この道 1 クライマーズ・ハイ 2010.5.6中日新聞夕刊より
どこまでも登っていきたいな、どこま
でも上がっていきたいなって感じること
があります。時間なんかどうでもいい。
成功も失敗もどうでもいい。頂に引き寄
せられるみたいに進んでいく感じです
ね。よくランナーズ・ハイといいます
が、クライマーズ・ハイみたいなのもあ
るんですよ。
チョオユー(8201メートル)南西壁を
登ったときも、K2(8611メートル)南南
東稜でも、ギャチュンカン(7952メートル)
北壁の時も感じました。すごく苦し
いはずなのに、それさえも忘れてリラッ
クスしているんです。求めている世界に
近づいていくという感じでしょうか。 続く
目の前の雪面にピッケル刺し
て、足を前に出して、呼吸し
て、というだけ。頂を目指して
いるようで、そうじゃない。ど
コマでも行くんだ、と。目に入
ってくるのは白い雪面と紺色の空だけ。
聞こえるのは呼吸と雪を踏みしめる音だ
け。自然に溶け込んでいる感じです。山
の一部になっているなと思いますね。
小柄で引き締まった体。いつも朗
らかさをたたえている顔。登山史に
長く名を残すに違いない四十五歳の
名クライマーである。先鋭的な登山
一筋に生き、八千メートルの高峰や、そそ
り立つ垂直の大岩壁という異次元の
世界を味わい尽くしてきた。 続く
本当の高所に一人っきりでいる。そし
て高みに向かって一歩一歩、止まらずに
進んでいる。そんなときに僕はそれを感じ
ます。これが永遠に続いても疲れないん
じゃないか、永遠に続けば幸せだな、と
さえ思いますね。
過去も未来もない。いまそこにいて、
それが幸せなんです。もしかしたら、そ
れは僕が生きていく中で一番幸せな時間
かもしれませんね。 終わり