パンパ力パ〜ン♪ また死にました Part222

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1底名無し沼さん
山の遭難事故について、報告、討論、議論をするスレです。
誰かのパンパカから学べるものは全て学ぶよう努めて、
みなさん、このスレをよく読んで♪パンパカ♪しないように、
また、させないようにしてください。

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パンパカパ〜ン♪ また死にました Part223
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/out/1345097416/
2底名無し沼さん
富士山に登って「釣魚島は中国領」…4歳児が“征服”=中国報道
ttp://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=1002&f=national_1002_038.shtml
父親は、「富士山の登山日は7月1日から8月31日までで、すでに1カ月近く封鎖されているが、特に柵があるわけでなく、登り始めた」と説明した。
父親によると、登りはじめると小雨が降りはじめた。雨の用意はしていなかったので、1時間もしないうち、全身がびしょ濡れになってしまった。
6合目につくころには、気温が摂氏0度ぐらいになったらしく、帽子のひさしについた水滴が凍った。
富士山は中国の山と同じように、登山道には食べ物や飲み物を売る店があると思っていたので、水や食料はほとんど持って行かなかった。ところが、
富士山はまるで「野生の山」だった。途中には山小屋もあったが、登山ができない時期なので、すべて閉鎖されているとは思いもよらなかったという。
3人は疲れて体が冷え、飢えてしまった。7合目に到達するころには、子どもふたりは歩けなくなってしまった。ふたりとも十数分は泣き続けていたが、
最後には励ましあって、もっと登っていこうということになった。
8合目になりやっと、休息できる施設があったので、即席麺(めん)を買って食べた。午後3時だった。さらに登るつもりだったが、施設にいた人が子ども
2人の様子を見て「体が冷え切っている。とても無理だ。(登山を続けるのは)絶対にだめだ」と言って阻止した。
日本人は男の子には帽子と手袋を、姉には服をプレゼントしてくれ、下山に便利な山道のところまで送ってくれた。後になり、山では早く暗くなることも
あり、4時ごろ以降は行動しないものと知ったという。
下山中にはだれにも出会わなかった。(暗くなったので)大きな岩石のそばや林の中では、ヘッドランプに頼らざるをえなかった。「とても恐かった。
どんな野獣が出てくるかも知れないと思うと、恐かった」という。
ホテルについたのは午後8時過ぎだった。部屋に入るなり男の子と姉は畳の上に倒れこんだ。それでも、もう一度力を振り絞って、温泉に入り、互いに
体をマッサージをしあって薬を塗った。2人の子は、次の日に起きる時も、筋肉がひきつったりしたという。