新聞配達77束目【春はすぐそこ】

このエントリーをはてなブックマークに追加
348FROM名無しさan
[金]の価値はあくまで人間社会で数字として表せる価値であり[金]自体に価値は無い
その[数字で表せる価値]も[社会を理解する余裕のある人間]のみ効果のあるものでしかない。
よって[金]の価値は[社会共通の数字で表せる]物であり、
[金の数]の価値が[社会が与える加護を得る許容範囲]であると思われる。

「愛」や「友情」や「正義」は概念上の自己満足であり
「[右手の中の息子が暴走する寸前]の刹那の快感」にその価値が負ける場合もある
([完全な孤独と思う状況]や[愛や友情や正義は無い]がその例)
それを価値とするかどうかはその自己満足を抱えた人次第であるが。

無論、「真実」の価値は社会的同意をえる手段の一つであるだけで
「主張」と同じで「社会上の流れ」によっては同等の以下の価値にしかならない。

要はあなたに[真実の愛]はあるか?と問われて「ある」と[主張]すれば[真実でなくても]であろうが「ある」
と言えるのであなたが問う「真実の愛や友情や正義はあるか?」を問う質問はナンセンスであるし
それを全ての人々へ[あることを証明する手段]は[個々によって違う愛や友情や正義が負けうる状況]を
突破する[真実]を[主張]でなく[信用]をさせる必要がある。
それを証明した上で初めて[価値]を論議できるのではなかろうかと

愛・・・ttp://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=00009100&p=%B0%A6&dtype=0&stype=1&dname=0na&pagenum=1
友情・・・ttp://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=18684300&p=%CD%A7%BE%F0&dtype=0&stype=1&dname=0na&pagenum=1
正義・・・ttp://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?p=%C0%B5%B5%C1&stype=1&dtype=0

349FROM名無しさan:05/02/21 07:47:44
私のところは祖父も父も科学者で、小さい頃から、既に研究者として名の通った祖父の教え子や、父の同僚の
外国人教授、父の研究室の助手や学生たちとも、随分話してきた。
無論、私は中学高校も理系コースで、当然のようにK大の理学部に入り学位取得した。
私の知る人達は、何かの比喩として神や魂を持ち出すことはあるけれど、実態は妄想だと思っているようで、
来世もあったらそれなりに気が楽なんだけどね、と言って笑っている。
まるで信じている風はない。
だから、本気でそんなものを信じて期待したり、信仰したりする人達のことが奇妙で、ときに不気味に感じて
しまう。
本当に、初めは、ジョークか悪ふざけで言っているのだと思っていて、マジだと知った時はびっくりした。
人類の将来に立ちこめる暗雲を見ている気がする。
350FROM名無しさan:05/02/21 07:48:48
日本では文系・理系という分類が為されますが、欧米諸国でもそうなのでしょうか。
というのも、日本の大学などでは、
文系学問:法学、政治学、歴史学、理論経済学、文学、社会学、外国語学、心理学、哲学等
理系学問:物理学、化学、生物学、医学等
と分類されます。
 これを欧米の基準で分類し直しますと(『決然たる政治学への道』P172参照)、
社会学問:政治学、理論経済学、社会学、心理学、
自然学問:物理学、化学、生物学、医学
人文:歴史学、文学、外国語学、
学問(サイエンス)に分類しにくい人間学:法学
本来は学問(サイエンス)と対立するもの:神学、哲学、数学
と分類し直せます。
 といたしますと、欧米諸国では、社会科学(社会学問。人間社会の営みを法則性で研究する)
と自然科学(自然の物事や現象を法則性で研究する)といった分類のみで、
日本のような文系・理系の区別が無いように思うのですが。
欧米諸国にも文系・理系といった区別は存在するのでしょうか?
 ご質問に答えます。
欧米には、君も予想する通り、「欧米諸国にも文系・理系といった区別は存在する」ことはありません。
日本語の、「理科系」というのは、数学が出来る、か好きな人たちが選んだ道、という意味であり、
数学という「(人類)世界言語」で知能を磨こうと、無意識で選んだ人たちの分類のことでしょう。
これは、旧制高校で、明治中期から「文T」「文U」・・「理T」「理U」・・・・でドイツ語系、フランス語系、
英語系に分けたことから始まったのでしょう。
 私、副島隆彦は、「文科系、理科系」という言葉自体も嫌いです。そもそも「科学」という言葉も意味不明で嫌いです。
ナチュラル・サイエンスは、「自然(を対象とする)学問」と訳せ、とずっと書いてきました。
しかし、そんな事を私ごときがいくら言っても誰も聞いてはくれません。それで私も妥協して使ったりします。
どうしようもないのです。この土人の知識人たちの国の現状では。
 私が、しつこく噛み続けたからか、さすがに、×「人文科学」と言う、お馬鹿な言葉は、最近、
文部「科学」省内で死んで、「人文学」と表記するようになったようです。