1 :
ヤマさん :
2008/01/12(土) 16:09:15 ID:D/NKsRIo 前スレ: 日本の国語教育16 academy6.2ch.net/test/read.cgi/pedagogy/1187408731/ 日本の国語教育15 academy6.2ch.net/test/read.cgi/pedagogy/1184103933/l50 日本の国語教育14 academy6.2ch.net/test/read.cgi/pedagogy/1180907536/ 日本の国語教育13 academy6.2ch.net/test/read.cgi/pedagogy/1178202631/l50 日本の国語教育12 school7.2ch.net/test/read.cgi/edu/1175615438/l50 日本の国語教育11 school6.2ch.net/test/read.cgi/edu/1174100485/l50 日本の国語教育10 school6.2ch.net/test/read.cgi/edu/1172141385/l50 日本の国語教育9 school6.2ch.net/test/read.cgi/edu/1159967026/l50 日本の国語教育8 school5.2ch.net/test/read.cgi/edu/1154200287/l50 日本の国語教育7 school5.2ch.net/test/read.cgi/edu/1151425151/l50 日本の国語教育6 school5.2ch.net/test/read.cgi/edu/1147062237/l50 日本の国語教育5 school5.2ch.net/test/read.cgi/edu/1131541742/l50 日本の国語教育4 school5.2ch.net/test/read.cgi/edu/1126353198/l50 日本の国語教育3 school5.2ch.net/test/read.cgi/edu/1124978770/l50 日本の国語教育2 school5.2ch.net/test/read.cgi/edu/1123168191/l50 日本の国語教育 school5.2ch.net/test/read.cgi/edu/1017432781/l50
2 :
ヤマさん :2008/01/12(土) 16:12:44 ID:D/NKsRIo
文理系を問わず生産的な読解力と表現力、議論能力を培いうる 日本の母語の教育について語りましょう。
3 :
半さん :2008/01/12(土) 16:44:29 ID:3euheRI0
スレ立て乙です
4 :
ヤマさん :2008/01/12(土) 17:51:21 ID:D/NKsRIo
>>3 いや〜、苦労しました。
でも、いい経験になりました。(^O^)V。
5 :
半さん :2008/01/12(土) 18:18:24 ID:3euheRI0
>>4 戸惑うのは最初だけですねw
次回から楽勝ですから・・・
6 :
あ :2008/01/12(土) 18:32:13 ID:sUuk75gA
テーマがなきゃなんにもならんだろ。 日本語による新しいテツガクの書き方みたいなのなら勉強になるだろうか。 コンセプト ・漢語による意味合成に頼らない。 ・中学生でもイメージがうかぶことばを使う。 ・日本語としておかしくない文章で、原文がたとえ一文だとしても、二文にするなど として読める文(原文との対応性をある程度犠牲にしても) ぐらいだろうか。 とりあえず日本のテツガクといえばデカンショなので。 デカルトからやってみるか?
7 :
ヤマさん :2008/01/12(土) 18:44:08 ID:D/NKsRIo
>>6 デカルトって
(カントVSデカルト) と (朱子学VS陽明学)
って対比があったんじゃなかったっけ?
8 :
あ :2008/01/12(土) 18:47:54 ID:sUuk75gA
方法序説からスタートするのがいいんじゃね。 なぜなら、このスレの住民に一番欠けている意識だろうし。方法って何みたいなこともはっきりするに違いない
9 :
あ :2008/01/12(土) 18:52:47 ID:sUuk75gA
って英語版テキストを探してたら。
もう手をつけて完成してた。ので山形浩生版テキストできちんと読み取るに変更。
http://www.genpaku.org/dcart01/dcart10j.html >
第 1 部
分別は、人間のもつあらゆるものの中でも、もっとも平等に分け与えられている。
というのも、だれでもみんな、自分には分別がじゅうぶんに備わっていると思っているし、
その他のものについてはなかなか満足しない人だって、分別についてだけは、手持ち以上
にほしいなんて願わないのがふつうだからだ。
そしてこれは、正しいものを判断し、真実とまちがいとを識別する能力、つまりいみじくも分別や
理性と呼ばれるものが万人に平等だという証拠だと考えるべきなのであって、この点でみんなが
まちがっているということは、あまりありそうにない。
>
みんな俺は間違ってないと考える。だからみんなに考える力はあるっていうことを信じない人はい
ない。ってことをいってるよね。
もっとはっきりいえば俺は馬鹿っていったとしても馬鹿だといえる根拠をもって表明できる時点で
そういう考える力(理性というのは避けておこう)はあるってことだ。
だから、誰でも考える力はもっている。
10 :
あ :2008/01/12(土) 19:02:55 ID:sUuk75gA
> ということはつまり、こういうことも言えそうだ: われわれの意見が多様なのは 、別にもらった理性の分け前が人によって多いから起こるのではなくて、単に みんなの関心の対象がちがっていて、ものの考えかたもまちまちだからなのだ。 つまり活発な精神を持つだけでは不十分であって、いちばんだいじな要件というのは、 その精神を正しく適用することなのだ。最高の精神は、最高にすぐれた成果を挙げる こともできるが、同時にものすごくはずれていってしまうことだって、じゅうぶんに可能だ。 そしてとてもゆっくりと旅する者であっても、必ずまっすぐな道をたどるならば、走りはする がまっすぐな道を捨てる者にくらべて、ずっと遠くまで進むことができるだろう。 > ところでみんな考えられるのに、こんなに意見が違うのは、考える力の大小みたいなことでは ないのだろう。なによりも考え方というものがてんでばらばらだからだ。 考えられるという能力だけじゃだめで、それをどう使うか、何に使うか、どんな順序で使うかって ことだ。能力がどんなに高くても、ビルの向こうに抜けるのに、穴を掘りはじめちゃうんじゃ賢い とはいえないでしょ。 考え方さえ間違わなければ、せっかちに答えを求めるよりもずっとよいものを手にいれること ができるはずだ。 ってなことなんだけど…。ここまでの展開についてはつっこみどころがない。 人間とは悟性をもつ存在である。意識という牢獄に閉じ込められた囚人である。みたいないわれ 方をするけれど、これは考える力といものは人間であれば誰でももっているってことだ。 みたいな説明はわかりやすい。 その上でその能力の大小よりも考え方(道筋、方法、論理)の方が大事なのだ。ってことも どんなに直感がすぐれていて例えそれが正解でも、そこへ行く道筋が示せなければそれが答え とはいえないなんてことも当たり前のことにしておく方がいい。 デカルトって簡単にものをいってるんじゃね?
11 :
あ :2008/01/12(土) 19:14:33 ID:sUuk75gA
> というのもこのわたし自身だって、どんな点でも自分の精神が人並み以上に完璧だなどと思ったことがないのだ。 それどころか、思考のすばやさや、想像力の明晰さや独自性、あるいは記憶力の確かさやそれを思い出す素早さの点で、 ほかの人たち並の水準になれたらなあ、と願うこともしょっちゅうだ。そしていま挙げたもの以外には、精神の完成に貢献 するような資質はわたしには思いつかない。 というのも、われわれ人間をつくり、獣と区別する唯一のものは理性や判断力なのだけれど、わたしはそれが各個人の中に 、それぞれ完璧な形で見つかるものと信じているからだ。そしてこの点で、哲学者たちに共通意見を採用しておこう。かれら は、優れているとか劣っているとかいうのは、accidentsのみの間に適用されるものであって、同じ種の個体の形態や性質に ついて適用されるものではない、と言っている。 > ここでデカルトは、考えるということについて能力の使い方で分類している。 。思考のすばやさ 。想像力の明晰さ 。想像の独自性 。記憶力の確かさ 。記憶を引き出すすばやさ 注意深く心の働きを<思考><想像><記憶>の三つに分けている。 その上で判断するという力がどの人の中にも同じようにあると信じる立場であることを表明している。 つまりデカルトは、この三つの働きは<判断>ということにかかわって働くことで精神というものをかたちづくると 考えているから。 アクシデンツの意味は難しいね。これって偶然とか事件とか現実の結果みたいなものを挙げているのかな。 で能力の大小みたいなものは同じ種であればどんな個体でも同じ形態や性質をもっているという事実からみれば 小さいこと…なのか?(ここは意見が分かれるところだろう。デカルトの時代は種としての人間という概念が確立 しようとしていたときだから、差異よりも同質性の方が強調されがちだったのかもしれない。)
12 :
半さん :2008/01/12(土) 20:57:57 ID:3euheRI0
あさんも相変わらずツンデレ満開ですなぁw 哲学については何も言わないでおこう。 ただし、幾世紀にもわたって、非凡な人々によって探求されてきたというのに、 いまだにその領域で議論に片が付いたものは何一つないし、 だから疑問の余地のないものも何一つないというのを見ると、 自分がやってもほかの人より成功する見込みがあるとは思えなかった。 そしてさらに、教養ある人たちが掲げるたった一つのことについて、 真実は一つしかないはずなのに、矛盾する意見が山ほどあることを考えると、 まあそういう意見はどれも実は正しくなんかなくて、 「そういうこともあるかもしれない」程度のものでしかないんだな、と思ったわけだ。 >議論に片が付いたものは何一つない 今もそうかな? ま、せいぜい「可能性」止まりってことなんでしょうね
13 :
あ :2008/01/12(土) 21:29:04 ID:sUuk75gA
>>半さんへ あーテツガクっていうのは真理は一つじゃないということを論理的に証明する学問なんですよ。 デカルトは結果の違いを方法の違いに還元しているけれど。 まあ、方法序説を読むを最後までやってから、そのあたりは批判するべきでしょう。デカルトが とても賢いのはこの後につづく文章にに現れます。 小論文を勉強しなければならない学生に方法序説第1部から第2部はとてもよいテキストですよ。 (テツガクが今の形になったのは、考えるってことを科学とテツガクに分けたからなんです。) > とはいえ人生のごくはやい時期に、いまの方向に進めたのは、きわめて運がよかったことは真っ先に認めよう。 この方向にきたおかげで、いろんな考察や一般原理を検討し、そこから知識をだんだん補って高めていける(と思う) ような手法を編み出せたから。 わたしの才能は凡庸だし、人生も短いけれど、この手法を使えばその限界の中で到達できる最高点にまでたどりつけるのだ。 わたしはそこからすでにとてもたくさんの成果を得ている。我が身については慎み深くするのが常だけれど、哲学者の目で見 てやると、わたしの成果にくらべれば人類全体のいろんな分野や探求は、ほとんどすべてが無内容で役立たずに見えてしまう。 だから、わたしは、真理の探究で自分が達成したと思う進歩には満足しきっている。将来への期待もついつい高まってしまって いて、人の人としての職業のなかで、どれか本当に優秀で大事なものを一つ選ぶとすれば、それはわたしが選んだこの仕事だ と思うほどだ。 > ずいぶんとエバッテおりますが、能力はなかったけれどやり方がよかったおかげで私は自分の成し遂げたことに満足している。 その仕事は他の人の仕事に勝ってこそすれ、劣るものではないと。 この仕事(テツガク)はとてもよかったと。こう感想を書いているわけですよ。 ※実はデカルトが取り組んでいるのは、今のテツガクではない。科学とテツガクが分離する前のテツガクであり、そもそも、科学と テツガクが分離するキッカケを作ったのはデカルトなのだ。
14 :
半さん :2008/01/12(土) 22:02:09 ID:3euheRI0
>>13 解答は一つってテスト勉強やってると
真理は一つって錯覚起こしますけどねw
良いやり方を自分の能力の賜物と勘違いする例も
そう珍しくありませんねw
15 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/13(日) 00:14:20 ID:WRHEf5ch
誤訳をもとに、クルクルして何の得になるんだ? 山形って、英語はパーだろ。お前よりはマシだけど、ま、素人だ。 方法序説の英語版はネトで簡単に手に入る。かつて、教材として使えるかどうか検討した ことある。英語と突き合せることからどうしてしないんだ? それから、日本語訳は岩波文庫の谷川の新訳は非常に評価が高い。どうしてそれを使わんのだ? 一つだけ >そもそも、科学とテツガクが分離するキッカケを作ったのはデカルトなのだ。 ここを詳しく聞きたいなあ
16 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/13(日) 00:24:33 ID:WRHEf5ch
>アクシデンツの意味は難しいね。 白痴、乙 あ、これね、辞書を引いただけでは分からんと思うよ。ま、辞書も引けないんだろうが。 辞書って、せめてLDCEやOALDくらいは見ないといけないんだよ。 頑張って、シッタカしてくれ。もうちょっと様子を見るわ。
17 :
あ :2008/01/13(日) 06:12:01 ID:y3LL9a7N
見よ!これがかつてコンテンツに情報を提供してきたものの姿である。 人、これを荒らしという。 というわけで、華麗にスルー。
18 :
あ :2008/01/13(日) 06:25:38 ID:y3LL9a7N
せっかくSK2の出番を残してやったのに…ふりを 落とせない芸人はいらないんだよ。 アクシテンツは偶有性ってやつだよ。問題はこの偶有性というものを、きちんと日本語でわかりやすい ことばと対応させることなんだよ。 たまたま、身につけた、たまたま、手に入れた、あるいは、その個体が生活する中で習慣としてしまった とかあるんだろうが。果たして偶有性よりわかりやすいのか。って聞かれるとなあ。 まったく、ふりのわからん芸人はいらない! つまりあそこは 一見、同じ類であってもこんなにも生活ぶりが違うと思われても、それは成長する過程や生活の中でたまたま 身につけた特徴や習慣である。類としてもっている本質はどの個体でも同じくもっているのである。 ということになる。 ※我々はダーウィン以降の科学を知っているので、環境との相互作用そして世代的伝達なんてことを考えてしまうが、 デカルトはまったく、そんな知識を与えられていない時点で、これを語っていることを忘れてはいけない。 デカルトにとって類とは神が創ったものという前提があることを踏み外すとヘンテコな批判でデカルト批判は終わってしまう。 この後出てくる神がいるとかいないと神とは何かという問題についてデカルトはあっさり人間には不可知なものとして問題に することさえさけてしまう。(←こういうところがデカルトの賢さ。というかデカルトがいう方法の一つの実践。)
19 :
半さん :2008/01/13(日) 07:08:22 ID:0P/WWM7L
>>17 まぁまぁ
日本語訳で誤訳があれば猫さんも英文との対比で
ツッコミ入れてくれるでしょうし
それはそれで「一つ利口になった」と
儲けた感覚でいきましょうよ
デカルトの神に対する考えは
「下手の考え休むに似たり」ってことですかねぇ・・・
神抜きのもっと「わかりそうなこと」に目を向けたほうが
人生楽しいって述べてるような希ガス
20 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/13(日) 09:31:21 ID:WRHEf5ch
>アクシテンツは偶有性ってやつだよ。問題はこの偶有性というものを、 >きちんと日本語でわかりやすいことばと対応させることなんだよ。 さすが、後だしジャンケンの帝王だけのことはある。知らなかったとは言えない。 無理な言い訳も平気でする。 お前なあ、自分の知ってる領域だったら細かいことに実に執拗にこだわる。そのときは 必ず辞書の定義を持ち出してウダウダするんだよ。デカルトを読むときにその実践が全く ないのはどうしてかっていう本質的なことを問うているんだぞ。 用語として確立している「偶有性」に難癖を付けるんだったら、最初からそうするべきだっただろ? そもそも山形パーがカタカナで誤魔化しているんだから、ちょっとは考えるんじゃーないのか? で、その件の箇所には他にもトンデモばかりなんだけど、そこはスルーか? それとも文章はそのようにデタラメに読むのがいいっていうことか。 もっとも、山形の訳を読むようではもう話にならんと思うけど。 キャッチボールを楽しむためにはねえ、ほどよいボールを使ってほどよい距離で行うのが いいんだよ。エエカッコして無理して楽しいか?騙しが身についているから治せないんだろうけど。 それから、失敗したら言い訳ではなく「ゴメン」と笑顔で言おうな。 どんなに怒っている人間でも本当に頭下げて「ゴメン」っていうとそれ以上は怒れないもんだ。 集団から学ぶ、社会で知るってそういうことなのよ。一度試してごらん。損はしないから。
21 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/13(日) 09:40:12 ID:WRHEf5ch
1)再掲 >そもそも、科学とテツガクが分離するキッカケを作ったのはデカルトなのだ。 ここを詳しく聞きたいなあ 2)accidentsに関係して 山形訳 >> というのも、われわれ人間をつくり、獣と区別する唯一のものは理性や判断力なのだけれど、 わたしはそれが各個人の中に、それぞれ完璧な形で見つかるものと信じているからだ。 そしてこの点で、哲学者たちに共通意見を採用しておこう。 かれらは、優れているとか劣っているとかいうのは、accidentsのみの間に適用されるものであって、 同じ種の個体の形態や性質について適用されるものではない、と言っている。 >> とりあえず、このあたりから読むことをしたらどうだい? お前はお前の実践をここでやるんだぞ。もう言い分けはするな。「闘志」わかなくなるから。 オイラはオイラの読む「行為」をするから。 もとの英語との突合せをしたか?必要なら言ってくれ、ネトでは複数見つかるはずだ。でも どこも同じで定訳っていうものがあるんだ、英語には。
22 :
あ :2008/01/13(日) 10:03:54 ID:y3LL9a7N
キャッチボールの邪魔だから間を通るの止めてくれる? あと物事を順番どおりにできないっていうのはこのスレの住民の特徴なのか? この後出てくるがデカルトが述べている。俺のやり方ではそれは禁じ手ってこと になってるぞ。 というわけで、そこのぼんず向こうで遊んでな。 キャッチボールに入りたかったら、きちんと順番を待つんだな。 とりあえず壁にでもボールを投げてな。 ともかくそこ、邪魔だから。
23 :
あ :2008/01/13(日) 10:18:41 ID:y3LL9a7N
というわけで日本語で今読むデカルトを続けてみよう。
小論をやる人の勉強になるっていうのはこの方法序説のコンセプトそのものにある。
その前に横をうろちょろする小坊主のためにリンクをっと。
グーテンベルグプロジェクト
http://www.gutenberg.org/etext/59 そこでもいって勉強してこい。
>
とはいえ、わたしがまちがっていることもあるだろう。
ただの銅やガラスでしかないものを、黄金やダイヤモンドだと思いこんでいるだけかもしれない。
自分にかかわることについて、人がどれほど幻想に陥りやすいかは知っているし、友人の下す判断がこちらに好意的なときには、
かなり疑ってかかるべきなのも知っている。
でも、この著作では、わたしがたどってきた道を記述してみよう。
そして絵のようにわたしの一生を描き出してみよう。みんなが自分なりの判断を下せるように、そしてこの文章から得られるものに対してもたれるいろいろな意見から、
このわたしも自分がこれまで採用してきたやり方に対し、何か追加すべき方法を加えるための、新たな手助けが得られるように。
>
「とはいえ、」が続くのはいかんともこなれないけれど、まあ、あえて無視。もし、直すとしたら、とはいってもぐらいに微妙に変更をいれて
誤魔化すぐらいかね。
はい。ここ大事です。いいですか。デカルトは反論する相手に対して、自分がいかにしてこう考えるのにいたったかと自分がどう考えているかを
これから記述するのだ。と宣言してます。
小論を書くときはこのことを必ず考えておきましょうね。反論する人はいったいどこをつっこんでくるのか。
デカルトが気にしたことが何だかわかりますか?
始めに人にはだれでも考える力が等しくある。といって、その結果が違うのは方法が違うせいだ。と述べています。
じゃあどの方法が一番いいのかって話になるわけですが、デカルトは俺流でいく。俺流が一番だとは限らない。だけど、俺流で俺は
満足してる。どうして満足か説明するからよく聞けと。
「デカルトさんじゃあ最高の方法ってなんですか」と尋ねることを禁止したんですね。
(めちゃくちゃずるい仕掛けですが、これもまたアリです。読者の興味に応えることが筆者の仕事じゃねえ。って言い切ってる
んですね。小論でも俺の話を聞けという手は、しかし、いいですかきちんと読者がつっこみたくなるようなところにはきちんと
応えるからこそ使える手なんですよ。)
24 :
あ :2008/01/13(日) 10:26:19 ID:y3LL9a7N
> というわけで、いまのこの著作の構想というのは、理性を正しく執行するために各人がたどるべき手法を教えることではない。 わたし自身がそれを執行するときに使っている方法を記述することだ。 もちろん処方を与えようとする者は、それを受け取る側より高い能力を持っているつもりのはずだ。 そして個別の点でちょっとでもまちがえたら、非難を浴びることになる。 でも、この文章での記述はただの歴史というか、お望みならお話として書かれている、だからまねする価値のある例のなかに、 まねしないほうがいい例も見つかるかもしれない。 だけれど、これが一部の人には役にたって、だれも傷つけることなく、そしてこの率直さが、みんなに多少は満足してもらえると いいな、と思う。 > はいもっとはっきり宣言してます。というわけで=つまり。ってことですな。 デカルト「俺 参上」してます。はい。教えるってことは、全部わかってるってことにされて、ちょっとでも間違えると非難される。 はい。誰かさんに特に読んでほしいですな。(もちろん、わしも。だからこそ、つらいところだよ。) 最後の「いいなと思う」これ実は小論文で使っていい手法なんでしょうかね。 でありたいと願う。であってほしい。みたいな。しめかたって。今はどんなんでしょうね。その辺わかる人は情報をアップしておい てください。少なくともわたしの現場では、<あり>なので。 で方法序説が当時の学問語であるラテン語ではなく、フランス語(母語)で書かれているのもまさに、この部分を実現するため なんだそうですよ。女子どもでも読むし使うことばで書くというコンセプトなんだそうです。
25 :
あ :2008/01/13(日) 10:34:40 ID:y3LL9a7N
> 子供の頃から、わたしは文献に慣れ親しんできた。 そして、文献の助けを借りれば、人生で訳にたつことすべてについて、はっきりした確実な知識が得られると思いこまされてきたので 、教育を熱心に求めたものだ。 でも、講義のすべてを終えたとたん、教養ある人物の地位に普通は認められるはずのものが終わったとたん、わたしはがらっと意見を変えた。 というのも、気がついてみると、自分があまりにたくさんの疑いやまちがいに囲まれていたからだ。 おかげで、自分の無知を悟るたびに行う発見以外の点では、自分はまったく何一つ学習という点で前進していないのだと確信するようになってしまった。 それでも、わたしが学んでいたのはヨーロッパでも最高とうたわれる学校で、教養ある人がいるなら、ここしかないと思えたところだ。 わたしは、他のみんなが教わったことをすべて学んだ。 さらに、教わった学問に満足できなかったので、手元にきた本はすべて読み尽くしたし、えらく風変わりで珍しいと思われている分野も相手にしてみた。 ほかの人たちが、わたしのことをどう判断しているかも知っていたし、自分が同期にくらべて劣っているとは思われていないのも知っていた。 もっとも、中にはすでに教師たちの任にとってかわるべく選出された者もいたけれど。 そしてわれわれの時代は、それに先立つどの時代とくらべても、強力な精神を輩出するという点で、全体としてまったく劣るものではないように思えた。 というわけで、わたしはほかのあらゆる人物を、勝手ながら自分一人で判断させてもらった結果として、わたしがそもそも信じさせられたような性質を持 った学問というのは、実はまるっきり存在していないのだと結論するしかなかった。 > 長いですね。あえて長く引用しましたよ。ここがね。切れないところだからですね。 デカルトが求めていた学問。極めれば、謎がなくなると信じていた学問。そういうものが「ない」ということに気づいたんだそうですよ。 まず彼は本にそれを求めました。 そして、本を読み討論し知識を積み上げている大学=学校で経験をつめばもっとよくわかるだろうとまあ最高の最高学府までいって 人よりも勉強したし、学ぶものなんかないぐらいにがんばった。 けれど、目の前にある疑問がさっぱりわからない。あれ。確かにことばや知識はたぶん人よりもいっぱいあるはずだ。それに、過去 に立派な仕事をなしおえた人々のいる時代とくらべて今の方が劣っているとも思えない。 本も学校もあてにはならない。 って結論をデカちゃんは出しちゃったんでっすね。「俺」ですよ。「俺」
26 :
あ :2008/01/13(日) 10:43:36 ID:y3LL9a7N
> それでも、学校での学問への敬意をなくしたわけではない。 そこで教えられる言語は、古人の書いた著作を理解するのに必要だというのはわかる。 寓話の優雅さは心ときめくものだ。歴史上の印象的なできごとは精神を高めてくれるし、注意して読めば、判断力の形成にも役立つ。 すぐれた本を読み込むのは、それを書いた過去の最高の偉人たちの話をきくようなもので、しかもただの話ではなく、その人たちのえり 抜きの思考だけを伝えてくれる。 雄弁は比類なき力と美しさを持っている。 詩は、すばらしい優雅さとよろこびをもたらす。 数学には、探求心の旺盛な者を満足させるにじゅうぶん足るだけの洗練された発見がたくさんあって、しかもそれは人のあらゆる技芸を 進歩させ、人々の労働を減らせるものだ。 道徳律には、美徳について無数のとても役に立つ知見や訓戒が含まれている。 神学は天国への道を指し示す。 哲学は、あらゆる事柄について、真実ぶった対話を可能にしてくれて、単純な人々の崇拝を獲得できる。 法学や医学などの科学は、それを探求する者たちに名誉と富を確保してくれる。そして結局は、このすべてに少しは関心をはらっておくといいだろう。 なかにはえらく迷信やあやまりばかりの分野もあるけれど、でもそういうのを見ておけば、その真価も見定められるし、だまされないようにすることもできるわけだ。 > なんかいっぱいいいわけをしてますね。「俺」っていった後、でも学校での勉強も大事だよ。たとえば…ですって。 率直っていう書き方でしょうかね。まあ、こんな書き方でも小論ならOKだと思います。 ラテン語の勉強は、本を読むのには役に立つんじゃね。 本を読むのは楽しいしぃ。 スピーチの勉強は人々を感動させるっていうのがいいじゃんね。 詩はサイコー。 数学はさ、すけえ面白いし役に立つ。(←デカルト、もう両手上げて拍手してますから。これ伏線になってます。) 道徳はさ、まああれだ、えらいっていわれるためには勉強しておけ。 神学、天国へ行ける。(行けないっていうの?キミは?) テツガク、詐欺。 法学、医学、だまされないために必要なんじゃね。 これって誉めてるの?まあ俺は全部きちっとやった上で話すからね。そこんとこよろしくってことなんでしょう。数学に対する テツガクの評価の低さは笑っちゃいますね。
27 :
あ :2008/01/13(日) 10:51:44 ID:y3LL9a7N
> でも、もう言語にはじゅうぶん時間を割いたし、 古人の著作や歴史、寓話も、やるだけやった気がした。というのも、ほかの時代の人たちと対話するのは、 旅行するのとほとんど同じことだからだ。ほかの国の習慣をある程度知るのは、役にたつ。自分自身の国 についてもっと正しい判断ができるようになるし、自分たちの習俗に反するものはすべて変てこで不合理だ、 などという考えちがいをしないですむようになるからだ。こういう考えちがいは、経験が自国内に限られてい る者からくることが多い。でも一方で、旅行ばかりに時間を費やしていると、自分の国で異人となってしまう。 それに、過去の習俗ばかり気にしている人たちというのは、だいたいはいまの習俗には無知だったりする。 さらに、創作著述は、不可能なことを可能だと思わせてしまう。 そして、どんなに忠実な歴史でも、できごとを完全にねじまげたり、とりあげる価値を高めるためにその重要性を 誇張してみたりすることだってあるし、そうでなくてもその場の状況でいちばん都合が悪かったり、あまり印象の 強くなかったりするものは黙殺してしまう。だから、そういう源から導かれた前例をもとに、自分の行動を律する人 たちというのは騎士道物語のロマンスの派手派手しさに陥って、自分の力にあまるプロジェクトに手をだしたりする ようになる。 雄弁は高く評価していたし、詩学にも夢中になった。 でも、どっちも学習の成果というよりは才能の問題だと思う。同僚のなかで、とっても高い理性を持っていて、自分の 考えを、はっきりわかりやすい形で、上手に表現していた人たちは、自分たちの主張の正しさで他人を説得するのが 上手だったけれど、かれらはlower Brittanyのことばでしか話せず、レトリックの規則にはまったく無知だった。そして 頭が心地よい空想でいっぱいで、それを見事な飾りと調和でもって表現できる人たちは、詩学のことなど何も知らな くても、やはり最高の詩人たちなのだ。 数学にはなかでも夢中になった。 その論理展開の確実さと実証性という点で。 でもそのころは、その真の使い方についてはっきりとは知らなかった。 そしてそれが、機械工学の進歩にだけ貢献すると思っていたので、これだけ強固でがっちりした基礎の上に、もっと壮 大な建造物がつくられていないのには驚いた。 その一方で、古代の道徳家たちの考察を見てみると、これは砂と泥まがいのいい加減な基礎の上に建った、そびえ立 つ壮大な宮殿みたいなものだ。この人たちは、美徳というのをとても賞賛して、地上のなによりもそれが気高いものだと 書きたてる。でもその美徳についてのまともな評価尺度は与えてくれないし、えらく立派な名前をつけているものを見る と、ただの無気力や高慢や絶望や親殺しだったりすることがしょっちゅうある。
28 :
あ :2008/01/13(日) 10:52:47 ID:y3LL9a7N
神学は崇拝したし、天に到達しようとしてほかのみんなと同じように努力はしてみた。 が、その道は、最高に教養ある者にも、まったく無知なる者にも等しく開かれていることを確実に理解するに至り、 さらには天国にいたるものとして明かされた真実が、われわれの理解を越えていることがよくわかったので、それを わたしの無力な理性の対象にしようなどという気は起きなかった。 そういうのをちゃんと検討するには、天国からの特別な助けが必要なのだと思う。そして、人間以上のものにならなくて はならないのだろう。 哲学については何も言わないでおこう。 ただし、幾世紀にもわたって、非凡な人々によって探求されてきたというのに、いまだにその領域で議論に片が付いたもの は何一つないし、だから疑問の余地のないものも何一つないというのを見ると、自分がやってもほかの人より成功する見込みが あるとは思えなかった。そしてさらに、教養ある人たちが掲げるたった一つのことについて、真実は一つしかないはずなのに、矛 盾する意見が山ほどあることを考えると、まあそういう意見はどれも実は正しくなんかなくて、「そういうこともあるかもしれない」程 度のものでしかないんだな、と思ったわけだ。 それ以外の科学となると、みんな原理を哲学から拝借しているということから見ても、そんな貧相な基礎のうえにまともな建物が 建てられるわけがないと判断した。そしてそうした分野が掲げる名誉も富も、その道の探求を決意させるほどのものではないと思 った。というのもありがたいことに、わたしは科学を商売にしてお金を儲けたりしなくてはならない立場ではなかったから。そして名 誉も、皮相的なものだなんて言わないにしても、空疎な肩書きだけから得られるような名誉なんか、大したものとは思わなかった。 そしてインチキ科学については、じゅうぶんに値打ちがわかっていたので、錬金術師の仕事や占星術師の預言、魔術師のおどしや、 知りもしないことについてきいたふうな口をきく連中の大風呂敷にだまされるようなこともなかった。 > 俺はきちんとやりました。ってことですね。でここで注目すべきことは学問を建築に例えていることです。 数学は立派な土台があるけれど、上には大した建物が作られていない。他は立派な大建築だけれども、風が吹いたら 倒れそうな土台の上に立っている。(つまりごてごて飾っているだけだ。)ってところですね。 ※注意 ここで科学とよばれているのは現在のサイエンスではなく、錬金術や占星術などのこと。
29 :
あ :2008/01/13(日) 10:59:13 ID:y3LL9a7N
カランカラン。 休憩。 (本から勉強したことは役に立たなかったっていいながら本を書いてるし…デカちゃんたら… ハッ。そうかだからこれは真実を語ってるんじゃねーぞと前フリを一生懸命してんのか。 面白がっておくんなさいと。でも。デカちゃん、大して面白くないんだけど。 ま、ま、当時の人はどうだかな。まあそういうことしておこう。)
30 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/13(日) 11:30:44 ID:WRHEf5ch
小論では、課題文を曲解して妄想にふけることは厳しく禁じられています。 最近は英語で課題文を読ませる場合もあるから英語が読めることも大事ですし。 サイトを出してこけおどししないで、チラ見した程度で分かることからだけでも 検証することがどうしてできないんだろうね。 作文を小論だと勘違いしているものは点数が低い。 だから作文を語りたいのなら、原稿用紙の使い方みたいなことでお茶を濁すことが賢明だろう。 自分にあったボールと距離が分からないというは困ったことです。
31 :
茶々 :2008/01/13(日) 11:52:13 ID:UTDj4VUc
あ、華麗にスルーw
「ヤル気ねぇ」「闘志わかねぇ」とわざわざ書き込みに来る猫も猫だが、
>>21 「そもそも、お前が使ってるその訳、ちょっと変だから、もうちょい吟味しようぜ」に対して
>>22 「そんなの関係ねぇ」
はないだろw
32 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/13(日) 12:04:58 ID:WRHEf5ch
☆ 山形訳のまずさから分かる読解を支えるものとは
該当する英文
>>
for as to the reason or sense, inasmuch as it is that alone which constitutes us men,
and distinguishes us from the brutes, I am disposed to believe
that it is to be found complete in each individual; and on this point
to adopt the common opinion of philosophers, who say that the difference of greater and less
holds only among the accidents, and not among the forms or natures of individuals o
the same species.
>>
山形訳
>>
というのも、われわれ人間をつくり、獣と区別する唯一のものは理性や判断力なのだけれど、
わたしはそれが各個人の中に、それぞれ完璧な形で見つかるものと信じているからだ。
そしてこの点で、哲学者たちに共通意見を採用しておこう。
かれらは、優れているとか劣っているとかいうのは、accidentsのみの間に適用されるものであって、
同じ種の個体の形態や性質について適用されるものではない、と言っている。
>>
谷川訳(ただし、谷川はフランス語原典からの訳としている)
>>
「というのも、理性すなわち良識が、わたしたちを人間たらしめ、動物から区別する
唯一のものであるだけに、各人のうちに完全に具わっていると思いたいし、その点で
哲学者たちに共通の意見に従いたいからだ。哲学者たちによれば、理性の多い少ないは、
同じ『種』における『個体』の『形相』すなわち本性によるのではなく、『偶有性』どうし
のあいだにあるだけである。
>>
谷川は or をすべて「あるいは」とする。このレベルは英語がかなりできない人間のやることだ。
谷川訳のように「すなわち」と訳すべき場合の方が多い。good sense = sense は「良識」という訳語
にするべきだ。これは用語としては確立している。それを採用しないなら、それ相当の理由というものが
必要だろう。倫理の教科書をはじめ、異論があるとは思えない。試験でも問われるものだ。
bon sens(フ)bona mens(ラ)は「良識」である。
小論において、このような部分で無知をさらけ出し強弁に終始することをまず第一に戒めるべきだろう。
「哲学者たち」としていることをまるで無視した理解というのも何か知的に基本的欠陥を感じさせる。
これはスコラ哲学者たちのことであって、英語のformとはアリストテレスの「形相」に相当する確定した
用語である。このform「形相」の理解など「あ」にはまるで関心がないようだけど、非常に重要なんだよね。
谷川訳「『形相』すなわち本性」というのが正解で、形相とは”形態・外観”ではない。
ウィキより
>>
アリストテレスはまた、「魂とは可能的に生命をもつ自然物体(肉体)の形相であらねばならぬ」と語る。
>>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E7%9B%B8 他も参照して敷衍したいがこれで後だしジャンケンの準備はできたとは思う。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/13(日) 12:06:29 ID:seyqMemw
富山県では違法マフラーとか改造車乗ってる男は 喧嘩上等の証っていう地元の暗黙のルールだよ。いつでも喧嘩上等らしいけどなにか?
34 :
茶々 :2008/01/13(日) 12:08:33 ID:UTDj4VUc
ところで、前スレの「短く書く」宣言はどうなったんだ? とりあえず、デカルトの当時の学問への不信感はよーくわかった。 で、何?君はそれでどうしたいの?どうしてその部分を引用したの? 最近は、その辺に関しては、「17世紀前半のヨーロッパで知的に生きるのって大変だったんだね」という風に言及されることが多いんだけど、 「本が役に立たなかったと言っているのに、自ら本を書くとはこれ如何に?」なんて言う人始めて見たから新鮮だよ。 デカルトの言う「本」って既存の学問の比喩だと思うんだけど。 学問を建築にたとえるなんつーのが、デカルトで大事なことなの?(朱子も似たようなこと言ってるけどね)
35 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/13(日) 12:23:18 ID:WRHEf5ch
訂正 × 谷川 は or をすべて「あるいは」とする。 ○ 山形 は or をすべて「あるいは」とする。 (続き) 「the difference of greater and less」のまずさも大きく減点されるものだ。 山形パー「 優れているとか劣っているとかいうのは」 谷川訳「理性の多い少ないは」 【解説】最初の as to the reason or sense,を無視するからこういうことになる。 the difference of greater and less(reason or sense)ということなんだね。greaterやless が比較級すなわち形容詞だということが分かれば後ろの省略を補って考えるくらいのことはしないとね。 英語パーはこういう基礎的な間違いを平気でしでかす。で、後で意訳とかなんとかむにゃむにゃするんだ。 文法的構文的なことにちょっと言及すると、また後だし言い訳が来ることだろう。 そのあたりも少々配慮することにしよう。 さて、この山形パーが小論において示唆的なのは課題文を正確に理解しない妄想文は 恥ずかしいだけでなく点数にならないということだ。デカルトが「哲学者たち」としている ということは読み手にそれまでの”常識”としてのスコラ哲学を 共有 した前提に立って 話していることの表明と理解しないとならない。これが一種の譲歩構文的な意味合いを多分に 持たせているということを同時に嗅ぎ付けねばならないのは言うまでもない。 読みの理解とは、まず第一にスキーマの駆動である。 スキーマがない、知性に欠ける、英語パーでは読めるわけはないのである。 そのパーをもとに妄想を垂れるのは、言うまでもなく白痴である。 こういう丁寧さからスタートすることが読解においても小論においても求められるのだ。
36 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/13(日) 12:27:46 ID:WRHEf5ch
>>31 登場が遅い!サボるなっていうのよ。
>「ヤル気ねぇ」「闘志わかねぇ」とわざわざ
だからさー、早く茶々してくんないと困るわけよ。つまらんから。
で、ちょっとマシな話しになって闘志が出てきたよ。
37 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/13(日) 12:47:48 ID:WRHEf5ch
「あ」パー アトランダムに >小論を書くときはこのことを必ず考えておきましょうね。反論する人はいったいどこをつっこんでくるのか。 お前がやれ >方法序説が当時の学問語であるラテン語ではなく、フランス語(母語)で書かれている ここへの言及はスキーマの駆動だな。これってオイラがここで言ったから知ってるだけだろw ま、それは見逃すとしよう。でもな、それを出すんだったら、理性が万人において等しく分配 されているという理論に対する一つの実践なんだとまとめると高得点になるんだよ。 >って結論をデカちゃんは出しちゃったんでっすね。「俺」ですよ。「俺」 独我論に持っていこうとw 様子を見まぁす >哲学については何も言わないでおこう。 とは修辞で、揶揄皮肉がいっぱい というあたりは小論で使おう! 「あ」パーは小論の指導したことないだろ?添削をしてるか? 大学入試レベルでも知らないんだろ?バイトで小論模試の採点したらどう? ま、採用されるかどうかは知らんけど。
38 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/13(日) 12:58:24 ID:WRHEf5ch
>>34 >「17世紀前半のヨーロッパで知的に生きるのって大変だったんだね」
後に続く部分で分かるんですが、デカルトって本や学校だけでなく国も捨てたんだね。
パトリ狂信者はそのあたりをどう思うんでしょうかね。
彼はフランス語で書いただけでなく、従軍もする。このあたりに愛国の意味を感じる、個人的には。
デカルトは「神は糞っ」ってだけ本当は言いたかったというのをどこかで読みました。
いや、本当に苦しかったと思う。
でも、頑張って更地にしてくれたのはすごいことだった。デカルト空間
均質無限な座標軸で神学的彩に一撃というのはなかなかできることではない。
39 :
あ :2008/01/13(日) 12:58:57 ID:y3LL9a7N
茶々さんへ 単にくだらない話し合いよりは 目の前に何か置かないと話が拡散しちゃうからですよ。 それで共通テキストを真ん中においてるわけ。 そこの小僧はあれだけ、原文主義を訴えてたのにフランス語訳をもってきて なんだかいってるけど、 だからこそ、そこちょっとヨケテっていってるわけよ。ほら、どんどん拡散して いくわけでしょ。 orがどうだってかまやしねえ。ってのが最初のアプローチなんで別に? ってことですよ。 ええ。コミュニケーションがうまくとれないときにはとりあえず、一つのものを おくしかないでしょ。
40 :
あ :2008/01/13(日) 13:00:45 ID:y3LL9a7N
>>38 順番抜かしちゃだめだ。
うーん
だから コギトまで いくまでの過程なんだからさ。文献学や歴史学を放り出したりして
俺いきついたのは…っていうのが方法序説なんだからさ。
41 :
あ :2008/01/13(日) 13:06:01 ID:y3LL9a7N
>>37 アトランダムは禁止すべき。キミのそういう思いつき語りすぎがよけい混迷してる。
えっとデカルトがフランス人なのは当たり前のことでしょ。
第一山形訳の最後に訳者一言が載っていて、重訳だけど大したことねえよ。
うんぬんと書いてあります。
だから読めって。
で読めっていうのがいやだから、一生懸命引用してるわけね。
これなら読まずにすっとばして何かいうなどということはできないだろうと。
でも、このスレの住民はまあ、読まずにすっとぼけたことを書き込みますよ。
半さんがテツガクはうんぬん。ってそれってだからデカルトがデカルト以前の
テツガクを評していってるわけで、デカルトは科学とテツガクを分けることに
よって、もともとテツガクってそういうものだっていうことにしたのよ。
って話になるし。
SK2はもはや読んでさえいない。単語レベルで批評してるよ。
42 :
あ :2008/01/13(日) 13:26:06 ID:y3LL9a7N
> こうした理由のため、年齢があがって教師たちの配下から抜け出せるようになるがはやいか、 わたしは完全に文献の学習をやめて、自分自身の知識以外や、世界という偉大な本の知識以外を求めるのはやめようと決意した。 その後の若い時期は旅行に専念し、宮廷や軍を訪ねて、いろいろな立場や地位の人たちとつきあって、さまざまな経験を集めた。 そして、運命がなげかけてくるいろいろな状況において自分の力を証明し、そして何よりも、自分の体験について考えてみることで、 自分を確実に改善しようとした。というのも、現実的な力を持たず、その人自身には何の利害ももたらさない(ただし、常識ばなれし ていればしているほど、虚栄心を満たす役にはたつのかもしれないけれど)、純粋に頭の中だけの事柄について、学者たちの理由 づけよりは、それぞれの人が個人的に利害関心を持っていることがらや、まちがった判断を下したらすぐに罰を受けるようなことが らについて行う理由づけのほうが、ずっと多くの真理を含んでいるだろうからだ。そういう現実の利害ある状況での理由づけのほう が、それをなるべく確実なものとするような慎重さと技を行使することが必要となる。さらに、わたしはいつも真実を虚偽から区別 する方法を知りたいと心から思ってきたのだけれど、それは人生の正しい道をはっきりと見分けて、安心してその道を進めるように なりたいと思ったからでもある。 確かに、ほかの人々のふるまいを考えることにばかり専念していると、ここにもはっきりとしたconvictionの基盤はほとんどなかっ たし、人々の見解も矛盾するものだらけで、哲学者たちの見解の矛盾ぶりと大してかわりはなかった。だからこうして行った調査の 最大の成果といえばこういうことだ:われわれから見ればとんでもなくキテレツに見えるようなことでも、ほかの大国では常識的に受 け取られて認められていることはたくさんあって、だから単に事例や習慣だからというだけでは、なにごとも真実だと思いこまないよ うにしようという決意を持てたのだ。こうしてわたしは、われわれの天性の知力を覆い隠し、理性にほとんど耳を傾けられなくしてしま うほど強力な多数のまちがいから、だんだん自由となっていった。でも何年かにわたって世界の本を勉強するのに専念し、そして経 験を集めようと努める中で、わたしはいっしょうけんめい自分自身を観察対象にしようと決意して、自分のたどるべき道を選ぶために 意識の全力を傾けようと決意した。これは、自分の祖国や本を捨てなかった場合にくらべて、はるかに大きな成功をもたらしてくれた のだった。 > 1章終わり。 文献から経験みたいなことをしてみた。正しいと「言われていること」から正しいと「感じていること(知っていること?)」への移行 ってことだね。 > そして何よりも、自分の体験について考えてみることで、 自分を確実に改善しようとした。というのも、現実的な力を持たず、その人自身には何の利害ももたらさない(ただし、常識ばなれし ていればしているほど、虚栄心を満たす役にはたつのかもしれないけれど)、純粋に頭の中だけの事柄について、学者たちの理由 づけよりは、それぞれの人が個人的に利害関心を持っていることがらや、まちがった判断を下したらすぐに罰を受けるようなことが らについて行う理由づけのほうが、ずっと多くの真理を含んでいるだろうからだ。 > ここだね。
43 :
あ :2008/01/13(日) 13:26:42 ID:y3LL9a7N
二つの理由づけについて述べている。一つは学者が行うもの。もう一つは市井の人々が行うもの。 前者は、虚栄心を満たすために行われる。後者罰せられるたり、損をしたりするのを避けるためにために行われる。 前者は、純粋に頭の中だけにしかない事柄について行われる。後者は、利害、判断について行われる。 ってことでデカルトはしばらくの間、後者を中心に観察するってことにしたわけだ。 それは現実的な力を得ることだって…それって権力ってことなのかなあ。もっと単純に知は力ぐらいのことなのかなあ。 それはこれだけでは決めることができないなあ。 でもってその結論はこうらしい。 > われわれから見ればとんでもなくキテレツに見えるようなことでも、ほかの大国では常識的に受け取られて認められている ことはたくさんあって、だから単に事例や習慣だからというだけでは、なにごとも真実だと思いこまないようにしようという決意 を持てたのだ。 > 当たり前ですか。当たり前ですね。 真実=普遍性ってことなら、そりゃそういうしかないでしょうね。ローカルな正しさだけで は真実ではないってことにはなっちゃう。 だからデカルトはフランスではみたいな考え方は止めたって書いてあるわけよ。実際に行動としても余所で暮らすという選択 をしてる。 で 第二章はドイツで軍と一緒に行動していたときの話から始まります。いったわけは内戦でごちゃごちゃしてて面白そうだった から。…大哲学者があけすけにそういってます。はい。
44 :
あ :2008/01/13(日) 13:28:13 ID:y3LL9a7N
大事なことを落としていた。 学者とくらべてましかなと思った。市井の人々もやっぱり同じくらい出鱈目だった。ってデカルトはいってるね。
45 :
半さん :2008/01/13(日) 13:36:33 ID:0P/WWM7L
>>40 「我思う故に我あり」ってのは
「南無妙法蓮華経」のごとく小学生のころから耳にしてましたから
ネタバレ上等で読み進めることが出来ますが
初版当時の読者の中にはブチキレた方もいたりしてw
ブルターニュ南部あたりの方なんか「散々引っ張ってこれかよ〜」
ってボヤきがあっても不思議はない結論だと思いますがw
46 :
半さん :2008/01/13(日) 13:45:15 ID:0P/WWM7L
>>44 出鱈目だろうが一度レールに乗っかっちゃうと
路線変更は難しいってことでしょうかね
47 :
あ :2008/01/13(日) 13:47:28 ID:y3LL9a7N
>>40 いやあ。それがね。どうもね。思われてることと違うんだよね。
同じフランス人のデリダが結局 Juってことばってだけだ。みたいな切り返しを
デカルトが本当に考えたことを分かってやったわけだけど。
なにしろデカルトの思考は神を否定しないからね。キリスト教の神じゃないよ。
アインシュタインが神はサイコロ遊びはしないって言ったとき、頭の中にあった神ね。
おそらくデカルトは神というときに(キリストじゃないよ)って思って使ってたろう。
神と魂の存在証明なんかを読むとこの神って結局、万能で普遍だが、まったくの
孤絶にあるんじゃねーの。とか思う。
キリストであるとすれば…あの証明は使えない。
まあ、コギトも出てくるでしょうから順番にゆるゆると行くべきでしょうな。
で山形の文章の方がSK2より的確でしかもためになります。
http://www.genpaku.org/aozora.html#rights 青空文庫について
とくに(2)が。
そんでわしも方法序説かよってところでしょうね。デカンショですからね。
48 :
半さん :2008/01/13(日) 14:03:53 ID:0P/WWM7L
>>47 山形の主張は納得ですね
極端な誤訳がなければ特に不満はないっすw
49 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/13(日) 15:11:32 ID:WRHEf5ch
無常無常無常 はどこ行った?? >諸行無常 >日本の古いものは、ことばがちがうのでそのまま読めないこと >日本の当時の気分を描いたようなものはあっても、いまに至るものの考え方を決定的に変えたと >思えるものがないこと。 >これは結局は、ぼくたちの文化がやっぱりローカル文化だ、ということでもある。シナ文化の >ローカル文化だったり、欧州文化のローカル文化だったり。それはとってもくやしいといえば >くやしいんだけれど、でも、そこを無視して話は進まない。なんか、そういうことだ。 >それを脱することができるか? こんなことを考えること自体、いかにローカルな >田舎者かというのを物語ってはいるのだけれど。 って、いつから宗旨替えしたのかな? いつまでもフラフラやねえか
50 :
ヤマさん :2008/01/13(日) 15:23:36 ID:zN1VA9/y
>>49 ふらふらするもんでしょ、人間って!
忠ならんと欲すれば孝ならず。
孝ならんと欲すれば忠ならず。
51 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/13(日) 15:47:11 ID:WRHEf5ch
証明の問題点とは循環論法だということなんだが、くだらんことでまたムニャムニャで 次は後だし言い訳
52 :
あ :2008/01/13(日) 15:52:26 ID:y3LL9a7N
>>49 やっぱり読めてない。
なあ。本当にきちんと読もうよ。
山形が批判されたらいつも丁寧に対応(どういう丁寧だ。)してるが、そのほとんどが
<きちんと読めてない>ってことの説明で始終してる。
(ほとんどであって全部ではない。だから山形はすんませんでした。と大きな文字で記載し
自身のHPでそれを削除することはない。)
>
ところが日本の場合だとどうだろう。「方丈記」はすばらしいとか、「枕草子」が、諸行無常のなんとか、というのはある。
でもそれは思考への影響というより、もっと感性として日本チックねー、というものじゃないか
>
たぶんからんでくるだろうと思ったが…きちんとここを上げてこないところが、SK2.
ちょっと悲しい。
ここを上げたら、感性と思考を切り離して考えることはできないよ。山形にもそうつっこみをいれておく
っていうのに…。
なんで大笑い。
53 :
あ :2008/01/13(日) 15:55:36 ID:y3LL9a7N
その上でわしへの批判としても山形の方が遥かにキミより 上出来だ。ってことだよ。 何とちくるってんの?キミのは日本語じゃないもの。
54 :
あ :2008/01/13(日) 16:02:37 ID:y3LL9a7N
デカルトの神の証明を茂木が読んだら。 クオリアと叫んだことだろう。実際、第1証明はクオリアのことだ。
55 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/13(日) 16:05:05 ID:WRHEf5ch
>>52 >ここを上げたら、感性と思考を切り離して考えることはできないよ。
やっぱり出たw
その路線でどうぞw
山形はその日本チックねーをお前のように価値あるものとしてるのか?
よく読んだ方がいい。
>感性と思考を切り離して考えることはできないよ。
ここを詳しく
56 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/13(日) 16:06:44 ID:WRHEf5ch
>デカルトの神の証明を茂木が読んだら。 >クオリアと叫んだことだろう。実際、第1証明はクオリアのことだ。 誤魔化すな 神は真理普遍でクオリアか?w どんどんずらして汚す
57 :
あ :2008/01/13(日) 16:08:27 ID:y3LL9a7N
また、内容がないことを話がズレるからそんなことはしません。 そんなことをするから、いつもグダグダになるのです。 山形とならやってもいいが、キミとはただの罵倒を聞くだけになるので(しかもセンスのない。) やりとりはしません。 少しはセンスが出てきたら考えてもいいが。今のところあんなところを引用する時点で落第。 相手になりません。 山形並になってから帰ってくること。
58 :
あ :2008/01/13(日) 16:19:50 ID:y3LL9a7N
デカルトの神秘体験などデカルトとクオリアについての考察は 茂木のブログでどうぞ。
59 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/13(日) 16:27:30 ID:WRHEf5ch
なんだ、結局一方的に妄想を垂れ流したいだけなのか。 神がクオリアっていうのはお前がここで口にしたんだから、それと真理とどう 結びつくか、お前の説明がいるだろうっていう当たり前の話なんだけど。 >感性と思考を切り離して考えることはできないよ。 ここを詳しく。
60 :
あ :2008/01/13(日) 16:38:32 ID:y3LL9a7N
> 第 2 部 そのころわたしはドイツにいた。 まだ当時はドイツ国内の戦争が終わっておらず、それに惹かれたのだ。 そして皇帝の戴冠から軍隊に戻ろうとしているところで、冬がやってきて ある地域にとどまることになってしまったのだけれど、そこには興味を覚 えるような集団もなく、また心配や劣情などにも運良くじゃまされることが なかったので、丸一日を他人と接触なしにすごせ、自分自身の思考にだ け関心を向けるまたとない機会が得られた。 そういう思考の中でまっさきに思い浮かんだのは、一人の工匠の手によ って完成したものにくらべて、いろいろな手が加わった、さまざまな異なる 部分からできた作品は、完成度が低いのが常だということだった。つまり 一人の建築家が計画して施工した建物のほうが、数人が改善しようとし て古い壁を最初の意図とはちがった用途に使ったりしているような建物に くらべ、優雅さでも便利さでも勝っていることが多いのだ。そしてまた、最 初はほんの小さな村だったのが、時間がたつにつれて大きな町になった 古い都市というのは、プロの建築家が平原に自由に計画した、規則正し く作られた町にくらべて、レイアウトがまずいのがふつうだ。古い都市の建 物のいくつかは、新しい都市のものに匹敵するかそれ以上の美しさを持っ ていることもある。でも、それがいい加減に並べられて、こっちは大きくあっ ちは小さくという具合で、それに伴って通りも曲がったり不規則になったりし ているのを見ると、こういう配置をもたらしたのは、理性に導かれた人間で はなく、偶然にちがいないと宣言するしかない。そしてそうはいっても、いつ の時代にも、個々の建物が公共の美観に貢献するよう監督するのが仕事 のお役人がいたことを考えると、他人の材料だけを使って高い完成度に到 達するむずかしさはよくわかるだろう。 > 2章の最初はわかりずらい自伝的に書くといっておきながら、このころのヨー ロッパ史的なことがらが読者もわかってるっていう前提で書かれてるからだ。 まあ事実の追求は歴史家にまかせておくとして、わたしは放っておくことにする。 ここで押さえておくべきことは、デカルトという人は若いとき、わざわざ、混乱や 紛争や闘争が営まれる現場に自ら進んで飛び込んだという事実だけでいいだろう。 でそこでも人間の判断力っていうものがいい加減にしか使われていない。それぞれの ローカルなルールで誤魔化している。っていう結論しか得られないっていうのがなんだが それでどうしたのっていうのが第2章ですよ。っていう書き出しです。 結構、論議を呼ぶのが、建築も都市も一人の人間のアイデアでずっと通したものの方が まともだみたいな比喩ではないかと。 これ、今書きたら、書き方によってはすごい反発をくらう内容ですね。 もちろんデカルトの場合はともかく、みんな、適当な方法で考えてるっていう考えがあった からこそ、混ぜモノなしという強調へ行くためにこのような比喩を使っているんですね。 設計士が現場監督も大工もやるっていうのは実質、ログハウスでさえ無理な話です。
61 :
あ :2008/01/13(日) 16:49:18 ID:y3LL9a7N
> 同じように、半ば野蛮な国からだんだんと文明国へ進歩してきた国は、法律もだんだんに定められてきて、 そのために個別の犯罪や紛争の痛みの経験からその法律が強制されるようになってきている。 そういう国では、コミュニティとして発足したときから、賢い法律制定者の判断に強いたがっていたような国に 比べて体制としての完成度は低いにちがいない。 したがって真なる宗教のconstitution、つまり神さまから下された戒律は、その他あらゆるものとは比較になら ないほど優れているはずだ。 そして人間のことを語るにしても、スパルタがあれほど繁栄したのは個々の法が特によかったわけではなく( というのも、その多くはかなり変てこで、道徳的に反するようなものすらある)、それがすべて一人の個人によ って起草されたために、同じ一つの目標に向かっていたということからくるのだと考える。 > 今度は建築や街づくりから国を比喩に同じ目的で書かれることが大事だと思うと。テーマは一つってことですな。 小論もテーマ(言いたいこと)は一つに無理やりでもいいからすべきです。でないと誰かさんみたいにとっちらかって しまいます。 中身について 後発国 先進国っていう区分けで比較しております。 後発国は法で縛る。 先進国は法の運営で縛るみたいなことが言いたいのだと思いますが訳がはっきりしてません。 でもって結論は人間が作った法よりも宗教的な戒律の法がまだ立派であると。 でどんなにヘンテコな法律であっても目的が統一されていれば用は足りると。だから一人でやった方がまだまし。
62 :
半さん :2008/01/13(日) 16:55:09 ID:0P/WWM7L
>>61 独裁が吉って意味ではないですよね
やっぱ
63 :
あ :2008/01/13(日) 16:55:13 ID:y3LL9a7N
> 同じように、本に書いてある学問(少なくとも、実例に基づかずに、可能性としてありそうな理由づけだけに頼っているものも)は、 いろいろ異なる人たちの意見の寄せ集めになっている。 だからまともな感覚の持ち主が、自然で偏見のない判断力を使い、経験を尊重しつつ導き出す簡単な洞察に比べれば、真実から 遠ざかっていると思った。 そしてわれわれみんな、子供時代から大人へと移行しなければならず、そしてかなり長いこと自分たちの欲望や教師たち(かれら の伝えることは、しょっちゅう矛盾していて、しかもわれわれに最良のものを伝えるようにはなっていなかった)の監督下にあったわ けだ。 もしわれわれの理性が生まれたときから成熟していて、ずっとそれだけに導かれていた場合に比べて、そういう影響にさらされてき たわれわれの判断力は、正しくもなければ確固たるものでもなかろう。 > そんなこんなで、わしらの判断なんてものはもう混ぜ物だらけだ。 もしも、そんな混ぜ物をしないでこれたらもう少しまともだったのに。みたいなことですな。 本は○○がこういっている。ってな話ばっかだし。(実際その通りだった。アリストテレスの本を読んでないのにアリストテレスの○ ○によれば…みたいな。アリストテレスがいうのだから間違いないみたいな感じだったのだ。) あと注目すべきは欲望は理性を曇らせるってデカルトが思ってるってことがわかるね。 一人になるってことが考えるってことには大事だっていうつながりへ、どんどん進んでいきますよ。
64 :
半さん :2008/01/13(日) 16:58:21 ID:0P/WWM7L
>>63 デカルトの時代から100年くらい時が経てば
ゲーテが全てのことを言うでしょw
65 :
あ :2008/01/13(日) 16:59:20 ID:y3LL9a7N
デカルトのときは愚かな合議主義・共和主義よりも、確かな確信のあるリーダーシップが求められた時代なので たぶん独裁=悪という概念はなかったはずです。 とくにノーブルなんちゃらが求められたヨーロッパでは、そういう存在は常に求められております。 独裁だから悪なんていうのは戦後民主主義を植えつけられた日本だけの感性でもあります。 (でも基本的に独裁は腐るから、やっぱり、よほど高い志がなければ悪になると思えますがね。) フランスではフランス革命のあとに粛清があったので、単純に共和制万歳とはいかないのですよ。
66 :
半さん :2008/01/13(日) 17:04:09 ID:0P/WWM7L
>>65 ノーブレス・オブリージですね
大きなお世話感もあるんで
ほどほどにしてもらいたいですな
日本に限らずアメリカさんも独裁はアレだと思ってるでしょw
67 :
あ :2008/01/13(日) 17:06:14 ID:y3LL9a7N
> しかしながら実際問題として、単に改築して街路をきれいに引き直したいというだけで街の建物を全部取り壊すようなことは しないのがふつうだ。 確かに、ときどき個人が、自分の家を新築しようとして古い家を取り壊したりすることはあるし、建物が古くなってきたり、基礎に ガタが出てきたりして、取り壊さざるを得ないことだってあるけれど。 こういうのを例として考えると、たかが一個人が国家を根本的に変えてしまって改革しようとしたり、それを修正しようとしてひっく り返してしまうというのは、とても傲慢不遜だな、と確信した。 そして同じことが、科学の総体を改革しようという試みについても言えるだろうと思った。 あるいは、学校で確立された教育の秩序をひっくり返すような試みについても。 > 出ましたね。「しかし」 世の中混ぜ物だらけだまともな判断なんかありゃしない。 一人で考えた方がまし。世の中が一人の考えで…。 けれども…。 「けれども」ですよ。逆接ですね。事実としてそうなのだ。しかし、自分の家に合わせて町や国を作り変えたりするのは まともな考えじゃないそうです。 また、科学や学問全体を個人の考えでひっくりかえすっていうのも思い上がりだろう。 って…ええ? 弱気な伊集院君ですか。さっきはいいすぎた。みたいな。とりあえず、まあ、でもできることを考えてみようじゃないか。 みたいな話にトーンダウンです。はい。
68 :
あ :2008/01/13(日) 17:13:29 ID:y3LL9a7N
> でもわたしがその時点までに抱くようになった考え方についていえば、わたしはそれを一気に捨て去ってしまって、 後になってやっぱりもとのほうがよかったとか、あるいはきちんと理性の検討を経て、やはりあれは正しかったと認 められるような立場に身を置くのがいちばんいいだろうと思った。 若い頃に学んで信用していた原理原則に基づいて、古い基礎の上に積み上げていくより、こういうやりかたをしたほ うが、人生を統御するにあたってもずっと成功しやすいだろうとわたしは確信していた。 というのも、確かにこのやり方にはいろいろとむずかしいところがあるのは気がついたけれど、別にそれはどうしよう もない問題ではないし、公共的な政治がらみの改革にちょっとでも結びつくと思われることもあり得ないからだ。 > はあ、国だとか学問だとか衝突しそうなことはアレだけど。(面倒なんですね。デカルトくん。デカちゃん。はっきり いいなさいよ。気が小さいんでしょ。アンタ。なんですか、反論されたらめんどくさいしみたいな。) 世の中の判断はぐちゃぐちゃだ。混ぜ物だらけだ。だれかが全部決めちゃえばいいのに でも、それは大変なことだ。 だけどさ、 俺が勝手に納得するまで考えるっていうのはいいだろうと。 だから俺は全部とりはらって考えてみた。 ってことですよ。この小心もの的なところ。ここがデカちゃんを愛し理解しうる入り口ですね。 (実際はこの男の考えはとんでもなく革新的で大胆なものなのに、世間に対してはとてつもなくおよび腰。) 何か、考えじゃなくて存在から理解できそうじゃないですか。
69 :
ヤマさん :2008/01/13(日) 17:13:59 ID:zN1VA9/y
>>60 最後です。
づ⇒まず(d)押して,次に(u)を押す。
づ=du
です。
70 :
半さん :2008/01/13(日) 17:16:02 ID:0P/WWM7L
>>67 一度現行のキー配列に慣れると
新たなより合理的な配列には抵抗感があるでしょうしね
親指シフトも消えちゃったし・・・
ヨーロッパではアルファベットを用いたローマ数字から
アラビア数字に記数法を変更するだけでも
それなりに混乱があったんじゃないんですか?
