漂泊の民・山窩<サンカ>に会ったことある?

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547底名無し沼さん
昭和三十年当時、中九州の小都市に住んでいた私は小学生になったばかりで、
同じ新入生のR君と友達になった。
私等の遊び場は主に里山だったが、彼はよく私の家に来たりもした。
しかし、私は彼の家がどこにあるのか、長い間全く知らなかった。
経緯は忘れたが、ある日突然、私は彼の家に行くことになった。
竹や枝、ムシロなどを組み合わせ作られた彼の家は、家と言うよりは
遊びの秘密基地に近い印象だったので、私は少したじろいだ。
その小屋は里山にある朽ち果てた墓場の横の雑木林に掛けられていた。
外観は薄汚く小さかったが、扉はきちんと作られていて中は意外と広かった。
十畳くらいはあったように記憶しているが、私はまだ幼かったので
実際以上に広く感じただけかも知れない。
整頓された屋内は薄暗く、中央に炉があり、太枝を組んだ脚から
鍋(鉄器?)が吊され熾に焙られていた。
炉端では老人が独りあぐらをかいて座し、煙管をくゆらせていた。
老人は、柔和な表情で[いらっしゃい。Rと仲良くしてやってね]と言った。
穏やかな声だった。
私は頭をぺこりと下げ小さく[はい]と答え、布バッグを置いて
[遊びに行ってくる]と家を飛び出たR君に付いてそこを出た。
R君には老人が誰かを尋ねたが、爺ちゃんだったか父ちゃんだったか、
彼の回答は憶えていない。
子供心に、立ち寄ってならない場所に行ってしまった思いがあって、
その小屋に入ったのはその時が最初で最後になった。
548底名無し沼さん:2006/01/29(日) 22:33:14
続き

それからしばらくしてから、その里山に逃亡犯が逃げ込む大事件があって、
しばらくは里山が恐くなり、足を向けることが少なくなった。
時折彼は[母ちゃんと姉ちゃんも集まった]とか、家族の断片情報を語ることがあったが、
私には彼の家族の団欒は全く想像出来なかった。
二年になってから彼は学校に来なくなった。
私は彼のことは忘れかけていたが、彼のことを脳裏に刻み付ける事件があった。
ある日、父が新聞記事の話をしてくれた。
転んだハズミで持ち歩いてた小刀で腹を刺した少年の報道だった。
そしてその少年はR君のことだった。
彼に何があったのか、彼は亡くなったのか、周りの誰も知らないようだった。
また、その後彼と逢うこともなかった。
小屋にはその頃、友達を誘って行ってみたが、夢の様に跡形も無くなっていた。

今にして思うと、彼と彼の一家は謎めいていて、単なる訳ありの食い詰め者
とは少し違う感触があった。

まあ、有り得ないことだろうが、彼が山窩族だったんなら面白いな、と思う。
549底名無し沼さん:2006/01/29(日) 22:50:33
これはageだろう
550底名無し沼さん:2006/01/29(日) 22:56:47
551底名無し沼さん:2006/01/30(月) 04:16:25
酸化ではないが富士樹海の中に家建てて住んでいる
人がいると聞いた。
どんな人なん?
552547:2006/01/30(月) 06:38:36
訂正>>547

×老人は、柔和な表情で[いらっしゃい。Rと仲良くしてやってね]と言った。

○老人は、柔和な表情で[よくおいで下さった。Rと仲良くしてやって下さいね]と言った。

※生まれて初めて大人から丁寧語を使われたから憶えている。
553サンカ:2006/02/09(木) 14:44:59
547〜〜お方様のお話し、続きや関連した思い出など・・・・読みたいです。
そのサンカ的な生活者の方のおはなし、情報、もっと語ってください。
お願い致します。
554底名無し沼さん:2006/02/09(木) 22:09:24
フィクションです
555底名無し沼さん:2006/02/10(金) 00:02:15
556底名無し沼さん:2006/02/10(金) 07:21:06
>>554
そう思った理由を100字以内でまとめよ。
557底名無し沼さん:2006/02/10(金) 07:36:14
それ以前の問題












板違い→民族板へ逝け
558底名無し沼さん:2006/02/10(金) 12:07:17
民俗・神話板のサンカスレで、本人が元サンカの人のカキコがあるよ!
興味のある人はドウゾ。

私はサンカ系?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/991634884/

レス番:536 553
559547:2006/02/11(土) 06:51:07
>>554
何せ幼児期のことだから記憶違いはあるかも知れないが、無論虚構ではなく
あくまで脚色を排した思い出話です。

>>553
残念ながら他には僅かな記憶の断片しかありません。

・名字は植物系のありきたりな名前で、名前は古めかしいお百姓か
職人風の名前でした。

・本当か嘘かは分かりませんが、姉や母はサーカスで遠くを旅している
と聞いた記憶があります。

・同居の老人の生業は、廃品回収業だったと思いますが、何か正月飾りの
細工の様なものをリアカーに載せているのを見かけた記憶があります。

・老人の外観は、痩身で身長は低くなかったと記憶しています。
笠智衆氏とか、ちぴまる子のともぞう爺さんとかあんな感じだったかな。
色黒でなく、毛は濃くなかった。白髪で、髭は無かったような・・・。
560547:2006/02/11(土) 06:52:58
続き


・R君も痩身で色が白く顔がピンク、クリクリ坊主で、らっきょうみたいに
つるんとした顔だった。
おとなしく、口数は少なかったが、いつもにこやかでした。
父がR君に[賢そうな顔しとる。男前やなー]と言った時、
すごく嬉しそうに微笑んだことを覚えています。

・空き缶に鳥肉をカラカラに焼いたものを入れてて時々もらって食べました。
とても旨いので、[これは何?]と尋ねたら[キジ肉]って言ってました。
桃太郎のキジってインプットされた。

・R君は語尾に[ほ]を付けるので、後に熊本県育ちだったのかも知れないと思った。

・中年の女先生がある日教室で[R君は倒けてナイフが腹に刺さり、
もう学校に来ることが出来なくなりました。]と暗い顔をして言ったが、
[死んだの?]の問いは[いいえ]と否定された様な記憶があります。
[今後ナイフは絶対持ち歩かないこと]を約束させられました。