大王様の名で動かしてはならない
との話です。一応カトリックの善霊が良心的に調べているのは、雑誌『JI』の
千乃裕子先生の言葉から理解できると思います。飽く迄も、正しいものと悪のもの
を区別すれば良いのです。今度の神の話は、基本的に神の側に堕天使ダビデの戦略
があった事を言っているだけの話です。其れは、全ての宗教に堕天使ダビデの関与が
あっただけの話で、全てを否定せよとは言っていないのです。
320考える名無しさん:01/12/31 20:56
承前さん、煽りに負けないでね。テキストに赤鉛筆で線を引きながらマターリ読み返します。来年もよろしく!
321考える名無しさん:02/01/02 21:46
(承前)
第二部定理12
「人間精神を構成する観念の対象の中に生ずるすべてのことは、人間精神に
よって知覚されなければならない。あるいはそのものについての観念は、人
間精神の中に必然的に存在するであろう。すなわち、人間精神を構成する観
念の対象が身体であるなら、その身体の中には精神によって知覚されない<
あるいはそれについてある観念が精神の中にないような>ものは、何ものも
生じないであろう。」

「精神」と「対象」の一致は、はじめから保証されている??
322考える名無しさん:02/01/02 22:02
(承前)
第二部定理13
「人間精神を構成する観念の対象は身体である。あるいは現実に存在する
延長のある様態であって、それ以外のものではない。」

普通に考えると、とても、奇妙な「説」ではある。(もちろん、これまで
の定理の延長線上にあるわけだから、「奇妙」は言いがかりだが。)

しかし、この定理は第二部でもかなり重要みたい。
323考える名無しさん:02/01/03 00:10
(承前)
第二部定理13のあとの公理
公理1
「すべての物体は運動しているか、それとも静止しているかのどちらかである。」

公理2
「あらゆる物体は、あるときはよりゆっくりと、またあるときはよりすみやか
に運動する。」

 やっとわかりやすい部分に差掛かった(唐突と、感じられなくもないが)。
324考える名無しさん:02/01/03 16:54
(承前)
第二部定理13の後の補助定理1
「物体は運動と静止、ならびに運動の速度が速いか遅いかによって相互に
区別され、実体に関しては区別されない。」

また唐突に「実体」がでてきて驚くが、第一部定理15の長い注解と
連動しているのなら納得。(そこでは延長的実体、物体的実体等が
議論された。)
325考える名無しさん:02/01/03 23:13
(承前)
<第二部定理13の後の補助定理2読解の準備>
(『世界の名著』の証明部分は誤訳??校正ミス??)
DEMONSTRATIO. In his enim omnia corpora conveniunt, quod unius
eiusdemque attributi conceptum involvunt (per defin. 1. huius);
deinde, quod iam tardius, iam celerius, et absolute iam moveri,
iam quiescere possunt.
(「この部の定義1により」としか読めない。「第一部の」とは読めない。)
326考える名無しさん:02/01/04 10:49
(承前)
第二部定理13の後の補助定理2
「すべての物体は、いくつかの点において一致する。」

上述のように『世界の名著』では第一部定義1が引用されている。
岩波文庫は第二部定義1。どう考えても、岩波文庫が正しいと思う。
(確認のため時間かかっちゃった。)
327考える名無しさん:02/01/04 14:44
(承前)
第二部定理13の後の補助定理3
「運動あるいは静止している物体は、他の物体によって運動あるいは
静止に決定されなければならなかった。またこの物体も、他の物体に
よって運動あるいは静止に決定され、さらに後者もまた他の物体によ
って決定され、このように無限に続く。」

このような発想方法は
第一部定理28および第二部定理9で既出。

というよりも第一部定理28の内容は、第二部のここいら辺まで読んで
はじめて、明瞭になる気がする(「個物」の定義は第二部になってか
ら行われているしネ。)。

<しかし、先は長いな。定理14までまだまだ。>
328考える名無しさん:02/01/04 20:52
(承前)
第二部定理13の後の補助定理3の後の公理
公理1
「ある物体が他の物体から動かされるすべての様式は、動かされる物体
の本性からと同時に動かす物体の本性から生じてくる。このため同じ物
体は、動かす物体の本性が異なるにつれて異なった仕方で動かされる。
そして逆に、異なる物体は、同じ物体によって異なる仕方で動かされる
ことになる。」
329考える名無しさん:02/01/05 16:36
(承前)
第二部定理13の後の補助定理3の後の公理
公理2
「もし運動している物体が、静止した他の物体に衝突して動かすことが
できないとき、はねかえって自分の運動を続ける。そして、はねかえる
運動の線と衝突した静止物体の平面とのあいだにできた角度は、衝突す
る運動の線が同じ平面となす角度とひとしいであろう。」
330330:02/01/05 20:22
そんなことよりドラえもんでも見ろよ
331考える名無しさん:02/01/06 15:22
(承前)
<脱線>
年末、ドラえもんを、久しぶりに、みた。
ジャイアンのコンサートを阻止する回で、(色々在って結局)
ジャイアンが倒れたことを知った、のび太が、ジャイ子の前で
小躍りする姿で終幕だった。
「いくらなんでも、のび太、実妹=ジャイ子の前で、無神経」と思った。
332考える名無しさん:02/01/07 20:00
(承前)
第二部定理13の後の補助定理3の後の定義
「同じあるいは異なる大きさをもついくつかの物体が他の物体から相互に
接合するように圧力をうけるとき、あるいはそれらいくつかの物体が同じ
あるいは異なる速度で運動する場合、自分たちの運動をある一定の割合で
相互に伝えるように、圧力をうけるとき、われわれは、それらの物体が相
互に合一していると言い、またすべての物体が同時に一つの物体、あるい
は個体を組織していると言う。そしてこの物体あるいは個体は、諸物体の
このような合一によって他の物体から区別されるのである。」
333考える名無しさん:02/01/09 03:54
この前高島平でやってた古本市で、
『知性改善論』やっと手に入れた。
そいつは、私が卒論を書き終わるのを
本棚で待ってる。
早く読みたい。
334考える名無しさん:02/01/11 00:23
(承前)
<脱線>
風邪ひいて、へたってたけど、上級シスアド受かってたので元気でてきました。
335考える名無しさん:02/01/12 15:17
そうかぁ・・・君たちみたいなのが、ドゥルーズやスピノザの読者なんだぁ・・
なんか・・おじさんは、超がっかりしたよ・・とほほ。

