かつての、そして未来の王よ!

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9虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc
(3) 意味の意味
ナタリアは「たしかにプラネットストームを失えばほとんどの音素力は失われるが、人間が消滅してプラネットストームや音素力が残っても無意味である」という趣旨の言明を行ったが、この主張に簡単に首肯することはできない。
なぜならば、意味が超越論的に正当化されるものである場合には正しい可能性は残っている(あくまでも可能性であり、正当化には検証を要する)が、
非超越論的に正当化される、言い換えれば人間の言語によって成立する概念であった場合には、先のナタリアの言明は論点先取り/循環論法となるからにほかならない。
それでは意味とはいったい何であろうか?
10虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/04/01(日) 00:28:18
(4) 決定論と非決定論
ローレライと呼ばれている星の記憶は人間と同質の知性を持っており、すでに未来を見通しているらしい。
その記憶が預言として立ち現れ、それをすでに死亡している始祖ユリアを始めとするローレライ教団の導師は知ることができ、かつ詠むことができるということである。
そこには人類の繁栄の後に滅亡が訪れると記述されているのである。
ほとんどの人びとは後者=滅亡の預言を知らないが、一般的な預言は的中するという信念を共有しており、預言の遵守を最高の倫理ならびに美徳とするにまで至っている。
特に権力者たちは預言を実現するためにできることは何でもしてきた。
ここで疑問なのは――これはルークも言っていたことであるが――預言を守ろうとしなければ預言は実現しないのかという点である。
これと関連して、どのようにして預言が盲信されるようになったかということも明らかにされてはいない。
たしかジェイドが、ほとんどの人びとに関係のある日常的な預言は曖昧であるという趣旨の発言を行っていたと思うが、これに基づくならば、
占いの類のように、ある事態が起こってから、その事態が起こる前に聞いた曖昧な預言をその事態に合わせて解釈するという行為をしていった結果、ある程度の時点から預言は当たるという信念が爆発的に広まったというのが1つの推測として成り立つと思われる。
また、現在の導師職に就任している、イオンのもっとも優秀とされたレプリカは、預言は複数の可能性のうちの1つであるという立場を採用していた。
他方で、現存するなかではもっとも預言を理解していたと思われるヴァンは、多少のずれがあったとしても、結末、すなわち人類の滅亡は変わらないと述べている。
しかし、『Tales of the Abyss』世界にも登場する物理学がこの世界の物理学と同一であるならば、人類の滅亡は預言にかかわらず必然的であろう。
ここで、結末という部分を要所要所と読み換える、言い換えれば非常に広い視野、あるいは非常に長い期間で見れば決定論的世界観が成立する。
11虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/04/01(日) 00:32:34
>>10の続き

決定論は大雑把に言えば、
両立不可能説(自由という概念は成立せず、したがって人の行為に責任は問えない)、
両立可能説(自由という概念は成立するため、人の行為に責任を求めることはできる)、
テッド・ホンデリックによる議論(本人によれば両立説と非両立説を超克した立場ということである)、
複雑系(決定論に属するにもかかわらず、非決定論と同様に創出性が中核概念であるらしい)の4つに分類することができると思うが、
大半の人間は預言、したがってすべての事態は因果連鎖により成立しており、
自由はない(ただしまったく悲観しておらず、むしろ預言を与えられることによって平静を保っている。何しろ「今晩の献立」を預言によって決定するほどののめり込み様だからである)と思い込んでいるにもかかわらず、
人に責任を求めているため、この世界の多数派一般人と同様に自らが何を言っているのかを理解していない、頭の弱い者であると処理するとして、イオンやルークなどはいったいどういう立場であろうか。
非決定論にしては、それが可能性の1つであると考えているとは言え、未来の事態はすでに判明しているとする点で非決定論ではない。
かと言って、両立可能説、両立不可能説、テッド・ホンデリックによる議論とも異なっていることは明白である。
ただ、複雑系についてはまったく理解していないため、これに該当するのかもしれない。
他方ヴァンは、預言の正確性については保証しているにもかかわらず、ローレライを超えられる方法を編み出したと確信している。
実際、主人公たちも自らが邪魔をしなければヴァンの目論見どおりになると踏んでいるようである。
したがって、ヴァンの考えについても単純に決定論と断じることはできない。
なお、各人の立場がどうであれ、ホンデリックによる議論と複雑系を除く、一般的に広まっている決定論が正当化されるならば、ヴァンの行為もまた決定されているということになる。
しかし、ローレライという存在は、(意識や記憶を持っているという点で)目的論的人間原理(これによれば、すべてはこの世界の人間のために機能しているということである)、およびその仮説の下にある宇宙(彼は人間と同質の意志を持っているらしい)よりも怪しい。
12虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/04/01(日) 00:34:30
# 主題歌に「記憶を疑う前に記憶に疑われている」という一節があるが、これはいったいどういうことであろうか。(「私」と記憶を分離するという斬新な考え方をは読み取ることはできる。)

