わらべや日洋(セブンイレブンのお弁当) 5

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126FROM名無しさan
山田和夫は、「愛国行進曲」の方を断然優れたものとして、「先に『愛国行進曲』を宣伝した当局者は、
今度また『太平洋行進曲』を宣伝して、国民精神総動員の音楽化に努めてゐる。先の愛国行進曲は大成功
であり、日本の津々浦々にまで普遍して歌はれるやうになつたが、今度の太平洋行進曲は、すくなくとも
この曲が、かつての『露営の歌』や『愛国行進曲』などのやうに、町の小僧や女給たちにまで、流行歌と
して愛吟されることの可能は信じられない。」と書き、その原因について、「曲そのものの本質が、日本
人の民族的音楽感性と没交渉で、大衆にアツピールするものがなく、単に無内容な勇壮さや豪健さを強調
することから、空虚な埃つぽい感じをあたへるといふことなのだ。おそらくこの原因は、作曲者が、初め
から一つの概念−国民精神総動員といふ概念−によつて召集され、且つその概念の指令によつて、創作し
たことに帰するであらう。」と分析している。
それに対して、山田和夫の「愛国行進曲」は、山田和夫の詩的な表現を借りれば、「老齢七十歳、日露戦
争時代の軍服を着た白髪の老軍楽師が、祖国の一大非常時に際して奮い立」って作曲したものである。こ
の「白髪の老軍楽師」の姿は、真の「愛国心」とは何かについて深い示唆を与えているであろう。
山田和夫は、「たとへ外見上は同じに見えても」、この二つの行進曲が格調において全く違うことを強調
しているが、この「外見上は同じに見えても」、内実は違うということは、人間の精神の深みに関係した
こと、例えば「愛国心」といった問題では、とても重要なことである。