一生懸命、表現の問題とか差異と反復を聖書のようにして読んでるんだねぇ・・。
そんなロマンチックな態度にも、おじさんは超がっかりしたよ・・。
それこそ、信仰はすてきだよね、スピノザらしくそう言っておこう。

でも、なんか君たちみたいなのが読者だって分かってやっぱそうかぁ・・
って脱力したよ・・。

メモとりながら思想している承前さんとは違う(?)君、なんか若いねぇ・・
そんなのもやっぱ、無力さを感じたっすよ。
33619:02/01/12 19:32
皆さんや承前さんがスピノザと出会ったきっかけとか
その後スピノザから受けた影響について何か話して頂けませんか?
337考える名無しさん:02/01/12 20:01
(承前)
<脱線>
遠くの原因:柄谷行人が探究かなにかでいいかげんなこと書いてた
から。(あと闘争するエチカとかいう著作なかった??)

近くの原因:「第三部とかが、比較的わかやすい」という俗説に、
異論が在ったから。(第一部第二部の基礎の上にあるのに、第三部
だけ取出して云々できるか、まず、自力で検証したかったから)

影響:俗な自然法思想でない、別種の自然法思想。(このスレで
「自然」って何だとかこだわってたが、「法」を足すと「自然法」
の議論につながる)
338考える名無しさん:02/01/14 05:30
語れる人いますかな?
339考える名無しさん:02/01/14 06:13
>>335
おじさんがっかりするって事は希望を抱いていたって事で
希望を捨て去ることこそスピノチストに相応しいと言って
置きましょう。
340mimesis (=339):02/01/16 03:58
落胆とは希望に反して起こった過去の物の観念を伴った悲しみである。
 (三感情定義17)

希望とは我々がその結果について幾分疑っている未来あるいは過去の
物の観念から生じる不確かな喜びである。
 (三感情定義12)

悲しみとは人間がより大なる完全性からより小なる完全性へ移行する
ことである。
 (三感情定義3)

喜びとは人間がより小なる完全性からより大なる完全性へ移行するこ
とである。
 (三感情定義2)

実在性と完全性とは同一のものであると解する。
 (二定義6)

完全性及び不完全性とは実は単に思惟の様態に過ぎない。るなわち
我々が同じ種あるいは同じ類に属する個体を相互に比較することに
よって作り出すのを常とする概念にすぎない。(中略)これを不完
全と呼ぶのは、それらの物は我々が完全と呼ぶものと同じようには
我々の精神を動かさないからであって、それらの物自身に本来属す
べきなにかが欠けているとか、自然があやまちを犯したとかいうた
めではない。
 (四序言)

こんなことをやってるとますますおじさんをがっかりさせてしまうかな?
スピノザを読むことを「現代のスコラ哲学(scolastique moderne)」
としてしまい、奴隷的怨恨(お前は悪い、故に私はよい。〉に囚われて
いると非難されてしまうのかな?
341考える名無しさん:02/01/16 21:00
(承前)第二部定理13の後の補助定理3の後の公理
公理3
「個体あるいは複合物体の諸部分が、より大きなあるいはより小さな表
面によって相互に接合するにつれて、それらの諸部分の位置を強制的に
変えることがそれだけ困難になるか、それとも容易となる。したがって、
個体自身が他の形状をとることがそれだけ困難になるか、それとも、容
易となる。この場合、その部分が大きな表面によって相互に接合する物
体を硬い、小さな表面によって接合するならば、軟らかい、そして最後
に、諸部分が相互に運動しているならば、流動的と呼ぶであろう。」

なんか、第一部と違って、盛り沢山だな。
<これ昨日の書込みのつもり、エラーでたから>
342考える名無しさん:02/01/17 20:23
(承前)
第二部定理13の後の補助定理4
「もし多くの物体から組織されている物体、あるいは個体から、いくつかの
物体が分離され、同時に同じ本性をもつ等量の他の物体がその場をしめるな
らば、その個体はなんらその形相を変えることなく、以前と同じ形相を保つ
であろう。」

またややこしい。「物体」と「個体」とがゴチャゴチャ。これらと「個物」
の違いには、悩まされる(というかしっくりこない)。
343考える名無しさん:02/01/17 20:30
(承前)
第二部定理13の後の補助定理5
「個体を組織する諸部分が大きくなっても、また、小さくなっても、すべて
が以前と同じように運動と静止の割合を相互に維持しているならば、その個
体は、なんらその形相を変えることなく、以前と同じような本性を保つであ
ろう。」

今度は「個体」だけ、使用(次の補助定理6は個体・物体併用だ)。
344考える名無しさん:02/01/18 20:48
(承前)
第二部定理13の後の補助定理
補助定理6
「もし個体を組織するいくつかの物体が、ある方向への運動を他の方向
に向け、しかも自分の運動を続け、それを以前と同じ割合で相互に伝え
るならば、その個体はなんらその形相を変えることなく自分の本性を保
であろう。」

補助定理7
「そのうえ、このように組織された個体は、全体として運動あるいは静
止していようとも、あるいは、この方向、あの方向に運動していようと
も、各部分が自分の運動を維持し、それを以前と同じように他の部分に
伝えさえするならば、自分の本性を保持しているのである。」

 続きものなので、連続で引用。
345考える名無しさん:02/01/18 21:00
(承前)
<脱線、スピノザと柄谷行人>
 講談社の文庫の『探究2』柄谷行人をチェック。
第二部第三章「観念と表象」とか、第四章「スピノザの幾何学」とかで、
スピノザを引用してる。