# 汎用性のある疑問として、虚構作品の世界が虚構世界である――少なくともこの世界を基準にするならばそうなる――ことから虚構作品の世界を一種の可能世界と考えてよいと思うが、
可能世界のなかには(この世界における)正真正銘の矛盾すらも成立する世界が(実在するかどうかはともかくとして)存在するのであろうかというものを挙げることができる。
成立するならば、「この作品で描写されているこの理論は誤っている〔成り立たない〕」という種類の考えはすべて、完全に打破されることになる。(成立しない場合であっても、この世界における無意味な言明や事態は可能であるため、ほとんどは無効になると思われる。)
要するに、この世界、特にこの世界の常識などというものを基準にして虚構作品の世界を読み解こうとしても、それは無理であるということである。逆説的に言えば、その虚構作品で描かれる可能世界においてこの世界の理論や常識が通用するならば、
この世界における学術から見たときに魔術的であると思われるような理論が成立していることを前提とすることはできない、
したがって超科学的な仕掛けを施している虚構作品については何も語り得ないということになる。(パトナム「なぜ出来合いの世界は存在しないのか」(『実在論と理性』所収)を参照のこと。)
ただし、矛盾、たとえばこの世界と同一の数学理論が成立しているにもかかわらず、「1+1」の答えが「2かつ2でない」といった矛盾が可能世界において成立するか否かによってはこの限りではないかもしれない。
13虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/04/01(日) 00:36:07
【批判】(一部願望を含む)

[1] 同質性と誤謬
ジェイドは、「ほとんど同じことを行った者に批判する資格はない」というスピノザの指摘に対して、「だからと言って同罪者を庇うつもりはない」という趣旨の返答を行ったが、これは的外れである。
というのは、同質の行為をした者を「批判しないこと」と同質の行為をした者を「庇うこと」とは一致しないためである。(具体的には、「批判しない⊃庇う」という式で表すことができる。)
14虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/04/01(日) 00:38:21
[2] 生まれた意味
「生まれた意味」――「生きる意味」でもよいが――を超越論的に根拠づけようとする場合、たとえば神や世界など、現在のみならず、過去、さらには未来を含めた人間を包括する存在を要する。
しかしながら、こうした方向は、それの根拠づけにそれを包括する別の何かを求め続ける(無限後退/無限遡行)か、それを拒絶するならば独断に陥らざるを得ないという隘路である。
ただし、「私」、脳、意識、言語、意味といったことについての探究によっては活路が開ける可能性はある。(意識が後づけであるという説もあるぐらいなのだから!)
15虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/04/01(日) 00:40:03
[3] 同質性、再び
大詠師モース、および彼の派閥は預言を偏重しているが、これは人類の存続のためである。
神託の盾騎士団主席総長ヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデは預言に支配されている〔預言に従うためならばいかなることであろうとも遂行しようとする〕人類を生きる価値なしと断じ、レプリカという新たなる人類の世界を生み出そうとしている。
主人公一行はこれらのいずれをも拒否し、現在の人類を存続させようとしている。
これら3つの勢力は、人類の存続を維持しようとしている点で同質である。
人類が存在し続けなければならない理由(ここでは論理的根拠)を問う者はいないのが残念でならない。
16虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/04/01(日) 00:41:57
[4] 正当性
ガイは「この世には正解も、間違いもない」という趣旨の言明を行ったが、「正解⊃間違い」であるため、その2つを対立させることはできない。
また、仮に「正解」を「正しいこと」と置き換えたとしても、これを正当化するには論証が必要となってくる。
実際には、すべてに正解があるかもしれないし、あるいは部分的に正解があるかもしれない。
これと関連して、ティアが「どちらの信念ないし行為もが正解である」という趣旨の言明をしている。
どのような文脈の下での言明か忘れたが、これについても取り上げた2つの事態が対立させるに適しているかどうかが問題となるであろう。
また、対立させることができる場合、どちらもが正しいという考えは端的に誤りである。
さらに、ティアは「すべてを理屈で考える必要ないと思う」との意見を表明した。
「思う」と付いているので判断が難しいが、仮にこれを正当化している場合には、誤っている。
「いくつかのことについては正当性という基準では測定することができない」ということを正当化するには論証を要するからである。
論証に成功して初めて「すべてを理屈で考える必要はない」ということに正当性が付与されるようになるのである。
17虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/04/01(日) 00:44:02
【解釈】

