修学旅行が韓国なんだが

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2841、併合前の朝鮮
李朝時代の朝鮮では、三月から六月までは食糧が不足する春窮期であった。
当時の人口は、農民が約八割を占める。
飢餓の春窮期を迎えると、朝鮮総人口の約六割が山野で草根樹皮を採集して
生命をつなぐという状態だった。
朝鮮の農書、農史を読むと、朝鮮農民は中国農民と酷似しているのがわかる。
旱害、水害、風害、雹害、病虫害が、間断なく年中行事のように各地を襲い、
農民は乞食、農奴同然である。
中略

戦前、日本農民を除いた中国、インド、東南アジアなどのアジア農民は、
きわめて貧しく飢餓状態にあり、
干ばつのたびに餓死者が大量に出るのが常であった。
なかでも、朝鮮半島の農民は、李朝時代の両班からの搾取、地理、天候などの
条件からもっとも貧しかった。
ただ両班の人為的なものを除いても、もともと自然条件と社会条件はかなり悪かったのである。
可耕地の広さに比べ農業人口があまりにも多く、
地質、土壌、治山治水の荒廃、気候寒冷などの自然状況も悪い。
さらに山林荒廃による燃料不足、堆肥不足、旧来農法の墨守などの面からも
農業立国となるのは難しかった。

「韓国は日本人がつくった」黄文雄 徳間書店
2851、併合前の朝鮮(2):2012/04/24(火) 05:38:51.04 ID:sGSmZJcOP
渡部
日清・日露戦争当時の朝鮮というのは、底知れぬ貧乏国でした。
単に近代産業がないというレベルではありません。
農業生産にしても、とうてい日本とは比べ物にならないものだった。
「春窮(しゅんきゅう)」という言葉があるくらいで、
秋に収穫した米も春を迎えるころになると尽きてしまうというのが珍しくなかった。
収奪なんてできるわけがない。
また当然、商業なども発達していませんでした。日清戦争の後に
、陸軍軍人であった柴五郎が朝鮮を旅行したときに驚いたのは、
朝鮮には銀貨も紙幣もなくて、銅銭だけがあったということでした。
つまり、当時の朝鮮には高額の貨幣が必要なかったのです。
そして、その銅銭もシナから輪入した銭だった。

谷沢
日本で言うと、平安時代末期から鎌倉時代の状況です。つまり、コリアの経済は日本よりも800年遅れているわけです。
(中略)李氏朝鮮においては商業は卑しいものだと思われていた。

「こんな「歴史」に誰がした」渡部昇一・谷沢永一 平成9年 クレスト社

なぜなら、これは司馬遼太郎さんも書いておられることですが、
当時の朝鮮の文明のレベルは日本で言えば奈良時代のレベルでした。
産業なんてもちろんありませんし、道路とかもほとんど整備されていませんでした。
当時、福田徳三という東京商科大学の経済学者がおりましたが、
その福田さんが、日本の経済水準に比べて一千年遅れていると書いておられますから、
日本の奈良時代のレベルというのはあながちおおげさでもないのでしょう。
朝鮮はそれぐらいのレベルの国だったんです。
http://www.seisaku-center.net/archives/kyoukasyo/sakai-koenroku/sakai-koenroku-2/itou-sakai2.htm
2862、選択:2012/04/24(火) 05:44:48.83 ID:sGSmZJcOP
当時の朝鮮は財政が破綻し破産状態、その上
森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道敷設権など
あらゆる利権を諸外国に売り渡していて
自力での近代化の道は完全に閉ざされていました。
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朝鮮時代、全権公使としてアメリカを訪問した李成玉がアメリカ国内の各民族に
接してみると、朝鮮人は、アメリカ人に軽蔑されているインディアンよりも劣っ
ていたことに衝撃を受け次のように述べている。

「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を保つこ
とは出来ない。亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。。そして併合
相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本はち
がう。日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気に入らない
が、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き
世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外にわが朝鮮民
族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。
日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は、欧米人の朝鮮民族観を
基に考察したのだ。

                 李成玉 「李完用の心事と日韓和合」より
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2872、選択(補足資料):2012/04/24(火) 05:48:31.11 ID:sGSmZJcOP
>>286
>森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道敷設権など
>あらゆる利権を諸外国に売り渡していて