柄谷氏は、スピノザから「観念」「表象」の重要さを読み取ったそうだが、
少なくとも『エチカ』第一部第二部途中までから判断して、「表象」が重
要とはおもえない。
 しかも、『世界の名著』の索引(スピノザ)にものってない。
なお、ライプニッツの索引の「表象」にp367とエチカのページ引用あ
るも、該当ページに「表象」なし。これも、本書の誤植みたい。
346考える名無しさん:02/01/19 15:16
age
347考える名無しさん:02/01/19 15:44
(承前)
公準 (岩波文庫では「要請」)
1「人間身体は、〔異なる本性をもつ〕きわめて多くの個体か
ら組織されている。そしてそのおのおのの個体も非常に複雑な
組織をもっている。」
2「人間身体を組織する個体のうち、あるものは、流動的であ
り、またあるものは軟らかく、最後にあるものは硬い。」
3「人間身体を組織する個体、したがって人間身体そのものは、
外部の物体からきわめて多くの仕方で刺激される。」
4「人間身体は、自分を維持するためにきわめて多くの他の物
体を必要とし、これらの物体からいわばたえず更生される。」
348考える名無しさん:02/01/19 15:50
(承前)
公準
5「人間身体の流動的部分が、外部の物体によってしばしば
他の軟らかい部分に衝突するように決定されるならば、その
流動的部分は軟らかい部分の表面を変化させ、衝突する外部
の物体のいわば痕跡をその軟らかい部分に刻みつける。」
6「人間身体は、きわめて多くの仕方で外部の物体を動かし、
またきわめて多くの仕方でそれに影響を与えることができる。」

<やっと、定理13からの、脱線がおわる。次は定理14だ。>
349考える名無しさん:02/01/19 15:52
ひとりでレスするヒッキースレ?
350考える名無しさん:02/01/20 21:23
(承前)
第二部定理14
「人間精神は、きわめて多くのものを知覚するのに適している。
そしてその能力は、身体がより多くの仕方で影響されるにつれて、
それだけ大きくなる。」

第二部定理13>>322以来の本流復帰(1月2日から脱線してたのね)。
「精神」と「身体」の絶妙な絡み合いがいい。
351考える名無しさん:02/01/21 20:07
(承前)
第二部定理15
「人間精神の形相的存在を構成する観念は単純でない。むしろ
きわめて多くの観念から構成されている。」

すべて「神の中」での出来事。
352考える名無しさん:02/01/22 22:07
(承前)
第二部定理16
「人間の身体が、外部の諸物体から刺激されるあらゆる様式の
観念は、人間身体の本性と同時に外部の諸物体の本性をふくま
なければならない。」

「身体」「物体」「観念」(そして「精神」)とを、行ったり
きたりする。
 「系1」で「精神」に、ちゃんと触れられてるし。
あと、第一部の付録と、ここがつながるのも可笑しい。
353考える名無しさん:02/01/22 23:21
>>345

スピノザの「表象」の原語は「imaginatio」で、
ライプニッツの「表象」の原語は「perception」だと思うんですけど、
その辺の日本語への翻訳の差って分かっていますか?
354恥部と分泌液:02/01/23 01:34
こんなこというんだから、すごいねぇ、スピノザは。たまらんねぇ。
バルーフに於けるミゾジーヌ(女性嫌悪)。たしかに彼は、カント的結婚
(=相手のセーキの所有)以上のそれ、まじめに子育てすることを望む
限りにおいてのケコーンを肯定する。しかし酔っ払いと哲学者がおおきに
ちがうように、よきパパ・ママとバルーフの差は大きい。彼はよきパパで
はありえない。やっぱ抑圧した結果なのかねぇ。そういうものとしての
バルーフが、私は好きさ。自己保持の術としての知性改善。
「貧者の精神主義」と、さる御仁が「危ない隙間」(クリスペ)で切り捨てているが、
どうなのかねぇ。
355考える名無しさん:02/01/23 02:27
シュライエルマッハーとかどうですか?
彼は聖スピノザだなんていってましたけどw
356考える名無しさん:02/01/23 07:03
(承前)
<353さんは天才??>
>>353のご指摘あってチェックしました。

まず『世界の名著』では訳語が「想像」で統一されてます。
(このスレは『世界の名著』を、原則としてます、念のため)
これが躓きの原因。
「表象」=「想像」です。
そして、(第一部から「表象=想像」という語は一応出てますが)
本格的に議論が展開されるのは、次の第二部定理17からです。
<これから読もうとしていた所!!!>
柄谷行人氏の、「表象=想像」が大事、という見解については、
次回から、より深く考えます。

岩波文庫:imaginatio=表象
『世界の名著』:imaginatio=想像

このスレッドは、どちらか一方のテキストしか持ってない
人もご覧になってますので、両者の違いの情報は参考に
なります。
357考える名無しさん:02/01/23 15:55
>>356

353です。
まあ、柄谷行人の言うことはあんまり真に受けないようにしましょう。
あと、別に私は天才ではありません。
ゲプハルト版の原典を見ただけです。
一応、原典を見ながら翻訳を読んだ方が良いですよ。
あと、ラテン語辞典で「imaginatio」がどのような意味なのか
調べて読んだ方がいいです。
358考える名無しさん:02/01/23 16:05
スピノザの『エティカ』の翻訳は
岩波文庫版の畠中尚志の訳の方が定番ですよ。
畠中尚志はオランダ語も出来て、
たしか『フランダースの犬』も彼が
翻訳していたと思います。

中公バックス、世界の名著の工藤喜作訳も
悪くはないけど、畠中訳の方が、
原典や英仏独訳と照らし合わせて読む分には良いと思う。
359考える名無しさん:02/01/23 21:03
(承前)
第二部定理17
「もし人間の身体が、ある外部の物体の本性をふくむような仕方で
刺激されるならば、その身体がこの外部の物体の存在あるいはその
現在の存在を排除するような状態におかれるまで、人間精神は、そ
の外部の物体を現実に存在するものとして、あるいは自分に現実的
なものとして観想するであろう。」


(分冊本は、つねに下巻(中下巻含む)を無くすくせがある。)
360考える名無しさん:02/01/24 21:03
(承前)
第二部定理18
「もし人間の身体が、二つあるいはそれ以上の物体からかつて同時に
刺激されたとしたら、精神がのちにそのうちのあるものを想像すると
き、ただちにまた他のものを想起するであろう。」

