くらえ!!ネオタイガーショット!!!  

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1日向くん
ばーかばーかっ!!
2福士:2001/07/18(水) 06:29
オウヨ!
3チェキナ名無しさん:2001/07/18(水) 06:31
夏休み直前につき夏厨注意報発令
4チェキナ名無しさん:2001/07/18(水) 06:45
何がオウヨ!だ意味不明なんだよオウ○
福士 福祉 鉄郎 噴くし 拭くし 噴くし 福留  伏し ぐっすん  無口
不苦死 、腹死 二郎 覆面 福氏 複視 吹いてるし! 福死 三枝 ふくし 徳次郎
オヤジ ウチ才 ハチ助 茜痰 波平  シボレー ゲン 悪魔将軍 哲郎
ジェロニモ ブロッケンジュニア バッファローメン 承太郎 レイ 日向くん 氏ね!!!
5チェキナ名無しさん:2001/07/18(水) 07:45
age
6サガット:2001/07/18(水) 08:36
あいぱー あいぱー あいぱーあっぱっかっと 
7チェキナ名無しさん:2001/07/18(水) 09:32
1はここで清めてくるがよろしかろ
http://usagi.tadaima.com/2chbbs/subback.html
8チェキナ名無しさん:2001/07/18(水) 20:27
k
9チェキナ名無しさん:2001/07/18(水) 20:29

           ζ
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   \悶え.|・  | \ (   人  )      /        ヽ
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102:2001/07/20(金) 21:47
2
11チェキナ名無しさん:2001/07/21(土) 18:10
age
12チェキナ名無しさん:2001/07/21(土) 23:51
ッテtッテテテ
13チェキナ名無しさん:2001/07/22(日) 04:39
age
14チェキナ名無しさん:2001/07/22(日) 04:40
つーかどのスレッド下げたいんだか知らないけど
sageて倉庫行ったって永久にログは残るってこと知ってるのか?
>age荒らししてるアホ
15で?:2001/07/22(日) 04:42
は?
16チェキナ名無しさん:2001/07/23(月) 03:54
a
17チェキナ名無しさん:2001/07/23(月) 04:13
金鳥の夏、厨房の夏
18チェキナ名無しさん:2001/07/23(月) 04:16
科学の優越性が一般に認められている現代社会では、科学の成果のS面的否定が主張されることはあまりない。科学的認識を通じてしか真理が獲得できないわけではないとか、科学的認識は限界づけられたものであるとか、科学的認識とイデオロギー的認識との間に本質的差異があるわけではないという形で、科学的活動とそれ以外の知的活動との同列化、相対化が図られることが多い。
 本稿ではそうした考え方に対して、<科学的認識の中に事実として存在する相対性>と、<相対主義>を区別するという立場から相対主義的科学観に対する批判を展開したい。というのも相対主義的科学観をめぐる賛成論の中にも反対論の中にも、<相対性の事実>と<相対主義>との混同が数多く見受けられるからである。相対主義者が主張するように科学的認識の中に相対性が存在することは確かに否定できない事実である。しかし<相対性の事実>を認めることは<相対主義>を認めることではない。相対性の事実から相対主義が論理的に帰結するわけではない。科学における相対性の事実の存在によって、科学とイデオロギーとの本質的同質性を主張する相対主義的科学論がすぐに正当化されると考えるのは誤っている。
 以下、第一節では、(1)科学的認識の歴史的発達、(2)科学的なものとイデオロギー的なものの歴史的共在、(3)経験的事実の歴史的限定性、(4)観察の理論依存性という四つの側面から科学的認識の中に実際に事実として存在している相対性の問題を論じるとともに、そうした相対性の事実を根拠とした相対主義的議論の展開を見ていくことにする。次に第二節では、<科学的なもの>と<非−科学的なもの>との歴史的共在の問題を取り上げ、科学的認識活動の歴史的=社会的相対的自立の観点から相対主義的科学観の批判を行なう。そして第三節では、<科学的であること>と<真理であること>の連関と区別という視点から、科学における相対性の事実を認識論的にどのように理解すべきなのかを示すことで相対主義的科学観に対する批判を行なう。1 科学的認識における事実としての相対性とその相対主義的理解(1) 科学的認識の歴史的発達と歴史的相対性
 科学的認識は歴史とともに一歩一歩着実に進歩してきた。例えば物理学の分野では、古代から中世にかけて多くの天文学者たちが正しいと信じ続けてきた天動説の誤りが近代になってコペルニクスやガリレオやニュートンらによって明らかにされ、地動説が勝利した。そしてそれと同時に、天動説の支えとなっていたアリストテレス的自然学の誤りも明らかにされ、最終的にはニュートン力学となって結実した。そして二〇世紀にはニュートン力学が光速度に近い領域で誤っていることがアインシュタインの特殊相対性理論によって、ミクロな領域で誤っていることが量子論によって示された。
 このように科学的認識が歴史的に発展するものであるということは、科学の中に歴史的相対性が現に存在することを示している。科学的認識の歴史的進歩の過程は、一面では誤謬の暴露過程でもある。天動説は誤っていたがゆえに地動説に取って代わられたのである。またニュートン力学の中に不十分な点があったがゆえに、相対性理論や量子力学といった新しい物理学理論が提唱されたのである。科学においてはこのように先s理論の限界や誤りの明確化を通して歴史的進歩がャし遂げられてきた。自然が汲みつくせないものであり、科学が永遠に進歩するものであるならば、現時点で正しいとされている理論もやがてはその限界や誤りが明らかにされるであろう。
 すべてのものは一定の歴史的限界を持ちその意味で相対的である、ということは科学的認識にも当てはまる。科学的認識に関する歴史的相対性の存在自体について疑うべき余地はない。ある時点において多くの人々によって絶対的な真理だと考えられていたものであっても後にその誤りが明らかになることはある。このことが科学的認識における第一の相対性の事実である。

是非感想を。
19とりあえず:2001/07/23(月) 07:19
sage
20チェキナ名無しさん:2001/07/25(水) 01:40
                   _
三三  三三          (  ) 三三
         ⊂\∧_∧/ /
   三三     (´∀` )/  三三
           (_   ))
三三      _   / / O    三三
       (Y_Y)(_)


       ∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧
       <オマエモナくんの     >
  ∧ ∧ <ネオモナーシュート!! >
  (゚Д゚)  <               >
   |  |   ∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨
21チェキナ名無しさん
おいおい、マジっすか?