71 :
あ :2008/01/13(日) 17:18:50 ID:y3LL9a7N
わかりずらい。 わかりづらいね。 漢字で書けばよくわかるのか。 手で書けば間違えないのに不思議な話。
72 :
半さん :2008/01/13(日) 17:20:25 ID:0P/WWM7L
>>68 デカルトの時代といえば「魔女狩り」全盛でしょ?
私でもガクブルでモノを言いますなぁ・・・
73 :
あ :2008/01/13(日) 17:21:12 ID:y3LL9a7N
単に発音上の問題だと思うよ。 俺 ひ と し とか いう なのか ゆうなのか とか結構、身につかなかった。 今はその原理を理解して、わかってはいるけれど そんなところでひょんと顔を出す。
74 :
半さん :2008/01/13(日) 17:22:31 ID:0P/WWM7L
>>69 ヤマさん小説書くより
校正のほうが向いてるのでは?
75 :
あ :2008/01/13(日) 17:31:51 ID:y3LL9a7N
ガリレオはやっちゃってますからねえ。 あの事件もデカちゃんをびびらしたらしい。 デカちゃん流にいえば、大勢の人々は大抵は何が正しいかを判断するのではなく、 自分達が正しいことを何が何でも証明しようとする。ってことなんでしょうけどね。 で証明の仕方ができてないってことがデカちゃんにはとてつもなく恐ろしく感じられた ことらしいですな。 この方法序説の長い原題から考えると。
76 :
半さん :2008/01/13(日) 17:37:02 ID:0P/WWM7L
>>75 >自分達が正しいことを何が何でも証明しようとする。ってことなんでしょうけどね。
ま、そうでしょうねw
ガリレオは火あぶりにならなかっただけ
まだマシでしょ
77 :
あ :2008/01/13(日) 20:45:46 ID:y3LL9a7N
デカンショなので次はカントをやろうと思い純粋理性批判 Critiq of pure Reason (英訳) を探し当ててあるが、これがなんと600ページを越えるという超大作。 それはさすがに無理ですたい。日本語訳でやっても似たようもんだろう。 なのでとりあえず、山形におんぶでだっこ次はまったくとんでエチカか? とりあえずデカルトを最後までやるとしても。 カントはレジュメがかけない男なのかよ。
78 :
半さん :2008/01/13(日) 21:32:34 ID:0P/WWM7L
>>77 エチカも長いですね
最後のくだりにさしかかったら
最初の定理を度忘れすること必至です
79 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/14(月) 00:03:48 ID:mhMiUZAP
小論文の指導をされている方はおられますか。
かつては国立二次後期がメインだったようですが、今では医学部が小論・面接を必須と
としています。いわゆる難関大の問題だけではないですね。AOや推薦入試などでも
おなじみとなっています。以前は作文の域から出ないような安易な出題が多かったのですが、
最近はかなり程度の高い課題文を読ませて論じさせるものが多くなりました。
さて、みなさんは小論文に対してどのような認識をお持ちですか。実際にはどのような
指導をされていますか。ぜひご紹介ください。参考になる著書などもあげていただければ
幸いです。
私が考えていることをいくつかお話ししたいのですが、まずは著書の紹介から。
「小論文を学ぶ 知の構築のために」(長尾達也、山川出版社)
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/tatngo/ 以前にも紹介したことがあります。大学入試の分析と指導の体裁を取っていますが、
大学生や社会人でも十分に手ごたえのある本格的で異彩を放つものです。
「小論文は技術論では対処できない。小論文とは、それ自体が時代を映す鏡であり、
時代全体を鳥瞰する目(世界観)を持っていないかぎり到底書けるものではない。」
「あらゆる価値観が動揺しはじめている」
「高校生が素朴に考えつく考え方というものは、おおかた19世紀的(前時代的)
なものでしかない。ところが、当面の課題となっている小論文の問題というのは、
20世紀的知見に裏打ちされたもので、新しい学問を背景にして出題されている問題である
(小論文は、その意味で一つの時代的現象なのである)。」
「20世紀になって、知が大変貌した。」
「要は、近代の知の全体的構造を鳥瞰的につかめばーーーつまり古い考え方のどこがどう古いのか
がわかるようになればーーー小論文は書けるようになる。小論文の問題が近代のどういう
側面を問題にしているかを上の方から眺めて、その問題にふさわしい解答を少々学問的に
用意すれば良いだけである。」
このような説明を読むと何か気づくことがありますよね。
現代文への対応と全く同じだということです。石原千秋は現代思想の中で自分の立ち位置を
見定めるような思考の座標軸を持てと言っています。
この両者の意見は、実はスキーマ理論に合致するものなのです。
スキーマの駆動がなければ絶対に処理できないものです。演繹的に思考を積み重ねる方向を指差す
人は十分にスキーマを獲得した上での「破」なんですね。小論文で評価の高い個性(オリジナリティ)
とは異なっていることではなく、当たり前を踏み台にし、かつ懐疑するような精神からしか
生まれません。
長尾のいう「近代知の全体的構造の鳥瞰図」とは、近代とポストモダン(現代思想)の対峙をつかむこと
ことに他なりません。二項対立の乗り越えが現代思想の中核であるかのように言われますが、
それはまだまだ二項対立の圏内であるということの裏返しであることを示します。
80 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/14(月) 00:34:22 ID:mhMiUZAP
(続き) 私たちはものを見るとき無意識のうちにも相対化させています。つまり比較 しているということです。「彼は肥っているか」という問いに対し、よほどの デブでないかぎり答えに窮することが多いでしょう。とっさに答える場合も 頭の中では何か一つの標準体型のモデルみたいなものと比べているはずです。 「AさんとBさんではどちらが肥っているか」と問いをあらためるなら答えやすく なるはずです。 私たちは近代を知ることを現代思想から迫ることで分かりやすくなります。 その中で近代の意味や価値を再認識することもあるでしょう。同時に近代から 照射する光で現代の抱える問題を浮かび上がらせることも可能になります。 実は近代とは全く同じ運動によって誕生したのです。 デカルトは中世の神学的な彩りをしっかり把握しつつ懐疑することで空間の解放へ 向かいました。カントやヘーゲルもそうです。 さて、近代とポスト近代の二項対立の構図をどのように降ろしてくるか、そこが 臨床的な難しさとなります。医学部医療関係で出題される脳死や尊厳死などはもはや 古典的テーマとなっていますが、これが浮上するのはデカルト以来の「理性」の 問題につながります。万人に等しく分配され、独我論を支える理性は一方で脳死状態に ある人や胎児などを人間と見なさない考えを生みます(生命倫理学)。 最近では、クローンや再生医療などが”独我”自体を危機にさらすようになりました。 「我」の複数性です(今後数年はこのあたりが狙い目か)。物質的同一性ではなく、 精神や魂の問題に還元すると古典的テーマにまたたどり着くことになります。 これからますます迎える高齢化には対処できません。我々は長生きすると同時に 確実にぼける可能性が高くなるのです。理性の喪失に根拠付けられれば、姥捨て山が 解決策となってしまうかもしれません。 このような問題をひとつずつ丁寧に考えることをしておかないと限られた時間で 自分の考えを文章にすることはできません。できたとしても、それは作文であって 社会的共有を意識したものにはならないでしょう。 小論文のトピックなんて無数にあるでしょう。しかし、そこで考えさせようとすることは 意外と少ないようにも思います。考え方のポイント、あるいは問題となる急所は 整理できるのではないかと判断しています。そのような枠組みでもって、スキーマを 獲得できるように指導を早いうちからしておくことが大事だと思います。そのような スキーマは現代文や英文を読むときにも非常に力を発揮します。 クローンや再生医療と自己同一性の問題は大学入試の英文ではもはや流行りになりつつあります。 さて、「考え方のポイント、あるいは問題となる急所」の整理と枠組み作りは今手を付け始めたばかり です。何かヒントになるようなことがあればご教授ください。あるいは、他のことでも かまいません。少々長く吟じてしまったことをお許しください。
81 :
あ :2008/01/14(月) 07:12:34 ID:7UvejPt0
別講座も開かれたようだな。それはそれで結構。 (しっかし、馬鹿もいたものだ。問題の内容が高度である。高度な答えをしなければならない。←じゃあさ。なぜ空は青いの? って素朴な疑問は素朴な答えになるんだ?実はこれって光のスペクトル分析と光が電磁波であると我々は反射光を見ている という認識が成り立って初めて答えられるわけで相当高度な問題だよ。 見方を問うのが小論文だろうが、現代の問題うんぬんは考えすぎ。そうあってほしいという筆者の戯言だ。じゃなきゃ、いいかね 合格している大学生は相当、立派な考え方をもっていて、官僚になろうと社員になろうと間違ってることなどしようもない。 つまり現実にはそのような採点はなされていない。と別講座の基礎が妄想であるtこを示しておく。現実を見よ。) デカちゃんの方が相当賢い。デカちゃんの言い分を聞こう。 > 大きな物体をひっくり返したら、それを立ち上げ直すのはとてもむずかしい。 あるいは一度でも激しく揺らいでしまったら、立たせておくのはむずかしくなるし、そういうものが倒れるといつも大惨事になる。 それならば、国の基盤に不完全な部分があるなら(そしてそういう部分がたくさんあることは、その基盤の多様性だけを見ても 充分に納得がいくだろう)、慣習がまちがいなく、その欠陥をはっきりと補うようになっているだろうし、賢明さだけではきちんと対 応しきれない部分についても、完全に回避するか、あるいは知らず知らずのうちに矯正を加えているはずだ。 だから結果として、欠陥はいつも、それを取り除くために必要な変化よりはずっと耐えやすいものとなっている。 これは、山中をくねくねと通っている街道が、何度も通行されるためにずっとなめらかで平坦になっていて、だからもっとまっすぐ な通路を求めて岩のてっぺんにのぼったり、谷底まで下りていったりするよりも、その街道にしたがうほうがずっといいのと同じこ とだ。 > 革命理論が誕生する前にびしゃりと潰してます。箱をひっくりかえせばもっと大事になるって。(自分は結局ひっくりかえしたくせ に)で一人の頭で考えた方がカッコいいし、うまくいくことの方が多いじゃん。といっておいて、 いいですか。世の中理不尽に思えてもうまくバランスが取れてるもんだよ。真っ直ぐ進むのが最短だといってもビルを壊し、山 を削ってともかくまっすぐ進む方が今ある道を通るよりも時間がかかるのに決まってる…ですって。 つまりですね。わしは世の中のことは世の中に任せると…わしゃ知らん。と実は申したいわけで。わしに今の政治がとか教会は とか尋ねないでね。といってるわけですね。
82 :
半さん :2008/01/14(月) 07:20:11 ID:ANgW2a5D
>>79-80 承知のうえだと思いますがこのカキコだと
約2800字原稿用紙(7枚分)くらい使うのでは?
小論文もやったことありませんが
長くても800字程度に抑えて主張するのが
肝要だと思いますね
83 :
あ :2008/01/14(月) 07:21:38 ID:7UvejPt0
> そういうわけで、政治的な事柄の管理に関わるよう生まれついたわけでもなければ、運命でそういう立場になったわけでもないのに、 改革ばかりを主張しているような、落ち着かなくてせわしない出しゃばりどもたちには、ちっとも賛成できないのだ。 そして、わたしのこのやりかたが、この自分自身もそうした愚行の犠牲者になっているのではないかという疑念を少しでも含んでいたら 、この文書の刊行を許しはしなかっただろう。 わたしは、自分自身の見解を改革し、それを完全に独自の基盤の上に築くという以上のことを企んだことはないのだ。 そして自分では自分の成果に満足しているので、それについての概要をこうして提示はしているけれど、別に他のみんなに同じようなこと をしろと薦めているわけでもない。 神がもっと大きな才能を与えたもうた人物であれば、もっとすばらしい方策を操れるのかもしれない。 しかしながら、多くの者にとっては、ここに書いたようなことを実践するのでさえ、気軽に真似するには荷が重いだろうと心底危惧している のだ。 > というわけで前フリを落としています。学問と政治は別。わしはそういう立場。そして、今書いているこの本は改革を目指して書かれて いるのではないと。小心モノの伊集院くんの姿が浮き彫りにされてます。率直で単純なものいいですな。 でも方法序説の本論である 「内省」は無神論的って弾劾されたですよ。ちなみに方法序説よりも後に出版したのに。 そういう時代背景も含めて読まないとよくわからないってこともあるのが困りどころですね。 一方で授業で読むということは少なくともそこは教師がフォローしてくれるのでいいということはありますな。 教師はついフォローしちゃうでしょ。じゃなきゃ、デカルトはなんか、革命なんか、とか世の中に無関心でなさけないみたいなことに なりますからね。 逆にあの時代でこんなことを思いついちゃった。確信しちゃった。(革新じゃないですよ。)人がどう生きたかみたいな話が序説です からね。
84 :
半さん :2008/01/14(月) 07:26:46 ID:ANgW2a5D
>>81 確かに「真っ直ぐな道」を作るのは「プロジェクトX」そのものですからねw
他者からの要請・援助や相当の覚悟がなければやるもんじゃないんでしょうね
襟裳岬の植林なんてハンパじゃないと思いますもの
85 :
半さん :2008/01/14(月) 07:30:35 ID:ANgW2a5D
>>83 その当時は出版物は教会の検閲があったのかもしれませんね
86 :
あ :2008/01/14(月) 07:33:23 ID:7UvejPt0
デカルトを読んでいてわかちゃったよ。 知識人を求めてるんだなあの小論文の本を書いた人。高校生に学問を求めてどうすんだ?学問は大学でやることだろ。 デカルトすごいな。きっちり<釣りをどう避けるか>っていうセンスが身につく文章なんだ。 方法序説は<高校生でも読めるから読んでおけ>これは学問の本じゃないから。エッセーだし。 > 過去の信念すべてを捨て去ってしまうというやり方は、だれでもやっていいというものではない。 人類の大半は、二種類に分かれるけれど、そのいずれにとっても、これはふさわしい手口とはいえない。 一種類目は、自分自身の力量について、しかるべき以上に自信を抱いている人たちであり、この人たちは判断がせっかちで、 秩序だった周到な思考に必要な落ち着きが足りない。この種の人たちが、自分の慣れ親しんだ意見に疑念を抱けるようにな ってしまい、いままでの道をやめてしまったとしても、もっと短い道筋となるような脇道をきちんとたどることができずに、迷子に なって、一生さまよい続けることになってしまう。 二種類目の人は、真実と誤りを見分ける力量が自分より高く、教えを請うべき人々が存在することを認めるだけの理性と慎み を持ち合わせている。この人たちは、そういう力量の高い人々の意見に従っているべきで、自分の理性のほうがもっと正しいな どと信用するべきではない。 自分自身のことを言えば、わたしはまちがいなく後者に属する人間だっただろう。 でもそれは、もし教えをたった一人の師から受けていたり、有史以来の最高の賢者たちの間に広まった各種見解の多様性を 知らなければの話だ。 わたしは大学時代というごく早い時期からすでに、どんなにばかげた奇々怪々な見解であっても、どこかの哲学者が掲げなか ったようなものはないということに気がついていた。 そしてその後、旅行して気がついたことだが、われわれにとって明らかに不愉快な見解を持つ人々であっても、それだけで野蛮 人だということにはならない。 それどころか、こうした国民の多くは、われわれ以上とはいわないまでも、同程度にはきちんと理性を使っているのだ。 > 大抵の人は自信過剰か他者依存だと。切って捨ててますね。 で自分は他者依存だったと。信頼できるお師匠様がいればわたしはずっとそれでいたろうと。 あれ、誰かの話に似てますな。インドの…あ!ゴータマ君そっくりじゃないですかね。彼も最後は一人で悟りましたね。 でデカちゃんは、一つのテーマでこんなにもいろんな意見があるっていうのは信じられないけど、どれもがきちんと理性 的な結論であること(推論として成り立っていること)は疑えなかったわけですね。だからどの意見も同じようにくだらなか った。と。 (勿論、小心者のデカちゃんはそんな風には決め付けません。大学で論議されてる内容と野蛮なと思われている人々が 論議する内容にそれほど差はないという言い方をしております。)
87 :
あ :2008/01/14(月) 07:39:26 ID:7UvejPt0
>>94 うん。でも、その近代的な真っ直ぐな道こそやっぱり正しいという考え方の基礎を作ったのがデカルト
なんだよお。
それだけを知っていてこの方法序説を読んでなければデカルトって嫌いにしかならないはずだ。
だってね。うーん。先のことを話すと読む楽しみがなくなるけど。彼が初めて、宇宙は人間の思いとは
まったく関係なく動いている。っていう宇宙観を証拠つきで提出した人なんだから。
機械論的宇宙観というわれてそれだけでデカルトを代表しちゃうような考え方ってことになってるんだけ
ど。本人はたぶんそんなこといってないっていうかもね。
まあ、なんていうのかな。真っ直ぐな道がいいんだよ。デカルトさんもいってるし。
みたいな権威づけでどんどん話が膨らんでいることも考えられるので本人談にしばらくはつきあって
みましょう。
デカちゃんは、小心もので、結構世の中を知っているってことまでは、形象化されますよね。ここまで
は。
自信過剰か他者依存しかいねーんだよ。っていいぶりは笑っちゃいますけど。
88 :
半さん :2008/01/14(月) 07:43:25 ID:ANgW2a5D
>>87 デカ氏も「揺れる思い」を体中に感じて
生きてたってことですね
89 :
あ :2008/01/14(月) 07:48:17 ID:7UvejPt0
> さらに、フランスやドイツでそれぞれ幼少期を過ごした人物を考えてみよう。 シナ人や蛮人たちの中でずっと育ってきた場合や、あるいは 10 年前のわれわれが好んだような環境で育てられたり、 あるいは 10 年後に好まれるであろう環境(これらはおそらくいま現在のわれわれから見ると、とんでもない非常識な環 境に見えることだろう)で育てられたりした人とは、とてもちがった性質を示すはずだ。これについても考慮した。 こうしてわたしは、われわれの見解のベースというのは、ある特定の英知に基づくのではなく、慣習や事例に根ざした部分 のほうがずっと大きいと考えるしかなかった。 そして結論として、そういう英知がわれわれの見解のベースになっているとしても、むずかしい発見の場合には、多数決 をとってみたところで、それが正しさの保証とはならないのだと気がついた。 むずかしい発見というものは、みんなが見つけるものではなく、たった一人の人物が発見する可能性のほうがずっと高いか らだ。 しかしながらわたしは、群衆の中からその見識を評価すべき人物を一人として選ぶことができなかった。 そこで、いまのように、自分の人生を仕切るにあたって、自分自身の理性を使うよりほかに手がなかったのである。 > デカちゃん節炸裂。自分は流されてこうなったのよ。私が悪いっていうの? ヤマさーん。デカちゃんもいってますよ。人間は大抵のことはコード(伝統)で処理すんだ。って。 で野心はありませんよ。といいながら学問的野心はばりばりっていってます。 っていうか彼は学問っていうのはどんな問題にも正しい答えを出すもんだって考えていて、学問がそうあるべきっていう人 だからですね。 無いんだから作るしかない。誰かと作りたいけど、当てになる人間がいない。だから一人でやる。みんなももっている理性と いう武器は自分にだってある。 黎明期のコンピューターソフトウエア業界のようですな。長いプログラムでも1Mなかったですから、一人でやれたんですよ。 でフロッピー一枚で表計算のプログラムもワードプロフェッサーも作れたっていうのはすんごいことですな。
90 :
あ :2008/01/14(月) 07:54:54 ID:7UvejPt0
> でも暗闇の中を一人であるく人物のように、わたしはゆっくりと、慎重に調べながら進もうと決意した。 だから、遠くまでは行けないにしても、少なくとも穴に落ちたりはせずにすむだろう。 理性に導入されることなく、信念の中に入り込んできた各種の見解についても、すぐに捨て去ったりはしなかった。 まずはたっぷり時間をかけて、自分がやろうとしている作業の全般的な性質について自分を満足させて、自分の力 量の範囲内にある知識に到達するための真の方法について、みきわめようとしたのだった。 > 一人でやるってことは計画が大事だぞと。デカちゃんはどうやるかってことから始めたと。 方法について考えてみた。 やっと本論です。あー長かったね。一人でやる。やらなきゃならない。宣言がここまでありましたな。 軽くまとめ。 人間には考える力が誰にでもある。 しかし、社会の中では考える力をつかうよりも慣習や他人の言い分で自分の行動を決めていることの方が多い。 自分で考えるにしても考える方法というものが確立されてないので結論はばらばらになっている。 とわたしは考えた。 で、わたしはわたしが求める学問のために一人でじゃあどうしたらいいのかを考えることにした。 わたしが納得するために。(かまわないで頂戴。一人にさせてよ。…。暖炉暖かいし、しばらくここにいるから。) ってことです。
91 :
半さん :2008/01/14(月) 07:59:11 ID:ANgW2a5D
>>89 >自分自身の理性を使うよりほかに手がなかったのである
これがデカ氏のプロジェクトXですね
92 :
あ :2008/01/14(月) 08:05:19 ID:7UvejPt0
>
哲学のいろんな分野のなかで、それ以前にちょっと論理学をかじったことはあった。
それに数学のいろんな分野の中では、幾何学分析と代数をかじっていた――これらは、
わたしの構想(design)になにかしら役にたつと思えた学芸や科学の三分野だ。
でもよく調べてみると、論理学の場合には、三段論法をはじめとするいろんな成果は、未知
のものを探求するのにはあまり役にたたないのだ。むしろすでに知っていることを他人に伝
えたり、あるいはルルスの学芸なんかは、知らないことについて、判断抜きで語るのにむい
ている。だからこの科学は、確かにいろいろと正しくてとても優れた成果を持ってはいるのだ
けれど、そうでない成果もたくさんあって、そしてこういう有害なあやまったものが、正しくて
優れた成果とごっちゃになっていて、真実と虚偽とをきちんと分離するのはとてもむずかしく
なっている。
荒い大理石のかたまりからダイアナやミネルバ像を抽出するくらいむずかしい。
>
有望なやり方が三つあったみたいですね。
一つは論理学っていうかここで時代的な補足をこれね。レトリックです。三段論法とかルルスの学芸
とか出てくるでしょ。ライモンデゥス、ルルスっていう人の始めたことで今のコンピューターみたいに
語と語の関係から結論を導き出すみたいない不思議な秘術のことなんです。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/alcemy/rurusu.htm えーと日本じゃトンデモ扱いされるかもしれないですが、記号学のある意味の根っこです。
93 :
あ :2008/01/14(月) 08:08:58 ID:7UvejPt0
アルスマグナで引くともうちょっとよくわかります。 なんでさすがにこれは使えない。骨組みが弱すぎる。 分かるためではなく、どう表すかみたいなときに使うものだ。っていうのがデカちゃんの結論でした。 (今の論理学はデカちゃんの洗礼を受けているのでそんなことはありません。どちらかというとどう表すか っていうところが欠落しちゃってます。)
94 :
半さん :2008/01/14(月) 08:12:07 ID:ANgW2a5D
>>92 三段論法の演繹で産み出される結論は
確かにつまらない結果になりますね
むしろ特定の事例から一般法則を推測する
帰納法のほうがはるかに未知の探求に向いてるのかもしれません
自然科学ってほとんどソレじゃないかなぁ・・・
95 :
あ :2008/01/14(月) 08:12:10 ID:7UvejPt0
と、ここで一休み。 じゃあデカルトはどんなものを考え方の基礎にしたんでしょうね。ってことですね。 この時代の学問の背景とかでてきちゃうので、古いものを読むときはある程度の先達がいないと 読めないっていうのは世の東西を問わず必要なことかもしれません。 解説本じゃなくて本人の本に取り組むことが一番の近道でしょう。
96 :
あ :2008/01/14(月) 08:13:03 ID:7UvejPt0
あー結論いっちゃだめだあ。 帰納法こそ…なんです。 デカちゃんにもうちょっとがんばってもらいましょう。
97 :
半さん :2008/01/14(月) 08:16:33 ID:ANgW2a5D
>>93 人工ダイヤなんてアルスマグナだと思いますがね
98 :
半さん :2008/01/14(月) 08:20:01 ID:ANgW2a5D
>>96 へ?
結論はコギトぢゃなかったんですか?
マジックグッズの実演販売でタネをばらしちゃうもんかな?
予習感覚で3章までしか読んでないんで・・・スマソ
99 :
あ :2008/01/14(月) 08:32:30 ID:7UvejPt0
帰納法にしても演繹にしてもそれが成り立つといえるのはデカちゃんの功績なのです。 まあ、もうすこしデカちゃんの身もだえと○ン○もらしを見てみましょう。
100 :
半さん :2008/01/14(月) 08:37:52 ID:ANgW2a5D
>>99 もう少しでデカ氏のイマジンが「俺、参上!」と叫ぶところですね
101 :
半さん :2008/01/14(月) 08:55:52 ID:ANgW2a5D
それにしてもデカ氏の時代は 弾圧という物理的暴力を伴って 「千の偽り、万の嘘」がまかり通ってたでしょうから 本を著すのも命懸けだったんでしょうなぁ・・・
102 :
あ :2008/01/14(月) 10:42:20 ID:7UvejPt0
> そして古人の分析や、現代人の代数はといえば、どちらもとても抽象的な話しかしなくて見るからに何の役にもたたない。 幾何学は図のことばかりひたすら考えているので、その理解を活用するときにも、想像力がえらくくたびれはてるような状況 にしか適用できない。 そして後者の代数となると、特定の規則や公式に完全に縛られているので、結果として出てくるのは、精神を豊かにするため の科学ではなく、混乱とわけのわからなさだらけで、それがひたすら人に恥をかかせるようにしかできていない。 こう思ったので、わたしは、この3つのいいとこどりをして、悪いところは含まないような手法を探すしかなくなったのだ。 そして、法律が多すぎるとかえって正義のじゃまになり、だから法律が少ないと、それをきちんと運用することで国がきちんと治 められるのと同じように、わたしは以下の四つだけで自分にはまったく充分だと考えた。ただし、自分がどんな場合にも例外なし に以下の四点を守ることをしっかりと誓えば。 第一に、自分がはっきり真だと知っていないことは、何一つ受け入れないこと。これはつまり、慎重に軽率さと偏見を避けるということだ。そして、あらゆる疑問の余地なしにはっきりと明確に、自分の意識に提示されたもの以外はいっさい判断にとりこまないということだ。 第二に、検討している問題のそれぞれを、きちんとした解決に必要なだけ、なるべく細かい部分に分割すること。 第三に、いちばん単純で知るのが簡単な対象から手をつけてゆくように、思考を順序だてること。こうすることで、ちょっとずつ前進して 、一歩一歩、もっと複雑な知識に到達できるようになる。そして頭の中で、こうした優先順位や序列の中に性格上として位置づかないよ うな対象にも、なんらかの順番を与えてやる。 そして最後に、すべての場合に番号づけを完全にして、さらに見直しを徹底することで、見落としが何もないと確信できるようにすること。 > で残りの二つ。数学の分野の話になりますな。 幾何学もッ代数も抽象だから役に立たない。なんて大胆なことをいって数論を叩ききっています。意味が形象しないっていいたいんでしょうな。 幾何学は今度は図ばかり考えている。対象が限られているって嘆いてますよ。 (この辺の訳は怪しいですね。古代人の分析→幾何学に(あれですよ。ほらギリシアの誰だっけ円周率の計算しながら殺された 人、アルキメデス?)対応しているのでしょう。 ) 代数となると数式と公式によるやりとりばかりで、それが何の役に立つのかピンとこない。 だからそれぞれのいいところを作って4つの方針を作ったんだそうです。 でフツウはこの4つの方針をこう表すんだそうですよ。 1)明証 2)分析 3)総合 4)枚挙・吟味 漢語って便利すぎるなあ。 でこれきちんと順番にやってかなきゃだめってことになってます。 1)自分にとってはっきりと真であることは何かってことですね。これがはっきりしないと結局目論見は失敗します。 疑わしきものを排除せよ。ってことで例の疑ってみるという行為をわざとしてみるわけですね。 この人はお母さんだっていってるかもしれないけれど、お母さんのふりをしているだけかもしれない。 ってこと。 そんなこと言ったら。叩かれるだけですけどね。
103 :
あ :2008/01/14(月) 10:52:01 ID:7UvejPt0
> 幾何学者たちが、とてもむずかしい証明の結論にたどりつくときに使う、単純で簡単な理由づけの連鎖というやりかたを見て、 わたしは人間の知りうるものはすべて、同じように相互に関係しあっていてるのだと考えるようになった。 そして、まちがったことを真実として受け入れてしまったりしないようにして、ある真実から次の真実を引き出すのに必要な順 序というものをきちんと理解しておけば、手の届かないほどの彼方にあったり、あるいは発見できないほど深く隠されたことが らというのは何もない、とも考えるようになった。 そして、手をつけるべき対象を決めるのには、ほとんど何の苦労もなかった。というのも、それがいちばん簡単で単純にわかる ものでなくてはならないと得心していたからだ。そして、いろいろな科学でこれまで真理を求めてた人たちのうち、証明(つまり 確実で明らかな理性の力)を見つけることができたのは数学者たちだけだったということから考えて、それがかれらの探求の 規則であったことも疑問の余地はなかった。 > なんでこんなことをするのっていう説明です。 でこれ演繹ですね。 (やっと出てきましたよ。デカルトは演繹こそ真理へとどく道と考えていたことがここでわかります。) ここで キーターム 「証明」です。証明っていうのは自分に対して行うものでしょうか?そんなことする必要はありませんね。 つまり信じない人に対して行うことです。 最初にもどりましょう。人とは考える力をもつ存在である。だから、人は誰でも考える力をもっている。考える力を正しく使えば 同じ結論にたどりつくはずだ。 ここでは、ある内容が真実であることを証明するには、考える力を使う道筋に則って説明すればよいはずだ。ということに転換 しています。 えっと、それを私が明らかに真と確信するものから始める。あれ?私が真だと思うものは他者も真だと思う?あれ? さあ、ちょいとデカくんが隠したかったものが出てきましたね。「私」って誰なんでしょうね。デカくんはもちろんうまく誤魔化して ますよ。
104 :
半さん :2008/01/14(月) 10:55:10 ID:ANgW2a5D
>>102 自分のなかの第一の「明証」ってやつを羅列できないのが
歯がゆいところですね
古今東西ゲームのごとく思い出すのは難しいっすw
「明証」と思い込んでたものは
出来損ないの「分析」
手抜きの「総合」
歯抜けの「枚挙・吟味」の産物かもしれませんし・・・
105 :
半さん :2008/01/14(月) 11:08:39 ID:ANgW2a5D
>>103 「私」ってやつは巷の仮説を公理とより分ける
ふるいなのかもしれませんね
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/14(月) 14:26:46 ID:QWqEZnao
i
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/14(月) 14:27:01 ID:Q71JjyP3
____ ____ ____ ____ / \ . / \ . / \ / \ / ⌒ ⌒ \ / ⌒ ⌒ \ / ⌒ ⌒ \ / ⌒ ⌒ \ / (⌒) (⌒) \/ (⌒) (⌒) \./ (⌒) (⌒) \/ (⌒) (⌒) \ | __´___ || __´___ || __´___ || __´___ | \ `ー'´ ./ \ `ー'´ / \ `ー'´ ./ \ `ー'´ / こ れ か ら は で き る 夫 の 時 代 で す ____ ____ ____ ____ / \ . / \ . / \ / \ / ⌒ ⌒ \ / ⌒ ⌒ \ / ⌒ ⌒ \ / ⌒ ⌒ \ / (⌒) (⌒) \/ (⌒) (⌒) \./ (⌒) (⌒) \/ (●) (●) \ | __´___ || __´___ || __´___ || __´___ | \ `ー'´ ./ \ `ー'´ / \ `ー'´ ./ \ `ー'´ /
108 :
ヤマさん :2008/01/14(月) 17:41:05 ID:qOIxgRWL
>>89 と、するとデカルトもたいしたことないのかな?
そんなことないわな〜。なんてったってだもんね。
109 :
半さん :2008/01/14(月) 18:11:04 ID:ANgW2a5D
>>108 現代に生きる我々にとって「大したこと無い」「あたりまえ」って
思わせるだけで凄いことかもしれませんよ
野口英世の論文の殆どが現代医学で否定されてることを考えると
過去の発想が肯定されつづけるのは
たとえ昼行灯に映っても非凡なことかもしれませんので・・・
110 :
あ :2008/01/14(月) 19:47:26 ID:7UvejPt0
いえいえ。これから方法的懐疑でありとあらゆるものを排除していく過程はなかなか いまでもできるものではありません。 特に痛みなどの内的感覚や目覚めている自覚や最後には神は悪い霊かもしれない。 (まさにお母さんは本当にお母さんなのを本当にやってます。) まあまだまだ先ですがね。 実は、演繹のはずのデカルトの方法の根底は帰納なんです。 疑えないのは自分が存在するということだ。(としたら。) から存在すべてを規定していくわけですからね。 まあ急がず順番にきちんと読みましょう。
111 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/14(月) 20:00:08 ID:mhMiUZAP
半さん 課題文でも現代文でもそれ以上の長さを読ませます。 「あ」 なぜ、空は青いかって、そんなの小論文になるわけねーだろ。 訂正するなら早目がいい。 >デカルトの方法の根底は帰納なんです。 また、嘘 not,not,not は帰納法にはならない。やり直し。
112 :
あ :2008/01/14(月) 20:04:40 ID:7UvejPt0
> だからわたしは、いちばん単純な対象の検討から手をつけようと決意した。 けれど、ここから得られるはずのメリットは、自分の精神を真理への愛と育成に捧げて、あぶなっかしい理由づけをすべて退けるという以上のものではなかった。 そしてこの点で、数学と総称される科学の一分野をすべてマスターしようなどというつもりは、まるでなかった。 でも、数学の各分野が扱う対象がどんなにちがっていても、数学はすべて、そうした対象同士の関係や、構成比率だけを考えるという点で共通しているので、 こうした構成についていちばん一般的な形で考えてやるのが、自分の目的からもいいだろうと考えたわけだ。 そして個別の対象自体について考えるのは避けるようにした(ただしその対象の理解に役立つ場合は除く)。 そしてその対象のみに考察を限定しないようにして、あとからそこで得た関係性の知識を、まともに適用できる他の対象のクラスすべてに応用できるようにしようと考えた。 さらに考えてみると、こうした関係性を理解するためには、それを一つずつ考えなくてはならないときもあるし、それをまとめて集合的に考えなくてはならないときもある。 そこで、個別に検討するときに便利なように、それが直線の間に位置づけられていると考えたほうがいいな、と思った。 これ以上に単純な対象は見つからなかったし、自分の想像力や感覚に対してきれいに表現されるものとして、これ以上のものも考えつかなかったからだ。 そして一方で、それを記憶の中に保っておいたり、それを多数の集合物としてとらえるために、それの個別対象を表現するにはできるだけ簡単な特性で表現してやろうと思った。 こうすれば、幾何学分析と代数のいちばんいいところを拝借して、片方の欠陥をもう片方の助けを借りて補ってやれるだろうと思った。 > 方法について具体的に述べているのですが、わかりづらいことこの上ないですね。 デカルトはよく知っていて、かつ身近なものから検討しようと決めたわけですね。 あぶなっかしい理由づけっていうことがよくわかりませんね。社会的な非難をさけるための右往左往みたいなことなんでしょうか。 まあ不定にしておきましょう。これだけじゃよくわかりません。 数学の問題を解くのではなく、そのやり方だけを拝借するって考えなんですよ。ってまたいってます。 じゃあその数学のやり方っていうのは何かってことですよね。関係や数量の違いみたいなものだけ扱うことだけらしいですね。A+Bと 2A+4Bみたいなことですね。 さらに考えてみるとの当たりは意味不明ですね。 直線に並んでいた方が都合がいいものって何か。主語の問題ですね。すごい文構造になってます。関係性ってことになるのでしょうが、その関係性がすご く込み合っています。 図にしてみましょう。デカルトがいってることは A B C D などの個別の対象があったとき。 Aだけ検討するのは止めにする。 AはBとどのように関係しているかを考え、同じようにCともどのように関係している かを考えた方がいい。それで階層構造になっているとさらに都合がよい。 D C A-B みたいなことですかねえ。でそれぞれの対象は特に特徴的なものに代表させる。って考えたらしいです。
113 :
あ :2008/01/14(月) 20:13:34 ID:7UvejPt0
>>111 おやゾロ目ですな。
空がどうして青くみえるか説明せよ。が小論文にはならない。
面白いことをいう人ですね。本来論文というものは何かを説明するために行うことでしょうに。
科学の論文は論文でないそうですよ。
受験のことしか考えないのでしょうか?なら、あんな高邁なことまったく関係ないですね。
萌え単をならって、下ねたで説明する現代思想ってやつをときどきしましょうか?
くだらない形而上学よりも、もう少しためになるんじゃないでしょうかね。
ノマド
外でする雲古は大抵、公衆トイレでする。それはそうだ。でも、もし街中でなく、広大な草原にいたとして
公衆トイレを探すだろうか。野○○をする。その方が理にかなってる。
どうだろうビルの隙間に野○○をしてみるというのは、実は結構いいかもしれないではないか。
あのモンゴルの羊買いのように適当にいってみるのもまた一考。
それがノマド。
114 :
半さん :2008/01/14(月) 20:17:03 ID:ANgW2a5D
>>111 大学受験で小論文のテストって受けたことないこともあって
どうにも「説得力のある文」のイメージが湧かないんですよね
そのネタを続けるなら猫さん自作のものか
どこかから猫さんが納得する文例をコピペしてもらえると
助かりますね
どう考えても第一に字数の制約が来る話だと思いますが・・・
テーマは問わないんで500〜800字程度の
模範文例をもしよければ・・・
115 :
あ :2008/01/14(月) 20:18:21 ID:7UvejPt0
見るー見られる。 マジックミラーに魅かれるのはなぜだろう。もしくは節穴があるとのぞいてしまうのは。 向こうは気がつかないのにこちらは向こうのことをよく見てる。 それだけで興奮してしまう人がいる。 面と向かって見せ合うことよりも。 見られないで見ることがどうしてそんなに興奮するのだろう。それで得られるものは 相手が誰も意識してないときの行動でしかすぎないのに。まるでとてつもない秘密を 得たかのように有頂天になるのはどうしてだろう。 見るー見られるの関係性。
116 :
半さん :2008/01/14(月) 20:24:28 ID:ANgW2a5D
>>113 ホームレスも「ノマド」と呼びうるのでしょうか?
117 :
あ :2008/01/14(月) 20:24:49 ID:7UvejPt0
次いってみようっと。 > そして現実問題として、こういういくつかの方針に厳密に従ったら、この科学の二分野(幾何と代数)に含まれる問題すべてを解決するのが、 敢えて言えば実に簡単きわまりないものになってしまった。 その検討に二、三ヶ月を費やしただけで、これまではとんでもなくむずかしいと思っていた問題がどんどん解決できてしまっただけでなく、 まだ解決できていない問題についても、解決が可能かどうかを判断し、実際に解決するための手段がどうもわかるようになったようだ。 いちばん単純で、一般的な真理から手をつけた状況から出てくる結果を使うことで、そこから発見される真理が規則となって、それに続く 真理の発見に利用できるようになるわけだ。 そしてある点での真実をだれであれ理解したら、その点について知りうるすべてを知るのだ、ということを考慮するならば、ここでわたし が傲慢すぎるとは言えないはずだ。 たとえば算数の基礎を教わった子供が、ある足し算の計算を規則にしたがって実行したら、その結果としての合計という点からまちがい なくその規則を理解したのであり、そしてその瞬間に人間の英知に手が届くようになったのである。 というわけで結論として、真の秩序に従うことを教え、そして追求するものすべての条件にきちんと番号をつけることは、算数の規則に確 実性を与えているものすべての一部なのだ。 > 解釈としてはいいらしいですね。ある関係の正しさを認めることができれば、それをもとにして多くの正しさを証明することができる。 公理系のことをいいたかったらしいですね。 まあ公理なんてことばがないですから、こんなメンドクサイ表記になってるわけですね。 はじめてやるっていうのは実に大変なことです。 注目)小さいものが土台とないってより大きなものを支える。つまり逆立ちしたピラミッド、あるいは樹木(根っこがあるけど)こそが デカルトが考えている真理の体系であるといえますね。
118 :
あ :2008/01/14(月) 20:27:08 ID:7UvejPt0
ホームレスがホームレスだと死んでしまうらしいです。 どんな掘っ立て小屋でもああして建てて、縄張りを主張する点でかれらは実はノマドではなく地層化してるといえるのではないでしょうか。 イメージとしてはフジツボに近いような気がします。 (馬鹿にしてるわけじゃありませんよ。あれはあれですごい生命力なんです。食べられるし)
119 :
半さん :2008/01/14(月) 20:28:02 ID:ANgW2a5D
120 :
半さん :2008/01/14(月) 20:32:31 ID:ANgW2a5D
>>118 ジプシーは馬車でしょうし
モンゴルの遊牧民はパオとかいうテントで寝泊りしてるんでしたっけ?
どうもホームレスとの区別がつきづらいですね
強いて言えばホームレス部落は構成員を自分の生殖行為で増やすのではなく
外部から招き入れてる点かな?
121 :
あ :2008/01/14(月) 20:37:12 ID:7UvejPt0
後大事なのは商売にならなきゃ、とっとと移動っていうところですね。 遊牧民は食べさせる草とともに移動するわけです。 雲古も道の真ん中に堂々とするわけにはいきません。物陰や人通りによって軽いフットワークで 便意を押さえ込みながらギリギリの場所探しが肝心です。
122 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/14(月) 20:39:22 ID:mhMiUZAP
>>113 また、言い分けか
>面白いことをいう人ですね。本来論文というものは何かを説明するために行うことでしょうに。
>科学の論文は論文でないそうですよ。
小論文をいつのまにか 科学論文 にするのか。
お前は自分自身の発言に背いていることが分からんのか?引用したろか?
123 :
半さん :2008/01/14(月) 20:40:39 ID:ANgW2a5D
>>121 難民キャンプも移動は最低限でしょうから
ノマドとは言えないんでしょうね
排泄に関してはエスキモーに劣らぬスピードで
雉打ち・花摘みを済ませることはアウトドアの基本w
124 :
あ :2008/01/14(月) 20:41:17 ID:7UvejPt0
最初があって…っていうのがまさにデカルトが生み出した近代知の姿なんですね。 でポストモダンなんかは、最初なんかないってことをやるわけです。最初から複数だったのだなんていってね。 デカルトは1から始めたじゃないですか。最初から2なのだ。だからどちらが最初なのか決められない。 って考え方です。対話というかやりとりこそ生成の現場だったのだってことですね。 (合ってるかどうかは知らないけど。)
125 :
半さん :2008/01/14(月) 20:44:57 ID:ANgW2a5D
>>124 何とも言えませんね
旧約聖書の創世記では知恵の身を半分コ
つまり二分の一から始まったなんて書いてますしね
デカ氏もナカーマに出会ってれば「2」から始めたんじゃないんですか?
126 :
あ :2008/01/14(月) 20:44:58 ID:7UvejPt0
>>122 工学部とか理系の学部の小論文も社会科みたいなことをするらしいですな。
知らなかったなあ。
マジで?
東京工業大学の小論文の内容
小論文は,創造力と発想力,論理的思考力及び数学,物理の応用力を問う
数学、物理の応用力を問う。
物理の応用力を問う。
物理の応用力。
あれー?
あれ?
あれ?
以上。おしまい。
127 :
あ :2008/01/14(月) 20:46:07 ID:7UvejPt0
ここでことわざの時間 雉も鳴かずばホニャラララ。 はい、何でしょう。
128 :
あ :2008/01/14(月) 20:49:27 ID:7UvejPt0
>>124 旧約こそ1からしか始まりません。
神ですね。
光アレ!と神がいったんです。
129 :
半さん :2008/01/14(月) 20:51:01 ID:ANgW2a5D
>>127 災い転じてホニャラララもありますからね
バーなりに鳴くことにしとります^^;
130 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/14(月) 20:52:45 ID:mhMiUZAP
131 :
あ :2008/01/14(月) 20:54:56 ID:7UvejPt0
>>130 お前が書いてみろといわれてるのに何てざまなんだい。
日本語つうじてないよ。
書いて見せろっていってのさ。
やっぱり相手にする価値がないじゃない。
132 :
半さん :2008/01/14(月) 20:56:06 ID:ANgW2a5D
>>128 そうですね
唯一絶対神を意識せねば
「同一律」「矛盾律」「排中律」の萌芽は
ずっと遅れたでしょうね
そこで何をトチ狂ったか人間が「ニ一天作の五」(意味1÷2=0.5)とやっちまって
揉め事が絶えなくなったみたいっすw
133 :
半さん :2008/01/14(月) 21:07:37 ID:ANgW2a5D
>>130 う〜ん・・・
問題もそうですが一方的な主張を500〜800字で
述べられてどれだけ自分が納得するか(説得力があるか)
を体感したいんですよね
正直「大学でやりたいこと」って程度のテーマのほうが
とっつきやすいです^^;
しばらくは「あぶないデカ」に釣られてますんで
猫さんが「イイ!」と思った論文例を見つけたら
よろしくお願いします
134 :
半さん :2008/01/14(月) 21:14:17 ID:ANgW2a5D
>>131 誤解ですがな〜
私は「おめぇよー答えられるもんなら答えてみろ、ん?」
てな相手を説き伏せる意図をもった圧迫尋問は
嫌いなんですよ
質問は極力YES/NOクエスチョンもしくは
WHICHで始まるものにして
反論・返答しやすいカキコをして
相手の話を聞くのが好きなんでw
135 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/14(月) 21:45:24 ID:mhMiUZAP
>>126 国語スレということで了解ずみだなんじゃーないの?
個人的には医学部医療系とか理系の方がやや多かったりする。
で、工学部という特殊例外を印象操作で一般化を期待する手法で何が言いたい?
「青空」は小論文の典型になりますか。あいかわらず、強弁ですなw
ということで理系の模範解答から何か一般的なことを言うんだろうねw
136 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/14(月) 21:47:01 ID:mhMiUZAP
半さん いいですよ。今から風呂に入るので明日あたりになるかもしれんけど。
137 :
半さん :2008/01/14(月) 21:53:18 ID:ANgW2a5D
>>136 私が個人的嗜好を脇において
論文の構成を吟味できるのだろうか?
・・・多分無理ぽorz
とにかく気の向いたときによろです^^
138 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/14(月) 23:45:13 ID:mhMiUZAP
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/tatngo/2001_bun1.htm 論文U 第二問
私たちは日本の伝統や文化をあまりにも当然視しすぎていたのではないだろうか、
そんな疑問が頭に浮かぶ。お盆や正月といった年中行事はもはやレクレーションとなり、
それがどんな意味を持ってきたか分からない。「わび・さび」を感じるべきものは
修学旅行の京都以来出会ったとは言えないだろう。能歌舞伎がハリウッド映画より
身近な人を私は知らない。毎日の生活は西洋化し、日本的習慣は見当たらないようだ。
昔、文化伝統は郷土やその延長の中で静かに受け継がれ、その同じ文化伝統を共有する
人びとは集団として自然な自足状態を保っていた。だが、国民国家として民族が意識されると
静かに私たちの間を漂っていたものが一つの強迫観念として迫ってくるようになった。
ここでは本来の文化伝統は変貌し、無言で癒してくれる懐かしさではなく私たちを追い立てる
主義や思想になってしまった。国家は国民の情緒的な一体化を進める強力な「政治」手段と
するために民族文化を国家の伝統と呼びかえ、同一性を支えるものとして制度的に
教育してきたのだ。
このように、山崎は国民国家論の常識にそって文化伝統の変化を説明する。確かに、
国家の伝統は民族主義として諸外国と争う方向に私たちを仕向ける。その悲劇はこれまで
何度も繰り返され、今もなお終わることがないようだ。しかし、教育制度の中で知らず
知らずのうちに刷り込まれた思想としての伝統とは違う何かがあると私は叫ばずにはおれない。
長老たちが静かに守ってきた伝統がきっとまだある。本来の文化伝統とはグリム兄弟の
苦労のように価値の一元化に対抗する防衛的な営みであって、それは多様なものを守ろうと
する人間精神の輝かしい蓄積であったのだ。私たちが多様であり、同一性に還元されることが
ない特殊性に生きることができる社会の可能性を問いたい。本来的に伝統や文化を重んじる
社会とは、国家としての均質化に政治的に向かうものではなく、異なる伝統や文化を尊重し
愛でることを賞賛するものである。残念なことに日本では、著しく均質化がなされたように
感じる。だが、諸外国には多様な言語を話す人びとが一つの国家を形成し生活している
ところもある。そういう寛容さが日本の国においても行き届くようになるべきだ。
その役割を果たすのが、制度としての教育に他ならない。その教育によってこれほど徹底して
均質化に向かった国だからこそ次は多元的に生きることができる国に生まれ変われるだろう。
学校教育が政治手段から自立し先導するのは容易ではないだろう。しかし、日本の学校には
長老の精神が息づいていることを私は信じる。そう感じさせてくれたのもこの制度のおかげで
あったのだから。
139 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/14(月) 23:53:51 ID:mhMiUZAP
課題文で使われていない用語(難しいことば)は、かなり意識して避けました。 だから、非常にぎこちない。それは文体(?)にも影響しているかなっと。 模範解答を示すともとの文章より難しいというコメントをもらったものです。 でも、そんなものちっともおかまいなしでした。現代文の解答を見ると、こんなもん 現場で書けるかっていうような立派なものが多いですよね。 ま、自由に吟遊詩人いいでしょ、ここでは。
140 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/14(月) 23:56:16 ID:mhMiUZAP
整理してたら段落分けが無茶苦茶になったところがありました。
141 :
半さん :2008/01/15(火) 00:36:20 ID:lgyfYHe2
>>138 価値の一元化を推進する国家の形成は
それに反発・防衛する民族意識の言語化によって
推進された・・・
ってすごい逆説ですね
ま、結局多数民族の伝統が国民への強迫観念となっちゃうんでしょうがw
そういえばヤマさんの作文にも顕れてたな
結論の好みは別としてツッコミようがないですね
冒頭でのステレオタイプの伝統・文化に対する疑問
西洋文化の流入による現状
国家形成時に推し進められた強迫観念による均一化も
川崎の論に沿って押さえてありますしね
言語化されずに存命する文化伝統の可能性と
多様化の道として学校への期待も盛り込んであり
限られた字数でこれだけ述べるとは・・・
流石です
142 :
あ :2008/01/15(火) 06:12:39 ID:Y1vC/5fX
>>138 これは設問の意図に誠実に答えていないのでは?
あそこで述べられている「民族と国民国家の関係」を踏まえて述べよ。
ってことはあくまでも国家と民族のかかわりについて述べなければならない。
でフツウの展開だと山崎はうんぬんとして述べていることをまとめ、
次に自分の考えを述べ、根拠、反論に対応して自説の強化ってことだろう。
じゃないと、あれを読んで理解しましたよとポーズジングできない。
あと接続詞の使用が極端に少ないので文と文との関係
段落同士の関係が見えてこず、読みづらい。採点者だったらそれだけで
減点しちゃうな。わし。
143 :
あ :2008/01/15(火) 06:15:57 ID:Y1vC/5fX
それに文化伝統の変化を山崎は述べていないから、そこも減点。 歴史の主体としての民族と国家の関係など語るべきところがまったく抜けてるのも減点。 総じて独りよがりという減点を食らう。 自分に引き寄せて語りすぎってこと。 歴史の主体としては民族は大きすぎる。歴史の主体としての国家はしかし、民族の顔を持とうとすることを押さえて書け っていわれてんの。
144 :
あ :2008/01/15(火) 06:26:15 ID:Y1vC/5fX
あと日本を持ち出したのが間違い。というか冒頭これを持ち出したのはまずい。山崎は一般論を述べているのであって、個別の文化論から入ると 読めてない感が充溢する。 第一、キミが日本文化として上げたものはマスコミと学校が作り上げたものだ。北海道に住んでいて歌舞伎を見ないで暮らして行く人の方が見た ことがある人よりももっと多い。 学校というタームが抜けているのも痛い。 自分のいいたいことを言うために山崎からひろってきた感がただよう。設問に誠実に答える。これは小論文の基本じゃないだろうか? 山崎は民族と国民国家との関係は民族・共通の文化の担い手という意識を国民国家は国家意識の統合として利用してきた関係だという。 そのために〜 ぐらいで200文字以下 自分の考えで200文字 根拠で200文字 反論への対応で200文字くらいかね。 でたぶんボーダレス化と民族意識だとかグローバルリズム(経済)と国家・国民意識だとかあー同じことか。 もう一つの項を立てて、現状とこれからみたいなことを述べるべきだったんじゃねーのかね。 基本的に植民地に対抗するあの時代と今の時代のシンクロがあるから出題したんだろうし。 そんなことを読むのも読むってこと。
145 :
あ :2008/01/15(火) 06:31:35 ID:Y1vC/5fX
って元ページをみたら 2)抽象的に書くに反してるじゃねえかよ。なんだその長老っていうのは。はい減点。
146 :
あ :2008/01/15(火) 06:33:04 ID:Y1vC/5fX
知識・情報が必要なんですって述べていた御本家が結局自分の興味しか語ってない時点で 全部 ペケ。 はっきりいってキミのは小論文ではない。感想文だ。結論と根拠がないもん。
147 :
あ :2008/01/15(火) 06:41:36 ID:Y1vC/5fX
経済の国際化により現在、グローバリズム、もしくはボーダーレス化が進み、コスモポリタンな意識の方が山崎が述べる民族意識より主流になりそうなものである。 しかし、一方で反グローバリズムを掲げ、伝統を持ち上げ民族意識や国家意識の称揚も叫ばれている。これはまさに山崎が述べた構造の相似形である。 わたしは、以下三つの選択肢が考えられる。コスモポリタンになり帰属意識を希釈にし個人的なつながりによって文化や文明を発展させるべき 帰属意識なしに人は成長することができないのだから、ゆりかごとしての共同体は必要だ。全員が国際的なビジネスマンではないのだから、国家への帰属として 民族意識を保存しなければならない。どのような帰属意識をもつかは個人にゆだねるべき、国家がそこに手を出すのは現在は間違いであろう。コスモポリタンに なるのも○○民族の闘士になるのも自由であるべきである。 自分が正しいと思うものをえらび、どうして正しいと思ったのかその根拠を社会的に示せばよい。(経験的には示さないように。)
148 :
あ :2008/01/15(火) 06:45:04 ID:Y1vC/5fX
あーそうかグローバリズムだとアメリカ一極化がからんでくるのか。そっちから述べたい人はそれもあり。 その場合移民文化の中の民族性と国家意識と国民国家意識の差異から何かを述べることになる。が、わしにはそんな興味 がないので今のところ何を述べる(結論づける)かがわかんない。 PASS。
149 :
あ :2008/01/15(火) 06:57:30 ID:Y1vC/5fX
デカちゃんに学んだ方がずっとためになるな。 > でもこの手法でわたしがいちばん満足したのは、自分がこれで万物に対して理性を適用している保証が得られたことだった。 完全無欠かどうかはわからないけれど、少なくともわたしに可能な限りきちんと適用できているわけだ。 それに、これを利用することで、自分の精神がだんだん対象をもっとはっきり、くっきりと把握できるように習慣づいてきたことが意識できた。 そして、この手法をなにか特定の対象のみに限定しなかったことで、これをほかの科学のむずかしい問題にも適用できるだろうと願ったし、 そこでの成功も、代数の場合に劣らぬものであってほしいと思った。 でもこの点では、目の前にあるあらゆる科学のあらゆる問題の検討にとびつくことはできない。 というのも、そんなことをしたら、わたしの方法論に記述された順番に反することになってしまうからだ。 他の科学分野での知識は、哲学から拝借した原理に依存している。 そして哲学分野では、わたしは確実なものはなにも見つけだせなかった。 だから、まず哲学の原理を確立するように努力すべきだな、と考えた。 そしてこの種の探求がほかの何にも増して最大の力を持っており、だからせっかちさと予断がいちばんこわい部分でもあるな、 と思ったこともあって、この問題については、もっと成熟した年齢に達するまで手をつけないほうがいいだろうと考えた (当時のわたしは23歳だった)。 だからまず、時間のほとんどを割いてその作業の準備を行い、一方で、それまで自分が受け入れてきた、まちがった見解を頭からどんどん捨てていった。 さらには、自分の理論展開のための材料を得るため、さまざまな経験を積んで、絶えず自分を、選んだ手法にしたがって実践するようにうながして、その適 用のスキルを増そうと努めたのだった。 > 科学の分野でこの4原則を試してみたらすっきりとよく分かったし、納得のいく結論がどんどんでてきた。 だから他の分野でもうまくいくはずだ。ってことになったんだけど、小心者のデカちゃんは若いと舐められると思って、だまってました。 特にすべての学問の基礎であるテツガクにこそこの原則で切り込まなければならないと思っていたからです。 でテツガクに適応するためには原則1の明証を徹底するために…以下第3章のはずなんだけど。 申し訳ないですが、デカちゃんは三章をですね。世すぎ、身すぎの処世法について、道徳とのつきあい方について述べちゃってます。 自分のしたいことに集中するためには世間にわずらってはならない。そのためには以下の原則でOKっていいたいらしいです。 ここは反論があるところだと思いますが、魔女裁判で火あぶりになる時代ってことを押さえてくださいよ。
150 :
あ :2008/01/15(火) 07:35:28 ID:Y1vC/5fX
>>148 あー多元主義かあ。
うーん。理想的すぎないか。しかもそれを法で遵守するっていう矛盾は?
