864 :
FROM名無しさan:
●ユダヤが捏造したネオコン勢力●
キリスト「狂」福音派は本来、カナンの地をユダヤ人が占拠すべきであり、
「世界中のユダヤ人がすべてイスラエルに集結すべきであり、それによって初めて
メシアが再臨する」という聖書の黙示録の記載を信じる人達なのです。ですから、イスラエルがパレスチナを攻撃し、アラブ人を追い出すこと
は、彼らの信仰上好ましいことです。どうやらユダヤ勢力は、この福音派の考えを旨く利用するために、キリスト教原理主義なる勢力をでっち
上げて、7000万の福音派人口を味方につけようと企んだ様子です。
ブッシュは、 その福音派7000万人の組織票のおかげで当選しました。 その福音派の中核に資金力で座り込んでしまったキリスト教原理主義者
=隠れユダヤ?は、もう一つのユダヤ勢力である「ネオコン」と連携して、ユダヤであることを隠しつつ、アメリカの保守層を根こそぎ 味方に
つけ、知らず知らずのうちにユダヤの利益追及にアメリカ全体を動員・協力させているとういうことなのです。911による中央アジア進出も
パレスチナ虐殺もイラク侵攻も......ユダヤの利益追及の一貫なのでしょうか?
865 :
FROM名無しさan:03/07/30 09:24
続き
▲ロックフェラー・ブッシュの為に福音派指導者を篭絡するのは、統一教会の役割▲
そして、その福音派・キリスト教原理主義者に麻薬資金を注入する統一教会という存在があります。ブッシュ親子のスポンサー
でもある統一教会は、福音派重鎮であるロックフェラー( 隠れユダヤ、ロッケンフェルター)と繋がっています。福音派指導
者の多くが、既に統一教会のカネで篭絡されてしまっています。
宗教右派の中心にいつのまにかちゃっかり座ってしまった統一教会が、福音派指導者を根こそぎ買収して、福音派7000万人を
ブッシュの隠れユダヤ政権支持に廻らせる大役を果たしたということでしょう。その統一協会が、イスラエル・リクードの選挙
に資金援助をしています。アメリカの最大の政治勢力である福音派は、いつのまにかユダヤの装置として機能させられている
のです。
866 :
FROM名無しさan:03/07/30 09:25
統一教会が結ぶ、金王朝−ブッシュ親子−キリスト教原理主義−ロックフェラー−ユダヤ−CIA−モサド−日本会議−創価学会−生長の家、の輪。
という訳ですね。 北朝鮮は麻薬栽培奨励故にこれらの輪に加わることができ、タリバンはアフガンの麻薬栽培を撲滅したが故に統一のリンクから攻撃を受けてしまった、ということ。
ブッシュ政権の支持母体である「福音派」の指導者が、1990年ごろから北朝鮮に足繁く通っています。どうせ良からぬ
商売のためでしょうが、ブッシュや黒幕のためのメッセンジャーとはなり得ます。 ブッシュの信仰するのはキリスト教
原理主義のビリーグラハムの宗教右翼の一派ではないかといわれています。その強烈な反共団体のはずで、ブッシュが
私淑していたという故ビリー・グラハム師が、案の定北朝鮮とべったりの関係でした。
福音派の連中と時を同じくして、ブッシュとロックフェラーの盟友である文鮮明の統一教会が北朝鮮との接触を始めま
した。北の政権の中枢に入りこんでいるのです。ピョンヤンには、統一教会の日本人信者が数千人いると言われているの
です。さらに、統一教会は北朝鮮で自動車の合弁工場すら始めています。
また福音派のテレビ伝道者と統一教会は、どちらも麻薬事業に従事している可能性の高い組織です。これらの宗教が北朝鮮と
接触を持ったあたりから、北朝鮮の麻薬栽培が急増しています。
867 :
FROM名無しさan:03/07/30 09:29
868 :
FROM名無しさan:03/07/30 09:30
統一教会の暗躍は極めて多岐にわたっています。オウム事件すら、主犯は統一教会であったと解釈しています。金王朝、ブッシュ
親子、キリスト教原理主義、ロックフェラー、ユダヤCIA、モサド(イスラエル)、日本会議、創価学会、生長の家....統一は、これらと密接な
関係を持っています。そして最大の問題点は、統一教会とユダヤ暗黒勢力の裏の提携であると理解します。統一教会は、シオニス
ト暴力団の別働隊です。
キリスト教原理主義指導者をカネとオンナで篭絡し、福音派の票を取り纏めて、ブッシュを無理やり大統領にでっち上げたのは、
文鮮明の仕事であった。福音派の「聖書至上主義」を利用して、イスラエルの覇権達成を目論むシオニストが統一協会を隠れ蓑に
