人口に比較して手頃な石が沢山あれば、「合理的で計画的な行動」は必要無いだろ。
後期旧石器時代には人が増えて、「合理的で計画的な行動」は必要に迫られて獲得と
いうか実現。
これは後に金属器時代の初めにも繰り返されていて、初期は自然銅や自然金を叩いて
使っていたものが、後に、需要の増大に対してそこらにある金属状態の銅や金が
枯渇したために、穴掘って採掘や、精錬なんかの技法が必要になる。
現代でも、中部アフリカのピグミーや東南アジアのネグリトや南印度のヴェッダなど、
狩猟採集民は、運搬用の籐の籠や、小型禽獣類を捕獲する網などは、要る都度作り、
使い終われば廃棄する。
材料はそこら中にあるし、使う用途やそのときの状況に合わせた物を必要に応じて
作る。生活習慣の違う我々からすれば無駄な行為だが、彼らの生活様式ではむしろ
そのやり方が合理的。
手頃な石が容易に入手できるなら、わざわざ目方の重たい石器なんか運ぶはイヤだ、
その場で作って使い終われば捨ててくるというのも、それはそれで合理的だ。
たしかに、これだと、ちょっとだけインパクトに欠けるものの、
かなりいろいろうまく説明できるかもしれません。
ようするに、解剖学的現代人(ホモ・サピエンスのMSA文化段階)
になると、合理的思考能力などの萌芽がみられるようになった。
これは、頭が大きくなったこととも関係しているだろう。
よって、MSAと、同時期のヨーロッパでは、石器文化そのものは、
固定的なルヴァロア技法段階であるが、一方、地域性などがかなり
出てくるのは、ときには、非常にたまーにではあるが、合理的な
思考によって、生活の改善をするようなこともあった。だから、
その草創期としてのHPとか、あるいは、撤退したらしい8万年
前以前のレヴァントのMSAとかのちょいと発達した文化も散見
される。
が、後に、かなりせっぱ詰まった状態になり、よりいっそう合理的
な思考によって、対応しなくてはならない状態になった。
そこで、その能力が著しく発展した結果、5万年前ごろから、あっち
こっちで、独自の象徴性とか芸術とか後期旧石器文化の特徴が革命的
に出てくるようになったと。
ただ、一ついえそうなのは、この後期旧石器時代の始まりのころに、
ある意味で、人間が、本能的な行動のかなりを捨てるようなことも
していると思うわけです。スマトラ沖地震で、人間だけが津波に
おそわれてしまったが、動物はどうも逃げたらしいみたいなのも
ふくめて、なんか、そういう動物的な勘のようなもの、自然な野生
の行動を積極的に捨て去ることが、合理的思考をより自由に発揮
するのに役だったのではないか、と思うわけで。