結局、移民という現実がもたらした政治的な力によって安定を図ろうとするとってことでしょ。
ユーロねえ。うーん。そっちはよく知らない。憲法がナカナカ制定できないってkとからしか話せないが
結局、民族と国民国家の関係が国民国家の顔が民族で民族意識の体が国家であるってこと。
(BY 山崎)国民が変われば変わらざる負えないってことだよね。
であのサイトはダメだ。近代は私が主語で、現代は我々で語れみたいな。
近代こそ政治的には我々が主語だったわけで、現代では、やっぱり、○○は××だ。
みたいな、語り手の位置と姿は全体から透けて見えるようにしか書けないだろうさ。
そりゃいっぱい批判のメールもくるだろう。あの人も独りよがりだよ。
少なくともあの人に教わって小論文が得意になる人間がいるとは思えない。
(なぜって書く気にならないから。ポストモダンで書けなんてしばりをかけられたら、ポストモダンの
勉強ばかりになっちゃうでしょ。しかも、もしかするとあの先生の頭をオートマチズム化した機械を
つくりあげて材料を入れたらポンとポストモダンみたいなことになるんじゃないの。
いってることとやってることが矛盾してるよ。)
だからこそSK2がお手本にしたいわけだ。
151 :
あ :2008/01/15(火) 07:51:39 ID:Y1vC/5fX
152 :
あ :2008/01/15(火) 08:03:12 ID:Y1vC/5fX
SK2の小論のだめなところは書く前にこのテーマにかかわる コア「国民国家と民族の関係」からどれぐらいのことが語れるかを枚挙した上で 書くテーマを選んでいないこと。 多様性万歳といいたいなら。その仕掛けをあの文章から見つけ出さなければならない。 その上どうして多様性がよいのかという根拠もつけるべきだ。 そういう見取り図の気配がないのが一番の減点対象だろう。 書こうと思った時点で捨てたものの気配がない。 オートマチズムのように民族 国家と入力されて出てきたことばが並んでいる。 (失礼 長老は山崎のことばだったんだな。でも、あえて使う必要はない。あれってコミュニティ主義じゃんか。前近代がいい。 なんていうのはデカルトが聞いたら怒るに違いない。お前がそんなこといえるのも近代があったからだろって。) まず見取り図をしめせばよい。どう書くかは別の話。 どれぐらい豊かな見取り図かで自分が知識を使えるようになってきたのかがわかるから。 何も書けなければ、つまり、それについての知識が何もないってこと。
153 :
あ :2008/01/15(火) 08:08:13 ID:Y1vC/5fX
多様性万歳の仕掛け。 国民国家主義→国家の戦争が文化の戦争に。文化の戦争が国家の戦争に。結果、総力戦。紛争の長期化。→少なくとも文化的差異が衝突に結びつかないこと →お互いの文化をよく知り。人間が生きる上での基盤であることを尊重すること。→現在、検討されているマルチカルチャルという政策は…。→最終的には文化という ものが生きるための基盤であって、他者を差別排除するための道具ではないこと。 ぐらいだろう。(ごめん他の流れは思いつかなかった。経済からは追ってけない。経済人という抽象は文化を否定してるから。)
154 :
半さん :2008/01/15(火) 08:58:55 ID:lgyfYHe2
やっぱりあさんのツッコミが入りますかw 設問は 著者の主張する国家と民族の関係をふまえて, 「考えるところ」を1200字以内で述べなさい ってあるんである種の飛躍感はあるにしても 字数制限もあるわけですから 十分解答になってると思いますがね
150分で課題文付1200字×2題とは、はっきり言ってめちゃくちゃですな。 受験生を威圧しようとしているとしか思えない出題だなー。 猫ちゃんの解答例見ました。おそらく、ここまで書く受験生はおらんでしょう。 内容について基本的に問題はないと思います。以下、気づいた点をいくつか。 まず、段落分けが乱れたのは残念。おそらく5行目と6行目あたりに改行があるのでしょう。 このままだと、第2段落「このように、山崎は…説明する」の該当部分が第1段落全てになってしまう ので、あ君の言うようにちょっと違和感があります。 私があ君のコメントに同意するのはここまで。こういう課題文付小論文は、一般的なことを課題文が 述べるので、その論調をそのまま引き継いでも抽象論にしかならない。答案ではそのテーマをむしろ 自分にひきつけて個別具体的に論じないとだめ。そうでないと字数以内に話がまとまるわけがない。 あとは字数の配分の問題ですかね。山崎説をまとめるまでに半分費やしていますから、冒頭の具体例は 削減し、導入部は長くても全体の3分の1程度くらいの分量することにして残りを自説の展開に使う方が いいでしょうね。「私たちが多様であり、同一性に還元されることがない特殊性に生きることができる社会の 可能性を問いたい」という主張なのだから、私としては、事例として掲げた自説の論点(他言語への寛容さ、 教育の果たす役割)についてもう少し具体例を盛り込んだ方がわかりやすくなると思います。思い切って議 論を絞り込み、日本における外国語の置かれた状況、教育の工夫によって予想される変化といったところ にもっと字数を割いてもよかったと思います。 あと、「本来的に伝統や文化を重んじる社会とは、国家としての均質化に政治的に向かうものではなく、 異なる伝統や文化を尊重し愛でることを賞賛するものである」というところは、この答案の核となる部分だと は言え、やや断言しすぎでは?課題文でも教育と啓蒙には「意図のあるなしを問わず危険な政治の力が 忍び込んでしまう」とされています。「賞賛するもののはずである」「賞賛するものであってほしい」とでもすると 落ち着きがいい気がするのですが。
156 :
半さん :2008/01/15(火) 12:59:15 ID:lgyfYHe2
抽象論のみで勝負するとなると 既に課題文の出典元に目を通したうえでレジュメを書くって ことでしょうから字数・制限時間のある試験にはそぐわないでしょうね なんか「根性試し」の感が強いですね センターなんかで点数は十分ある方が受検してるでしょうから 無回答や題意に大きく外れなければ「セーフ」の感があります この手の試験で「採点ミス」等のクレームはあるのかな? 合否だけでなく講評を受検者にレスするようにしないと 不満が発生しそうですが・・・
157 :
半さん :2008/01/15(火) 13:16:16 ID:lgyfYHe2
>>149 デカ氏もさすがにカトリックマンセーの学問に
おおっぴらに逆らうわけにはいかなかったんでしょw
私も珠算のベテラン先生相手に開平・開立・特別算法なんかの話は
本人が知らない可能性もありうることから
不機嫌にさせたらアレなんで口を慎むようにしとりますw
158 :
あ :2008/01/15(火) 17:48:30 ID:Y1vC/5fX
長尾を持ち出してそんな小論文じゃ意味がないってことですよ。 そもそもがモダンをどうして超克しなきゃならないのか。 モダンの超克がなぜポストモダンなのか。 それがわかってないってことでしょ。ポストモダンの一番の弱点は モダンがなきゃただの出鱈目ってことです。 後進国でポストモダンなどといっても機能しないし、そんな余力は ありません。 (それが即ち長尾小論文の弱点でもあります。環境問題を通して いえば、地球が危ないからみんな二酸化炭素を出さないようにし よう。キミ達焼畑は止めたまえ。それから工場も作らないように。 なんて先進国がいえるのかってことと同じです。) 安直にポストモダンを持ち出すのは勘違いでしょう。 長尾先生はつい自分の時代が来たと思っちゃったんでしょうね。 (彼の教え子のブログをみたけど、分からなかったけど熱心で 感動した。…それじゃあ意味ないだろ。…独りよがりくさいですね。 熱心なんでしょうけどね。それこそ啓蒙ですよね。それ。)
159 :
あ :2008/01/15(火) 17:54:05 ID:Y1vC/5fX
SK2 ママンに反論しなよ。 長尾の三原則に逆らってるぜ。 ――●論文作成のための三大留意点●―― 「概念的に考える」 「抽象的に書く」 「論理的に展開する」 作文を書けだって。作文は小論じゃないだろね。 わしがキミのを感想文と評したのはそういうわけだ。 設問の意図が汲めてない。 ただその一点につきる。
160 :
半さん :2008/01/15(火) 19:57:19 ID:lgyfYHe2
>>159 「考えるところを述べよ」というのが
小論のみなのか感想文も含むものなのか・・・
今やってる方法序説も論文と見なせますし
86であさんが指摘したようにエッセーともみなすことも出来ます
小論文の範囲内にエッセーや感想文を含めることはアリなのでは?
161 :
あ :2008/01/15(火) 20:12:58 ID:Y1vC/5fX
>>160 みながそれでもよいといえばよいが、受験業界では違うらしいよ。
長尾の本を掲げているSK2が感想文じゃだめだと思う。
あと御指摘の通り、方法序説はフランスではエセーだと思います。
パスカルのパンセだってエセーです。
162 :
半さん :2008/01/15(火) 20:35:33 ID:lgyfYHe2
>>161 広辞苑ではエセーには「小論」の意味も含まれてますが
受検では「ダメ」ってことならそうなんでしょうね
163 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/15(火) 23:14:40 ID:DfWCj+yh
>>155 ママンどん
今回は具体的な学習者を強く意識しました。そのあたりは徐々に。
で、だいたい予想したあたりのコメントです。では、いくつか思惑やらを。
>150分で課題文付1200字×2題
今回取り上げたものは、比較的易しい問題です。難しいのはトコトンやります。
でも最近は少々反省したのかな。というか、受験生のレベルが落ちてきたのか。
>段落分け
その通りです。整理してて間空けなかった。
>抽象論
抽象化や概念化ということが分かってない人間は放置が吉です。
抽象論だけを振りかざしても高校生から一般大学生ではリアリティに欠け、結局何かの
引用や紋切り型の羅列になるでしょう。で、大事なのは抽象「化」なんですよね。
>テーマをむしろ自分にひきつけて
さあ、ここですがな。「著者の主張する国家と民族の関係をふまえて,考えるところ」というのは
国家と民族の関係を論じるものではないんですね。「ふまえる」ということの意味を「あ」はさっぱり
分かってないんです。「ふまえる」とはそれ自体ではないことを中心に持ってこないといけません。
従って、何を論の中心に据えるか、そこも見所になるということでしょう。
よーーく御存知のように、このあたりは得意領域でありここでもあそこでも何度も論じたものです。
ですから、逆にギトギトした脂ぎったものにしないよう注意を払いました。
いかに、我慢するか、そこが今回最も苦しかったところです。
さて、私は踏み台を睨んで何を取り上げたか。そう、「伝統」です。なぜかって、
それはもう嫌味でしかないわけです。ここのスレの流れとして原点回帰を促すことを
意図しました。
その伝統が自足的共同体の静かなものから、騒々しい押し付けに変容させるのが
国民国家なわけです。その化け物を民族主義として正当化する政治については十分に
触れていると思います。伝統という意匠をそのままに実は化けさせた結果を利用した結果、
民族が国家に結びつくんですね。
もちろん、たまに登場する平下流とやらも意識しての「伝統」です。
>字数の配分
>冒頭の具体例は削減し
>自説の展開に使う
基本的に字数より多めに書き削るというのが私のやり方です。だから、仰るように
最初を削る方向も考えました。「日常生活においてさえ伝統を感じることが
少なくなった」程度でもいいでしょう。実際、削りかけて復活させました。
脂ぎった感じになりそうだったからです。受験生を念頭におくなら、このような
ジャンプ台もあっていいかなと。
要約、小論とも私は同じ問題を異なった字数で処理させるのが非常に勉強になると
考えています。この冒頭をばっさりやれば、100字〜800字へと向かいます。
また、抽象「化」とは抽象論だけの一本やりではないと思うのです。冒頭の疑念は
抽象的思考へ向かうベクトルとして出しました。
164 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/15(火) 23:37:00 ID:DfWCj+yh
>私としては、事例として掲げた自説の論点(他言語への寛容さ、 >教育の果たす役割)についてもう少し具体例を盛り込んだ方がわかりやすくなると思います。思い切って議 >論を絞り込み、日本における外国語の置かれた状況、教育の工夫によって予想される変化といったところ >にもっと字数を割いてもよかったと思います。 確かに持論の展開が少ないですね。これも一つの我慢です。 例えば、「政治家が不用意に日本を単一民族だと発言するように・・・」などをかなりばっさり やりました。口当たりの良さを考えたのは似合わないことだったかもしれませんね。 最後まで違和感はありました。 でも、ママンどんの指摘はその通りです。でも、受験生からそれだけ出てくるかなあ。 字数稼ぎも一つの技術です。時間は限られているのですからね。 >やや断言しすぎ >するもののはずである ・・(1) >ものであってほしい ・・(2) 文末をどう締めくくるか、推敲で工夫するべきところです。「思います」一辺倒という あたりからどう脱出させるか、そういうことも踏まえて大事なポイントですね。 文末は処理のまずさだけで内容に関わらず幼稚な印象を与え説得力に欠くようなことにも なりかねません。 ただし、(2)のような個人の願望として語るのはできるだけ控えた方がいいと思います。 あくまでも社会的に共有されたものとして語ることが大事ではないでしょうか。 社会的問題を個人の努力に還元する方向も同様の理由で避けるべきです。 推敲で、あまり考えずまっいいかというのはありました。 意識的にいろいろな表現で文を終わることを義務付けるようにするのもいいでしょうね。 反語修辞疑問文を使うとかも。 最後に、「国民養成の装置、想像の共同体、注入」など当方の常套句は禁じました。 しかし、これを指導するにあたっては多少なりとも用語を習得させます。ことばとは 概念であり思考の道具になるからです。「内部・外部」や「神話」作用など、たくさん 覚えさせたいですね。一つ二つ使えば、それが背伸びであっても受験生ならポイントに なるのは確実です。しかし、トンチンカンになるといけないので背景を押さえつつ語彙を 増やしたいとも思います。現代文小論文でも用語が重要視されるようになり、そのような 教材もけっこう出ています。 指導には我慢も大事です。 同時に背伸びも煽るようにしたい。兼ね合いが技量となるでしょう。 総じて、やっぱりなっと確認できるコメントで感謝しています。
165 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/15(火) 23:42:30 ID:DfWCj+yh
それから、山崎の論をまとめたあたりも一つの方法として意識しました。 手短にまとめるのは字数稼ぎでは有効です。もちろん自説展開の際に 二項対立あるいは援用としてうまく織り込んで論じればそれがよりよいとは思います。 私は援用だとギトギトするように思いました。もっともっと・・となって。 二項対立ならかなり細かいものになりすぎるでしょう。サラッと触れながら、 それはなかなか難しい。 新聞の書評欄も参考になるなと。小論のヒントとして。 また、機会あったら書きますわ、答案w
166 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/15(火) 23:45:04 ID:DfWCj+yh
「あ」 お前はお前のキャッチボールしとけ。って、そういうことだったんだろ?w で、お前の不合格答案はまだあ?それだけでしょ。
167 :
半さん :2008/01/16(水) 04:12:58 ID:fVzKa9d5
猫さんの言う「吟遊詩人」ってこのことだったか・・・
168 :
あ :2008/01/16(水) 04:49:24 ID:qzpu3NpI
だめだこりゃ。 それじゃ山崎の論の言い直しで一番小論文のとき減点されることだろ。 何度もいう。設問者の意図を考えよ。2001年の入試になぜこれを出しているのかだ。 2002年だとオッカナクッテ出せません。なぜって、9.11があったから。そういう一歩手前 で出された問題なのだよ。 わかったかね。世間知らずさん。 キミのキャッチボールはふざけすぎで相手できないよ。キミのいいたかったことを持ち出すために はアメリカなどの移民国家こそが具体例でなければならなかったはずだ。 (まさに言語の多様さと公用語を身につけることの狭間で人々が生きている。もともとセサミーストリート は誰に見せる番組だったのか。なぜにダイレクトインストラクトの成果を母語が英語でないものの英語 習得率で量られるのか?) 採点者としては、まず第一に「かぶれ」かあ。で悪い印象しか残らないよ。 そもそもがなぜ近代が超克されなければいけないのかが、提示されてない。 反論として、同化してなぜ悪いというものがある。それを無視して、それぞれ固有の文化を尊重なんて ことをいっても無駄だ。 なぜ多様化なのか。 わかってない。 これはね。どれがうまく行くかわからなくなったからだよ。近代的方法によってうまくいく可能性って ことがどうも低くなりつつある。でも、近代的な機械力や生産性や技術力は強力。これが生きている うちに次のやり方を見つけたいから。 ポストモダンは試みにすぎない。それはモダンの中で行われてる。 だからどのポストモダン理論もダーウィンの悲劇を防げない。おそらく逆に加速しかできない。 なぜなら、全世界中が均一なモダン空間になることによってだけ、初めてポストモダン理論はワールド ワイドになれるから。
169 :
あ :2008/01/16(水) 04:54:32 ID:qzpu3NpI
論理性=説得力だ。 その文章表現ではまるっきりだめだ。 山崎の論の言い換えだとしても、なぜ公用語への同化がいけないのか根拠がない。 しかも、途中で感情論になってる。ヒスが入ってる。演説じゃないんだから、それだけ でも減点。 なぜマイノリティが支援されなければならないのか? なんてことをやると人権ってことをやらなきゃならなくなる。人権とは何か。 それこそ一行でまとめ。だからこそ…うんぬん。 でもそれっていかにもサヨクくさーい。人権かよ。国家と民族で。人権を持ち出せば、 反論としては、その人権を守らせるのも国家だろ。つまり、そういう強制は正義と 考えるのだな。ってことになる。 山崎の課題文の出所を見よ。 (ここまで見て普通は論文というものを考えるものである。)
170 :
あ :2008/01/16(水) 05:10:40 ID:qzpu3NpI
それを避けるなら思い切って山崎の出している二つの民族 をきっちり論じて国家と結びつける。 民族を山崎は二つに分けて使ってる。 一つは国家が統合の自覚として作り出した民族 もう一つは長老たちが粛々と受け継ぎ伝えてきた文化を共有する 集団である。 これはネイションとエトノスに区分されるものだ。 山崎は暗にエトノスこそ本当の民族であるといいたいようだけど。 (民俗だよ。それ。) 国家の衝突という具体的事実なしに民族の覚醒も起きないわけだし 民俗も保護されない。 国家の役割ってことを論じることになるだろう。 でも、これもやっぱり設問の意図を踏まえてないだろうなあ。 批判だよなあ。「ふまえて論ぜよ」だからなあ。批判禁止されてるよ なあ。 うーん。 やっぱりその路線に道はない。 課題文が「少数民族の迫害」みたいなものならまだいいが 「ユーゴスラビアの悲劇」「チベット問題」でもない限り書くべきでは ないだろう。 ともかく人権が根拠になるようなものはそれだけで実はアウトくさい。 (人権こそ近代が生み出したもの。後進国では人権という概念の理解 さえ難しい。っていうか伝統的価値観と衝突してる。相性問題が発生 してる。)
171 :
あ :2008/01/16(水) 05:23:27 ID:qzpu3NpI
同化してなぜ悪いに対する反論の一つ。 お仕着せの服は似合わないこともあるというやり方が一番わかりやすい。 近代がもたらす物質的、経済的豊かさを享受するのは何よりも人間であって、それを享受するのは最終的には心である。 物質的豊かさが快=善にもとづくものである以上、それを善としない人々には齟齬感を生じる。それは罪の意識として 認識されていくだろう。 アルコール中毒で自堕落な生活を送るイヌイット。観光客には民俗の踊りを見せ、キャンピングカーで暮らしナイトクラブへ 遊びに行くネイティブアメリカン。彼らは文明的な豊かさを享受しているが、文化的には帰属する文化を失っている。 同化しきれるという考えは乱暴なのではないだろうか。わたしはだからこそ、固有の文化…うんぬん。 共同体を対峙させるしかないだろ。国家に対して社会を配置するのが国際関係だとしたら、内側は国家に対してムラを 対峙させるしかない。 でもさあ、近代に目覚めちゃった人は日本はムラ社会って攻撃してきたわけじゃんか。 まさに今になって…だよ。 間違えてました。わしら西洋かぶれでした。みたいな。しかも、この考え自体も西洋からの輸入だし。 まあ、考えるとしたらこれぐらいしか根拠はありません。 それぐらい近代のもつ物質性は強力です。
172 :
あ :2008/01/16(水) 05:25:47 ID:qzpu3NpI
物質性の強力さをまさに知らしめたのがデカちゃんだ。
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/16(水) 05:53:58 ID:QsgRgAMh
あ 答案書かず多弁です
174 :
あ :2008/01/16(水) 06:14:46 ID:qzpu3NpI
書く意味がないもの。 お手本の小論文を書いても、問題は発想は身につかない。 ただ小論文とは何かに答えるだけだよ。 作文との違いをきちんと示すだけ。 山崎の 「国家と民族」をふまえて語れそうなことはすでにいくつも示した。 その上で人権を根拠にもってくるようなもんはわしは書きたくない。 (人権こそ国家が成立しなければ、もともと保障されないものだ。 暴力を振るう権利は自然権だと思うか?自由権を認めれば、そう なるぞ。ところが現実には共同体意識の作用が強くて暴力の内と 外の使用分別が行われる。内においては掟、外においては略奪の ように。略奪の非暴力化が婚姻による譲与ってことになる。) 人権をもってくるのは、この年になっては恥ずかしくてとてもできません。 子どもの人権宣言を遵守せよって迫りたいのは子どもに対してであって 大人に対してではないことの方が多い。 彼らは調停を失った野蛮なの。 調停を教えて理解させていかないとしなくてもいい暴力による簒奪ってこ とを人権に基づいて(判断力がないから。自己にとってという切り取り方で) やってしまうからね。 そんな現場にいて人権を根拠にはできません。
175 :
あ :2008/01/16(水) 06:32:33 ID:qzpu3NpI
もうすこし具体的いうなら。 「ヤッターマンの新OPについて」ってトピックで新OPでもいいとか糞とかいうのは作文。 どうしてこんな騒ぎになってるのかを現状の分析を踏まえてその背景を説明するのが小論文。 ネットの発達、過去のアーカイブ、アニメ視聴者層の変化(年齢別文化の崩壊) など現代の風俗の裏側の関連づけて述べることがいくらでもできる。 しかも、火がついたのが作曲、作詞者のHPって…何それ。みたいなこともあるしね。 どっちがいいなんてことを言ってても、結局それが金につながるように組織できなければ 何も変わらない。 意見が寄せられる、それが長期にわたるほど視聴率は引っ張れる。 でもね。反対とかいってるやつはネットで見てんだよ。 視聴率に関係ないだろ。お前らは。 あーそこから視聴率神話の崩壊なんて切り口もある。 民放は大変だなあ。今。 企業もCMうっても仕方がないとは言い切れないから困る。 ネットコマーシャルもテレビコマーシャルもやらなくちゃいけない。 ネットのコマーシャルがどぎつくなるのは、選択性の問題。 28週なんてすごいよ。さずがにうんざりした。そういう話じゃないだろ。 あれ。 スプラッターを強調してどうする。 あーこれは感想。
176 :
半さん :2008/01/16(水) 07:40:18 ID:fVzKa9d5
>>174 >調停を教えて理解させていかないとしなくてもいい暴力による簒奪ってこ
>とを人権に基づいて(判断力がないから。自己にとってという切り取り方で)
>やってしまうからね。
だから権利・法律がらみの話は最終学年に施すのかな?
卒業前の思い出づくりや受検やらで必要以上に権利に興味を持つヒマが
少ない時期ですもんね
「目覚める」のは卒業後ってことでw
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/16(水) 17:30:31 ID:QsgRgAMh
講釈だけの多弁です
178 :
あ :2008/01/16(水) 17:38:41 ID:qzpu3NpI
>>176 権利について教えるときに他人にも同じ権利があるということ、そして他人とは貴方の知らない人で貴方の周りにいる人
であることを理解できればどの学年でもいいんじゃないですか。
友だちと友だちでないものでは行動の評価が違う(ダブルスタンダード)を平気でやるのが子どもですから。
友だちなら。とかいい始めるのは厳禁です。それは友だちでなければ敵だったら何をしてもいいと教えることになりますから。
戦争が始まったら、誰を殺したいなんていう問いを立てる人間になってしまいます。
179 :
半さん :2008/01/16(水) 21:01:24 ID:fVzKa9d5
>>178 >友だちと友だちでないものでは行動の評価が違う
>(ダブルスタンダード)を平気でやるのが子どもですから。
うわ!耳が痛いorz
自戒はしてるんですがこれがなかなか・・・
過去の国家による強制で均一化がはかられた反省から
多様化を認めるのはいいんですが
法律の理念ばっかり先走って
民衆がついてこれず実生活で
「敵」を生産しなければいいんですがね
なんか多様ななかにも融合による新たな生産物が欲しいトコですな
180 :
涙 :2008/01/17(木) 00:09:19 ID:OFksH0zZ
誰か答えてくれ・・・頼む インターネットの普及が経済に及ぼす効果を一般均衡モデルを用いて答えよ。 1.労働市場はどのように変化するだろうか?図を描き説明しなさい。 2.生産物市場はどのように変化するだろうか?図を描き説明しなさい。 3資本市場はどのように変化するだろうか?図を描き説明しなさい
181 :
半さん :2008/01/17(木) 05:06:01 ID:nZ1jlTWe
>>180 「一般」かどうかはわかりませんが
均衡モデルというと
(1)Y=C+I(Y=国民生産、国民所得、C=消費、I=投資)
(2)C=aY(a=限界消費性向)
で投資と限界消費性向の値を代入した上で
生産、消費を連立方程式ではじき出すっていう
単純なものしか耳にしたことないです
あとは投資の波及効果の計算で
I/(1-a)でどれだけYの値が増えるかの計算だったかな?
無限等比級数がどうたらこうたらって話らししいんですが
いまいちわかってません
まぁ外国なし、政府なし、時間なし、非経済人なしの世界の
理論なので現実の経済分析には使えないでしょうねw
力不足でスマソ
182 :
あ :2008/01/17(木) 05:10:36 ID:vDUjXC6t
2chで図を描けですかそれは無理です。 1、は日雇い労働の増加が考えられます。インターネットは携帯にもつながってますから、そういう派遣会社との契約で流動 就労人口の増加が見込まれます。正規雇用、転職・途中採用などについては見識がもてません。 雇用側からみれば、会社説明会を廃止する会社が出てくるかもしれません。会社のような公の存在は情報開示そのものが 一種の義務になってるでしょうが、一方、会社側からは雇いたい人間のプロフィールはつかめません。(個人情報保護法 などで) 図に上げるなら若年層の日雇い労働人口の変化の図を探すのが一番ではないでしょうか。 2は案外簡単です。各地の天気や出来高などがリアルタイムに得られることから、金余りの企業などはデリバティブに よって利益を上げようとし資本がそちらに流れることで、原材料費が上昇傾向になります。(例 石油 金) 材料の確保などもネット上で行われるために顔で買うということがなくなるかもしれません。 材質など質の部分のチェックは生命線だと思われますが、その当たりはどうなってるんでしょうか? あと発注受注が全てオンデマンドで中央コンピューターとのやりとりで決定されます。無駄がない生産状況がしくまれます。 ですから、一番簡単なのは在庫量の変化を調べることでしょう。以前は人間の見込みだったのではずれると在庫が多かった はずです。コンピューター管理になればそのような無駄が省かれています。あとは発注から納入までの日数の変化でしょうね。 3先にもあげたように資本が金融市場に向かいます。ですから利潤の内で実体経済による利潤が下がるはずです。 そのようなデーターを探せばよいのではないですか? 後ここで聞くのはお門違いですよ。ここ社会科音痴の巣窟なんですから。
183 :
半さん :2008/01/17(木) 05:21:07 ID:nZ1jlTWe
私も浮世離れしたもんだなぁ・・・ 社会科オンチ街道まっしぐらw
184 :
あ :2008/01/17(木) 05:23:06 ID:vDUjXC6t
検索の仕方はアドバイスできる 1)はインターネット 労働市場 市場の流動化だそうです。 2)インターネット 生産物市場だと うまくいかないみたい。 小売の変化 直販市場の拡大みたいなことみたい。 3)インターネット 資本市場もだめ。 2)3)はある程度 調べたいことを予測して 検索単語を決めないと 見えてこない。 2)生産量 インターネット 在庫量 インターネット など。 3)インターネット デリバティブ や会社の資本運用じゃないかな。 先生はいったいどんな授業をしたのかが結構肝。ネットの普及でネットショップがみたいな授業をしたのであれば小売 市場のことを取り上げるべきでしょう。 とりあえず全部泣きつかれても一般的、概念的にしかお答えできません。 (やっぱりキャッチボールなしに回答は成立しないのです。)
185 :
あ :2008/01/17(木) 05:46:25 ID:vDUjXC6t
3)については資産経済 インターネットも検索されたし。 ぐらいかねえ。SK2のいうことは無視していい。完全なサヨク思考なので役に立たない。 格差とかなんとかいいはじめるんじゃねーの。だから消費者なんて生産者がいなければ 発生しねえよ。 自給自足しているものは消費者じゃない。あと拾ってくる人も。なぜかは各自思考のこと。
186 :
半さん :2008/01/17(木) 06:00:54 ID:nZ1jlTWe
>>185 明証、分析、総合、を自分でやらずに
他人のやったのをパクって枚挙、吟味に専念したほうが
点が獲れそうですね
187 :
あ :2008/01/17(木) 06:36:18 ID:vDUjXC6t
しかし大学生で授業に使うっていわれている本も購入せず、購入しても読まず、そんなんで学士様でござい。 これがこの国の現状です。 こういう人が大学に入学してるのに何が受験対策なんでしょう。意味ないよ。 ○○でも受かるじゃん。受験産業=不安産業なんだな。結局。 おたすけ機関に頼ることで自分で勉強できなくなってる。 新学力観やゆとり教育が目指した自分で解決=他人に頼るになってる。 まあ実際総合的学習の時間を今の担当で切り盛りするにはグループ化 した生徒を扱うしか方法がないから仕方がないとはいえ。 個別に力をつけなきゃ意味ないよ。とほほ。 一時期、ひとりひとりを大切に、ひとりひとりの学力を伸ばすがキーワード だったときがあるんだけど、あれってあだ花だったんだな。 結局コストが大きすぎたんだよね。 だから、お金を投下して25人学級にしろ。それでほとんどのことが解決する。 あと各学年にアドバイザーフリーを置け。 人こそが最大の教育環境ならそうしなければ再生なんて無理。 (再生ってことは、もとはよかったということだが…いったいいつの教育にもどそうと してるのか?そもそも、もどせる社会状況なのか?)
188 :
半さん :2008/01/17(木) 06:48:06 ID:nZ1jlTWe
>>187 一人の奈々氏さんで国の現状を
帰納するのもアレだと思いますが・・・
修士様、博士様のガンガリに期待しましょうw
189 :
あ :2008/01/17(木) 07:18:01 ID:vDUjXC6t
だってさ。大学生だよ。 あの最高学府ですよ。 高校全入に大反対している私からみたら、やっぱりです。 意味ないからやめろと それよりも学歴社会がつぶれる方が早いし。 SK2の小論でも合格する大学もあるってことさ。 じゃなきゃ潰れちゃうんでしょ。 あーあ。その程度の大学でも勉強しなきゃ入れないのに 出てからどうすんだ? ママンが高邁な理想を垂れてるのも、そんな人間を強制的に相手にしなくていいから にすぎないよ。 東大など帝国大系を受ける人や私立でも有名校を受ける人しか教えなければ高邁た れててもいいからね。 一を見て全を語るのは間違ってるけど、全体的な傾向は間違いないと思うな。こりゃ。 中、高とも小学校並の授業をしてくれ。できることを徹底して繰り返して、自分でできるまで やる。
190 :
あ :2008/01/17(木) 07:28:38 ID:vDUjXC6t
高校生なら一昔前は室生犀星の 小景異情その2を一発当てでも読めるのがフツウだった。 (わかるとはいってない声を出して読める。) ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや 難読語は異土と乞食ぐらい。 異土は意味はわからなくても音読みで 乞食はさすがに読みをしらなきゃ読めないだろうが…。 王子と乞食とか日本ものでないもの中世ものには乞食 は出てくるのでそういうものに触れていれば読めた。 これは故郷に行って、でも、すぐに帰る詩だってことを つかむのはまた別の問題だとしても。 > ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの > ここの読み取りは案外難しいから。とある高校の先生はではこの文の逆を書けといったらしい。 > ふるさとは近くにありて思わぬもの そして楽しくうたふもの > となることから、作者の思いを確定させていた。 ふるさとに来てそのよそよそしさに失望するなんていうことをきちんと読み取ることは 難しい。 思っておくだけ、詩にしておくだけ<でよかった。>この<の方がよい>が読み取れない。 これは難しい。経験だもの。 下世話にして初恋の人にはみたいな話にするとわかりやすいが、この詩の詩情から離れてしまう。 この辺が文学を扱うときに難しいところ。文学って結局情だから。
191 :
半さん :2008/01/17(木) 14:54:16 ID:nZ1jlTWe
>>189 高校全入に反対って・・・
「金の卵」の時代に戻れってことですか?
それもちょっとなぁ・・・
192 :
あ :2008/01/17(木) 18:31:41 ID:vDUjXC6t
このまま若いものイジメをしていけば世の中が腐る。 いろんなコースを社会へ出て行くまでに選べるのがいい。 サヨクは普通科こそ自立する市民にとって必要な場だみたいに言うけど。 それってまさに学力差別じゃん。 中卒だっていいんだよ。って世の中の方がまともだと思う。 教科書とノートよりも仲間が必要だというなら、そういう場こそを作ればよい。
193 :
半さん :2008/01/17(木) 20:02:38 ID:nZ1jlTWe
>>192 あさんの考える若いもの「イジメ」ってどんな行為なんですか?
中卒だっていいんだよって世の中は戦後にあったとおもいますが
彼らは最終学歴による賃金格差をどう思ってたんでしょうね
194 :
あ :2008/01/17(木) 21:39:14 ID:vDUjXC6t
月に一回は寿司も食えるし、うんまいラーメンも それなりにいい身なりの服も着れるようになったし 彼らはそれほど不幸だと思ってませんよ。 貧乏って慣れておくのは健全なことなんです。 人と比べれば這い上がるしかないですからね。
195 :
あ :2008/01/17(木) 21:40:42 ID:vDUjXC6t
若い者いじめっていうのは 正規社員にもしないで、そのくせ正規社員が仕事をおっつけて うまくいかなければその派遣や臨時雇いのせいにして、 やらずぼったくりみたいな給与をあてがう。 みたいなことですよ。
>>184 >>189 先生がどういう授業しただの大学生がしょぼいだのと言う話をする前にだね、全部妄想じゃねーの。
一般的にゆとり世代は評判が悪いが、それとは別に
>>180 読むだけでそんなこと言えるのかよ。
そもそも図の必要な経済学のレポートに泣く大学生がネットの国語スレで質問するかっての。
197 :
半さん :2008/01/18(金) 03:51:23 ID:QvXCmZoT
>>194 ただ自分に子供が出来た場合
同じ想いをさせたくないってことで
進学を促すってのはあるんじゃないんでしょうかね
198 :
半さん :2008/01/18(金) 03:53:38 ID:QvXCmZoT
>>195 イジメというより労働契約の一種でしょ
そういう職場もあるでしょうが
一般的な「若い者イジメ」とは思えませんね
199 :
半さん :2008/01/18(金) 04:00:59 ID:QvXCmZoT
>>196 ココ教育学板ですしねw
涙さんも常駐してくんないかな〜と思って
無駄レスしちゃいましたw
あさんの検索のアドバイスはいいんですが
大学生云々は蛇足ですね
新しい「キャッチボール」相手が増えるかもしれないのに・・・
「コミュニケーション」「ソーシャルスキル」って
何がなんだかわからなくなることあります
200 :
あ :2008/01/18(金) 06:29:42 ID:tyNHA4GG
>>196 ママンへ、いやあ、まともに高校生に分かるように教えてるとは思えない人が堂々と
高校の教育について語れるのですから、不思議でもなんでもないですよ。
基本スレ違いだよ。って断ってからレスしてるし。
>先生がどういう授業しただの大学生がしょぼいだのと言う話をする前にだね、全部妄想じゃねーの
これの根拠が
>そもそも図の必要な経済学のレポートに泣く大学生がネットの国語スレで質問するかっての。
なら、事実に反するので論理的ではありません。
もしも論理的にあの書き込みをいたずらというためには例えばあの書き込みがマルチポストによる
コピペであることを立証した上で、「ネタにマジレス」と落とすしかありますまい。
このような感情的な反応でやりとりしないことこそ、論理的なやりとりであるはずです。
’(一方で感情をやりとりするためのコミュニケーションもある。でも、それにネタを持ち込む際には
同好の士でもないかぎり無難なネタを選ぶべきである。天気の話をするなどはものすごく当然の
選択肢なのだ。)
201 :
あ :2008/01/18(金) 06:30:58 ID:tyNHA4GG
妄想だという根拠が思い込みの当て推量つまり空想だ。ではシャレにもなんにもなりますまい。
>>200 あのさー、自分の主張は「論理的」に説明や「立証」できるわけ?
私はお前さんの推測が妄想だと言っているだけで、同じ文面からお前さんと全く違う
推論が導きうる可能性を示しただけじゃねーの。
これが確定的な事実だなんて誰も言ってねーわ。誰だろうとどーでもいいし。
妄想を前提に自分勝手な批判を展開するお前さんと一緒にすんなよ。
感情的な反応で論理性を欠いてんのはどっちだよってこった。
203 :
あ :2008/01/18(金) 17:11:14 ID:tyNHA4GG
↑このような言説を感情的ではなく論理的という人間がいたら、お目にかかりたい。 少なくとも私の周りにはいそうもない。そんな奇特なお人には出会ってみたい。 ママンにではなく。
204 :
あ :2008/01/18(金) 17:22:39 ID:tyNHA4GG
他人様に妄想などということばを使うときにはそれなりの用意をするものではないでしょうか? わしがママンを批判するときにはかっちりきっちり客観的な情報を使うように。三流以下は所詮三流以下ですな。
あのー、
>>196 で説明してるじゃないの。
180を読んでも、授業を受けてるとか、大学生とか、そんなことは一言も
書かれていないよという客観性と論理性が理解できんのですか?
206 :
あ :2008/01/18(金) 20:19:19 ID:tyNHA4GG
>>205 今日は天気が悪い。→雨が降ってる。
とは限らない。雪かもしれない。みぞれかも。
ぐらいな話で論理性ですか?しかも客観性ね。ふふふふ。都合のいい論理と客観だなあ。
まず、一般均衡モデルなんていうものを使うのは経済学でしか扱わないこと。
二点目に経済学というのは日本では大学にしか存在しないこと。
この二点で、
つまり、言った人間がぬれた傘をもっていて、履物がぬれていればほとんど雨だといっても
間違いではない。
こんなのは推理でもなんでもないよ。ワトソン君。
(プロパーな人が今更こんな泣き言をいうのはさらに変。)
>>180
207 :
あ :2008/01/18(金) 20:32:50 ID:tyNHA4GG
っていうかプロパーが答えてるのはここだろう。 www.jbic.go.jp/japanese/research/report/paper/pdf/rp20_j01.pdf 以上で解答も終わり。 どっとはらい。
208 :
あ :2008/01/18(金) 20:34:00 ID:tyNHA4GG
そこの67ページからの分析を読めばことたりるだろ。 ワトソンくんこんなのは推理じゃない。 ただの検索さ。
>つまり、言った人間がぬれた傘をもっていて、履物がぬれていればほとんど雨だといっても >間違いではない。 >今日は天気が悪い。→雨が降ってる。 >とは限らない。雪かもしれない。みぞれかも。 何をかいわんや。(平下流風)
210 :
半さん :2008/01/18(金) 22:05:13 ID:QvXCmZoT
デカ氏3部の冒頭は 住んでいる家を建て直す場合、それを取り壊して、建材や建築業者を手配したり、 あるいは自分が事前に慎重にひいた設計図にしたがって自分でその作業を行ったりするだけでは、 事前準備としては不十分だ。 工事中にも自分たちが不自由なく暮らすために、別の家を手配しなくてはならない。 同じように、理性から考えて判断を停止すべき状態でも、優柔不断にならずにすむように、 さらには最大限の幸福な暮らしをあきらめなくてすむように、 わたしは一時的な道徳コードを作っておいた。これは三,四つの原則からできているので、 是非ともみなさんに紹介しておこう。 一種の危機管理術かな? 従う能力をまず身に付けよと説いてるようですが・・・
211 :
あ :2008/01/19(土) 04:36:52 ID:wlLFsaXL
論理上の要請のことに集中したいから生活は無茶しないっていってますよね。 で処世術がやっぱりあの時代なんだなと思いますよね。 1基本的に世間様のやるこを真似する。 2相談のときは一番穏当な意見に賛成する。 で三つ目がなぜ、登場したかデカちゃんの気持ちがわからない。 > わたしの二つ目の原則は、できるだけ自分の行動について断固として決意をもって臨み、 怪しげな意見であっても、いったんそれを採用したならばいい加減なことはせず、それが もっと確実な見解だった場合と同じようにふるまうということだった、 > やると決めたらどこまでやるさ〜それが男の意気地じゃないか〜♪ えっと。これってやらないって決めたら絶対引くからっていうためのフリ?デカちゃんじゃないので わかりかねます。
212 :
あ :2008/01/19(土) 04:38:59 ID:wlLFsaXL
歌は柔 美空ひばりさんです。 > 口で言うより 手の方が早い 馬鹿を相手の 時じゃない 行くも住るも 座るも臥すも 柔一すじ 柔一すじ夜が明け > ってことなの?
213 :
半さん :2008/01/19(土) 07:25:00 ID:B4SzE5aO
>>211 二つ目は道を進む前によく考えておけって含みもありますね
一度足を踏み入れたらBGMは中島みゆきの「地上の星」で決まりですなw
三つ目は森鴎外の「高瀬舟」の囚人のマインド・セットを推奨してるのでは?
要するに「足ることを知れ」を連想しました
所有欲を満たすために思考を浪費するなって意味もあるのかも・・・
欲を満たせば次の欲が発生し
欲が満たされなければ鬱が溜まるってのは
デカ氏の思い描く「幸福な暮らし」に反することのようですね
214 :
半さん :2008/01/19(土) 15:04:02 ID:B4SzE5aO
あさんが前スレのとどめを刺しちゃいましたね 「尊厳死」ってやつかな? 弁論大会では便利な言葉ですが 使いこなすのが難しそうなんで 濫用を慎むようにしますよ^^;
215 :
あ :2008/01/19(土) 15:15:05 ID:wlLFsaXL
尊厳死を支配の原理でいうと「私の死とは誰のものか」という問いですよね。 担当医のもの?家族のもの?本人のもの?あるいは国家?社会? 「私の死とは私のもの」という宣言が尊厳死ってことになりますね。 それは解答ではなく、あくまでも宣言なのでしょう。
216 :
半さん :2008/01/19(土) 15:28:39 ID:B4SzE5aO
>>215 尊厳死は他人の「自殺介助」が必須になりますしね
手続きをあえてやっかいにしないと
濫用頻発しそう・・・
217 :
半さん :2008/01/19(土) 16:59:11 ID:B4SzE5aO
とりあえず4部に入っちゃいますが ついに ”Cogito, ergo sum." の登場ですね デカ氏の言い分は難解なんですが このコギトを出発点とすると エルゴ以下の単語を es, est, sumus, estis, sunt (あなた、彼・彼女・それ、我々、あなた方、彼ら・それら) と変化させて帰納による結論を導出するしか 使いみちなさそうです 仮面ライダー電王の特異点みたいw
218 :
あ :2008/01/19(土) 18:35:34 ID:wlLFsaXL
ええ。まあじっくりといきますが 、私が演繹ですべてを説明しようとするために見出した。存在は疑えないという根拠は徹底して帰納的な存在です。 あれって本当は私はある。の私がメインではなくて、あるがメインであるべきで、だからこそ世界はあるという証明が可能になるんですよね。 もしも、在るはずの自分を疑うと、それを疑っている自分さらにそれを疑ってる自分と合わせ鏡のように(自己言及っていった方がわかりやすいでしょうか) なって最後にはやっぱり自分の存在を仮定しなければ疑うことさえ不可能になることが証明されてしまうわけです。 (えーつまり、この結論は方法的懐疑という方法をとったときからある程度、予想された結論のはずです。デカちゃんは、存在の連続性、存在の一義性な どについておそらく直感的な信念をもっていたのでしょう。) そのために彼が立てたテツガク体系図には人文の領域がまったく入ってないそうです。(つまり意識だとか想像というものはテツガクの領域には入れない) まあ、そんなあらすじを頭に入れて4部をのんびり読み解きましょう。
219 :
半さん :2008/01/19(土) 19:38:50 ID:B4SzE5aO
>>218 Cogito, ergo sum. の「スム」を否定しちゃうと
「コギト」(我思う)は一体何なんじゃ〜ってことになっちゃうから
背理法で「スム」(我あり)と、ここんところは
演繹法で導出してるみたいですが・・・
220 :
あ :2008/01/19(土) 21:15:23 ID:wlLFsaXL
演繹では存在は証明できません。それは論理的に不可能です。 > すべてが非現実だと考えたくても、そのように考えているこのわたしは、なんらかの形で存在しなくてならない。 そしてこの真理、われ思う、故にわれあり(COGITO ERGO SUM)がまったく確実で、確固たる証拠を持ち、どんなにとんでもないものであれ、 疑問の余地はないことがわかった。 だから、疑念なしにこれを、わたしの求める哲学の第一原理として受け入れようと結論づけたわけだ。 次に、自分がなんであるかを素直に検討すると、自分にはからだがないと考えることもできるし、自分が存在できるような世界も場所も まったくないと考えたっていいことに気がついた。 でも、だからといって自分自身が存在していないとは想定できない。 それどころか逆に、ほかのことの真実性を疑おうとわたしが考えたというまさにそのことから、わたしが存在するということはきわめてはっきりと疑いな く導かれるのだった。 一方で、わたしが考えるのをやめただけで、わたしが想像してきたものがすべて現実に存在するとしても、わたしは自分が存在すると信じるべき理由を持たなくなる。 だからわたしは、自分というのは、その本質や性質が考えるということだけからできあがった存在なのであり、それが存在するにあたっては、場所や物質的なものに は一切依存する必要がないのだ、と結論した。 だから「わたし」、つまりわたしがわたしであるところの精神は、肉体からは完全に独立したもので、肉体よりもずっと簡単に知り得るもので、肉体が存在しなかったとし ても、いまとまったく同じように存在し続けるということになる。 この後で、わたしはある仮説の真実性と確実性にとってなにが本質的かを一般的に考えてみた。 というのも、真実なのが確実な仮説を一つ見つけたので、わたしとしては、その確実性の根拠を見つけられるはずだと思ったからだ。 「われ思う、故にわれあり」ということばの中には、それ自体を越えるような形で真実性を確信させてくれるようなものはなにもない。 単に、考えるためには存在しなくてはならない、というのがはっきりわかるだけだ。 したがって、一般原則としては、われわれが非常にはっきりと、疑問の余地なく受け入れられるものは真実だと考えていいという結論に達した。 ただしここで、われわれが疑問の余地なく受け入れられるものとは何なのかをきちんと決めるのは、やはりむずかしいということは理解できた。 > はっきりとデカちゃんは仮設(すなわち帰納)であるといってますし、コギトの意味も「考えるためには存在しなくてはならない」と明示しています。 だから方法序説をきちんと読もうとこう申したわけです。
221 :
半さん :2008/01/19(土) 21:56:35 ID:B4SzE5aO
>>220 √2は無理数である
√2は有理数であると仮定する
√2は1以外に公約数をもたない自然数a,bで
√2=b/aと表される
両辺を2乗して移項すると
2a^2=b^2となる
左辺は偶数なのでb^2も偶数となる
よってbは偶数・・・(1)
そしてb=2cとおく(cは自然数)
代入して2a^2=4c^2となる
両辺を2で割ることによってa^2=2c^2
したがってa^2は偶数であり、aも偶数である・・・(2)
(1)、(2)よりa,bはともに偶数である
つまり2を公約数として持つことになり公約数を持たないとした仮定と矛盾する
したがって√2は無理数である
コギトもなんか帰「納」法というよりこの帰「謬」法(背理法)に似てるんですよね
トータルでは疑問視してたスコラ哲学のイイトコ取り(演繹法)をデカ氏はやったのでは?
222 :
茶々 :2008/01/19(土) 22:23:00 ID:wEJQ6KR4
223 :
半さん :2008/01/19(土) 22:37:42 ID:B4SzE5aO
>>222 それがもっともスレタイにふさわしいネタですね^^;
正気に戻らねば・・・
224 :
あ :2008/01/19(土) 23:06:04 ID:wlLFsaXL
第1問 問い2はあまりにも簡単すぎないか?これは述部のちがいから 消去が進みかつ選択肢内での矛盾がないものを選んでしまえば、 間違いようがない。
225 :
半さん :2008/01/20(日) 00:37:42 ID:4JpKwK+t
例の室生犀星の詩は暗唱できませんが BOOWYの「Marionette」なら可能です もてあましてるfrustration You've got an easy day. 嘘を飲み込み静かに眠ってるMad city そしていつでもOh! complaint You've got an easy day あきらめ顔を誤魔化すように生きるのか 焼け付く日差しが俺達狂わせる 誰も彼も皆Oh, No No ! Oh, No No ! Shame yeah ! 疑うことをいつから止めたのさ セオリーどおりにゃOh, No No ! とても狙えないぜ 鏡の中のマリオネット 操る糸を断ち切って 鏡の中のマリオネット 気分のままに踊りな (これがCogito, ergo sumu のような希ガス.) デカ氏はこれと同じことを言ってる気がしてならない・・・ センターネタに移ってもいいように 先に感想を述べちゃいましたw
226 :
あ :2008/01/20(日) 07:58:10 ID:7TM1XQ5C
っていうかセンターネタは本来は塾スレで…が本当でしょうにね。 正直ママンとは会話できない。 だって無理やりだ。ヒスを起こしたお母さんみたいだ。正しいから正しいの。私が悪いっていうの?〜。 そんなときは基本、距離をとって刺激しないのが当たり前なんだけど。 あの論理にはついていけない。話題をズラしまくって正当化したり、語り手は実際には存在しないだから 語り手を読み取る必要はない。(小説に描かれたものは例え、地名であっても実際には存在しない。北海 道と書かれていても、その小説に描かれている北海道には行くことは何人もできない。)じゃあ小説も物語 も読む必要がなくなってしまう。 その前に語り手は否定されている。なる妄言。だから、それを書いた論文を紹介しろにはまったく答えない。 常識だからそんなこと書く人間はいないんだってさ。 でも語り手について分析した論文はたくさん見つかるのに…。どういうこと? なんで半さんがまともに相手をしているのかよくわかんね。(まあ、わしの相手もしてくれているので同じ ことだな。わしの方は別にほおっておいてもいい。少なくともわしの勉強にはなる。そしてスレも消化できる し、ヤマさんもこれにこりてスレを延命しようとは思わないだろうし。)
何度言ったらわかるわけ? あのねえ、語り手の分析は多くの手法のひとつなの。 だからこそ語り手の分析の論文はたくさんあるわけ。 しかし、当然のことながら、多くの分析のひとつでしかない以上、全ての研究が 語り手を対象にしているわけではない。 お前さんの姿勢は、選択肢を選ぶ際に語り手の分析が有効だというものであるが、 選択肢は出題者が考案したものである。出題者も読者のひとりであるのだから、 そこで語り手を分析軸にしようということは、出題者も語り手を意識している ことを前提としていることになる。 ここに、「作品には必ず語り手がいる」とか「読者は語り手を意識すべきだ」と いった語り手の実体化=汎用語り手主義が出てくるわけですな。単なるひとつの 分析手法に過ぎないのに、出題者までも巻き込んで、それを声高に強調する危険 性に気づかないなら、被害を受けるのは生徒だっての。
228 :
平下流 :2008/01/20(日) 16:21:29 ID:6HIZWD2j
前スレ:
日本の国語教育16
academy6.2ch.net/test/read.cgi/pedagogy/1187408731/
>>913 >要するにアメリカが日本を占領した時代に交付、施行された憲法を独立後も認めるのか?
>ってことのようですね
>私は認めてます
あなたの言われる意味で憲法を認めるか認めないかではなく
憲法が存在しているかどうかの客観的事実の問題です。
>言われてみれば愛国心の感情から流さんの意見も納得しますが
>「尊厳」ってのがちょっと・・・
>それを子供に教えても「小天狗」止まりの俺様国粋主義者を生むのが関の山だと思いますがね
私の「尊厳」意味は「尊厳死」の「尊厳」と同じです。
〜主義とは無関係です。
子供に教えるのは、まず憲法が存在しているかどうかの事実です。
事実を教えることが「尊厳」に繋がるということです。
何れにしろ、憲法が客観的に存在しているかどうかです。子供に嘘を教えるわけにはいきますまい。
229 :
あ :2008/01/20(日) 17:38:58 ID:7TM1XQ5C
えっと流れさんには申し訳ないけど。 その客観的っていうのを、他人がそれを認めて、従うかつまり憲法の場合は国家を運営する際にそれに規定された 道筋を守ろうとしているのかってことだけど。わかってますか? あなたにとって存在しているか。は関係なにのです。国家にとって存在しているかがその証明です。 であれば、客観的に存在しています。わが国の政治システムは日本国憲法に規定され、日本国憲法を運用するように 義務づけられている。と児童生徒に教えることができます。 あと個人の尊厳と国家の尊厳が直結したり並列したりするのはおかしいから止めた方がいいですよ。
230 :
あ :2008/01/20(日) 17:44:15 ID:7TM1XQ5C
ママンは古文を教えたことがないらしい。 古文をきちんと読むためには「語り手」という概念は絶対に有効だ。 特に相手に応じて活用語尾やそもそも用言さえ変える古文においては 誰について誰が記述しているのかを考えることなしには、正しく読み取るのは 相当困難である。 ともかくママンが出てきてはマトモナ話し合いは成り立たないだろうよ。 (自分でも何がいいたいんだかはっきりしないから。)
231 :
半さん :2008/01/20(日) 17:52:14 ID:4JpKwK+t
>>226 まぁ受検で扱う「全て」の小説には語り手がいる
でFAですかね
視点に関しては偏差値60台から70を超えようとするときには
必要だと思ってますよ
私は当面消去法の習熟かな?
各自が好きに語ればいいんじゃないんですか
私も自分の興味に基づいてレスしてるんでご心配無用です
流れぶった切って「小さなジャンボ」やる気はありませんしねw
232 :
半さん :2008/01/20(日) 18:06:14 ID:4JpKwK+t
>>228 「ある」って前提がないと子供に教えようがないんで
存在してることにします
事実を教えたくっても流さんが提示してくれないと
社会科の教科書棒読みしかやりようがないですね
子供と接すれば嘘も必要になりますよ
体罰に風当たりの強いこの時代ではなおさらねw
いかに言葉で諭すかが肝ですな
金銭のやりとりのない学習過程でときには
騙されることも良い人生経験になると思いますが・・・
少なくとも「うさんくさい」を感知するセンサーを身につけて
大人になってもらいたいです
実生活で経済的な損失を被らないためにも
尊厳死の尊厳とは個人の問題ですからね
延命を望む方もいらっしゃるでしょうし
緩和ケア希望者もいることでしょう
そういう「尊厳」なら
流さんは流さんで存在を認めなければいいだけです
233 :
半さん :2008/01/20(日) 18:09:45 ID:4JpKwK+t
>>230 あ、そうか!
語り手オンチは私が古文が苦手だったからに違いない!
現代語訳に頼ってたもんな〜
234 :
半さん :2008/01/20(日) 18:53:39 ID:4JpKwK+t
>>228 ちょっと流さんの話が要領を得ないんで伺いたいんですが
聖徳太子の憲法17条から大日本帝国憲法までのあいだで
日本国憲法と同様
存在是非を問題視してるものはありますか?
流さんの主観で構いませんよ
235 :
茶々 :2008/01/20(日) 18:56:09 ID:hNDuRS/3
>>230 >古文をきちんと読むためには「語り手」という概念は絶対に有効だ。
って、
>>227 でママンが
>語り手の分析は多くの手法のひとつ
って言っている以上、反証として何の価値もないと思うんだけど、そのへんどうなん?
236 :
ヤマさん :2008/01/20(日) 19:07:19 ID:sV7V1dXj
>>235 古文に於いての、登場人物「誰が」の特定(確定)って、意味では?
237 :
平下流 :2008/01/20(日) 19:09:30 ID:6HIZWD2j
>>234 所謂日本国憲法以外の憲法について、その存在を問題視していても、していなくても、
所謂日本国憲法が存在いているかどうかとは全く関係はありません。
ただ、大日本帝国憲法についてはその存在を客観的事実といて確認しています。
238 :
ヤマさん :2008/01/20(日) 19:26:24 ID:sV7V1dXj
>>237 >大日本帝国憲法についてはその存在を客観的事実といて確認しています。
どうやって?
239 :
平下流 :2008/01/20(日) 19:36:56 ID:6HIZWD2j
>>238 私は、所謂日本国憲法の存在の有無を問題にしています。
大日本帝国憲法のことは話題が違います。
240 :
あ :2008/01/20(日) 19:45:26 ID:7TM1XQ5C
>>235 ママンがいってたのは現代文(テキスト)の分析という分野についてです。
しかし、古文はもともと我々が使っている規則(コード)とは違う規則で書かれているので
そのコードを分析を通じて明らかにしていくという作業が読むことの手前に来ます。
つまりもともと分析という作業なしには古文なんて読めるわけがないわけです。その中で
記述者はどの立場から何を書いているのかというのは、その分析のためには必須の作業
になります。
でないと「あらまほしきものなり」なんていうことばがなぜそこ使われているのか説明で
きませんから。
241 :
あ :2008/01/20(日) 19:50:48 ID:7TM1XQ5C
流さんが確認したのであって、世の中が確認したわけじゃないから大丈夫。 流さんがいいたいことは 私がありたいと思っている日本人にとって日本国憲法はふさわしくない。 私が尊敬する日本人はあのような憲法は認めないはずである。 したがって、真正の日本人にとってあの憲法は無効である。 という三段論法なんですよ。 流さんを納得させるには、「認めない」という立場を取るしかありません。 一方で流れさんを説得することは不可能です。 なぜなら認めることは偽りの日本人になることだから。
242 :
あ :2008/01/20(日) 19:51:45 ID:7TM1XQ5C
流さんが「尊厳」ということばで表現したかったのはそんなことなんです。
243 :
半さん :2008/01/20(日) 20:06:38 ID:4JpKwK+t
>>237 日本国憲法はともかく
大日本帝国憲法は流さんのなかで「客観的事実」ってやつで
存在を認めてるんですね
私にはどっちも存在する(した)憲法なんですけどねぇ・・・
流さんの基準で両者の存在・非存在の根拠となる相違点が知りたいです
244 :
半さん :2008/01/20(日) 20:13:22 ID:4JpKwK+t
>>241 「日本人」なんて日本国籍を有した人くらいの
意味しか思いつきませんわ〜
帰化人も含めますしね
ハーフの生徒も珍しくなくなったなw
「真正」の日本人て何のことだか・・・
245 :
平下流 :2008/01/20(日) 20:26:52 ID:6HIZWD2j
>>243 話を広げたくありません。直接、所謂日本国憲法の話をしましょう。
問題にしているのは所謂日本国憲法の存在の有無です。
>流さんの基準で両者の存在・非存在の根拠となる相違点が知りたいです
両者ではなく、所謂日本国憲法の存在の根拠についてだけお答えします。
所謂日本国憲法が制定されたとき、日本は独立国ではありませんでした。
被占領国でした。
246 :
平下流 :2008/01/20(日) 20:28:42 ID:6HIZWD2j
>>243 前出のコピーです。
904 :平下流:2008/01/19(土) 00:18:22 ID:sll6CZf6
>>902 >>憲法を成り立たせる憲法以前の前提
>これは、どういった話になるんですかね。
憲法が制定されたとされている当時、日本は独立国であったかどうか、主権はあったかどうかです。
独立国ではない、主権もないのに憲法の制定などあり得ないことでしょう。
参考文
「・・・独立国に非ざるものに、憲法を制定する権利も資格も在り得ないといふ事であります。
仮に占領軍が押附けたのではなく、自発的に草案を作り、自発的に制定したとしても、事態は同じです。
この場合「自発的」といふ言葉が既に意味を為さない
自発的であり得るなら被占領国ではないし、被占領中なら自発的ではあり得ないからです。
こんな解り切った事に誰も気附かなかった筈は無い。」
吉田茂はこの事に気附いていたようです。
私の文章ではありませんが、踏まえている事実も理性も私と全く同じです。
もう一度
「・・・独立国に非ざるものに、憲法を制定する権利も資格も在り得ないといふ事であります。」
247 :
半さん :2008/01/20(日) 20:30:24 ID:4JpKwK+t
>>241 >私がありたいと思っている日本人にとって日本国憲法はふさわしくない。
>私が尊敬する日本人はあのような憲法は認めないはずである。
>したがって、真正の日本人にとってあの憲法は無効である。
↑ちょっとわかりにくいんで単語を統一すると
流さんは「真正の日本人」である
「真正の日本人」は日本国憲法の存在を認めない
したがって流さんは日本国憲法の存在を認めない
てことですかね?
248 :
半さん :2008/01/20(日) 20:36:46 ID:4JpKwK+t
>>240 その、
>記述者はどの立場から何を書いているのか
という単純な思考こそが現代のコードに縛られているのだよ。
しかも「あらまほしきことなり」って徒然草かい?
そもそもそれって虚構というよりエッセーなんじゃねーの?
例えば、古典文学で天皇や皇后などが話しているとされる自尊敬語(最高敬語)は
実は自分に敬意を示すようなおかしな話し方をしていたのではなく、作者から
作中人物としての天皇や皇后への敬意だとされている。
つまり、当時は直接話法みたいな制度すらないばかりか、リアルの世界の作者から
作中人物への敬意が示されるという、現代とは全く別次元の記述環境で書かれて
いることになる。こういうことは注意して読まないといけないだろうね。
どうせならこういう話をしてくれや。
250 :
半さん :2008/01/20(日) 20:46:49 ID:4JpKwK+t
>>246 吉田茂の言い分もわかりますよ
でも多くの方がそれを認めちゃって何十年も経ちますからね
実際憲法を作り直すのはホネでしょw
非合理感は残りますが現状維持でOKですな
内容に不満はないですから
流さんが客観的事実として存在を認める
「大日本帝国憲法」なんかはイヤです
>>246 とすると、日本国憲法に基づいて設置されている内閣とか国会とか裁判所ってのも
その存在の根拠を失うことになるの?
252 :
平下流 :2008/01/20(日) 20:52:47 ID:6HIZWD2j
>>246 >>内容に不満はないですから
内容に不満があるかないかと、所謂日本国憲法が存在しているかどうかは全く無関係のことでしょう。
>>「大日本帝国憲法」なんかはイヤです
「大日本帝国憲法」がいやかどうかと、所謂日本国憲法が存在しているかどうかは全く無関係のことでしょう。
253 :
平下流 :2008/01/20(日) 20:55:53 ID:6HIZWD2j
>>251 当然、そういうことにならざるをえないでしょう。
254 :
平下流 :2008/01/20(日) 20:58:10 ID:6HIZWD2j
255 :
ヤマさん :2008/01/20(日) 21:27:18 ID:sV7V1dXj
平下流さん 「日本国憲法がない」 じゃ、新しく創る必要はありますか、ありませんか?
256 :
平下流 :2008/01/20(日) 21:31:17 ID:6HIZWD2j
>>255 新しく創る必要があろうとなかろうと、所謂日本国憲法が存在しているかどうかとは無関係でしょう。
257 :
半さん :2008/01/20(日) 21:33:38 ID:4JpKwK+t
>>252 流さんには関係なくても
私には関係あります
仮に日本国憲法の存在を否定したとしたら
代案となる憲法を用意してもらいたいですからね
新たに憲法を作成するか
流さんも認める最も新しい「大日本帝国憲法」を復活させるか・・・
ここで流さん好みの存在・非存在の話題がしたいのであれば
こっちの好みにも付き合ってくれると助かるんですがね
258 :
ヤマさん :2008/01/20(日) 21:37:56 ID:sV7V1dXj
>>256 そうすると、平下流さんは、現在の日本は、「大日本帝国憲法」の下(もと)に
あると思われているのでしょうか?
