1 :
異邦人さん :
2007/11/06(火) 16:32:39 ID:ZyB9xu5f 沿ドニエストル共和国について語ろう 沿ドニエストル共和国 首都:ティラスポリ 面積:4,163km2 人口:555,500人 公用語:モルドバ語・ロシア語・ウクライナ語 独立年:1991
2 :
異邦人さん :2007/11/06(火) 16:37:48 ID:ZyB9xu5f
3 :
異邦人さん :2007/11/06(火) 16:40:03 ID:ZyB9xu5f
沿ドニエストル 共和国 首都:ティラスポリ 面積:4,163km2 人口:555,500人 公用語:モルドバ語・ロシア語・ウクライナ語 独立年:1991 1990年9月2日 ソ連国内で沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国が、モルドバ・ソビエト社会主義共和国からの独立を宣言 1990年12月22日 ソ連政府は沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国の成立を承認せず 1991年8月27日 モルドバ共和国がソ連からの独立を宣言(ソ連は12月25日に承認) 1991年11月5日 沿ドニエストル共和国が独立を宣言。翌月から戦闘となる 1992年7月 モルドバと沿ドニエストルとの間で停戦が成立
4 :
異邦人さん :2007/11/06(火) 16:43:00 ID:ZyB9xu5f
「沿ドニエストル共和国」だなんてヘンな国名だと思う人もいるで しょうが、ドニエストル川に沿った国なんだから、しょうがありま せん。 沿ドニエストルは川を挟んでモルドバと向かい合い、南北約200 km。東西は広いところで20km、狭いところだとわずか4km しかない。 ソ連が崩壊してモルドバ(当時はモルタビア)が独立した際、モルド バ人の間では「ルーマニア民族主義」が台頭した。新生モルドバの国 旗 はほとんどルーマニアの国旗 と同じだし、唯一の公用語となった モルドバ語(=ルーマニア語)では従来のキリル文字に代えてラテン 文字が採用され、ルーマニアに併合してもらおうという主張まで現わ れた(現在でも、ある)。 これに反発し、危機感を抱いたのがウクライナとの国境沿い、つまり ドニエストル川東岸に住んでいたロシア人たち。ドニエストル川東岸 は歴史的にもルーマニア領だったことはなく、モルドバがルーマニア 領だった時もソ連領(ウクライナ領)だった。ロシア人にとってみれ ば、ソ連時代は自分たちが「一等国民」だったのに、モルドバが独立 すると「二等国民」に格下げされてしまうような感じも、実感として あった。そこでソ連末期の90年に2回の住民投票を行った結果、96 %と98%という圧倒的多数でモルドバからの独立を決定。
5 :
異邦人さん :2007/11/06(火) 22:05:49 ID:SoE0fpke
6 :
異邦人さん :2007/11/16(金) 22:16:05 ID:4uOxZoM5
ロシア版2ちゃんねる
http://2ch.ru/ (英語と一部日本語OK)
「2ch.ru」というロシアドメインのURLにアクセスすると「Два.ч」という
サイトが表示される。これは「ドヴァ・チェ」と読み、英語に直すと
「two.ch」となる。
トップページにはロシア語による「気軽に投稿してね」といった内容の案内
文のほか、なぜか「アニメ文化が世界を救う」という日本語がはっきりと見
える。
基本的には2ちゃんねるというより「ふたば」のような画像掲示版のようで、
例えば「アニメ」(Аниме)というカテゴリーには日本のアニメのキャプチャ
ーにしか見えない画像が多数投稿されている。一部、日本人が投稿に参加し
ている様子もある。
サブカテゴリーには「кавай」(かわいい)、「яой」(やおい)といった、
“みなさんよくご存じですね”という感じの日本語がそのまま使われている。
投稿されている画像もやっぱりそんな内容だ。
フランスでは今月、日本の漫画やアニメ日本のサブカルチャーを紹介する
「ジャパンエキスポ」が開かれ、大勢のファンが集まった。
ロシアでも日本発コンテンツの人気が高いのだろうか。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0607/18/news103.html
7 :
異邦人さん :2007/11/25(日) 18:29:25 ID:Ov01jQ4S
8 :
異邦人さん :2007/11/25(日) 18:39:02 ID:Ov01jQ4S
http://www.geocities.jp/shizatabi/info/russia.html *沿ドニエステル共和国
(1ドル=8.29、1ユーロ=10.40、1モルドバレイ=0.63、2006年5月11日バザール近くの両替所)
【キシニョウからベンデール】
キシニョウのバスターミナルからマルシルートカ(ミニバス)、バスなどがある。料金20レイ
(約200円)、所要2時間程度。約1.5時間で国境に着く。モルドバの出国審査などはない。
