私のところは祖父も父も科学者で、小さい頃から、既に研究者として名の通った祖父の教え子や、父の同僚の
外国人教授、父の研究室の助手や学生たちとも、随分話してきた。
無論、私は中学高校も理系コースで、当然のようにK大の理学部に入り学位取得した。
私の知る人達は、何かの比喩として神や魂を持ち出すことはあるけれど、実態は妄想だと思っているようで、
来世もあったらそれなりに気が楽なんだけどね、と言って笑っている。
まるで信じている風はない。
だから、本気でそんなものを信じて期待したり、信仰したりする人達のことが奇妙で、ときに不気味に感じて
しまう。
本当に、初めは、ジョークか悪ふざけで言っているのだと思っていて、マジだと知った時はびっくりした。
人類の将来に立ちこめる暗雲を見ている気がする。
日本では文系・理系という分類が為されますが、欧米諸国でもそうなのでしょうか。
というのも、日本の大学などでは、
文系学問:法学、政治学、歴史学、理論経済学、文学、社会学、外国語学、心理学、哲学等
理系学問:物理学、化学、生物学、医学等
と分類されます。
これを欧米の基準で分類し直しますと(『決然たる政治学への道』P172参照)、
社会学問:政治学、理論経済学、社会学、心理学、
自然学問:物理学、化学、生物学、医学
人文:歴史学、文学、外国語学、
学問(サイエンス)に分類しにくい人間学:法学
本来は学問(サイエンス)と対立するもの:神学、哲学、数学
と分類し直せます。
といたしますと、欧米諸国では、社会科学(社会学問。人間社会の営みを法則性で研究する)
と自然科学(自然の物事や現象を法則性で研究する)といった分類のみで、
日本のような文系・理系の区別が無いように思うのですが。
欧米諸国にも文系・理系といった区別は存在するのでしょうか?
ご質問に答えます。
欧米には、君も予想する通り、「欧米諸国にも文系・理系といった区別は存在する」ことはありません。
日本語の、「理科系」というのは、数学が出来る、か好きな人たちが選んだ道、という意味であり、
数学という「(人類)世界言語」で知能を磨こうと、無意識で選んだ人たちの分類のことでしょう。
これは、旧制高校で、明治中期から「文T」「文U」・・「理T」「理U」・・・・でドイツ語系、フランス語系、
英語系に分けたことから始まったのでしょう。
私、副島隆彦は、「文科系、理科系」という言葉自体も嫌いです。そもそも「科学」という言葉も意味不明で嫌いです。
ナチュラル・サイエンスは、「自然(を対象とする)学問」と訳せ、とずっと書いてきました。
しかし、そんな事を私ごときがいくら言っても誰も聞いてはくれません。それで私も妥協して使ったりします。
どうしようもないのです。この土人の知識人たちの国の現状では。
私が、しつこく噛み続けたからか、さすがに、×「人文科学」と言う、お馬鹿な言葉は、最近、
文部「科学」省内で死んで、「人文学」と表記するようになったようです。