■モニター・スピーカーの世界■

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306226
>>226つづき この前のカキコのあとまたいろいろ考えてみた。

録音、ミックスやマスタリングの段階では、
普通は音質的には家庭用ハイエンドオーディオほどの注意深さで作業されていない。
そのことで結果的に最終商品としてのCDに音質上のばらつきが生じるわけで、
その「ソースのあら」をどう扱うかが、家庭用オーディオの重大なテーマであるわけだ。
そこでいわゆるモニター派と美音派の二つのオーディオ派閥が生じる。
ちなみに昔は原音再生派というのがいたが、ソース=原音と間違って解釈していた、今のモニター派の源流である。

たとえば録音機材よりさらに高価で洗練された機器を使用する超マニアにとっては、
ソースそのものが音質的にはボトルネックになっているわけで、
彼らはいかにソースから欠点を排除し、美点を引き出すかに神経を傾けているように見える。
彼らはほとんどの場合、美音派といって差し支えないだろう。
この意味ではジャズ喫茶的なJBLサウンドも美音派と分類してもよいだろう。
また、低価格の商品でも、たとえばボーズなんかを聞くと、
ソースとはまったく関係のない誇張した音でなっているわけで
これもある意味、ソースを誇張して再生する美音派といえる。

モニター派というのはおそらく、
安物美音系オーディオと超高級美音系オーディオのあいだに存在していて、
業務機と同じレベルを最善とする人たちだろう。
たしかに、これは非常にバランスのとれた考え方であって批判の対象にはならないが、
俺の場合、実際に彼らのモニター装置で音楽を聞きだすと、
不思議なことにほとんどの場合音楽をたのしめない。
これはなぜなのか?というのが、俺のテーマだったのだが、
実際、美音系のSPを導入してみると、
モニター系といわれるものが、
いかに音楽情報を説明的に聴かせているかがわかった。
これは GENELECだけではなく、B&Wにも言える。
つづく
307226:04/07/26 03:02 ID:dgdqkbbL
「説明的に聴かせる」というのは「客観的に表現する」といってもいいのかもしれない。
モニターSPは音楽を客観的に表現しようとしている。
それに対して美音系スピーカーは思いっきりSPの設計者の美意識に影響されている、
というより、ほとんど設計者の自己表現だ。「主観的に表現される」といっていいだろう。
設計者のこだわりは低音の音圧であったり、音の繊細さであったりさまざまだ。

モニター系の場合は設計者の考える「客観性」が聴こえてくる。
それは設計者が音質的に重要だと信じている測定値であるかもしれないが、
設計者が主観的なことを徹底的に排除しようとしているのは確かだ。

こう書くとやっぱりモニターのほうがよさそうだが、俺は違った。

おれがモニターを聴くと、
その設計者の、主観的な部分を排除していこうとする
非音楽的、非人間的な態度がもろに聴こえてしまうのだ。
つまり「客観的」であろうとする設計者の後姿がSPから浮き出てきて
音楽をシラケさせてしまう。
極端な話、美しい音楽の手前でNHKの解説者が、
時代背景やら録音の方法やらなにやら客観的な情報を説明しているように聴こえるのだ。

おれは、だからモニターとは決別した。

もちろん自分と音楽との間には誰もいないのが一番いいのだろうが、
NHKの解説者より、自分の趣味に合う人間がいたほうが精神衛生上よい。