『世界の名著』では「図7」で説明がある。
時間の観念(=かつて、のち)が隠されてるな。いや記憶?連結??
361考える名無しさん:02/01/24 21:59
age
362恥部と分泌液:02/01/24 23:49
むろん工藤はスピノチストなんかじゃないさ。冗談じゃない。
363考える名無しさん:02/01/25 21:03
(承前)
第二部定理19
「人間精神は、身体がうける変様の観念だけで、人間の身体その
ものを認識し、また身体が存在することを知る。」

証明読むと、「神の中」が大事。
364考える名無しさん:02/01/25 21:06
(承前)
<黙祷>
ピエール・ブルデュー先生のご冥福を、お祈りいたします。
『国家貴族』を読み終るまでは、活きていて欲しかったです。
放送大学での特別講義、面白かったです。
365考える名無しさん:02/01/26 14:47
(承前)
第二部定理20
「人間精神についても、神の中に観念あるいは認識がある。しかも
観念あるいは認識は、人間身体の観念あるいは認識と同じような仕
方で、神の中に生じ、また神に帰せられる。」

第一部から読んでくるとわかる。「神の中」ですべてがなされる。
366考える名無しさん:02/01/26 15:10
(承前)
第二部21
「精神のこの観念は、精神そのものが身体と合一しているのと同じ
ような仕方で、精神と合一している。」

こういった、議論の進め方、おなじみになってきた。
367考える名無しさん:02/01/26 15:13
(承前)
<訂正>
× 第二部21
○ 第二部定理21
368考える名無しさん:02/01/26 15:17
(承前)
第二部定理22
「人間精神は身体の変様ばかりでなく、この変様の観念をも知覚する。」

前定理を受けたら、そうなる。
369考える名無しさん:02/01/26 15:20
(承前)
第二部定理23
「精神は、身体の変様の観念を知覚するかぎりにおいてのみ、
自分自身を認識する。」

自分自身ってなんだろう。
370考える名無しさん:02/01/28 21:19
(承前)
第二部定理24
「人間精神は、人間身体を組織する諸部分についての十全な認識を
ふくんでいない。」
371考える名無しさん:02/01/28 21:22
(承前)
第二部定理25
「人間身体のおのおのの変様についての観念は、外部の物体についての
十全な認識をふくんでいない。」

微妙に定理24といっていることが、ズレている。
372恥部と分泌液:02/01/29 00:01
たとへば「出会ひの組織化」としてのNAM、といへる。その意味でスツピイ的思考を
開かれたものといふことはできよう。しかし「出会ひの組織化」を言つたドウルウズが、
アサダツチの見立てによれば偉大な独我論だつたとなると、スツピイの毒蛾論者性とい
ふことを、「破門の哲学」の著者にならつて結論すべきではないかといふことになる。
悲しみを排除しようとする哲学の悲しみ。楽しみを排除する哲学の楽しみ。承前さんよ、
あなたは正攻法をとりすぎるのではないか。
373考える名無しさん:02/01/29 00:21
>>恥部と分泌液

だからさあ、アホの柄谷のコピペ貼り付けるなよ。
うっとうしいなあ。死ね。
374なにがふまん?:02/01/29 00:43
事実無根。
375mimesis:02/01/29 00:45
ドゥルーズの『スピノザと表現の問題』はさぱ〜りわからんのだけど
第15章の「三つの秩序と悪の問題」あたりは恥部さんが書いてる
「出会いの組織化」が論じられててわかりやすいかも。
「出会い系」のスピノザ?ウェブ上の蜘蛛たる我々のエチカとは
如何なるものなのか?
「スピノザと私たち」のユクスキュルをひいての生態学としての
エチカという解釈もあわせて読むとイイ。
ドゥルーズはふたりのスピノザなんていってるね。
承前さんがおっているようなスピノザと
備考で燃え上がるスピノザ。

 「悪とは常に悪い出会いであり、それは常に関係の解体である。」
   『スピノザと表現の問題』256頁。


376representation:02/01/29 01:02
出会い系は、よかぁ知らんが、ありゃ、実は組織化してないんじゃ? ランダム
すぎるさぁ。

ところで、バルーフはほんとに神を擬人的でなく理解してるなんて、みなさん
思ってないよね。擬人的でない理解なんぞありえない。言語の構造からしてそう
いうほかない。現にバルーフは主著の最後の方で、神にして喜びという言葉が
使えるなら、なんてぇことを言っているよね。
377考える名無しさん:02/01/29 22:08
(承前)
第二部定理26
「人間精神は、自分の身体の変様の観念によってでなければ、外部の
物体を現実に存在するものとして知覚しない。」

外部の物体→身体(の観念)→精神というルートだそうだ。
378考える名無しさん:02/01/30 00:39
いわゆる出会い系は欲望の奴隷で受動の極値やから、スピノザとは無縁やね。
379mimesis:02/01/30 01:41
>>378 なるほど。のりで変なフレーズ書いちゃいました。

 人間が受動感情に動かされているかぎり、彼らが
 本性上一致することはありえない。
  (第四部定理32)

 出会い系での出会いは「否定的側面においてのみ一致」(第四部
定理32注解)しているだけなのだということかな。

 愛と欲望は、過度になることがある。
  (第四部定理44)
380mimesis:02/01/30 14:31
>スツピイの毒蛾論者性(>>372

仏教で言う「慈悲」(「慈」=他人に楽を与えること、「悲」=
他人の苦を除くこと)とスピノザのエチカを比べてみると、エチカの
独我論っぽさが感じられる。エチカにおいて問題になっているのは
なによりも「自分の」悲しみを除くことではないのかと思ったりする。
それが恥部さんの言う「悲しみを排除しようとする哲学の悲しみ。
楽しみを排除する哲学の楽しみ。」なのでしょうか。