259 :
平下流 :2008/01/20(日) 21:42:41 ID:6HIZWD2j
>>257 私は所謂日本国憲法の存在の客観的な事実のみを問題にしているのであって、
自分の好みについても他人の好みについてもここでは全く興味はありません。
誰の好みがどうであろうと、所謂日本国憲法の存在の客観的な事実にいささかの関係もないでしょう。
260 :
平下流 :2008/01/20(日) 21:46:10 ID:6HIZWD2j
>>258 私がどう思おうと所謂日本国憲法の存在の客観的な事実とは無関係でしょう。
261 :
ヤマさん :2008/01/20(日) 22:02:42 ID:sV7V1dXj
>>260 >どう思おうと
「かって」です、ですから「かって」に思ってって下さい。
ここは相手があっての場だと考えますので、できれば、相手の主張も
理解して書き込みをお願いしたいのですが・・・。
こちらは、あなたの「ない」との主張を受け入れて発言しているのですから
次なる段階へ話しを進めましょうよ。
262 :
平下流 :2008/01/20(日) 22:10:01 ID:6HIZWD2j
>>261 >>こちらは、あなたの「ない」との主張を受け入れて発言しているのですから
次なる段階へ話しを進めましょうよ。
受け入れるとはどういうことですか。客観的事実として憲法は存在していないことを認められるのですか。
次の段階の前に所謂日本国憲法は存在しているか否かを問うているのです。
263 :
ヤマさん :2008/01/20(日) 22:12:58 ID:sV7V1dXj
264 :
平下流 :2008/01/20(日) 22:26:05 ID:6HIZWD2j
>>263 >>263 認められるのですね。嘘偽りはないですね。
確認ですが「・・・独立国に非ざるものに、憲法を制定する権利も資格も在り得ないといふ事であります。」
したがって今の日本には憲法は存在していないということを認めるのですね。
265 :
ヤマさん :2008/01/20(日) 22:34:18 ID:sV7V1dXj
266 :
茶々 :2008/01/20(日) 22:37:38 ID:hNDuRS/3
>>265 これで、流さんが「それなら、OKです」
って引き下がったら面白いんだけどね。
267 :
平下流 :2008/01/20(日) 22:46:54 ID:6HIZWD2j
>> ヤマさん、解りました。一人でも解る人がいて心強いです。 今の学校では存在しない憲法をあたかも存在していているかのごとく教えています。 「憲法を制定する権利も資格も在り得ない」にもかかわずです。 ということは、子供達に、「あなたたちも、なんの権利も資格がなくてもしていいですよ。権利なんてそんなものですよ」 と教えていることになります。これではまずいでしょう。 明日から、子供達には憲法は存在していないという事実を教えませんか。 ヤマさんはどうですか。
268 :
ヤマさん :2008/01/20(日) 23:01:04 ID:sV7V1dXj
>>267 >明日から、子供達には憲法は存在していないという事実を教えませんか。
教えてもいいですが恐そうですね。まず、あなたが実践してみて報告頂ければ
検討してみます。
僕は、クリスチャンでもなんでもありませんが、生徒の中に現実問題として、
サンタクロースがいると信じている子がいます。
あなたなら、どうされますか?
「そうだね。」って言いますか?それとも、「いや、それはお父さんなんだよ。」って
言いますか?どちらでしょう?
269 :
平下流 :2008/01/20(日) 23:07:12 ID:6HIZWD2j
>>268 >>あなたが実践してみて報告頂ければ
検討してみます。
私が実践するかどうかとあなたがどう実践するかは全く無関係ではないですか。
失望しました。
サンタクロースの話しと憲法の話は次元が違うでしょう
一方は夢の話、他方は憲法の話。
270 :
ヤマさん :2008/01/20(日) 23:30:44 ID:sV7V1dXj
>>268 >失望しました。
困りましたね。
しかし、実践する勇気は、僕にはありません。
こころに秘めておきます。
せっかくのお誘いでしたが、御意に叶わず申し訳ありませんでした。
いつの日か、その日がくるといいのですが・・・。
271 :
平下流 :2008/01/20(日) 23:31:38 ID:6HIZWD2j
>>268 「失望しました。」は言い過ぎました。
ヤマサンにはヤマさんの立場や生活がありますものね。
「先生、そうすると国会や裁判所は根拠レスなんだから、無視していいんですよね?」 「警察や学校もウソなんですか?」「じゃ明日から学校休もう」 みたいな話になりそう…
273 :
平下流 :2008/01/20(日) 23:40:34 ID:6HIZWD2j
>>272 どうなろうと、客観的に憲法が存在しているかどうかとは無関係でしょう。
274 :
茶々 :2008/01/20(日) 23:45:24 ID:hNDuRS/3
>>273 憲法が存在しないんであれば、憲法を根拠にした社会の諸事象は無効ですよね?という当然の問いかけ。
無関係ではないんでない?
275 :
平下流 :2008/01/20(日) 23:50:53 ID:6HIZWD2j
>>274 無効であったにしても、そうでなかったにしても、客観的事実として憲法が存在しているかどうかにはいささかの関係もないでしょう。
まづは、客観的事実として憲法が存在しているかどうか、それが先ではないですか。
276 :
平下流 :2008/01/20(日) 23:59:06 ID:6HIZWD2j
みなさんが言っている事は、憲法が存在しなかったら、困る、大変だ、面倒だ、ということです。 どんなに困ろうと、大変になろうと、面倒になろうと、 そういうことが、客観的な事実としての憲法の存在の確認に関係ありますか。 困るからといって客観的な事実を変えてもいいのですか。
277 :
ヤマさん :2008/01/21(月) 00:15:49 ID:pw2Y1+JR
>>276 >客観的な事実
を「真理」と置き換えてもよろしいでしょうか?
278 :
平下流 :2008/01/21(月) 00:23:35 ID:Im58gOHU
>>277 私にはそういうことはよく判りません
ただ、少なくとも憲法の存在に関しては、客観的事実の問題ですから、
事実の問題であり、真理とは次元が違うでしょう。
279 :
ヤマさん :2008/01/21(月) 00:31:11 ID:pw2Y1+JR
280 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/21(月) 00:35:00 ID:gEh3h415
憲法が存在していないと執拗に強弁するためには憲法が必要だっていう大前提がある。 憲法なんていらねえ、ではどうしてダメなのか、そこは何も語られない。 憲法なんて偽物でも何でもいいというようなスタンスは不問であるという問題。 西洋ズッポリの醜い意識を対象化しないという問題。 墓穴、天に唾 を続ける理由が知りたい。
281 :
平下流 :2008/01/21(月) 00:36:51 ID:Im58gOHU
>>279 言葉の問題にはしたくありません。
このスレの特徴ですが、いつの間にか本題とずれていってしまう。
わたしの言っている「事実」とは高卒オール3の理解できる「事実」です。
282 :
ヤマさん :2008/01/21(月) 00:46:16 ID:pw2Y1+JR
>>281 >言葉の問題
でなければ、なんの問題なのでしょうか?
もし、「言葉で言葉の問題は解決しない」とお考えならば、どうにもならなく
なってしまいますが・・・。
283 :
平下流 :2008/01/21(月) 00:49:37 ID:Im58gOHU
貴方と私とはお互いに「縁無き衆生」です。 さようなら。
284 :
半さん :2008/01/21(月) 01:08:21 ID:J6/Pz2h/
>>259 客観的な事実としては
あなたがここにカキコする行為で
日本国憲法の存在を証明してるだけですね
PC機材、通信手段、などを流さんが入手・利用することが出来るのは
存在を疑問視してるその憲法で認められた所有・経済行為・人権などが
保証されてのことですからねぇ・・・
カキコの内容が「存在の客観的な事実のみを問題」
「関係ない」「興味はありません」「さようなら」等の連呼どころか
ひらがな一文字でも送信すれば
私としては流さんが日本国憲法の存在を認めたと判断するしかないですね
285 :
ヤマさん :2008/01/21(月) 01:12:00 ID:pw2Y1+JR
>>283 >「縁無き衆生」
いえ、いえ。
「袖触れ合うも他生の縁」とも言うんじゃないでしょうか。
http://thu.sakura.ne.jp/others/proverb/data/so.htm 袖触れ合うも他生の縁
(そでふれあうもたしょうのえん)
袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁によって起こるものであるということ。「他生」は「今生」の対語で、前世と来世の称。この場合は特に、前世の意。
同意語: 「袖すり合うも他生の縁」
類語: 「一樹の蔭一河の流れも他生の縁」、「躓く石も縁の端」
>さようなら。
こちらこそ、ありがとうございました。
286 :
半さん :2008/01/21(月) 02:58:59 ID:J6/Pz2h/
>>285 「縁なき衆生」どころか
ここにカキコした以上内容がどうあろうが
日本国憲法の存在を認めた「ナカーマ」でしょw
287 :
あ :2008/01/21(月) 06:14:58 ID:9977X+9Z
前スレにも書いたが、 吉田茂は憲法改正という道を遺すためにそのような発言をしたのであり、真実としてそれを語っているのではない。泥棒にも三分の理のことわざどおり、 どのようなことにもそれなりの根拠をみつけることができる。 吉田茂は実際はGHQの強権を利用して、日本の宿題を全部やりとげる気でいた。マッカーサー記念館に吉田が出した私信から公文書まですべて保管 されている。彼は戦後の国境の選定にともない在日半島人の存在が将来問題になるとして、彼らを不法入国者であり、揉め事の元であるから国外退去 させてくれという手紙を出している。 憲法制定時に外務相だった吉田は、憲法制定についてとりあえずケリがついてよかった。と叔父に手紙を送っている。 その上でマッカーサーに憲法公示、公布の際に国旗掲揚、国歌斉唱を許可して欲しいと申請し、許可されている。 許可を求めた方も許可した方も「この憲法が日本のもの」であるという認識は共有していたわけだ。 吉田発言は「だからこそ、今度は日本人の手で日本にふさわしい憲法を制定することが目標なのだ。」という意味であって現憲法を否定したものではない。 ってこれってさ、自由民主党の目標の中に憲法改正が入っているわけを説明してるのと一緒です。決して自民党も憲法は存在してない。などといってませ ん。 前帝国憲法に定められたやり方によって新憲法は制定されてます。(手続き的正当性)したがって新憲法も客観的に存在する憲法に間違いありません。
288 :
あ :2008/01/21(月) 07:22:42 ID:9977X+9Z
↑上の説明を聞いて それでも私は…といいはじめるなら、それは結局、私にとってでしかないです。流さん。 自由民主党になぜ存在してない憲法を改定するなどという馬鹿げた党の目標を掲げているのだ。 と抗議にいってください。 主権の有無は手続きの正当性によって担保されその言い分は本当は無効なのです。 憲法調査委員会(当時)の仕事をしっかり調べればわかることですよ。
289 :
半さん :2008/01/21(月) 14:31:08 ID:J6/Pz2h/
>>288 まぁまぁ
流さんは既に憲法の存在をここにカキコすることで
認めちゃってますよ
2ちゃんカキコだって憲法で保障された各種権利があって
初めてできるんですから・・・
いちいち反論する必要ないぢゃないですかwww
汝書く、故に憲法ありですな
290 :
ヤマさん :2008/01/21(月) 15:40:39 ID:pCBbZMNe
>>224 >間違いようがない。
って、言うから、間違えたじゃないの!!!。
しかし、なんでCを選んでるの、僕?
なにが起こったのだろうか、僕の頭の中で。???。
変だ〜〜〜〜!。(涙)そして(激怒)そして(自責の念)。
そして、「まぁ、いっか」。(生徒には内緒にしておこう、うん。)
291 :
あ :2008/01/21(月) 18:39:14 ID:9977X+9Z
ヤマさんそれはあまりに…。 あれは間違いようがないはずなのに。もし間違えるとしたら問い5かな。 「奥へ」と案内されることはずいぶんと前に書いてあって、そこからあそこと 関連付けるのは物理的空間ではなくて意味的空間について書いてあるとこ ろをきちんと読めなきゃならないから。
292 :
ヤマさん :2008/01/21(月) 18:52:20 ID:pCBbZMNe
【センター試験 国語】感想@ 第1問⇒易(日本文化は中心に至る過程にあり?中心は意味ないの?) 第2問⇒中易(受験生の常識からすると?)漱石とは・・・盲点か? 第3問⇒試験としての意味不明(差はつかない) 第4問⇒中難(ここで差がつくのでは?) 総じて易化か?
293 :
ヤマさん :2008/01/21(月) 18:57:35 ID:pCBbZMNe
>>291 確かに、悩んで時間に追われて問5もCにしてしまった。orz。
これも、内緒。ね、「な い しょ。」
憲法の話は、暴力や脅し等々で強制的に作成や言述を余儀なくされたなら、法的手続きに則って いてもその契約書や証言は効力がないというような話なのかな? そういう状況が憲法制定時にあったと認定できると仮定するとしても、それを問題にするのが60年以上 経過した今ってのは遅くない?そういう主張をするなら、独立を獲得してすぐにするべきだったんじゃない ですかね。しなかったのかできなかったのかどーでもよかったのかは知りませんが、結果として当時において 憲法再制定には至らなかったのだから、もう遅いんじゃないですか? ラグビーのアドバンテージで言えば、はるか以前にアドバンテージオーバーになっているような気がします。
295 :
あ :2008/01/21(月) 20:25:56 ID:9977X+9Z
もっと簡単な話 客観的に存在してないものをみんなで話し合うことはできない。 したがって日本国憲法は客観的に存在する。 という論理的にこれ以上単純化できないことで客観的に存在することは証明できる。 じゃあさ、鵺は存在するわけ? みんなで話し合えるじゃん。 鵺という概念は客観的に存在する。 ええええ! でも概念は客観的に存在するんだよね。 まさか手に触れるものだけが客観だと思い込むのはちょっと客観というものを狭く考えすぎ。 客観の反対が主観だってことを忘れてる。 事実かどうかというのは、出来事についてはいえるが、存在については問えない。 実在するのかということは概念を問うわけではないので、みんなで話し合えるは証明にならない。 この場合は質量があるかどうかが問題とされる。わたしに人生が実在するかどうかを証明することは できない。記憶には質量がないからである。
296 :
あ :2008/01/21(月) 21:28:37 ID:9977X+9Z
誰も指摘しないけど客観的事実っていうのは白い白馬だってこと。 主観的事実って言い方がなければいけないけど? 英語にしたらこんな表現おかしいってわかりそうなもんじゃないの。 > じ‐じつ【事実】 「じじつ」を大辞林でも検索する [名] 1 実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。 「意外な―が判明する」「供述を―に照らす」「―に反する」「―を曲げて話す」「歴史的―」 2 哲学で、ある時、ある所に経験的所与として見いだされる存在または出来事。 論理的必然性をもたず、他のあり方にもなりうるものとして規定される 客観的 [形動] 1 主観または主体を離れて独立に存在するさま。⇔主観的。 2 特定の立場にとらわれず、物事を見たり考えたりするさま。「―な意見」「―に描写する」主観的。 > ね。ことばの問題じゃないっていうけど、ことばが問題だよ。
297 :
ヤマさん :2008/01/21(月) 21:30:08 ID:pCBbZMNe
うむ、センター試験の話しは、スレ違いなのか・・・???。 なかなか、相手してくんねぇな〜。(これじゃ、晒し者だね。) まっ、いっか。いいよ、いいよ。ふぅ〜んだ。(と、すねてみる。)
298 :
平下流 :2008/01/21(月) 22:05:25 ID:Im58gOHU
>>294 >>憲法の話は、暴力や脅し等々で強制的に作成や言述を余儀なくされたなら、法的手続きに則って
いてもその契約書や証言は効力がないというような話なのかな?
そのような話ではありません。
上記の場合、その契約書や証言は成立や存在していることを前提としています。
その上で効力がない、という話になるわけです。
私の話は憲法が制定されたとされている時、日本は被占領国であり、独立していないので、
憲法は存在をしていない、いや、存在のしようが無いということです。
存在していない以上効力もなにもありようがありません。
あなたのレスの後半に関しては、後ほど書きます。
299 :
半さん :2008/01/21(月) 22:22:20 ID:J6/Pz2h/
>>290 確かに難しいですよ
選択肢の文と課題文の十数行をを何度も往復しながら
選択肢の文内の不適切な表現をさがして
やっと答えを絞り込む作業ですから・・・
私の能力では正答出せても時間が足りなくなること必至でしょうね^^
300 :
ヤマさん :2008/01/21(月) 22:23:41 ID:pCBbZMNe
で、300か?
301 :
ヤマさん :2008/01/21(月) 22:27:19 ID:pCBbZMNe
あ、ホンマ300!(えっへん。)
>>299 そうなですよ。
問題は「時間」との闘いなんですよ。
302 :
半さん :2008/01/21(月) 22:31:14 ID:J6/Pz2h/
>>295 つまり「日本国憲法は無効だ」
って主張はありにしても
「日本国憲法が客観的事実に基づき存在しない」
は発言者が存在を証明しちゃうってことですかね?
アメリカの占領って日本を属国にしたってレベルでしょ?
別に隋の時代でも属国関係のまま
日本は憲法持ってたはずなんですがねぇ・・・
303 :
平下流 :2008/01/21(月) 22:36:40 ID:Im58gOHU
>>302 もう一度「・・・独立国に非ざるものに、憲法を制定する権利も資格も在り得ないといふ事であります。」
この文章は間違っていますか、間違っているとすればどこですか。指摘してください。
304 :
ヤマさん :2008/01/21(月) 22:39:03 ID:pCBbZMNe
305 :
半さん :2008/01/21(月) 22:55:08 ID:J6/Pz2h/
>>301 偏差値40〜50あたり対象の
具体的なトレーニングとしては
選択肢のダメな箇所を○で囲って
その根拠となる課題文内の箇所を同じ色で傍線をつけるという
機械的作業から入ってみては?
最初はダメ出し箇所をヤマさんが全部教えて
(根拠の説明は最小限に)
20問をハイスピードで色分け(4色あればOK)させ
消去法で正答を浮き出す習慣を身につけさせることが
初歩かと・・・
授業残り2,30分になったら改めて
印をつけてない同一の問題を与えれば
多分全問正解して生徒はわかった気になるでしょうし
数ヶ月続ければ彼らなりに「選択肢アラ探し感覚」が身に付くのでは?
少なくとも特定の箇所を繰り返し読むという訓練にはなると思いますがね
実生活ではどんどん読み進めちゃうんですよね・・・私はついw
306 :
半さん :2008/01/21(月) 23:03:05 ID:J6/Pz2h/
>>303 日本国憲法の存在云々の話なら
その文章の真偽は関係ありません
流さんがカキコすることにより「存在証明」ということですw
「日本国憲法」が読んだらさぞかし喜ぶことでしょうねぇ・・・乙
307 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/21(月) 23:05:42 ID:gEh3h415
日本という国もまた存在していないということが同時に成立してしまうことに 無頓着な理由が分からない。単に、頭の足りないウヨということでっか。
308 :
半さん :2008/01/21(月) 23:18:36 ID:J6/Pz2h/
>>307 サヨかもしれませんよ
成田闘争で「公共の福祉優先の所有権」ってやつに
嫌悪して憲法そのものを否定したくなる方もいらっしゃるのでは?
309 :
平下流 :2008/01/21(月) 23:26:55 ID:Im58gOHU
>>306 >>流さんがカキコすることにより「存在証明」ということですw
仮に百歩譲って、そのとおりだとしても、その意味するところは、私が「存在証明」をしたということに過ぎません。
私が「存在証明」をしようがしまいが、客観的な事実として所謂日本国憲法が存在しているか否かには全く無関係いでしょう。
このような話は本筋とは関係なくあらぬ方向へ行ってしまうので、反応したくはないのですが、
例外として書きました。だだ、この類の話に関して議論をするつもりはありません。
真正面から本筋の話をしましょう。
310 :
平下流 :2008/01/21(月) 23:29:34 ID:Im58gOHU
>>308 私がサヨであろうとなかろうと、、客観的な事実として所謂日本国憲法が存在しているか否かには全く無関係いでしょう。
311 :
ヤマさん :2008/01/21(月) 23:42:08 ID:pCBbZMNe
312 :
半さん :2008/01/21(月) 23:47:05 ID:J6/Pz2h/
>>309 私は既に真正面ですよ
モロ本筋www
2ちゃんに限らず現行の財・サービスは
日本国憲法の存在を認めた方々の産物ですからね
それに触れあなたの存在をコテハンのかたちで表れた「事実」で
あなたが日本国憲法の存在証明のオタスケしたことは客観的に明らかですw
存在云々しか興味ないんでしょ?これで十分じゃないですかwww
313 :
半さん :2008/01/21(月) 23:52:12 ID:J6/Pz2h/
>>311 齊藤孝のことは「声に出して〜」のタイトルくらいしか
思い浮かばないんですが
五択消去法前提で考えれば
正答はなにも印をつけなくていいと考えたからです
私の感覚では選択肢を偽とみなす作業のほうがラクなんで・・・
偽の選択肢の数のほうが圧倒的に多いでしょ?
いかに「5−4=1」をやるかですね^^;
314 :
半さん :2008/01/21(月) 23:56:49 ID:J6/Pz2h/
>>310 レスアンカーを見ればわかるとおり
サヨ・ウヨの話題は猫さんへの語りかけです
またまた日本国憲法存在に貢献しましたねw
頭が下がりますm(_)m
315 :
平下流 :2008/01/22(火) 00:14:24 ID:ULEzPXfh
>>413 貴方もお互いに「縁なき衆生」ですね。
さようなら。
316 :
茶々 :2008/01/22(火) 00:17:31 ID:S4N9vp7P
>>315 「縁なき衆生」って便利だなぁいいなぁ。
俺も今度、嫁に口げんかで負けたら、それ使っていい?
317 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/22(火) 00:23:53 ID:5oaajwov
>縁なき衆生 うーん、何回目かいな?? 「縁なき衆生」って言いながらネットリ絡んでくるのはどうしてなのか、そんなことを 言っちゃいけませんよね。 平どんも、すねないでガップリ吟じればいいんだよ。 さようならを何回言っても無意味です。
318 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/22(火) 00:25:05 ID:5oaajwov
>>316 茶々さんは偉いですね。
そんなことは口が避けても言えません。これはマジです。
319 :
平下流 :2008/01/22(火) 00:26:49 ID:ULEzPXfh
>>312 >>私は既に真正面ですよ
モロ本筋www
2ちゃんに限らず現行の財・サービスは
日本国憲法の存在を認めた方々の産物ですからね
最後に一言。
私は憲法の存在を認めてないにもかかわらず、「現行の財・サービスは 」受けています。
認めたから「現行の財・サービス」をうけてい るわけではありません。
「現行の財・サービス」をうけてい ようといなかろうと、そのことと、
客観的な事実として所謂日本国憲法が存在しているか否かには全く無関係でしょう。
>>またまた日本国憲法存在に貢献しましたねw
頭が下がりますm(_)m
私が貢献しようとしまいと、客観的な事実として所謂日本国憲法が存在しているか否かには全く無関係でしょう。
ほんとうに、さようなら。
320 :
半さん :2008/01/22(火) 00:35:54 ID:7JyKl2OA
>>315 「縁なき衆生は度し難し」ですね
意味は「人の言を聞き入れないものは救いようがない」でしたっけ
私はあなたの関心のある「日本国憲法の存在」のみに呼応してレスしました
ホントは私の好む話題にも耳を傾けてもらいたかったんですけどねぇ・・・
「話を広げたくありません」「無関係でしょう」と決まり文句で片付けちゃうんですもんw
私のことは無視してあなたのご要望に応じるしかなかったです
「お互い」に縁なき衆生は誤りです
「縁なき衆生はあなただけです
ま、これも「客観的な事実として所謂日本国憲法が存在しているか否かには全く無関係でしょう。」www
あなたがカキコした「事実」が日本国憲法存在を証明することになります
改めて乙
321 :
半さん :2008/01/22(火) 00:46:21 ID:7JyKl2OA
>>319 あなたが認める認めないは無関係でしょうwww
あなたが「受けた」という事実で「現行の財・サービスの存在」を証明しちゃいました
ごくろうさんです
日本国憲法の息のかかった事物に触れたことを
「改めて」吐いてしまうことで日本国憲法の存在を証明しちゃいましたねw
あなたが貢献した事実は
あなた自身が日本国憲法の存在を証明したに過ぎません
私はとくにそれに不満はないですよ^^
あなたがやった日本国憲法存在証明に「禿同」なんですからwww
322 :
ヤマさん :2008/01/22(火) 00:58:49 ID:QZcGLpU5
みんな、さみしいんですよ、なぜか。 一人静か。
323 :
ヤマさん :2008/01/22(火) 01:01:55 ID:QZcGLpU5
333、は、僕の、指定席、です。 よろ。
324 :
半さん :2008/01/22(火) 01:19:45 ID:7JyKl2OA
325 :
半さん :2008/01/22(火) 02:19:08 ID:7JyKl2OA
>>322 斎藤孝流は救済補習向きではないですね
成績の低いコが本文から大事な箇所を見抜くことは厳しいとおもいますよ
時間がかかり過ぎます
本人がやりたいっていうのなら奨励すべきでしょうが
そういうコは既に国語の成績がいいと思いますがね
私の「選択肢アラ探し」&「根拠傍線」作業とは別物ですなw
326 :
あ :2008/01/22(火) 06:21:20 ID:ranrrymZ
>>303 間違ってます。というか偽です。吉田は白鳥の書簡(新憲法に関する覚書)を首相に届けており、東京裁判における
白鳥の弁護にその内容<戦争放棄>を掲げて彼が本来平和主義者であるtことを主張しております。
嘘も方便。嘘だからいけないっていうのは純粋まっすぐ君の発想で、赤で止まれもなんの根拠もない嘘です。
嘘だからって無視をしたらえらいことになってしまいます。
吉田がいいたかったのは日本人による日本人のための憲法を作り直そうということであり、そのためにあの憲法は
アメリカがつくったものだといいたかったのです。
わかりましたか。
327 :
半さん :2008/01/22(火) 07:02:43 ID:7JyKl2OA
>>326 流さんとやりとりしたのは今回が初めてなんですが
昔からあんな感じだったんですかねぇ?
まぁ日本国憲法の存在証明に尽力してるんで
別板別スレで見かけたら「応援カキコ」しちゃおっかな〜♪
328 :
ヤマさん :2008/01/22(火) 22:25:48 ID:QZcGLpU5
>>324 「自由席」・「自由席」・「自由席」〜。
329 :
平下流 :2008/01/22(火) 23:04:29 ID:ULEzPXfh
>>294 >>298の続きです。
>>そういう状況が憲法制定時にあったと認定できると仮定するとしても、それを問題にするのが60年以上
経過した今ってのは遅くない?
遅いと思います。
>>そういう主張をするなら、独立を獲得してすぐにするべきだったんじゃない
ですかね。
そうすべきだったと思います。
>>しなかったのかできなかったのかどーでもよかったのかは知りませんが、結果として当時において
憲法再制定には至らなかったのだから、もう遅いんじゃないですか?
遅いいや遅すぎると思います。
ただ、遅いか早いかと憲法が客観的事実として存在するかどうかは全くの別問題でしょう。
遅いからといって、客観的事実として存在しているものが、存在しなくなる事もなければ、
遅いからといって、客観的事実として存在していいないものが、存在することにはならないでしょう。
330 :
平下流 :2008/01/22(火) 23:08:30 ID:ULEzPXfh
子供達に何を教えるか。 遅いか早いかの前に、先ずは客観的事実でしょう。
331 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/22(火) 23:13:16 ID:5oaajwov
>先ずは客観的事実でしょう。 大賛成! で、理屈を日本という国自体に向けない理由はなんでしょう。
現実として全面的に依拠しているものについて存在している/していないという話をするからややこしいのでは? われわれの憲法には制定時にこういう経緯やいきさつがありましたって話でいいんじゃないですかね。 重要なのは、こういう憲法はけしからんと言いたいのであれば、それを踏まえて今どうするかってことではないですかね。 現憲法を改正するとか、国会で議決して改めて草案から練るとか、このままでいいやとか、そういう話にはならんのですか? 全面的に依拠しているものを否定するのなら、否定して終わりじゃ教育として問題あるでしょ?
333 :
平下流 :2008/01/23(水) 00:03:14 ID:ol78a8Tv
>>332 >>現実として全面的に依拠しているものについて存在している/していないという話をするからややこしいのでは?
存在しているかどうかと、ややこいいかどうかは、全く別次元の問題でしょう。
>>われわれの憲法には制定時にこういう経緯やいきさつがありましたって話でいいんじゃないですかね。
制定時の経緯やいきさつの話は制定されたという事実の上に始めて成り立つ話でしょう。
>>重要なのは、こういう憲法はけしからんと言いたいのであれば、それを踏まえて今どうするかってことではないですかね
けしからんとも結構だとも言っていません。
言いたいのはその客観的事実としての存在のみです。
>>現憲法を改正するとか、国会で議決して改めて草案から練るとか、このままでいいやとか、そういう話にはならんのですか
改正とか改めてとかは存在を前提にしています。その存在の話をしています。
>>全面的に依拠しているものを否定するのなら、否定して終わりじゃ教育として問題あるでしょ?
全面的に依拠していようと依拠していなかろうと、客観的事実として存在しているか否かには無関係でしょう。
否定して終りではありません。否定するにせよ、肯定するにせよ、先ずは事実の確認をすることが、教育的姿勢でしょう。
子供達に嘘を教えるわけにはいきますまい。
334 :
半さん :2008/01/23(水) 03:36:45 ID:h6g088iD
流さんの「存在証明」はどこまでも続きますなぁw
>独立国に非ざるものに、憲法を制定する権利も資格も在り得ないといふ事であります。 そもそもこの主張に法的根拠があるんですかね? チベットや台湾が聞いたら怒るんじゃないかな。 ちなみに、現在の旧ソ連圏の自治共和国にはそれぞれ独自の憲法がありますよ。
336 :
半さん :2008/01/23(水) 05:43:25 ID:h6g088iD
自治区は「アリ」っぽそう・・・
337 :
あ :2008/01/23(水) 06:32:55 ID:y7xxLggw
根拠なんかないですよ。訴えですから。ここだけ取り上げても意味はないです。 だって吉田は現憲法を認めているですから。 客観的 事実 存在 実在 なと語句がいいかげんに使われているのでどのように論議しても、判断する側のアドバンテージは揺るぎません。 流さんを納得させようとすることは無意味です。 どのような法も規則も実在はしていません。それは長さも広がりも容積も質量も持たないものです。それが測定されるのは その社会の人々の振る舞い、判断の根拠としてだけ、人々の証言を通してしか観測することは不可能なのです。 これが法ではなく、真実の愛ということばに置き換えても同じです。 この場合はさらに面倒くさい。 真実のがついたために相対的に愛のめもりを作らなければならないわけです。その際に愛の行為というものを全て網羅し なくてはならず、方法は書けるけど実行は困難なことです。 真実、絶対、普遍、全ての などの語は近代的思考のための装置であり、この語が出てきたら要注意。 矛盾が最後に口を空けて、自転車操業的な行為によって矛盾をその都度相殺するような仕方でしか…それが資本主義 もう一つの方法は、リセット=革命ってこと。 注 わしが装置という語を使うときはすべては装置という前提に立っていっている、装置/装置でないもの 装置<装置でないものということは成り立たない。
338 :
あ :2008/01/23(水) 06:35:45 ID:y7xxLggw
だから 「装置にすぎない」なるものいいはわしにとっては偽であって、「○○するための装置である」という言い方しかないはずなのだ。
339 :
半さん :2008/01/23(水) 06:41:53 ID:h6g088iD
>>337 流さんを納得「させよう」としてたんですか?
私は流さんのおかげで存在を納得「しちゃった」んですがねぇ・・・
340 :
平下流 :2008/01/24(木) 01:28:06 ID:5Yj0Cfgb
日本国民にとって、決して忘れてはならない記念日に4月28日と9月2日の両日があります。 子供達にこの大切な両日を教えていますか。 この両日は日本国民にとって忘れてはならない重要な日であるにもかかわらず、 ほとんどの人が聞いたこともない日だと答えます。 戦後の教育が生み出した現象でしょう。 5月3日、8月15日、2月11日はほとんどの人が知っています。 4月28日は無視され続けています。 5月3日は占領政策、2月11日は日本書紀によるもの。この両日が国民の祝日であるのに、 なぜ、4月28日は祝日にならないのでしょう。
341 :
半さん :2008/01/24(木) 03:22:18 ID:5vdWZGnf
342 :
平下流 :2008/01/24(木) 22:57:36 ID:5Yj0Cfgb
>>340 の続き。 蛇足ながら。
9月2日は昭和20年9月2日です。この日は大日本帝国が滅亡し、自然消滅し、
大日本帝国憲法が無効となった日です。
この日以降、日本の統治権はマッカーサー連合国最高司令官のものとなった日です。
4月28日は昭和27年4月28日です。
この日は、日本国民が連合国48カ国より承認され、国家主権が認められた日です。
連合国の承認により、日本国民がその主権に基づいて日本国を建国した日です。
これらの日を子供達に教えていますか。真っ先に教えるべき日でしょう。
国家が滅亡した日と国家の独立建国の日という歴史的、客観的事実を抹殺する政策を採り、
疑問の多い決定的国民の記念日でもない憲法記念日や建国記念日を定めて宣伝せざるを得なかったのは何故でしょうか。
国家が滅亡した日から建国をした日までの約6年8ヶ月この間は日本は独立国ではないのです。
憲法など制定できる筈がないのです。
343 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/24(木) 22:57:50 ID:RDjwvJbM
そんな記念日 サラダより糞 日本という幻想を作り上げることでしか維持できない自我にガクブル
344 :
平下流 :2008/01/24(木) 23:59:18 ID:5Yj0Cfgb
>>335 >>>独立国に非ざるものに、憲法を制定する権利も資格も在り得ないといふ事であります。
>>そもそもこの主張に法的根拠があるんですかね?
法律以前の話です。
あなたは、独立国にではないのに、憲法を制定する権利も資格も在り得るとお思いですか。
>>ちなみに、現在の旧ソ連圏の自治共和国にはそれぞれ独自の憲法がありますよ。
それらは独立国であるソ連の憲法のもとにあるものであり、ここでいう憲法ではないでしょう。
345 :
茶々 :2008/01/25(金) 00:33:17 ID:oez2qJyx
>>343 関係あるかわかんないけど
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080124-OYT1T00522.htm 日本国民であることを誇りに思う人は93%に達し、「国の役に立ちたい」と考える人も73%に上ることが、
読売新聞社の年間連続調査「日本人」で明らかになった。
「日本の国や国民について、誇りに思うこと」の具体的内容を複数回答で選んでもらったところ、
「歴史、伝統、文化」を挙げた人が72%で最も多く、「国土や自然」43%、「社会の安定・治安」「国民性」(各28%)などがこれに続いた。
86年の同様調査と比べると、「歴史、伝統、文化」が19ポイント増えた一方、「教育・科学技術水準」が22ポイント減の19%、
「経済的繁栄」が17ポイント減の19%に落ち込んだのが目立った。
----------------------------
だってさ。国民国家ってすごい装置だよね。
346 :
あ :2008/01/25(金) 05:17:13 ID:btr73qht
流さんの最大の間違いを発見。
独立国しか憲法を制定できない。は間違い。
独立国じゃなければ植民地というのも間違い。
保護国という立場がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E5%9B%BD 正式にはそう見られてないが、占領下の日本は連合国の保護国であるとみなすのが正しい。
だからこそ憲法制定という主権はあの時点で存在した。
それが保護国として連合国の指導下に行われた。という事実を吉田は述べているにすぎない。
あと記念日じゃなくて、フツウにその日付は歴史の教科書に載ってます。ただそこまで授業で扱ってるのか
は不明。これはねえ。昔からのシキタリみたいなもんだからなあ。
347 :
半さん :2008/01/25(金) 07:45:45 ID:AR7Fs24V
>>342 東京裁判も戦勝国が告発すれば被告有罪」ほぼ確定の
ヘンテコ裁判でしたがその辺はポツダム宣言を受け入れたことで
同意済みだったんでしょうね
異例ですが占領統治下での憲法改定もその宣言に含まれてたのでは?
348 :
半さん :2008/01/25(金) 07:56:50 ID:AR7Fs24V
「日本国憲法」は独立国の「権利」で制定されたものではなくj 諸外国との示談で承認した「義務」の産物ってことかな? ま、そんな憲法も確かに存在しますね
349 :
平下流 :2008/01/25(金) 23:01:49 ID:vSCoQWCR
憲法の話となると、ほとんどの人は存在するという無批判の前提をおきます。 他の話なら、前提をおかず、批判的、理性的にまず疑ってみるのに。 歴史的、客観的、法的に白紙で疑うことを拒否する。 そして、存在することを検証もせずに盲目的に受け入れ、後付で存在するという理屈を捏ねる。 ディベートをしているわけではないのです。 さらに共通しているのは、存在しないとの主張に対して感情的になる。 主張の内容よりも、個人への誹謗、中傷、揶揄に専念する。 「憲法」は多くの日本人にとって、まるで宗教のようです。それもいかがわしい。 何故、なんの前提も置かず、白紙で考えようとしないのか。 そこが、問われなければ点。子供達にそういう態度を引き継がせたくない。
350 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/25(金) 23:37:03 ID:PMiOuq8t
>>345 さすが、読売でんな。世論調査という名目で世論操作してます。
で、「伝統って何ですか」というような項目はあったのかな?
また、その大事な大事な「伝統」を守るために何をしてるか、そういう問いは
あったんでしょうかね。ぜひ、聞いてみたいものです。
公教育やマスコミで養成されるのが国民ということですね。
351 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/25(金) 23:38:31 ID:PMiOuq8t
>何故、なんの前提も置かず、白紙で考えようとしないのか。 大賛成 それができないのが馬鹿ウヨということです。
352 :
あ :2008/01/26(土) 03:33:00 ID:o1FRXQDi
流さん。コギトエルゴスム。 法は遵守する人がいなければ存在しません。○年に制定されたという客観的な事実があろうとも、それが適応され 何らかの行為に結びつかない限り、その法は存在しないといっていいのです。 ですから、歴史的に疑うことは無意味です。 法的に疑うことはもともとできません。イギリスには実体法というものはありませんから、そもそも法的に疑うなどは できないのです。 客観的に疑う。これはできます。なぜなら、客観的とは社会的に機能してるのかを問うことだからです。 客観的に疑ってみて、日本国憲法は存在するのです。 流さんにとっては主観的に日本国憲法は<無効である>というにすぎません。存在する/しない。という問題では ないはずです。 ですから、日本国憲法は無効であるか?という問いならみんなの答えももう少し違うはずです。
353 :
半さん :2008/01/26(土) 05:43:24 ID:I58AYkuS
>>349 私は前提ぬきに考えることは出来ませんよ
「宗教のよう」とまた存在を認めましたね
わざわざ検証しなくても
流さんが随時ここで「存在証明」してくれるもんで助かってます
354 :
半さん :2008/01/26(土) 06:24:54 ID:I58AYkuS
>>352 コギト以前のパラドックスの感がありますけどね
>>344 >あなたは、独立国にではないのに、憲法を制定する権利も資格も在り得るとお思いですか。
私がどう思うかは関係ないでしょう。
実際に独立国だけが憲法制定の権利を持つわけじゃないのだから仕方ない。
>それらは独立国であるソ連の憲法のもとにあるものであり、ここでいう憲法ではないでしょう。
私は旧ソ連圏と言ってますよ。現代の話です。
ロシア連邦内だけでなく、国内に自治共和国を持つ国もあります。
それらの諸自治共和国には独自の憲法があります。
「ここでいう憲法」ってのが何なのかわかりません。
356 :
あ :2008/01/26(土) 09:11:03 ID:o1FRXQDi
流さんはたぶん国体=憲法みたいな考えなんじゃないかねえ。 もちろん これは間違っている。 じゃあ江戸時代には国柄がなかったのか?そもそもその国体という考え方はいったいどこから 出てきた考えなのか。それこそ客観的に存在しうるものなのか?
357 :
あ :2008/01/26(土) 09:14:41 ID:o1FRXQDi
358 :
あ :2008/01/26(土) 09:19:09 ID:o1FRXQDi
なぜって国体そのものである天皇が日本国憲法をわが国の憲法として認めている。 (つまり国体を基調に考えても、いや考えれば考えるほど、主権のうんぬんではなく、天皇がどうしたのかということになる。)
359 :
あ :2008/01/26(土) 09:22:14 ID:o1FRXQDi
もしそれを天皇の誤った判断、あるいは押し付けられた判断であるとすれば、そもそもの国体という考えが成り立たない。 (天皇は絶対君主なのではなく、神官の性格ももった神聖なる君主でなければ、あの国体の考えそのものが成立しない。 神の流れを汲んだものが、戦に負けたからといって神の加護たる力を失うのであれば…)
360 :
平下流 :2008/01/26(土) 11:45:28 ID:hUAzbmnT
>>355 所謂「日本国憲法」が存在している根拠を具体的にあげてください。
話が散らばるといけないので、一づつにして下さい。
361 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/26(土) 13:31:41 ID:4OzoEprQ
所謂「日本国」が存在している根拠を具体的にあげてください。
362 :
半さん :2008/01/26(土) 16:09:50 ID:I58AYkuS
363 :
あ :2008/01/26(土) 17:03:54 ID:o1FRXQDi
上に同じ。
364 :
あ :2008/01/26(土) 17:13:04 ID:o1FRXQDi
概念として存在してないものには語ることも不可能だから。ですよ。
365 :
ヤマさん :2008/01/26(土) 19:20:52 ID:OVF2pZWa
平下流さんは、「真実」を、生徒に教えたい「だけ」で他意はないのでは?
366 :
半さん :2008/01/26(土) 20:10:09 ID:I58AYkuS
>>365 私は「事実」とみなしうることから
自分の見解を流れさんも含めて応えたい「だけ」で他意はないですね
367 :
半さん :2008/01/26(土) 20:31:31 ID:I58AYkuS
>>363 流さん、あさん、そして私
みんな「ナカーマ」w
368 :
ヤマさん :2008/01/26(土) 21:37:33 ID:OVF2pZWa
369 :
半さん :2008/01/26(土) 22:17:36 ID:I58AYkuS
>>368 「右往左往」症がおさまったら・・・
ま、それはさておきヤマさんも日本国憲法存在については
「ナカーマ」だと考えてます
370 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/27(日) 01:53:40 ID:Kmh4NEVQ
憲法改正という論理ではない 根拠と思惑、それに策略など そもそも憲法がないという論理が「強い」という妄想が反日的であり 売国的であることを認めないのは、過度の情念のせいであろう。 そのような怨念を覆い隠そうと、実にくだらん理屈にすがってしまう悲しさ。 自らの情念が言語化されるや、たちまち矛盾に満ち溢れることを自覚する。 ゆえに、特異な論理で武装できるかのような錯誤に堕ちる。 例えば、宮台が指摘するように米帝からの自立なら重武装を前提にしないとならない。 重武装に頼らなくてもいいほど日本は外交にたけていないことにも注意を払うべきだろう。 そういう本質的だが、きなくさい議論を狡猾に回避するためにも、詭弁に執着するしかないのか。 日本に憲法はない!と叫んでどのような実質が確保されるのだろうか。 健康のためなら死ねる。 自前の憲法のためなら国民全部が死なないとならんような口ぶりが何かを示唆する。 憲法なんてパクリで十分だ。 自前のカス憲法より、押し付けパクリ憲法でいい。 健康のためには死ねんからな。 オリジナリティという病根は深い。 が、そう言う口はズッポリ西洋まみれだ。 最低限、宣長を音読することから始めたらどうだろうか。 憲法から、我々や我々の日常をそぎ落とすことの罪。 その理屈がもはや米帝隷属であるということが分からない恥。 まず重武装だ、そう正直になれないことへの罰。 帝国憲法でさえパクリだった。それをオリジナルだと勘違いして地獄への 指南書にした。自前自前自前、ならばまずはハングルのように文字を創生させるとか、 他にもやることはたくさんあるはずだ。天皇を抹殺するとかね。あれは、半島の血が我々 日本民族の平均より濃いはずだからな。 ま、しっかり自前を掘り下げてくれ、足りない頭で。
371 :
あ :2008/01/27(日) 02:08:15 ID:KSNc6aIF
↑ねえ、リンク先の国体論を読んでね。 そして、はっきりいうけど日本の歴史意識は分断があるよ。 それとパトリオテイズムは当たり前の感情だし、その延長としての帰属意識としてのナショナリズムは もともと善いものだよ。俺はこの家の子だ。隣の家のカレーより、うちのカレーの方がうまいと思うこと は当たり前のことなんだから。 ところが、歴史意識の分断によってそういう健全(当たり前という意味で)なものさえ否定しがちだよ。 流さんのいわんとしていることを整理して、こういえばいいのにの形にしておけば「問題の形」をはっき りさせることはできる。 ばかげていることなんて一蹴してもしかたない。
372 :
半さん :2008/01/27(日) 02:40:24 ID:BLHUGIhu
>>371 >流さんのいわんとしていることを整理して、こういえばいいのにの形にしておけば
>「問題の形」をはっきりさせることはできる。
「関係ないでしょう」で
片付けられちゃうのでは?
一蹴されちゃうのでは?
373 :
あ :2008/01/27(日) 03:09:18 ID:KSNc6aIF
それはそれで孤高を貫かれるのだなというオチがついて、それもまた善し!
374 :
あ :2008/01/27(日) 03:10:07 ID:KSNc6aIF
国体という考え方の何がまずいのかをきっちり押さえておく (もしかしたら、まずくないのかもしれないよ。)
375 :
半さん :2008/01/27(日) 03:15:54 ID:BLHUGIhu
>>373 野狐禅ジャネ?
ごんぎつねのピンポンダッシュな悪戯や
パクった魚を玄関に放り投げて
「いいことした」とほくそえむのと大して変わらない気が・・・
「孤高」の「孤」はけもの編のほうが似合ってますね
結局我々同様「存在証明」してるだけですしw
376 :
あ :2008/01/27(日) 05:22:48 ID:KSNc6aIF
たぶん 流さんは日本の国柄を考えてあの憲法でいいのかという論議をするべきなんだと 思うんです。 それを存在しているのかみたいな問いにしてしまったのが、まずい。 存在していないものは「存在していないもの」という概念として存在するわけで それこそ存在の一義性の問題に還元されちゃうわけですから。 存在論は結局最後は存在−者論(神とか宇宙意識とかそういうような類)になっちゃい やすいものなので存在というタームは気をつけなければなりません。 唯名論…検索のほどを
377 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/27(日) 08:59:10 ID:Kmh4NEVQ
>>371 >パトリオテイズムは当たり前の感情だし、その延長としての帰属意識としてのナショナリズムは
>もともと善いものだよ。
またまた、嘘
両者は拮抗し微妙なバランスを保っているところが少なくない。日本が特殊なケースであることは
明らか。
自己愛が郷土に及びそれが国家にまで行き渡るというのは神話である。そうでないなら、公教育など
の国民養成の装置で必死こいて維持しようとしない。
また、「>もともと善いものだよ」などとはどの口が言えるのか。
善悪の彼岸。良し悪しを持ち出すことがこの種の問題の病根。まだ分からんか。
>隣の家のカレーより、うちのカレーの方がうまいと思うことは当たり前のことなんだから。
嘘八百
もし、そうなら外食産業がこれほど流行らない。画一化されたファーストフードの味にまいってしまってる。
コンビニの食べ物に群がる人間のいかに多いこととか。そういう現実とのからみで考えて欲しい。
我が家のカレーが一番か、それともマクドか。こんなアンケートでもしてから言え。
まあ、仮に(仮定法)だ、我が家カレーが一番だとみんなが思ってるとして、
それを相手も思っているということは相対的な優劣善悪が無効になることを意味する。
そう理解させること「だけ」が病根への注射になるんだろ?
うちの母ちゃんのカレーが一番だと、隣の家に怒鳴り込むようになることが問題だろ?
このカレーが一番であるということは同時にあのカレーも一番であることを許すような
頭を育成しないとならん。そこからだけ考える、論じる意義はある。
我が家カレーは一番。
これだけなら、馬鹿ウヨ養成にしかならん。
お前は馬鹿だからそれでもいいんだけど、半島大陸と神国日本のウヨウヨ合戦には
うんざりだよ。こういう馬鹿ウヨはどこか無人島に集めて死ぬまでやらせたい。
お前も行けよ。
クルクルパーがまとめるととんでもないところに落とすから困る。
378 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/27(日) 09:01:22 ID:Kmh4NEVQ
二番煎じはおもろいか
379 :
あ :2008/01/27(日) 10:15:01 ID:KSNc6aIF
でた根無し草。 かわいそうなもんだな。 国家主義と訳されるようなナショナリズムは問題だし、国粋主義までいけばもう井戸の中の蛙。 でも愛国心なんて誰でもふつうにもっていて当たり前。それが<足りない>なんていう政治家こそが大問題なだけさ。 でもそれも歴史の分断のせいの気がしないでもない。 > 自己愛が郷土に及びそれが国家にまで行き渡るというのは神話である。そうでないなら、公教育など の国民養成の装置で必死こいて維持しようとしない。 > まずこれが間違っていたのではないか?明治から敗戦までは、人々が愛国的だったからこそ国民教育が成功した のではないか?そして、なぜ人々が愛国的だったのかは江戸時代に培われたパトリオティズム(県民性)を通して国 というものが理解されたからではないか? そして更に一番の間違いは、戦後、公教育は<日教組教育>と呼ばれるぐらい個人の権利・意志・思想の尊重を 中心にやってきた。(だからこそ戦後民主主義教育批判などという商売が成り立つ。) したがってその解消みたいな形で公教育を活用しようとしているのが今なのであり、<維持>をもくろんでいるわけ ではない。 その上でやっぱり よい/わるいの問題だよ。 あと、みんなフツウに自分にとってはうちのカレーが一番だと思ってる。だからこそ、おまえんちのカレー変と表立って 言われれば腹が立つのである。 つまりどのように振舞えばいいのかということが大事であってどう考えるかということは当たり前のことである。 振る舞いの問題なのだということが理解されないばかりに形而上学的な論争が繰り広げられるのは問題の解決を遅らせる だけだ。 だから半島人もその日本人も振る舞いがおかしい。ってことさ。
380 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/27(日) 10:37:48 ID:Kmh4NEVQ
>つまりどのように振舞えばいいのか そのためにどう認識すべきかということ。 >当たり前 これは善悪や優劣の彼岸。 嘘だらけ >江戸時代に培われたパトリオティズム(県民性)を通して 線引きは一致しない。ちょとぐらいはいいのか?ご都合主義、乙 北方領土くらいOKにする覚悟で言わないとまたまたパブロフ犬になる。 >江戸時代に培われた こういうの好きやなあw ならば、北海道なんて日本じゃーないなw >その上でやっぱり よい/わるいの問題だよ。 これは特記しておく。 いつか、またムニャムニャするだろうからw
381 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/27(日) 10:43:23 ID:Kmh4NEVQ
>でた根無し草。 道産子なんて郷土を平気で捨てた人間ばかりだろ? アイヌからまきあげた土地で今も平気で暮らすカスの末裔かw 郷土愛なら返せって言ってるだろ? >振る舞いの問題 居座って開き直った上でほざくか、下郎が。 日本への同化の強要。アイヌより日本がいいと押し付けて。 カレーのメタファーが墓穴であることに気付けよ、足りなくてもw
382 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/27(日) 10:54:55 ID:Kmh4NEVQ
江戸時代の郷土はどうして捨てたんだ? 食えないからか?おめーら、カスだな。 母ちゃんのカレーはまずいからといってドブヘ捨てた鬼畜が何をほざく。 恥を知れ。
383 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/27(日) 10:56:51 ID:Kmh4NEVQ
悪い頭からパッパラパッパラ垂れ流すから自家撞着がすぐ露見する。 今は、どうして誤魔化すか必死なんだろうが、いっこうに学習しないから 同じような無様なことを繰り返す。
384 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/27(日) 10:58:29 ID:Kmh4NEVQ
江戸時代、根無し草・・ それは北海道民にとっての最大の侮辱だなw
385 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/27(日) 11:00:16 ID:Kmh4NEVQ
根がない人間ほど、こういうことにこだわるっていうことも 当たり前 のことなんだね。 江戸時代から代々同じところに住んでから言えよとw
386 :
あ :2008/01/27(日) 11:49:32 ID:KSNc6aIF
北海道は日本じゃないよ。当たり前じゃない。そんなの。北海道は成功した日本の植民地だよ。 その上同化にも成功してるし。 でもね。それだけに、日本本土のしがらみからは自由でいられたし、伝統とやらも一つの選択 にすぎなかった。 着物を着るなんてことさえ、下手をすれば命がけなんだからね。 でも、米なんか無理といわれた気候の中で結局、米づくりを成功させちゃうっていう点では間違いなく 日本人だろうけどね。 コロニーにおける帰属意識なんていうのも面白いテーマだけど、それを扱うのが私の仕事ではない。 あと、江戸時代の郷土はどうして捨てられたんだ。ということについて…ええ、捨てちゃいえないでしょ。 故郷に錦をかざるっていつのことばだと思ってますか? それに上京を許されるのは次男坊や三男であって長子で上京する場合は大学への進学などであったよ。 なあ。SK2.脇へそらすのはもう止めようや。 > まずこれが間違っていたのではないか?明治から敗戦までは、人々が愛国的だったからこそ国民教育が成功した のではないか?そして、なぜ人々が愛国的だったのかは江戸時代に培われたパトリオティズム(県民性)を通して国 というものが理解されたからではないか? そして更に一番の間違いは、戦後、公教育は<日教組教育>と呼ばれるぐらい個人の権利・意志・思想の尊重を 中心にやってきた。(だからこそ戦後民主主義教育批判などという商売が成り立つ。) したがってその解消みたいな形で公教育を活用しようとしているのが今なのであり、<維持>をもくろんでいるわけ ではない。 > これを否定するには歴史的な事実を持ち出すべきで、君のコメントを持ち出すべきではない。それこそ決めつけを繰り返して 真実にみせようとする。イカサマでペテン師な方法だ。(まあ、最初からペテン師であるのだから仕方ないのかもしれないけれど。)
387 :
あ :2008/01/27(日) 11:52:05 ID:KSNc6aIF
一個つけくわえておこう。 コロニーだからこそ、国家よりも社会のような革新王国とよばれているわけだよね。北海道はさ。 本土の人たちは結局、国家社会主義か国家主義しか選択肢が思いつかないんじゃないの?
388 :
あ :2008/01/27(日) 11:53:12 ID:KSNc6aIF
それとまさか立身出世というスローガンのわからない人がいるとは思わなかった。
389 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/27(日) 12:04:26 ID:Kmh4NEVQ
>あと、江戸時代の郷土はどうして捨てられたんだ。ということについて…ええ、捨てちゃいえないでしょ。
>故郷に錦をかざるっていつのことばだと思ってますか?
またまた強弁w
>脇へそらすのはもう止めようや。
お前。責任転嫁は辞めて欲しい
>歴史的な事実を持ち出すべき
常識を知らんのか??
スレを尊重して例えば、『「国語」の近代史―帝国日本と国語学者たち』 (中公新書、安田 敏朗)
とか。そのものズバリなら『ナショナリズム』(かんさんじゅん、思考のフロンティア、岩波)
などたくさんある。そういう常識の上で山崎のあの文章は出来上がっている。お前、読んでないのか?
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/tatngo/2001_bun1.htm# #2
>>
伝統の担い手としての民族は小さなイエやムラとは違って,そのなかに生きて全体を
心身で直接に実感するにはあまりにも大きすぎる。生活習慣であれ伝統的な感受性であれ,
数百万,数千万の人間がそれを共有していると感じようとすれば,その人びとには
間接的な知識の助けが必要になる。その事実を広く刊行される本で読んだり,共通の学校で
学ばなければならない。ましてそれが普遍的な人類の共通性ではなく,ほかならぬ民族
という単位での同一性だと感じるためには,強力な教育と啓蒙が必要になる。
だがまさにこの教育と啓蒙の努力のなかに,意図のあるなしを問わず危険な政治の力が
忍び込んでしまうのである。
>>
お前なら試験場で、発狂するんだろうな。こんな反日的な捏造文章を読ませやがって、とか。
必要なら、たくさん上げて論じるけど、もうさんざんやったけど。
>歴史的な事実
>歴史的な事実
>歴史的な事実
>歴史的な事実
390 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/27(日) 12:13:43 ID:Kmh4NEVQ
>人々が愛国的だったのかは江戸時代に培われたパトリオティズム(県民性)を通して国 >というものが理解された これがどんな歴史的な事実に基づいているかは示さない。示すことはできない。 すべての資料はそれを否定しているから。
391 :
半さん :2008/01/27(日) 13:19:40 ID:BLHUGIhu
>>376 唯名論でも実念論でもどっちでもいいですね
普遍論争の結果はどうせ喧嘩両成敗的中庸でしょ?
ややこしいんでパスです^^;
要するに存在してた大日本帝国時代に
海外から振る舞いを改めろと要請が来て
それに応じて憲法改正したってだけだと思うんですが・・・
権利の行使ではなく
義務の履行で憲法が出来たってのは珍しいケースでしょうね
392 :
あ :2008/01/27(日) 14:25:59 ID:KSNc6aIF
ぷはは。それこそ歴史的事実を誤認している。 国語国字問題は、確かに日本という国民国家を維持する上ではとてつもなく大きな問題だった。 じゃあ、こうする。こう決めた。お前達それでやりなさい。 でそれは解決したのか。ということが歴史的事実だよ。 学制施行には農家からの反対もあったが、それこそ国のためだからと義務教育を推進した。 明治のころは、政府に対しての信頼よりも国をどうするという視点や感情の方が大切だった。 税を米ではなく金で収めるという制度改革についてもとてつもなく、大変なものだった。 それがなぜできたのか?(国民国家が形成できたからという解答は成り立たない。それは 年表を見てもらえばわかることだ。) したがってキミはコンセプト=事実と考えているに過ぎない。 そのコンセプトを共有できた土台の存在を忘れてる。 その土台こそナショナリズムだよ。
393 :
あ :2008/01/27(日) 14:37:55 ID:KSNc6aIF
なぜ、山崎が日本ではなくドイツをひきあいに出しているのかが分からないらしいな。 日本を取り上げないことで形式的な類似によって日本を見つめなおさせようとしたんだろうが、それは 失敗に終わってる。 山崎が一番間違っているのは、イノセントな民衆をどこかに仮定していることだ。そんなものはどこにも いないし、存在のしようがない。(それが近代化っていうことだったのだし、じゃあ近代化しないことがいい ことだったのかといわれれば、それは歴史的に許されない選択だったのだと答えるしかない。) もし、そのような形式的類似でごまかすのではなく正面から日本の近代化を国民形成を通して書こうと したらああいう文章にはならない。 日本はドイツとは違って、小国家連邦が300年も維持された(そういう意味ではドイツよりも遥かに進んだ 体性をもっていた)そういう土台がある以上、 > 伝統の担い手としての民族は小さなイエやムラとは違って,そのなかに生きて全体を 心身で直接に実感するにはあまりにも大きすぎる。生活習慣であれ伝統的な感受性であれ, 数百万,数千万の人間がそれを共有していると感じようとすれば,その人びとには 間接的な知識の助けが必要になる。その事実を広く刊行される本で読んだり,共通の学校で 学ばなければならない。ましてそれが普遍的な人類の共通性ではなく,ほかならぬ民族 という単位での同一性だと感じるためには,強力な教育と啓蒙が必要になる。 > この文章は一般的な事柄を述べているにすぎないが、日本という土壌にのせたときには齟齬が生まれる。 (日本においては、民族という概念よりも国民という概念の形成の方が早く、日本人としての帰属意識は とても強いが、日本民族、大和民族なるものへの帰属意識はある時期までとても弱い。しかも、日本に おける民族なる用語は実はサヨク用語だった。)
394 :
半さん :2008/01/27(日) 14:38:11 ID:BLHUGIhu
今度漢字検定があるんですが(準1級) ホント国語国字問題ですわ〜 誰だよこんなヤヤコシイ文字考えたの・・・orz
395 :
あ :2008/01/27(日) 14:47:11 ID:KSNc6aIF
396 :
あ :2008/01/27(日) 14:56:59 ID:KSNc6aIF
松岡のガイドを読めば、わき道にずれたようでも、わしはきちんと全部の話題がノッカル本道を 提供してきたことがよくわかる。 SK2くんのように芯がないわけではない。 余談だが、わしがSK2やママンの書き込みにカチンとくるのはその子どもじみた対象との間合い や扱いについてである。突拍子もない言い方をすれば「愛」がないのである。 何を扱っても、自分のために語っているだけで、対象は何でもいいのだ。 流さんやヤマさんの方が対象に対して誠実で真摯である。 (出鱈目かもしれないけど。) わし?わしには「憎」や「恕」があるなんじゃないか?そんなこと自分ではわからないもんだ。
397 :
半さん :2008/01/27(日) 15:17:51 ID:BLHUGIhu
>>396 ツンデレなんだからぁ・・・
教師スレだと今でも「おめーら白痴」さんいるのかな?
奈々氏で相手したことありますが
日本語全然通じなかったorz
なんだかんだ言って語りたいんでしょ?
応じてくれるわけですから・・・
398 :
sage :2008/01/27(日) 15:58:59 ID:obNGzAa/
399 :
半さん :2008/01/27(日) 17:32:51 ID:BLHUGIhu
>>398 憲法9条の話題で釣って
法解釈でムニャムニャ続けて
日本国憲法が存在しないって
結びつけたいみたいですね
見事な存在証明だな〜
400 :
あ :2008/01/27(日) 18:08:09 ID:KSNc6aIF
でも向こうのスレの方が日本語になってる。 よかったよ。 一応日本語が話せることが確認できて。 やっぱり流さんは「国体派」なんだと思う。 「戦後は国体は護持されてなんかいない。」 といいたいだけじゃないかな。 そう考えると矛盾なくすべてがまるく収まるところに 収まる。(ああ、これが証明ってことだねえ。) ※わし 、別にのスレが消滅したって困らないから とっとなくなって欲しいよ。 掲示板は、どれが1番かじゃなく、こんなんありましけど。 という場であるのが健全だ。 (議論する場なんていう定義をするのは基本的に間違っている。) 学内のアナログな掲示板で議論してるのなんかみたことねーし。 インターネットは往来と考えるのが基本なので、道に立って演説 する。説法する。人が出てくるのは仕方ないが、普通は華麗にス ルー。 好みがあるから<いい・悪い>もあてにならない。
401 :
半さん :2008/01/27(日) 18:14:02 ID:BLHUGIhu
>>400 まぁあっちであれだけ9条弄ってれば
どんなに否定して言葉を限定しても
存在から逃れることは至難でしょうねw
このスレが消滅しても困らないでしょうが
存続しててあさんがアク禁になったら
苛立つ自分が確かにいるとおもいますが・・・
402 :
ヤマさん :2008/01/27(日) 19:25:26 ID:yqqWCJkd
こころの中に、平和の砦(とりで)を創れば、よろし。 「あ」さん、キリ番ゲッターやね。400!
