教育研究地獄スレッド

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16,犬猫にゃんわん


http://human7.2ch.net/test/read.cgi/uwasa/1178845673/72  

気になるのは、実験的学校とはどういうことか?さらに、そのスタッフを自分個人のハーレムと見なしその自由を徹底的にエンジョイしたというのだ。ラッセルは、

学校を設立するが、そのスタッフを自分個人のハーレムと見なし
その自由を徹底的にエンジョイした。スタッフ一同にはこう説明した。「男にとっては女と寝るまではその女を理解することは不可能」。
同世代のジョード教授(常習的無賃乗車がばれたせこい教授)と全く同じ台紙である。ラッセルの伝記作者ロナルド・クラークは「彼は、
自分の考えを躊躇無く実行に移した」と書いてている。また、ラッセルが「異常に強い性欲を押さえる術が無かったこと」
について次のようなエピソードをあげている。彼はある女性にかなり続きした。スタッフには平然とこう説明した。ロンドンのフラットへ
戻る週末はたいていこの女性を連れ出した。スタッフには平然と校説明した。「二人ともロンドンへ返る、と言う事は、
いっしょにここを出れば運転手も大いに助かる。違うかね?」。ラッセルはルックスのよい女性にすぐ目移りするけいこうがあったので、
スタッフはおおむねこれでなっとくした。ある女性教師は、着任した二日目にラッセルに言い寄られた。(彼女はこれを退けたが、
ラッセルがこの女性に悪意を抱いた形跡は一切ない。)。妻、ドーラ・ラッセルが1935年にようやく結婚にこぎつけたとき、判事はこうコメントした。
「ラッセルは数々の不貞行為を否定しているが、、、、、、罪がいっそう強いとされている状況下でも、それは行われた。」