たまたま哲学事典読んでて思っただけなんですが、愛という漢字に
ついて反省してみないとスピノザの知的愛について誤解するばかり
かもしれませんね。
381考える名無しさん:02/01/30 22:48
ふう。mimesisはまともにテキスト読めないのかねえ……。
ちゃんと原語のニュアンスを考えながら読めよ。
382しろうと考え。:02/01/30 23:40
↑なんやら高飛車ですなぁ。バルーフには自分は不幸でも人を幸福にしよう、
という発想はない。彼が幸福になるためには最終的にはほかの人々は
不要でしょう。彼の考えは、人は他者なしでも幸福でありうる、というものです。
(むろんこれは彼がエゴイスティックだということを意味しない)。

ちなみに彼が愛に「知的」という言葉をつけるのは、もちろん神への性的愛
(ある種の修道女がしばしば感じそうなやつ)との差異を強調するためでしょう。
実際エティカ第5部に性愛的要素はなさそうですが、でも、単に抑圧したのじゃ
ない? という気もします。
彼は悲しみを批判するし、それは正当である。しかしいわば「良い悲しみ」がある。
つまり活動能力を増大させる「悲しみ」がある。神への知的愛をそれと表裏一体の
ものと、私は見たいのですが。
383考える名無しさん:02/01/30 23:54
おまえが見たいかどうかは関係ないね。
テキストに何が書いてあるのかがすべてだ。
384考える名無しさん:02/01/31 00:20
(承前)
第二部定理27
「人間身体のあらゆる変様の観念は、人間身体そのものの
十全な認識をふくんでいない。」

あとからでてくる、定理29とペアか??
385しろうと考え。:02/01/31 00:39
>383
テキスト論の初歩もご存知ないらしい。おまえ、なんて。スピノザ的でないよう。
386mimesis:02/01/31 01:36
>> 382さん私を擁護してくれたのかな。とても嬉しい。
しかしながら、>> 381 のいうこともうなずけないこともない。
私の読解が散漫であることは当然のこととして、
哲学事典をひいてスピノザを理解しようとするような
解釈の方法がもたらす陥穽というのは確かにある。
スピノザの哲学用語の使用は慣用とずれていることが多いらしい。
解釈における「内在主義」(>>383 ?)そして「全体論的解釈」。
そのような立場を田島正樹は『スピノザという暗号』で
主張している。
(参考スレ http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/philo/1010913954/l50 )
彼は次のスピノザの言葉を引用している。(45頁)

 『聖書』の内容をなすほとんどすべての事柄に関する
 認識は、『聖書』自身からのみ得られなくてはならぬ。
 あたかも自然に関する認識が、自然そのものから得られ
 ねばならぬのと同様に
   『神学政治論』

ちなみに全体論的解釈からは引用の危険性も帰結するでしょう。
(私はひとなみはずれて引用好きだけど)

「全体論的解釈」ってテーマはクワインスレがたっている
こともあって最近気になります。
381さんの見解もききたいところ。
387考える名無しさん:02/01/31 20:30
(承前)
第二部定理28
「人間身体の変様の観念は、たんに人間精神にのみ関係させられる
かぎり、明瞭・判明ではなく、混乱したものである。」


注解に「このことはだれにでも容易に理解しうることである。」と。
388考える名無しさん:02/02/01 07:38
(承前)
第二部定理29
「人間身体のあらゆる変様の観念の観念は、人間精神についての
十全な認識をふくまない。

ずっとこのペースなのかな第二部は。
389考える名無しさん:02/02/01 07:42
(承前)
<メモとして>
「自然の共通的秩序」と「神の中」
390考える名無しさん:02/02/01 07:46
(承前)
第二部定理30
「われわれは、われわれの身体の持続について、きわめて非十全な
認識しかもちえない。」

第二部定理31
「われわれは、われわれの外部にある個物の持続について、きわめて
非十全な認識しかもちえない。」

ならべて読むとわかる。
391考える名無しさん:02/02/01 21:08
(承前)
第二部定理32
「あらゆる観念は神に関係させられるかぎり真である。」

ひさびさに、「神」の登場。
392考える名無しさん:02/02/02 15:30
(承前)
第二部定理33
「観念の中には、そのために観念が虚偽と言われるような積極
的なものは、何もない。」

証明で、「神の外」に言及されてる(否定的消極的意味で)。
神の外などないのだから、逆に、神の中といわれても??
393考える名無しさん:02/02/04 00:34
(承前)
第二部定理34
「われわれの中で絶対的あるいは十全で完全なすべての観念は、真である。」

394考える名無しさん:02/02/04 00:36
(承前)
第二部定理35
「虚偽とは、非十全あるいはそこなわれた、混乱した観念が
ふくむ認識の欠乏のことである。」

「無知」と「誤り」との違い。
395考える名無しさん:02/02/04 00:41
このスレ定期的に上がるね。
396考える名無しさん:02/02/04 21:05
(承前)
第二部定理36
「非十全で混乱した観念は、十全な、あるいは明瞭・判明な観念と
同じ必然性によって生じてくる。」

またまた独自の考え。肯定と否定、逆かと思ったよ。
2種のものも、もとは同根というわけね。
397考える名無しさん:02/02/05 21:07
(承前)
第二部定理37
「すべてのものに共通であり〔これについては前述の補助定理2
を見られたい〕、部分の中でも全体の中でも同じように存在する
ものは、けっして個物の本質を構成しない。」

こんどは、「もの」の話に。
398考える名無しさん:02/02/05 21:12
(承前)
第二部定理38
「すべてのものに共通で、部分の中でも全体の中でも同じよう
に存在するものは、十全なものとしか考えられない。」

そうか「共通」って言葉が、大事なんだ。
399考える名無しさん:02/02/06 20:36
(承前)
第二部定理39
「人間身体ならびに常に人間身体を刺激するいくつかの外部の物体に
とって共通で特有なもの、そしてこれらの各物体の部分の中でも全体
の中でも同じように存在するものについての観念もまた、精神の中に
おいて十全であろう。」

意味が取り難いな。「共通」はチェック。
400考える名無しさん:02/02/06 20:39
(承前)
第二部定理40
「精神の中の十全な諸観念から精神のうちに生ずるあらゆる
観念も十全である。」

注解1を読むと、ようやく「共通概念」が登場する。
なんと長い道程か。
401考える名無しさん:02/02/07 21:54
(承前)
第二部定理41
「第一種の認識は虚偽の唯一の原因である。これに反して、第二種、
第三種の認識は必然的に真の認識である。」

第二部定理42
「われわれに虚偽と真との区別を教えるものは、第一種の認識では
なく、第二種と第三種の認識であるる。」
402考える名無しさん:02/02/08 21:40
(承前)
第二部定理43
「真の観念をもつものは、同時に自分が真の観念をもっている
ことを知り、その真理について疑うことはできない。」

第二部って、すごく、つまらないけど、ヨクヨク考えると、
いま読んでる辺りが、一般の哲学で、まず最初に語られる
部分ではないだろうか??