403 :
半さん :2008/01/27(日) 19:39:41 ID:BLHUGIhu
>>402 ごんぎつねもそうだったな・・・
よろしいかぁ?
下手にうろついたら「ズドン」されそう・・・
404 :
あ :2008/01/27(日) 19:45:58 ID:KSNc6aIF
いや、 それももう慣れた。 ヤマさんがいじられキャラを卒業すれば特に イライラすることはないと思う。 SK2がどんなに馬鹿なことをいい。 ママンが独りよがりを炸裂させても、 檻の中で何をいっても現実は何も 変わらないと思える。 彼らが今の自分から、どう変わるかを真剣に 考える気がないのがわかったから どうでもいいよ。 これは一種の職業病だしね。 SK2が学級の子だったら、ことばが出なくなる まで筆談でいいたいことを書かせて ワープロで文末表現を丁寧文にして、自分の文章 だとわからないようにして、批判させる文を書かせ る。 それができたら、最初の文に言っていることは嘘 ってことになることを示し、ことばを慎むことを学習 させる。 その上で彼の個人的な行動上の問題の設定に かかるわけだけど。…なんかね、彼のいるグループ が空中分解かやる気なしグループになりそうなんで 手を打たなきゃならないのよ。 担任としてはね。 しかし、わしはこのスレの担任ではないし、管理者でも ない。どーなろーと知ったことではないからね。 不誠実かもしれないが、方法がない以上降参するしか ないでしょう。 性格は変えられない。でも行動は変えられる。 生活は変えられるのです。(生徒指導のゴールデンセンテンス)
405 :
半さん :2008/01/27(日) 19:58:05 ID:BLHUGIhu
>>404 Attitudeを変えるのは無理っすよw
Behaviorまでですね
私はそうですしね
変えるものでなく変わるものだと思いますよ
前者は別にその生徒に関わってる期間内に
変化を求める必要ないと思いますよ
あくまで提示止まりです
時が過ぎてその生徒が「あ〜そういえばあいつ(先生)あんなこと言ってたな」
って思い出してくれるかもしれませんから・・・
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/27(日) 22:18:16 ID:Z8uKeXjN
407 :
ヤマさん :2008/01/27(日) 22:55:43 ID:yqqWCJkd
>>403 「ズドン」した、兵十が心配です。
なにか、「救い」はないものだろうか。
408 :
半さん :2008/01/27(日) 23:07:24 ID:BLHUGIhu
>>407 つ「悪いのはごんと言ってやる事」
詫び入れるそぶりなくうろちょろしてるんだもんw
現代社会でも菓子箱投げ込みは謝罪の意味になりません
ま、人生業をしょって過ごすもんですよw
409 :
あ :2008/01/28(月) 06:20:47 ID:fz/7nfk8
救いはこの物語の最初にありますよ。 これは村の与平というおじいさんにきいた…。 ごんは神話になったのです。(この部分は小学校だと本筋との接合が難しいから って無視されちゃうんだけど実はこの救いのない物語の中の救いの部分なんですよ。)
410 :
あ :2008/01/28(月) 06:21:39 ID:fz/7nfk8
仏教でいえば 発心ですね。
411 :
半さん :2008/01/28(月) 06:49:17 ID:hTbe5O2r
>>409 なるほど・・・そういう「救い」もあるんですね
イマイチ釈然としないが・・・
キリストの贖罪のほうがわかりやすい位です
ええと、誰にとってのどんな神話なんですかいの。
414 :
あ :2008/01/28(月) 18:17:53 ID:fz/7nfk8
母語と母国語は違うからですね。 このスレの場合は、どのような言語であれ、あなたの使う言語がどうある方がよいのか みたいなことなのです。 母国語とすると国語を認めたことになるからでしょうね。そもそもが母国語なんていうのも その国の公用語にすぎません。 しかし、母語というものは必ず存在するものです。
415 :
あ :2008/01/28(月) 18:20:34 ID:fz/7nfk8
ママンへこの物語自体がごんへの贖罪のレクイエムになっているんですね。 罪とは何かって?殺してしまったことではありませんよ。わかりあえなかったことですね。 (古典的なまとめとしてごんの思いは兵十に届いたのかというものがありますが… じゃあその思いを受け止めた兵十はどうしたのか…ということですね。)
つまりスレタイとスレの中身が相当ずれてるってわけですか。 あなたの言語ってことは日本どころか母語ですらないということでもあるわけですか。なるほど。 母語って勝手にみにつくものだろうから、教育(みたいな)話にはならんだろうと思いますが、そういう話では必ずしもないということですね。
417 :
ヤマさん :2008/01/28(月) 21:39:03 ID:NSJgcmFn
>>416 ID:h+7l5sv6 さん
どこが、ズレているのか教えて頂ければ幸いです。
>>415 贖罪のレクイエムと与平じいさんとはどうやって結びつくの?
物語が再話形式であることが神話というのはなんだかよくわからないよ。
419 :
ヤマさん :2008/01/28(月) 22:31:08 ID:NSJgcmFn
>>417 スレタイ:日本+国語
>>2 :日本+母語
>>414 :不特定+あなたの言語
↑こんな感じのずれのことです(あくまで私の解釈)。
スレの中身というよりスレの趣旨の方が正確かもしれません。
421 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/28(月) 22:45:00 ID:r85l7IkF
馬鹿あ >(日本においては、民族という概念よりも国民という概念の形成の方が早く、日本人としての帰属意識は >とても強いが、日本民族、大和民族なるものへの帰属意識はある時期までとても弱い。しかも、日本に >おける民族なる用語は実はサヨク用語だった。) という嘘で何を擁護したいのか。 ところで根拠やソースが一つもでない。引用でもいい。 とにかく嘘はたくさんだ。 当方が 根拠 を吟じてもいいか?w (あまりやる気ないけど、子ども騙しは)
422 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/28(月) 22:51:21 ID:r85l7IkF
>>420 国語を自然で自明のものとせず相対化対象化することはスレタイの本義です。
母国語は母語で奇怪さが浮き彫りになります。
また、母国語と公用語は位相が異なります。
そういう阿呆の妄言が孕む醜さや愚かさにまで徹底して遡行することからだけ
日本語の未来は訪れるでしょう。
こんなところで馬鹿の話を聞かないで、シッカリ勉強してください。
まず本屋さんや図書館へ行って、先人の営為を謙虚に眺めましょう。
そういう中で自らの理念や思いを煮詰めたおして、あふれ出るような
ことがあればここで噴火させてください。
お待ちしています。
423 :
あ :2008/01/29(火) 06:49:16 ID:RnPcT/56
ママンへ うーん。それを話さなきゃならないのか。これは…。 はい。では問題です。なぜ与平さんは語りえたのでしょうか? 簡単ですね。「知っていたからです。」ではどうして知っていたのでしょうか。 ええ「誰かから聞いたわけですね。」そして印象に残っていたからこそ、語りえたわけですね。 では、この話を一番最初に語りえたのは誰でしょうか? 二人しかいませんね。 ごんか、兵十です。しかし、きつねは人語を使用しませんし、また物語の上でごんは死んでいます。 したがって兵十がこの事件をまとめ語ったということになります。なぜ語ったのかはもはや推測にすぎませんが それこそ弔いのためではないでしょうか? (この物語を人同士の事件と考えても同様で、それこそ共同体としての記憶をなぜ維持してきたかという課題の 立て方になる。) 以上
424 :
あ :2008/01/29(火) 06:58:16 ID:RnPcT/56
>>420 ああそれはですね。住民が教育について語れないからです。
結局、言語について語ってるだけだからですよ。
日本の国語教育に携わっていればそういうスレになるでしょうが
教科書すら使ってない人がそれはできかねますでしょ。
ですから、あなたの言語について語るってことになってしまうわけ
です。
こうあるべきなどという国語教育の姿をこのスレに求めるためには
ここの住民を(わしも含めて)一掃するしかありますまい。
でも2chでは無意味でしょう。
SK2くんは母語 公用語 母国語を結局説明しておりませんな。
母国語っていうのは外人に対して俺は何語を使ってるって説明するときの何語です。
公用語というのは役所に書類を出すときに使わなければならない言語です。
公用語を決めるのは政府であり、日本の場合はどちらも日本語であると何となく思ってる
だけですね。
じゃあ日本語とは何かということは実は難しい問題なんです。
国語問題というテーマもあるくらいですから。
しかし母語は案外単純です。あなたが使っていることばはあなたの母語です。
(一般的には小さいときに一番最初に身につけた言語ということになりますが。
言語環境が人間が人間にことばを教えるだけでなくなった以上、単に○○弁
のような考え方では不適切です。)
425 :
あ :2008/01/29(火) 07:00:02 ID:RnPcT/56
言語についてしか語れないからこそ、共通のテキストを置いて語り合おうという 論理的な作戦に出たんですけどね。 でもデカルトはきちんと読んでおくのはいいです。方法序説は長くないし、基本は ばっちり押さえられますよ。
426 :
あ :2008/01/29(火) 07:22:51 ID:RnPcT/56
あと問題を難しく語りたがる。(要は難しい本を読んで、そのまま覚えている。) 傾向があります。 意味が分からないときは、 日本語でOK で十分です。 罵倒されるかもしれませんが、弱い犬ほどよく吼えると思っておいてくだされば 結構です。 このスレは一種の檻なので、気になさらないでください。
>>423 起源としての兵十?なんのこっちゃ。
とりあえずこの話を、物語内物語を含む枠物語だとしよう。わかりやすくするため、物語内で紹介される
ごんの物語と、それが再話される場というふたつの審級を考える。
まず再話される場の審級に焦点を当てるとすると、この物語そのものを伝言ゲームのように、与平←誰か
←誰か←…←誰か←兵十と語られてきたという想定は無理でしょ。なぜなら、
>ごんは、「ふふん、村に何かあるんだな。」と思いました。
このように語りはごんに寄り添っている以上、文面は同じ物語世界内の兵十の記述ではあり得ない。
この話が口承文芸のように語り伝えられてきたと想定するなら、物語の享受は聞き手や読者の想像力に
よっていくらでもズレや揺らぎを生じ得る以上、むしろ発話の起源としての兵十の意図には行き着けないの
ではないかね?
あ君は超越的な視点の語りの存在をもって、再話の反復によって物語が「神話」に昇華したのだと言い
たいのかも知れない。しかし逆にその視点の超越性こそが「虚構」としての物語の位置を強調していること
に気づかないといけない。心理が鮮やかに描写され、人間の悲しみを理解していくごんの姿が語られてこそ
「弔い」や「同情」などの話題が生まれるのであって、それは超越的な視点や動物の思惟の把握が成立し
得るという意味で物語の「虚構」性に担保されているのだから。つまり、物語の「神話」性と「虚構」性は相
互に依存し合っており、どちらが起源かはわからない、というより問うてもあまり意味がないわけです。なぜなら、
この話は小説という意味でそもそも虚構だからです。
>なぜ語ったのかはもはや推測にすぎませんがそれこそ弔いのためではないでしょうか?
ここがポイントです。そう理解したいから理解する、それだけのことですね。
桃太郎の話の起源として桃太郎の日記を想定するばかりか、日記執筆時の桃太郎の意図を勝手に
詮索するようなものです。唯一の意味決定者としての「作者」への遡行は果てしなく続きますな。
428 :
あ :2008/01/29(火) 17:47:44 ID:RnPcT/56
ママン その論理は変だよ。 ハーンの怪談にだって、そんな話はあるでしょ。 第一、この話は与平という…という文が再話を示しているわけで、ママンの論拠ならそんなことを書く必要はなかったわけでしょ。 むかし、あるところに…で始めればよかった。 たとえ、かっこつけでそう書いたにしても、書き込んだときからその意図とは別にその文は機能しはじめるので、ママンの根拠 物語はごんの視点で描かれているはだめじゃないでしょうか。 うさぎとかめだってかめの視点で語られてますよ。 つまり語り手の視点が実際の話者の視点ではないことなんかいくらでもある。したがってその論理は破綻しています。
429 :
あ :2008/01/29(火) 17:53:56 ID:RnPcT/56
面白い。ママンのこういう脱線の仕方がその考え方の形をしめしてるなあ。 桃太郎の日記かあ。はあ。 桃太郎の日記が見つかったという記述があればね。記述がなければそう考えるのは変でしょ。 でも「ごんぎつね」には記述があるのに…そんなこというママンこそ実は、そう見たいからそれは見ないって ことになってるのでは?
こちらの意図は伝わってないみたいね… >つまり語り手の視点が実際の話者の視点ではないことなんかいくらでもある。 >したがってその論理は破綻しています。 どうがんばったって語りえないものは語れないでしょうが。 物語世界内の兵十がどうやってごんの視点で話者となれるんだってことでしょ。 さらにはそもそもごんの思惟をどう言語で語るのよ。 わけわからね。
>面白い。ママンのこういう脱線の仕方がその考え方の形をしめしてるなあ。 こちらはお前さんの考え方を(桃太郎で)例示しているのだから、面白くて 脱線しているように見えるのは当たり前なの。お前さんの考え方がそうだから。 何を喜んでいるのかわからんよ。 そして、ごんぎつねにどんな記述があると言うのだね? 兵十がごんの弔いをするため村人に語り伝えましたとでも書いてあるのかい? あほ草。 そもそも、「ごんぎつね」の話がそのままの形で「むかし」の人である兵十自身の 語りに還元できると考えている時点で終わりなんだわ。虚構であることを考慮しない としても。
>ハーンの怪談にだって、そんな話はあるでしょ。 それで? ハーンに限らず再話は虚構の常套手段ですけど? 現実の再話の例なら、柳田国男の遠野物語を出せばいいのに。 でも、あれは学術的なものであって、虚構ではないよ。 虚構の再話と現実の再話を都合よく混乱して扱うからこうなる。
433 :
あ :2008/01/29(火) 20:19:19 ID:djbvKdZF
そうじゃない。 兵十がどう語ったかは類推すらできない。今現在の語りをもって兵十が語ったというのはナンセンスだというのは それこそ実は根拠がない。 どのような変形を受けたか(これが実際の民話だとしたら)フィールドワークをするしかない。 これが南吉の創作であるとしても、その中のこの一文によって、最初の語り手たる兵十は類推しうる。 その類推をママンの根拠ではどう考えても否定できない。なぜならレトリックの問題でそれをしようとしているから。 …聞いた話です。という一文を否定するためには作品の中で、なんて嘘という文を見つけなければならない。 語りの土台を語りの内容で否定するのは不可能じゃないだろうか?
434 :
あ :2008/01/29(火) 20:32:30 ID:djbvKdZF
第一自分で持ち出した説明を自分で駆使していない。 物語内物語を含むものだとしよう。 ごんの物語とそれが再話される物語ならわかる。 与平という人が南吉に話して聞かせている。という大きな見えない舞台があって その舞台ではごんの物語が展開されているという構造としよう。 なら話は分かる。それがどうして。 > 物語内で紹介される ごんの物語と、それが再話される場というふたつの審級を考える。 > こんな言い方になるのか?そもそも審級を考えるとは、舞台になっているのはどちらかということだが 物語内に物語を含むといっていながら <再話される場>ってなんだ?用語の統一という基本線すら 守れないのだろうか?場ならもはや審級は決定されている。 で審級を決めるのかと思ったら。 > まず再話される場の審級に焦点を当てるとすると、この物語そのものを伝言ゲームのように、与平←誰か ←誰か←…←誰か←兵十と語られてきたという想定は無理でしょ。なぜなら、 > おいおい。なんで二つの審級を決めるって話が一方のしかも、比べるものもなく審級ではなくて推論の 否定にジャンプしてるんだ!? もうこの時点で論理的破綻をしめしてます。 審級とは上下の序列のことであり、この場合ママンがいおうとしているのは本来は… 南吉が与平から聞いたなんて物語はごんの物語に比べたら小さいものだということでなければいけないはず。 あるいは、物語内物語があるとしてその審級を決めようとすると矛盾が出る。したがって物語内物語は存在しない。 (↑そんな証明はしようもないが…形式として考えるとである。) これでマトモにものを教えてるとは思えないわしがいるわけだが…。まあ、あれだ書いてあることを読み上げること ぐらいはできるんだろう。(その程度の仕事しかしてないのだろう。)
435 :
あ :2008/01/29(火) 20:34:53 ID:djbvKdZF
なあ、変に理屈をこねくり回してしまうのは止めないか? 時間とことばの無駄だよ。
436 :
半さん :2008/01/29(火) 21:18:06 ID:3879gWa+
童話ですしね 消化しきれないトコはあるんじゃないんですか? 最近の仮面ライダーシリーズも 伏線消化しきれないもんだから 最終会後特撮板は祭りですw
437 :
あ :2008/01/29(火) 22:17:09 ID:djbvKdZF
平成仮面ライダーシリーズはトアル作家が一番悪いのよ。 伏線じゃなく単なる惹きだと思って設定しちゃうから…矛盾やら そこつっこむとこちらが描けないとか、あの人がシリーズ構成に からんだ時点でまあそういうもんだと思わないとしまいには投書 したくなるはずです。 まあ1年ものシリーズでうまく大団円に落とすためには相当の 設定の練りこみは必要ですし、おもちゃメーカーのねじこみも平然 と叩き潰さねばなりますまい。 なにせクウガでアルティメットフォームは1回しか登場せず、しかも そのプレ段階として設定にはおそらくなかったアメージングフォーム なんていうのまで出してしまったり、心を失わずに強さを手に入れる みたいなことの表現を目指したんでしょうが…今一伝わらなかった ですな。
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/30(水) 00:38:26 ID:9rL+51HY
114 名前:学籍番号:774 氏名:_____[] 投稿日:2008/01/17(木) 00:16:57 ID:Dsb6nSb4
誰か答えてくれ・・・頼む
インターネットの普及が経済に及ぼす効果を一般均衡モデルを用いて答えよ。
1.労働市場はどのように変化するだろうか?図を描き説明しなさい。
2.生産物市場はどのように変化するだろうか?図を描き説明しなさい。
3資本市場はどのように変化するだろうか?図を描き説明しなさい
116 名前:AA厨[sage] 投稿日:2008/01/17(木) 02:40:08 ID:???
>>114 1.2.3.を同時に解決してみた
/ ̄\ 国民全員働きたくないし / ̄\
|/ ̄ ̄ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄\|
| /V\\\ | /V\\\
| / /|| || | | //| || |
| | |(゚) (゚)| | | | (゚) (゚) /|
ノ\|\| ( _●_) |/ \| ( _●_) |/|/\ 安全な国産食材も無いの
彡、 |∪| 、` ̄ ̄ヽ /彡、 |∪| ミ \
/ __ ヽノ Y ̄) | ( (/ ヽノ_ |\_>
(___) Y_ノ ヽ/ (___ノ
\ | | /
| /\ \ / /\ |
| / ) ) ( ( ヽ |
∪ ( \ / ) ∪
\_) (_/
/ ̄\
|/ ̄ ̄ ̄ ̄\
(ヽノ// //V\\ |/)
(((i )// (゜) (゜)| |( i))) そのうえ中国や外資がやってくるのー☆
/∠彡\| ( _●_)||_ゝ \
( ___、 |∪| ,__ )
| ヽノ /´
>なあ、変に理屈をこねくり回してしまうのは止めないか? あのねえ、私だってそんなに暇じゃねーの。理屈をこねくり回しているだけとしか思えないなら、そういう お前さん自身に問題があると思うぞ。 >与平という人が南吉に話して聞かせている。という大きな見えない舞台があって >その舞台ではごんの物語が展開されているという構造としよう。 はぁ?何で南吉が出てくんのよ。リアルの民話を採取した遠野物語じゃねーでしょ。 もともと虚構だということがわからんの?虚構の物語世界とリアルの世界を混同しないでくれる? それに、キツネが話をしている時点で虚構じゃなきゃおかしいっての。 >物語内に物語を含むといっていながら <再話される場>ってなんだ? ええーっ。ちょっとちょっと、ここで躓くとは思わなかったぞ。 審級1 読書行為(リアルの世界) -------------------------- 審級2 与平の再話を紹介する場(読書行為によって享受される物語の物語世界) 審級3 ごんや兵十の話(与平の再話によって享受される物語の物語世界=物語世界内の物語世界) 審級3は、物語世界である審級2において語られる物語内容であるのだから、両者を分けて考える必要が 当然ある。また、審級2、3は物語内容であるのに対し、審級1はリアルの世界の読書行為による物語の 享受であるのだから、全く次元が異なるものとして扱わなくてはならない。南吉を持ち出してこの境界を曖昧 にする行為は単に許されないだけでなく、そもそも議論として成立しない。この作品は児童雑誌「赤い鳥」に 投稿作品「ごん狐」として発表された虚構なのだよ。この前提が共有されてないのだから話にならんのだわ。
語り手どうこうと言うのであれば、審級2の語り手を南吉だなどとするのはあり得ないことがわかっていなければ ならないはずだけど…。やっぱりあんまりわかってないんじゃねーの?審級2(物語内容)の「発話者」を南吉 (作者)にしないために、語り手概念が考案されたのだよ。 お前さんがやっているのは、審級2の語り手像をずらして審級3で「語られる」兵十にしようというあり得ない 試みなのだよ。それは、審級1のわれわれの読書行為に審級2の与平が関与するのと同じくらいナンセンスな ことなわけ。もし審級3が例えば兵十に焦点化した一人称の語りであるならまだ理解できるが、審級3は超 越的な視点で語られており、しかも兵十はその物語世界内の人物であるのだから、審級3の内容そのものを 兵十は語り得ないのは明らかじゃねーの。しかも、「弔い」どうこうという、お前さんの結論はごんの内面を踏まえ 得るその超越的な語り方に依拠しているのだから、なおさら自己矛盾を含んだものになっているとしか言えない。
ま、つまりだね、お前さんは物語内容ばかりに注目して、あれだけぶうぶう言っていたくせに語り手の考察を全く 考慮していない結論を出しているのだよ。語られる「内容」に注目するだけで、「語り方」は都合よく切り捨てて いる。「内容」にだけ注目するなら、言語芸術である必要などない。「内容」だけを問題とするなら同趣旨の ビデオや要約、またはプロット分岐の整理図(w)だけがあればよい。言語芸術を扱うということは、その表現 方法のひとつとして例えば「語り方」や「語られ方」に注目するということであるはずだと思いまっせ。 もし「語り方」に注目するなら、いくら遡及しても兵十を審級2の語り手と見なすことなどできるはずがないん だけどねえ。
442 :
半さん :2008/01/30(水) 03:09:07 ID:w03kFl1+
>>437 「555」みたいに一人の人間に脚本まかせれば
うまくまとまるんでしょうがね
個人的感想では「剣」が伏線をうまくまとめてましたなw
「響鬼」以降は・・・
脳内補完しないと厳しいですw
443 :
あ :2008/01/30(水) 05:30:20 ID:xRjPExrA
物語内に物語を含むといったとき 何の物語がごんぎつねには含まれているのかという話になるし、それぞれの物語の関係についての話になる。 場は物語じゃない。当たり前のことだよ。 そういうトンチンカンな筋道の作り方を止めなさいといっているの。 でなければ物語内に物語を含むという必要はない。ただ語りの場と何が語られているのかという関係においてといえばいい。 そういう至極単純にものをいうという訓練ができてない。簡単に言えといっているわけじゃない。適切に語れと言っている。 だから論理的にママンの文章は読めません。結局は結論と根拠しか読む必要がなく。しかも根拠が根拠たりえないといってる わけ。 当たり前のことだからわかるだろ的な書き方はよくないよ。しかも、わしが理解はしてるけど、その後それを生かせてないって いってるのにわざわざそれを繰り返してどうすんの。 審級を定めるっていってもはや審級を決定してるし。じゃあ審級を問い直す意味なんてないじゃないのさ。 再話という物語とごんの物語とどちらが部分集合なのかということを決めるのが審級の洗い直しってことでしょうが。 その場合に何をもって審級を決めるのか…(はっきりいえば、わしにはわかんない。だったそんな必要ないもの。) でも、ママンが持ち出した語り手の視点は少なくとも納得できる審級問い直しの根拠たりえない。落語を考えてみればわかる 小説ではない、語りの世界では語り手が何者かになって語ることは当たり前のことだからだ。 あと虚構、虚構と虚構を連発するのは、はっきりいえば、国語に関わるものとしてはどうかと思う。 虚構だからこそできることがある。それゆえに未だに物語ろうとするのが人間なんでしょ。 その虚構の中の構造を明らかにするっていうのが物語の構造分析なんだから。それをいっても何の意味もないよ。
444 :
あ :2008/01/30(水) 05:34:05 ID:xRjPExrA
審級を問うことによって、キミへの批判をするという宣言がまったく生かされていないことをわしに批判されてるの。 ここまで単純にいっているのに理解できなければ、国語について語ってはいけない。黙ってアンチョコを読み上げるだけの授業をし、 生徒の質問には極力答えないこと。 少なくともここでのママンの発言は全然論理的構成がなされていない。 後づけ、後なおしばかりじゃないのさ。(反応で書いてはいけない。)
445 :
あ :2008/01/30(水) 05:43:59 ID:xRjPExrA
ママンがいいたいこと。 語っているのは誰かということを考えるとき。 作者である南吉が語っていると考えることは物語分析の視点からも否定できる。 しかしながら、ごんぎつねの内部で与平から聞いた話という提示がされているのでこの話自体は 与平という人物が語った内容である。 与平という人物が語った内容ではあるが、この物語の語り手はあくまでも読者が読むことによって 作り出したものであり、与平ではない。 (ここまでは納得する。当たり前のことだもの。) だから、与平が語っているからといって、兵十と与平の関係を推論することはできない。 (えええと、だからの根拠になってませんよ。それこそ読者の勝手でしょ。かつ書いてあるもの。 書いてあることをまったく変えずに新たな意味を引き出すからこそ読書が創造的なんじゃなか ったの?読者論ってそういう読者の復権だったんだよね。) それが前段をもって結論を根拠づけられると考えるしくみがよくわかんね。 どう考えても読者論の問題だよ。それを言い出したらさ。物語分析では否定することは不可能だよ。 物語分析は内部の分析だからね。 テキスト ←読者 テキスト外テキスト テキスト外テキストである読者を成り立たせる仕組みの方から批判しなければ無意味だよ。 したがって及第点はあげられませんな。落第。
446 :
あ :2008/01/30(水) 05:47:03 ID:xRjPExrA
半さん 一人の人間が語っても支離滅裂なんだから設定作業っていうのはとても難しいと思います。
447 :
半さん :2008/01/30(水) 06:57:27 ID:w03kFl1+
>>446 おもちゃの売れ行きで変更を余儀なくされるものは特にw
スーパー戦隊ものは合体ロボットのおかげで安定するんですが
ライダーの変身グッズでは不安定でしょうね
448 :
半さん :2008/01/30(水) 07:08:53 ID:w03kFl1+
>>445 単にヤマさんの兵十が救われる道を
テキトーに考えてたらすごい話に発展しましたね
昔から教科書で採用されてきた童話なんで
扱いなれてる先生も多いんでしょうが
個人的には「オオカミ少年」のような
教訓話にすべきだと思ってます
中途半端な罪とその償いで痛い目に遭う話というと・・・
スタンド・バイ・ミーのリバー・フェニックスが演じてた不良少年かな?
(給食費バクル→こっそり返す→担任が着服する→少年に罪を着せる)
ごんと同様、同情意見が結構多いんですよね
449 :
あ :2008/01/30(水) 07:27:35 ID:xRjPExrA
1号の変身ベルトが悪かったですなあ。 今考えるとちゃちい作りなんですが、マント(ふろしき) 刀(ぼっきれ)に変わる なりきりグッズとしては画期的でした。 でもまさかコスプレみたいな文化になるとはこれっぽちも考えてなかったですよ。
450 :
あ :2008/01/30(水) 07:35:26 ID:xRjPExrA
ママンが変なのはわしは 兵十と与平の関係を話してるのに南吉をもちだすところなんだけど、本人は気づいちゃいないだろうな。 だって基本は、適当にゴール目指してことばを流してるだけだから。 算数でいうと逆算ができてない。 強いていうなら、それはむかしむかしあるところにという意味でしかないというのが一番正面切った反論なんだけど、 それも明らかに書いてあることからの飛躍で、当時の流行とかテキスト外テキストで証明しないとそれこそ思い込み ということになり、お互いの思い込み度のくらべっこになってしまう。 (はっきりいえば、南吉の技術の低さによっていろんな矛盾をかかえているテキストではある。再話でありながら 語り口は言文調で実は統一感がとれてない。一部、語りかけ調になってたりする。でもテキスト分析っていうものは 不完全でも、不完全だということまで指摘して、こうも読めるという可能性を示す側面もある。 (それこそが知的生産なのだとわしは思うけど。) ママンが結局、何がいいたいのかはわかんね。論理がないから。だめったらだめっていうのは論理ではない。 メタレベルの使用禁止なんかそもそもできっこない。
451 :
半さん :2008/01/30(水) 14:49:37 ID:w03kFl1+
>>449 1号がマントと刀?
別のヒーローなのでは?
452 :
あ :2008/01/30(水) 16:19:12 ID:xRjPExrA
あのベルトが出るまでは マントと刀が変身アイテムだったというこです。
相変わらずいい加減なことばかり言うなあ。 とは言え、こちらの主張を整理しようとしているのはうれしいね。訂正しときます。 >語っているのは誰かということを考えるとき。 >作者である南吉が語っていると考えることは物語分析の視点からも否定できる。 物語分析なんかなくても南吉の登場はあり得ない(もともとはお前さんが持ち出したんだけど?)。 >しかしながら、ごんぎつねの内部で与平から聞いた話という提示がされているのでこの話自体は >与平という人物が語った内容である。 与平から聞いたという(読者への)報告=「話」自体への言及と、その「話」の内容は語りの審級が違うのです。 厳密に言えば、この話は語り手が与平から聞いた話を再話するという形式で展開されている。 「与平という人物が語った内容」ではなく、「与平という人物が語った内容の再話」であるという方が正しい。 >与平という人物が語った内容ではあるが、この物語の語り手はあくまでも読者が読むことによって >作り出したものであり、与平ではない。 「与平から聞いた」話をするという人物が話し始めるのだから、語っているのが与平であるはずがない。 語り手概念うんぬんの問題ですよ。
>だから、与平が語っているからといって、兵十と与平の関係を推論することはできない。 あのねえ、私はそんなこと言ってねーの。 与平は兵十のことを同じ世界の人間として語っているんだから、与平にすれば兵十は「むかし」の人とは言え、 同じ物語世界に所属していることになる。だからお互いの関係について何か言及したって全然かまわない、 というより自然なことですな。 語り手は与平から伝え聞いたと言っているんだから、その与平も誰かから聞いて、その誰かもそのまた別の誰か から…という伝聞の情報源に遡行しようという想定はそれほどおかしなことではない。あり得ることとして十分文 脈から読み取れると言ってもいい。 私が言ってるのは、その語り伝えられたごんと兵十の「話」の<内容>の起源を物語世界内で遡るとするなら、 兵十本人かどうかは別にして兵十の同時代人にたどり着くはずだが、その「話」の<語り方>は兵十本人の ものではあり得ないということなのだよ。そもそもごんと兵十についての「話」なのだから、兵十自身が語り手であ る場合、一人称の語りでなければおかしい。また、動物の思惟を言語化できることを度外視するとしても、他 者であるごんの内面に寄り添うことは不可能なはずである。 再話なんだから語りが当事者の一人称じゃないのは当然といえば当然。つまり、これらの再「話」の<語り方> を根拠に兵十の意図にはたどり着き得ないということは明らかなわけ。ところが、お前さんの主張は、語り伝えの 起源としての兵十に「弔い」の意図があったというものでしょ。それをおかしいと言っているの。なぜなら、この「話」 の語り手は、兵十とごんへの寄り添いを使い分けつつ、主にごんに焦点化しながらその内面を開陳し、兵十と ごんの思いのすれ違いを描写しているのだから。つまり、兵十の「弔い」とか「後悔」といった読後感があるとすれ ば、それはこうした<語り方>の効果によるものであって、それを兵十の物語だからと言って兵十の意図に還元 することはできないというこってすわ。
訂正
>>453 ×語り手概念うんぬんの問題ですよ。
○語り手概念うんぬん以前の問題ですよ。
457 :
あ :2008/01/30(水) 17:47:59 ID:xRjPExrA
ええと ママン何を話してるの? うーん。勘違いだよお。この話が残っているってこと。これが語れたと語られていることが弔いだっていってるんです。 途中までは一致してるので、それが弔いじゃないという根拠を整理(ごめんね。ママンの文は未整理オオイんだよ。) > 私が言ってるのは、その語り伝えられたごんと兵十の「話」の<内容>の起源を物語世界内で遡るとするなら、 兵十本人かどうかは別にして兵十の同時代人にたどり着くはずだが、その「話」の<語り方>は兵十本人の ものではあり得ないということなのだよ。そもそもごんと兵十についての「話」なのだから、兵十自身が語り手であ る場合、一人称の語りでなければおかしい。また、動物の思惟を言語化できることを度外視するとしても、他 者であるごんの内面に寄り添うことは不可能なはずである。 > この時点で語り継がれてきたという物語世界でのごんの物語の特質はお互いに認めている。 ただ兵十がどう語ったかに言及するのは、推論の域を出ない。そんなことを言い出してしまえば次のように語ることも できる。 ある日村のはずれの六地蔵のところでくりを供えている兵十を見かけた。どうしてそんなことを聞くと、 「これはごんの墓なんだ。わしは取り返しのつかないことをした。」 「なんだごんなんか性悪ぎつねじゃないか。あんな狐をどうして弔ってるんだ。」 「ああ、わしもごんにはいたずらをされた。おっかあに食わせようと苦労して取ったうなぎをいたずら半分で逃がされた。 そりゃあ腹が立ったもんだ。でもなあ。そんなごんなんだが、どういうわけか…」 語りなんて一人で黙々と語るもんじゃない。大抵は乞われるままに会話の形で行われるものだろう。 「ひとりぼっちの兵十か」に誰がたどりつくかは横へ置いておくとしても。それが共同体内の話の特徴であり、そのように 誰が話したのかわからない形で話が形成され完成されていくものだろう。 したがって、一人称でなければおかしいは、与平が語っているという時点で無根拠な推論である。 > 再話なんだから語りが当事者の一人称じゃないのは当然といえば当然。つまり、これらの再「話」の<語り方> を根拠に兵十の意図にはたどり着き得ないということは明らかなわけ。ところが、お前さんの主張は、語り伝えの 起源としての兵十に「弔い」の意図があったというものでしょ。それをおかしいと言っているの。なぜなら、この「話」 の語り手は、兵十とごんへの寄り添いを使い分けつつ、主にごんに焦点化しながらその内面を開陳し、兵十と ごんの思いのすれ違いを描写しているのだから。つまり、兵十の「弔い」とか「後悔」といった読後感があるとすれ ば、それはこうした<語り方>の効果によるものであって、それを兵十の物語だからと言って兵十の意図に還元 することはできないというこってすわ。 > でそれをもって弔いとするのはって展開するかと思ったら、あっさり批判されそうなことを自己批判してしまっている。 つまり、これまで語ったことは無意味だってことだ。時間とことばの無駄遣いだ…ママンこういうところ直さない?ねえ? ああ でまた勘違いだ。わしは語り方によって弔いといっているのではない。語り継がれたということによって弔いといって いるのである。それも兵十はなぜごんのことを語ったのかという問題として語っている。それは語り方からはどう考えても 類推したり否定したりすることはできない。 その時点で語り手を持ち出して批判をしようとすることは間違っている。 語っているという事実によってそれを語っているのに印象からそれを語っているとしているからである。 (ってこれもまた繰り返しいっているような気がするよ。)
458 :
あ :2008/01/30(水) 17:53:11 ID:xRjPExrA
でもって結論はね。 テーマは壮大であったが、それを表現する腕が南吉には足りなくて、出来事の仕掛けによって名作扱いされているのが 「ごんぎつね」というテキストなんだよ。 真面目に分析するとこの物語世界にはほつれやほころびが結構見つかる。 そして、最初に人々の目にとまったこの作品が「なぜか」代表作になってしまった南吉の悲劇でもあるのだろう。 表現自体のねりこみはおじいさんのランプの方がすぐれている。 あれも物語内の人物が物語を語るという仕組みになっているがそのことが破綻なく貫徹されている。 (しかも、あれは二重視点 おじいさん まごというちょっと難しいことを それと気づかせなくやっている。)
以下気づいたところにコメント。脈絡なし。 >この話が残っているってこと。これが語れたと語られていることが弔いだっていってるんです。 問題は、仮に弔いの意図があるとして、それは誰の意図かということでしょ。 私が拘っているのはまさにこの点なのだよ。 >したがって、一人称でなければおかしいは、与平が語っているという時点で無根拠な推論である。 んなことないでしょ。直接法で、語られた通りに語り直したっていいんだから。 また、一人称でなくとも再話であるという時点で、当然ながら話者によって改変が加えられているということでもある。 問題は、これらの語りの位相がお前さんの結論の妥当性にきわめて大きな疑問を与え得るということだよ。 >それが共同体内の話の特徴であり、そのように誰が話したのかわからない形で話が形成され完成されていくものだろう。 だとするなら、そもそも起源としての兵十の意図に拘る必要はないでしょ。 もともと誰がどう話したのかなんてわかりっこないのだから。 無理を承知でいながら、どうしてそんなことするのだね? >でそれをもって弔いとするのはって展開するかと思ったら、あっさり批判されそうなことを自己批判してしまっている。 >つまり、これまで語ったことは無意味だってことだ。時間とことばの無駄遣いだ…ママンこういうところ直さない?ねえ? お前さんが何をどう私の自己批判としているのかさっぱりわからんよ。要説明。
物語が弔いの意図を含意するということは、実際にあったことだという想定で物語が語られていることになる。 審級3は、審級2にとって現実の問題(非虚構)として語られていることになるね。だとするなら、兵十に とって語りえない形で物語が展開されていることが問題とならざるを得ない。わかりやすい例で言えば、兵十 に殺されたはずのごんの内面(特に最期)を誰がどのような資格で描写し得るのかということだよ。これは兵 十だけの問題ではなく、ひとりぼっちのごんが日記を残すかとにかく誰かに語り伝える形でしか実際のごんの 内面は把握し得ないはずじゃないの。 とにかく、弔いを前提とすると、与平にとっての兵十とごんの物語は非虚構だと想定せざるを得ず、そうすると 上で述べたようなおかしな矛盾がどんどん生じていく。そうではなく、与平にとってもごんと兵十の物語は子ども 向けのお話(虚構)であると考えた方がわかりやすくはないかね?南吉のせいにするのはおかしい。遠野物語 で紹介される実際の体験談や昔からの語り伝えは、超越的な3人称で語られたりはしないはずだ。
461 :
あ :2008/01/30(水) 19:20:48 ID:xRjPExrA
ああ やっぱり読めてないっていうかどうして初発がズレて読まれちゃうんだろう。 わしはもともと、推論でしかないと断って、なぜそれを兵十が語ったかと問われれば 弔いじゃないかといっている。つまり、兵十の気持ちなんてわからないよ。 それがメインの根拠じゃないんんだからさ。 だから、反論としては戒めを掲げる半さんの方がよっぽどまっとうだよ。 語り継ぐ要因としては確かに内容と齟齬はない。 ただ、じゃあ戒めか弔いかということになると、結局決定は不可能ってことになる。 資料が少なすぎるからだ。 ママンのもっていきかたは、最初のズレがどんどん拡大してるだけだよ。 なんで読めない人ばかりが国語を語ろうとするんだろう。 (読めないから、書けないからなのかなあ。)
462 :
あ :2008/01/30(水) 19:25:23 ID:xRjPExrA
あの物語内ではごんの話は虚構か虚構でないかというのはそもそも不定です。 ごんが何あるいは誰かのメタファーであることも含めて、それは論証できません。 ただ、物語の構造上、虚構の中では何が起きても現実であるとするのが基本ではない のですか?物語の中の人間が、われわらは物語の登場人物である。が、虚構には疲れた。 今からそれをするのは止めるというのも結局は虚構ですが、それを一つの現実であるとみなす ことによってはじめて意味があるのではないですか? ママン すげーいってることが自分でもよくわかってない感がありありだよ。 これは南吉が作った話だから…って最後に作者に逃げてどうすんの?
463 :
あ :2008/01/30(水) 19:28:28 ID:xRjPExrA
あとママンが現実を生きていないことがよくわかる。 あのさ。作家がある事件にモチーフを得て、まさに知りようもない登場人物の内面をありありと<描写>してる わけだよね。 なぜ物語内ではそのようなことは起こらないと言い切れるのでしょうか。はなはだ、穴だらけ隙だらけの論述 だといわざるおえません。
>これは南吉が作った話だから…って最後に作者に逃げてどうすんの? はぁ?逃げるって、何から逃げるわけ?意味がわからんよ。 それに、初めに南吉を持ち出したのはそっちじゃねーの。 >わしはもともと、推論でしかないと断って、なぜそれを兵十が語ったかと問われれば >弔いじゃないかといっている。つまり、兵十の気持ちなんてわからないよ。 兵十の気持ちがわからん?そんなの当たり前だっての。何を今さら。 それに、そもそも兵十が語ったなんてどこにも書いてないの。 どこで推論だと言った?なぜ語ったかなんて誰が問うたわけ? つまらん言い訳はやめてね。 >ただ、物語の構造上、虚構の中では何が起きても現実であるとするのが基本ではないのですか? お前さんと話すのはホント疲れるわ。 虚構の中では何が起きても現実?何の話だっての。 あのねえ、今は「何が起きたか」はもちろん、「それがどう提示されているか」に注目するということをしてんの。 枠物語で超越的3人称の語り手という形式を備えたこの物語において、そのことの意味を考えることなしに 兵十の意図がどうこうなんて言えねーと言っているのだよ。 >あのさ。作家がある事件にモチーフを得て、まさに知りようもない登場人物の内面をありありと<描写>してる >わけだよね。 >なぜ物語内ではそのようなことは起こらないと言い切れるのでしょうか。はなはだ、穴だらけ隙だらけの論述 >だといわざるおえません。 自己矛盾に気づいているのかい? じゃあ私の主張する通り、与平による物語は虚構ということになるわな。 与平(および起源wとしての兵十)は虚構の物語に弔意を示してるのかね? その、虚構の特徴である「登場人物の内面をありありと<描写>」することなしにこの物語への弔意は生じないでしょ。 そうでなければごんと兵十の心理のすれ違いは表現できないのだよ。
465 :
あ :2008/01/30(水) 21:05:27 ID:xRjPExrA
あたたたた。 とりあえずここは決まり文句。 日本語でOK。 わしがいってるのは虚構内の虚構は成立しないでしょ。っていってるんだけどなあ。 なぜなら、虚構をリアルとして仮想させることこそ物語ることの本質があるんだから。 ごんぎつねは南吉が作った虚構だだから、これが再話だいうのも虚構なのだ。 なんていう主張はまったく実りのない主張で、言語には美などない。と同じくらい次元の 違う話じゃないだろうか。 本当に日本語でOK。
466 :
あ :2008/01/30(水) 21:12:29 ID:xRjPExrA
少なくとも、そのような立場を取らなければ、物語内でごんぎつねは語り継がれてきた物語であり、そこのはその共同体の記憶 としての役割があるということは認められるはず。 その役割が何なのかってことで対立するのはわかるけど、そんなトンチンカンな理屈では、そのような考え方を否定 することはできないでしょ。 半さんの「戒め」っていうのは異議としてわしは認めることはできる。けれども、ママンの論理(?)はそもそも何に向かってるか もよくわかんない。 結局、虚構は虚構だ。ということだとすれば、それは作品=作家と同じになってしまうんじゃないだろうか。
467 :
半さん :2008/01/30(水) 21:18:39 ID:w03kFl1+
>>462 目を白黒させてやりとりを眺めてるんですが・・・
冒頭の「茂平」と聞き手の「わたし」は
以前あさんが紹介してくれた
ベラスケスの「侍女達」で
一番奥で振り返って全体を眺めてる男
の役割と見なしちゃまずいですか?
別に「茂平」や「わたし」は村「人」でなくってもいいんですよね?
茂平はかつてごんにまとわりついていた
ノミやダニやハエ設定でもアリでしょうから・・・(ま、脳内ですw)
468 :
ヤマさん :2008/01/30(水) 22:12:49 ID:NrHclSSa
>>427 >>なぜ語ったのかはもはや推測にすぎませんがそれこそ弔いのためではないでしょうか?
>ここがポイントです。そう理解したいから理解する、それだけのことですね。
ここで、終わっていませんか?
「そう理解したいから理解する」に、「あ」さん、ママンさんに、同意はできませんか?
469 :
あ :2008/01/30(水) 22:50:40 ID:xRjPExrA
そう理解したいから理解するのとして批判に持ち出してきている根拠がメタメタなので同意しかねます。 メタなものを、その下位のもので否定することはできません。 物語の前提を物語の内容で否定することはできないのです。(そんなこと当たり前だと思いますが) ですから、私には別の意味があるように思えるという相対化という手法しか残されていないはずなんです。 それはそう理解したいから理解することを肯定する考えです。 ママンはそれを否定してますから、同意はできません。半さんの方法が一番正しいのです。 テキストから読み取れることは確かに読み取れることで、なおかつ、結構多様であることこそが大事なのです。
470 :
あ :2008/01/30(水) 22:53:32 ID:xRjPExrA
ママンがそう理解したいから理解するということを批判しているのは明らかですよね。 ところがママンは別のところでは解釈の多様性を求めていたりします。これは明らかにダブルスタンダードで彼(もしくは彼女)が 結局は反射的な議論をしているだけであることを示しています。 (結局 結論なんてどうでもいいことなんでしょう。)
471 :
あ :2008/01/30(水) 22:54:49 ID:xRjPExrA
わしが常日頃批判しているのは、自分が見たいものだけを見ることです。 それはそう理解したいから理解するのとは違います。 あるものをないことにしてしまうことですから。
>>465 >わしがいってるのは虚構内の虚構は成立しないでしょ。っていってるんだけどなあ。
意味がわからんよ。
漫画『ドラえもん』でのび太が読んでいる漫画本の内容は虚構内の虚構じゃないのかね。
>なぜなら、虚構をリアルとして仮想させることこそ物語ることの本質があるんだから。
虚構をリアルとして仮想させることと、なんでもありのアナキズムとは違うのだよ。
私は虚構の物語世界の存在を踏まえていろいろ言っているが、それはリアルとして仮想
しなければそもそもできることではないでしょ。
私は審級1に属する読者として、物語内容である審級2と審級3の話をしているんだよ。
1、兵十についての話だから兵十が最初に語り始めたはずである。
2、兵十が語り始めた意図はごんへの弔いだったはずである。
3、少なくとも共同体の記憶として語り継がれてきた意味はある。
という主張について、私は
1、兵十が語り始めの人物として語ったかどうかは書いていないので、語ったという議論の前提すら推測にすぎない。
2、仮に兵十が語り始めの人物だったとしても、与平の再話する形そのままで語れたはずはない(根拠:語り手の位置)。
つまり、与平の再話でしか物語を享受できない読者に語り始めの物語の原型を推測することはきわめて困難(はっきり言って無理)である。
したがって、与平の再話から抽出した記述から語り始めの人間としての兵十の内面を詮索することはそもそも不可能である。
3、伝え聞きは、与平→わたしの伝え聞きの場しか示されていないので、物語が当該共同体で連綿と語り伝えられてきたという解釈は難しい。
仮に共同体で共有されてきたとしても、それが「弔い」の意図を含んでいるかどうかについては書いていないので推測にしかすぎない。
さらに、ごんの内面が描写される語りのありようからは、与平にとっても物語が虚構であった可能性が高く、その場合語りは弔いとは関係ない。
と言っているのです。 見たいものを見ているのはお前さんだってことです。
物語を読んで、実はあーじゃないかこーじゃないかと言い合うのは楽しい。 いろいろな想定をしてみることは自由だし、物語の享受としてはごく当たり前のこと。 しかし、少なくとも本の記述と整合性がなきゃおかしいんだって。 語り手を分析しておきながら、語り手としての兵十を想定しようとするその自己矛盾に 私は驚くんだよ。南吉も与平も兵十も全部審級が異なっていることにどうして無関心で いられるのかわからん。語りの視点に注目することがどういうことかわかってんのかね。
475 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/30(水) 23:11:36 ID:NewnNmwF
クルクルパーの「発心」wを忘れてはいけない >> 409 :あ:2008/01/28(月) 06:20:47 ID:fz/7nfk8 救いはこの物語の最初にありますよ。 これは村の与平というおじいさんにきいた…。 ごんは神話になったのです。(この部分は小学校だと本筋との接合が難しいから って無視されちゃうんだけど実はこの救いのない物語の中の救いの部分なんですよ。) 410 :あ:2008/01/28(月) 06:21:39 ID:fz/7nfk8 仏教でいえば 発心ですね。 >> 発心とは「発心とは発菩提心、すなわち仏道に入り、修行への志を固めることを意味する。 すなわち、発心門とは聖域への入り口を意味しているのである。」 「あ」はあろうことか共同体を出す。 しかし、発心とえは共同体から外部へ踏み出す決意に他ならない。 ま、こういうイカサマばかりでは闘志はわいてこない。 それをフムフムなんていうのはどうかなっていうことです。
476 :
あ :2008/01/30(水) 23:13:37 ID:xRjPExrA
はあ。 つまりその虚構(どらえもん)の中では、のびたが読んでいる漫画というものはリアルに存在するってことは否定できないっていってるんです。 その漫画のストーリが虚構であるなんてことも、漫画が虚構で語るという現実がもとになっています。 あー、そりゃ無理がある説明だ。 1> ごんの顛末を知っているのは兵十しかいない。したがって1は強弁すぎるしたがって却下。それこそ見たいものだけを見るやり方。 2>そもそも兵十の内面の話をしているわけじゃない。もともと類推することはできないといっているので、何の意味もありません。 3>それもまた見たいものだけを見る。逆にそうみることも否定できない。仮に以下では前に語っていること自体が無意味になる。 結局何がいいたいのかあいまいになるだけ。 だから、何度もいうように否定ではなく相対化しか批判の方法はないんですって。
477 :
あ :2008/01/30(水) 23:19:08 ID:xRjPExrA
またSK2がわからないことを…。 ほっ‐しん【発心】 「ほっしん」を大辞林でも検索する [名]スル 1 仏語。悟りを得ようとする心を起こすこと。菩提心(ぼだいしん)を起こすこと。仏門に入ること。発菩提心。発起。発意。 仏門に入ること。 ぶつ‐もん【仏門】 「ぶつもん」を大辞林でも検索する 仏の説いた道。仏道。 であり共同体としての修行の場に入ることを普通はさすわけで共同体から単純に出ることではない。 そもそもが仏教というものが共同体内のものである。(それは当たり前なことだろ。でなければ言語で語る必要がない。三昧境に遊んでいれば よいのである。そうしなかったところに仏陀とよばれる意味があるのである。
478 :
あ :2008/01/30(水) 23:23:18 ID:xRjPExrA
だが、わしのいいたかったことは仏心を起こしたということであるから発心は間違った使い方であったな。 それは認める。誤解させた。
479 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/30(水) 23:26:57 ID:NewnNmwF
「ごん」って、まさしく発心の話なんだよね。 それは「あ」の馬鹿話を撃つような意味においてだということは 発心の本義においても、「ごん」の本義においても当たり前のことだ。 しかし、イデオロギーというか、思想にまいってしまっている人間は歪める ことしかできない。保守したいんだろうね、とにもかくにも。 保守するものがその起源wにおいて全くないからこそ、保守したいという歪んだ構造。 北海道という特殊性に転嫁するんではなく、「あ」という人間の特異性で考えなくては ならないだろう。 「ごん」において、不条理や共約不可能性(通約不可能性ncommensurability)においての 交通みたいなものを感じないのはどういうことなのかなって。 共同体って、トホホでんがな。境界の無効を悲願するような余韻とか。 暗闇での跳躍に賭けることへの勇気、それでも裏切られる背理。 共同体に閉じ「たい」という、ないものねだりは脳内妄想にだけするのがよかろう。
>>476 >虚構(どらえもん)の中では、のびたが読んでいる漫画というものはリアルに存在するってことは否定できないっていってるんです。
誰もそんなの否定してないよ。
のび太の読んでいる漫画は、われわれにとっての『ドラえもん』と同じ意味で虚構だって言ってんの。
漫画としての存在はリアルですよ、そりゃ。物語内容が虚構なんでしょ。
>あー、そりゃ無理がある説明だ。
反論になってねーぞ。
>ごんの顛末を知っているのは兵十しかいない。
なるほど、兵十が誰かにこのことを伝えたから物語が始まったということですね。
そうすると、ごんの内面は誰がどうやって伝えたんですか?
>もともと類推することはできないといっているので、何の意味もありません。
類推することはできますよ。本文と整合性があればね。
物語の展開如何では兵十の内面を詮索すると興味深い解釈となるかもしれない。
ただ、この展開ではできないと思いますよ。
>逆にそうみることも否定できない。
そりゃできませんよ。書いてないんだから。
だから、仮に連綿と語り伝えられたとしても、矛盾が生じると二本立ての論証になってるでしょ。
>否定ではなく相対化しか批判の方法はないんですって。
そんなわけないでしょ。なんでもありなの?
整合性がなければその解釈は否定されて当然だと思いますよ。
481 :
あ :2008/01/30(水) 23:31:56 ID:xRjPExrA
1>のママンの説明がなぜだめかわからない人のために。 彼岸花がさきみだれていました。と書いてあるから彼岸花が咲いていた。たくさん咲いていた。というのは 書いてあることの「言い換え」にすぎない。もし言い換えだけが許されるべき解釈であれば、それは最低な 学問だろう。 彼岸花が秋に咲く花であることを知っていれば、ごんぎつねとは別のテキストによって、秋の高い空、 渇いた空気などを浮かべることは間違っていないどころか、そのような読み取りこそ求められているもの であるし、まさに分析の一側面である。 書いてないからだめ。などということばが飛び出した時点でスリーアウト チェンジ ゲーム終了な気が するのだが。 それにわしは語り手の話をしているわけじゃないし。
482 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/30(水) 23:33:21 ID:NewnNmwF
>>477 またまた、強弁かあぁ。。。
仏門に入るっていうことが普通は出家、すなわち捨てることに他ならないという
伝統と歴史は無視する強弁。
親鸞が親鸞であったことがそれを示している。
親鸞はその意味で仏門から出てきた人だったんだろうな。
ま、「ごん」は全然関係ないけど。
>>481 よく読もうね。書いていないからだめだなんて言ったか?
推測にすぎないと言っているんだよ。
ここでの話題は、整合性と可能性と「相対化」の問題。
484 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/30(水) 23:36:01 ID:NewnNmwF
>共同体としての修行の場に入ることを普通はさす >共同体としての修行の場に入ることを普通はさす >共同体としての修行の場に入ることを普通はさす これは特記しておこう。馬鹿の生態として。 で、この迷言の敷衍説明をよろしく。
485 :
あ :2008/01/30(水) 23:41:24 ID:xRjPExrA
ママン わし文学の講義をしている気持ちがしてきたよ。 語るは騙るである。ごんの実際の心理なんか関係ないよ。ママン。 ごんの行動に対してどのような思いが反映されていると<兵十>あるいは<兵十の話を聞いた誰か> そして語り継いで来た人々が「思ったか」が語られているだけだ。 それを効果的に語るために南吉がああいう構成や語りを採用したのだが、基本的にわしは、技法的には 未熟であり、「うまく機能しなかった」と思ってる。 だからこそ変なところがたくさん出てくる。 プロットだけが名作だといっていい。あまりにもプロットが名作なのでごんぎつね以降同じような話が書けなくなってしまった。 (ごん自体は恩返しものというよくある構造なのだがそのてこに罪の意識という近代性を持ち込むことによってそれまでのもの とまったく違った構造を作ってしまった。)
486 :
あ :2008/01/30(水) 23:43:24 ID:xRjPExrA
あの すぎないは普通否定ですよね。違うのかなあ。日本語ってそうだっけ。 肯定でつかうときは、 それもまた考えうる一つの可能性であろう。ぐらいですよね。 これって同じ事象を肯定と否定の立場で言い換えていると思うんですけどね。
猫ちゃん久しぶり。ヤマさん、センター試験の話題は終了? 引越し前で心の余裕がなく、あ君相手にごにょごにょやるだけですわ。
488 :
あ :2008/01/30(水) 23:47:45 ID:xRjPExrA
SK2は変なところからからまなにように、ごんぎつねの評価の問題ではなく、 ごんぎつねには救いがないのかという話からの発展なの。 わしはごんぎつねが語り継がれてきたことが救いだといい、半さんは語り継ぐことが戒めだといった。 それだけの話なの。 ディスコミュニケーションの話をしているわけじゃないの。
>>485 これはいくら何でも南吉に失礼だわ。
あのね、共同体による語り伝えってのは、お前さんの推測にすぎんでしょうが。
児童文学は遠野物語じゃねーって言ってるのに、どうしてもそう思い込みたいのね。
その推測を前提に話をするから、「変なところがたくさん出てくる」のであって、
そんな前提を捨ててしまえば何の違和感もないのだよ。何様のつもりじゃ全く。
また、この物語はプロットが巧みなのではなく、語りを含めた表現が巧みなのだよ。
このような短編にプロットという表現は似合わない。
490 :
あ :2008/01/30(水) 23:51:59 ID:xRjPExrA
わしだけの感覚じゃなくてよかった。 すぎない 【過ぎない】 (連語) (「…に過ぎない」の形で)…以上のものではない。ただ…だけだ。 ・ 単なる言い逃れに―ない わたしはあそこで人を待ってたにすぎない。とは普通はいわない。 わたしはあそこで人を待ってただけだ。ぐらいだろう。 でもどんな状況でそんなことを言うだろうか。 ある思惑をもってそこにいたことを疑われたときだろう。 そういうことがらを否定するためにこそこんな言い方をするわけである。
491 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/30(水) 23:53:02 ID:NewnNmwF
492 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/01/30(水) 23:54:21 ID:NewnNmwF
ママンどん 確かに、ヤマさんのネタ振りを待ちたいですね。
493 :
あ :2008/01/30(水) 23:55:37 ID:xRjPExrA
あのね。テキストっていうのは背後にあるさまざまなテキストと結びつけられて読まれるわけ。 (まさに読むということはそういうことだ。) そういう読み方を禁止するのが「作品=作者の意図を読み取る。 主題を読むことが作品を読むこと」って 考えだったわけでしょ。 遠野物語が書かれてしまった以上、それを踏まえて「ごんぎつね」が読まれるのは何ら不思議でも不可能でも ないよ。というか、それこそ推奨されるべき読み(意味の生産)であろう。
>>493 寝言は寝てから言おうね。
遠野物語は民俗学的研究。
ごん狐は児童誌『赤い靴』に連載され、童話集に所収。
子どもたちがごん狐を遠野物語を踏まえて読む必然性がどこにあんの?
お前さんが遠野物語を踏まえて読むのは勝手だが、推奨されるべき読みなわけねーの。
訂正 ×連載 ○発表
496 :
ヤマさん :2008/01/31(木) 01:06:32 ID:SDQSkc7N
「あ」さん。
すぎない 【過ぎない】
(連語)
(「…に過ぎない」の形で)…以上のものではない。ただ…だけだ。
・ 単なる言い逃れに―ない
を最初に使ったのは「あ」さん自身の
>>423 でママンさんが、それを受けて
>>427 で、僕の
>>468 で終わっているんじゃありませんか?
終わっていないとすれば
>>469 を分り易くして頂けませんか?
