福岡大学W部カムイエクウチカウシ山 ヒグマ遭難

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Sさんは息子の説明と犬の吼え声を頼りに、
笹深きブッシュを分け入った。
「下方から上に向かって」だ。
彼は永年の数多い経験から、この様な場合、
決して下方から近寄ってはならないと常日頃いってながらだ。
これは彼にとってまさに「魔の一瞬」だった。

前方の殆ど見えない、長い笹の繁みの中から、突然
赤黒い小山が湧き上がり、怒涛の様に荒波を立てながら
覆い被さってきた。それは全く瞬時の電光を思わせたが、
そこはベテラン猟師、持っていた銃が無意識に火を噴いた。
ウォーという怒声とともに、ヒグマは彼に重なるように
斜面を転げた。
気丈な彼はそれでも気絶しなかった。

ヒグマは彼を放そうとせず、上になった時顔に
ガブッと咬み付いてきた。
彼はしっかり握っていたライフルを、思わず顔の前に
持ってきてカバーしようとしたが、ヒグマはものともせず
咬み付いてきて、顔の右半分をがっぷりと口の中に入れた。

Sさんは戦前より、クマ獲り名人として誰もが認める人だった。
折に触れ「クマを決して下から攻めてはいけない」と、
その理由や過去の出来事を話してくれた。
つまりクマは弾が急所に当たっても絶命までの何秒かの
間に、向かってこようとする猛獣で、その際、上に上って
くるのは体力が必要なので来難いが、下にいる敵に対しては
容易にいけるので襲撃してくる。
Sさんはシカ狩りをするつもりで、ハンター4人と犬1頭で
近くの山に入った。

そこには大きなヒグマの足跡がついていた。
なれた猟師が見て、今行ったばかりの跡だと判断された。
ヒグマは沢の右手斜面を上へ向け登っていた。
そしてかなり登ってから、南斜面を右へと進んでいた。
そこでSさんは跡を付けるから、他のものは山の上方に
行くようにと銘じた。
ここを行くクマは大抵あの山へ行く。
親子で獲って他の者には肉を少しやればいい、という考えが浮かんだ。

ヒグマは南斜面を過ぎ、東斜面へと向かっていた。
そこを300mほど追跡したところで、繋いでいた犬が
縄を引っ張りだしたので放した。
犬は笹薮の中を100mほど走って、熊笹の中で
ワンワンと激しく吠え立てた。
息子のRくんは若さにものをいわせ、笹を押分けて近寄った。
30mくらいに寄ったとき、突然ヒグマが飛び出した。
それを息子は4発撃ったが、クマは倒れず、再び近くの
笹に潜り込んだ。

撃った本人が当たったかどうかは、経験不足で分らなかった。
父親はライフルを持ってるのに何故撃たなかったのか?
と息子は父親を見たら、父は雪の熊笹に落ち込んで、
上がろうともがいてる最中だった。
こういった場所の熊笹は、人間の背丈前後あり、雪が降ると
それに抑えられてトンネル状になったりする。
クマは犬や人間を襲う時、特に人間には、背後から
急所を狙って素早い襲撃をけけたりする。
熊笹の為に犬もクマを見ることができない。
そこでやむなく、息子は木に登り、その場所を確認して父親に伝えた。

Sさんは息子の説明と犬の吼え声を頼りに、
笹深きブッシュを分け入った。
「下方から上に向かって」だ。
彼は永年の数多い経験から、この様な場合、
決して下方から近寄ってはならないと常日頃いってながらだ。
これは彼にとってまさに「魔の一瞬」だった。

前方の殆ど見えない、長い笹の繁みの中から、突然
赤黒い小山が湧き上がり、怒涛の様に荒波を立てながら
覆い被さってきた。それは全く瞬時の電光を思わせたが、
そこはベテラン猟師、持っていた銃が無意識に火を噴いた。
ウォーという怒声とともに、ヒグマは彼に重なるように
斜面を転げた。
気丈な彼はそれでも気絶しなかった。

ヒグマは彼を放そうとせず、上になった時顔に
ガブッと咬み付いてきた。
彼はしっかり握っていたライフルを、思わず顔の前に
持ってきてカバーしようとしたが、ヒグマはものともせず
咬み付いてきて、顔の右半分をがっぷりと口の中に入れた。

クマの熱い息は生臭く、彼の荒い呼吸の中に無理矢理
入って来た。
右半分を咬んだ熊は、顔をガクッと振った。
その瞬間、Sさんのギャーという悲鳴とともに
右耳、右目、頬は、顎の下まで剥けてしまった。
暗闇となった彼の意識は、銃がクマと自分の間で
押され、動かせない事を感じた。

次に咬み付いてくる大きな口を、右手で遮ろうとして、
何か柔らかいものが手に触れ、それはヒグマの下だと直感した。
彼はそれを必死でつかんで横に引っ張った。
父の一大事を感じた息子は、脱兎の如く木を降り、現場に
駆け下りていった。
「撃て!早く撃て!」と息子が近寄った事を感じた彼は
大声で怒鳴った。