沿ドニエステル共和国税関で、鞄の中身を徹底的に調べられる。ものを盗まれることは無かった。
所持金の検査は無い。沿ドニエステル共和国の入国審査では、「レギストラーツィア」と称して、
手数料を要求された。最初10ドル、交渉後10レイ(約100円)。しかし、「レギストラーツィア」
と言われて渡された書類は、「レギストラーツィア」とは何の関係も無いものだった。
【ベンデールの宿】
Hotel Dniestrシングル55ルーブル(約7ドル)トイレ、湯は出ないがバスタブ付き。Hotel Prietenya
シングル15ドル、トイレ、シャワー(夜だけ湯がでるらしい)。
【ベンデールの両替】
市内各地に両替所がある。特に、バザール(市場)附近に多い。また、主要スーパー内にも両替所あり。
モルドバレイも両替できる。
【ベンデールでレギストラーツィア】
オビールの場所が分からずタクシーで連れて行ってもらう。Hotel Dniestrから10ルーブル(1ユーロ)。
十分歩いていける距離だ。場所は、鉄道駅から、Dzerzhinski通りを3ブロックほど南へ行ったところ。
建物の前に車がたくさん止まっている。警察署の南側の一階建ての建物がオビールだ。受付時間は、
8:30から17時だが、15時半に行ったら「ザクリートッ(閉まっている)」と言われ、「明日来い」と
言われる。その警官によると12時で閉まるとのこと。
翌日午前中に行き、レギストラーツィアをする。4.8ルーブル。銀行に振込みに行かなければならない
ようだが、私の時は、「銀行の場所が分からない」などというと、その場で、5ルーブルでやってくれた。
英語は全く通じない。私の時はとても混んでいたので、早目に行くことをお勧めします。
【見所】
橋近くのモニュメント、戦車など。駅脇にある、鉄道車両を利用した博物館(無料)。戦争、鉄道に関する展示。
レーニン像など。
9 :
異邦人さん :2007/11/25(日) 18:40:33 ID:Ov01jQ4S
【首都ティラスポリ】 ベンデールからティラスポリへは、19番のとローリーバスで行くことができる。乗り場はバザールの東あたりが始発。 S Liazo通りのSuvorova通りとKotovskii通りに挟まれた辺り。近くにショッピングモールのようなものがある。 料金1ルーブル。所要40分程度。 【ティラスポリの見所】 博物館に三箇所行った。Museum of Headquarters,No Name Museum,House Museum of ND Zelinskogo料金8(1ドル)程度。 どれも、短時間で見ることが出来る内容。 【他】 日本まで葉書の切手代4.95ルーブル。しかし切手は、「モルドバ」と書いてある。 【沿ドニエステル共和国からウクライナへ】 ベンデールのバスターミナルから、オデッサ行きバスがある。7時から10時ぐらいの間にある。 と言われた。また、鉄道は、「今は無い、バスで行け」と言われた。(ロシア語能力今ひとつ なので間違っているかも)私は8時にバスターミナルへ行くと、ちょうどオデッサ行きが出てし まったところ。30分ぐらい待つとオデッサ行き大型バスがやってきた。料金27ルーブル(約3.4ドル)。 所要1時間強で国境。国境に両替所があるので、ドニエステルルーブルを両替しておいた方が良いだろう。
10 :
異邦人さん :
2007/11/25(日) 18:43:48 ID:Ov01jQ4S 【国境でのトラブル】 ドニエステル共和国出国時に、外国人だけ別室に呼ばれる。3人の役人に囲まれ「モルドバ出国スタンプが無い」と言われ、 国境で貰った紙(ドニエステル共和国入国の証拠)を見せると、その紙をテーブルの引き出しに隠され、「これは関係ない」。 一応、ベンデールでやった、レギストラーツィアを見せたら「これも関係ない」、カネ目当ての言いがかりか。 カネを払うのをずっと拒否続けると「旅券は返さねえ!帰れ!」と言われ、別室の外に追い出される。他の役人に助けを求めると 「カネ!」と言われ、バスの運転手、乗客に助けを求めると「諦めな」という態度。もう一度別室に呼ばれたが、他の客 (アルメニア人)はおとなしくカネを払っていた。幾らかは、教えてくれなかったが米ドル札。金額は見えなかった。 私は再び別室に入り、旅券を返してくれるよう交渉。出国スタンプに問題があるなら、入国地点(モルドバとの国境)に戻る。 と言い張ったが、「戻っても良いが旅券は返さねえ!」とのこと。しまいに、一人の役人が特殊警棒を持ち出してきて、 ブンブン振り回し始める。私の顔面を殴る真似さえしたが、無視。次は、銃で撃つマネをしてきた。さすがに本物の銃は出さなかったが。 「バーン!お前は死ぬ」とやられた。それでも拒否し続けると、バスの運転手に、「こいつを置いて、先へ行って良いよ」 と言った。バスの荷物庫にバックパックを入れていたので、少々焦る。 金額20ドル払えとのことだったが、「安くしてくれ」というと、「じゃあ40ドル」と言ってくる。長い交渉の結果、 結局10ドル盗られた。 後で聞いたが、言いがかりは付けられたが拒否したら大丈夫だった旅人もいるようだ。