1896年
ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権
鐘城の石炭採掘権 豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権
アメリカには京仁鉄道敷設権
雲山金鉱(平北)採掘権
イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権
フランスには京義鉄道敷設権
1897年
ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権
軍隊の教育訓練権
ドイツに江原・金城、金鉱採掘権
1898年
アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権
日本へ京釜鉄道敷設権
イギリスに平南・殷山金鉱採掘権
1899年
ロシアへ東海岸における捕鯨権
1900年
ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権
日本に京畿道沿海の漁業権
1901年
フランスに平北・昌城金鉱採掘権
2882、選択(決断):2012/04/24(火) 05:58:01.61 ID:sGSmZJcOP
韓国皇帝の勅諭

皇帝、若(ここ)に曰く、
朕否徳にして艱大なる業を承け、
臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、
未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し。

中夜憂慮善後の策茫然たり。

此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん。
寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せいむるに如かず。

故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、
茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、
外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。

惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、
煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。

朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ。
爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。

隆煕四年八月二十九日
御璽
http://toron.pepper.jp/jp/20cf/heigou/heigoujo.html
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★もう一度★
>茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国日本皇帝陛下に譲与し、
>外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。
>煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ。
2893、恩恵:2012/04/24(火) 06:05:53.57 ID:sGSmZJcOP
>>288
>幸福を共受せよ。

地球史探訪:忘れられた国土開発
_/_/
_/_/           ■ 目 次 ■
_/_/       1.李朝朝鮮の飢餓地獄
_/_/       2.20年間で倍増の人口爆発
_/_/       3.植林、河川・砂防工事、ダム建設、、、
_/_/       4.きめこまかな農民保護政策
_/_/       5.開発をささえた資金源は
_/_/       6.食料危機対応のモデルケース
この人口増加の原因としては、いくつかの要因がある。一つは第
6代宇垣一成総督による「農村漁村振興運動」などの民生向上活動
である。30年で内地(日本)の生活水準に追いつく事を目標に、
農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発による食料の増産が図
られた。併合当初米の生産量が約1千万石であったのが、20年後
の昭和に入ると、2千万石へと倍増した。[1,p80]

 もう一つは医療制度の確立、特に伝染病の予防である。1910年か
ら徹底的な検疫を実施し、コレラ、天然痘、ペストなどは、1918年
から20年の大流行を最後に押さえ込まれ、乳児死亡率が激減した。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog056.html
2904、併合評価:2012/04/24(火) 06:30:32.88 ID:sGSmZJcOP
現在の韓国人の姓名は、すでに祖先の姓氏を捨てて漢姓を使っているが
「日帝時代」の創氏改名は原則的は自己申告制だった。台湾で日本時代に
行われた「許可制」による改名運動に比べたら、むしろ韓国人にとっては
「特権」であって、非常にゆるやかなやり方だ。ましてや「日帝」は万民
平等等の原則に基づいた新戸籍制度を創設して、戸籍さえ許されなかった
人口の半数近くを占める奴婢に姓氏を与えた。さらに、「皇民化」=近代
国民運動によって日本語やハングル文字を普及させただけでなく、李朝時
代以来、両班から蔑まれていたハングル文字の教育を学校で採用し、漢字・
ハングル混じりの文章を体系化させ、伝統文化の研究と再興を推進したと
いうのが、紛れもない史実だ。
 「生命を奪われた」というのも、実に史実に反している。近代化の産業
発達によって優生学的な社会改革が行われたことで、有史以来の飢餓と疫病
を克服することができ、植物依存の生態系までも変えることができた。その
ため、米の生産量が一千万石から二千万石以上に倍増し、韓国の人口も倍増
した。このことを、生命を奪ったとは言わないだろう。日本は優生学的に
も人口学的にも、韓人の生命の質を飛躍的に向上させたのだ。
 客観的に見れば、「日帝三十六年」の「七奪」は実質的には「七恩」と
言うべきだろう。/韓人に少なくとも自国史について「正しい歴史認識」を
日本は求めなければならない。

「龍」を気取る中国「虎」の威を借る韓国 黄文雄