使っていると見る。福音派7000万人をイスラエルの味方につけ、イラク侵略を支持させた。イラク戦争自体もシオニストの策略の
結果。
ttp://www.freeml.com/message/[email protected]/0000249
869 :
パレスチナ問題:03/07/30 09:35
1940年、ハガナーが船を爆破し、多くの同胞を殺す。
(パトリア号事件、公式の犠牲者数は276人)
1944年11月、カイロを訪問中のイギリスの中東担当大臣ウォルター・モイン卿が射殺される。
犯人は、イツァク・シャミール(1986年イスラエル首相)指揮下のシャミール集団のメンバー。
1946年7月、イギリス軍が司令部を置いていたエルサレムのキング・デーヴィッド・ホテルが
爆破され、イギリス人、ユダヤ人、アラブ人合わせて、ほぼ100名が死亡た。
シオニストのテロ組織イルグンの仕業であり、指揮官のメナヘム・ベギン(1977年イスラエル首相)
が犯行声明を発した。
1947年11月、パレスチナ分割181号決議を採択。
1948年3月、ハガナーが、ダレット計画(大規模な破壊活動で181号決議で定められたユダヤ人
地域内のアラブ社会を破壊し、住人を全て追い払おうという計画)を発動する。
1948年4月、デイル・ヤーシン村で254人のパレスチナ人(女、子供を含む)がイルグンとレヒの
合同軍に殺される。(テロを実行し恐怖心を与え、アラブ人を追い出した)
1948年5月14日、ユダヤ人の指導者ベン・グリオンは、一方的にイスラエルの独立を宣言する。
翌15日、トランス・ヨルダン、エジプト、イラク、シリア、レバノンのアラブ諸国は、イスラエルに
宣戦布告し、第一次中東戦争が勃発する。
1948年9月、国連の第一中東戦争調停官ベルナドット伯(スェーデン)、ユダヤの過激派テロ分子に
エルサレムで暗殺さる。
−−−−
−−−−
1982年、レバノン侵攻、サブラ・シャティーラ難民キャンプで大虐殺。
1990年、イラクと関係の深かったカナダ人科学者を、ベルギーで暗殺する。
昨年は、ジェニン虐殺事件が報じられた。真相はいまだ明らかではない(国連の調査団をイスラエルが拒否)。
870 :
FROM名無しさan:03/07/30 09:38
871 :
FROM名無しさan:03/07/30 09:42
ディール・ヤシン事件とクフ・カセム事件
イスラエルの独立宣言は1948年5月14日、午後4時30分のことである。
独立宣言のほんの1ヶ月ほど前の4月9日、エルサレム近郊のディール・ヤシン村を
右翼ユダヤ人軍事組織「イルグン」と「レヒ」が襲撃した。この村にはパレスチナ人が
居住しており、この襲撃によりお年寄りから子供まで250人以上が無抵抗のままに虐殺された。
生き残った者も血みどろのまま、エルサレムの中心街をみせしめのために行進させられた。
しかしてこの村はアラブ人によるエルサレム攻撃に参加することもなければ、アラブ軍が村に入って
来ることさえも拒んだような中立の立場であった。 このような罪のないアラブ人の
村までもが、イスラエル軍の攻撃に遭ってしまったことでパレスティナ人は相当な打撃を受けたらしい。
「アラブ人をパレスティナから追い出すのが目的だった」と、この事件の責任者達が提出した書類にあるが、
その思惑通りに多くのパレスティナ人がパレスティナを逃げ出した。もう一つカタモンという村でも同じような
事件が起こったために、1948年4月だけでも25万人のパレスティナ難民を産み出したというわけである。
872 :
FROM名無しさan:03/07/30 09:44
しかしここでイスラエルの言うことがふるっている。
「アラブ軍が村人に村を離れるように指示を出し、村人はその指示に従ったのだから、
イスラエル軍が追い出した訳ではない」
「勝手に逃げ出した後に残された財産、土地をイスラエル軍が没収するのは不法ではない」
先程も書いたとおり中立であるはずの村人が、イスラエルの虐殺なしに突然25万人も
逃げ出したりするものだろうか。置き忘れられている財布は見つけたら「ぎっちょんちょん」
していいものだろうか。私は交番に届けるように躾られた。
イスラエルというとナチス・ドイツによる虐殺の被害者的イメージが強いと思う。
パレスチナ・アラブはテロばかりしているイメージがあるのではないだろうか?しかして、
この村で起こった事件は加害者はイスラエル軍であり、これをテロと呼ばずに何だというのだろう?