>ママンはそれを否定してますから
否定?否定してますか?よく、分りません。
497 :
あ :2008/01/31(木) 06:51:37 ID:g44eDaew
ええ ヤマさん。わしはそれを推測にすぎないと認めていますよ。 でもその前段はそのことを根拠に述べているのではありません。 したがって、そのことで全体を批判するという方法は認めません。 ぼくはお父さんからこの話を聞いた。 ぼくのおじさんはそのとき「しまった」と思った。 間違って女性用トイレに入ってしまった。 ぼくのおじさんの内面を描いているから、お父さんが話したというのはおかしいし、おじさんから話を聞いたとは推論できない。 ってのは変でしょ。ごんぎつなはこの構造に次のことが付加されています。 ぼくはお父さんからこの話を聞いた。 ぼくのおじさんはうみがめの産卵を見に行った。 うみがめは涙を流しながら「育ってね」と卵を産んでいた。 これはうみがめの気持ちを書いているからお父さんが語ったということは否定できるでしょうか。そもそも日本語では、この 場合、おじさんの推察をお父さんが聞いて、また語っているって<類推>するのが普通です。 ところはママンはそのようなことはありえない。つまり語った内容で語り全体の構造を否定しようとしたのです。それは根本的に 不可能なことなのです。 わしは兵十の気持ちなんて推測にすぎないが、それが語られたこと、語り継がれたことは事実としなければなrない。 その事実には何らかの意味がある。わしは弔いだと考える。といっているので、これの反論はもはや いやぼくは戒めだと考える。などの相対化が一番妥当です。 でなければ、この話は与平…うんぬんを当時のテキストの流行を調べて流行りに過ぎなかったという批判しかなしえません。 あと本当にママンには呆れました。リゾームではなくてジャンル固定主義だったのですね。 遠野物語は民俗学の文献であるから物語文の解釈に使うのは認めない。←きみが認めようと認めまいとそれはできてしまうよ。 そのテキストが変わらなくても、テキスト外テキストが変わるからこそ、読みは常に更新されるのだし、更新されうるものこそが 古典となりうる。 第一受験問題としてごんぎつねをやってるわけではない。正答を出すためにやってるわけじゃない。 文章から読み取れうるなら「思ったこと」は誰も否定できない。「思った」はたとえ勘違いでもその時点では事実だからだ。 思いなおすように働きかけるしかない。でもそれは思ったことの否定ではないのだ。
498 :
あ :2008/01/31(木) 06:58:48 ID:g44eDaew
POPアート ウォーホールの後、それ以前のイコンの解釈が変わってしまったように。 まさに転倒が起きるのだ。(柄谷はよく転倒を使うけど、転倒したことが伝統=自然になり、転倒できないものと 認識することを批判しているのであって、転倒を批判しているわけじゃない。彼はそれを事件としてみているだけ だ。でなければ現実そのものの変更を迫るなんてことは不可能になってしまう。) 児童文学というものも、一つの転倒によって生まれたジャンルにすぎない。テキストという概念はそのようなジャンル をとっぱらって考えてみるということだったはずで、ママンがジャンルを持ち出してきたのはそうとうがっかり。 本当に結論がない反論なんだ。反論するためにだけ反論してるとしか思えない。
499 :
半さん :2008/01/31(木) 07:11:32 ID:jAh0QeDn
>>497 神話にして語り継ぐことが
兵十の救いとなりえるかは
今でも疑問ですが否定は難しいですから
パスするしかないです
特板の「最終回祭り」でも肯定否定に分かれたり
各住民の脳内マルチエンディングで盛り上がって
アツい議論が発生することがあるんですが
肯定に収斂するしかないですしね
500 :
あ :2008/01/31(木) 07:11:54 ID:g44eDaew
方法論的誤りにママンが気づかないために、ママンがどんどん暴走しているだけです。 もちろんこの場合のだけです。は批判ですよ。 中立的な表現は 方法論的誤りにママンが気づかずに混乱が生じている。 です。 肯定あるいは好意的な表現は 方法的な誤りがあって混乱はしているが、説明しようとする熱意は伝わってくる。 です。 そういう言い方が可能であるし、そういう言い方から何か書かれていない事柄を読み取るのが 読み取るということに他なりません。
501 :
あ :2008/01/31(木) 07:15:15 ID:g44eDaew
>>499 ええ、それが正しい態度です。熱く語ってお互いを認め合うような相対主義的な解釈の咲き乱れ
によってテキストの意味を更に生産することでテキストの価値も高まっていくわけですから。
漫画の古典もそのような読み直しが可能だからこそ価値があるのです。
(ギャグマンガがそのような古典として残りづらいのはなぜかはたぶん理由があるのでしょう。
ハイスクール奇面組と天才バカボンのどちらが今の子どもが笑えるのかはまったく予想もつき
ません。)
>>497 あ君、実にあいまいな文をこしらえたねえ。
>うみがめは涙を流しながら「育ってね」と卵を産んでいた。
「育ってね」と卵を産むって何だよ。
「言う」とか「思う」とかそういう動詞は都合よく省略しちゃうわけ?
この場合、おじさんは亀を見てその内面を推測し、お父さんに語ったという理解がかろうじて可能。
しかし、ごん狐の場合は、おじさんと亀の内面は互いに異なっており、さらに当事者同士はそれに
気づいていないとういう設定なのであるから、例えば以下のような例文でなければならない。
>おじさんはうみがめは涙を流しながら卵を産んでいるので「育ってね」とでも思っているのかと考えていたが、
>実はうみがめは「キモイ人間がこちらを見てるけど何なのかしら。しかしお腹すいたわ。エサ食いてー」と
>言って卵を産んでいた。
この場合、「おじさんの推察をお父さんが聞いて、また語っているって<類推>する」ことは可能ですか?
都合よく矮小化しないように。
それから、ジャンルはないだろジャンルは。
私は、新聞その他の報道記事やドキュメンタリーのような非虚構と、児童文学を含めた小説全般の虚構の
文を区別しろって言ってんの。虚構かどうかが重要で、ジャンルとしての児童文学なんてどうだっていい。
>熱く語ってお互いを認め合うような相対主義的な解釈の咲き乱れ へなちょこで自己矛盾を孕んだ説は、咲き乱れの仲間には入れないんですよ。 なぜなら、何度も言うけど整合性がないから。解釈以前の問題です。
504 :
あ :2008/01/31(木) 17:45:33 ID:g44eDaew
ママンはテキスト論が全然わからないし、記号論も理解しないことはよくわかった。 ごんぎつねはある数式の解き方によく似ているという主張があっても間違いではない。 なのにそれはおかしいとママンはいうらしい。 (もはや、それは態度の問題なので論じるべきことではない。) あと、わしはママンの方法論的誤謬を示しているのであってごんぎつねについて語っている わけではない。 どうして読めないかな。本当に読めない人ばかりが集まるスレだな。ここ。 まさに ディスコミュニケーションというコミュニケーションが行われている。 あと おいおい 語り手にとっては理解不能な内面なぞは存在しない。 理解不能であるように語ることはあっても。 不誠実な話者という考えもあるが。
505 :
あ :2008/01/31(木) 17:50:00 ID:g44eDaew
あとキミの例文における語り手はだれなのかな? ごんぎつねは、与平という語り手が設定されている。 与平にとっては、ごんも兵十も第三者である。 したがって、 キミは無理におじさんが語ったということに合わせたためにえらく混乱した文になってしまっている。 自分のことを話している語り手の話を聞いてそれを伝え話そうとする語り手は三人称でそれを語るしかない。 あたりまえのことである。 キミの性根のようにねじくれまがった文であるな。
506 :
あ :2008/01/31(木) 17:58:13 ID:g44eDaew
っていうか 吾が猫の猫はインクのしみって言ってた人が語り手をこうも実体化して語るってどういうことよ。 反論のための反論にすぎないってことでしょ。
>キミは無理におじさんが語ったということに合わせたためにえらく混乱した文になってしまっている。 私だっておじさんから聞いた話をお父さんが再話したという設定ですよ。 お前さんの3行の文の3行目だけ変えたの。1、2行目はお前さんと同じだから省略したまで。 しかし、いつまで経っても堂々巡りで的外れの批判ばかり。 感情的な反発はどーでもいから、とにかく核心を突いた話をしてよ。 わからんところがあれば説明するから質問しとくれや。 >あと おいおい 語り手にとっては理解不能な内面なぞは存在しない。 だから、その語り手を登場人物の誰かになぞらえることをしようというのが無理なのだよ。 超越的な語り手が、実はリアルな人間としての兵十だったなんて言われても知るかっての。 あのねえ、弔いということは、審級3(ごんと兵十)の話は審級2(与平)にとって非虚構(リアル)だってことでしょ。 バリバリの虚構作品である審級3を、リアルな誰かがリアルな話として語っているという設定自体がめちゃくちゃなのだよ。 しかも、お前さんの場合は、兵十が自らも登場する物語を超越的に、つまりお前さんの表現に即して言えば、 >語り手にとっては理解不能な内面なぞは存在しない かのように語っているということになるだろ。 兵十は兵十の語る物語世界の登場人物(つまり視点の制限がある)なのに、自由自在に他者の内面をのぞいているという、 わけのわからないことになる。そんな設定はリアルではありえねーでしょ。 つまり審級3は審級2にとって虚構というこった。だから弔いの意図なんかねーの。 また、仮に兵十が兵十の視点でこの話を語ったのだと仮定しよう。 すると、兵十の視点ではごんの心理がわからないため、ごんと兵十の内面の行き違いが表現できない。 つまり、その場合はごんへの弔いという意味で物語は成立しない可能性が高いというこった。 これでこの説明は4度目ですな。
>吾が猫の猫はインクのしみって言ってた人が語り手をこうも実体化して語るってどういうことよ。 あほか。 お前さんが与平の話はそもそも語り伝えだと言ったんじゃねーの。 語り伝えだとするなら、生身の語り手としての与平を想定せざるを得んだろ。 もちろん虚構の物語世界内でそうなっているという話だが、自分で作った設定を忘れてもらっては困る。
あのう、お前さん、やっぱりこちらの話がわかってないだろ。 じゃあ無理してレスすることないよ。それより質問してほしい。 いい加減なことを言われても混乱するだけで建設的でないからつまらん。
もしくは、華麗にスルーでも可。嫌味ではない。 意味もなくぐちゃぐちゃするよりいい。
511 :
あ :2008/01/31(木) 20:40:37 ID:g44eDaew
だってそれが南吉が書いているんだから仕方ないでしょ。
それを俺に言われてもなあ。
ゆはああ。
>
バリバリの虚構作品である審級3を、リアルな誰かがリアルな話として語っているという設定自体がめちゃくちゃなのだよ。
しかも、お前さんの場合は、兵十が自らも登場する物語を超越的に、つまりお前さんの表現に即して言えば、
>
もう何度でもいうしかない。物語世界で語っているのであってその物語世界ではリアルですって。あー。当たり前でしょ。
誰も我々世界の中に与平がいるなんていってません。
で、いいかいいくら物語世界だといっても、いや物語世界だからこそ、われわれの現実世界のルールを特別に設定されて
いない場合は適応するんです。でないと読めないから。
もう決めました。ええ何度でもいいましょう。
>>508 そりゃわしの立場ならそう推論を立てるでしょ。ママンの立場だったら語り手などいない。与平など存在しない。
というしかないでしょ。
ところがまるで語り手が実在してそれを階層化して語るみたいなことをするのはいったいどんな理屈なのか。
それとも、この前の話は結局、ママンのイカサマということで決め打ちしていいわけね。
物語世界でのリアルな存在=生身の存在って短絡はいったいどこからでてきたんですか?
わしはそんなこと一言もいってませんよ。
物語世界でも、設定がなされていなければ現実法則がそのまま成立します。
だから現実法則を変えて書かれる小説が空想科学小説(SF)とよばれたわけですよ。
もしも、重力が20倍の星に知的生命体がいたら…。
うーん。そちらが華麗にスルーしていただきたい気持ちです。
すげー思い込み。
512 :
あ :2008/01/31(木) 21:05:01 ID:aYjPDitp
超能力者が当たり前の世界では推理小説は成り立たない。 なぜなら心を読めば犯人がわかってしまう。 予知能力で事件を未然に回避してしまう。 念力で離れたところから弾を撃つ。 瞬間移動で別のところに避難する。 だから超能力が出てくるストーリーには現実法則を適応する ための条件が設定されている。 テレパスが当たり前な世界では真意には鍵をかけることができるとか。 そうでないと、どんな事件も当事者にとって都合のいい形で成立するように なってないとおかしくなってしまう。 殺したい相手は必ず殺せ。殺されたくなければ必ず助かり。 ママンはいったい物語をどう読んでいるのだろう。わけがわからん。
513 :
あ :2008/01/31(木) 22:04:38 ID:aYjPDitp
ああ、注意、内面を描くのと内面をのぞくのは違う。 語り手は常に内面を描いているだけである。決して、内面をのぞいてなどはいない。
514 :
あ :2008/01/31(木) 22:26:44 ID:aYjPDitp
あと一番の問題は自分の人生を語る場合。 きっとあいつはあのとき、こう思ったにちがいないとして語ることができる。 そして、俺はそれをあのとき理解してなかったと語ることも。 つまり、兵十はこの物語の顛末をすべて知ったうえで話しているのであるから 行き違いそのものを語ることが可能である。 (あまりにも当たり前のこと。普通の視点でいえば、あのときこうしていれば…と思う のと一緒である。それは語りうる。したがってママンがこだわって述べていることは まったくおかしな思い込みで決めつけているにすぎない。←勿論、批判。
515 :
あ :2008/01/31(木) 22:29:25 ID:aYjPDitp
もし兵十が語り手であれば語りえない。したがって兵十は語り手ではないという目論見はどうがんばっても 空振りに終わる。放棄するように。 語っている内容で語りの関係を否定することはできない。ってことをそろそろ理解してほしい。
516 :
あ :2008/02/01(金) 07:02:40 ID:/LiZuGqm
ママンに伝わる言い方を思いついた。 読者が語り手を幻視(あるいは仮構)するためには作品世界は現実法則によって読み取るというテキスト外テキスト(コード)が なければならない。 つまり審級0がつまり読者に先立って存在するものがある。それがなければ、もともと物語世界も成立しえない。 この審級0はどのような審級をもってしても否定しえない。なぜなら、その他の審級はこの0の審級の存在証明に他ならない からである。 これでわからなければまさに、ごんぎつね状態である。しかも、そこは兵十の家じゃない。
517 :
あ :2008/02/01(金) 07:10:49 ID:/LiZuGqm
だからこそ、物語では忌諱される結末のつけ方として「夢オチ」があるのである。 とくに一番ひどいのは、登場人物でもない人物の夢でした。みたいなオチはよほど でないかぎり<通用しない> この<通用する><通用しない>ということが成立することもまた審級0の存在証明でる。 物語世界がそれ自体で自立したものであれば、このような通用をうんぬんする必要はまる でない。
518 :
あ :2008/02/01(金) 07:23:32 ID:/LiZuGqm
あとこれは議論(かみあっちゃいないのでそう言いたくはないけど)とは関係ないが、 なぜ、ママンは相手がママンのいいたいことを全部わかった上で<それはない>と いってるのに 同じ主張をことばを変えて繰り返すのだろうか? だから同じことをこちらもことばを変えて繰り返さざる負えなくなる。 どうどうめぐりになるのは、通路を設定しえないからだ。ママンはなぜ<自分の中>で考えようとするのだろう。 しかもその<自分>が適当だからよけい困る。 この間まで語り手はいない。(その真意は読むという行為で構築されるものだ。←そんなことはわかってるてば、 その上でどんな語り手で何を語っているのか、どのような見方をしているのかって話なのに、) 語り手同士の審級から批判(おいおい語り手はいないんじゃないのか?) でそれをやりながら前段語り手はいないにもどるから結局、わけのわからんことになる。 そもそもなぜその構築が可能なのかがわかってない。(いや、たぶん、そんなこと分かる必要がないのだ。 論文を古い新しいで評価する人間には、○○がこう言っている。ということさえできればいいのだから。) ママンは自分で自分の語っていることを自覚して(責任を感じて…いるわけはないな。匿名掲示板でうんぬん といった人間だからな。)書き込んでいるのだろうか? 嘘つきには並外れた記憶力が必要である。特に掲示板においては。
519 :
あ :2008/02/01(金) 18:03:10 ID:/LiZuGqm
ママンの方法でもし取り上げるとしたら、攻めどころはプロットそれ自体にあった。 つまり南吉の未熟さというものを浮き彫りにすることである。 このごんぎつねには、プロット上、外挿、もしくは、新たに書き起こされえたのではないか というエピソードが一つある。 それは月のいい晩の出来事の件である。 これはごんだけが知りえるエピソードであり、兵十は知らない。そして人間は誰も知りえない このエピソードを与平が語ることはできないはずである。 しかし南吉はこれを与平から聞いた話だとして前置きしてしまっている。 設定を無視してまでプロットにねじこんだ、このエピソードは南吉の構想にあったものなのか それとも赤い鳥編集部が記載する際に要求したエピソードなのかそれは歴史的な調査を待たなければ ならない。 しかし、これは語り継ぎを否定するものではなく、設定を生かしきれない南吉の未熟さを表すものなのだ。 古くからの物語としておきながら、近代小説的なプロットを展開したほころびがこんなところに出てきている。 設定を上手に生かしその上表現の工夫も成功したという意味ではやはり「おじいさんのランプ」の方が上の 作品だと思う。結局、ごんぎつねは教科書という国民的な読み物のおかげでここまで高い評価を受け続けている のではないだろうか。 ごんの気持ちを述べているからというママンの方向性は間違っている。プロットのゆがみにこそ、問題点はあるの である。
520 :
あ :2008/02/01(金) 18:17:16 ID:/LiZuGqm
っていうかもうすでに研究はたくさんあるみたい。
草稿の権狐が残っていたので、それと記載版の比較から…両者がとてつもなく違うということがはっきりしているらしい。
草稿冒頭へのリンク
http://www.nankichi.gr.jp/meisaku/1gon.htm 今の今まで語っていたのは与平と書いていたが、茂平の間違いであった。申し訳ない。
って草稿は茂平の話だけでこんなにある。えええと。南吉は語りを書きたかったんだろう。
赤い鳥の鈴木三重吉は芥川でさえペンを平気で入れたのだからしかたがない。
でなんと草稿では最後
ごんおまえだったのか。
「「権狐は、ぐったりなったまま、うれしくなりました。」になっているらしい。
ってわけです。
ここまで一つの作品を読むということでも読めることを読もうとするだけでいろんなことが浮かんでくるもんじゃない
ですか。
521 :
あ :2008/02/01(金) 18:25:10 ID:/LiZuGqm
522 :
あ :2008/02/01(金) 18:32:31 ID:/LiZuGqm
ああ わしはたぶん草稿の「権狐」の方にテキストの質としての軍配を上げると思う。 教員だった南吉の方が鈴木より遥かに子どもの感受性の現実をしっかり把握していたのであろう。 描写の質も高い。 茂平じいさんの話してくれた話はよく覚えているのに、顔は思い出せず、夏みかんの皮を剥く大きな 手だけはやたら覚えているみたいな描写があっさり消えてしまったのはどうかと思う。 それでも教科書のおかげでごんぎつねは権狐ではなく、ごんぎつねの方であり続けるのだろうか?
523 :
あ :2008/02/01(金) 18:44:51 ID:/LiZuGqm
524 :
あ :2008/02/01(金) 18:47:23 ID:/LiZuGqm
525 :
ヤマさん :2008/02/01(金) 19:55:10 ID:k/qv9DYQ
「あ」さん、ママンさん、お互い、気が済みましたかな。
526 :
あ :2008/02/01(金) 20:24:09 ID:/LiZuGqm
儘人は知らん。 わしはもう結構。って気にはなった。 デカルトにもどるべきだろう。
527 :
半さん :2008/02/01(金) 21:09:05 ID:RQXY4MvG
>>519 「茂平」を人間にせず
ごんにとりついてたノミ設定にしましょうよ
「わたし」は南吉ではなく孫ノミにしてw
根拠は「まったくない」んですが
ごんが畜生ではありえない人間臭いことやるように
みつばちハッチみたいな世界もありうるわけなんですから・・・
デカルトでまだ触れてないトコありましたっけ?
>>518 ううん、どー考えてもお前さんは私の話が理解できていないのだよ。
語りの話もいい加減にしかわかっていない。レスを見ればすぐわかる。
自分の理解を完全だと思っている時点で、思考停止。相手が別の根拠で別のことを
言っているという想定すらできない。だから私は何度も同じ話を繰り返すことになるん
だろ。頼むからめちゃくちゃなことを言わんでくれや。
理解できてないことがよくわかる典型的なレスが「語り手はいないと言っただろ」発言。
お前さんの偏在語り手論はおかしいと言ってるのであって、語り手分析が有効な時に
それを使うななんて言ってねーの。常に語り手を意識しなければいけないというのが
変なのだよ(センター試験の選択肢に課題文と同じ語り手を捜す無意味さ、無駄さ)。
しかしごんぎつねの場合はそもそも枠物語なのであって、短編小説でもあることから
語り手がどうしても前傾化する。語り手を語って何が悪いんだっての。
言葉尻を捕らえていい加減なことを言うだけで、本質的なことには何一つ触れない。
それだけならいいが、自分は全部わかっているだのお前は馬鹿だのと言う。
どーなってんのよ。
>>514 >兵十はこの物語の顛末をすべて知ったうえで話しているのであるから
>行き違いそのものを語ることが可能である。
そんなことわかるかっての。
一般的に個人が物語の顛末を「すべて知る」なんてことができるわけねーだろ。
個人には視点の拘束があるのだよ。視点の拘束付で推測も交えつつ語るのと「すべて知る」
のとは次元の違う話。ごんぎつねは超越的な語りなんだから、兵十個人にその起源を求
めることはできないのだよ。ごんにインタビューでもすれば別だが、既にごんは死んで
いる。
兵十が語るとして、どうして細かなごんの内面が全て手に取るようにわかるのだね?
また、4と5はごんが兵十と加助を盗み聞きする場面だが、兵十も加助もそれに気
づいていないじゃないの。どうしてごんの存在に気づいていない兵十がごんの盗み
聞きに言及でき、かつ内面も把握できるのだね?語りそのものと語られる兵十の間に
どれだけ距離があるのか気づかないのかね。それで語りどうこうとよく言えるな。
>しかし、これは語り継ぎを否定するものではなく、設定を生かしきれない南吉の未熟さを表すものなのだ。 お前、頭大丈夫かよ。 自分の「語り継ぎ」という設 定 そ の も の が お か し いんだろうが!! ヤマさん、私はこういう発言が許せないよ。 気が済むとか済まないの話じゃないの。 何が南吉の未熟さだ。お前がテクストを自分の枠にはめたいだけだろ。 うまくいかなかったからと言って作者を未熟呼ばわりするとは何様のつもりなわけ? 兵十とごんの話が実際にあったから与平まで語り伝えられたみたいな前提はやめろ。 起源としての兵十という想定は、語りそのものから否定されてんの。 兵十とごんの話は虚構なのに、必死になって起源としての語り手だの、与平が知り得る 知り得ないみたいな詮索をしてどーなるわけ?桃太郎の話を聞いて、桃から人は生まれ ないとか、そんな大きな桃はないとか、くだらん分析をした挙句、作者を批判している ようなものだ。お前はこの基地外じみた分析を、ごんぎつねの語りについてやってるの だよ。早く気づこうね。
>>520 草稿の話は前もGENさんによって紹介され、きわめて有意義な議論となった。
で、お前はそこから何を言いたいわけ?
お前がこの草稿をなぜ持ち出したのかすらわからん。
草稿の結末は、ごんと兵十の相互理解不可能性を示すものだろ。
最終稿と草稿は分けて考えるべきだが、この草稿の記述からしてもお前の語り継ぎの
前提はますます説得力を失うことになるわな。ご苦労さん。
儘人は。本当に自分しか見えてない。 > 偏在語り手論はおかしい > いいえ、語り手は遍在します。統一的な語り手は遍在しません。 そして、遍在しないという根拠を儘人は示すことはできませんでした。 キミの吾が猫への対応をキミ自身でここに再び書き込むことを希望します。 その上でどうして語り手の遍在を批判できているかを詳しく論じなさい。 それはわしの仕事ではないから。 > 常に語り手を意識しなければいけないというのが 変なのだよ(センター試験の選択肢に課題文と同じ語り手を捜す無意味さ、無駄さ)。 > いいえ。語り手を設定することによってそもそもの意図や矛盾について気づくこと ができるので無駄でも無意味でもありません。 その上で儘人が何が無駄になっているのか示せてません。正答にたどりつければ どのような方法も無意味ではありませんから無意味批判には意味がありません。 > 言葉尻を捕らえていい加減なことを言うだけで、本質的なことには何一つ触れない。 > いいえ。それはあなたです。語り手の審級によって語り手を批判なぞはできません。 それを指摘することは本質的な方法論への接近であって言葉尻などではありません。 あなたがしかもその審級を問うという行為をきちんと説明できないのを指摘することは まったくもって言葉尻をとらえての批判ではありません。 端的にいって、批判そのものです。 > 自分は全部わかっているだのお前は馬鹿だのと言う。 > いいえ。あなたよりはマシだと思っているだけです。勿論SK2よりもね。 草稿「権狐」の存在をごんぎつねのねじれから見つけ出せたし、これだけ表現に違和感を 含んでいるのに誰もそれを指摘してこなかったんでしょ。少なくとも、それは話者の問題を 取り上げるからこそ浮き彫りになったわけですから、わたしの方法は間違っていなかった と思います。(思うだけだよ。)
> そんなことわかるかっての。 一般的に個人が物語の顛末を「すべて知る」なんてことができるわけねーだろ。 > いいえ。人間は自分のわかっていることを語るのですから。わかっていることだけで物語を作ります。 一般論と物語論を混同しても無意味ですよね。宇宙の構造を知らなくても存在することはできます。 宇宙を語ることもできます。したがってこの前提そのものが語るということでは無意味な前提です。 ですからこれ以下も儘人の「せまい見方」にすぎません。 > 個人には視点の拘束があるのだよ。視点の拘束付で推測も交えつつ語るのと「すべて知る」 のとは次元の違う話。 > あー誤解してる。わしは物語の顛末といってる。御自身が言葉尻批判なんじゃねーの。「せまい見方」 > ごんぎつねは超越的な語りなんだから、兵十個人にその起源を求 めることはできないのだよ > あーすんげー「せまい」。じゃあもちろん竹取物語も語りものじゃないわけだ。桃太郎も語りじゃないわけだ。 竹取の翁有ケリ。という叙述は超越的だよね。超越的=個人的ではないというのはあきらかなキミの思い込み 人は概念的に考えるとき、超越的に考えてます。相手の立場に立って考えようという教師の呼びかけは無意味 で相手の立場なんかにはなれっこないみたいな考えなのですか? >
534 :
あ :2008/02/02(土) 03:59:49 ID:mtjPaieq
兵十が語るとして、どうして細かなごんの内面が全て手に取るようにわかるのだね? > つくってるから。(藁)当たり前でしょそんなこと。自分が納得するようにごんの内面を作っているから。そして そのように我々は他人の内面を一般的に理解しているから。それで誰も困ってないから。推論が物語において はまさに語ることによって決定されたものになっていくのは一般的でしょうに。 > 4と5は > それはわしが指摘した。のでよく読むように。何後持ち出ししてんの。かっこわるい。キミが指摘したように など入れられないんでしょ。かっこわるい。 だから草稿「権狐」を持ち出さないとそれはわからない。設定を崩してまで入れたものなのか、後付なのか。 そもそもどのように語られているのか 赤い鳥版が南吉単独の作ではない以上、赤い鳥版の矛盾として指摘するにとどまる。つまり表現上の矛盾 である。 表現上の矛盾から話者の問題は解決しえないとわしはしてるのに意味ないよ。それ。話者の空想ってふれば つくり話とすれば解決しちゃうから。事実を語ってるなんてわしは言ってないもん。
535 :
あ :2008/02/02(土) 04:00:20 ID:mtjPaieq
> 兵十とごんの話が実際にあったから与平まで語り伝えられたみたいな前提はやめろ。 > ああ、やっぱり、そんな誤解をしているんだ。わしは一言も実際にあった(われわれの世界という次元で)話だ なんていってないよ。虚構世界の中で現実法則を適応して語っているだけだよ。はじめからさいごまでごんぎつね という虚構の構造について語っているよ。 しかし、その虚構は現実法則によってなりたっているのさ。たとえ、きつねが話しているにしてもね。擬人化という 手法としてそれを踏まえれば登場人物Aとして抽象化できるのだから。 あの世界では実際にあったんじゃないの?そもそもが茂平のつくりだって?そういうふうにはとても読めないよ。 読めないようにあのテキストはできている。 南吉の草稿はもっと、語りに近い。南吉が「語り」にこだわりがあったことは明らかだろう。
いいたいことはいろいろあるが、問題はとにかくここだわ。 >表現上の矛盾から話者の問題は解決しえないとわしはしてるのに意味ないよ。それ。話者の空想ってふれば >つくり話とすれば解決しちゃうから。事実を語ってるなんてわしは言ってないもん。 事実を語ってるんじゃなきゃ、どーして<弔い>の意図や救いなどが出てくるわけ? 話者の空想に、どうして弔いが必要なんだよ。そこだろ思いっきり矛盾してんのは。 私が批判しているのは、そもそもお前さんの言う救いや弔いなんだっての。 それにお前さんは、この話はもともと兵十が語ったはずだと言ってたじゃねーの。 話者(与平)の空想なんて言ってなかったし、想定してもいなかったくせに、今頃何を言ってんだ。 >あの世界では実際にあったんじゃないの?そもそもが茂平のつくりだって?そういうふうにはとても読めないよ。 知るかよ! ほんとくだらねー議論だな。 そういう風には読めない根拠を示せるものなら示してみろや。 私が言ってんのは、与平による話が虚構として語られているという一点のみ。 読者のわれわれは、語り方が虚構かそうでないかという話しかできんだろ。 その話が語り手にとって実際にあったかどうかなんてどうやってわかるんだよ。 ほんとくだらねー。
>南吉の草稿はもっと、語りに近い。南吉が「語り」にこだわりがあったことは明らかだろう。 おいおい…大丈夫かね。 文体が語り口調かどうかということと、語りの分析は次元が違うのだよ。 ほんとどーしようもねーことしか言えんな。
お前さんの言い方で言えば、物語内に空想の部分と事実の部分があることになるよな? ごんぎつねでその割合を確かめてみろや。 ごんが主人公なんだから、ほとんど空想ってことになるじゃねーか。 少しは考えてからものを家。
>いいえ、語り手は遍在します。統一的な語り手は遍在しません。 >そして、遍在しないという根拠を儘人は示すことはできませんでした。 だから、お前の一番近くの本を手に取れって言っただろ。ちゃんと取ったのかよ? それでその本を開いてみたのか?で、語り手はいたのか?報告するように。 語り手ってのは、書かれた文章を口頭コミュニケーションになぞらえて理解しよう という試みなんだって言っただろ。一種の想定なの。効果的な場合に想定して使えば よい。ただそれだけのこと。 お前の言ってんのは、この世界は全て神が創りました。全ての生きとし生けるもの および全ての物質は神の創造物です。神は遍在するのです。という主張と同じ。 全て神が創ったという前提のもとでは、何を見ても神がいなきゃおかしいだろ。 そもそも神というのはそういうものだという設定を初めにしてんだから。 神なんていねーよという人に対し、神は世界の創造主なんだからいるに決まって いると言っても説得力はねーわ。デカルトの時代なら知らんけど。
540 :
あ :2008/02/02(土) 06:05:34 ID:mtjPaieq
あのね最初からわしの書き込みをよく読みなさい。 以上。 わしは兵十が事実を語ってるなんて言ってない。 それは儘人(ままんちゅ)の思い込み。だから儘人なんだって。 語りの中に空想が入ったからといって語る意図が否定されるのだろうか? そんなことはあるまい。 まったくの個人的な空想にすぎない六地蔵の墓参りにしても、そこで語られているのは ごんが性悪ぎつねでもなく、自分のところにくりやきのこを届けていたという事実。(鰯屋事件も含めて) そして出来事の前後からの類推だろう。 どのようにして兵十が語ったかは想像にすぎない。しかし、それに共感や感動を覚えて共同体内で それを語り継いで(江戸時代ころの話で南吉が子どものころに茂平じいさんに聞いたというのであれば) そこに何らかの思いを共有してということだ。 でその思いをわしは弔いだといい半さんは戒めだという。わしは戒めだという考えは否定できない。 そのような相対性はあっていい。 でも儘人のはそういう論理ではない。空想がまじっている→兵十が語ったものではない。は相当無理がある。 よくできた作文が、事実を嘘ではないにしろうまく脚色したもの、あるいはうまく嘘を混ぜたものであることを 考えればそんなこと日常茶めしごとであろう。 あんたは本当に狭い。
541 :
あ :2008/02/02(土) 06:21:36 ID:mtjPaieq
ぷ。 語り手が想定だなんていうのも、わしは認めてるし、だからこそ、その想定を的確にすることによって見えてくるものがある。 っていってるわけだけど。 あと口頭コミュニケーションがモデルというのも間違い。なぜなら口頭コミュニケーションはやりとりであって、それは漫才をみれば わかる。漫才における語り手とは誰だろうか?(だからこそ儘人は語り手は遍在しないというべき例は書簡体小説であった。 それをあの馬鹿はまったくわかってなかった。わし?わしは勿論知っていたよ。いわれたらどう返すかも考えてあったもん。) 語り手というのは独白である。説明である。そしてそれが始めに現れるのは詩=詞である。 しかし、語り手による考察が向いている文章もあるし、向いてない文章もある。というのは認めるにしぐはない。 けれども、その文章が向いているか向いていないかはその文章がどんな文章の系列に属するのかではなく、どのように書かれている かによって決定される。そして、それは結局、語り手についてその文章について一端は考えなくては判断できない。 キミはこれは評論文だから語り手はぬき。これは、エッセーだから語り手は抜き。といっているにすぎない。 日本語が相手によって話し方を変える言語である以上、西洋よりも語り手というツールが使用できる範囲ははるかに多いよ。 ああ 神ね。それで一番の問題は神は誰が作ったのかって問いが必ず発生することなんだよ。多くの神学者はそれをタブーとした わけだけど、タブーにしなければ語りの一切が崩壊する問いなんだね。 なぜって、論理的に考えれば、人が見出したという答えしか出てこないからだよ。姿の見えない神を神の業を通して見つけた 人間たちの作った物語=神話。そして、キミがいうように人間は遍在的に神を見出してきた。(そして、見出している。)未だに 本気でアメリカの物理学者が物理の前に知性が先立つみたいなことを一生懸命、証明しようとしてるよ。サムシングインテリ ジェンス仮説だっけ? でなんで現実世界をもちだしてきてるの?あんた本当に馬鹿? ごんぎつねの世界はごんぎつねを語るものによって作られてるよ。当たり前じゃねーの?そんなの。
542 :
半さん :2008/02/02(土) 06:25:59 ID:49tBAtJA
>>540 南吉自身は「戒め」の想いで執筆したとは思ってないんで・・・
あくまで「こう扱ったほうがいい」という私の願望です
(ぜってー叶わないけどw)
ごんのモデルは少年時代の南吉かな?と思ってるくらいです
ま、南吉も不器用な人だったってことでしょw
543 :
あ :2008/02/02(土) 06:28:35 ID:mtjPaieq
ぷ 無神論者に神の存在を示す必要はないだろ。 ただ、キミには神を見出す能力が欠けているといえばいい。(実際そうなのである。) 一方で神だ。神だ。という人々は 神を見出す能力が高すぎるのである。 神を見出しても現実は変わらない。現実の意味が少しばかり変容するぐらいのものだ。 人は意味で生きているのかもしれないから、一概にちっぽけなこととはいえないのかもしれないが。 わしにはロシア語で書かれた文に語り手を見出す能力はない。 (ロシア語が読めないから。…つまりそれだけの話である。) 儘人はともかく細くて小さい脳髄の持ち主じゃねーの。
544 :
あ :2008/02/02(土) 06:35:44 ID:mtjPaieq
ともかく 儘人はこれからは戦略的には相手の文の意味を相手に問う、問い直すという路線にした方がよい。 (なぜって、そのためにはまずはきちんと相手の文章を読まなければならないから。) 読めなさ過ぎる。読めないなら、きちんと解説をしてもらった方がよい。明後日の方向からとんでもないことを 言わなくてもよくなる。 少なくとも議論にはなる。 今の戦略だと。自分の馬鹿さが目立つだけだよ。 (Aのことを論証したいのに、何をもってきたらいいのかわからないので適当に語るみたいなことはやめるべきだ。)
>だからこそ儘人は語り手は遍在しないというべき例は書簡体小説であった。 >それをあの馬鹿はまったくわかってなかった。わし?わしは勿論知っていたよ。いわれたらどう返すかも考えてあったもん。 勿論知っていた??ぶは。あほ丸出しもいい加減にしてくれ。 書簡体だろうが何だろうが、その文章がある限り語り手は設定可能なのだよ。 ごんぎつねの末尾に、「…と私は書いて筆を置いた。」という一文があれば、 その時点で語り手は消滅するとでも言うわけ??まさに基地外沙汰ですな。 お前さん、語り手とは文字通りの「語り手」だと思っていたのかー!! 語り伝えの、対面型の、そういう「語り手」なわけね。 誰かこの人をなんとかしてつかあさい。笑うに笑えねーよ。 語り手概念がどういうものかすら知らないのに、何をこれまで語っていたんだね? 悪いけど、話にならんね。
546 :
あ :2008/02/02(土) 07:03:05 ID:mtjPaieq
ママンが陥っているのは次のパラドックスによって何かを否定できると思い込んでいること。 このパラドックスは不定のパラドックスであり、矛盾が生じてもそれをもって何か前提を否定できるものではない。 「すべてのクレタ人は嘘つきである」とクレタ人がいった。 クレタ人がいったということは根本的に否定できないからこそ、パラドックスなのであって、これを否定できるなら このパラドックスはここまで有名になりはしない。 階梯による遡及禁止によるパラドックスを未然に防ぐという考えも、結局は無効である。
どーでもいいけど、もっと勉強しろよ。 それだけだよ、私が今お前に言いたいのは。 いい加減かつ中途半端な知識で、自分の思い込みを強弁するのはいい加減にしてほしい。 見る人が見ればどんだけお前が適当なことを言ってるのかは一目瞭然なのだよ。 自覚症状はないのかね? 重症だよ。やばいと思う。
>ママンが陥っているのは 自分の心配をしろ。 私の言葉尻をいくら追いかけても、お前の知識不足は解消しない。
549 :
あ :2008/02/02(土) 07:08:08 ID:mtjPaieq
> その文章がある限り語り手は設定可能なのだよ。 > はい。語り手は遍在します。オチがつきました。 だから、戦略を変更しろといってるのに、その端からこのザマかい。あー。ごめん。脳髄がなかったのね。悪かった。 あるという前提を立てたわしが悪かった。儘人には脳髄はない。はい。これ。結論。 あー誰か。この人だよね。口頭コミュニケーションうんぬんっていったの。わしじゃないよね。 まあね。脳髄無いから。仕方がないけどね。 どうやって生きてるんだろう。謎だ。 ファミコンが入っているのかなあ。現実はAボタンとBボタンとマイク入力でこなしていけるんだろうな。
>>541 の書き込みで、お前が語り手概念の知識が決定的に不足していることが
明らかになった。これで、これまでのわけのわからん強弁の理由もわかった。
勉強しろ。そして赤面しろ。で、黙れ。
それしか処方箋はねーわ。
あほかよ。これ以上恥をさらすな。 設定可能であることと、無条件に遍在していることは違うだろ。
552 :
あ :2008/02/02(土) 07:10:56 ID:mtjPaieq
いや。前にママンとなんだかわけがわからない議論になったときに、通りすがりの名無しさんが 「ママンは真性の馬鹿だから許してあげてください」と通り過ぎていったよ。 わしはこんなに立派なことをいうのだから、それは失礼だろうと思っていた。 けど、彼が正しかったね。まさに真性の馬鹿。馬鹿の壁に出てくるという意味でまさに真性の馬鹿。
553 :
あ :2008/02/02(土) 07:16:52 ID:mtjPaieq
あーまた戦略が間違ってる。そんな言い方をすればギャラリーが馬鹿が怒るとオモッシレーとしか思わないちゅうの。 はあ。そういう対象としていじられてるよお。 この場合は、 「なるほど、ではあなたは漫才には語り手がいないというのですか?いるとすればどこにいるというのですか?」って問い直すのが もっともストレートな戦略。 そうしたら、 「ステージ上にはいない。見ている観客の頭の中に、これはこういう設定で…と漫才を物語に変換する作業をする語り手がいるというか 設定される。」って答えるから。 で 「ということは語り手というのは実際にいるとかいないとか問うことのできない。一つの機能と考えていいのですか?」と問えばよい。 すると 「ヤー。是。ウィ。YES。その通り。」と答えるから。 以下いろいろあって、 ごんぎつねにおいては…うんぬんと続いていくのにー。もうー。読めてない。
焦りにも似た、ずいぶんな人格否定ですなあ。 まあ焦る気持ちもわかるが。 そんなことをいくらしても、私の主張も立場も揺らがないよ。 また、お前の勉強不足も、これまでのあほレスも、取り消しにはならんのだよ。 ただ、連投すればこのスレが早く消費されて他の人は参照しづらくはなるだろう。 ま、がんばってつかあさい。
555 :
あ :2008/02/02(土) 07:21:34 ID:mtjPaieq
プロレスをやろうといっているのに、野試合で勝手に自滅する。 (自分で振り回している鎖鎌が自分に刺さる) そんな人間=儘人。 ((( ))) 111 <> 御来席のみなさま焼香をお回しいたします。
556 :
あ :2008/02/02(土) 07:25:49 ID:mtjPaieq
いや、わしね 。 佐々木寛氏と出会ってから世の中には脳髄の無い人もいるということはよく分かったから全然驚かないのよ。 儘人といい。SK2といい。まさに、佐々木寛族。 彼だけが特別と思っていたわしがよっぽどおめでたい。1匹いたら3千匹はいると思った方がよかった。 とくに難しいことを語ろうとする分野にはたくさんいるんだろうな。 すげーよ。寛さんは。ある意味、神だから。 尊敬も崇拝もされないけどね。かえりみられることもないけどね。 人ではないといういみの神だから。すげーよ。本当に。
せっかく長くやり取りしてきたこともあるし、もう一回反論の機会を設けるわ。
罵倒しあって終わってもつまらん。
今度は慎重にやってくれや。建設的かつ論理的なレスを待つ。
>>540 >まったくの個人的な空想にすぎない六地蔵の墓参りにしても、そこで語られているのは
>ごんが性悪ぎつねでもなく、自分のところにくりやきのこを届けていたという事実。(鰯屋事件も含めて)
>そして出来事の前後からの類推だろう。
兵十が魚屋に怒られたということは、魚屋(および周囲の人物)はごんが犯人だと知らなかったという
ことであり、もちろん兵十もこれを知らない。知っているのはごんのみ。ごんが性悪だという根拠は兵十
にとってはうなぎ事件しかない。前述のように、加平との会話の盗み聞きの事実とその後の反省も
知りようがない。「類推」を可能にするような「出来事の前後」など、実は何もないのだよ。さらには、
兵十がごんの贖罪の意図を知り得たかどうかすらわからない語りとなっている。兵十が知ったのは
ごんがくりやきのこを持ってきていたことまでであって、その行為にどのような意図が含まれていたのか
まではわからない。
そのような飽くまでごんに寄り添う語りによって、徹底して両者のすれ違いが描かれることで、この話
からは心からの反省および贖罪行為が最後までその相手に理解されないという強い悲劇の構図が
立ち上がるわけでしょ。つまり、語りがごんに寄り添っていることにこの物語の効果がある。この話を
ごんの意図を最後まで理解できなかったはずの兵十が知り、そして語ったという想定は、語りの位相
からそもそもありえないことだし、仮にあったとしてもこれらの効果を全て無化するものなのじゃないかね?
お前さんの話には根本的に無理があるのだよ。
>どのようにして兵十が語ったかは想像にすぎない。しかし、それに共感や感動を覚えて共同体内で
>それを語り継いで(江戸時代ころの話で南吉が子どものころに茂平じいさんに聞いたというのであれば)
>そこに何らかの思いを共有してということだ。
ここで南吉が出てくる時点で理論的には話にならんのだよ。何度言ってもお前にはわからんのかのう。
で、どーでもいいが茂平ではなく与平だっての。確か半さんも同じこと言ってたな。まあいいや。
どうして語り継ぎの設定にこだわるのかわからんが、単にそうであってほしいというだけの話でしょ?
江戸時代だの共感だの感動などという以前にだね、キツネがしゃべったり物を運ぶ話を実話だと思う
お前さんはどうかしてねーか?矛盾しまくりのわけわかんねー妄想でしかないだろ。与平じーさんによる
単なる子ども向け昔話だと思えばいいんじゃねーの?それで何がだめなのかよーわからんわ。
558 :
あ :2008/02/02(土) 08:26:39 ID:mtjPaieq
あーごめん。 誤解させた。わしね。儘人とSK2には人格は認めてないから。 認めていない人格は否定できないでしょ。 わしが否定しているのはキミ達の知性だよ。 人格jなんて高度なものを設定してないから。
559 :
あ :2008/02/02(土) 08:41:58 ID:mtjPaieq
あーやっぱり知性がないや。 > その行為にどのような意図が含まれていたのか まではわからない。 > それは是。 だけど、それについて兵十が兵十なりに答えが出せるということの否定にはならない。 そもそも神話がわからないことへの回答だったことを失念しているね。 したがって、「わからないは語れないにはつながらない。」むしろ、「わからないからこそ語る」 のではないか?自分の心の動きを投影して多くの場合は理解しようとするのではないか? そして、理解したことをそのように語るのではないか?だからこその「擬人法」ではないのか? したがって、だからこそのごんに寄り添う視点で語ることにもなるし、それが可能にもなる。 > ごんの意図を最後まで理解できなかったはずの兵十が知り、そして語ったという想定は、語りの位相 からそもそもありえないことだし、仮にあったとしてもこれらの効果を全て無化するものなのじゃないかね? お前さんの話には根本的に無理があるのだよ。 > 小学校の授業レベルである。最後の場面で「ごんの思いは伝わったか」という討議をすれば、伝わったが 勝つ。 それは兵十の ぬすとぎつね→お前だったのか という驚きを根拠として 赤い鳥版 うなずく 草稿 わらうという行為 の意味。銃をポトリと落とすという描写による。後悔などをきちんと読み取るから。 ごんの意図というものは、この場合無意味である。 兵十が見出したごんの行為の動機だけが語られるからである。 その中にはどうして、迷惑をかけたのに、わしだけにという謎や どうしてくりやきのこなのか いつから やってたのか という謎を兵十なりに類推しての結果を語っている。その語りを聞いて、それはごんしか知りえないなどというt 知性はやはり痴性なんじゃねーの。
560 :
あ :2008/02/02(土) 08:43:21 ID:mtjPaieq
抜けている みんなに迷惑をかけていたのに、わしだけに ←これ重要ね。 はいメモってね。
561 :
あ :2008/02/02(土) 08:44:51 ID:mtjPaieq
^あー知性がねえ。 江戸時代にはかっぱがいたよねえ。 あんた 本当に 知性がねええ。
与平バージョンと茂平バージョンがあるの? 知らんかった。既習漢字との兼ね合いかな。 >「わからないからこそ語る」のではないか? >自分の心の動きを投影して多くの場合は理解しようとするのではないか? >理解したことをそのように語るのではないか? >だからこその「擬人法」ではないのか? あのねえ、ないかないかって言われても知らんよ。 説得力も何もないんだけど。勝手な空想をするのは勝手だが、それでは矛盾を生じると言ってんの。 >最後の場面で「ごんの思いは伝わったか」という討議をすれば、伝わったが勝つ。 勝つって言われても。根拠レスに断言されても困る。 どんな「ごんの思い」がなぜ「伝わった」と言えるわけ?? わけわからんよ。本文は、 >「ごん、お前(まい)だったのか。いつも栗をくれたのは」 となっているのであって、栗をくれてたことがわかっただけだろ。 それはお前も認めている通り。 >ぬすとぎつね→お前だったのか という驚きを根拠として 赤い鳥版 うなずく 草稿 わらうという行為 >の意味。銃をポトリと落とすという描写による。後悔などをきちんと読み取るから。 あのう、後悔がどこから読み取れるわけ? それが読み取れるのは兵十ではなく、これまで語り手によってごんの内面を知らされていた読者だけなのだよ。 兵十は徹底してごんの意図の理解からは排除されているのだよ。 >謎を兵十なりに類推しての結果を語っている。 兵十は類推したのだなどと言われても説得力のかけらもないって言ってるだろ。 お前は語りによってごんの内面を含めた全体像を知り得ただけなのであって、どうしてそれを兵十の語りに還元 しようとするのだね?われわれの前にあるのは物語だけなのだよ。忘れないように。 まあ、いい。兵十でも誰でもいいから百歩譲って類推し得たことにしよう。 そしたらこの物語は類推の塊ということになるわな。つまりそれは虚構と呼ばれるものだな。 また、類推以前に他者の内面を語るのだから、この点だけで虚構ということになる。 虚構の物語を作る兵十と、弔う兵十は端的に矛盾するんじゃねーの? 自分の虚構に感動して弔うのかよ。わけわかんねーだろ。 語りも登場人物もなんでもごっちゃ煮の適当な妄想の行き着く先ですわ。
時間軸で考えればよくわかるだろう。 お前は、兵十が語ったと強弁したいばかりに ごんの死 → 弔い → 足りないところを類推して語り告ぐ と言いたいのだろうが、足りないところ(ごんの内面)が類推されたからこそ 行き違いが明白になり、ごんの悲劇が浮き彫りになるのである。つまり、兵十 が語ったというお前の仮説に即して言えば、 ごんの死 → 足りないところを類推 (→ 弔い?) ということにしかならない。自分で足りないところを勝手に想像しておいて弔 いも何もねーだろ。 読者は語り手によって事件の全貌を飽くまでごんの視点で知らされる。 兵十はその場から疎外されており、他者として描かれている。 そのことの意味を考えろよ。 解釈は自由なのだから、屁理屈を積み上げて兵十語り手説を唱えるのもよい。 しかしこれだけ自己矛盾を抱えた説を唱え続ける意味はないと思われる。 しかも、この説は物語世界内においてごんの話は実話であったという、これ またどーでもいい説得力のない前提を踏まえていることを忘れてはいけない。 この説を支持するに足る積極的な要素は何一つない。
564 :
あ :2008/02/02(土) 12:39:16 ID:mtjPaieq
あーまただ。つっこみどころが違うよ。 そりゃ分かったことになるだろさ。なにしろ、兵十が考えたことを兵十がいってるんだから。マッチポンプじゃんか。それ。 ぐらいのつっこみが…やっぱり…できなかったか。 しかも、<それを読み取れるのは読者>何当たり前のこといってんだ。わしはそこは読者はこう考えるって話をしてる んだが。 <兵十は徹底してごんの意図の理解からは排除されている。> わらちゃう。儘人は徹底してわしの意図の理解からは排除されている。この文は正しいか? そんなことは無いだろ。儘人は勝手にわしの意図を考えて、そうにちがいないと思うことができる。 したがって、この文は間違っている。 <虚構の物語を作る兵十と、弔う兵十は端的に矛盾するんじゃねーの?> あははははは。こいつ。馬鹿だぞ。脳タリンだぞ。 兵十は勝手にごんを神格化してそれを殺して しまった自分を悔やんでいるという可能性は否定できない。だからこそ弔うという現実法則の適応 が可能じゃないか。 虚構であれ(つまり河童であれ)信じたときから現実なのだ。江戸時代には河童はいたのである。
565 :
あ :2008/02/02(土) 12:49:20 ID:mtjPaieq
563
日本語でOK。
儀式が終わったので、まあ、語ろうか。
ばか。
どうして、ごんを殺してしまわなくてはならなかったのか?盗人ぎつねだと思っていたから。
でも本当はという気づきからそれを語ることができるじゃないのさ。
行き違いの自覚っていうのは後から発見されるもので発見されれば語ることは可能だよ。
自己矛盾というよりも<見えてないのは、お前さんのおつむさね。>
だから単純にいって、お前さんは
「クレタ人はみな嘘つきである。」と クレタ人がいった。
の
「」内と クレタ人がいったを審級づけして、それぞれが真であるとすると矛盾が出る場合、
審級の高い方を真とするみたいな方法を取ろうとしたのさね。
でもこれ審級が高いのはクレタ人がいった。の方なんだよね。
もちろん、この方法はうまく機能しない。
はいここ参照。知性のないのは悲しいね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
566 :
あ :2008/02/02(土) 12:57:31 ID:mtjPaieq
結局、語り手は装置である。ということが全然わかってなかったんだな。 儘人は。 なってねーな。
>兵十は勝手にごんを神格化してそれを殺して >しまった自分を悔やんでいるという可能性は否定できない。だからこそ弔うという現実法則の適応 >が可能じゃないか。 勝手に神格化? すると、兵十は勝手に神格化して勝手に弔っていると。ただの馬鹿じゃねーか。 そこにどんな救いがあるのだね?また、読者は基地外の妄想に付き合っているのかね。 どんな想定だっての。そんな解釈する意味がどこにあんのよ。 お前が神話だと言う前提を持ってきたからこういう話になるんだろ? その前提がおかしいとは思わないのかね? >どうして、ごんを殺してしまわなくてはならなかったのか?盗人ぎつねだと思っていたから。 >でも本当はという気づきからそれを語ることができるじゃないのさ。 だから、「気づき」ようがねーだろという話をしているのだよ。 兵十の知り得たこととしてはうなぎとくりときのこしか語られていないのだから、 「あ、いたずらキツネじゃなかったのね」ということしか読み取れない。 ごんの贖罪や反省をどうやって「気づき」得るのだね? 気づいたと想定することは可能。想定としては何でもありなんだから。 しかし兵十がごんの絶対的他者として終始語られていることを考えれば、 そんな想定は無理があると言える。ただそれだけのこと。
>結局、語り手は装置である。ということが全然わかってなかったんだな。 ぶは。 装置としての語り手を、必死になって登場人物の兵十に還元しようとしている人間のレスかね。 鏡に向かって言おうね。
569 :
あ :2008/02/02(土) 19:00:26 ID:mtjPaieq
あ やっと 気づいたのか。 読者は作者の妄想の結果生まれたテキストに好き好んで読んでいる人のことですよ。 知らなかったんですか? 何かそこに特別なことがあると思っていましたか?妄想できることこそが人間の特質だったんですよ。 (難しい言い方をすれば 不在の現前 とか 非在の現前とかね。まあ いうわけだけど、そんな言い方は 別に知らなくてもいいけどさ。) そして、またつっこみどころが違ーう。 例 なに。するってえーと。嘉平が「そりゃあ、きっと神様のしわざだぞ。…ひとりぼっちになったお前を 哀れに思わっしゃって、いろいろめぐんでくださる。」と兵十の「お前だったのか…くりをくれたのは」 みたいな語呂合わせじゃねーの。と あーなぜ、読めないかなあ。頭の中にごんぎつねのテキストが全文入ってないなら手元に印刷して おいておけ。 > だから、「気づき」ようがねーだろという話をしているのだよ。 兵十の知り得たこととしてはうなぎとくりときのこしか語られていないのだから、 「あ、いたずらキツネじゃなかったのね」ということしか読み取れない。 ごんの贖罪や反省をどうやって「気づき」得るのだね? > 上に述べた。 そういう南吉の仕掛けもまあ不発なんだがね。そういう意味でも月のいいばんの出来事 は南吉に必要だったんだろう。
570 :
あ :2008/02/02(土) 19:07:22 ID:mtjPaieq
だからさ物語内の関係について述べてるんだよね。 「この文章は嘘である。」という文のパラドックスと一緒だよ。 なんでこいつ小学生より頭が悪いんだとしか思えないなわし。 こいつは、 「あいつのことが絶対わからない」と言うことは絶対できない。 っていっているってことがわからないのだろうか。 ほら言えたじゃんか。 わからないように言うことはできる。なぜなら、ここで使われている文の主体と 書いている私とは別の存在だから。 兵十が自身の物語を述べるときも、そこに登場する登場人物としての兵十= 俺 は決して語っている兵十ではない。物語の中の人物なのだ。当たり前のこと じぇねーの。 審級を持ち出しておきながらこんな当たり前の関係すら前提にもってないって いうのはどういうこと?
571 :
あ :2008/02/02(土) 19:11:03 ID:mtjPaieq
そして 推理小説のネタみたいな これらの仕掛けが 実はプロットと 結末の印象によってすべて 吹き飛んでしまっているという点でも実は「ごんぎつね」は南吉の失敗作といっていい。 みんなお涙頂戴が好きなんじゃNE。ってこと。 まあ、長さも丁度いいんだろうけど。 てぶくろを買いに の方が完成度が高いだろ。
572 :
あ :2008/02/02(土) 19:15:53 ID:mtjPaieq
573 :
あ :2008/02/02(土) 19:18:40 ID:mtjPaieq
ちなみに 二 「ごんぎつね」の構成と文体の巧みさ ―奥行きの深さを味わう 5伝承の物語 ―ごんが村人に受け入れられる話― に同テーマの論説があるらしいので(わしは読んでないのではっきりしない。) 読めば何かわかるんじぇね?
574 :
あ :2008/02/02(土) 19:22:38 ID:mtjPaieq
さて 片付いたので 以後は華麗にスルー。 馬鹿の相手もそうしてられないから。 馬鹿は自分にしか興味がないからね。すぐ他人の仕事は「その程度」っていうくせに 自分の仕事は仕事にもなってない。 その理想と現実のギャップをどうするつもりなんだ?勉強の土台ができてないのに勉強 しても変なことばだけ使えるようになるだけだぞ。 病気を自覚しなさいな。
575 :
ヤマさん :2008/02/02(土) 19:27:10 ID:LG/hRaJi
ママンさんこんな感じですか? ★同一言語圏に於ける作品 筆者「他人」⇒話し手(虚構)⇒【作品】←聞き手(虚構)←読者「自分」 ★他言語で翻訳者を入れると? 筆者「他人A」⇒話し手(虚構)⇒【作品A】←《聞き手(虚構)←<翻訳者(他人B)>⇒話し手(虚構)》⇒【作品B】←聞き手(虚構)←読者「自分」 こんな、感じで宜しいですか?
576 :
あ :2008/02/02(土) 19:28:24 ID:mtjPaieq
儘人って実は大学生じゃねーの。 アルバイトで塾の講師してる程度の。 だって、社会人でこの論理の立て方は変だぞ。 俺おかしいって途中で気づくだろ。 (気づかないと社会的関係が破綻するだろ。 ああ、そうか佐々木寛氏がいたか。でも彼は農業の人 だから機械と植物相手にしてれば社会的にはOKなん だよね。) まあ、学生だったらゼミの先生にこういう人がいるんですけど (あーわしの主張をプリントアウトしてもっていってね。キミの ことばで語らないでね。わかってないから。)っていってみ。 その上で自分の反論はなりたつかどうか検討してもらえ。 (すっげえ、がっかりするだろうけど。なんでこんな馬鹿入学 させたんだって。)
577 :
あ :2008/02/02(土) 19:32:25 ID:mtjPaieq
ヤマさーんその図は違う。 テキスト ←読者 (話し手→聞き手) テキスト外テキスト だよ。作者と読者はストレートにはつながらない。テキストは作者から一応自立して存在するものだよ。
578 :
半さん :2008/02/02(土) 20:00:51 ID:49tBAtJA
>>572 惹かれてない私は非国民orz
ま、デミ・ムーア主演の「ゴースト」でも
観た当時は
最後幽霊となった彼氏が復讐果たして天国に逝くトンデモシーンに
納得しちゃってますからねw
ストーリーの展開スピードや
音響効果のハッタリで
思考は白痴状態だったな・・・
579 :
あ :2008/02/02(土) 21:04:44 ID:mtjPaieq
映画における音響の意味は実はでかいよね。 シンクロによる効果とか、人間ってやっぱり五蘊で生きてると思うよ。
580 :
あ :2008/02/02(土) 21:07:57 ID:mtjPaieq
ヤマさん。 たとえばテキスト外テキストとして多くの人が河童はいるもんだ。ってことになっている時代に ごんぎつねを読むのと きつねは動物であって、動物とは…なんていうテキスト外テキストの時代に ごんぎつねを読むのは同じではありません。 したがってヤマさんの図は汎用性にとぼしいのです。図っていうのは一見複雑に見える関係を 簡単にするのが役割ですから、複雑なものを複雑に書いてはその意味をなしません。
581 :
あ :2008/02/02(土) 21:16:54 ID:mtjPaieq
わし、儘人ともSK2ともプロレスはできないわ。 ロープにとばされてやっても、あっち向いて勝手に一人でドロップキックって…試合をお笑いにする気ですか。 凶器攻撃とかいって自分の脱いだくつしたを取り出す。 これじゃあ、いくらなんでも試合にならんでしょ。 討論っていうのはさ、総合格闘技じゃねえの。プロレスなの。相手の出した技をきちんと受けきって、自分の技につなげていくの。 誰もいないところで一人ストンピングや一人ホールドをやっても審判もどうしていいかわかんねーよ。 討論は誰が強いか決めることじゃねえの。 (それがわからないやつは論破論破っていうんだよ。馬鹿。) 一人、さそり固めをして一人カウントしてりゃあ、、負けることはあるまいよ。 (生産的でもなんでもないけどさ。) ガチンコたりえないね。我ばかりなだけにね。
582 :
あ :2008/02/02(土) 21:26:18 ID:mtjPaieq
わしが一人プロレスをやらんきゃならんのは、大いに困る。 なんでわしが世迷い人の指導教官をやらなきゃならんのだ。 ともかくしっかり相手の技を受けろよ。
583 :
半さん :2008/02/02(土) 21:44:29 ID:49tBAtJA
>>579 そう思いますよ
映画「風の谷のナウシカ」の人類滅亡確定となった
エンディングも観た当時は「感動しました」から
ナウシカがおばばの言うとおり「救世主」に見えましたよ
確かにw
584 :
半さん :2008/02/02(土) 21:51:39 ID:49tBAtJA
>>581 流さん来なくなっちゃったみたいですけど
あさんの「プロレス」のせいなんでしょうなw
585 :
あ :2008/02/02(土) 21:57:58 ID:mtjPaieq
漫画版と映画版はちがうナウシカだから。 映画版は腐海と人間の共生を明らかにすること 漫画版はその共生の運命を明らかにすること。 でも、地球に壊滅的なダメージを与えてしまう戦争は回避できないが そのダメージを中和するシステムは作れると考える科学技術文明に たどりついてしまった人間の形象はとても悲しいものだねえ。 その片鱗の実像は漫画版には出てくる。 運命を告げるものと運命の痛みを和らげるものさえ…用意された運命 だとしたら…。 そんな人間のどうしようもなさというものを歴史の展開を通して描いて みせてますね。
586 :
あ :2008/02/02(土) 22:01:01 ID:mtjPaieq
流さんならキャット空中三回転を決めてびしっと立ってくれる予定だったのに。 国体で何が悪いと開き直る大技こそ彼の技であるべきです。 (そうじゃないってことは…やっぱ 国体じゃ困るっていうか…なんだろうな。それは 自己矛盾でしょ。) そこから国体チョップ(共同体によるつながりの自覚。そもそも何に帰属するからこそ 帰属意識をもてるのか)国体キック。カンチュリーボディスラムなどの大技を期待した かった。
587 :
半さん :2008/02/02(土) 22:19:14 ID:49tBAtJA
>>585 まぁそれでも腐界とオームを全滅させる
オチにしてもらいたかったですなw
共存不可能ならば「ゼロ・サムゲーム」で
人間が「サム」になることしか思いつかないんで・・・
588 :
半さん :2008/02/02(土) 22:20:06 ID:49tBAtJA
590 :
半さん :2008/02/02(土) 22:21:11 ID:49tBAtJA
>>586 あさんが流さんの技を利用して
蟹車連発したんでしょーが・・・
591 :
半さん :2008/02/02(土) 22:27:34 ID:49tBAtJA
592 :
あ :2008/02/02(土) 22:35:43 ID:mtjPaieq
ちぇ。法学しかやってないやつは歴史意識がねえから始末におえねえ。 やつらは判例にしか興味がねえからなあ。明治憲法とは何かということがきちんと捉えられてねえ。 あれじゃあ流さんの「受け流し」「問い返し」であしらわれちゃうだろ。 流さんもいつまでも試合が長引くばかりで、ちっとも盛り上がらないじゃないのさ。 (といってもわしが乗り込んでまでやる必要はない。) いんじゃね。別に法学畑のやつらも、なぜ法学が可能なのかぐらい考える機会になんじゃね。
593 :
半さん :2008/02/02(土) 22:40:46 ID:49tBAtJA
>>592 まぁこの手の話は「泥仕合」覚悟でしょw
静観でいいのでは?
