新聞配達77束目【春はすぐそこ】

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341FROM名無しさan
ドグマで結構じゃないか。
民主主義において民族自決も重要な要素。
民族間の紛争が絶えない現状を鑑みれば、一民族一国家の理念も重視して然るべき。
もちろん日本には大和民族のほかにアイヌ民族・琉球民族がいることを忘れてはならない。
しかし彼らと朝鮮民族とを同一視するのもまた誤り。
なぜならアイヌ・琉球についてはもともと彼らが住んでいた土地を吸収(侵略)して現在の日本が成り立っているのに対し、
朝鮮については一度は侵略したもののすでに返還して彼ら自身のものになっている。
だとすれば日本は大和・アイヌ・琉球の各民族の調和によって統治すべきであるという考えも成り立つ。
しかし民族を証明するのは大変手間が掛かり、また混血児の問題もある。
終戦後の騒擾期に米軍人や朝鮮人に強姦された日本人女性の産み落とした子が大勢いる。
そう考えると「民族」を「国籍」に擬制して参政権・公務就任権にあてはめるという従来の方法こそが、
もっとも合理的であり民主主義に適っているといえる
342FROM名無しさan:05/02/21 07:44:04
質問ですが、メルロ=ポンティにおいて、超越論的現象学のプログラムの限界、
つまり還元の不可能性が明らかになったということは、フッサールにおける厳密な学としての哲学という
理念が崩壊したと言うことになりますよね。

そうすると、第一にメルロ=ポンティにおいて哲学の学としての理念はどうなってしまうのでしょうか。
学問としての体系は成立しないけれども、個々の学問は同じ存在の表現型で、哲学はこの存在の根源性を
考える学問である、という理解はできるでしょうか。

それと、第二にメルロ=ポンティにおいて現象学とは何でしょうか。
メルロ=ポンティの哲学をなお現象学と呼ぶとすれば、それはどういう意味においてでしょう。
また逆に、メルロ=ポンティは現象学ではないという場合、知覚の現象学以降のメルロ=ポンティが
現象学から決定的に離脱したことを示しうる箇所があるでしょうか。

以上の質問について、良い文献などあったらお願いします。
もちろん文献なしでもお答えしてもらえればありがたいです
343FROM名無しさan:05/02/21 07:44:36
想像してごらん、天国はないと
簡単でしょう
地面の下に地獄もない
私達の上に空があるだけ
想像してごらん、全ての人間を、
今日を生きている
想像してごらん、国境のない世界を
そんなに難しくないさ
命を奪う武器もなくて
宗教の違いもない
想像してごらん、全ての人間を、
平和に生きている
僕は夢見人かもしれないけれど
一人ぼっちじゃないよ
いつの日か仲間になって
世界がひとつになる
想像してごらん、財産のない世界を
あなたにできるだろうか?
欲張りや飢餓の心配もない
人類の兄弟愛
想像してごらん、全ての人間を、
世界を分かち合う
僕は夢見人かもしれないけれど
一人ぼっちじゃないよ
いつの日か仲間になって
世界がひとつになる