イスラエル建国物語では「このユダヤ人テロリスト達は、パニック状態に陥り、アラブ人兵士だけでなく
村の女子供まで殺してしまったのである」などとお茶を濁し、パレスティナ人を追い出すための作戦であった
ことには触れていない。その証拠にイスラエルの教科書からこの歴史的な虐殺を抹消して一言も触れていない
ことが、現地のイスラエル人に質問した結果分かった。どっかの国の南京大虐殺にまつわる教科書問題のよう
でもあるが、歴史は歴史で実際に起こったことなのである。
873 :
FROM名無しさan:03/07/30 09:47
クフ・カセム事件1956年10月29日にヨルダン国境近くの村で起こった
トリックである。 国境附近の警備を強める為に外出禁止令が4時半に出され、
30分後に「厳格に」執行された。「厳格に」とはどういうことか。村長は村の
近くにいた村民に外出禁止令を伝えたが、遠くから帰って来る者には伝える術もない。
つまりこの外出禁止令のことなどまったく知らずに村に戻って来た村民に対し、
イスラエル国防軍は銃弾を浴びせたわけである。43名の死者と7人の重傷者を出したが、
この半数が女性と子供である。しかしてこの事件は、週刊誌が書き立てるまで前出の
ディール・ヤシン事件と同様に隠し通される。 事件が明るみに出たところで裁判が行われ
43人もの人の命とひきかえにこの事件の責任者達には、5年〜17年の刑が言い渡された。
17年という年月が長いが短いのか私には分からないが、その後市民の間に減刑を訴える
運動がおこり、幾度かの減刑の後、判決が言い渡されてから一年半で全員が釈放となっているのには、
どうにも理解に苦しむのである。
874 :
FROM名無しさan:03/07/30 09:48
意中の人に告白することは、とても大変なことです。
もし、断られたらどうしょう。
最初から高嶺の花だったんだ。
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875 :
FROM名無しさan:03/07/30 09:49
「友達のパレスチナ人の家にね、ある日突然イスラエル人が引っ越して来たんだって」
「それで?」
「今日からここは私の家だから、オマエ達は出て行けって言われたらしい」
「そんな馬鹿な」
「そうなの。売った覚えもないのに家の権利書があって、私は正規に買ったのだからここは私の家だってその場で追い出されたんだって」
「家具とかあるでしょう?どうしたの?」
「家具ごと買ったんだから着のみ着のままで、出て行かされたって」
怖い話である。もしあなたが苦労して手に入れたマイ・ホームに、突然イスラエル人がやってきて
「ここは俺達が家具付きで買ったんだから、とっとと出ていってくれ」
と言ったとしたら、かなりびっくりするのでは無いだろうか?