スピノザの場合、当り前のことを言う準備として、第一部
全部と、第二部の半分を費やした、と。
403考える名無しさん:02/02/10 19:08
(承前)
第二部定理44
「理性の本性は、ものを偶然的なものとしてでなく、必然的なもの
として観想することである。」
404考える名無しさん:02/02/12 20:55
(承前)
第二部定理45
「現実に存在するあらゆる物体あるいは個物についての観念は、
神の永遠・無限の本質を必然的にふくんでいる。」

じゃあ、「貨幣」についての考察も(以下略)
405考える名無しさん:02/02/13 21:35
(承前)
第二部定理46
「あらゆる観念がふくんでいる神の永遠・無限の本質についての
認識は、十全であり完全である。」

406考える名無しさん:02/02/15 07:48
(承前)
第二部定理47
「人間精神は、神の永遠・無限の本質についての十全な認識をもっている。」

407考える名無しさん:02/02/15 12:57
「スピノザという暗号」、出だしは快調なのに最後破綻してたね。
しかしたしかに今主流の倫理学の語りにスピノザが乗りにくく、
「規範」の問いとかの設定が難しそうなのはわかるな。
408考える名無しさん:02/02/17 11:05
(承前)
第二部定理48
「精神の中には、絶対的な意志あるいは自由な意志は存在しない。
むしろ精神は、このこと、あのことを意欲するように原因によって
決定され、この原因も他の原因によって決定され、さらにその原因
も他の原因によって決定される。そしてこのように無限に進む。」

きれいにまとまってきたな。
409考える名無しさん:02/02/17 21:31
(承前)
第二部定理49
「精神の中には、観念としての観念がふくむ以外のいかなる意志作用も、
すなわち肯定、否定も存在しない。」

なんと、第二部終り。
長かったなーー。
410考える名無しさん:02/02/17 21:33
(承前)
<タイトルだけ>
第三部 感情の起原と本性について

『世界の名著』p184より。
411考える名無しさん:02/02/18 00:28
>「スピノザという暗号」、出だしは快調なのに最後破綻してたね。
>しかしたしかに今主流の倫理学の語りにスピノザが乗りにくく、
>「規範」の問いとかの設定が難しそうなのはわかるな。

そうか? 肯定するなら徹底的に肯定しろよ、と思う。
バルーフは規範という形で倫理をかたっていないよねぇ。
412考える名無しさん:02/02/20 07:51
(承前)
第三部定義1
「私が十全な原因と呼ぶのは、その結果が当の原因だけから明白
に知覚されうるような原因のことである。それにたいして、非十
全なあるいは部分的な原因というのは、その結果がたんに当の原
因だけによっては把握されないような原因をいう。」
413考える名無しさん:02/02/22 00:22
(承前)
第三部定義2
「みずからはたらく(動)と私が言うのは、あることがわれわれの
内部があるいは外部で生じ、われわれがそのことがらの十全な原因
である場合、言いかえれば〔前の定義から〕われわれの本性によっ
てのみ明瞭・判明に認識されるようなあることが、われわれの本性
からわれわれの内部か外部に生ずる場合である。反対に他によって
はたらく(受)というのは、われわれがその部分的な原因でしかな
いようなあることが、われわれの内部で生じたり、われわれの本性
から起こる場合である。」
414考える名無しさん:02/02/25 19:52
(承前)
第三部定義3
「感情とは、身体そのものの活動力を増大させたり減少させたり、
あるいは促したりまた抑えたりするような身体の変様であると同時
に、そのような変様の観念でもあると、私は理解する。
 こうして、もし、われわれがこのような変様のどれかの十全な原
因でありうるならば、その場合感情を、私は「能動」と解し、それ
以外の場合「受動」と解する。」
415考える名無しさん:02/02/28 07:40
(承前)
第三部公準1
「人間の身体は、自己の活動力を増大させたり、減少させたりする
ようなさまざまな仕方で刺激をうけるものであり、またその活動力
が増大も減少もしないような別の仕方でも、刺激をうけることがあ
りうる。」

416考える名無しさん:02/02/28 07:46
(承前)
第三部公準2
「人間の身体は、多種多様な変化をうけるものである。また
それにもかかわらず、対象の印象あるいは痕跡を〔これにつ
いては第二部公準五を見られたい〕保持することができ、し
たがって、ものの像を保持しうる。」

「像」には「イマゴ」との振りカナつき。
417考える名無しさん:02/02/28 15:40
「属性」がむずかしいっす。「思惟」「延長」ってどういうことですか?
「考える」と「ひろがる」ことなの?
でもスピノザは人間のように実体が「考え」たりはしないといってるよね。
人間の「考える」と神の無限の「属性」たる「思惟」は月とスッポンなわけでしょ。
この有限から無限の飛躍っていうのはもう「直観」のものなのだろうか
オイラにはむずかしいよ。第1部よんでると皆「無限」だらけでさ
やっと「個物」がでてきても、これまた「その成立には他の個物が原因となり。。
以下無限に続く」という感じで、「個物」からはいつまでたっても実体には
たどりつけなさそうだし。スピノザは無限が好きみただな。
418考える名無しさん:02/02/28 20:51
(承前)
<独り言>
存在=神だけ。
しかし、「神の中」には、別種の「存在」を認める。
また、「自然」なるものもみとめる。
「自然の秩序」もみとめる。
しかし、意志の自由みたいなものは、まったく認めない。
419考える名無しさん:02/02/28 20:55
(承前)
第三部定理1
「われわれの精神は、ある点ではみずからはたらくが、ある点
では他によってはたらく。すなわち、精神に十全な観念がある
かぎり、精神は必然的にみずから活動するが、また精神に非十
全な観念があるかぎり、他によっていやおうなくはたらかなけ
ればならない。」

