にしても、最近は秋風が身に沁みるようになった。
ホームレスになって幾歳月過ぎたのだろうか。
ホームレスの道も険しい。
しかし、そこに美、ある。
さあ、愛人でも探しに行くか(W
と、思ったのだが、女房の友達がお料理作りのお遊びに来た。
2人とも美形なのと、その成果を食べてみたいので出かけるのはやめた。
が、良い歳してままごとごっこにつき合うのもへんなので、アウトドアでタバコをすったり
して遊んできた。
空を見ながら、植木等の
♪ カネのないやっつあ 俺んとこ 来い
俺もないけど 心配すんな
(ここからカンツオーネ風)
♪ 見ろよ青い空 白い雲
(そのあと、♪そのうち なんとか な〜るだ〜ろう と続く)
を思い出し、カンツオーネの哀愁の中の無責任かつ壮大な明るさがやっぱり良いと
思った。
しかし、私の体は赤ちゃんと一緒で、風に長いこと当たると寒気を感じ熱を出してしまう。
そうそうに帰ってきた可哀想なお嬢弟子ちゃんであった。
お料理が出来上がり、モーツァルト聞きながら美女に囲まれ昼食をとったのでありました。
私も独身の頃ならばおおはしゃぎしたところなのですが、人見知りする赤ちゃんのように
うつむきながら大人しく食べるのでありました。
食べ終わると、恥ずかしそうにごっとうたんですたと言って、そそくさと外にタバコを
すいにいったのでした。
青空にうっすらと白い雲、秋の風がここちよかったのですが、私の体は赤ちゃんと一緒で
長いこと風に当たり過ぎると寒気を感じ熱を出してしまうのです。
そうそうに帰ってきて、2chをするのでありますた。
でも、2dhでも誰も構ってくれません。
という訳で、部屋を片付けることにします。
まだちっとも整理がついてない。
今日は良い日だな。
しかし、長いことまじめに部屋の整理整とん掃除などしたことがなかったので
そういう脳内回路が消失してしまったのか、何をどうやったら良いのかわからず
木陰のベンチに寝っころがって空を見た。
秋風が少し寒いが木漏れ日がぽかぽかと暖かく、微妙なここちよさ。
木漏れ日の明るさ、葉の間に見える青空、耳をそば立てると、車の音、小鳥達の泣き声、
木の葉がさらさらと風にそよぐ音が聞こえる。音は色んな方向から聞こえ、まさしく
ステレオだ。
光、暖かさ、色、音、全身で秋の昼下がりを感じる。
秋の日のビオロンの〜と詩人は歌うところだろうが、私の場合、こんな時は、
シャンソンより、カンツォーネが良いと聞いてみた。
哀愁の中にも無責任かつ呑気な明るさがあるが、後者が強すぎて、まあ、どうでもいいや
という気分になってしまう。
こりゃ失敗、シャンソンにしておこうと思ったところで、ケーキよと呼ばれてしまい
コーヒーも飲んだ。
何もせずのんびり秋を楽しむのも楽しい。
みなさん、秋を楽しんでますか?
のんびり何もしない日を持ってますか?
今まで私は休みというと、たっぷりあそばなきゃと一生賢明だった。
しかし、何もしないでのんびりするって、本当に良いですね。
にしても、このスレは一体何だ?
私のプログみたいになってしまったではないか。
2chでプログって、流行ってるのかな。
お姉様方の帰った夕暮れ、またベンチに寝ころんで今度はシャンソンを聞いたので
ありました。
秋の日の空の下にはやはりシャンソンが似合う。
明るい中にも翳りがあって、キリギリスさんの生活を続けていては冬に困りますよと
でもいうような、緊張感がある。部屋をなんとかせねばという気にもなってくる。
カンツォーネの呑気さと違うのは、気候のせいか。
イタリアは、地中海にあるため冬もそんなに厳しくないので秋の空の下でも呑気で
いられるのに対して、パリの冬はまだ厳しさがあるからか。
その昔、なぜか医学部に行っていた友人の先輩の女医先生に小さなシャンソンの店に
連れられていったことを思い出した。
大人の女性(人妻であったが)というものは、こういうところが好きなのかと思った
ものであるが、その時はあまり好きな音楽ではなかった。
等々、思いを廻らしながらシャンソンも良いなあと思いつつ、私の体は赤ちゃんと一緒で
長いこと夜風に当たると寒気を感じ熱を出してしまうので、そうそうと家(といっても
ホームレスなのでダンボールと拾った板製であるが)に入ったのでした。
皆さん、ホームレスやってますか?
ブログやってますか?