876 :
FROM名無しさan:03/07/30 09:53
アメリカが提案しているパレスチナ和平のロードマップはまったくの欺瞞で
真のパレスチナ開放とは程遠いイスラエルの権益にばかり配慮したものだ。
20001年以降に侵略したパレスチナの領土のみを返還させようとするもので、
1948年に行われたパレスチナの国土の78%もの侵略、1967年にはさらに残った
22%もの国土も占領しているわけだがそんなことは度外視で、ほんの鼻糞ほどの
ゲットーにこれからもパレスチナ人を閉じ込めつづけようとする、パレスチナに
ばかり譲歩と諦めを要求するものだ。だがパレスチナ自治政府のアッパス首相は
このまま民族絶滅されるよりはましだということで、涙を飲んでこの案を受け入れた。
877 :
FROM名無しさan:03/07/30 09:54
つい最近、パレスチナ人が住んでいるガザ地区にイスラエル軍が空爆を行いました。
ここは世界一、人間が混み合って住んでいる地域です。
1平方キロメートルに5500人が住んでいます。
同じガザでも、イスラエル人が住んでいる地区では、
1平方キロメートルに6人しか住んでいません。
その一方で、60%のところに130万人が住み、
40%のところに5000人が住む。この5000人のために、
イスラエルはガザ地域を封鎖し、道路を管理しているのです。(2002-8-15)
http://www.bund.org/opinion/1085-5.htm
878 :
FROM名無しさan:03/07/30 09:55
最近では「イラク軍がクルド人を化学兵器で虐殺した」ことを疑うマスコミや
評論家もいなくなったが、実際は国連人権委員会が調査を行った結果「イラク軍
がクルド人を化学兵器によって虐殺した事実は、認定されてない」のです。
また、イラク軍はマスタードガスやサリンでクルド人を虐殺したということになって
るが実際は「リシンによる直接的な摂取のための死亡者」が圧倒的に多かったのです。
そして、数千人のクルド人がイラク軍によって虐殺されてると言われてるが国連人権委員会
の調査では400〜500人前後という最終報告書が出されてます。
879 :
FROM名無しさan:03/07/30 09:56
イラン・イラク戦争に於いて両国ともお互いに毒ガスを使ったと言った。この点
を検証する論文も出始めている。国務省の極秘文書であるイラン・イラク戦争研究
資料を調査したアーミー・ウォー・カレッジ(Army War College)
の高官達の結論は注目に価いする。このカレッジは米軍士官学校制度の頂点に位し、
参謀養成機関として厳選された米軍人のみを入れる大学であり、陸海空軍の統合参
謀本部により運営されている権威ある機関だからである。其処の高官達によると、
1988年、毒ガス死者に関する事件が2度あった。1回目は未だイランとイラク
が戦争中の3月中旬、イラク国境のハラブジャ市。毒ガスでやられたクルド族は、
アメリカの専門家による調査の結果、シアン化物使用の結果であった事が明らかと
なった。シアン化物使用はイランのみ所有の毒ガスである。という事は、イラン側
の使用した毒ガスでクルド人達は死んだ訳だ。
2回目は戦争の終った8月で、北イラクのクルド族が戦時中政府に謀反を起こし
たと云う理由で、親衛隊の復讐に会い、命からがらトルコへ逃げ延びた。トルコの
医者達は患者や、病院における死者達を詳細に点検し、毒ガスの徴候はなかったと
言明した。当時の調査書類を審査したアーミー・ウォー・カレッジの高官達は、
「イラクがクルド族に毒ガスを使ったと云う国務省の主張には、全く確証がない」
と結論を下している。
昨年11月、感謝祭の折にサウジアラビアを訪れ、アメリカ軍を激励したブッシ
ュ大統領は、「自国の女性や子供達を毒ガスで殺したサダムと云う悪魔と闘うので
ある」と演説したし、伝説になる程世界中に広まった。中東においてガスマスクを
持っていなかったのはイラク兵のみだったと云われる。
880 :
FROM名無しさan:03/07/30 09:57
881 :
FROM名無しさan:03/07/30 09:58
「ブッシュ政権とユダヤ系軍産複合体の関係」
G・H・W・ブッシュ元米国大統領(父親)
CIA長官を歴任後、レーガン政権時には副大統領を務める。後に第41代米国
大統領に就任。米国の石油、エネルギー関連企業の重鎮。現在はカーライル社の
貿易関連の相談役を務め、ロックフェラー財団の重役に主任顧問も兼ねてるている。
G・W・ブッシュ現大統領
キリスト教原理主義者。石油関連企業、軍需産業の代弁者。ユダヤロビーから多額な
