あらら
3と言えば三沢さん
サラシマキ
「蹴りたい背中」って どうよ。
>>5 たとえば・・・哀愁の漂っていない中年男の背中。
>>5 仕事が終わり帰宅して風呂から上がり座椅子に座り1b先のテレビのリモコンを「とってぇ」と動きもせずに言う旦那の背中。
>8 ワカルワカル
>>5 結婚前とは似ても似つかぬ脂肪だらけの女房の背中。
綿矢りさ の背中を 田口ランディ が・・・
曙の背中をボブ・サップが・・・
>>5 「お前最近太ったんじやねえか?」と自分のビールっ腹を撫でながら言う旦那の背中。
昔は盛り上がったのに
>>16 そう思うのなら、まず君が「蹴りたい背中」の感想文を書いてみてくれたまえよ。
綿矢りさ「蹴りたい背中」を読んで 3年P組 八幡さり
芥川賞に輝いたこの作品は、思春期の私には少々刺激が強すぎたように
思う。圧巻だったのはギャグボールを噛まされて、ブリーフ一枚になった
奴隷「ヤフー1号」が主人公のアケミに「私を、思い切り、そのおみ足で
蹴りつけてください」とよだれを垂らしながら懇願するくだりだ。官能的
な純文学、というものが存在することを私は思い知った。
前作の「インサート」といい、タイトルからして既に淫靡であると思う。
イプセンの「車輪の下」を読んで。
このドイツ人作家は、北杜夫が崇拝するといわれる、
ホンキートンキークレイジーアイラブユーを書いた、
狂介ヒムロと同郷である。
ちなみに、狂介ヒムロは、氷室京介の二重人格性をあらわす、
非情に重要なキャラクターで、立松和平となんの親交もなく、
BOWYと呼ばれる、十の昔に解散したバンドのヴォーカルを
かるがるとやってのけた、伝説の美声のニーちゃんである。
いや、正確にいえば、あった、といえよう。すでに、伝説だからな。
「源氏物語」
あまり日本語じゃないので読めませんでした。
「アンナカレーニナ」
私もあんなカレーになりたいと思った。
「戦争と平和」トルストイ著
戦争があるから平和はあるんだなぁ、ということを教えられました。
特にサダムがいなくなった後すぐにブッシュが寂しさに狂ってしまったところ。
戦争ばんざい!
戦争ばんざい!
戦争ばんざい!
「罪と罰」
ドストエフスキーは、幼稚園に乱入してオノで園児をいっぱい殺しました。
その罪を償うために執筆したのがこの本です。
でも神様が与えた罰として、この本は今、誰も買わないのにどこの本屋さんにも置いてあります。
かわいそうだったのでこの間、上巻と中巻の間に10円挟んでおいてあげました。
「罪と罰」
手塚治虫が、マンガで書いたのを最初によみ、
そののち、原作が読みたくなって、岩波だったか、なんだったか、
日本語訳されたそれを読んだ。
以上。
「三四郎」
昔、北杜夫のエッセイかなにかで、
「虞美人草」はツマラソが、「三四郎」は上出来だ。
と書いてあるのを読んで、興味が出て読んでみた。
虞美人草は、読むのが大変で、苦労したが、
三四郎は、まだましだった。
以上。
「ユリシーズ」
山本七平のエッセイか何かに、
「この本は、西洋人を理解する上で、とてつもなく重要な本だ」
とあったので、日本語訳を上中下巻に分かれたやつを買ってきて、
読もうとしたが、不可能だった。
なんのことやら、さっぱりわからん。
「ガリバー旅行記」
てっきり、童話だと思い、岩波版の文庫版のそれを高校生ぐらいのときに、
読んでみたら、童話ではないことがわかった。
以上。
北杜夫
小学生の時、通っていた塾の講師が、
不当なまでの北杜夫ファンで、熱心に読め読めとすすめたので、
すすめられるままに読み、ファンになってしまった。
遠藤周作
北杜夫のエッセイのなかで、頻繁に登場する彼の友人で、
狐狸庵と名乗っていた。
よく、考えてみれば、コリアンとは、韓国人という意味だが、
これは、ただの偶然の一致なのだろうか?
