オーディオのロマンを語ろう パート2

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262キルロイ
>> 254 いや、スパっとキレる時にはこう書くのは私にとっては普通です。
インチキ理論というのは正しい表現ではありませんが、理論的矛盾の私の指摘
(実はアレはかなり荒い所がある)に対し、感性が「正しいか正しくないか」
のような形で言われちゃあ、私はキレます。

「人によって良い音が違うのは当然だが」といったようにクギ刺していたのだが、
まあ大抵こうなる。
逆に「理屈なんかどうでもいーんだよ、アナログの方が音が良いんだよ、CD
なんがゴミだゴルァ!」だったら、あっぱれですが。

私はデジタルを全面的に優れていると思っているわけではないですよ、技術は使い
方次第ですから、昔のアナログマスターでわずかにヒスノイズが聞こえても、名録音
というのもありますし、いくらハイビットハイサンプリングレートでもダメな録音も
ある、非可逆圧縮デジタルBSよりアナログハイビジョンBSより綺麗、当然の事です。

しかし、理論上デジタルでは和音が云々で悪い、
・私にとってロマン(派)が快くない(全部ではないが)理由
バッハが当時としてはズバ抜けた転調技術、及び対位法と和声法の両方から、
自由体位方完成させてしまった。それも若いうちに。
だから逆にバロックは進化の袋小路に入り、それに対するアンチテーゼとして
ロマン派が主流となった。だから、ロマン派の曲や名演奏家は、私には感情的
に聞こえ、引いてしまうのだろう(というか編成でかすぎ)
オーディオについても同じようなモノだ。

・テクノロジーについて
テクノロジーの悪用を批判するのは良いが、それからテクノロジー自体が悪という
ような主張や非論理的であきらかに間違った技術批判(多いよ)は、私はブチ切れてしまう。
・んでオーディオ
オーディオは、感性と技術の両方の要素があるが、音楽は二つを分ける事はできない。
感性以前におまえら演奏ヘタすぎ往ってよしとかならともかく。
だから、オーディオでは「技術偏重」と「感性偏重」の二つが多い。
今では大メーカでもオーディオ雑誌でも技術偏重はウケないと知っているから、技術の高さ
を表現する時はかならず感性のために、というようなオブラートをかける。
終った趣味に多い技術アレルギーと懐古趣味の多い世界では。
・それで困ったヤツ
オーディオは自分にとって快ければ良い、そこで止まれば良いのだが、感性の正当化
のためにトンデモ理論を作り、さらに他をトンデモ理論で批判する。そして信者ができる。
この世界ではよーく有る事だ。
トンデモ理論で排他しなければ、一部ではちゃんと支持され
批判もされないだろうが。私の考えでは、理論的なデジタルの問題の多くは、アナログ的
な事だと考えるが、そのような多くの人はデジタルと量子化自体が間違っているとし、
それの解決策として考えうるあらゆるトンデモ理論を上げる。
・最後に
ウロ覚えだが「人は愚かさを指摘されるより、趣味を否定される事に怒る」
といったような事がロシュフーコーに有った。まあ私の趣味は、技術というより、
非論理的な存在の嫌悪だが。「知は情にいつも負ける」ともあったな。
私もキレたモードだからあのアナログ批判もかなり甘い所があるしね。