政治資金を得て代43代大統領に就任。
リチャード・チェイニー副大統領
パパブッシュ時代に国防長官を歴任。ロックフェラー財団の石油関連企業ハリバートン
会長(CEO)、イスラエル系軍事研究所、国家安全保障問題ユダヤ研究所の顧問。
夫人のリン・アン・チェイニーは90年代、ユダヤ系国防産業ロッキード・マーチン社
の重役を務めた。
R・ラムズフェルド国防副長官
フォード政権時にも国防長官を歴任。ユダヤ系軍事産業ロッキードのMD計画を推進する軍事
シンクタンク、ランド・コーポレーション理事長。ハリマン、モルガン、ロックフェラーの
ユダヤ財閥・財団の幹部を歴任する。
P・ウオルフォウイッツ国防副長官兼イスラエル政策担当官
ネオコン(新保守主義)の最高幹部の一人。生粋のユダヤ人。
882 :
FROM名無しさan:03/07/30 09:59
コンドリーザ・ライス国家安全保障会議責任者
ロックフェラー関連石油会社シェブロン社の社外最高責任者。
リチャード・パール外交政策アドバイザー兼国防政策会議議長
ユダヤ国家安全保障研究所のメンバー。過去にイスラエルに米国の最高機密を漏らし
逮捕歴がある。
ドナルド・エバンス商務長官
ロックフェラー関連エネルギー企業トム・ブラウン社の社長(経営破たんしたエンロン
と深いつながりがある)
キャサリン・クーパー商務副長官
ロックフェラーの石油メジャー、エクソン社のチーフ・エコノミスト。ユダヤ人
ノーマン・ミネタ運輸長官
ユダヤ系防衛産業ロッキード・マーチン社の副社長
アッシュクロフト司法長官
キリスト教原理主義者。シャロン政権と最も深いパイプを持つ人物。生粋のユダヤ人
エリオット・エイブラムス国家安全保障委員会アドバイザー
元モサド(イスラエル対外諜報機関)情報政策主任
ドーブ・ゼークハイム国防次官
ドイツ系ユダヤ人。ネオコン(新保守主義)のメンバー
ジェームズ・シュレンジャー国防総省アドバイザー
元モサド(イスラエル対外諜報機関)次官補
ロバート・ゼーリック通商代表
ユダヤ系金融関連企業の重鎮。ジョージ・ソロスとの長年のパートナ
ルイス・ルビー副大統領補佐官
生粋のユダヤ人
ブッシュ政権の様々分野の閣僚や閣僚にユダヤの影響が伺える。
ブッシュ政権の閣僚でユダヤとの繋がりがないと思われるのはパウエル
国務長官ぐらいのものだ。
883 :
FROM名無しさan:03/07/30 09:59
サウジ、クウェート、ヨルダン…。こういった中東諸国を見ていると米国が自分にとってコントロ
ールしやすい王家を支援し民主化を妨げていることがわかります。
米国のいう「自由と民主主義」が建前に過ぎないことの証明でもありますが、大事なことは中東の
反米は米国の政策によるものということ。
宗教は隠れ蓑にすぎず、問題の根底にあるのは政治と経済です。
人類の歴史を通して純粋な「宗教戦争」はありません。
「アメリカの味方はイスラムの敵」というのは表面に吹き出す形の一つであり、「強き者と弱き者」、
「富める者と貧しき者」が対立の根底なのです。
中東における「宗教対立」というのは、自らのえげつない政策から国民の目をそらしたい欧米のプ
ロパガンダと解釈した方が正しいでしょうね。
ソマリアで行われようとしたことを見ると、「宗教対立」が米国にとっていかに都合のいい方便で
あるかということが良く解ります。
イスラム教だから反米になるわけではありません。
イスラム圏への攻撃を行うから反米になるわけではありません。
反米になるのは米国の政策自体の問題です。
荒らされてる…。
885 :
FROM名無しさan:03/07/30 10:02
【アフガン侵攻に乗じて、アシュケナージの故郷を奪還できる?】
アフガニスタンのタリバーン政権との闘争状態を構築したことで、米軍はウズ
ベキスタンに駐留することが決まり、10月5日には米第10山岳部隊の1000名の兵士が
ウズベキスタンに向かっていることが公表された。話は突然変わるが、イスラエル在住
のユダヤ人にウズベキスタンの話をすると、多くの人が目を輝かせる。「サマルカンド
は私の生まれ故郷なんです」。「ブハラは私の祖先の土地。父も母もそこで生まれました」
――。ウズベキスタンのサマルカンドやブハラには今でもユダヤ人街が残っているが、
この地はアシュケナジー・ユダヤ(白人ユダヤ)の真の故郷なのである。そのウズ
ベキスタンに米軍が駐留し、イスラム過激派と対峙することは、ユダヤ人たちにとって
は歓迎すべき出来事であり、今のイラクでもユダヤ人が「大イスラエルの一部」
として土地を買い漁っている。これがどういうことかお分かりか?
