【簡単なまとめ「下界」編】
@講演会の主催者は「児童買春グループ」の主犯で逮捕された人物。
その他、マルチ企業と 結託して講演会を開き、既に被害者が出ている。(まとめWiki参照)
A「震災復興支援」の名目で集めた募金をマルチ関係者の団体に渡し、収支は一切報告されず。
さらに「震災復興チャリティ」で集めた金を自分の遠征費として利用。
B登山経歴が「虚偽」な為に、世界中の山岳界が完全に無視。
いくつかある栗城の著書も登山屋では置いていない店が多数。 (一般書店でのジャンルは「自己啓発」)
登山関係の雑誌には、栗城の「く」の字も載る事は無かったが、遂に「山と渓谷」が栗城の「単独」に言及!
>彼は「単独・無酸素」を強調するが、
>実際の登山はその言葉に値しないのではないかと思う。
>ヒマラヤ登山に詳しい山森欣一さん(日本ヒマラヤ協会顧問)による
>単独」「無酸素」などについての見解を
>下の表にまとめた。
〜中略〜
>一般の人たちにヒマラヤ登山を正しく理解してもらうためには、
>もう少し厳密な情報発信が必要なのではないか。
山と渓谷 2012年3月号より
これ以外にも問題点が、山のようにある人物です。
※万一、内容に誤りや不備がございましたら、正当な内容を示すソースをお知らせ下さい。
■栗城さんについては、下記サイトが良くまとめてありますのでご覧ください■
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/
【栗城、信用喪失の歴史】
・登山関係
エベレストに挑戦するが敗退。
その後NHKに取り上げられて知名度が一気に上がるが、
「どこが単独なんだ?」という突っ込みが入る。
↓
2回目のエベレスト挑戦で動画やブログの検証が行われ、
ちっとも無酸素単独じゃないことがバレる。
それを誤魔化すために虚偽の報告をし、Wikipediaに対する工作や
ブログコメント大量削除を行ったため、祭りに発展。様々な疑惑が噴出。
↓
栗城、過去の動画をほぼ全て削除し、だんまりを決め込む。
↓
完全に信用を失う。
シシャパンマでは栗城が単独で登ったとは誰も信じず、
案の定、後になってシェルパの関与が(一部)判明。
↓
エベレスト3度目の遠征では、ボチボチトレック社のツアー登山の
日程に酷似していることが判明
(栗城のヒマラヤ遠征はすべてボチボチ社が手配)
・スポンサー、講演会関係
当初、最大のスポンサーがインチキ水販売のVanaHだったことが叩かれる一因となる。
2回目のエベレストの後、マルチ関係者と組んで自己啓発セミナーのような講演会を何度も
開催していることが発覚する。その影響からか上から目線の発言が多くなり、
どこぞの教祖様のような発言も飛び出すようになり、さらに嫌われる。
【栗城ネタ初心者さんへの注意点】
「エベレスト単独無酸素登頂に挑戦」
山を知らない人にとっては登山史に残るようなすごいチャレンジに思えるが、その実態は…
●単独がそもそも嘘
他人が架けたハシゴを渡った時点でアウト
シェルパに荷揚げを手伝ってもらった時点でアウト
※疑惑や矛盾は多々あるものの、本人もボロを出さないように
最近は特に念入りに動画を編集しているのでさらなる検証が必要
●標高8848mのエベレスト登山の本番は8000mを超えてから。
栗城は3年チャレンジして、3年とも7900mのサウスコル(エベレストとローツェの間の肩の部分)にすら
行けたことがなく、毎年同じぐらいの高度(7800m前後)で撤退している。
普通の登山隊が酸素ボンベを使うのも7900mを超えてから。栗城の撤退高度では酸素ボンベを使わない。
=低い高度から酸素ボンベを使う人もいるが、登山家ではなく年寄りとか金持ち
●無酸素登頂はもう珍しくない。日本人の登頂者も既に何人もいる(もちろん簡単でなく死者も出ている)
【栗城隊長 栄光の記録】(海外編)
×26才 2008年10月 マナスル敗退(登頂を主張するも認定されず)※検索 日本山岳会 資料室 8000m峰登頂者リスト
×27才 2009年秋 チョモランマ敗退(アックス持たずグレートクーロワールをどうやって登る気だったの?)