わかりやすいといわれている第三部だけど、第二部の流れ
そのまま引きずってるような、始り方だ。
420考える名無しさん:02/03/04 19:00
upup age
421考える名無しさん:02/03/04 22:11
(承前)
第三部定理2
「身体には、精神の思索活動を制限する能力はないし、また精神にも
身体の運動や静止、あるいは他のものを〔もしそのようなものがある
としても〕制限する能力はない。」
422考える名無しさん:02/03/06 22:40
(承前)
第三部定理3
「精神の能動は、ただ十全な観念のみから生ずる。しかし、精神の
受動は非十全な観念のみに依存する。」
423考える名無しさん:02/03/07 21:44
(承前)
第三部定理4
「いかなるものも外からの原因によらなければ、壊滅されない。」

自己原因しかないのにね。
424考える名無しさん:02/03/12 07:40
(承前)
第三部定理5
「ものは一方が他方を壊滅しうるような関係におかれているかぎり、
対立的本性をもっている。言いかえれば、そのようなものは同じ主体
の中で両立しない。」

「壊滅」などと物騒な言葉が、前定理につづいて出てきた。
伏線か?「怒り」「憎しみ」等人間のマイナス面を語る準備か?
425考える名無しさん:02/03/13 07:20
(承前)
第三部定理6
「どのようなものでも、それ自身の主体のうちにとどまるかぎり、
自己の存在に固執しようと努力する。」

「努力」なんて言葉。
426考える名無しさん:02/03/14 07:44
(承前)
第三部定理7
「いかなるものでも自己の存在<エンス>に固執しようと
する努力は、もの本来の生きた本質にほかならない。」

「生きた」とか言う言葉(「死んだ」もそうだが)は結構珍しい。
427考える名無しさん:02/03/15 07:53
(承前)
第三部定理8
「あらゆるものが自己の存在に固執しようとする努力は、かぎら
れた時間ではなく、無際限の時間をふくんでいる。」

わかる気がする。
しかし、第三部が比較的わかりやすい、という諸先輩方もいたが、
第三部もやっぱり難解ですな。
428428:02/03/15 10:12
4×2=8
429考える名無しさん:02/03/17 02:25
今日は良スレが比較的上がっているなage
430考える名無しさん:02/03/20 07:39
(承前)
第三部定理9
「精神は、明瞭・判明な観念をもっていようとも、混乱した観念
をもっていようとも、ある無際限な持続において自己の存在に固
執しようとする。しかも精神は、自己のこのような努力を自覚し
ている。」

※欲望とはみずからの衝動を意識している衝動である。

この定理すごく重要じゃないか!!
「欲望」という重要タームの定義がでてくるから。前読んだとき
この「欲望」が解らなかった。

努力→意志→衝動=欲望という流れがとても大事。
431考える名無しさん:02/03/23 23:39
(承前)
第三部定理10
「身体の存在を排除するような観念は、精神の中にはありえず、
むしろ精神に対立するものである。」

第一部第二部でおなじみの「神の中」が登場。

神の外には何も無いはずなのにネ。
432考える名無しさん:02/03/26 21:06
(承前)
第三部定理11
「身体の活動力を増大させ、減少させ、あるいは促し、抑えるもの
の観念は、精神の思惟する力を増大させ、減少させ、あるいは促し、
抑える。」

※「喜び」=精神がより大きな完全性へ移行するような精神の受動
「悲しみ」=精神がその過程でより小さな完全性へ移行するような
      精神の受動
433考える名無しさん:02/03/29 11:48
(承前)
<紀伊国屋(新宿)で買える参考書>
合計38,982円(税抜)

『スピノザ『エチカ』を読む』エドウィン・カーリ
  (文化書房博文社)3000円
『スピノザに倣いて』アラン(平凡社)2000円
『スピノザという暗号』田島正樹(青弓社)3000円
『スピノザの政治思想』柴田寿子(未来社)5800円
『スピノザ異端の系譜』イルミヤフ・ヨベル(人文
  書院)3500円
『ヘーゲルかスピノザか』ピエール・マシュレ(新
  評論)4500円
『スピノザの政治哲学』飯島昇蔵(早稲田大学出版
  部)3900円
『スピノザと政治的なもの』工藤喜作/桜井直文
 (平凡社)4369円
『スピノザ哲学論攷』河井徳治(創文社)6000円
『スピノザ実践の哲学』ジル・ドゥルーズ(平凡
  社)2913円
434考える名無しさん:02/03/29 22:33
この30年ほどの間に、神田の古本屋でゲプハルト版の
スピノザ全集を2度見つけた。4万円くらいだったが,
ラテン語に自信なく,オランダ語は分らないので見送って
しまった。

読めても読めなくても,本は見つけたときに買っておくべきであった
と、後悔しています。

メシを抜かしても,本は買っておこう。と思っているが…
435考える名無しさん:02/03/30 01:13
(承前)
第三部定理12
「精神は、身体の活動力を増大させあるいは促すようなものを、
可能なかぎり想像しようとする。」

>>359第二部定理17参照。
436考える名無しさん:02/03/30 19:41
(承前)
第三部定理13
「精神は、身体の活動力を減少させ、あるいは抑えるようなものを
想像するときは、可能なかぎり、そのようなものの存在を排除して
くれるものを思いうかべることに努める。」

※「愛は、外的な原因の観念をともなっている喜び」
「憎しみは、外的な原因の観念をともなっている悲しみ」
こんなところに出てきたんだね。もっと後にも再度出てくるが。
437考える名無しさん:02/04/05 07:45
(承前)
第三部定理14
「精神は、もし一度に二つの感情によって同時に動かされると、
後で、その二つの感情のいずれか一つによって動かされるとき
は、また必ずもう一つの感情によっても動かされるだろう。」

