234 :
稲丸:
レスを見るだけで、早大生の低能ぶりが良く分かるな。だけど
こいつらだって、入った時は、こんなじゃなかったんだぜ。
私大文系トップの偏差値をクリアして来たんだ。
ただ、入った大学に“教育力”が全く無かった。
もともと、学生のやる気に“おんぶにダッコ”で推移した大学。
“教育力”なんぞ、初めから逆さに振っても、あるわけ無い。
それに、(今までは)有名ブランドだったから、能力のある人材は、それなりに集まった。
そいつらが、大学の名を高めてくれたので、その他の有象無象がどうなろうと正直、どうでもよかった。
かくして、“教育力”など、わざわざ身に付ける必要も無く、のんべんダラリと今日まで過ごして来たんだよね。
だが、早稲田の教授たちよ。これからは、それでは済まなくなるぞ。先人の築いた栄光の上に
あぐらをかき続けて来たツケと、ついに正面から対峙する時が来てしまったのだ。
もともと、“教育力”など一朝一夕には絶対、身に付かんシロモノ。無理矢理やろうとすれば
「いきなり単位を厳しくする」ぐらいのことしか思いつくまい。
その種の変化は“早稲田の個性”を完膚なきまでに破壊し、いよいよ能力の高い受験生に
逃げられる結果を生むだろう。
早大教職員よ、見させてもらうぞ。校舎を新築するだけでは、もはや、どうにもならないこの危機を
どう乗り切るのか。
超過密キャンパスにしてまで入学者数を増やし、カネ集めに狂奔したのでは、いよいよ自分の首を
締めるようなもので、正直、乗り切れるとは、とても思えんが、それでも見届けさせてもらうぞ。
もし、早稲田が絶命した時には、骨は必ず拾わせていただく。
できれば、安らかな死に顔であって欲しいものだが、まあ、しっかり、やってみるがいい。
(創立125周年の節目には、ふさわしき舞台よな。常々言っていることだが、原典を辿れば、125年は
寿命の尽きる年限を意味する。人は、節制すれば125歳まで生きられるという学苑創設者の説を当てはめた
のであれば、大学も125年で死んじゃうよという例えにしか、なりようがあるまい。創設者の言葉どおりに
絶命するのは案外、宿命なのかもしれんな。)