801 :
異邦人さん:
韓国人の残虐な性格ーベトナム戦争
ベトナム人は、冷ややかな目で、韓国人をみている。以下は、ベトナム戦争での韓国人による大虐殺の1シーンです。
- 韓国軍が耳を切り、鼻を切ったという話があります.
= 実際にそのようなことがありました. 中隊員の中の一名で、死んだ者の目玉を取ってアルコール漬けにした兵士がありました。
また、一名は、片方の耳だけを切って集めて針金に通して、幕舎前に掛けたりもしていました. ‘何故そんなことをするのか’と聞いたところ, 帰国する時に記念に持っていくと言いました。
これらの行為に対して、いまだにベトナム人に、謝罪しようとせず、黙殺しようとしています。
ある韓国人は、「ベトナム人から謝罪要求されていないからいいんだ」といってました。
802 :
異邦人さん:02/01/10 13:19
元韓国兵、K氏の告白(1)
「彼らの憎悪心が癒されたら…」、
「部下たちがやったことも、私が死なせたと同じ。韓国政府の補償がなされることを 願います」
私は、ベトナム戦争のことで、K氏を取材した。
K氏は、プクビン村事件で、被害者が、女、子供ばかりだったことに、罪責感がつのるという.
プクビン村の取材では、「その村が呼んでいるようだ」としながらも、韓国軍の蛮行に対して、「初めて聞いた」という反応を見せた。
そして、爆弾窪み事件に対しては、「謝罪する気持ちはない」とした。しかし、女子供がベトコンと、いえども、政府は、補償すべき、という態度を見せた.
803 :
異邦人さん:02/01/10 15:02
ベトナム戦争ー韓国兵へのインタビュー
【その1】(記者は、韓国人)
記者: 武器を持たない、ベトナム青年達をどうして爆弾の窪みに並べて殺さなければ
ならなかったのですか。
K氏: 彼らを殺すことになる山窟がある方向から、ベトコン軍の攻撃にあっていた
のです。言葉は通じなかったが、当然ベトコンだと思いました. しかも、
皆男ではないですか。
銃は洞窟に隠してあったのでしょう。私達は探し出せなかったのですが…。
十分に戦闘兵力化できる人々でした。彼らを連行している時、山上からベトコン
が狙撃をしてもきました.
記者:隊員の中に「青年達を生かそう」と言う人は、いなかったのですか?
K氏: 逆に、部下からは、すぐに殺さないことに不満があったくらいです。最初は、
私も生かそうとしました。 ところが、別の作戦任務が下された。ベトコンの
巣窟なので、監視兵を何名か置いて行くこともできず, かと言って連れて行く
ことも出来ませんでした。
804 :
異邦人さん:02/01/10 15:02
【その2】
記者: 韓国軍が村を一気に処理しているので、若い男たちが集団的に避けて身を
守っていたのではないかと、仮定することができるのではありませんか?
K氏: 婦女子と赤ん坊だけが村に住み, ベトコンは夜には、村に入り、夜明前に
山に戻っていました。それで、夜が明ける前に村を包囲することになりました。
記者:全部がベトコンだとみることはできないのではありませんか?
K氏: 捕虜を尋問しなかったからわからないのですが、恐らく、ベトコンかその
同調者たちであったでしょう。
記者:青年29人を爆弾の窪みに埋めた後、大隊に報告をしましたか?
K氏:しませんでした。
805 :
異邦人さん:02/01/10 15:03
【その3】
記者:一部の村で一気に処理をしたというのに, それも報告をしなかったのですか?
K氏: それもしませんでした. 家が燃えているので、大隊長が何故火事が発生した
のかという連絡はきました. そのまま、わら束が燃えていると報告しました。
記者:激戦だったようですね。
K氏: ゲリラ戦です. その村の人々は、ベトナム政府の統治地域の外に居たのです。
作戦は、完全に敵地で遂行されたのです。ベトコンをせん滅しにいったのです。
敵地では、ベトコンでも、そうでなくても、識別しません。
あらゆるベトナム作戦の様相が、みなそうですよ。私達が負傷したら、無条
件に撃ちまくるということです。
記者:一般市民も多かったのでは?
K氏: そうかもしれません. 朝鮮戦争の時も、お金がなくて、そのまま残るほかない
人々がいましたから。
806 :
異邦人さん:02/01/10 15:03
【その4】
記者:作戦が終わった後、「やり過ぎだった」という話が出てこなかったのですか?
K氏: 回顧する余裕がありませんでした。私たち、隊員一名一名が犠牲になっては
ならないという信念しかなかったのです。
記者: 将校が「殺すな」と言っても、隊員が後で殺した場合もあったそうですが、
命令不服従ではないですか?
K者: ベトコンを 追っている最中は、もちろん、制止できる。しかし、後からは
制止できないですよ。やけくそになっているのに。
大部分は将校たちが見ることができないなかで起きるのです。将校たちが監督を
怠ったというよりは、作戦遂行中に起きるので、引き止めることができないのです。
また、あっという間に起きる事ですから。
記者:村に入ったら、一般的に人々を集めるのですか?
