パーソナルメディア、『超漢字ノートR3EG』発売

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書き込んでから急に不安になったんで、識者の方がいたらご教授お願いします。

個人的には、BTRONの肝は、
ファイルシステムそのものと、ユーザーが認識するデータのありかとを
分離したところにあると思ってるけれど、どうなんでしょ?

他種OSがデータの所在をファイルシステム上の位置で示し、
それ自体がいかなるデータであるのか、他のデータとどのような関係にあるのかについて
基本的に関知しないのに対し、
BTRONは各ファイル(仮身とか実身とかで言うべきなんだろうけれど、今ひとつその概念が
しっくりきているレベルに達していないのでご容赦を)と各ファイルがその意味関係で
連結(ハイパーリンク?)され、その意味の連結の中でデータの所在が示される(逆に、
ファイルシステム上いかなる位置にデータが存在するかはユーザーは関知しえない)
という理解でいたんだけれど、この見解で間違いないかな?

その他、データが主体であり、その操作のためのアプリケーションがある、という
自然な認識を促す(通常、他種OSでは、アプリがあって、それで作成したデータ、という
理解になっていると思う)ようになっているとか、いろいろあるようだけれど、
個人的に概念そのものが違う、って感じたのは上記のファイル周りの点。

冷静になって考えると、単に一層仮想化をかましただけなんだろうけれど、
それで構成される世界は、他種OSの構築する世界とは明らかに異質であると思う。
・・・だからこそ、ネットワーク越しにこれら他種OSと連結しても、うまくいかない
(機能的に貧弱な方に合わせなければならない)ように思えるんだけれど・・・