ややこしい。
438考える名無しさん:02/04/09 07:38
(承前)
第三部定理15
「いかなるものも偶然に、喜び、悲しみ、あるいは欲望の
原因となりうる。」

※「欲望」「喜び」「悲しみ」は、独自の色付け。
439考える名無しさん:02/04/12 07:41
(承前)
第三部定理16
「あるものが、精神を喜びや悲しみに動かしがちな対象に
部分的に似ていると想像するだけで、ものと対象との類似
点が、実際はそのような感情の動力因でなくとも、やはり
われわれが、そのものを愛しあるいは憎悪するであろう。」

「似ている」とそれにつれて感情も動くって??
440考える名無しさん:02/04/12 07:46
例えば嫌いな人にそっくりな人をみると「嫌い」という感情がつい起こってしまうと。
441考える名無しさん:02/04/15 13:12
age
442考える名無しさん:02/04/16 07:20
(承前)
第三部定理17
「もしわれわれを習慣的に悲しみの感情に動かしているものが、
さらに習慣的にわれわれを同じ大きさの喜びの感情に動かして
いる他のものと、いくらか似ていると想像されるならば、われ
われはそのものを憎悪すると同時に愛するであろう。」

※「心の迷い」=二つの対立する感情から生ずる精神の(この
ような)状態
の、説明だったわけか。
443考える名無しさん:02/04/17 07:26
(承前)
第三部定理18
「人間は、過去あるいは未来のものの像によっても、現在の
ものの像からうけるのと同じような喜びや悲しみの感情に動
かされる。」

いきなり、時間の話。証明で引用されている注解は>>403
第二部定理44の注解のこと。
(第三部読むと、第二部の理解がしやすくなるのは確か。)
444考える名無しさん:02/04/18 21:42
(承前)
<第三部定理18注解2より>
希望とは、不安定な喜び。
恐れとは、疑わしいものについての像から生ずる不安定な悲しみ。
満悦とは、その結果についてわれわれが懐疑的であったような過去
のものについての像から疑いが消えて生ずる喜び。
内心の痛みとは、満悦に対置された悲しみ。
445考える名無しさん:02/04/21 17:15
(承前)
第三部定理19
「愛するものが否定されるのを想像する人は、悲しみにつつまれ
るであろう。ところがもし愛するものが保護されているのを想像
するならば、みずから喜ぶであろう。」

第三部定理20
「自分の憎悪しているものが否定されることを想像する人は、
みずから喜ぶであろう。」

ここいらあたりから、字面は、わかりやすくなる。
446考える名無しさん:02/04/24 05:36
(承前)
第三部定理21
「自分の愛するものが、喜びあるいは悲しみに動かされているのを
想像する人は、また喜びや悲しみに動かされる。この二つの感情の
大きさが、愛されているものの中で、より大きいかまたはより小さ
いかによって、愛している人の感情の大きさもより大きくなるか、
より小さくなる。」

感情を持ったロボットは、スピノザの言う通りにすれば
作れるのだろうか?
447考える名無しさん:02/04/24 14:32
場違いな質問してよかですか?
柴田寿子『スピノザの政治思想』(未来社)は
スピノザ研究書としてDOですか?
448考える名無しさん:02/04/24 17:27
(承前)
<最近は、閑散としてます、このスレ>
スピノザ『国家論』すら、まだ本棚に寝てます。
ゆえに、コメントするレベルに未達です、私。
449考える名無しさん:02/04/25 07:51
(承前)
第三部定理22
「もしある人が、われわれの愛するものに喜びを与えていると想像
するならば、われわれはその人を愛するように動かされるであろう。
これに反して、その同じ人がわれわれの愛するものを悲しみに動揺
させているのを想像するならば、同じ人を反対にまた憎むように動
かされるであろう。」

※あわれみ=他人の被害を見て生ずる悲しみ
好意=他人によく奉仕する人への愛
敵意=他人に害をもたらす人への憎しみ
450考える名無しさん:02/04/28 15:10
(承前)
第三部定理23
「自分の憎悪するものが悲しみに動揺するのを想像する人は、みずから
喜ぶであろう。もし反対にその同じものが喜びに動かされるのを想像す
る人は、悲しみにつつまれるであろう。また、この二つの感情は、それ
に対立する感情が自分の憎悪するものの中で大きくあるいは小さくなる
にしたがって、より大きくもなり、また、より小さくもなるであろう。」

サッカーワールドカップ、ライバルチームの選手の負傷=喜び
応援しているチームの選手の負傷=悲しみ
451考える名無しさん:02/05/01 06:50
(承前)
第三部定理24
「われわれは、もしある人がわれわれの憎悪するものに喜びを与える
のを想像するならば、その人にたいしても憎しみを感ずるであろう。
もし反対に、その同じ人がわれわれの憎むものを悲しませていると想
像するならば、その人を愛するように心を動かされるであろう。」

タレントが巨人を応援するのを見て、激怒する阪神ファン、って
とこか?
452 :02/05/04 02:19
(承前)
第三部定理25
「われわれ自身とわれわれの愛するものについて言えば、自分か自分
の愛するものに喜びを与えてくれると想像されるいっさいのものを、
われわれは肯定しようと努力する。また、反対に、われわれかわれわ
れの愛するものを悲しませると想像されるようなすべてのものを、否
定しようとつとめる。」

日本代表、決勝リーグ進出
日本代表、予選リーグ敗退
453考える名無しさん:02/05/06 12:09
>>448
><最近は、閑散としてます、このスレ>
そんなこたない。
読む人は読んでます。
454考える名無しさん
(承前)
第三部定理26
「われわれの憎んでいるものについて言えば、われわれの憎むものに
悲しみを与えると想像されるすべてのものを、われわれは、肯定しよ
うと努力する。また反対に、そのものに喜びを与えると想像されるす
べてのものを、否定しようとつとめる。」

※傲慢=人間が自分自身を正当以上に値ぶみするために生じてくる喜び
買かぶり=他人を正当以上に値ぶみすることから生じてくる喜び
見くびり=他人を正当以下に値ぶみすることから生ずる喜び