>>599 子連れが旅をするのを何人も否定できないが、旅の中止も検討せよ
と言うのは詭弁臭い
「否定できない」なら義務など関係ないではないか?
子嫌い派にも、子連れ派にも同等の旅を楽しむ権利がある
だから、乗るまでを云々語る事は意味がない。
ましてや、お互いの搭乗の権利は全くの同等だ。
ならば、議論すべきは「乗ったあと」の問題だ。いいかね?
乗るところまでは、どちらも同等なんだ だからこそ、どちらか一方が「乗るな」又は、それに類することは言ってはいけない。
「乗るな」「乗る」の言い合いでは埒があかない。
先ず赤ちゃんが機内にいると言う前提で議論しなければ、まさに2ちゃんねるは便所の落書きと化す。
「赤ちゃんは乗るな」がまかり通るなら、私もおまえらも今日、明日、「顔が見苦しい」と言う立派な理由で搭乗拒否されても文句は言えない。
自分にとって邪魔者は排除しろ、とは非常に危険な思想である。
なお、「乗るな」も「検討しろ」も同義語である事は間違いない。
「排除しろとは言ってない」と言うやつも「搭乗を検討しろ」と言うではないか?
「検討した結果、乗る」と言えば許すとは思っていないだろう?
おまえらの望む言葉は「検討の結果、乗りません」のはずだからな。
それはやはり「排除」であり、他人の権利を侵害する発言である。
機内で赤ちゃんが泣いておまえらの権利が阻害される件について、これを議論すべきである。
赤ちゃん排除以外の方向で。
「泣いてる赤ちゃんをどうしろと?」と私に質問はやめてくれ。
私はほとんど赤ちゃんの泣き声に悩まされた事がないし、又、数少ない泣き声被害時も憤るほど不快ではなかったからだ。つまり私は泣かれても何ともないし、お互い様だと思っている。
それをみんなで議論してこそ意味がある