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崩れかけた廃屋と、朽ち果てた柵で囲まれた瓦礫の街。
その中心部の、今は壊れて跡形もない噴水のあとに、ぽつんとイーゼルが置いてある。
女画家が真剣な顔つきで上下左右に絵筆を動かしながら、仕上げに入っている。
しんと静まりかえった町に、イーゼルに向かう女の影だけが小さくゆらめいていた。
「ふう、あと少しだわ」
造形作家は腰を伸ばして、辺りを見回した。そろそろ約束の時間だった。
「せんせい」
衣擦れの音がして、女がいつものように足音もなく現れた。落ち着いた柔らかな声は
いかにもキュレーターの職にふさわしい。
「時間厳守ね。こちらももうじき完成するわ」
画家は振り返って女を見た。逆光の中、黒くシルエットが浮かび上がる。
「おめでとうございます」
女が微笑んだ。
「この絵は……可愛いお嬢さんですね、赤い薔薇に囲まれて」
「ええ、娘のために描いたの。誕生日には薔薇を贈るって約束だったから」
画家は笑みを浮かべた。女手一つで育ててきた自慢の娘だった。
家庭に恵まれなかった画家にとって、娘はやっと手にした憧れであり、宝だった。
この子さえいれば、この子のためなら何でも出来る、そう思っていた。
「掌中の玉ですね」
もちろんそうだ。娘は、あの子は私の全て――だった。
「せんせい?」
ふ、と画家は胸に違和感を感じた。不安とも似た息苦しさに、目の前が暗くなる。
手にした絵筆がずん、と重くなった。
「せんせい、仕上げの署名がまだです」
画家は目を閉じ、両足に力を込める。女の声が遠くで聞こえた。
「署名をお忘れないよう」
「大丈夫ですか」
横から覗き込むように体を支えて、婦警が声をかけた。
「ええ、大丈夫。ちょっと目眩がしただけ」
彼女は気遣うように私を見て、ぎゅっと肩を抱きしめてくれた。
目の前、少し離れた被告席に男が立っている。目があった。
薄ら笑いを浮かべた男は、数え切れない前科を持つ性犯罪者だった。
「子供の方から誘惑してきたんだ、片親で身持ちの悪い母親を見て育ったから
遊ぶ金が欲しかったんだろう。殺す気はなかったんだ」
男が、まるで自身が被害者のような口ぶりで訴える。
何度も、同じ言い訳をしてきたのだ。
そして何度も、軽い罰で許されてきたのだ。
「刑務所に入りますよ、それでいいでしょう」
たった6才の子供を殺してすら、公平な裁きはなされないのだ。
私は立ち上がった。耐えきれずに法廷を出ると思った婦警が気づいて
制止する前に、被告席に駈け寄った。
手の中の銃を構える。
どこからか悲鳴が上がった。私は指に力を込めた。
――赤い薔薇がぱんと散った。これは娘へのプレゼント。
最後に間近で見た男の顔は、ぽかんと口を開けた間抜け顔だった。
数発撃ち込んで、最後に一発残したところで銃を口にくわえた。
制止する声が、駈け寄る足音が、うるさく響く。
すべて、終わったというのに。
目を閉じれば、愛おしい娘の姿がイーゼルの横にぽつんと見える。
「もうちょっと待っててね、署名をしたら一緒に行くから」
娘が笑った。私も微笑んで引き金を引いた。