886 :
FROM名無しさan:03/07/30 10:11
▽地元産業だけでは食べていけず、パレスチナ人民は自らの祖国を奪
イスラエル領内への屈辱的な出稼ぎを強いられてきた。パレスチナ人民は、
イスラエル人労働者の半分以下の賃金、その賃金のさらに20%を税金として
奪われ、社会保障費や失業保険基金の控除をされるがパレスチナ人労働者が
その恩恵に預かることは一切ない。
▽パレスチナ人労働者の収入はイスラエル人の10分の1。
▽しかも、こうした一切合切の現実が、アメリカに供給された武力による
弾圧・虐殺によって維持されてきた。パレスチナ人民は、石を投げただけで
射殺され、自爆戦闘に訴えればミサイルを撃ち込まれ、戦車で家を破壊され、
F16戦闘機で空爆を加えられてきた。イスラエル軍を一人せん滅すれば十人が
虐殺されるような弾圧を受けてきた。パレスチナ人民がゼネストに訴えれば、
イスラエル軍は商店に火を放ち、外出禁止令を乱発し、学校すら全面閉鎖した。
「抵抗闘争への報復だ」「イスラエルの安全保障のためだ」と数千・数万の家屋が
問答無用に破壊された。何の理由もなく数万・数十万の人々が逮捕・拷問されてきた。
887 :
FROM名無しさan:03/07/30 10:14
▽「なぜパレスチナ側は、和平に歩み寄らないのか」という意見がある。
しかし93年オスロ合意以来の「パレスチナ自治」と言われるものの実態を
見れば、そんなものは到底飲めない話だということが直ちに分かる。
▽「パレスチナ自治」の実態は、実は「自治」も「外交権」の一かけらもない
イスラエルによる軍政そのものだ。
イスラエルの入植地と軍事要塞、検問所と軍用道路によって散り散りに寸断された
わずかばかりの土地に、数百万人のパレスチナ人民が押し込められている。
パレスチナ側の「管理地域」とされた地域は、ヨルダン川西岸ではわずか17.2%の
面積でしかなく、ここに西岸パレスチナ住民の97.6%が押し込められている。
それも自治区を包囲する軍事要塞から戦車の銃口を常時向けられ、
監視されながら存在しているにすぎない。
全てを奪われ続けてきたパレスチナ人民は、この現実の中から繰り返し、
繰り返し民族解放闘争に起ち、アメリカとイスラエルに対する武装闘争を
叩きつけている。それは民族抹殺攻撃を受けてきた者の、積もりに積もった
怒りの爆発であり、民族の誇りと尊厳、未来をかけた正義のたたかいなのだ。
888 :
FROM名無しさan:03/07/30 10:22
欧米諸国が10年間爆撃を続けたイラクに。50万人の非戦闘員が犠牲になったイラク
に。有毒廃棄物の捨て場となるまでに爆撃されたイラクに。1991年も、1993年も、
1998年も、あるいは今も、イラクを威嚇し、標的として、爆弾を投下することは、イ
ラクの大量破壊兵器とは何の関係もない。
なぜ今日イラクが、格別の悪役にされているのか。
90年代末にイラク空爆を指揮したウィリアム・ルーニー准将が、あからさまにこう
言っている。
「イラクがレーダーのスイッチを入れたら、あいつらの地対空ミサイルを吹き飛ばし
てやる。彼らは、我々が彼らの国を支配しているのだということを知っている。彼ら
の領空も我々のものだ。・・・我々が、彼らがどう生きて何を喋るかを指図する。今
や、それが、アメリカの偉大さなのだ。これはいいことだ。特に、我々の必要とする
石油がたくさんある場合には」(ウィリアム・ブラム『ならず者国家』コモン・カレ
ッジ 2000年 159頁)。
これが真相だ。石油である。
どうしてこれが国際法違反の犯罪ではないだろうか?