「車輪の下」ってヘルマン・ヘッセじゃなかった?
お笑いだとしても、入り口だけは正しく行きましょう。
どうでもいいが、米米CLUBの本で『車輪の上』『罪と罪』というのが
あったのを知ってる人、いまつか?
スティーブン・キング『It』
江戸時代に盛んに海外に輸出された絹糸は、欧米の上流社会では、いたく珍重された。
必然的に「糸」は「it」として英語に取り入れられるにいたった。
貴族や富豪の召し使いの中には、御主人様から、この絹糸をくすねる者もいた。
そして迷信深い彼らの多くが、この糸を「東洋の秘薬」として、食するようになった。
しかし、この糸の中には体内のセンチュウや病原菌がからみついた状態で排せつされるものもあった。
そして、それらは排せつ直後に食した者を襲う等の絶大な被害をもたらした。
このいきさつをモチーフにしたのが、カミュの「変身」であり、その糞の糸をたどって
日本に流れついたのが、彼の血筋であるセイン・カミュである。
『It』は、大河ドラマチックに糞の糸伝説を綴った名作中の名作である。
あらすじのみで、感想は省略させていただきます。
福沢諭吉「学問のすすめ」
ふかふかの座ぶとんで寝ていた猫が、変身して髪結いの亭主になることを夢見る。
猫ですら理想を持つ。ここーにおいて皆に高い理想をかかげて、勉学にいそしむことを
奨励した書である。
感想 みにつまされて、おもわずアサヒ芸能を手にとり、脳内革命論を学ぼうと思った
エマニエル・カント「純粋理性批判」
純粋とか理性とかいうものの欺瞞を鋭く突いた、哲学史上の
一大名著である。カントによれば、純粋な愛や純粋な男など
存在しない。存在する全ての男は、女を見ると、「物自体」が
むくむくと立ち現れる。このような構造を持つ世界において、
勃起中の男に理性を求めても、全く無意味である。
カントの着目点は、現代においても何ら古さを感じさせない。
おそらくカント自身も、大いに立ち現れまくったのであろう。
ルネ・デカルト「方法序説」
デカルトは、様々なものの方法(How-To)を述べることに生涯を
捧げた。本書はその入門編であり、デカルトのHow-Toシリーズ
全体が見渡せるカタログになっている。
本書でデカルトは「われ思う、ゆえに我あり」という有名な命題
を提示している。何かをしたいと思うとき、私のHow-Toシリーズが
必ずお役に立ちますという意味である。この精神は、現代世界にも
ユーキャンの通信教育などの形で確実に受け継がれている。
「死に至る病」ゼーレン・キルケゴール著
それは
絶頂に至るピストン
のようなもの
違うのは
楽しさ?
ピストンとは、恋愛関係であると無関係であるとに関わらず、
肉体関係が関係して気持ちイイ関係である関係となっている状態であり、
しかもその関係がつまりは簡単にいえばちんことまんこの関係にとどまらないのだから
やっぱり簡単にはいえないやごめんなさい。というふざけた書きだしはあまりに有名。
宮部みゆき「レベル7」
人間の知的レベルを7段階に、彼女的に分類している。
最高のレベル7の一例として
「A man is standing by the hole.」という名文を耳にすると、
条件反射で陰核に指を這わせることのできる自○こそ、レベル7なのだそうだ。
感想 英検5級受験に取り組み、早く上記の英文が訳せるようになりたい
という、野心をいだいた
高村光太郎「智恵子抄」
高村光太郎作品の代表作と言われる詩集であるが、
全編通じてやたらに「智恵子、妙子、とりあえず炒めたい」と言う表現が使われており、
光太郎の情熱的な愛が簡潔な詩によって連続して語られている。
智恵子の死を挟んでからの「レモン哀歌」以後の段落において、
計8頁に渡って「レモン」で埋め尽くされる流れは圧巻の一言。ほぼ嫌がらせである。
巻末掲載:「智恵子の半生」にすら「レモン」としか書いていないのはその愛情故なのだろうか。
感想:すっぱい。
うんこのスレいいかも
養老孟司の「バカの壁」を読んで
少し未来のある国で政府は「バカ」と認定した人々を
隔離する政策を取っていた。「バカ」と「バカじゃない」を分ける壁。
英府が実施した共通模試で人間性を計れると言うのだろうか?
