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異邦人さん:
野蛮な日本に平和を教え諭した朝鮮人
001 名無しさん (2009/07/20(月) 13:21:10 ID:oQ/12oAM)
昔から東洋では、為政者が統治上手で、民が平和に暮らせた時期を治世と呼び、そうではない
時を乱世と呼んだ。詩経では治世を『トビ(鳶)は空を飛んで魚は淵で跳ね躍る』(鳶飛戻天魚躍于
淵)と描写する。治世は魚鳥までのんびりするということだ。
しかし私は、良い意味を持つ治世という言葉を、逆に悪用した事例があることを偶然に発見した。
6月初めに明治維新の主役を多数排出したことで有名な日本の山口県に歴史探訪に行ったところ、
探訪コースの中に菜香亭という過去の料亭が含まれていた。ところがその家の二階の部屋に『うお
おどる』(魚躍)という文字が書かれた額縁があるではないか。まさに詩経の句から取ったのだ。
額縁の文を書いた人物はまさに、1895年に明成皇后殺害事件(乙未事変)を主導した、駐韓公使
の三浦梧楼だった。その料亭には駐韓公使を何回も勤め、この料亭の名前をつけたという井上馨
を始めとして、伊藤博文、山県有朋のような帝国主義者が自分の家のように出入りしていたという。
三浦は皇后殺害という偉業を控え、治世を歌った詩経の句を書いて、上官らに忠誠を誓ったのだ
ろうか?
どうしてこんなことになったのか考えてみた。日本の歴史学者によれば過去の日本は武士の戦
場だった。戦いと侵略が絶えなかったし、下剋上が日常茶飯事であった。倭寇の略奪や壬辰倭乱
(秀吉の朝鮮出兵)も、このような武士の侵略性の発露であった。
ところが豊臣秀吉に続いて登場した徳川家康の江戸幕府は、270年間もの長きに渡って平和が維
持された。そのきっかけは壬辰倭乱の時に日本に強制連行された朝鮮の儒学者がもたらした。下剋
上のような野蛮な風潮を終息させたかった江戸幕府は、朝鮮の高尚な人々から伝えられた性理学、
特に『敬』の教えを習って、主君に仕えることを武士に教えた。両親に対する親孝行も強調した。
隣国の朝鮮とも平和を維持した。
つづく