修学旅行が韓国なんだが

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340異邦人さん
ネットでは韓国の歴史捏造、歴史詐欺は常識になりつつあるが、
まだその事を知らない日本人はまだまだ多く
「戦前韓国に酷い事をした」と思っている

日本人が韓国の捏造歴史に騙されてしまうのは
その嘘があまりにも大きいからである。
大きい嘘には騙されてしまう人も多いし、疑う人も
「誇張はあるにしろ、まぁだいたい事実なのだろう」と思ってしまう。

では、韓国の捏造歴史が拡大した背景とその根本原因について。
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341異邦人さん:2012/08/15(水) 06:10:20.51 ID:JNt+lbWkP
韓国人の子供がお祖父さんに聞いた。
「昔、日帝に侵略された時、どうしてみんな抵抗しなかったの?」
この問いにお祖父さんは答えられなかった。

韓国人は激情の民族、特に怒りに対しては凄まじいと聞く。
「火病」などという言葉も聞いて久しいが、
この怒りの衝動は現在に限った事では無いというのは
当時のアメリカ人宣教師ホーマー・ハルバートの「朝鮮亡滅」※1や
フランス人宣教師シャルル・ダレ「朝鮮事情」※2に書かれているのを見れば分かるだろう。

確かに当時、韓国人達は「命などどうなってもいい」といった様な激しい怒りで日本に抵抗したと考えるのが普通だし、
それが無かったのは「それ以上の徹底した日本の弾圧、統治」があったとするのが自然だ。
だからこそ「人類史上凄まじい統治」などという言葉も韓国人達から聞こえ、
それに合わせるために「歴史が作られる」というわけだ。

捏造歴史を正すにはこの根本原因を明らかにしなければならない。

342異邦人さん:2012/08/15(水) 06:14:40.02 ID:JNt+lbWkP
※1
アメリカ人宣教師ホーマー・ハルバートの「朝鮮亡滅」

■1886〜91年に朝鮮で布教したアメリカ人宣教師ホーマー・ハルバート「朝鮮亡滅」より抜粋
韓国人は本当に怒ると、正気を失う。
自分の生命すら見えないような状態になり、牙のある動物になってしまう。

口の周りに泡が溜まり、更に動物のような表情になる。
悲しい事だが、この怒りの衝動で理性を忘れる悪弊は、男だけではない。
女は立ち上がって酷い大声で喚くので、最後には喉から声が出なくなり、
次には強烈に嘔吐する。

精神錯乱になった女を見る度に私は思う。
「どうして脳卒中で倒れなかったのか?」と。
韓国人は子供の時から、自分の気持ちを制御する術を学ぶ事がないらしい。
子供も親を見習って、自分の気に入らない事があると、狂人のように大暴れする。
結局、欲望を達成するか、あるいは長時間の後、鎮静に戻るか、そのどちらかに落ち着く。

343異邦人さん:2012/08/15(水) 06:23:43.79 ID:JNt+lbWkP
※2フランス人宣教師シャルル・ダレ「朝鮮事情」

韓国人は怯えながら生きる生活を続けていたので、感情の安定を失った民族になった。
おそらく韓国人は世界一怒る事を好む民族だろう。
怒る事が不安や焦燥感を解決するのだ。
代償行為になるし、自尊心を守る手段にもなる。
その自尊心も、虚飾によって作られた自尊心である。

だから、ちょっと触れただけで傷つき、怒りの感情が爆発する。

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さて、根本原因に触れる前に、あるコピペを見てもらいたい。

冒頭で言ったように韓国の捏造歴史、歴史詐欺を知らない日本人は
韓国に酷い事をしたと思っている。
具体的に何をしたというのは知らなくて、ただ酷い事をしたと思いこんでいる。

そういう日本人にまず最初に見てもらうコピペはどれが適当だろうか?
日本の善政のコピペを貼っても「それは朝鮮に来た日本人の為だ」
などというから最初に見てもらうのには適当ではない。
私がいつも貼るのはこれです。

(連投制限を受けたら次回)
344異邦人さん:2012/08/15(水) 06:29:02.21 ID:JNt+lbWkP
東拓とは、朝鮮の社会では、「朝鮮人にやさしい」というより、「朝鮮人に弱い」会社にすぎなかった。
このことは、1925年の小作争議の事件(宮三面事件)が端的に示している。
なぜなら、朝鮮人の道知事(県知事)の鶴の一声で、いっさいの法を無視して、
1770町の東拓の田畑が没収された。
その上、その小作人たちにこの東拓の土地がほとんど無償で分譲(譲渡)させられた。
つまり、朝鮮人が、上と下からのサンドイッチ攻撃で、日本の企業の土地を「没収」したのである。
全羅南道のこの1770町の田畑は、旧韓国政府から東拓設立時に現物出資された1万1千町の一部であり、
その時は「国有地」であった。東拓は、これらの現物出資の農地に小作人がいる場合、
すべてに耕作権を認めて小作人として雇用した。
だから「宮三面」でも小作人はすべて昔からの村民かその子供たちであった。
東拓は、東拓の資本で、ここに貯水池をつくり揚水機を設置して優良な農地に改造したとき、
この小作人のほぼ全員が「かつて1890年頃までは自分たちの民有地であった」事実をもち出し、
無償譲渡を要求し小作料不払い運動をおこしたのである。
しかし、この1890年頃、租税が払えない村民がこぞって「宮三面」を慶善宮に寄進して自ら小作人となり、
代償として「租税なし」を選択したのである。
1890年の土地所有権の移動は、1908年創立の東拓に責任はない。
しかし張憲植という県知事は「諭告」をもって、問答無用とばかりに、墓田は無償、その他は「破格の条件」で
譲渡せよと東拓に命じたのである。
東拓は朝鮮人の県知事と朝鮮人の小作人からの理不尽な強要に敗北しそれに従った。
朝鮮総督府は見て見ぬふりをして東拓を助けなかった。
日本企業の土地を「収奪」するように、朝鮮には植民地の性格は全くなかった。

歴史を偽造する韓国 徳間書店 中川八洋著

「※東拓=東洋拓殖株式会社」
韓国の捏造歴史によって朝鮮に於ける土地収奪の先兵とされた。
無慈悲に朝鮮人から片っ端から土地を奪っていったとされている。