>兵十が自身の物語を述べるときも、そこに登場する登場人物としての兵十= >俺 は決して語っている兵十ではない。物語の中の人物なのだ。当たり前のこと >じぇねーの。 真正のあほだなあ。ひたすらどこまでも。 あのねえ、「自身の物語を述べる」兵十というのは、お前がこの物語を読んだ結果、想定された だけなのだよ。よりどころはお前の脳内妄想だけ。全ての出発点は物語にあるのであって、それ 以上でも以下でもない。「自身の物語を述べる」兵十と「物語の中の人物」である兵十などと して、両者を同列に扱うことはできないのだよ。なぜならわれわれが知り得るのは、飽くまで後者 の「物語の中の人物」としての兵十でしかないのだから。さらに言えば『ごんぎつね』は虚構であって、 作者の南吉がフィールドワークして民話を採取したのではないのだから、必死になって語り伝えの 起源を想定し、議論の前提としようとする意図がそもそもわからん。「自身の物語を述べる」兵十 なぞはこの作品では端的に 前 提 さ れ て い な い の。 どう前提されていないかというと、桃太郎の話は実は桃太郎の弟の柿太郎が全てを目撃し、 鬼退治の旅に同行して記録した話である、という話の柿太郎くらい前提されていない。 クレタ人の話はかわいそうだからスルーしていたが、結局お前は「どんな解釈でも可能だ」と言い たいわけだろ?ま、「オレ様の仮説を100%否定することはできない」という開き直りですな。 これは確かにその通り。他人様の自由で勝手気ままな妄想を否定することは誰にもできない。 「で、何?」で終わり。名作の作者を未熟と罵らなければならない仮説なんてどーでもいいわ。
これまでお前の数々のあほレスを読んできたが、それを読んで実はひとつの結論に達した。 お前は、「語り手」を文字通りに解釈してるってことだ。お前の語り手イメージは、語り手と して誰かが読者の耳に直接物語内容をささやいているというものだろう。違うか? 違うならどう違うか説明してみせてくれ。これで全てがはっきりすると思いますよ。
>>575 ヤマさん、私はそれにはちょっと違和感あるな。
いろいろ言いたいことがあるけど、まあ、まずはあ君のご高説を拝聴しましょう。
いろーんな意味で参考になりそう。
さあ、ヤマさんは私の隣に座って。そろそろ始まるよ。
597 :
あ :2008/02/03(日) 05:02:52 ID:bEDhKlTY
儘人。語り手は説明装置だよ。劇であれば、背景であり、照明であり、音楽。
暗転の中で行われようとも台詞が聞こえれば、誰かわからない状態で、われわれに何かを伝えようとしている。
そのような外的な装置と理解しようとするわれわれの構えの内的な装置の組み合わせによって生成されるものさ。
あんただよオーラルコミュニケーションのコードの転用なんてとんでもをいいはじめたのは、わしじゃねえ。
>>594 儘人は下書きして意味が通るか考えてから書くこと。一文を短くすること。段落をきちんと作ること。
自分で書いてることがわかってるのかなあ。
これ極論化すると儘人のいってるのはこういうことになるよ。
@われわれが手にできるのはテキストの文だけである。(この時点で間違っているんだけどね。われわれはそのテキストの外
のテキストやコードとともにそのテキストの文を手にする。)
A書かれていないことは類推してはいけない。
Bなぜなら書かれていないから。
ママンが兵十起源説を否定している根拠はたった一つだけ。この物語が一人称ではないから。
でもそんなことはよくある話。遠野物語でも怪談でも読めばよろしい。
一方で兵十起源説を支えるもの。
これが村の茂平というおじいさんに子どものころ聞いた話ということが<テキストに書いてある>
ママンも
>>454 においてそれを認めている。だから一つの伝承であると考えることはできる。(一致)
でごんがどうやって死んだかは兵十しかしらない。(これもテキストに書いてあることから類推できる。
誰かが見ていたかもしれない?あのね。この日初めて家の中にごんは入るんだよね。兵十に見つからない
ことを確認してから。したがってそれはない。)
この時点では兵十しかごんのことを語れない。したがって兵十が語らないかぎりこの話は語り継がれない。
桃太郎ね。
むかし、むかし、あるところにいたのはおじいさんとおばあさんだよね。これをテキスト通りに考えると、
帰ってきたももたろうの話をおじいさん、おばあさんか宝物を返してもらった村の人々が語り継いだ。
となるわけで桃太郎の弟を出すと面白くなるけど、はい残念。桃太郎は生きて帰ってくるんだけど?
自分で語ることができるから、その説明、前提がアジャパー。(本当に話の設計をしないさい。最低だよ。)
と桃太郎弟説をテキストの文できっちり批判したように何でもありだなんていってないよ。
598 :
あ :2008/02/03(日) 05:06:13 ID:bEDhKlTY
なあ、テキスト、テキストといいながら、見たくないところは見ないってどういうこと? 一人称じゃないからなんていうのは語り継ぎを考えたら意味ないでしょ。 「おれ、すげえかわいい子に会ったよ。」 ↓ 「○○がすげえかわいい子に会ったってさ。」 あんた馬鹿か?
599 :
あ :2008/02/03(日) 05:11:32 ID:bEDhKlTY
儘人はわしが作者、兵十説だと思ったんじゃねの。 伝承だっていってるのに。一人称とか、立場に立って語れないだとか。 そりゃあ、おまえさんの脳みそじゃ、相手の立場に立って語るなんてことは できないだろうさ。 でもそれはお前が特殊なんだよ。勝手に捏造して相手の立場を自分が納得いく 形で自分に説明しちゃうのが人間なんだよ。 トイレに向かう人がいれば、トイレにいきたいのだなと思うし、 おちつかなければ、ああこの後予定があるのかなと思う。 ともかく相手の技をきちんと受けろ。 その上で質問という形で明確にしろ。そうすれば試合になるかな。 ともかくキミの脳髄では相手にならないから、そのようなオートシステムとしてだけ 機能してくれた方が助かるんだけど。
600 :
あ :2008/02/03(日) 05:18:19 ID:bEDhKlTY
俺は物語世界への現実世界の影響を調べるみたいなフィールドワークはあまりすきじゃないけど。
作者研究という学問においてはそれは必要なことだろう。(これは作品ではなく作者のことを詳しく調べるという学問だから。)
兵十にもモデルがいたと仮説できるらしい。
http://syutozennin.blog.ocn.ne.jp/e411y/2007/09/post_cc4a.html まあ、人物造形に特徴を借りただけのことだろう。でも南吉が身近なものを題材にして書きたいという思いは立証可能になって
いくんじゃないだろうか。
彼は自身の論文の中で「愛」は「哀切」につきるって考えてるからなあ。自分が愛しているものでないと書けなかったのかもなあ。
601 :
あ :2008/02/03(日) 05:21:23 ID:bEDhKlTY
儘人へ新しい根拠が出せないならもう語らなくていいから。 キミの根拠は二つとも粉砕したからね。繰り返しても意味ないでしょ。 一人称じゃない→語り継ぎだから。 ごんの視点で語っている→後から構成されたものだから。 それこそテキストの内部で兵十が話さなかったという証拠をみつけてくださいね。 ○○論だとかの引用は禁止します。 テキストに書かれてないもん。テキストに書かれていることで否定してね。
602 :
あ :2008/02/03(日) 07:26:28 ID:bEDhKlTY
見当違いのところにチョップしている手を取って、一本背負い。 さらにまたロープに対してドロップキック。倒れているところにボディスラム×5 あのさ、わしがいじめてるみたいでしょ。これじゃ。頼むって。 試合になるようなことをいってくれ。
603 :
あ :2008/02/03(日) 07:28:29 ID:bEDhKlTY
げ 今わかったぞ。儘人は伝承=伝言ゲームかよ。 すげえな。それ。 なあ大学に入ったって嘘でしょ。嘘といって。これで入れる大学がこの日本にあるのか?!
>>597 あのねえ、お前は全く人の話をわかってないじゃないの。
思い込みで的外れな批判を繰り返すのはやめてね。
>@われわれが手にできるのはテキストの文だけである。(この時点で間違っているんだけどね。
>われわれはそのテキストの外のテキストやコードとともにそのテキストの文を手にする。)
この認識はそう間違ってはいない。しかし現実はテクストしかないのだよ。
テクスト外のものは読者の領域に属するもので、テクストそのものではない。
コードの出自はテクストではなく、読者がそれぞれ勝手に導入するだけ。
つまり唯一のコードなどはないのだよ。覚えておこうね。
>A書かれていないことは類推してはいけない。
そんなこと言ってねーだろ。類推は完全に自由だっての。なんでもありです。
>Bなぜなら書かれていないから。
完全に自由ではあるものの、テクストから類推できるかことかどうかで解釈の質は異なる。
当然のことですな。
>この時点では兵十しかごんのことを語れない。したがって兵十が語らないかぎりこの話は語り継がれない。
だ か ら、この話が「語り継がれ」たと想定するから、「兵十しかごんのことを語れない」ことになるんだろ?
しかもその設定では、絶対に知り得ないごんの内面がなぜ描写されるのか説明できないことになる。
それを兵十の「類推」などと屁理屈をつけて平気な顔をしているのだからあきれる。
「類推」が可能であるなら、お前の「兵十しかごんのことを語れない」という前提自体が崩れるだろうが。
お前は都合のいい時には「語り継ぎ」を主張し、都合のいい時には「類推」を主張する。
しかし、両者は両立しないのは明らかだろ。「語り継ぎ」に見える部分が「類推」だったらどーするわけ?
端的に自己矛盾。後付の理屈付けを繰り返して、もともとの自分の前提を否定していることにさえ
気づかない。こうなるともう説でも何でもねーだろ。
>ママンが兵十起源説を否定している根拠はたった一つだけ。この物語が一人称ではないから。
あほかよ。そんな単純な話をこれまでしてたと思うわけ?
せめて一人称であればお前の説もまだ説得力があったかもしれんねえと言うだけのこと。
主要な点は以下の3つ。細かいことを言えばまだあるが、きりがないのでこれまで話題としてきたことだけ。
1、この物語を読んで、起源を想定しなければならない理由がそもそもわからない。
2、キツネが話したり人間の心情を理解したりする物語を実話であったと想定する設定に無理がある。
3、物語では徹底的に他者として扱われた兵十が起源としての語り手であったという設定に無理がある。
前レスも含めてすぐにこれだけの無理が生じることを、何を必死になって主張しているの?
それで、
>>595 の質問には答えないつもりかね?
606 :
あ :2008/02/03(日) 15:16:15 ID:bEDhKlTY
>>605 一人称が飛び出すだけで伝承ということが分かってないっていわれてるのがわかってますか?
1>起源を想定しなければならない理由←どのようなことも理由なぞほとんどない。そもそもがごんぎつねを<読まなければならない理由>
なぞ想定しえない。まず、こんなこと言い出すだけでこれまでの議論の大本が理解できてない。
この物語の救いとは何かという問いに答えるだめという理由を失念している。
したがって、試合力 ―100
2>キツネが話したり人間の心情を理解したりするのを実話←まったくわかってない。実話などとはいってない。そもそも
河童が信じられていた時代だってあった。この物語内では実話とし扱わなければ
物語として破綻する。
3>他者として扱われた。←まだ伝言ゲームだと思っているらしい。
つよし「俺かわいい子にあったんだよ。」
↓
ただし「つよしがかわいい子にあったってさ。」(この時点で、もはや、つよしはこの語りの中では第三者である。)
したがって、キミの主張はとんでもである。
しかもテキスト内でっていってるのにこれみんな<わたし・儘人がわからないこと>じゃないか。
単にキミが類推できない。理解できないっていってるだけ。テキストの分析なんてちっとも入ってない。
キミのことなんてどうだっていいんだよ。本当に勝手に場外で乱闘してればいいじゃん。アホか。
607 :
あ :2008/02/03(日) 15:20:04 ID:bEDhKlTY
>>595 返答は
>>597 ってわかってないってことはキミは議論の相手の書き込みを読まずに書いているってことだよね。
なあ学生ならもう一度いろはから勉強しなおすこと。
社会人なら、仕事に一生懸命とりくむこと。
もし女性なら、だから女はっていわれるので…修行をしなおすこと。
儘人のことなんかどうでもいいんだよお。
608 :
あ :2008/02/03(日) 15:30:41 ID:bEDhKlTY
物語空間とわれわれの住む空間を一緒くたにするのは止めること。 わしは再三再四、物語空間の中ではと特定している。 仮にこの話が実話でないと仮定しても 茂平から聞いた話です。 があるために伝承ということは何ら矛盾を起こさない。 伝承であるからこそその起源を設定することができる。 (設定しなければならない理由なんてない。類推できることに理由なぞ必要ない。 強いていえばこの物語のもつもう一つの奥行きを付け加えることができるから。 である。) いや、わしもびっくりしたよ。 語り伝え=伝言ゲーム(相手のいったことをそのまま伝える)と思っている大人がいるなんて。 わかったこと。儘人もSK2も実は語彙がすごく狭いのだ。だから自分の考えているやり方以外で その概念を使われたときその意味が理解できなくなる。 一種の言語障害にかかっている。 わしは儘人がなんでそういうことを言うのかおよそ理解できたので、そもそも儘人の勝手な思い込み に起源を持つということが立証できたので満足です。 何度もいいますが、あなたの考えをきちんとテキストの内容で(一人称で書いてないなどとはいわないこと。 知りえない内面が描かれているなどといわないこと。それについては語り伝えの構造、語る際の構成というこ とで否定しています。)きちんとあなたの考えを展開してください。 同じことを繰り返さないように。 起源を求める必要はない(遡及禁止)はそもそも意味がないことです。あの中で意味のあるのは2)と3)だけなの だが、まったく役に立ってない。
609 :
あ :2008/02/03(日) 15:34:54 ID:bEDhKlTY
まだ伝承がわからないと困るので つよし「俺、かわいい子にあったんだよ。」 ただし「つよしがかわいい子にあったってさ」 美子「つよしがかわいい子にあったって」 義男「つよしがかわいい子にあったって」 義男くんに質問です。さて「つよしくんがかわいい子にあった」って言い始めたのは誰。 「つよしか、それを見た人じゃねーの」 登場人物が起源であることには何の問題もないわけですよね。 これでわからないのは相当、どうしようもない。 っていうかこれ持ち出されてよくあの解答がでてきたもんだ。
610 :
あ :2008/02/03(日) 20:20:24 ID:bEDhKlTY
しまった、兵十が語り始めたに関係あるのは 3>だけじゃないか。 あとはまったく関係ない。 結局一人称でないってことだけで儘人は言ってるだけだ。 で、負けるのがいやだから、する必要がないもんといいたいだけなんだ。 第一、作り話だし。 ↑だから女はって言われるんだよ。
611 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/03(日) 20:42:47 ID:rRJ+LQBv
さっぱり分かってない
612 :
あ :2008/02/04(月) 06:27:10 ID:xsPlVMxF
↑前のときもSK2が絡んできてよけい、混乱したので絡んでこないように。 ともかくお前さんも儘人も相手のレスを読まない(読めない)のは同次元なので
613 :
あ :2008/02/04(月) 06:37:23 ID:xsPlVMxF
1と2は結局、愚痴に近いもの。この話の起源なんて儘人は別にどうでもいい。ということを 別のことばで述べているだけ。 兵十が起源ではないということにからんでいるのは3だけ。 >3、物語では徹底的に他者として扱われた兵十が起源としての語り手であったという設定に無理がある。 こんなことが書けるのは、語り伝えや伝承を伝言ゲームと勘違いしていないかぎり出てこない。 相手のいったことを誰かにそのまま伝えると勘違いしてる。 これは明らかに間違いなのだから、否定の根拠たりえない。 したがって儘人は何もいえてない。自分が認めたくないから認めるつもりはないということを繰り返し言っているだけ。 なあ、この人の生徒は困るだろ。 ここ違うと思うんですけど。 ここね。どうして。 ○○だから△△じゃないですか。 ああそういう考えもあるけど、この場合□□が××で述べていたように●●があてはまるからこれでいいのよ。 でも変ですよ。 あなたは生徒。わたしは先生よ。先生がそうだと言っているんだから。そうなのよ。 …。 ってな感じになちゃうんじゃないかね。1)や2)が飛び出すだけでわしゃ、どんびきだよ。 で、結論は儘人は大学生でアルバイト講師程度ぐらいだ。そうでなくても知性はそのレベル。
614 :
あ :2008/02/04(月) 07:03:22 ID:xsPlVMxF
なぜこの物語が徹底して兵十を他者として扱うか、それは茂平が語っているから。 しかし、そのことが兵十が最初に情報を提供したことの否定にはならない。 ここまで簡潔でもわからないのだろうか。
615 :
あ :2008/02/04(月) 20:55:46 ID:xsPlVMxF
とりあえずここまでのあらすじ ヤマさん ごんぎつねに救いは無いのか わし この話が語られていること自体が救いですよ。 ママン どうしてそれが救いなのさ わし 茂平から聞きました。という一文からこの話が語り伝えであること がわかる。そして、この話を伝えられるのは兵十であるから。 以下やたらめったらわけのわからない話に。 しかも最終的に 1)なんで語り伝えなんて類推しなければいけないのかその理由がわからない。 なんて自分が質問したことさえ失念するボケ方にはいったいどう対処していいものやら。 しかも、それは兵十起源を否定する理由にはならないし。それを堂々と書けてしまう知性の 質っていうのはにわとり並ってこと? で伝言ゲームじゃないということを、儘人が理解したのかどうかを確認したいというのがわしの気持ち である。
616 :
半さん :2008/02/04(月) 21:14:46 ID:ZaeBNLJf
>>615 ヤマさんは407で「兵十の救い」を問うたんですよ
「ごんの救い」ではありません
ごんを神話化することで「兵十の救い」があるのかは
イマイチ釈然としませんが
これも供養の一種かなと当時は納得するしかなかったです
617 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/04(月) 22:31:45 ID:fXPKgBI+
>わし この話が語られていること自体が救いですよ。 嗤うしかない。 救われないことを葬りさって何が嬉しいのか。 ま、くだらんからどうでもいいか、馬鹿のムニャムニャは。
618 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/04(月) 23:03:43 ID:fXPKgBI+
救うー救われない の彼岸としてだけ 救いはあるという話なんだけど。
>>606 ,
>>608 >2>キツネが話したり人間の心情を理解したりするのを実話←まったくわかってない。
>実話などとはいってない。そもそも河童が信じられていた時代だってあった。
>この物語内では実話とし扱わなければ物語として破綻する。
お前さんのレスで、ここが最もおかしいのだよ。
「実話でなければ破綻する物語」を設定したのがお前さん。
それが仮説としておかしいとわかったのに、そんな設定をした自分自身を
責めるのではなく、作者を責めているところがどーしようもない。
>語り伝え=伝言ゲーム(相手のいったことをそのまま伝える)と思っている大人がいるなんて。
お前さんはいつまでこんなことが議論の中心だと思っているんだね?
前提として「語り伝え」を持ち出してくること自体が既におかしいのだよ。
だから「語り伝え」の定義なんてどーでもいい。全く議論の埒外。
そんなことお前さん以外誰も問題にしてないの。
いいかね、語り手は口頭コミュニケーションになぞらえてうんぬんと私は言ったが、
それは語り手概念が単に何かに「なぞらえ」られている(つまり読者の勝手な想定で
ある)ことを強調したかっただけで、語り手の語りが「口頭コミュニケーション」である
などと言いたかったわけではないのだよ。こんなの語り手論では常識。
語り手が遍在するという設定が語り手の実体化@だとすると、語り手を身体化してしまい、
その一貫性を求めてしまうのが語り手の実体化Aということになる。
お前さんはどちらも踏まえているのだから困るよ。
桃太郎の物語は桃太郎が帰郷して語ったという想定のどうしようもなさ。 未来の世界から来たドラえもんは誰が語ったのだろうねえ。あほ草。
621 :
あ :2008/02/05(火) 05:40:53 ID:fc70Ijz6
結局儘人は自分が間違っていたとは認めたくないということを回りくどい言い方でいっているだけ。 国語を専科にするとこのような人間になるなら、国文学や言語学などを大学で勉強する必要はない。 あきれるばかりである。 とまず結論としてのコメントを述べておく。
622 :
あ :2008/02/05(火) 05:49:31 ID:fc70Ijz6
あとその回りくどい言い回しの誤りや疑問点について指摘しておく。 > お前さんのレスで、ここが最もおかしいのだよ。 「実話でなければ破綻する物語」を設定したのがお前さん。 それが仮説としておかしいとわかったのに、そんな設定をした自分自身を 責めるのではなく、作者を責めているところがどーしようもない。 > また読めていない。小学生でも理解することなのだが、しかたないので幼稚園レベルで説明しよう。 この物語の中にいる人物にとって、この物語の中のできごとを「信じる」ことで初めてこの物語は成立する。 信じるのはわれわれ=読者ではない。 舞台の役者が、物語を演じるとき、うまく演じるよりも信じて演じることの方が大事であるようなものである。 そして、この「ごんぎつね」の中では、「茂平というおじいさんから」の一文があるために、茂平も作者も (この場合は作者という役どころであって南吉でなくてもよい)登場人物であると設定される。 茂平が話したということを事実としなければ、この物語の構造(わしが伝承にこだわるのは、これがこの物語 の構造にかかわるからである。)は破綻する。 その上でテキストを無視して、きつねが話す。(本当だろうか、実は思うということばで南吉は表現しており、 「」を使いながらも注意深く、つぶやく、いうなのどのことばは回避しているのだ。…読んでもいねえ。)ような 物語も実話として扱うなどと見当違いのところを指摘して議論をズラそうとするのはあさましい限りである。
623 :
あ :2008/02/05(火) 05:58:10 ID:fc70Ijz6
>> >語り伝え=伝言ゲーム(相手のいったことをそのまま伝える)と思っている大人がいるなんて。 お前さんはいつまでこんなことが議論の中心だと思っているんだね? 前提として「語り伝え」を持ち出してくること自体が既におかしいのだよ。 >> いよいよ、儘人はテキストなぞ存在しないという神の領域に入りたいらしい。わたしが読みたいもの だけがわたしのテキストには書いてあるのだ。とでもいいたいのだろうか。 このテキストに「茂平から聞いた」がある以上それはテキストの構造にメタレベルをつけたすことに なり、それを意識して南吉が作品を書いてある証拠をいくつでも見つけることができる。 きつねの考えは「思う」で書く。兵十や村人は「言う」を使う。 余計にみえる月のいい晩も加助のせりふによって、 ひとりぼっちになったお前をかわいそうにおもわっしゃって→ごんへの投影 つまり兵十があとから構成した現実であることとして辻褄が合わなくならないように注意深く構成されて いるのだ。 だからこそ草稿では茂平じいさんの描写や説明が多くあり、語りの実在感にこだわっている様子がよく わかる。 あくまでも自分の誤りを認めたくない儘人は最後にこんな台詞までとびだしてくる。 > 前提として「語り伝え」を持ち出してくること自体が既におかしいのだよ。 だから「語り伝え」の定義なんてどーでもいい。全く議論の埒外。 そんなことお前さん以外誰も問題にしてないの。 > これは事実に反している。 なぜ ごんぎつねに 日本人は惹かれるのか の作者もわしのリンクした 研究者もごんぎつねの一つの大枠の構造として伝承性に注目して解説している。 その上小学生でさえ気づいて指摘していることなのに。儘人だけは持ち出すこと自体が間違いである というテキスト外の自分の判断だけを根拠に否定している。
624 :
あ :2008/02/05(火) 06:03:52 ID:fc70Ijz6
> いいかね、語り手は口頭コミュニケーションになぞらえてうんぬんと私は言ったが、 それは語り手概念が単に何かに「なぞらえ」られている(つまり読者の勝手な想定で ある)ことを強調したかっただけで、語り手の語りが「口頭コミュニケーション」である などと言いたかったわけではないのだよ。こんなの語り手論では常識。 > いいたいことが矛盾している。語り手は読者の頭の中に生まれてくるものであって、 読者の眼前に実在するものではない。といえばよい。 そして、だからこそ、遍在するのである。 そんなことわしはとっくにきちんと書いている。なにがいいたいんだ。 ああ、わかった大事なのは >語り手の語りが「口頭コミュニケーション」であるなどと言いたかったわけではない {のに使って、誤解を招いてしまってすいません。私が軽率でした。言いたかったのは…} ってことだろうな大人なら。まさか俺は間違ってないなどということをいいたいわけではなかろうな。 でないと文章としては最低点だよね。これ、相手に伝わらないばかりか、相手に自分を蔑む機会を 提供しているもんね。自分が損するように表現するなんて言語技術論でもありえない話。 すげーよ。儘人。さずが 儘な人だけある。人ではないかもしれない。
625 :
あ :2008/02/05(火) 06:12:21 ID:fc70Ijz6
ごんぎつねのテキスト内部に何人もの語り手が設定できるといっているのであって、 それはテキスト表現と矛盾しない。 その上で眼前にいない。=不在ではない。言語の特徴が不在の現前にあるということが ちっとも踏まえられていない。 テキストを分析するというのは、現実法則を使って、妄想が案外に構造としてはしっかりしている ことを解き明かすことなのだ。 小さな大名行列が俺を刺しに来るという妄言でさえ。そこには的確な構造が存在するのであって、 事実だとか事実でないとかを根拠にしてこのテキストを否定するものではない。 もし否定する人物がいるとしたら、それは結局俗物であり、社会的にエライといわれたい人であって 研究者ではない。 俺を刺しに来るという恐怖が何よってもたらされようと、殺されることにおびえているという事実は仮定 することができる。それを忘れてしまうのは誤りである。 語り手は読者の頭の中に遍在する。その存在は言語論的実在である。 われわれが赤信号や止まれの合図で止まるのと一緒である。 赤信号には力学的に反動をもたらしておらず、止まれの看板は一切の 力を放出しはしない。 では、それらは止まらせる力をもたないであろうか。 (勿論、ルールを知らないものにはもたらさない。ああ、そうか儘人はルール外の人であったか。 人でなしだけにね。)
626 :
あ :2008/02/05(火) 06:20:05 ID:fc70Ijz6
どらえもんの語り手は のび太だろ。 あんた馬鹿。 あの物語ですべてを解説可能なのはのび太だけだよ。 作者ものび太に感情移入するように描いている。主役は誰ときかれて どらえもんと答える人間は誰もいないと思うがなあ? いよいよ。大学生レベルでもないな。キミは浪人生だな。この調子じゃ いくらがんばっても受からないぞ。受かっても意味のない三流大 四流大だ。将来母校が消失することが決定しているようなところだけ だぞ。 このことの実証はどらえもんの仮の最終回、さよならどられもんを読めば わかる。 いやいやもう。自分の墓穴を掘りまくる人だなあ。(人でないからか。) 自分は頭がいいと思い込んでいる女のヒスと話しているようなものだ。 自分が負けそうなことは存在しないようにして、相手の弱そうなところに 話をもっていこうとする。そして口数で圧倒しようとする。ちなみに中身は ない。 その上、あのときも あのときも みたいにエピソード攻撃をしかけようと する。桃太郎にどらえもんでしょ。 わかりやすー。いい加減にスタイル変更を求めたい。 ともかくママンにはがっかりだよ。
627 :
あ :2008/02/05(火) 06:22:03 ID:fc70Ijz6
半さんへ よしんば、兵十の救いとしてもこれが語り継がれることが救いであるでしょう。 ごんが単なるいたづらぎつねでは、なかった。哀れを知ることが大切だった。 と人々が思ってくれることはそれこそ戒めとして語られつづけることは彼には 辛い救いであるといえると思います。
628 :
あ :2008/02/05(火) 06:28:53 ID:fc70Ijz6
とりあえず儘人のためでなく、もしかすると読んでるかもしれない人のためにテキストから 「兵十だな。」と、ごんは思いました。 ごんは、「ふふん、村に何かあるんだな。」と思いました。「なんだろう、秋祭りかな。 祭りなら、たいこや笛の音がしそうなものだ。それに第一、お宮にのぼりが立つはずだが。」 こんなことを考えながらやってきますと、 「ああ、そう式だ。」と、ごんは思いました。「兵十のうちのだれが死んだんだろう。」 「ははん、死んだのは、兵十のおっかあだ。」ごんは、そう思いながら頭を引っこめました。 そのばん、ごんは、あなの中で考えました。「兵十のおっかあは、とこについていて、うなぎが 食べたいと言ったにちがいない。それで、兵十が、はりきりあみを持ち出したんだ。ところが、 わしがいたずらをして、うなぎを取ってきてしまった。だから、兵十は、おっかあにうなぎを食 べさせることができなかった。そのまま、おっかあは、死んじゃったにちがいない。ああ、うな ぎが食べたい、うなぎが食べたいと思いながら死んだんだろう。ちょっ、あんないたずらしな けりゃよかった。」 「おれと同じ、ひとりぼっちの兵十か。」こちらの物置の後ろから見ていたごんは、そう思いました。 ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。 ごんは、これはしまったと思いました。「かわいそうに兵十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんなきずまで付けられたのか。」 ごんは、「へえ、こいつはつまらないな。」と思いました。 「おれがくりや松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼を言わないで、神様にお礼を言うんじゃあ、おれは引き合わないなあ。」 ごんは一切話してはいない。思った→思ったにちがいない。という類推である。
629 :
あ :2008/02/05(火) 06:31:44 ID:fc70Ijz6
儘人が今後テキスト論を扱うのを禁じたい思いでいっぱいである。 テキストを精査もせず、自分の思い込みだけを語るために、使えるところだけ を拾い、それでこれが真実ですなどと見栄を切るなだあ、テキスト分析の名 を騙るイカサマ野郎の所業である。 もうすごいがっかり。 伝承の定義なんかどうでもよい…←これが飛び出すかねえ。
630 :
あ :2008/02/05(火) 06:58:33 ID:fc70Ijz6
やっぱり、儘人のいうことなんかくだらないことが実証できたので 今後は華麗にスルー。 SK2のむにゃむにゃももはや、単なる立ち飲み屋でのウラビレタ 独り言レベル。 すぐに彼岸を持ち出すのももはや定型化した思考スタイル。 (形而上にしちゃえば、楽だもんね。) 結局のところ自分の現実から逃げろというに等しい。
631 :
ヤマさん :2008/02/05(火) 19:22:45 ID:mW+5aW9P
>>619 語り手はあくまで虚構であり、実体化すること自体が無意味ということですね。
実体化するとそこから、無意味な意味探し(架空の根拠付け)が始まると、
こんな感じでしょうか?
632 :
半さん :2008/02/05(火) 19:48:41 ID:5qrXnt0I
>>627 正直あの作品の記述だけでは
兵十にしてもごんにしても
救いの存在は無理があるって感想ですねw
別に「救いはない」でよさそうなのですが・・・
何も物語に「悲劇」があったからといって
作者が「救い」を挿入する義務はないですしね
「悲劇の主人公」の作品なんて
腐るほどあるわけですから・・・
633 :
あ :2008/02/05(火) 20:09:22 ID:fc70Ijz6
南吉は哀切にこそ愛があるって思ってたので、たぶん、南吉的にはそれが救いなんでしょう。 まあ、読者がどう判断したり考えたりするのかが大事でしょう。
634 :
あ :2008/02/05(火) 20:17:36 ID:fc70Ijz6
>>631 ヤマさーん。そんなこといったら、すべてのテキストの内容は虚構ですよお。テキストの意味は読者の内的社会関係に
よって形成されるんですからね。
そこに陥るとすべて無駄じゃのムーミン谷のテツガクになってしまいます。
作者の思いつきにすぎない虚構が言語を構成することで、誰かにも同じように作用させることができるということは一つの
実体です。
儘人の言ってるのは、虚構をそんなにむきになってかぎまわっても、所詮は虚構じゃんという逃げを難しくいっているだけ
ですよ。ごまかしです。
(まあ、たいていの言語学的研究やら、文芸学的研究なんかそんなものにすぎませんが、そこに知的興奮を感じる人々
がいるっていうことは事実なんですから。)
実は儘人はそんなこというなら今までのすべての話はみんな出鱈目ってことになってしまいます。
ことばには実体なぞはありませんから。言語技術などというものも空疎な虚構です。そんなものを鍛えたって量も重さも
長さもないのだから、得るものは何もないということになるのです。
だからこそ、わしは儘人の1)と2)についたは呆れるばかり、本当に馬鹿と思っているのです。
しまいに3)を放棄する際には、そんなこと知らんもんね。という態度です。こんな不誠実で何事かを成し遂げたり、教えたり
できるわけがありません。
635 :
半さん :2008/02/05(火) 20:17:37 ID:5qrXnt0I
>>633 愛は〜ど〜こからやってくるのでしょう?
この問いにはテクスト分析ってやつでも
荷が重そうですw
636 :
あ :2008/02/05(火) 20:24:26 ID:fc70Ijz6
犬も当たれば棒に当たるの意味が今ではこの文だけでは不確定なのは、読者の内的社会関係においてさまざまな使われ方が 存在しているからです。 ではこの意味は虚構であるから、価値がないのでしょうか。虚構だから考えなくてもいいのでしょうか? もしそれでいいなら、やりたくないこと、認めたくないことは、そんなのとこばだけだ。お前は俺に手を触れることもできない。 お前が半歩近づけば俺も半歩逃げる。絶対につかまるわけはない。などということができますよ。 (速度ってことが除外されているのですね。) 虚構かどうかが問題ではないのです。どのような働き(機能)か。どのような仕組み(構造)なのか。が問題なのです。 その際に語り手という装置がどのように機能し、どのような構造を形成しているのかを考えることは無駄ではありません。 あなたがこれを読めるのは、何かを実体化しているからなのですから。
>>631 ヤマさん、まさしくその通りです。
無意味な根拠付けに走っているだけ。どうしてわからないんだろう。
与平から聞いたと言っているだけの物語を、どうして登場人物の兵十まで
遡らなきゃいけないことになるのか?
しかも、それができなきゃ「物語」じゃないときた。
ほんとどーしようもねー。
ごんは「思った」だけで「言って」いないからいい?
ドラえもんの語り手はのび太??
語り手概念の理解ができていない証左がどんどん出てくるな。
痛々しくて見ておれんよ。勉強しろ。以上。
>>636 かなり重症のようだ。
ほんと、いい加減にしたら?恥の上塗りにしかなってない。
明らかに語り手の定義が間違っているんだよ。議論の前提そのものが。
質問があれば説明するが、私からはもう指摘しない。
どーせ聞く気もないようだし。
639 :
あ :2008/02/05(火) 21:58:28 ID:fc70Ijz6
儘人はそういって自らの腐れ汁をひきずりながら、それに相応しい穴倉へ ズルズルとはいずっていったのであった。人々が煉獄と呼んだ場所である。 金と銀の鍵によってペトロの門は閉じられ、高慢なるものはその重さに 応じた石に身を折られる場所である。 それもまた世の定めであろう。 私は、もう一つの重い扉を静かに閉め。その場を去った。
640 :
あ :2008/02/05(火) 22:03:48 ID:fc70Ijz6
641 :
あ :2008/02/05(火) 22:10:10 ID:fc70Ijz6
虚構への不信はごんぎつねにおいては禁止されている行為なのです。 (そんなこと あの時代には意図されていないので、第4の壁を破る試みがされている わけがない。いくら、わしでもさすがにそれは読み取れない。) 儘人がいかに高慢に自分に都合のいい定義をもって世の中を見ているかが今回の件 で<また><再び>明らかになった。 リンボの客人が再び訪れることのないように、清めの塩でもまいておきたいところである。
642 :
あ :2008/02/05(火) 22:14:29 ID:fc70Ijz6
たぶん儘人はマクガフィンも知りはしない。 茂平はマクガフィンなのかもしれないが。 アイルランドにいるライオンは茂平を使って捉えられるのだ。
643 :
半さん :2008/02/05(火) 22:14:49 ID:5qrXnt0I
>>640 第四の壁を破るってのは
ヒーローアクションショーで
観客に向かってヒーローを呼ぶことを促す作業も
一例ですかね?
644 :
あ :2008/02/05(火) 22:17:29 ID:fc70Ijz6
まあテクニクューに関するような話はここで一端停止しよう。 ほとんどの人々はそのままではなんだかわからないことだ。 そして、おそらくはわからなくても読むことはできるし、知ることも 考えることもできる。 舞台装置や演出について知らないままでも演劇は楽しめるように。 そう劇を楽しむのか。 劇を知ろうとするのか。結局は態度の問題なのかも知れない。
645 :
ヤマさん :2008/02/05(火) 22:19:41 ID:mW+5aW9P
9)語り手と「指示表出」
(前略)
そのような機能の「語り手」に身体感覚や肉声を与える形で、日本の近代小説は誕生した。
日本では1980年代に入って、文学テクストを「語り手」という概念によって分析する方法が一般化したが、
1978年に私が『感性の変革』の始めの数章を発表した頃には、少なくとも文芸雑誌の上では全く行なわれていなかった。
私はローマン・ヤーコブソンの『一般言語学講義』(田村すず子ほか訳、1973年)とは無縁に、
明治初期の文学テクストの分析を通して「語り手」を見出した。
ただそれに直ぐ続いてロラン・バルトの『物語の構造分析』(花輪光訳、1979年)や、
ロジャー・ファウラーの『言語学と小説』(豊田昌倫訳、1979年)や、
ウンベルト・エーコの『記号論』(池上嘉彦訳、1980年)などの翻訳が出版されて、
ヤーコブソンの著書も文学論的な関心をもって読み直されるようになった。
それらが文学理論の新しい傾向を作り、私の著書を巻き込んでいったのである。(以下、略)
http://homepage2.nifty.com/k-sekirei/dojidai/daigaku2_02.html
646 :
あ :2008/02/05(火) 22:20:34 ID:fc70Ijz6
一番わかりやすいのは 「ラストアメリカンヒーロー」という映画じゃないですかね。 ヒーローショーはそれさえもフィクションを楽しむ仕掛けになってますから。 (もしやるとしたら、いきなり悪役がスーツを脱ぎだすとか、演技監督が観客席から 出てきてダメだしをし、その同意をお客さんに求めるとか、ヒーロー戦隊が出てきて、 お客さんにいきなり新メンバーにスーツも着せずに任命して、悪役にやっつけさせる とか。そんなことでしょう。)
647 :
あ :2008/02/05(火) 22:25:34 ID:fc70Ijz6
第4の壁を破るっていうのは これはフィクションですよね。とフィクションの仕組みをよくしっている人間に 再確認させる方法であり、なおかつ、そのことによって、じゃあさノンフィクション であるとされるところの現実ってやつも実はそうではないのかという挑戦的な 試みなんですがね。 これも、みんなが現実も一つのフィクションにすぎないと思っている今日では 一つのハプニングにすぎなくなってますよね。
648 :
あ :2008/02/05(火) 22:27:44 ID:fc70Ijz6
>>645 >
そのような機能の「語り手」に身体感覚や肉声を与える形で、日本の近代小説は誕生した。
>
だからこそ、茂平という語り手の設定を南吉は希求したのだし、そのことによって一つの自立的な物語世界を
構築したかったんでしょうね。
草稿を読むとその辺がよくわかりますよ。
>>645 ヤマさん、亀さんは小森の師匠だよ。
語り手概念を応用して名を上げたのが小森の明治小説研究。
今は語り手論なんて流行は終わり、古くなっているね。
あ君はまだその語り手論までも到達できていないけど。
よくわからないのであれば、くだらねーレス量産する前に聞きゃーいいのに。
650 :
あ :2008/02/05(火) 22:36:56 ID:fc70Ijz6
あーこなくていいのにー あー地獄の門も緩くなったなあ。悲しい現実なのねえ。はあ。 自分の居場所に帰った帰った。
>>648 うへえ、出たー。
何でも自分に都合よく解釈するだけなのがあ流。
ごんぎつねは1932年。
亀さんが言ってるのは明治20年代、つまり1890年前後の話。
40年も違うっての。これだからどーしようもねーんだわ。
2ちゃんの恥はかき捨てかよ。
652 :
あ :2008/02/05(火) 22:38:58 ID:fc70Ijz6
また古い/新しいを持ち出してる。 学問にそんなものは関係ないんだって。有効か、有効でないか。 そして有効とは知的生産性が向上するのか、どうかってことだけだよ。 いいから。君はリンボで身を折られてなさいって。グジュってさ。
653 :
あ :2008/02/05(火) 22:53:28 ID:fc70Ijz6
そこは亀井秀雄HPであったか。 北海道には縁のある方である。とりあえず、それだけでまずは座布団を出そうとしてしまうのがパトリオティストである わしなのであった。 (勿論、そんなことは滑稽なことなのだが、愛なんて滑稽なものなのだ。)
当たり前じゃねーの。 明治の作家たちが共有していた「語り手」の問題は、お前の思惑とは裏腹に、 いかに「語り伝え」や「盗み聞き」「覗き見」の手法を脱して超越的な語り手を 獲得するのかという試行錯誤だったのだよ。 自分の説の裏づけになんかなってねーの。 それを大威張りで何言ってんのかって話ですよ。 ここまでこれば逆にすごいわ。
655 :
あ :2008/02/05(火) 23:00:44 ID:fc70Ijz6
>>654 えー。田山花袋が?二葉亭が?夏目漱石が?森鴎外が?
また変なところを、日本近代文学は超越的な語り手なんか目指しちゃいねえよ。
逍遥の書生気質を読んだことあるのか? 二葉亭の浮雲を読んだことあるのか? 漱石の文学論を読んだことあるのか? 頼むから、寝言は寝てから言おうね。 教えて君のあほレスの相手はもう沢山。
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/05(火) 23:05:08 ID:cU8txpPS
笑いw
あほレスする前に亀さんの感性の変革や明治文学論を読め。 お前が愛ゆえに座布団を出したんだろ? くだらねーことばかり言ってんじゃねー。 ちょっとは勉強しろや。
659 :
あ :2008/02/05(火) 23:10:34 ID:fc70Ijz6
第一、盗み聞き、覗き見というのは、すでに地上にあって肉体をもち行動するものしかできない。 決して神のように物語世界を見通すような超越的視点をもつ語り手のやることではない。 まさに矛盾してるよ。 それは読者を小説という体験に引きずりこむための「新たな語り手」という仕掛けであろう。
>>659 あのねえ、お前の妄想なんかどーでもいいの。
話にならんのだよ。マジで。
ここであほレスするより、ちゃんと本を読めっての。
話はそれからだわ。
661 :
あ :2008/02/05(火) 23:18:43 ID:fc70Ijz6
肉体をもったものが超越的であった試しがない。 つまり儘人はまた勘違い読みをしている。第一亀井は > 私のこの理解によれば、「語り手」とは作者が共同観念にかかわる仕方の仲介者、ということになる。 この「語り手」の位置や視点によって、共同観念としての現実像の空間的・時間的なパースペクティヴを拓き、 そのパースペクティヴのなかの事物を序列化し、価値づけてゆくのである。 そのような機能の「語り手」に身体感覚や肉声を与える形で、日本の近代小説は誕生した。 > わしがいう内的な社会関係との関わりにおいて語り手は成立し遍在するという意味で日本では 語り手が肉体を持つ必要があったということだ。 (だからこそ、私小説という戦略が成り立ったのであるし、私小説が小説だりえたのだ。) 内的な社会関係によって成立することはちっとの超越的ではない。 (っていうかまた超越的だよ。はあ、超越論的っていっていいかねえ。これって具体的な存在にはしばられないってことなんだけど。) 儘人もSK2もことばの誤用は控えようよ。
662 :
あ :2008/02/05(火) 23:28:47 ID:fc70Ijz6
663 :
あ :2008/02/05(火) 23:35:58 ID:fc70Ijz6
特に注1に着目すること。 リンボに帰るべきお客さんはさあ帰った帰った。 どうして超越的なのに、お前、覗き見しなきゃならんのじゃ。盗み聞きしなくちゃならんのじゃ。 光があった。といえば光があるのだし。 敏子が思った。といえば、それは敏子が思ったのだ。それを、誰かの盗み聞きでなければ 敏子の思いだと了承できない聞き手(=そのような内的社会関係をもつ存在)は肉体のない 超越的な語り手など了承しえないだろう。 (しかし日本には超越的な語りがなかったわけではない。なぜなら、講談師、見てきたような 嘘をいいということばがあるではないか。つまり江戸後期には超越的な語りは存在していた のである。そういういう意味でも儘人の言い分は間違っている。)
664 :
あ :2008/02/05(火) 23:41:23 ID:fc70Ijz6
665 :
あ :2008/02/05(火) 23:44:30 ID:fc70Ijz6
不用意な思い込み、慣れ親しんだ言い回しにおぼれることが、結局、自分の本当にいいたいことの価値を貶める。 注意深く考え、慎み深く表現することを肝に銘じておくこと。それができれば大層なものになれるであろう。 (そして、大抵はそうはいかない。それだけにこのことを実行することはとても価値があることなのだ。)
666 :
あ :2008/02/05(火) 23:48:30 ID:fc70Ijz6
すでに講談で確立されていたものをそのまま引き継いでも小説は文学たりえなかった。 ということが日本の近代文学の土壌にはあったと考えていい。 そして、そのような語りとは違った語りを作りだしたからこそ、小説は講談を駆逐していったのである。 (一方でまさに口話の語り芸である、落語、浪曲は映画の普及まで生き延びることになる。)
>つまり江戸後期には超越的な語りは存在していたのである。 >そういういう意味でも儘人の言い分は間違っている。 よくある反論。 お前の定義じゃ江戸後期どころか源氏物語も3人称だろうよ。 亀さんを読め。以上。
668 :
あ :2008/02/06(水) 05:47:35 ID:imDaTvqM
ママンがいうべきだったのは、文学につきものだった 内面という制度を確立するための語り手の確立ということである。 つまり、ごんぎつねでいえば、なぜ、ごんの思いを語り手が書けるのか。 というママンの疑問そのものが、もはや、今、この時点では、わしにアホ といわれるのか? とぴったり同値なのである。(そのことにまったく気づかないことが問題である。) おぼゆ。があるから、源氏物語にだって、口に出さない思いの描写はある。 そういう思いと内面はどう違うのであろうか。 wikiによれば > 特に人間の心理について内面という用語を用いる際は、それがあることを分かりながらも それそのものを決して知ることが出来ないというニュアンスで用いられる事が多い。 これは、他人を決して知ることは出来ない、極端に言えば他人の存在証明が現象学的に不可 である事実を示す。 > つまり、それまでの物語の登場人物にありがちだった役柄に相応しい行動や考え方によって 物語が進行するのではなく、隠された動機(まさに探偵小説)一つのエニグマを巡って物語が 進行できることが内面という装置なのだ。 光源氏はやんごとなきものでなければならず、平清盛はものすごい力と知恵の持ち主で、桃太郎は 不思議な出生を持つ。そのような間仕切りを一端用意することのない語りをもつ必要があった。 だからこそそれは超越的語り手とよばれるものではない。 どのようにすれば、なんでもない人間を物語の主人公にできるかということだったのである。 化け物話に出てくる人間が凡庸なのは、主人公は化け物だからである。 ということでまたまた儘人が自分のいっていることさえわかってない。自分で自分の尻尾を踏んで転んでいる ことを証明した。 リンボへいっておとなしくぺしゃんこになっていればいいものを。また恥の上塗りである。 あとどうして超越的とか彼岸とかにやたら価値をもたせるわけ?そんなの神が…といいだすのと同じ思考過程 じゃない。この現実が機械仕掛けの神が舞い降りて帳尻を合わせるみたいな劇であればいいと思っているわ け? 残念ながらキミの現実は、部品の足りないできそこないの機械(キミ)によってまさにキミが気にくわないように 気にくわないように常に生成されているだけだよ。
669 :
あ :2008/02/06(水) 06:00:11 ID:imDaTvqM
小説の内部ではどのような偉業も行われない。 物語はそれまでは、常有らざること、異(もの)を語ることだったのだ。 我が猫は猫が死ぬまでにうろついているだけ。 ぼっちゃんは、教師を辞めた青年の話。 これらがなぜ語りうるのか?=読まれうるのか? そういう装置としての語り手の創出のことを亀井は語っているわけなのだ。 すげえね。ついに物語論の格子をほとんど語りおえてしまったよ。 儘人は読めてねえ。さずが伝承=伝言ゲームだけある。 通常の言語生活がてきてない。 超越的語り手を持ち出した時点でアウトだって、それこそ、儘人の言を借りれば 「なぜ、超越的でなければならないかわからん」って話になるだろ。 でもそんなこと聞けば、本質と違ったことを語り出すに決まってる。のぞき見、 盗み聞きがなぜ必要なのか。(そこに潜む欲望や噂という社会的な装置) 必要だったのは、超越的語り手ではない。 内面(普通の人間)を描くことによっても物語を展開できる語りだったのである。 だからこそ花袋の布団は一種のゴシップとして受け取られる。 当世書生気質は風俗報告の側面ももつ。 浮雲にいったっては、ニートの周辺のうわさ話集。 そこには新たに見いだされた物語の欲望へ誘うための試みがあるのである。
670 :
あ :2008/02/06(水) 06:01:11 ID:imDaTvqM
物語で異(もの)だったものは小説ではまさに個人の内面の不透明さに置き換えられた。
671 :
あ :2008/02/06(水) 06:06:47 ID:imDaTvqM
すんげーわかりやすい近代小説と物語をリンクしながら語り(語り手)の変貌を描写した 名講義じゃんか。 わしも思ってもみなかったが、大学時代、一万冊読み、文学史か記号論の講座やゼミに出たのは 無意味じゃなかったんだなあ。(それぞれはバラバラなパーツではあったが、きっちりそれらが、 載るべき土台の在処をしめしてくれてたんだなあ。) 珍しくわしは自分をほめる。すげーなわし。これはわかりやすい説明だ。実証も可能だし、大学生は レポートを書く土台に使えるじゃんか。 景色(特別な風物)から風景(日常の中の特別)を見いだすみたいな近代への転換も軽く説明できる それが何をもたらしたかは柄谷の本をしっかり読むこと。めんどくさいし。
672 :
あ :2008/02/06(水) 06:15:15 ID:imDaTvqM
亀井秀雄(かめいひでお)『雅言と俗言および人情−徂徠・宣長・馬琴・逍遥−』 論文 坪内逍遥の文体論が、多く馬琴の雅言俗言観に依拠していることを、馬琴自身の文体の形成過程と それに対する自己評価、勧善懲悪観もともに彼らの文章を引用しつつ探り、そこからさらに荻生徂徠や 本居宣長についての文体人情論へと発展してゆく。なかなか興味深い。 『國語國文研究 第83号』(北海道大学国文学会、1989年) 亀井さんはわしと同意見だろうよ。
673 :
あ :2008/02/06(水) 06:21:43 ID:imDaTvqM
ともかく、SK2も儘人も今の自分の考え方を基本的に捨てないですむ応援してくれそうな言説にとびついて、 それを確かにそうだと思いこむ癖を止めてくれ。 ほかの人間がその解釈はことばの字義からいっても言い過ぎだとか、文脈からいってそんなこと言ってない といっても、 なぜ「それをそのように誤解したのか」を永遠に述べて(つまり自分の内面を理由にして)正当化しつづける。 それは近代小説の主人公たちが社会的には何もなしえない人々であったことと同値である。 さすがにそれは(はた)と気づいて大勢の人々がなんとか物語的な出来事の再来を描こうとしたらそれは 時代小説やSFやそういうものにならざる負えなかった。 近代小説=近代自我っていうのはいいわけで、そのような矮小なものに成り下がってしまったことのごまかし 業界内価値逓減を防ぐ思いこみだったのだ。(今となっては、それははっきりしている。)
674 :
あ :2008/02/06(水) 06:23:08 ID:imDaTvqM
名講義おしまい。
675 :
あ :2008/02/06(水) 07:35:45 ID:imDaTvqM
小説では何事も達成されない。 の代名詞のような小説が「前身」であったな。 あれは本当に結局、何も起きない。 あれがなぜ小説=物語として成り立つのか。 (実際に読め、読むことで何かを考え、感じることが できる仕組みをもち、そのための工夫がいろいろと してある。) それでも、時代をズラす。というお約束によって、 前身という仕掛けを語ることを可能にしている。 (その時代をズラすという手続きがなぜ必要なのか? ということが問題になるのはわかる。)
676 :
あ :2008/02/06(水) 16:10:25 ID:imDaTvqM
この前身という小説。語り手論でもとても面白い小説なのだ。 徹底した超越的語り手が徹頭徹尾貫かれている。 なにしろ、はじまりがこうなのだ。 「長助の前身はすっぽんであった。そのことは誰も知らない。」 誰も知らないことをなぜ語り手は語れるのか。それはこの物語の外側にいてこの物語を語るからである。 決してこの前身という小説が虚構だというだけではない。しかも、徹頭徹尾に誰も知らなくてもいいことだ けを語り続ける。 そうして、前身という仕掛けによって虚構が現実を腐食するような何とも不思議な効果を生み出すのである。 これが長助を描写するだけの語り手であれば、こうはいかない。長助さえも手駒であるかのような語り手だから こそこの効果が出せる。 とりあえず読んでみるといいと思う。っていうか前は高校の教科書で採用もされてましたよ。
677 :
あ :2008/02/06(水) 16:19:34 ID:imDaTvqM
ああ、そうだ小説とは虚構による現実(虚構)に対するアプローチであるな。 その間に語り手はいる。 そう考えると物語のように特別な運命のようなものが仕掛けとしてなくても成立しうる。 (日本の近代小説が実は実作において直面していたのはそのための工夫の開発だった のだろう。)
678 :
あ :2008/02/06(水) 18:17:52 ID:imDaTvqM
そもそも内面とは読者と主人公を同一化するためのもう一つの装置だったのではないだろうか。 だからこそ、特別でのなんでもない人間が主人公たりえるようになったのではないか。 登場人物の内面を設定することで人間には(個人には)内面とよぶものがあるという設定を一つのコードに した。(まあ、きちんと近代文学の起源を読めば、こう書いてあったんじゃないか?文庫版でも1100円は 高いよなあ。今更実はそれほど読みたいと思わないしなあ。)
679 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/06(水) 21:00:09 ID:zKdeL94Q
何かを隠すように 多弁です
悪いけど、あほ草くて全部読む気も起きません。 直前の678を見るだけでも、 〜ないだろうか。 〜ではないか。 〜あったんじゃないか。 基地外の妄想はもうお腹いっぱい。 得意技:都合の良いところだけ引用 必殺技:妄言→批判を受ける→連投でごまかす どちらも炸裂しまくってますな。 あほレスは何レスしてもあほレス。 誰もが納得する核心ついた内容を1レスでどーぞ。 ↓
681 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/06(水) 23:16:56 ID:HhtzaNni
また、嘘w >登場人物の内面を設定することで人間には(個人には)内面とよぶものがあるという設定を一つのコードに >した。(まあ、きちんと近代文学の起源を読めば、こう書いてあったんじゃないか?
682 :
ヤマさん :2008/02/06(水) 23:17:55 ID:QAGZ3EJj
>>680 否!
>〜ないだろうか。
>〜ではないか。
>〜あったんじゃないか。
反語として、強い肯定を表していると考えられますが・・・。
683 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/06(水) 23:19:55 ID:HhtzaNni
>大学時代、一万冊読み 年間、ざっと二千五百冊 なら、毎日10冊近く読んだのか 努力した割りに頭が悪いままなのはどうしてなんだ?
684 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/06(水) 23:21:53 ID:HhtzaNni
アホが見る豚のケツぅー って流行った人、手を上げて!
685 :
ヤマさん :2008/02/06(水) 23:25:01 ID:QAGZ3EJj
686 :
あ :2008/02/07(木) 05:50:22 ID:23c/M/BF
信じたくないものは信じないという人間を驕慢といい。 奈落の底のリンボにて自らの奢りと同じだけの石に押しつぶされる 罰に苦しめられます。 儘人、SK2共に根拠を上げず、指摘せず、 (すると、内容を書かなければならないから。) 超越、彼岸、それは無知になることらしい。そんな超越や彼岸はごめん こうむる。 結局さ。それって「あしたのジョー」なんじゃないの? 真っ白に燃え尽きたぜ。 日常に耐えられない弱者を大量生産してはならない。そして耐えられない日常をまた 拡大再生産してはならない。 このために国語(言語)教育はあるんじゃないのかねえ。 ともかく二人とも超越と彼岸からは手を切った方がいい。そうするだけでもうちょっとものを 考えられるようになるんじゃないだろうか。(それはあなたたちの中ではイカサマ機械になり さがっていて、その他の装置の働きを明らかに狂わしていますよ。おそらく革命という機械 も一度はずして組み直した方がよい。) わしは小3で革命は永久革命になると気づいて反共になったし、革命なんて病気であると 断じたので、それいらい革命なんていう人間はとりあえず病気中と思ってます。(実際、そう だし。) ○○を□に変えるとこうなるといえないなんて考えてない証拠です。
朝、早いね。
688 :
あ :2008/02/07(木) 06:01:50 ID:23c/M/BF
>>682 シー。ヤマさん。つっこんじゃだめだよ。
日本語わからないか。(使っているふり。だって日本にいる九官鳥は日本語話すけど日本語使ってないでしょ。)
逃げ出すための理由にしてるんだから。
そっとしてやんなよ。
これは、りんごです。
りんごは食べ物です。
食べ物には栄養があります。
栄養はわたしたちの体をつくったり、運動するための力になったり、病気にかからない力になったりします。
ぐらいからやらないと理解できないんだよ。本当は。
そもそも自分がどうして、そんな勉強をしているのか、自分のテーマがないんだから。
だから一般人で国語教育スレに来る時点で変なんだって。
国語スレならわかる。正しいことばの使い方を求めたりするんだろう。
彼らが実は語りたいのは国語についてではない。社会について、自分の不遇についてだ。
ところが、彼らは社会認識のツールがない。(社会学の本が読めないから、っていうか日本語の社会学の
本はたしかに読めない。で大抵は社会学に関心がある人はとりあえず「ことば」から手をつけるようになる。
ところが「ことば」はそれ自体で学としてなりたつぐらいやっかいなもの。
進路を失って興味だけでふらふらふらついている難破船、幽霊船なんだよ。
大渦に飲み込まれ、船の形はなくなっても、乗組員たる彼らは、まだ船に乗り航海を続けてるのさ。
SK2へ大学生なら10冊なんてへでもあるまい。基本的に多読とは無意識にたたきこむことで、理解しよう
としてはいけないのだよ。(その結果、あるパターンが見えてくる。パターン認識力こそ実は大切な力さ。)
689 :
あ :2008/02/07(木) 06:02:35 ID:23c/M/BF
690 :
あ :2008/02/07(木) 06:06:58 ID:23c/M/BF
儘人もSK2も心理学科に進むべきであった。(将来の道がないって?そんなの今だって二人にはないだろ。) 閉じこもるたまの殻を手にしただけであったな。(こういう大卒がコバ化したネットウヨの温床だったんだよね。結局。) 何者かになることも、何者であることも逃れたものは結局、影を失う。 しっかりとした大地を失う。彼らは踊っているのか?業火に焼かれて苦しんでいるのか? 大勢の人々からは遠すぎて、それは誰もわからない。ともかく、彼らは落ち着きなく飛び跳ねるばかりである。
691 :
あ :2008/02/07(木) 06:11:14 ID:23c/M/BF
あー。そうそう。儘人がいってた。 誰でも納得する説明ね。存在しないから。だってわし日本語で書いてるから日本語の文字が読めない人には説明できないもん。 (誰でもということば一つだって、このような落とし穴があり、そもそもが前提が共有されてなければ説明自体がなりたたない) 少なくても、こういうことを念頭において語るのかどうかだけだよ。 (わしは、具体的に対象をしぼって語ろうとするよ。小学生相手だから幅がすごいからねえ。)
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/07(木) 06:13:08 ID:8/kAUJh4
多弁君から根拠を聞いた奴います?か
国語ってさあ、そういう人たちを惹き付けちゃうところがないか?
694 :
あ :2008/02/07(木) 07:20:09 ID:23c/M/BF
>>692 わしはいる。なぜなら、おまえにこうやって書き込んでいるから。
はい、読んだ。
(もともと聞くのは無理だろ。わしもお前さん<書き込み>のは聞いたことはない。)
うん。こういう人ばっかり来るんだよ。本当に… orz.