聞くまでもなく息子はヒグマしか見えないそのどてっぱらに
何発も撃ち込んだが、なかなかクマは参らなかった。
しばらくたって、やっとぐったりと倒れ掛かった
ヒグマの重さに、Sさんは耐え切れない声で、
「クマを下に落としてどかしてくれ」と息子に頼んだ。
クマの下から見えてきた父親の姿は、見るも無残なものだった。
体を抱きかかえて起こした父の顔は、右半分が
骸骨となり、耳と頬の肉と一緒に、丸い目の玉が
筋でぶら下がり、ぶらぶらと揺れていた。
頭も額も首も血の海だった。
気丈なSさんは、息子に手伝わせてこれらの肉を
元に戻し、タオルで巻いた。

その間に彼は息子に「クマはどうした?このクマの毛は良いぞ」
といったが、こんな場合、それどころではない。
それはへまをやったことの、息子への照れ隠しであり、
父親としての、俺はこんな怪我ではくじけない、という
見栄から来る平常心の装いだったのだろう。
親子は下山し、あとの二人は別方向へ行かされてたので
この事件には気付かず、時間を見計らって下山した。

Sさんは入院し、医者のお陰で肉の部分はほとんど
元に戻り、縫合する事ができた。
しかし、右目だけは元には戻らず、ガラスの
義眼となった。
二ヶ月で退院した彼は、左目で撃つ練習をし、
「俺は片目を閉じる必要がなくなったので、その分
みんなより速く撃てる」と負け惜しみを言って笑わせたが、
あまり猟には出なくなった。

「ふだんから、あれほどクマには下から近寄るなと
自分で言っておきながら、どうしてどうして下から
クマのところへ上がって行ったんですか?」という
質問に対して、Sさんは「それよ、どうしても
俺自身、それがわかんねえのよ。
鉄砲持ったばかりの息子が、上手く仕留めたとも思わなかったし、
犬の吼え声からも、クマは生きてる事はわかってた。
それなのに何で俺はあんなバカな攻め方をしたのか、
いくら考えてもわかんねんだ」と悔やんだ。
俺は大変気の毒だが、これはSさんの陥った「魔の一瞬」
だと思っている。
百獣の王と呼ばれるライオンのイメージをはっきりつかんでおいてもらうために、
人間が被害に合った有名な話だけを記しておく。
歴史に残るライオン事件では、ウガンダの鉄道工事中2頭のライオンに人夫が狙われ、
80人が食い殺された事が有る。
人間も必死でこのライオンを仕留めようとしたが、いつも裏をかかれて殺された。
工事現場で夜寝ていても度々聞こえてくる悲鳴にすっかり怯え、人夫らは悪魔の
仕業と逃亡した。
この2頭を抹殺する為に9ヶ月もかかった。

一方、サンガ地方ではたった1頭のライオンに84人もの人が食い殺されている。
もう1頭は44人のところで人間の罰を受けた。

俺が撃ったライオンを解体して頭蓋骨を見ると、脳の部分は握り拳ほどもないくらいだが、
その気になれば人間の知恵を持ってしても、何ヶ月にもわたって仕留められないような
奸智を発揮できる動物でもある。
体力、獰猛さ、狡猾と揃われたのでは、幾ら武道や格闘技ができたところで
人間などは一たまりもない。

有名人では、イギリスの外務大臣、エドワードグレー卿の兄がいる。
彼は何発か撃ったが、逆襲されて命を落とした。
フランス人のマルセルヴィンセントというハンターは、ライオン狩りの
映画を引き受けて撮影を開始した。
そして撮影中、逆襲を食らって、カメラマンや監督、スタッフの目の前で
無残にも惨殺された。

雄ライオンは平均体重240kg前後で尾を入れると全長3m弱くらいになる。
堂々として威厳に満ちた風格と射るような鋭い眼差しに、大抵の人間は圧倒される。
広大なアフリカ大陸でもわざわざライオンに立ち向かう愚か者はいない。
銃に自信があって糞度胸の持ち主だけがライオンとの勝負を挑むことを考える。

俺も今まで修練を積んできた射技と、永年のイノシシや熊、アジアの猛獣を相手に
経験してきた猟技とで、檻も境もないライオンと1対1の勝負がしてみたいという血が騒いだ。
ガイドはハンターに怪我をさせると、その資格を政府から剥奪される。
だから普通は危険な事は一切やらせない。
倒した動物に近づいて完全に死んでいることを確認しない前に、
撃ったハンターを接近させること絶対にしない。
それで大勢やられてるからだが、バッファローの時などおかしいくらいに用心深く
念を入れる。

俺はガイドのゴードンと親しくなると同時に、撃つと決めた動物を前にして
合図を送って狙いながら撃ち、1発で全部倒してきた。
俺が他のハンターに比べて猛獣に接近する為、みんな150〜200m先に
逃げてしまい、走ってる者もいた。
この実績を数十頭上げた頃に、俺は遠慮しながら、ゴードンにライオンとの
一騎打ちの希望を話してみたら、彼はちょっと考えてから「あんたならいいだろう」
と案外簡単に承知してくれた。