東京帝国大学文学部哲学科に在籍しつつ当時円本ブームに沸いていた改造社に入社。懸賞小説の下読みをする過程で
北畠八穂と知り合い、恋に落ちる。 北畠と同棲を始めるとともに『オロッコの娘』などの小説を発表。これらの作品が好評だったことに
勇気を得て大学を中退、勤めを辞めて文筆一本の生活に入った。発表した『あすならう』で文壇的評価を確立したが、実は『あすならう』も
『オロッコの娘』もその他の作品も、北畠の作品の焼き直しであった。このことに気付いた小林秀雄や川端康成から厳しくたしなめられたため、
時には深田自身が独自に作品を書くこともあったが、全くの駄作に終わった。
昭和10年日本山岳会に入会。 北畠と入籍。 初恋の女性・木庭志げ子(中村光夫の姉)と再会して道ならぬ恋に落ちた。脊椎カリエスで
寝たきりの北畠を差し置いて志げ子と逢引を繰り返し、8月には志げ子が深田の子を出産。やがて北畠が夫の浮気を知ったため大騒ぎに
なったが、深田が召集されて中国大陸に出征したことで、夫婦間の紛争は一時棚上げとなった。復員してからは再び北畠のもとに帰らず、
志げ子と再婚。激怒した北畠に焼き直しの件を暴露されたため、作家としての深田の信用は暴落し、10年以上にわたる雌伏生活を余儀なく
された。その後、登山仲間の小林秀雄から一喝されたのをきっかけとして山の文章中心の執筆活動を行う。
1965年(昭和39年) - 『日本百名山』で、第16回読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞。人気作家に返り咲いた。
1968年(昭和43年) - 日本山岳会の副会長に就任した。1969年(昭和44年) - 山渓賞(山と渓谷社)を受賞。
1971年(昭和46年)3月21日 - 登山中の茅ヶ岳(1,704m)にて脳卒中で急逝。
2 :
底名無し沼さん:2012/07/12(木) 19:03:44.60
深田久弥って最低な男だなw
人としては最低
4 :
底名無し沼さん:2012/07/13(金) 22:56:19.24
こんな最低男の書いた100名山ってなんなのw
それをありがたがって、山小屋で自慢ネタにしてるジジババ達って
この事実わかってのかな?今度そういう鼻に付く100名山ハンターに自慢話されたら
久弥の人となりを解説して「だから俺はこんな男の100名山には興味がない」って自慢してやろうw
5 :
底名無し沼さん:2012/07/13(金) 23:04:13.16
この人酷すぎるわ。
一度、久弥終焉の地に行こうとおもてたけど、もうどうでも良くなった。
お〜い、誰か久弥の行方を知らんか?
7 :
底名無し沼さん:2012/07/13(金) 23:10:50.68
久弥終焉の地におしっこしてくればいいじゃん。
そもそも久弥みたいな胡散臭い奴が選んだ100名山をありがたがって制覇しようとする人の気がしれない
自分の登りたい山を登った方が良い
何回立つんだこのスレ
10 :
底名無し沼さん:2012/07/13(金) 23:26:26.69
小林秀雄選出の百名山だったら鬼コースばかりかもしれんが、
こんなスレは立たなかっただろう
へぇ、盗作に不倫か…
知らなかった
こういう人間だからこそ百名山なんて書けたんだな、
文学的な才能の無さを自覚出来たからこそ、雑多な山を百という数字に区切って寄せ集めて
名山化するという下賤なコレクター精神に訴えかける行為に開き直れた訳だ。
そしてそれがゆる〜い中高年登山者のバイブルになったのも頷けるね。
『あすならう』で文壇的評価を確立したが、実は『あすならう』も
『オロッコの娘』もその他の作品も、北畠の作品の焼き直しであった
・・・・おいおい日本百名山は大丈夫か!?