一つ言っておきたいのは、上の方のレスでさかんに日本の法哲学者が語学ができないことを
煽っているようだけど、自分が見る限りでは日本の法哲学者は語学ができないとは思えない。
例えば、数年前に井上達夫がNYUのロースクールで集中講義を行ったことがあるし、
一人で英語の単行本のページ数が多い本を訳しているのを見ると
(例えば小林公訳の『法の帝国』、森村進訳『理由と人格』など)
「読む/書く」に関しては、それほど問題がないと思う。とりあえず、書くだけ書いてネイティブ
にチェックしてもらえばいいんだし。むしろ問題があるとすれば「聞く/話す」の方で。まあ、これは
英語の論文を書く際の当座の問題にはならない、と。
ここで問題にしたいのは、果たして英語で論文書いて、英語圏に発信できるほどの内容を持ったものが
日本の法哲学界にあるのかということ。確か、数年前のNYUの井上達夫の集中講義は世界各国の法哲学
者を招いて講義するというイベントの一環だったように記憶しているのだけど、井上先生には失礼ながら
彼がやっぱり世界各国の法哲学者のone of them にしか見えなかったんだよね。正直、仮に彼の主著で
ある『共生の作法』とか『他者への自由』などがもし英訳されたとしても、それほど、話題にはならない
んじゃないかな。
個人的には、本当に優れた独自性を持った業績であるのであれば、多少時間がかかるかもしれないが、
今の時代、普通に英訳されると思う。
空洞化しているものが更に空洞化するという意味です。
(まあ、突拍子のない仮定であったことは認めますが)
仮に日本の法哲学界に彗星のようにケルゼン・ハート・ドゥオーキンクラスの法哲学者が
現れたとして(可能性は限りなく低いかもしれないが、ゼロではない)それをハゲタカの
ようにアメリカの大学に持ち去られる可能性があるということ。というのも、アメリカとい
う国は、自分でオリジナルなものを生みだして何かをつくり出した国というよりも、優れた
才能を集めることで発展してきた国だから。(移民の国だし。しかし、おいしいね、このシ
ステム)
例えば最近だとAndrei Marmorの例を挙げることができる。
確か、彼は、イスラエル出身でずっとイスラエルの大学で教えていたはずなのに、いつの間にか
南カリフォルニア大学に引き抜かれてたんだよね。
上の方で日本の経済学者は日本の方が住み心地がいい、という書き込みがあったけど、ただ単純
に英語で論文書いても、日本の経済学者の業績がまだまだ認められてないからだと思う。だいたい
日本人のノーベル経済学賞まだ出てないし。
これは法哲学じゃない分野でプリンストンで教えていた日本人の先生に話を伺うことがあったのだ
けど、「なんで、プリンストンを辞められたのですか?」とのこちらの質問に対して
「テニュア(終身雇用)をもらうのが非常に厳しい」とのお答え。
ただし一度、優秀だと認められたら掌を返したように、好条件でオファーを出してきます。
Thomas Nagelが、プリンストンからNYUに移るときに、確か、NYUはプリンストンの2倍の金額
で給料を出したと聞いたことがあり。
まあ、でもこの方が日本の閉鎖的な学界に刺激を与えるから良いのかもね〜
赤木 完爾 教授 国際政治,戦争史,国際安全保障
有末 賢 教授 社会学(地域社会論・生活史)
出岡 直也 助教授 現代ラテン・アメリカ政治論
井上 一明 教授 現代アフリカ政治論,アフリカ現代史
大石 裕 教授 マス・コミュニケーション論,政治社会学
大山 耕輔 教授 行政学
小此木 政夫 教授 韓国・北朝鮮の国内政治,北東アジアの国際政治
蔭山 宏 教授 政治思想,政治文化
笠原 英彦 教授 日本政治史
河野 武司 教授 政治理論,計量政治分析
国分 良成 教授 中国現代の政治・外交,東アジア論
小林 良彰 教授 政治理論(政治過程論、公共選択論),現代政治分析
添谷 芳秀 教授 国際政治学,アジア太平洋の国際関係,日本外交
高橋 伸夫 助教授 中国現代政治史
田所 昌幸 教授 国際政治学,国際政治経済学
田中 俊郎 教授 国際政治,とくに欧州統合論,英国外交史
田上 雅徳 助教授 政治思想
玉井 清 教授 近代日本政治史
堤林 剣 助教授 近代政治思想史
寺崎 修 教授 日本政治思想史,日本政治運動史
富田 広士 教授 中東政治経済論
根岸 毅 教授 政治理論
萩原 能久 教授 政治哲学,社会科学方法論
細谷 雄一 専任講師 外交史,国際政治学
山本 信人 教授 東南アジア地域研究
横手 慎二 教授 ロシア政治外交史
久保 文明 客員教授 現代アメリカ政治,アメリカ政治史
薬師寺 泰蔵 客員教授 国際政治理論,政策科学