×27才 2010年春 アンナプルナ敗退(凍傷になったと大騒ぎして撤退。実は右手しもやけ、体力の限界)
×28才 2010年秋 エベレスト敗退(酸素ガバガバ吸引してても無酸素と大嘘)
△28才 2011年冬 北海道氷壁初心者講習参加(ブログで「厳しい修行」と大見得。同行者のブログでバラされ大恥かいた)
△28才 2011年春 アラスカスキー滑降講習参加(ギックリ腰のはずが下山すると即回復)
×28才 2011年春 シシャパンマ敗退(2ヶ月経ってもブログ更新、総括無し)
×29才 2011年夏 狩場山敗退(ハンター同行熊出没、ようこそ先輩オンエアー10/22)
△29才 2011年8月15日 念願の夏富士初登頂成功(子供3人同行1泊2日お子様ペース登山、剣が峰へは登頂せず下山)
×29才 2011年秋 エベレスト敗退
. (謎のカラス谷ルート選択。撤退理由はカラスにデポしておいた装備を荒らされた為。そもそも登頂許可とってたのか疑惑あり)
◎29才 2012年春 韓国プッカン山(837m)無酸素登頂成功(50人の一般人と共に)
×29才 2012年春 シシャパンマ南西壁再挑(ツボを押さえた失笑ネタ満載で毎日キレキレ♪)
. 「ブルーアイスが登れない」ため退却決定→下山中に滑落という派手な言い訳をしてしまったため、その後の遠征がきつくなる
×30才 2012年秋 エベレスト4度目の敗退(ジェット気流による強風でアタック断念→凍傷で帰国即入院)
【栗城隊長 栄光の記録】(国内編)
○30才 2013年5月5日 奈良県大神神社ご神体の三輪山登頂成功か(標高467m)
×31才 2013年6月12日 八ヶ岳 台風接近と手が雨に濡れる事による感染症のリスクを恐れて中止
○31才 2013年6月30日 箱根の金時山登頂(標高 1213m)
△31才 2013年8月2日 東京都高尾山、6号路で登頂と自己申告(標高599m)
. 「山頂までゆっくり休みなくで40分です」という6号路にしてはトレラン並のコースタイムと
コースに関係無い「たこ杉」の画像しかうpされず登山道ではなくケーブルカー使用疑惑浮上中
○31才 2013年8月4日 札幌市内藻岩山(標高531m)にロータリークラブ国際ロータリー第2530地区(福島)と
第2510地区(北海道西部)招待の福島県飯舘村の子どもたちと登頂
?31才 2013年8月9日 高尾山へトレーニング登山のツイートあるも登頂画像など一切無し
「マラソン着姿のお爺さん」という表現からトレランを知らないことが発覚
○31才 2013年8月26日 八ヶ岳(硫黄岳〜赤岳〜権現岳)縦走←New!
【栗城さんは指凍傷になった今回のエベレストでも8000mに達してません】
『山と渓谷』2012年12月号 P139
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無酸素・単独登頂を謳って
エベレスト(8,848m)に挑んでいる栗城史多が4度目の挑戦として
西稜63年アメリカンルートに挑んだが失敗に終わった。
10月7日にBCを設け
折から入山中のポーランド・ローツェ隊
(アルトゥール・ハイゼル隊長ら7人)
韓国エベレスト隊(ホン・スンウク隊長ら10人)
と前後してアイスフォールを登り
ウェスタン・クウムの6400mにC2。
西稜肩に向けて斜上しC3(7200m)を設けた。
ここに3泊したあと16日に7500mまで進んでC3.5を設営し
翌日19時15分に攻撃を開始した。
23時ホーンバイン・クーロワール入口に達し
7700m付近まで進んだところで翌朝6時に敗退。
17時半にC3.5に帰った。
しかし両手指と鼻先に凍傷を受けて自力下降できず
19日朝、BCのシェルパたちに救助を要請。
その夜、駆け付けたシェルパに助けられてC2に帰り
21日ヘリでカトマンズに運ばれて入院した。
【登山歴参考】
※自称記録のため公的客観的裏付けの無いもの、乏しいものも含む
2004年6月 マッキンリー6194m単独登頂
2005年1月 アコンカグア6959m(ポーランド氷河ルート)単独登頂
2005年6月 エルブルース5642m単独登頂
2005年10月 キリマンジャロ5895m単独登頂
2006年10月 カルステンツ ピラミッド4884m単独登頂
2007年5月 チョ・オユー8201m単独・無酸素登頂 7500m地点からスキー滑降
2007年12月 ビンソンマシフ4892m単独登頂
2008年10月 マナスル8163m単独・無酸素登頂 山頂直下からスキー滑降
2009年5月 ダウラギリ8167m単独・無酸素登頂 6500m地点から生中継に成功。6500m地点からスキー滑降
2009年9月 エベレスト北側8848m・メスナールート 7950m地点まで
2010年5月 アンナプルナ8091m 7700m地点まで
2010年10月 エベレスト8848m 7550m地点まで
2011年5月 シシャパンマ南西壁8027m 7600m地点まで
2011年10月 エベレスト8848m サウスクロワールルート7800m地点まで
2012年6月 シシャパンマ南西壁8027m 6500m付近から滑落したが奇跡的に生還
2012年10月 エベレスト西稜ルート ホーンバイン・クーロワール入口7700m付近で敗退
【彼女にフラれて人型のカビの謎】
栗城さんの『 大 学 一 年 の 夏 』の話が地元広報誌に載っています。
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http://www.town.imakane.lg.jp/uploads/fckeditor/uid000002_20120615080229bcb82f10.pdf (PDFファイル)
檜山北高生OB、町の農産品PRに一役買う
三越札幌「ティファニー前で男爵を」売る
大学生が、ここまで頑張って物販イベントを無事成功させたという苦労話が書かれています。
少なくとも素人が、これだけの準備をするのに数日で出来たとは思えませんね。
良いエピソードで、実行力のある良い学生さんですよね。
でも講演では、 『 大 学 一 年 の 夏 』は2年付き合った2歳年上の彼女にふられて、引きこもって
布団に寝たきりになって、布団に自分の形のカビが生えて
「自分はとうとうカビになっちゃったんだな…」「どうすればカビから人間に戻れるんだろう」
と自問自答して、自分の中のなにかを変えるために彼女がやっていた登山を始めた
んですよね、テレビや講演会では必ずする話です。
なんだか話が不自然ですね。時期が一緒です。
本当に付き合ってて、振られて、引きこもっていたのか?
物産市は事実です。