1970代から、日本の自衛隊は海外で非合法なテロ・ゲリラ活動を展開して来た。
部隊名は自衛隊幕僚2部、駐屯地は台湾。
台湾政府の作ったスパイ・諜報員養成学校「政治工作員養成学校」に自衛隊は駐屯しながら、
アジア各国の軍隊、秘密警察に対し、ゲリラとの戦い方を教授して来た。
目的は、第2のベトナムが生まれないようにするためである。
教授は米軍のグリーンベレー、自衛隊は助教授的立場であった。
当時、米軍はベトナムでジャングル・ゲリラとの戦闘経験は豊富であったが、都市ゲリラ戦の蓄積が少なかった。
そのため都市ゲリラのプロであるナチス・ドイツの親衛隊の生き残りである
フェルナン・ロドリゲス等の所属する傭兵会社が講師として台湾に招かれ、自衛隊と共同の軍事行動を展開していた。
自衛隊は、ナチス・ドイツの生き残りと、協力関係にあった。
米国CIA等を中心として作られた、国際的な「テロ・ネットワーク」は、今後、日本の一般市民、
特に日本政府・アメリカ政府の政策に批判的な市民を密かに殺害し、始末する組織として暗躍を始めるであろう。
この幕僚2部に配属される超エリートの諜報員は、幕僚2部の諜報・防諜部門が存在してはいない事になっているため、
配属と同時に、自衛隊を除隊し、形式上、民間人に戻る。しかし、給与は自衛隊から出続ける。
記録を残さないため、この民間人となった幕僚2部のメンバーは自衛隊時代の上司と飲酒する等々の名目で会う際に、
給与・活動経費が手渡しされる(銀行振り込み等は、一切使わない)。
自衛隊の精鋭部隊を育成する新潟県上越市高田の、陸上自衛隊高田部隊第二連隊は、
第二次世界大戦以前は、陸軍第13師団野砲兵第19連隊=通称・高田連隊と呼ばれ、
中国国民党=台湾政府を創立した蒋介石が、1909年から11年まで、ここで軍人・諜報工作員として訓練を受けていた。
ここが、事実上の、台湾政府の「生みの親」である。
自衛隊の超エリート組織=民営化された幕僚2部の、対・台湾ルートには、この蒋介石の人脈に加え、
第二次世界大戦中、中国・青島(チンタオ)で蒋介石の情報参謀役を務めたアメリカ陸軍・情報将校ドナルド・キーンが居る。
小説家・大江健三郎を世界に紹介し、ノーベル文学賞へと導いた知日派ドナルド・キーン、現在のCIA対日・工作班の重鎮ドナルド・キーンである。
「新しい歴史教科書を作る会」は、このドナルド・キーン傘下のCIA対日・工作班である。
この自衛隊の対台湾・諜報工作ルートに対し、対中国共産党への諜報工作ルートには、第二次世界大戦中、
共産主義者を仮装し、中国共産党軍に潜入した高田連隊の諜報員であった水野重雄が居る。
水野重雄は、中国共産党軍が中国を軍事制覇する際に、周恩来の直属の部下として働き、劉少奇、ケ小平とは親友であった。
水野重雄は、自分の妻を諜報員・スパイに仕立て、朝日新聞主筆・副社長であった緒方竹虎の秘書として24時間、緒方に張り付かせた。
この諜報工作は、緒方竹虎が副首相として、戦後、長らく続いた吉田茂政権の重鎮を担っている間継続された。
CIAドナルド・キーン、蒋介石、中国共産党・首脳=周恩来、劉少奇、ケ小平の、日本周辺の3つの大勢力を、こうして高田連隊=自衛隊幕僚2部は監視し続けた。
そして日本政府・マスコミをも、監視し続けた。
水野重雄=緒方竹虎は、吉田茂の後継者として自由党(現在の自民党の前身の1つ)の総裁となり、
文字通り、日本政界のトップを、この幕僚2部は支配・コントロールして来た。
日本国内では最強の諜報組織と言われる内閣情報調査室(前・内閣調査室)を創立したのが、この水野重雄=緒方竹虎である。
日本の諜報機関が、中国共産党、台湾、CIAへのトンネル組織である事が分かる。
不思議な事に、かつては法律学校であり、現在でも司法試験合格者を多数、輩出する中央大学出身者が、この幕僚2部には多い。
司法・裁判官業界への太いパイプを、この組織が持っている事を、これは示している。