●●●2ch中で非常識な行動を取る百合厨●●●

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692おたく、名無しさん?
「男性性への嫌悪感」を持つ男性

このテキストの中で「どうして俺は女子高生じゃないんだ」(『マリみて』ファンの男性の掲示板への書き込み)という発言を含む熊田一雄の文章が引用されている(『“男らしさ”という病?』風媒社)。
ある意味で、これまで見てきた萌え系のオタクの行動を象徴するような一言である。
kaienさんはこのようなオタクの行動の背景にあるものを「女性性への憧憬」と「男性性への嫌悪感」であるとみる。
前者について僕の意識は向いていたが、後者については十分に意識していなかったので、この指摘はありがたかった。
なぜ男性オタクに男性性への嫌悪感が生まれるのか。さまざまな理由が予想されるが、kaienさんは「男性であるからこそ、男性のひどさ、みにくさ、あさましさを知っている」とし、
「百合萌え男子たちが嫌悪してやまないのは、男性性そのものであると同時に、男性性の『加害者性』であると考えられるからである」と述べる。
これは、実に納得できる見解である。心優しい彼らにとって、振り返れば自分自身がこのように暴力的で加害的な性の持ち主であることは、どこか耐えられない感じがするだろう。
http://web.soshisha.com/archives/otaku/2007_1122.php

 「エロの薄味志向」と地続きの問題として、近年は、男性のジェンダー・ロール*1に肯定的になれていない男性オタクが決して少なくない。
もし、このような人達が男性の立場からコンテンツに感情移入してしまうと、自分自身のジェンダーとの葛藤に直面することになる。
 このジェンダー的葛藤を迂回するには、男性キャラクターではなく、少女に感情移入すれば良い――実際、『魔法少女まどか☆マギカ』や『ストライクウィッチーズ』のような作風は、この界隈ではすっかり定番となっており、誰も違和感を表明しない程度には定着している。
ジェンダーとしての男性性を少女に預けてしまえば、自分自身のジェンダー・ロールへの嫌悪感を回避しながら感情移入できるわけで、確かにこれは便利な発明だった。
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20110516/p1
693おたく、名無しさん?:2011/12/02(金) 15:43:10.27
(3)男性視聴者が、女性キャラに感情移入できる技術を持つに至った。
特に「マリみて」以降。「けいおん!」でも、
キャラを性欲の対象として全く見ていない男性ファンが増えている。
”あの輪の中に入りたい”という願望を超えて、すでに登場人物の誰かになっている達人も。

私が「今年は百合が流行る」と知り合いに主張していたのは(3)のせいで、
しかし残念ながら「それほど流行っているわけでもない」感じです。m(_ _)m
http://alfalfalfa.com/archives/590438.html

社会学者の熊田一雄は、やおい・ボーイズラブと呼ばれる男性同性愛を扱った作品を好む女性(いわゆる腐女子)は「自身の女性性との葛藤」ゆえにそういった作品を愛好しているのだという分析をもとに[注 2]、
それと同様のことが百合ものを好む男性にもいえるのではないか、
すなわち彼らは「自身の男性性との葛藤」を抱え込んでしまっているがゆえに男性という記号からの逃避場所として百合ものを愛好しているのではないかと予測している。
ここでいう男性性の葛藤とは「女性を一方的・特権的に値踏みする視線の主体」としての男性性であり、女性同士の同性愛という作品世界に没入することによって「対等な性」に近づこうとしていると考えられる。
また、百合を愛好する男性はしばしば作中人物に同一化する気持ちで作品を鑑賞していることから、作品外部から作品内部の女性キャラクターに対して「一方的に値踏みする視線」を送っているにすぎないわけではないという[19]。
文学者の長池一美は百合マンガの全体的な目標は少数派の性的指向に焦点を合わせる「強制的な異性愛」からの避難であり、社会的に作られた女性性を再考する要素を提供すると同時に、既存の女性性を越えたいという女性たちの潜在的な願いを表していると分析している[3]。
wikipedia 百合 (ジャンル)

果たしてこれらの見解は本当か。
百合厨の発言を見ればとてもそうは思えない。