私は3年前「依存症」って正体はなんやろうか?って考えた。
「打って後悔する自分」「打ちたい自分」これの繰り返し。
2ヶ月止めても暇が出来ると「うずうずソワソワ」
繰り返すうちに投資金額も異常に増えた。打つ時間も増えた。止め時も失った。
依存症はどんどん悪化した。止まらなかった。何故止まったか?
身内が共依存になった。私を助けてくれた。それでも止まらなかった。
子供が大きくなってきた。私は子供に何をしてあげられるだろうか?考えた。
そして改めて身内を見た。老いていた。巣立ったはずの子供(私)に苦労していた。
目が覚めた。パチンコは打たなくなった。
パチンコを止めても後悔と自分を責める毎日で前に進めなかった。
「依存症」と呼ばれる物にたいして「反省」は必要だけれど
失った物に「後悔」してはいけない。
これに気づいた時、一歩進めた。
仕事ばかりの夫にご飯が作れなかった。作りたくなかった。半年間、全部夫にやらせた。
気が済んだ。私の恨みはパチンコではなかった。
止めてから1年経過していた。止め3に来たのはその頃。
また夫の食事を作り始めた。
けれども原因がわかった時点で恐怖はなかった。
「依存症の再発」この言葉に洗脳されていただけだった。
おっちゅんの「身分相応」この言葉が大好きだ。
これに沿って生きれば教科書はいらない。怖くなんてない。