この話のように無理矢理引き裂かれてしまった恋人達は、
日々その「壁」に向かって嘆き続ける。
現代薄れつつある学歴偏重主義だが、それでも「学歴厨」はまだ多く存在する。
勉強が出来る人間が優良、勉強が出来ない人間は劣悪であるとする考え方は
ナチスドイツの選民政策にも通じる部分があり、
筆者は学歴社会に警鐘を鳴らしている。
私もこの本で読んだことを、明日の期末試験に生かそうと思う。
泉鏡花「高野聖」
さいきんスローフードと言う言葉が巷でもてはやされているようだが
日本食、特に高野豆腐とひじきについての薀蓄と
美味しい食べ方について
鏡花おばちゃん(大正生まれ)が教えてくれるおばあちゃんの知恵袋的小冊子
高野豆腐はもそもそして好きでは無いしひじきは黒いから食べませんでした
でもこの本を見て自分も高野豆腐を好きになれそうに思いました
やっぱり鏡花おばあちゃんの言うように好き嫌いは良くないと思います
金原ひとみ「蛇にピアス」を読んで 3年1組 金 原子
いくらピアスが好きだからって、可愛がっているペットの青大将の「アオくん」の頭にまで
ピアスを突き刺してしまうのは良くないと僕は思います。それはいわゆる動物虐待になる
のではないだろうか。どうせピアスをするなら、どうして主人公は自分の恋人でもあり、
皆から若大将と呼ばれて慕われている馬鹿山雄三の亀頭に突き刺さなかったのだろう。
僕は主人公の気持ちがわかりません。僕なら絶対にペットよりも恋人とお揃いのピアスを
したいと思うからです。
谷崎潤一郎「痴人の愛」
これは自分の乳首を他人に見せることでしか快感を得られない男、光一の物語で
ある。彼にとって愛する女に乳首を見せることが唯一の快感であり、同時に愛情
表現である。「うわっ、乳首黒っ!」というのは彼に対する最高の賛辞なのだ。
彼のそんな性癖は、子供のころ両親の騎乗位を見てしまったという衝撃が原因
なのだろう。正常位だったらたぶんそんなことにはならなかったと思う。騎乗位
の恐ろしさを改めて感じさせられた作品だ。
植田まさし「コボちゃん」
短い作品ながら、非常によくまとまっている。
作者の痛烈なまでの純粋さが伝わってくるような気がする。
主人公の壮絶な生き様に、現代の矛盾を感じざるを得ない、まさに、
現代の悲喜劇と言えよう。
太宰治「斜陽」
かの有名な「日はまた昇る」のアンサーブックであることはあまり知られていな
い。
金原ひとみ「蛇にピアス」を読んで 高校一年 雛原かとみ
私はこの本を読んで芥川賞対象の作品ととSM小説との違いについて考えさせられました。
数年前元わらべの高部知子が性器にピアスを入れた写真集を出したことがありましたが、この小説は活字なのでインパクトは薄いと思います。
男性器というものはしばしば亀に例えられるモノですが、蛇と例えた筆者がうらやましいと思いました。
村上龍「13歳のハローワーク」
現役サラリーマンの私にとって、この本は現実の厳しさを小中学生にわかりやすく、
説明してある内容だと感じられた。幼いころから歌舞伎町の裏側を
知らしめることは、とても大切な教育である。特にヘルスとイメクラの
差異点は、コスチュームがあるかないか、脱がせるか脱がせないか、
攻める攻められるどちらに重点が置かれているかなど、大人でもその
違いがわかりづらいというのに、なかなか著者も考えたものである。
ただ、紹介されている職業が水商売や風俗、肉体労働ばかりで、
芸能関係が割愛されているのは、そう簡単に芸能人にはなれないのだ、
という著者のメッセージが込められているのだろう。
山崎豊子「白い巨塔」を読んで
まず、一読してキョトンとした。谷啓に「ガチョーン」と言われたかのようだ。
頭の中は真っ白だ。