889 :
FROM名無しさan:03/07/30 10:26
■パレスチナの一般市民の映像は10年前の映像だった!!!!
CNNは「今回のテロ事件に狂喜乱舞するヨルダン川西岸地区のパレスチナ人たち」という
ビデオ映像を放映していたが、ブラジルのカンピナス州立大学のマルチウ・カルヴァーリュが
同僚とともに、この映像を1991年当時のパレスチナ人を写した映像テープと比較検討して
みたところ、まったく同一の映像が使われていたことが判明した!
カナダのニュース報道ではテロ事件を悲しむアラブ人を映していたのに、米国のメディアは
“大喜びして祝うアラブ人”を映しだしている。
http://www.asyura.com/sora/war1/msg/243.html
早く起きて昼からの分を予習するつもりだったが今起きた。疲れてんだね。
12時まで勉強しよっと。
891 :
☆借金返済♪:03/07/30 10:36
892 :
FROM名無しさan:03/07/30 10:41
国連決事後も、パレスチナアラブ人がユダヤ人に対して総攻勢を行ったわけでは
ない。元々、アラブでは、シオニストの大量移民以前は、欧州のキリスト教的社会と
比戟し得るようなユダヤ人の人種差別は存在していなかったがユダヤ人差別の法律が
存在しなかったことは、その一つの反映と言える。アラブ人の反ユダヤ感情は、
英国統治下で煽られ、それは幾度かの衝突にまで進んだが、決定的な排外主義にまでは
至らず、パレスチナの解放勢力の中には、パレスチナ問題の現実的解決の方策として、
独立イスラエルと独立パレスチナアラブの併存という考えも存在していた。従って、
分割決議に不満があるとはいえ、それを止むを得ないものとして消極的に受け入れ、英帝の支配よりは前進だと考える部分が少なくなかったのである。
だが、中東における失地回復を狙う英帝は、パレスチナに混乱を持ち込み、委任統治に
逆戻りさせる機会をつくろうと試た。こうした意図の下の「参戦」であるため、英国は、
徹頭徹尾表に掛ることを避け、アラブ人の戦争に見せかけようとした。だが、英将校の
指揮下でパレスチナ戦争に参加したアラブ人は、実にニ〇〇〇人に過ぎなかったのである。
アラブ諸国共産党は、この戦争を英帝の謀略と把え、アラブ兵に対する戦闘拒否と反英闘争を
呼びかけた。又、シオニストも、当時は公然と英国の「陰謀」を非難していた。しかし、
数年後には、イスラエル国民の反アラブ感情を高めるために、これがアラブ人民の攻撃で
あったと歴史をぬりかえるのである。かくして、第一次中東戦争は、米帝と結託した
イスラエルによる領土獲得、それに対する英帝の反抗という、帝国主義の領土再分割戦の
様相を帯びたものであったにもかかわらず、それは、イスラエルに対するアラブの攻撃、
或はユダヤとアラブの民族戦争として世界に宣伝されているのである。
893 :
FROM名無しさan:03/07/30 10:42
CIAはクウェート政府を操り、石油を過剰に供給させた。この結果原油価格が
下落し、イラクの経済状態は悪化の一途を辿った。
さらにこの時、クウェートはイラクとの国境にあるルマイラ油田(地下の油脈は
イラク領内にも伸びている)から過剰に採掘した上、採掘坑を斜めに掘る事で
本来イラクのものである原油をも勝手に掘り出した。これによりイラクが受けた
損害は数十億ドルに達するという。またイラン・イラク戦争の際の対イラク借款の
返済を強硬に迫り、交渉には一切応じないとする姿勢をとり続けた。
以上のような手段を使ってイラクに揺さぶりをかける事について、クウェート
国家安全保障長官とCIA長官との間に合意が存在した事を示す議事録が発見されている。
米軍は1989年の時点で、対イラク戦を想定した作戦計画を準備していた。
この事はパウエル将軍自身が認めているし、シュワルツコフ将軍の「作戦計画の
作成に1年半を費やした」という発言もこれを裏づけている。
また、1990年7月には、10万の兵力を投入する想定でイラク殲滅戦のコンピュータ
演習を行っている。
イラクがクウェートに対して強硬姿勢を見せ始めた時は米政府は無関心を装った。