K氏: そうです. ベトコン容疑者と分けなければならないのです. それ以外に捜索する
方法がありません. ベトコンが突然現れて、手投げ弾を投げて逃げたこともありました。
住民を集めて、韓国軍が被害に会えば、家族が全員死ぬという見せしめにしました。
807 :
異邦人さん:02/01/10 15:04
【その5】
記者:容疑者だと思われる人々をどのように扱ったのですか?
K者: 一部はそのまま置いて、若い人々は連行します。若者はベトコンだと考えて。
そして、幸い作戦が早く終われば、捕虜として連行します。しかし、作戦が早く終わらず、
我が軍が被害を受けたら、自分の命を守りきれずに死ぬのだと見るべきです。
記者:韓国軍に殺された人々の大部分が子供たちと女性, 老人です?
K氏: 若い人々は逃げて隠れたのでしょう. 殺すはずがないと考えて村にいた子供たちと
婦女子, 老弱者たちが、むしろ被害をたくさんこうむりました。
記者:集めた人々を引っ張っていき、部下が殺す時にどんな気がしましたか?
K氏: 中隊長の立場では、その中に生きている者がいる場合もあるので、確認射殺をしろと
言います。私が行って確認しない限り、どのようになったのかはわかりません。
当時は、良民を殺したと感じる条件はなかったのです。今になって考えれば、良民虐殺
だという主張に対しては、そのようなことはありうるだろうと感じているのですが。
808 :
異邦人さん:02/01/10 15:04
【その6】
記者:韓国軍が耳を切り、鼻を切ったという話がありまが?
K氏: 実際にそのようなことがありました。中隊員の中の一名で、死んだ者の目玉を取って
アルコール漬けにした兵士がありました。また、一名は、片方の耳だけを切って集めて
針金に通して、幕舎前に掛けたりもしていました。「何故そんなことをするのか」
と聞いたところ, 帰国する時に記念に持っていくと言いました。
記者:他民族であるためにひどいことをしたと言うこともできるのでは?
K氏: そうですね. 意志疎通もできず、それで識別もできない。良民なのか、ベトコンなのか。
それで、多くのベトナム人が被害を受けました。はなはだしきは、ベトナム軍将校2人が
作戦初日、私たちに殺されました。交戦が始まると、ベトナム軍の服装をした2人が飛び
出してきて、向こう側に行こうとしました。
何が何だかわからないまま、反対側に引きずっていき、殺してしまいました。
すこし経ってから、ベトナム軍の大尉がトラックに軍人を載せてきて、今、交戦して
いる相手はベトナム正規軍だと言ったのです。
809 :
異邦人さん:02/01/10 15:08
【その7】
記者:作戦に行く時、通訳を連れて行かなかったのですか?
K氏: 通訳官を連れて行くことを嫌いました。通訳が計画を敵に知らせることもあったのです。
また、村を一気に処理したり、集めた人々を殺すのを見て、ベトナム軍と政府側に報告
されないように。通訳がいないせいで、ベトナム軍将校が2人も死んだのです.
記者:戦争が終わった、今になって、罪責感を感じるのですか?
K氏: そうです。私は殺人教唆者であり、殺人執行官でした。あまりにも多くの人を殺しました。
たとえ、部下が殺したとしても、私が殺したことと同じです。
顧みれば、罪人だという気がします。
記者:またベトナム戦がおきたならば?
K氏:参戦反対を叫びます。
810 :
異邦人さん:02/01/10 15:09
【その8】
記者:昨年、政府は東ティモールに平和維持軍を派遣しましたが?
K氏: 国連が要求したので, 政治的に拒むことができなかったのでしょう。
私が政策担当者だったら、東ティモール派兵には反対していました。平和維持軍で
はあっても、反乱軍がでれば戦わなければならないのではないでしょうか.
そうして、またなんの罪もない人々を傷つけるようになります。
記者:ハンギョレ21で、被害者を助ける募金を集めて, 市民団体も真相糾明にたっていますね。
K氏: 良いことです。ぜひ、しなければならない。被害者たちや遺族たちは憎悪心を持って
いるでしょうが、歳月が流れれば、その人々も赦して理解するはずです。
私たちも戦争だったから、そのようなことがあり, 今、顧みればあまりにも誤って
いたことだと謝罪して、許しを乞わなければなりません。それとともに支援すれば,
とても良いことです。
811 :
異邦人さん:02/01/10 15:10
【その9】
記者:韓国政府が補償することに関しては、どのように考えますか?
K氏: 賛成します。彼らが経済的に良いのならば, 敗者が勝者に補償する必要がなぜある
でしょうか。しかし、彼らは勝者でしたが、今、経済的にはるかに劣っています。
補償をすることが、相互国民間に友誼を篤実にする道だと思います。その時、
そこで作戦を行った多くの軍人たちも村に行って許しを乞って、支援をすれば良
いですね。それで、彼らの憎悪心が100分の1でも少なくなってくれたらうれしいのです。
記者:ベトナムは過去を問わないといいながらも、調査は全部してありました。
K氏: 過去のベトナム政府がそのままあっても, あるいはベトナムが統一をしても、その
ような調査はなされたはずです。当時、米軍が飛行場を使用しても、戦闘機一機が
飛び立って降りるごとに使用料を受け取る国でした。ベトナムの人々は、たとえ、
暮らしが貧しくても、民族性が強固で自尊心も強いのです。