http://toro.2ch.net/test/read.cgi/intro/1353546229/ ミカ、私は裏切られる恐怖を抱えていたから、痛みがやってくる可能性のある女性、
裏切る可能性のある女性とはそもそも無意識に交際しなかったと思うんだ。
妬くようなシチュエーションが仮にあったとしても、それは交際の初めの頃しかなかったから。
何故なら自分を裏切る心配のない女性というのはすなわち『理想の母親』であり、
母親であるがゆえに、いずれは恋人関係ではなくなってしまう。そして恋人関係ではなくなると、 興味関心が消えいずれは『モノ』と化す。人は『モノ』には嫉妬しない。
一連の歪んだサイクルが、心の中で形造られてしまっていた。
これまで自分の頭の中で生じていたことを書いてきたけれども、
結局自分の行動が『もう二度と痛い思いをしたくない』という無意識をうごめいているんだ
意識化されない記憶に支配されているのだとするなら、痛みを伴う可能性のある感情、
すなわち『嫉妬』と向き合うことは鍵となることだった。
これまでの私は嫉妬を感じないようにしてきた。
『嫉妬する』人間は醜い、精神性の劣る人物だと考えていた。ゆえに嫉妬を抑圧してきたのだと思う。
『嫉妬する』ことは、自分の心に痛みを伴うことだから、そういう痛みを心の内部に留めておきたくなかった。
『嫉妬』は裏切られる恐怖を孕む、不確実な関係性に付随するものだと思うから、そういう関係性を私は無意識に避けていた。
もうこれ以上、絶対に裏切られたくなかった。
だけども、嫉妬のない関係性は望ましいものだろうか?
嫉妬の感情の湧かない、『痛みのない世界』は本当に望ましい世界なのだろうか?
本当は、真逆だった。痛みを避けるがゆえに、何も感じられない世界に私は入り込んでしまっていたと思う。
そこは痛みのない『楽園』などと呼べるものではなく、何も感じない、誰とも関係性を結べない、
『一人だけの世界』だった。自分自身と『モノ』しか存在しない世界だった。
そこは飛び出したくなるには十分むなしく、孤独な世界だった。