ヤマさん。継続スレ立ていらないってば。
学習塾 国語の鉄板ぐらいのスレを あちらに立てりゃいいじゃんか。
695 :
あ :2008/02/07(木) 07:24:56 ID:23c/M/BF
あう。 今気づいたが、もしかして、まだ世の人は根拠=事実だとか思ってるんじゃないか。 根拠とは<客観的 つまり、共有可能な>思いこみでも十分なのだが? つまり、誰がそれで納得するのか?が大事なだけだよ。 デカルトをこのスレでやってきて、根拠=事実っていうレベルで物をいわなきゃならんのも、ちときついなあ。 ううう。 あ、わし多弁でとっととこのスレ潰すつもりなので、それはあきらめるように。
696 :
あ :2008/02/07(木) 07:31:10 ID:23c/M/BF
>>693 そりゃあ、どうして自分のいうことが理解されないかって壁にぶつかるからでしょ。
そもそも自分以外が理解しあってるように見えるっていうのが間違いなんだけどね。
疎外感を「ことば」の問題に還元しちゃったんだね。
その結果、みんなが馬鹿だからだって思いこみになる人々もいるんじゃないかねえ。
本当は自分がみんなと違ったことばを使ってるってだけなのに。
そして、それは よい/わるい とはいえないことなのにね。
他人の真似をするためには変なプライドが邪魔するタイプなんでしょ。
何かを手放さなきゃ、新しい何かは手に入らない。
(当たり前のことなのに、そういうジレンマの手前でくるくる自分の尻尾を追いかけ回すことだけで人生を
過ごしてしまうなんて…)
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/07(木) 11:19:36 ID:8/kAUJh4
誰も聞いてないから 余計に多弁です
698 :
あ :2008/02/07(木) 17:58:24 ID:23c/M/BF
>>697 反応してくれてありがとう。
だから誰も読むばっかりで<聞け>ないってば。
そしてまた多弁で一個レス消費できたよ。
どんどん逝くよ〜!
699 :
あ :2008/02/07(木) 17:59:25 ID:23c/M/BF
訊きたいことがあったら書き込んでねー。 (この訊くの使い方ならわかる。)
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/07(木) 18:49:31 ID:7EngejX1
大学受験のことについて質問させてください。 国語の文法は、現代文の口語文法・文語文法と、古文の古典文法があるんですよね? 本物の力をつけるにはすべて勉強した方が良いですか? どなたかよろしくお願いします。
701 :
ヤマさん :2008/02/07(木) 19:01:19 ID:pd1PKy7f
【教育と研究】その@ 教育と研究の違いについて考察してみる。 最新の研究を教育機関に取り入れる場合、通常、研究機関の附属施設で実験され、 その効果が実証されてから、一般に普及されるものと考える。
702 :
ヤマさん :2008/02/07(木) 19:08:17 ID:pd1PKy7f
>>700 >本物の力をつけるにはすべて勉強した方が良いですか?
方便として、まず、そうして下さい。
しかし、大学では順次、否定されます。
703 :
あ :2008/02/07(木) 19:27:05 ID:23c/M/BF
国文法というのが古典で扱う文法であり、古文は日本語ではありませんので、ぜひ国文法だけは 習得なされた方がいいかもしれません。 ただし古文の場合、作品や文献の数はもうすでに有限ですので、合格だけを考えたら、古文の問題集 (一冊)を何回も馬鹿みたいにやり、解答も問題もおぼえちゃった方がラクです。 そして案外その方が国文法も身についています。
704 :
700 :2008/02/07(木) 19:29:02 ID:7EngejX1
>>702 ありがとうございます。
独学で勉強しているんですが、書店では古典文法の参考書を中心に置いてあり、
口語文法・文語文法の参考書は少なくどれを使えば良いか分かりません。
志望学部はまだ決めておらず、日本語学者になりたいはけではないので軽めの物が良いのですが、
お勧めの参考書などありませんか?
705 :
あ :2008/02/07(木) 19:29:36 ID:23c/M/BF
残念ながら日本には文語の文法も、口語の文法も定番がなく、なくても話せるし困らないからといって 非常に不毛な荒野が広がっております。 学習したくても、実はどの師匠につくかで悩むのが現状です。
706 :
あ :2008/02/07(木) 19:36:56 ID:23c/M/BF
707 :
あ :2008/02/07(木) 19:42:28 ID:23c/M/BF
ここで本の紹介の時間です。
このスレでも解答を出すテクニック(考え方)
と解決する考え方が違うということがわからないで高邁か、そうでないかで批評する人
(でなし)がいたのでこの本を
哲学の誤読 ─入試現代文で哲学する!
入不二 基義 著
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480064011/ わしが再三再四、設問者の意図に答えるのが受験の回答という行為なのだとい
うのがよくわかるようになる本です。
そして一方でわしがテキストについて考えたり、物事を考えたりする際には、
そのような思考法は一切取らない理由もよくわかります。
受験生は読んではいけないかも。
708 :
700 :2008/02/07(木) 19:43:32 ID:7EngejX1
>>703 ありがとうございます。なるほど。今までは国文法は口語文法・文語文法のことだと思っていました。
国文法は古典文法のことだったんですね。古文については日本語とは切り離して考えることにします。
僕は今後の事を考えて論文などを正確に読む力、論文などを書く力が欲しいと思っているんです。
そのために日本語の文法をしっかり勉強したいと考えたんです。
口語文法・文語文法は日本語の文法と考えれば良いですか?
709 :
あ :2008/02/07(木) 19:48:52 ID:23c/M/BF
710 :
あ :2008/02/07(木) 19:59:42 ID:23c/M/BF
>>708 うんとね。その志はとっても立派。えらい。若いのにすばらしい。
でね。逆なのよ。論理的=正しいじゃない。ましてや文法的な正しさ=論文の正しさじゃない。
論理的っていうのは実はあることばの言い換えなんだ。それは…説得できるってこと。説得っていうのは
相手があって初めて可能なことじゃない。
で一番最初に 人間が出会う説得って何かっていうとね。
「反応しろ」ということなの。 ことばのわからない人間のような生き物に、わかるわけのないことばをいっぱい
なげかけて、それを説得してるのね。でも、結局、その説得は成功するわけ。成功しないと、ことばは啓かれないから。
次に説得するのは、「ものには名前がある」ってことなのね。
目の前のものをしめして、わかりもしないことばを繰り返すじゃない。あれ説得なのよ。で、鸚鵡返しで同じようなこと
をいったら喜んじゃったりして(←ここ重要)説得して、そういうことを当たり前にしていくのよ。
それから「関係」ってことになるんだけど、ここら辺から難しくなるの。でこの変で失敗することが多くなるのね。
例えば、子どもって「わたし」という概念が実はわからない。だって鸚鵡返しできないでしょ。
だから一番安易な自分の名前で代替えするわけね。それが身についてはじめて、自分の名前の代わりにわたしという
ことばが使えるということ、そして大抵の場合はわたしといった方がいいらしいことを納得するわけ。
どんな技術をつかっても相手を納得させるって思えば、実は、表現力はつきます。型にたよってばかりだと、同じような
ことしか言えなくなるよ。
説得すべきことがないのに説得するのはとても難しいと思うしね。まずは、言いたいこと、問いたいことをたくさんもつ
こと。そしてそれをどう表現したらよいのかを考え、実際に書いてみること。
711 :
あ :2008/02/07(木) 20:03:42 ID:23c/M/BF
言いたいことより問いたいことをたくさんもった方が本当はよい。 言いたいことなんて大抵、愚痴か経験不足による憤りだったりする。 でも「問い」は不思議なことに経験とはまったく関係なく成立する。 三歳児の問いの中に非常に深い哲学的な契機が含まれていたりする。 もしかしたら、そんな問いの中に自分が取り組むべきテーマが見つかる かもしれないしね。(その上どんな道に進んでも役に立ちます。)
712 :
あ :2008/02/07(木) 20:08:12 ID:23c/M/BF
前身を読んだ高校生のわしが真っ先に思ったことは、 「これは紛れもなく小説だが、これが小説だとしたら、小説って何なのか?」ってこと。でこれって結局、その後テキスト論を読んだり、 記号論を読んだりする契機になっている。 でこの問いを立てることが大事なのであって、答えられるかどうかは置いておいてよい。 実は問題解決能力なんて問題発見能力をつければ自然と身につく力です。 問題を誰にでもわかる形で提示する力を身につければ、身につけようとすればそれだけで素晴らしい力がつきますよ。
713 :
700 :2008/02/07(木) 20:45:34 ID:7EngejX1
>>あさん まだなんとなくですが分かりました。 僕は型に頼り過ぎていたのかもしれません。 すごく勉強になりました。ありがとうございます。
714 :
ヤマさん :2008/02/07(木) 21:00:20 ID:pd1PKy7f
>>713 まず、中学3年の教科書の巻末の文法事項(口語文法)を暗記してから、
高校の(文語文法)を暗記した方が早道です。
つまり、型を身に付けてからの話しです。(受験を意識するならば)
まずは先人が通って来た道を歩んだ方がよろしいでしょう。
715 :
700 :2008/02/07(木) 21:13:51 ID:7EngejX1
>>714 そうですね、まずは型(文法)を勉強してみます。
ありがとうございます。
716 :
700 :2008/02/07(木) 21:24:05 ID:7EngejX1
あれ・・・辞書で国文法を調べたら日本語の文法って載っていました。 質問する前に調べるべきだったんでしょうが・・・ 混乱してきました^^;
717 :
あ :2008/02/07(木) 21:33:28 ID:23c/M/BF
それはわしの勘違いかもしれない。混乱させて申し訳ない。 でも参考書には現代国文法と国文法があるのでとりあえず、現代じゃない方を という意味です。 現代に手を出すといろいろ矛盾が出てきちゃうので、古典の文法はもともと、 かかれているものをどう読むかという読法の要請からでてきたものなので、 形がはっきりしていますから。
718 :
あ :2008/02/07(木) 21:37:20 ID:23c/M/BF
ヤマさん。 今の教科書(中)ってそんなのついてるの?しらなんだ。それは失礼。 でも、助詞と助動詞の違いくらい知っておけば、古文の文法に進めそうな気がするんだけど、 助詞は名詞につく。助動詞は動詞、用言につく。ぐらいだけどさ。 古文の係りだとか現在はなくなってるものもあるので直接じゃだめなもんかねえ? 読み倒して覚えちゃったわしがいうのもなんなんだけどさ。
719 :
700 :2008/02/07(木) 21:38:14 ID:7EngejX1
>>717 なるほど。読法の要請という点では外国語と同じですね。
ありがとうございます。
720 :
あ :2008/02/07(木) 21:42:17 ID:23c/M/BF
721 :
700 :2008/02/07(木) 22:07:46 ID:7EngejX1
>>720 参考にしてみます。
みなさんありがとうございました。
722 :
ヤマさん :2008/02/07(木) 23:16:37 ID:pd1PKy7f
>>721 中学の口語文法を暗記しておかないと文語文法はむずかしいですよ。
逆に言えば、中学までの口語文法が頭に入っていたら、文語文法は、
簡単に覚えられます。
(例)仮定形(口語文法)⇒已然形(文語文法)と置き換え
未然形+ば⇒(仮定・未来)
已然形+ば⇒(確定・過去)
花 咲か(未然形) ば、(花が咲いたならば、)
花 咲け(已然形) ば、(花が咲いたので、)
と、高校で一番最初に教わったはずです。
ですから、まず、(中学文法からです。)
723 :
あ :2008/02/07(木) 23:21:24 ID:23c/M/BF
724 :
あ :2008/02/07(木) 23:23:52 ID:23c/M/BF
そういう意味でも現代文法をやりすぎない方が簡単じゃないでしょうか?
725 :
ヤマさん :2008/02/07(木) 23:26:12 ID:pd1PKy7f
>>718 前からでしょww。!。
小学生でも知ってる。(教えないの?小学校で、文法を?)
それじゃ、中学になってから困るだろうね。
726 :
あ :2008/02/07(木) 23:26:28 ID:23c/M/BF
花はまだ咲いていない 花はもう咲いているのに は大きな違いなのに 「ば」一つじゃさすがに問題じゃないですかね。だから古文の方が文法は覚えやすいですよ。
727 :
ヤマさん :2008/02/07(木) 23:31:09 ID:pd1PKy7f
>>724 だから、覚えてからの話しです。ww。!。
受験文法と現代文法は、とりあえず、切り離して考えてください。!。
728 :
あ :2008/02/07(木) 23:32:50 ID:23c/M/BF
小学校の用言変化は さく。(語尾がう音で終わる) もとの形(将来的には終止型) さーか ない(うちけしの形) さーき ます。(これからの形) さーけ ば(もしの形) さーけ (めいれいの形) でアスペクトの意味を優先させて変化を教えてるはずです。 それを文の変形で使い回しと一緒に用語としての未然とか已然とかは確かに中学で教えていますが、 それも古文をやるからで現代文では、あまり使わない方がいいと思います。
729 :
あ :2008/02/07(木) 23:35:02 ID:23c/M/BF
わざわざ置き換えるために覚えるんですか?? それって変じゃありません?別に現代文読解に文法は出てこないでしょ? それはちょっと説得力ないような気がします。 古文の用言変化で、教えられるじゃないですか。
730 :
ヤマさん :2008/02/07(木) 23:36:58 ID:pd1PKy7f
>>726 動詞の活用を、いきなり古文で始める?
そんな、あほな。
口語で始めた方が分り易いに決まってるでしょ。!。
現代人がいきなり平安時代にいけるわけがない。!。
731 :
ヤマさん :2008/02/07(木) 23:40:32 ID:pd1PKy7f
>>729 中学で教わるんです。(当然試験にででる。)
ものごとには、順序があります。
732 :
ヤマさん :2008/02/07(木) 23:45:54 ID:pd1PKy7f
(注) 口語⇒現代語(現国) 文語⇒古文 の意味で使ってます。 口語⇒話し言葉 文語⇒書き言葉 の意味で、今は、使ってはいません。
733 :
ヤマさん :2008/02/07(木) 23:49:56 ID:pd1PKy7f
734 :
あ :2008/02/07(木) 23:50:09 ID:23c/M/BF
え?どうして? 古語の文法は現代語で説明されてますよね。 そもそも古文が書かれた時代に文法なんて形式はありませんから。 日本の文法の大本は古文研究でしょ? それを無理矢理英語型に変えたもんだからいろんな無理が生じてるわけですから。 すなおに古文の文法を扱ってもいいんじゃないですかねえ。 品詞くらいを現代文でやれば十分な気がします。さすがにそれは知らないと用語が使えませんからね。 補足) さーく 花(名詞についてくわしくする形)が抜けてました。
735 :
あ :2008/02/07(木) 23:51:55 ID:23c/M/BF
小学校は ときを使わないです。 もの ですね。 走るもの 言うもの とぶもの ときだと名詞よりも広い意味が出てくるみたいで連体は「とき」をつかいません。
736 :
あ :2008/02/07(木) 23:53:28 ID:23c/M/BF
試行錯誤の結果だと思いますが、結局、対象の言語経験、理解力に影響されることなので そんな変化が生じてるのだと思います。
737 :
ヤマさん :2008/02/07(木) 23:59:05 ID:pd1PKy7f
>>734 高校で、動詞の活用の種類を教わるとき、
口語の(五段活用)が文語では(四段活用・ナ変・ラ変・下一)に分かれる
って説明されませんでした?
これは、口語文法(中学文法)を知っていることを前提に教えることができ
るということですよ。
738 :
ヤマさん :2008/02/08(金) 00:00:43 ID:pd1PKy7f
739 :
700 :2008/02/08(金) 00:02:45 ID:7EngejX1
>>ヤマさん 明治文語文は古文ですか?
740 :
ヤマさん :2008/02/08(金) 00:02:56 ID:pd1PKy7f
>>736 その変化が覚えるときに、役に立つんでしょ。?。
741 :
ヤマさん :2008/02/08(金) 00:04:46 ID:pd1PKy7f
>>739 古文です。
擬古文ともいいます。(樋口一葉などがそれです。)
742 :
あ :2008/02/08(金) 00:06:30 ID:c3W8uQJm
よくは覚えてないですが、 こういうもんだというように教わったような気がします。 その上で中学校のときの知識とは別個にしまいこんだ気がしますが? 問題は、でその活用をする動詞がなんなのかってことだったはずです。 特例こそ覚えなきゃならないんだってことでしたよ。用語なんて本に貼り付ける 付箋にすぎませんでしたね。 下一なんて蹴るだけですからね。返って口語で覚えてるとめんどくさいじゃないですか。 あ、もしかして口語の下一が文語の下二なるって…忘れてます? そういうことも含めて混乱のもとですよ。
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/08(金) 00:06:59 ID:xmDoN8rq
嘘やシッタカで多弁です
744 :
あ :2008/02/08(金) 00:09:35 ID:c3W8uQJm
上一が文語では上二上一に分かれたりしますよね。 はたして口語文法を詳しく知れば知るほど混乱するんじゃないですか?
745 :
ヤマさん :2008/02/08(金) 00:15:07 ID:3sENDXLY
>>744 じゃ、中学で口語文法教えるなってこと?
746 :
700 :2008/02/08(金) 00:19:12 ID:L2FAEuzE
>>ヤマさん 口語(口語文)=現代文=今使われている日本語 文語(文語文)=古文・擬古文(明治文語文) 口語文法=国文法=日本語文法 文語文法=古文文法=古典文法 という理解で良いんでしょうか?
747 :
あ :2008/02/08(金) 00:21:53 ID:c3W8uQJm
ううん。そうじゃない。 あんまり、 口語文法から無理矢理文語文法へもっていくっていう方法はおすすめじゃないってこと。 あっさりと 活用するとかしないとか、まあ考え方は違わないが、扱うことばが違うからちょっとルールは 違うので、そういうもんだと思ってください。 ぐらいの枕で文語文法をやればいいんじゃないかな。 活用の仕方は教えるけど、それにこだわって、無理して文語までひきずらない法がいいんじゃないかなあ。 ○○につながる形を△といい□という意味合いを持つって言い方になれておけばいいんじゃない。
748 :
ヤマさん :2008/02/08(金) 00:24:13 ID:3sENDXLY
>>746 >口語文法=国文法=日本語文法
ここは、国文法の解釈で異なりそうです。
国文法と言ってしまうと現国も古文も入りそうですね。
749 :
あ :2008/02/08(金) 00:26:47 ID:c3W8uQJm
口語はこうだが文語はこうだみたいな比較表で勉強しなきゃならんみたいで 覚えることが二倍になってるでしょ。それ。しかも、一方は古文の解釈には一切使わない。 その上現代文の解釈にも一切使わないんですよ。深くやればやるだけ損ってことですよ。 あっさりとポイントを押さえ用語、考え方に慣れるぐらいでOKじゃないですかねえ。 アスペクトがどのように文に反映しているのかなんてテーマで勉強できればいいけどねえ。
750 :
ヤマさん :2008/02/08(金) 00:28:38 ID:3sENDXLY
>>747 それでも、いいと思いますよ。
遣り方わからんけど・・・。
751 :
あ :2008/02/08(金) 00:30:12 ID:c3W8uQJm
VOICEやTENCEによる効果についてだとかならねえ。 まだしもねえ。 ただそんだけっていうんじゃねえ。さらあっと基本形だけ押さえればいいすよ。
752 :
あ :2008/02/08(金) 00:32:48 ID:c3W8uQJm
753 :
ヤマさん :2008/02/08(金) 00:35:11 ID:3sENDXLY
>>749 >アスペクト
について知りたいので、次スレ立てておいて下さいね。
あれ?頼む相手を間違えたか!!!。
今日は、もう、帰ります。また、・・・・。
754 :
700 :2008/02/08(金) 00:47:46 ID:L2FAEuzE
>>ヤマさん 国文法は全体を指す解釈が一般的なんですね。なるほど。 高校の先生は口語文法と文語文法は間違えやすいから、 今は口語文法は忘れて文語文法だけやれば良いと言っていました。 (この先生は現代文の授業をあまりしませんでした・・・) 大学に合格するだけならそれでも良いかもしれませんが、 僕はやはり土台を大切にしたいので、両方やろうと思います。
755 :
あ :2008/02/08(金) 07:05:29 ID:c3W8uQJm
アスペクト(相)動詞の表すものごとの完成度 降っていた。降っている。(終わっていないから非完結)降った(終わっているから完結)進行相・結果相 起動相・終結相がある。 ヴォイス(態)動詞に表現されている出来事をどの視点に立って見るかを区別する形式を指す。能動態 受動態 使役態など テンス(時制) そんなに難しいものじゃないですよ。
756 :
あ :2008/02/08(金) 07:15:16 ID:c3W8uQJm
これらはT-C関係で文を考えるときには必須の概念なんですよ。 T-Cっていうのはtopic(主題) comment(コメント)のつながりとして文を見るって考え方で 何について、何かを述べるのが文だ。という文概念によって文を見るんです。 S−Pは主語述語でしょ。日本語の場合はT-Cの方がさばけて例外が少なくてすむんです。 例の 「ぼくはうなぎだ」はコメントしかない文なんですよ。この中に主語を見つけようとするのは間違いとなります。 注文という話題なのか、自分の生物学的分類についての話題なのかがはっきりしませんから。
757 :
あ :2008/02/08(金) 07:18:01 ID:c3W8uQJm
それにスレを立てるなら新スレ体で受験物を立ててくださいな。 儘人のためにも、SK2のためにもそれがいいと思いますよ。 そのスレを立てたらここから誘導を立てればいいじゃないですか。 管理人でないにしても、スレのルールはきちんとしておいた方が いいでしょう。2CHにもスレルールを1に書き込むスレはたくさん ありますよ。
758 :
あ :2008/02/08(金) 07:27:07 ID:c3W8uQJm
粘って自分の考えを述べるヤマさんが見られてわしはちょっと安心したよ。 いじられて、嫌でもエヘエヘ笑ってるだけなら心配だったから。 ただ今回は、絶対、口語文法が基礎、文語文法が建物みたいな見方に凝り固まっていた っていうだけで、その負担が度外視されていたと思う。 別に間違いではないけど、間違いを誘発しそうだからわしはそれを避けるっていうだけ。 時間も倍かかりそうだし。 古文では…で済むことを、現代文では…でも古文では…みたいな説明が繰り返される わけでしょ。小学生並な生徒はもうお手上げです。 生徒は「どうしたらいいのか」「何が正解か」を知りに来ていることを忘れちゃいけないと思う んです。古文は読み方がわからないで困ってるんですから。 なぜ傍線ィの動詞は何形変化何形かみたいな問題が国語の問題なのか(これ古文やるまでは 問題にならない問題なんです。)それが一番の壁のはずです。 生徒にとっての壁を乗り越えるために「はしご」を差し出してやってくださいな。
759 :
あ :2008/02/08(金) 07:31:16 ID:c3W8uQJm
口語 文法の問題なんかも 次の動詞をそれぞれの形に活用せよ。活用語尾も書くこと。 傍線アの動詞は何形か。その理由も活用語尾を使って書け。 ぐらいでいいんですよ。それで十分。ちなみに口語では已然形は 今は使わなくて仮定形というそうですね。文語とごっちゃになるからね。 そうすれば古文へいってから、これ文法の問題かと納得する子も多く なるし、文法を勉強しないとできないということも理解できるはずですよね。
760 :
あ :2008/02/08(金) 07:33:41 ID:c3W8uQJm
わしは基本できない子にどう納得させできるようにするかってテーマで物を考えるようにしているので そうなるのかもしれません。 できる子をもっとのばすなんていうことは、おまえら考えろで済むと思ってるんでしょう。 (じゃなきゃ、わしはその子をできるなんて思わないですしね。) 考える問題を与えておくか考えるべき問題を立てろというかでそんな子は十分なんです。
761 :
ヤマさん :2008/02/08(金) 17:03:04 ID:3wnjGI/u
僕は、ここを自分の淋しさからの脱却と捉えています。 その上で、「対立を乗り越える」というテーマを課していて、 それが、世界宗教(科学、哲学に裏打ちされた)を覗き見する 糸口になればと夢想しているのです。 スレの件考えてみます。(そんな時期かも知れないですから。)
762 :
あ :2008/02/08(金) 18:00:38 ID:c3W8uQJm
儘人もSK2も自ら檻を作ることもあるまい。 これで、国語教育スレもやっと墓場に入るならそれはそれでよいことである。 10からつきあってまさに不毛の大地であった。 そうすれば、わしも「あ」とよばれることから卒業しよう。 またどこかの不心得ものがスレを立ち上げたとしたらそれはまさにTVショー をみたいのだろうが…。 つぎは、エチカの説明がただ流れするだけであろうことを予告しておく。 わしのエチカの解説を読みたいなんて人はいないはずなのでそんな愚挙を しないように。 対立を認めないということは対立を認めるということと対立するので、結局 は対立を乗り越えるということは対立が前提なのだ。 それが世界宗教になると考えるのはヤマさんの勝手だが、世界宗教を わたしは欲しない。 宗教によっては何ものも救われない。一万年の人類史が証明してくれてい る。
763 :
あ :2008/02/08(金) 18:08:17 ID:c3W8uQJm
咳をしても一人。 この句で寂しさなんて十分です。 ほら寂しさなんて万有引力と同じくらいどこにでもあるものなんです。 (虫歯は誰でも体験するけど、痛みは私だけのものだみたいな話ですな。)
764 :
ヤマさん :2008/02/08(金) 19:55:25 ID:Ff+cK48w
結局、また、対立の間に落ち込んだままか・・・。
765 :
ヤマさん :2008/02/08(金) 19:57:15 ID:Ff+cK48w
しかし、知らないことを知りたいし・・・。
766 :
ヤマさん :2008/02/08(金) 19:59:13 ID:Ff+cK48w
ここでなきゃ、会えそうもない人もいそうだし・・・。
767 :
ヤマさん :2008/02/08(金) 20:00:18 ID:Ff+cK48w
ふ〜む・・・。
768 :
ヤマさん :2008/02/08(金) 20:02:44 ID:Ff+cK48w
困ったな・・・。
769 :
ヤマさん :2008/02/08(金) 20:03:32 ID:Ff+cK48w
一人静か。
770 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 00:33:03 ID:Xjqb8AGN
>アスペクト おそらく英語板へ追っかけてきて知った程度だろう。所詮、素人w >VOICEやTENCEによる効果 TENSE、TEN「S」E ま、これも同様。クルクルパー なんなら、英語板か言語学板で議論しようか、白痴君w
771 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 00:36:01 ID:Xjqb8AGN
ヤマさんも骨折を加持祈祷で治そうとしたらダメだよw 餅は餅屋、いろんな意味で
772 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 00:42:01 ID:Xjqb8AGN
>儘人もSK2も自ら檻を作ることもあるまい。 >これで、国語教育スレもやっと墓場に入るならそれはそれでよいことである。 >10からつきあってまさに不毛の大地であった。 全国一位を取って、一万冊を読んでこれかw >それが世界宗教になると考えるのはヤマさんの勝手だが、世界宗教を >わたしは欲しない。 >宗教によっては何ものも救われない。一万年の人類史が証明してくれてい >る。 世界宗教は、そういう宗教じゃーないからそう呼ばれるのねw 分からんかったら使わないようにしよう。 ほいほいパクルからこうなるっていう典型w
773 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 00:48:44 ID:Xjqb8AGN
忘れてた >VOICEやTENCEによる効果 この「効果」って何よ。まるでわかっとらんやないかw ほいほいパクルのはあかんよ。
774 :
あ :2008/02/09(土) 05:04:51 ID:FSAfYowz
SK2くんは、まったくもって、居場所のない男だのう。 しかたないがな。彼は主題優先言語にはなじまない人間なのだからなあ。 だから日本語が主語優先言語になるようにしたいのだろう。 彼がいう論理とはそれぐらいのことである。 現代文における アスペクト、テンス、ボイスを変形させることによって、 決定された文の意味がより一層はっきり理解できるってことだよ。 高校生に文法研究をしろといってるわけじゃない。 現代文の中で文法を解釈に役立てるにはという「話題」が読めないんだよね。 SK2くんには、そういう病気だから。そういう病気ならそういう病気だと公言すれば みんな気を遣ってキミにあった話し方をする。空気が読めない病気というものが 本当に存在する以上、そういう病気をもっている人間がいる席で空気を読まなければ 成立しない会話や相談をすることは無意味である。 しかし、SK2くんはそれをずっと否定しているから、わしに日本語が読めない。 猫語ではそういうらしいといわれつづけているのだ。 その上で一度でいいから病院へ行けと。(本当に病名がつくとラクになるんだって。) 自分でも社会のせいでもなく病気のせいだからね。
775 :
あ :2008/02/09(土) 05:06:43 ID:FSAfYowz
金田一には名著といわれる 日本語のアスペクトとよばれる著作がある。
776 :
あ :2008/02/09(土) 05:08:29 ID:FSAfYowz
失礼 日本語<動詞>のアスペクトであった。
777 :
あ :2008/02/09(土) 05:16:25 ID:FSAfYowz
英語の過去完了がうまく日本語では表現できないのはこのアスペクトとテンスの組み合わせで 表現できない事態があるから。 むかしはしたものだ。(今はそうではない。) むかしから してきた。(今でもそうである。) ぐらいしか幅がない。 だからジェーンは子どもの頃からテニスをしている。のような言い方で固くならないように日本語に置き換える ことをせざるおえない。
778 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 10:37:50 ID:Xjqb8AGN
誤魔化さんでもいい。 >現代文における アスペクト、テンス、ボイスを変形させることによって、 >決定された文の意味がより一層はっきり理解できるってことだよ。 変形??? 何をどう変形させるのか、さっぱり分からん。 例えば態を変化させるって能動態から受動態に変換する作業を言ってるのか? それとも西洋語におけるそれらの文法論を日本語に適用できるように変えることを 言ってるのか。 後者なら具体的にどのような変形なのか、そこがさっぱり分からん。 分かる日本語で頼むわ。 どひゃー、転嫁、乙 >しかたないがな。彼は主題優先言語にはなじまない人間なのだからなあ。 >だから日本語が主語優先言語になるようにしたいのだろう。 >彼がいう論理とはそれぐらいのことである。 主語をはっきりさせろと繰り返していたのはお前。 主語と主題を混同していたのもお前。 「視線」なんて使えず目線を使い、しかも語り自体を混同していたのもお前。 こっちが整理してやったから分かっただけだろ? コピしたろうか?w
779 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 10:48:04 ID:Xjqb8AGN
>>777 またまた、さっぱり分からんことを口走る。
>英語の過去完了がうまく日本語では表現できない
続く例から、過去完了ではなく現在完了のことを言いたいのかと判断する。
過去完了と現在完了は tense が全く異なるから混同する理由が
分からんよ。
>できないのはこのアスペクトとテンスの組み合わせで
>表現できない事態があるから。
よく分からんことを言うなあ。
組み合わせ以前に、時制でも相でも日英で一対一に対応していない。
すなわち、パーツが異なるっていうことなんだけど。
英語白痴、文法パー、日本語不自由では何を言いたいか説明してやらんと
どうにもならんじゃーないか。
>むかしはしたものだ。(今はそうではない。) ・・・@
>むかしから してきた。(今でもそうである。) ・・・A
>ぐらいしか幅がない。
この@とAの対比で何を言おうとしているのか、さっぱり分からん。
ちなみに英語で言ったらどうなるか、わかっとるのか?
幅ってw
まるで関係ないことに幅がどう関係するのよ、トホホ
>のような言い方で固くならないように日本語に置き換えることをせざるおえない。
ここで初めて英語からの翻訳の問題を扱っていることに気づく。
もとの英語を示して説明して欲しい。何を言いたいのか、さっぱり分からんから。
というか、無茶苦茶やから
780 :
あ :2008/02/09(土) 10:53:50 ID:FSAfYowz
いやいや。 主語をはっきりさせて語ってほしいのは>SK2くんの書き込みだよ。 キミに整理力なんて期待してないから、そんな無駄な労力を使うぐらいだったら、 一円でもいいから稼ぎ給え。 シャベル 稼ぎに追いつく貧乏なし つるはし 同感! ってなことでな。 わからなければ質問すれば答えるが、質問でもないようなので答えないよ。 でも、まあ少しだけ。 ごんぎつねにおいては 鉄砲で撃った。 鉄砲で撃たれた。は態が違う。この態の違う文をあそこにはめ込むとあの場面の意味が変わってくる。 じゃあ何が変わったのか。変わらなかったものはなんなのか? ありえた表現と決定された表現の差異からみえるものもまたある。 (まあそんな話だね。)
781 :
あ :2008/02/09(土) 11:01:46 ID:FSAfYowz
ご指摘ありがとう。 そうだねそれは現在完了だったな。 いや、単なる思い違い。 かつて日本には10年間いたことがある。みたいな どう考えてもそりゃ日本語じゃねえだろ。表現がさくって出てこなかったよ。 Aの事態を述べるのにAしかいいようがないというのは不便だなあ。ぐらいですよ。 @とAは特に関係がない。現在完了形の意味のことなる和訳につて愚痴ってるだけ。 で…何がどうしたっていうの? 英語でいう完了形がなぜか日本語ではこなれない。 なんだかもったりした表現になってしまう。これってどうしてなんだろうなあ。きちんと日本語の アスペクトにだって完了をしめすものはあるのに。 この辺は、実作する人々の格闘に頼みたいところである。 きっとうまい言い方があるんじゃないかなあ。 意味はわかるけどね。意味だけじゃないからね。ことばってのは。
782 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 11:03:07 ID:Xjqb8AGN
またまた誤魔化して終わるのか。 ヤマさんや半さんは正気で付き合ってるのか、そこが知りたい。
783 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 11:05:23 ID:Xjqb8AGN
>じゃあ何が変わったのか。変わらなかったものはなんなのか? 何でしょうか???? >ありえた表現と決定された表現の差異からみえるものもまたある。 何が見えるんでしょうか。 誤魔化さないで
784 :
あ :2008/02/09(土) 11:12:00 ID:FSAfYowz
あーわしは最近までキミには正気でつきあっていたよ。 うん、真面目にね。 でも今は、あきらめた。 どこでどうやって野垂れ死のうが、高等遊民で愚にも つかぬことを啓蒙とのたまって自己欺瞞の泥沼にはまり こもうと…知ったことではない。 キミが単に輸入業者であり、何も本当は研究もしていないこと。 社会に関する知識教養がことごとくウスーイこと。 最後は彼岸で革命なこと。 具体的な処方箋を作成するような能力はないこと。 そんなことが明らかになった。 なあ いい大人が何やってんの?
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/09(土) 11:13:27 ID:wJVdArcC
間違いだらけで 多弁 です
786 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 11:14:31 ID:Xjqb8AGN
>そうだねそれは現在完了だったな。 >いや、単なる思い違い。 違うだろw ten「c」eって言ってるから、肝心なところを間違えるんだ。 クルクルパーやないか。 > かつて日本には10年間いたことがある。みたいな >どう考えてもそりゃ日本語じゃねえだろ。 そうか?w で、何が言いたい。 >現在完了形の意味のことなる和訳につて愚痴ってるだけ。 @は現在完了とは無関係なんだけど。 で、どうして英語を出さずに話せるんだ??英語白痴がこれ以上こぼれるのは 困るんだろうけど、もとの英語を出さずにむにゃむにゃしてもサッパリ分からん。 分からんことは触れんようにしたらすむっていう話なわけだけど。 >きちんと日本語の >アスペクトにだって完了をしめすものはあるのに。 ほほー、そうか。だったら、それで翻訳すればいいわけだ。 上手な日本語にしておくんなさい。 それとなー、翻訳論に関するトンチンカンにはなっているけど、読解とは関係 あるように思えんがね。何でもパッパラ言えばいいというもんじゃあないぞ。
787 :
あ :2008/02/09(土) 11:14:52 ID:FSAfYowz
>>783 分からないなら分からなくたっていい。 うん。 いいんだよ。 別に、今それをキミがわかったからといって、 時間は巻き戻らない。キミはもう学生ではない。 何かをして他人様からその代価をもらいなんとか 生きていかねばならない社会人だ。 わしのように国語を教えなきゃならなん人間じゃない んだから、キミが本来行くべきところへ行きたまえ。
788 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 11:18:31 ID:Xjqb8AGN
>>784 恥ずかしくないか?
自分の言ってることが無茶苦茶で破綻してることが明らかになった。
そういうときには必ず、無関係で的外れなことを言って憂さ晴らしする。
アスペクトやテンスを持ち出してシッタカを繰り返したのはお前だろ?
こっちは仕方なしに付き合ってるんだけど。馬鹿に合わせるのはそれなりの
苦労があるんだぞ。
>いい大人が何やってんの?
>いい大人が何やってんの?
>いい大人が何やってんの?
>いい大人が何やってんの?
789 :
あ :2008/02/09(土) 11:19:05 ID:FSAfYowz
日本語の完了は してしまった。でこれを多用することはできないんだよ。 しおわる。などもあるんだろうが…。 名詞の動詞化で代用することも多いな。 完了した。完成した。完食した。 まあどうでもよいことかもしれないけどね。 さあばりばり多弁で、消費しちゃうぞ。
790 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 11:20:29 ID:Xjqb8AGN
>>787 やっぱり誤魔化しだけか・・・
エエカッコしたいからってシッタカばっかするからこうなる。
恥ずかしくないのか、ホントそこが分からんよ。
791 :
あ :2008/02/09(土) 11:21:18 ID:FSAfYowz
え、わからない。キミの相手をしてやってるじゃん。 ボランティアだよ。偉いなあわし。 わし、偉い。 わし、偉い。 わし、偉い。(このギャグがわかる人間は 相当、年だしなあ。) わしにとっては職業病だからね。別に仕方ないわな。 病気。病気。 ま、気にしなさんな。
792 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 11:25:30 ID:Xjqb8AGN
>日本語の完了は >してしまった。でこれを多用することはできないんだよ。 >しおわる。などもあるんだろうが…。 クルクルパーw まずは勉強してからお喋りした方がいい。
793 :
あ :2008/02/09(土) 11:26:41 ID:FSAfYowz
一番わしが最初から言ってるように SK2くんが 国語教育について どのような立場から関わっているのかが見えない。 それが見えないから、反応しているにすぎないように見える。 わし? わしは実践者だから基本的に「授業」がその中心になければ国語教育」を語ったことにはならないと思っている。 国語が教育される現場意外に国語教育なんか存在するのだろうか? それは嫌いなんだそうだ。SK2くんは。理由「一般の人が参加できない」 違うだろ。 おまえが参加できないからだよね。 化けの皮がはがれるのが嫌なんだよね。 日本語についてなら言語板でやればいいのだ。
794 :
あ :2008/02/09(土) 11:30:08 ID:FSAfYowz
した。 だと完了なのかどうかは文脈に依存しちゃうだろ。(それでも敢えて完了にするという手もあるだろうけど) 子どもの「そうじした」は「ほうきを振り回した」のと同じみたいなもんだな。 日本語の「した。」はそれだけでは意味を確定するのは難しいほど広範囲な概念をカバーしてるんだよね。
795 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 11:31:30 ID:Xjqb8AGN
白痴を指摘すると必ずこのように誤魔化す。 知ってることだけ言えばいいんだが、エエカッコしたいから何でも偉そうに言う。 だが、常にシッタカw
796 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 11:32:33 ID:Xjqb8AGN
>した。 パーやのう。 確かめてから言いなおしても今なら間に合う。
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/09(土) 11:35:21 ID:wJVdArcC
ごまかしても 多弁 です
798 :
あ :2008/02/09(土) 11:35:32 ID:FSAfYowz
古文なら簡単だったんだがね。 タリ 一発で完了だからね。 明治になってからの文体でなぜ、完了のアスペクトが開発されなかったのか それは、わしにはわからんなあ。 あと内容がない書き込みはそろそろやめないかねえ。 内容のないことに返すっていうのは繰り返し同じことを書き込みそうに なるのでね。
799 :
あ :2008/02/09(土) 11:39:22 ID:FSAfYowz
わらべは見たーり。 ああ、そうか文語体がまだ生きていたからか。 (それが間違いであっても深く追求する気はない。単なる思いつきだもん。) この「見たり」は…今のことばで普通にいえるのだろうか。 見たじゃないんだよね。もちろん、見てしまったわけでもない。 ことば職人の知恵を借りたいところだな。 あーSK2くんは無理しなくていいから。見たりよりも長く、かつ、もたっとした 表現になるのがやる前からわかるから。
800 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 11:41:15 ID:Xjqb8AGN
>完了のアスペクトが開発 何を言うとんじゃ、この馬鹿は。そういう問題じゃーねーだろ。 西洋語の文法に合わせて日本語を作り変えろっていう主張をしてどうするんだよ、全く。 >古文なら簡単だったんだがね。 >タリ 一発で完了だからね。 お前なあ、それを持ち出して、「してしまった」「した」だからトンチンカンなんだよ。 「た」だろ 「 た 」! 「した」にこだわるから「掃除した」とかそんなことにこだわる。 中学では対照言語学(比較言語学ではない!)の手法を意識して 「お腹がすいた」 I am hungry. このあたりから攻めるのは生徒の知的好奇心も喚起できてなかなか面白い展開になる。 もうちょっと教えて欲しいか?w
801 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 11:44:07 ID:Xjqb8AGN
「た」が二義的(多義的)だという問題。 この問題は「これ、あれ、それ」と「this, that, it」の問題に重なる。 ちなみに「それ」は that ですからね。
802 :
あ :2008/02/09(土) 11:45:21 ID:FSAfYowz
やっぱり、その程度か…。 野バラの歌詞の 「見たり」を安易に「見た」にするセンスの持ち主とは語れないね。 アホやろあんた。 これは野に咲くバラであるからこそ、見たりであって、それまで この子がバラを見たことがないわけではない。 まあ全詩を載せといてあげよう。 童は見たり 野なかのばら 清らに咲ける その色愛でつ あかず眺むる 紅におう 野なかのばら 手折りて行かん 野なかのばら 手折れば手折れ 思い出ぐさに 君を刺さん 紅におう 野なかのばら 童は折りぬ 野なかのばら 手折りてあわれ 清らの色香 永久にあせぬ紅におう 野なかのばら
803 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 11:47:00 ID:Xjqb8AGN
それとな、完了だから現在完了となる頭も困ったものなんだよなあ。 Dinner is ready. 「ごはんができたよー」 もう少し謙虚なら、いろいろ教えてやるのにw
804 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 11:47:40 ID:Xjqb8AGN
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/09(土) 11:48:23 ID:wJVdArcC
ゴメンと言えず 多弁 です
806 :
あ :2008/02/09(土) 11:49:12 ID:FSAfYowz
発見、出会いというニュアンスを「見たり」で表現できた日本語が どういうわけだか、なんだかもったりしているところがいっぱい出てきたのはなぜかなあという思いは ある。(でも、そんなこと国語教育とは直接関係ないがね。) 童は見たりを 子どもは見た。 や 子どもは見つけた。 に置き換えて「たり」を表現しえたというセンスはやっぱり、わしは教養がないと思うよ。
807 :
あ :2008/02/09(土) 12:03:28 ID:FSAfYowz
できた。 終止ができる。(?)(これまたあいまいである。終止ができる。なのはおかしい。これではアスペクトでは完了していない) できーない できれーば できれ(?) おや?と思ったあなた、 ええこの動詞はでく。です。できるではない。つまり でくの連体形 できるから生まれたことばなのですね。 ですから上一変化をします。 そしてこれも しうる。と できた。の二つの動詞が隠れていそうですな。 だから、これ ごはんができた。 のできたはもともと完了を表す動詞って落ちでしょ。教養がないなあ。し終えるの終えるみたいなものですな。
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/09(土) 12:07:43 ID:SAujBNZ1
809 :
あ :2008/02/09(土) 12:10:39 ID:FSAfYowz
で・き ない で・き ます で・きる こと で・きる で・きれ ば で・きよ と活用しますよ。これ。
810 :
あ :2008/02/09(土) 12:13:34 ID:FSAfYowz
ああ間違った。終止は文末に来るという意味であって完了とは別であった申し訳ない。
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/09(土) 12:22:16 ID:wJVdArcC
多動で 多弁です
812 :
あ :2008/02/09(土) 12:43:23 ID:FSAfYowz
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/09(土) 12:47:21 ID:wJVdArcC
何かをごまかしたいときの 多弁 です
814 :
あ :2008/02/09(土) 13:02:46 ID:FSAfYowz
>>813 それも…うらやましいでしょ。
もぐもぐもぐ。あ…それ RON!
ハネ満
815 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/09(土) 14:15:46 ID:wJVdArcC
授業も壊れているのかと心配になる 多弁 です
816 :
あ :2008/02/09(土) 19:51:56 ID:FSAfYowz
>>815 いやあ、それほどでも〜。
オラって そんなに ミリョク的?
817 :
半さん :2008/02/09(土) 20:01:55 ID:aq2cktoQ
>>782 ま、いっかw
って想いで読んでますよ
スレ埋め立てるのがあさんの大義名分のようですが
この調子じゃぁ「18」も考えないとねw
まるで流さんの日本国憲法存在証明みたい
818 :
あ :2008/02/09(土) 20:10:37 ID:FSAfYowz
>>817 マジで?立てなくたっていいよ。別スレタイで明確な目的のために立てなよ。
意味ないよ。
サナトリウムにもならない隔離病棟を永遠に拡張してもしかたないでしょ。
受験指導に特化しちゃったスレを立てなさいよ。
健康的だし、有効か有効じゃないかって基準がはっきりしてるでしょ。
例題の作成とかも共同でできるじゃない。
SK2や儘人なんか、殺したって死ぬもんか。
それならとっくに首をつってるよ。気にしなさんな。
目的はこれってスレを立てることを提案します。
こんな広範囲で何でもありみたいなスレじゃなくてね。
立てたらエチカの講義で一気に1000いきますからね。
819 :
半さん :2008/02/09(土) 20:36:26 ID:aq2cktoQ
>>818 別にエチカでもデカちゃんでもいますぐ
あさんの好きなのをカキコすれば
いいじゃないですかw
私は特に明確な目的ないんで雑談の中から
自分なりの実生活上のヒントが閃けばそれで満足しとります
例の
明証→分析→総合→吟味ってやつはインプットしましたしねw
ここをサナトリウムにする気はないですが
「一服の清涼剤」にはなってるでしょうw
「国語教育」に関しては
自分の一人の意思では絶対首をつっこまない領域なんで
読むだけでも「そう言われてみれば」って想いはあるんですよ
(あんまり変節してないですがw)
820 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/09(土) 23:55:18 ID:Xjqb8AGN
>>817 次は戻しましょう。新しい人が来ないので刺激がありません。
821 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/10(日) 01:24:48 ID:aeiJUZNa
あへ
>>246 の引用文は吉田茂の文文章ではない。
あは何度も、この文を吉田茂の文と勘違いをしてレスをしている。
流氏があに全く反応をしない理由が今解った。
彼は、どうやら法律の専門家。生半可はネット的「知識」には初めから相手にしなかったのだ。
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/10(日) 01:31:49 ID:JTM6soly
「他の板でも経験済みだが、子供達に憲法を教える小中高の学校の先生でさえ、 「例えば、「憲法学」「法哲学」「実定法」の基本的知識、素養すら持ち合わせていない。 それならまだましで、中途半端で生半可なネット的知識を、なまじ振り回して解ったつもりになっている。 まともに、相手をするのが心底、嫌になる。」 と法学板で書いている。まさにあのことだな。
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/10(日) 01:48:41 ID:JTM6soly
それから、半は頭が悪いだけじゃなくて根性も悪いな。 流さんのレスにたいする半のレスを読み返してみてつくづくそう思う。 レヴェルが違う感じだな。「縁なき衆生」どころじゃないな。
>>821 >彼は、どうやら法律の専門家。
彼は法律学のど素人ですよ。
自演だったかな
826 :
あ :2008/02/10(日) 03:04:08 ID:XbvT/2+e
>>821 日本を思ふ 福田恆存 …か。
余計、じゃあ、だめだめじゃん。福田の専門は文学だぞ。
法律の専門家とは、相手に誤解させる文章しか書けない人種のことですか?
彼があの板にいられて、この板にいられないということがすべてを物語って
いると思いますよ。
(ちなみ、あの板で相手をしている方もリーガルマインドに欠けているとわしは
思います。あれじゃあ、ただの追認論です。)
827 :
あ :2008/02/10(日) 03:10:31 ID:XbvT/2+e
828 :
あ :2008/02/10(日) 03:22:11 ID:XbvT/2+e
福田だとすれば、国体論からみた憲法論ということになるので、あそこで国体が出てこないのなら 流さんの独壇場だろ。 歴史的仮名遣いと新仮名の問題と相似なのだけれどね。 でこの件はお仕舞い。そういうことで。
829 :
あ :2008/02/10(日) 07:03:55 ID:XbvT/2+e
>>803 今気づいたが、これ英語でもアスペクトは起動相だよ。
Ready Go
これから食事だということだ。この場合はBE動詞で同値接続であって
○○は××だ。の形。
ごはんができたより、
おーい。めしだぞー。ぐらいである。このBE動詞が完了相とはとても思えない。
え?文の意味が完了を示す?そんな話をしているわけじゃないんだけどなあ?
ほらね。話題が読めないから、自分の話せることを話そうとするだけなんだよ。
ヤマさんはそれを拡散的みたいに肯定的にとらえたけど、ふつうは、
「まとまりがない」っていうんだよ。
そもそもが日本語における完了ってことなんだからさ。
ごはんができた。 の「た」は時制の「た」なのか完了の「た」なのかはこの文だけからは決定できません。
(初めて炊飯が行われたときの話かもしれないじゃない。)
回避するためには用意ができました。というコメントにするのが普通だろう。夕食の用意ができました。は完了しか
表してはいない。
動詞と助動詞だけで完了を表すように現在の日本語はなったてない。どうしてか、それでこと足りるってことでここ
まできている。
(古文ではきちんと完了は「たり」過去は「ぬ」「き」と使い分けが行われていたのに。)
830 :
あ :2008/02/10(日) 07:19:58 ID:XbvT/2+e
? と思う人、夕飯は終わってるわけ?これから食べるんだよね。 主語はDinnerだよ。readyじゃない。お忘れなく。 直訳すれば 夕食は用意された。だよ。え?受け身なの?いやこのready は形容詞。 これは叙述用法なんだそうですよ。 1 (…の)用意[準備]ができた((for ...)); すぐに[いつでも](…)できる((to do)); 〈物が〉調整[整備]された; 〈人が〉(物の)用意ができた((with ...)) ・ (Are you) ready to order? ご注文はお決まりですか ・ Dinner is ready. 夕食の準備ができている ・ The pears are ready to eat. ナシは食べごろだ
831 :
ヤマさん :2008/02/10(日) 08:55:00 ID:RWV6cx9G
832 :
ヤマさん :2008/02/10(日) 09:23:24 ID:RWV6cx9G
>>822 >>823 ID:JTM6soly
Boku mo kussuri kire souda,issyoni H/P itte kureru ?
833 :
ヤマさん :2008/02/10(日) 09:31:42 ID:RWV6cx9G
Minna de ikou,tanosii H/P!
834 :
ヤマさん :2008/02/10(日) 09:49:27 ID:RWV6cx9G
835 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/10(日) 10:13:01 ID:/PZLmg8e
>>829 >>830 文句を言いたいだけだからトンチンカンナことしか言えない。死ぬまで言うとけ、カス
836 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/10(日) 10:47:06 ID:/PZLmg8e
>>831 非常に面白い事象をたくさん含んでいますね。ご紹介のサイトはいいところを
ついています。
相は、日本語の助動詞や英語の完了形などの付加的要素だけが担うものではなく、
動詞(あるいは形容詞なども)自体の意味的性質が大きく作用します。
サイトから
>>
昔の日本語にあった多様な助動詞がすべて「た」に一本化したことを日本語の衰退ないし堕落と
とらえる人もいるかも知れない。しかし、言語というものは音韻にせよ文法にせよ、
時代とともに複雑になるのではなく、単純になるのが普通である。そのことを考えるなら
複雑な言語が高級な言語という考えはあやしくなってくる。考えてみたら、「た」のつく表現が
過去なのか完了なのかで迷うことというのはあまりない。それは、
「た」のつく用言(動詞、形容詞、形容動詞)の性質によって意味がおのずから決まることが
多いからであろう。まず、「だった」「かった」は過去だと考えていい。
「あの人はいい人(名詞)だっ(助動詞)た」「この町も昔はにぎやかだっ(形容動詞)た」
「俺も昔は若かっ(形容詞)た」、これらは、「た」に先立つ部分がいずれも性質ないし状態を
示すためにおのずから「過去」の意味になる。これに対し、「電線が切れた」「日が暮れた」
のように、瞬間的な動作、変化を示す動詞についたときには完了の意味になる。こうして、
言葉の上で過去と完了の区別が明瞭でない現代日本人も無意識にはちゃんとその区別をしている
のである。しかし、無意識であるからこそ、英作文などの機会に、それをはっきりした形に示すことが
難しくなるのである。
>>
語彙的意味が相を決定付ける場合が少なくない。だから、日本語は「た」だけに収斂して
いったんです。それでも困らないことが証明しています。もちろん、文法的にはredundant(冗長性)
が一杯あるし、あったんですがそれがシンプルな方向に向かうのもサイトで言及されている
ように自然なことです。
実は、英語でも同様なことがあります。
現在完了と過去の区別をうるさく教えますが、実際の英語の文法形式において区別はなくなって
きています。それもかなりの程度です。米語においては顕著です。
高校の学習用参考書にも載っています。特に、現在完了の<経験>は過去形で表すことが
多いんですね。
さて、『童は見たりを』は完了ではなく存続(進行)の意味合いが強いと考えるのが自然でしょう。
もちろん、「たり」の本義もそうです。「たり」は本質として完了とは無縁だったんです。
それが完了の意味を帯びてくるあたりはサイトでも説明している通りなんですが、そのような
変化は広義のシンプル化によるものです。
いろいろ面白いことがありそうですね。精力的に話題を提供してください。なお、
昔は「たり」一発で完了を表すとかなんとか、嘘ばっか言って実りのない自己愛の垂れ流しを
している人間は放置してくださいね。お願いします。せっかくいい勉強ができそうなので
ヤマさんお得意のムニャムニャ喧嘩両成敗的中庸へ流れないようお願いします。
837 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/10(日) 11:24:02 ID:/PZLmg8e
>>821-825 タイミングが悪すぎです。残念ですね。
なお、当方も平さんをこけにしてるんで言及して欲しいんですが。
大変失礼だと思うんですが、平さんの主張は墓穴ですよ。
日本という国に憲法なんて存在してない!のなら、そもそも日本という国なんてないんですね。
あの人は日本という想像の共同体は前提にし、それ自体を問わない。なぜなら、それを
問うことは国家の成立が近代的な文脈においていかに”憲法的”であるかを思い知ることに
なるからです。
平さんは、よくあるネトウヨ的情念に溺れてしまっている。
だがそれを認めず論理的に展開しようとして奇怪なものになってしまった典型です。
最後に、「あ」よりはずいぶんマシだとは思っています。
838 :
◆yk/JpL/Z9U :2008/02/10(日) 11:35:08 ID:/PZLmg8e
語彙的意味が相を決定する上で重要だということのヒントとして出したことを明後日の方へ トンチンカンしている阿呆がいます。基本、放置でよろしく。ド素人の妄言ですから。 考えるヒントとして I hear you got a driver's license recently. 「最近、運転免許を取ったそうだね」 英語だけではなく、日本語を考える上でもいくつか面白いことが出てきます。 私のムニャムニャは後ほど
839 :
あ :2008/02/10(日) 11:36:03 ID:XbvT/2+e
>>837 みたいなまとめ方でみてると流さんの言ってることはみえてこない。
国体という思想から憲法を見るという同じ土台に立って初めて流さんの
現憲法と旧憲法の断絶というテーゼを批判することができる。
じゃなければ、追認論になってしまい流さんが言おうとしていることをつ
かみそこなう。
本当は「歴史的断絶」(お家の断絶ともちょっと似てる)を日本は経験して
いるのに、そのことについてあまりにも無自覚であり、そのことがあまりにも
自然として受け止められていることが問題にされなければならないのに。
840 :
ヤマさん :2008/02/10(日) 11:37:21 ID:RWV6cx9G
僕の、クスリ〜〜、・・・「あ」っ・たり・・・でも・・・。
>>798 >タリ 一発で完了だからね。
>>809 順番違う。
つ、緑の車。ピーポー、ピーポー。
841 :
あ :2008/02/10(日) 11:40:35 ID:XbvT/2+e
また読めてない もともとは動詞の活用を覚えることに意味があるのかって話なんだけどなあ。 動詞の活用よりも動詞のアスペクトやヴォイスやテンスを気にした方がよい。 からいつの間に文意としてのアスペクトみたいな話になってんのか。 なあ、ズラしを止めて…ハッ!…ズラ・し。ズラ・す。ズラ。ズラ! ことばだけでなく、髪の毛も不自由な人だったのか…。それはすまそ。 でも、なんでズラしてくの?話がこんがらがるでしょうが。 本当に文脈が読めないの? それとも 「俺の話を聞け!」しかキミには態度というものがないの? 今一、キミのそれが何から来るのか落としどころがよくわからん。
842 :
あ :2008/02/10(日) 11:42:37 ID:XbvT/2+e
ヤマさーん。それ規範主義すぎだよお。別に覚えやすいからその順番なんだよお。意味はとくにないっすよ。 (活用の音便を母音順に並べたからといって、その意味の法則性は特にない。)
843 :
あ :2008/02/10(日) 11:46:30 ID:XbvT/2+e
あるって活用は違うんじゃないか?ラ変だよね。 あら ず あり ます ある こと ある。 あれ ば あれ。 あり・たり。じゃないすかね。それ。
844 :
あ :2008/02/10(日) 11:52:45 ID:XbvT/2+e
文脈的(コノテーション)や話題によって意味が形成されるという我が国のことばにおいて <文法>を関わらせる方法ってことなんだがねえ。 SK2は結局、わかってない。それこそ日本語の論理性ってこと。 その日本語の論理性を否定していた自分をころっと忘れてるというか、それとこれとは 別みたいなやり方はどうしていくつもりなのかなあ。 日本語には日本語の論理構造がある。 日本語にふさわしい文法が確立されてない。 日本語に適した文法が確立されれば、日本語の論理構造を<無意識>ということばを 使わなくても説明できるようになるはずだ。 <無意識>は十分構造化されていて決して混沌なのではない。
845 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/10(日) 12:09:08 ID:JTM6soly
>>837 >日本という国に憲法なんて存在してない!のなら、そもそも日本という国なんてないんですね。
どこからそんな理屈がででくるんだ?
そんなことを言ってるから教育板はバカにされるんだ。
それに流さんは日本は独立国になったのに憲法を制定していないと言っている。
>>839 のあのほうがまともだ。人の話が聞けている。
846 :
ヤマさん :2008/02/10(日) 12:10:07 ID:RWV6cx9G
>>843 あら ず
あり ます
ある こと
ある。
あれ ば
あれ。
普通は、(未然、連用、終止、連体、已然、命令、)の順!
未然⇒あら ず
連用⇒あり ます
終止⇒ある。
連体⇒ある こと
已然⇒あれ ば
命令⇒あれ。
です。
847 :
ヤマさん :2008/02/10(日) 12:14:01 ID:RWV6cx9G
って、つられた。 なんで、文語の「あり」の終止形が「ある」なの!
848 :
ヤマさん :2008/02/10(日) 12:19:27 ID:RWV6cx9G
ラ変(あり、をり、はべり、いまそかり。) 未然⇒あら ず 連用⇒あり て(たり) 終止⇒あり。 連体⇒ある こと 已然⇒あれ ば 命令⇒あれ。
849 :
あ :2008/02/10(日) 12:21:27 ID:XbvT/2+e
あり。 おり。 はべり。 いまそかり。 あら ず あり たり あり ある ころ あれ ば あれ か でも ありたりでしょ。完了は。
850 :
ヤマさん :2008/02/10(日) 12:21:38 ID:RWV6cx9G
851 :
あ :2008/02/10(日) 12:23:21 ID:XbvT/2+e
同じこと書いてるよ。 笑っちゃう(馬鹿にしてるんじゃなく字義通りの意味で)ね。 同じことを違う人間がかけるってことが<文法>だとか方法的な考え方のよいところじゃないかねえ。
852 :
ヤマさん :2008/02/10(日) 12:32:29 ID:RWV6cx9G
>>849 あり て(「つ」の連用形)
あり に(「ぬ」の連用形) けり(過去・詠嘆)
あり(た)り(完了・存続)⇒別途記述。
あり ん?あり、に「り」完了・存続)⇒別途記述。
853 :
ヤマさん :2008/02/10(日) 12:38:28 ID:RWV6cx9G
◎たり り(進行・存続) 進行、存続と言うのは「〜している」等の現在進行している、という意味。しかし「たり・り」には上のような完了の意味もあり、区別はどちらの意味が適当かを考えなくてはなりません。 が、大概は存続と考えてもOKだと思います。 ちなみに、「たり」は、「〜てあり」の詰まった語、「 両方ともラ変活用でと同じですね。これと言って注意しなければならないところは無いでしょう。 また、「り」は四段動詞にしかつきません。已然形接続だということを忘れないで下さい。
854 :
ヤマさん :2008/02/10(日) 12:40:15 ID:RWV6cx9G
856 :
あ :2008/02/10(日) 13:34:25 ID:XbvT/2+e
薬が見つかったんでしょ。 ありぬ。でもわかるけど、この場合は「ありたり」っていうんじゃないかなあ。 少なくとも「あっ」たりではないと思うけど。
857 :
半さん :2008/02/10(日) 13:44:15 ID:I1SzPPok
>>820 ニューフェイスには目がないんで
私なりに流さんを「歓迎」したんですがねぇ・・・
(ここでは流さんのほうが先輩かな?)
ホームが暇になったらまたおいでー
って思ってますよ^^
858 :
あ :
2008/02/10(日) 15:52:56 ID:XbvT/2+e >>846 ええ でもその順番って結局は語尾変化が母音の順になるように並べただけでしょ。
連用の後に終止であるわけはただ他の変化で終止と連体が違うものがあるからですよね。
辞書で調べるときには、その約束で書いてあるのでその通りに読まなければなりませんが、
その並びも便宜にしかすぎません。
特にそうでなければならない理由は文法上なにもないはずです。
(少なくとも私は知らない。)
すべての動詞の変化なんて覚えられるわけはないので 何と掛かって何形かわかっていれば
表を完成させることができるでしょ。
なんのヒントもなしみただ
上に動詞があり 表の横に@〜Dがあり
@〜Dには動詞の変化形の名称が入る記せという問題は出題されません。
(どのように書いてもそれが不正解だという根拠がないから。