■アッシュかルークか
(1) アッシュとルークは完全同位体である。
(2) ワイヨン鏡窟にいた完全同位体のチーグルについて、向かって右側にいたのがレプリカであり、向かって左側にいたのがオリジナルであった。
(3) 大爆発後に身体が残っていたのは向かって右側のチーグル=レプリカのチーグルであった。
(4) そのチーグルによれば、「自らはオリジナルであり、死んだと思った瞬間、身体に何かが流れ込んできて、気づいたら生きていたのは自らであった」と述べた。(サブ・イベント「コンタミネーション2」)
(5) ベルケンドで「学術的なことは省略して、完全同位体に特有の現象である大爆発についてアッシュに説明した」というスピノザの発言を受け、ジェイドは「それではアッシュは勘違いする」と短く論評した。(サブ・イベント「コンタミネーション3」)
(6) グランコクマのマルクト軍基地本部において、完全同位体のいずれについてのことであるかは明言されなかったが、ジェイドは、ディストの「記憶は残る」という発言を受け、「記憶しか残らない」と訂正した。(サブ・イベント「コンタミネーション4」)
(7) エピローグで、公には死んだことになっているアッシュあるいはルークが始まりの地であるタタル渓谷に戻ってきたとき、「どうしてここにいるのか」というティアの問いかけに対して、彼は「約束したから」と答えた。
(1)〜(7)より、大爆発という現象の後の完全同位体には、基本的にはレプリカの身体にオリジナルの意識ならびに記憶が宿ることになるが、そこにレプリカの記憶が統合されていると推測することができる。
18虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/04/01(日) 00:45:59
>>17の続き

ただし、注意しなければならないのは、アッシュとルークの場合、さらにローレライとも完全同位体であるということである。
これによって、さらにローレライの記憶(これには未来の記憶なる怪しいものも含まれているらしい)も統合されている可能性がある。
しかし、上述のことはすべて学術素人的な考えで、本来はどういった理論が正当化されるか〔正しいか〕ということを考慮しなければ結論は出せない。
たとえば、この世界の数学理論がないことを想定したとき、「1+1=2」という言明が端的に無意味であることは自明である。
つまり、理論の問題を度外視して考えた場合、その結果として提出された答えが(本人は何かを指示したつもりになっているが)実は何ごとも指示していないということはあり得るということである。
なお、ここでさらに注意しなければならない点は、物語の送り手ですら(社会的ならびに/あるいは法的にはともかくとして)何ら特権的な視点を持っておらず、したがって彼らの用意している答えもまた空虚であり得るということである。
19虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/04/01(日) 00:47:13
【提言】

それにしても、この作品は18禁ゲームに非常に向いていると思う。

たとえば……
ティア純愛ルート:洗濯かごに入っていたパンツを取ってオナニーしているところを発見されて怒られたり、ナタリアに言い寄っているところを発見されて怒られたり……。
ティア凌辱ルート:主人公が捕縛したリグレットに対する性的拷問を見た後に、リグレットとともに辱められることになる。
ナタリア純愛ルート:シェリダンで再開したアッシュとナタリアのセックスを見てオナニーをしてしまう主人公が描かれる。
ナタリア凌辱ルート:アッシュを拘束してナタリアを犯すところを見せつける場面がある。
リグレット純愛ルート:主人公とかつて殺された弟を次第に同一視するようになる。また、弟と性交していた日々を回想する場面がある。
  →実はリグレットは弟と性的関係にあったのであるが、ある日(;´Д`)ハァハァする対象だった弟がヴァンに殺されたため、復讐しようと近づくことになる。
ところが、ヴァンの性技が弟との(;´Д`)ハァハァな関係に対する妄執を吹き飛ばすほどに凄まじかったため、ヴァンの配下になったのである。
主人公がこのヴァンを超克し、見事リグレットとのエンディングを迎えることができたのは、リグレットが主人公を弟と見なすようになったためである。(題して「弟への回帰」。)
しかしこの計画を実現するためには、主人公の考え方を多少弄る必要があるかもしれない。
リグレット凌辱ルート:捕縛したリグレットを逃がさずに、調教し、淫乱肉奴隷に仕上げる。
  →すでにヴァンによって淫乱肉奴隷化計画が進められているので、問題は淫乱肉奴隷にすることよりも、むしろいかにしてヴァンからの心理的解放を促すかである。
20虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/04/01(日) 00:48:33
>>19の続き

セシル純愛ルート:婚約者であるフリングス少将を失い、失意のうちにあるセシル少将を自室に呼び出し、眠らせて犯すことから関係が始まる。
  →ご都合主義的に処理しよう。
セシル凌辱ルート:主人公の父親であるファブレ公爵や白光騎士団に犯されていたことが明らかにされたことを契機として、セシル凌辱の輪に加わることとなる。
  →この物語は、セシル少将が「私はファブレ公爵に……」と言い、その続きが分からないままになっているが、前後の話の内容から「凌辱されているのです」、あるいはそれに近似した内容ではないかと疑っていることに端を発する。


エンディングの例を挙げると……
ティア:兄ヴァンとの近親相姦エンド
ティア:元教官リグレットとの百合エンド
ティア、ナタリア、リグレット:大詠師モースに凌辱エンド
全員:ハーレム・エンド
アクゼリュス発狂エンド


なお、このゲームはこれまでわたしがやったビデオ・ゲームのなかでも淫乱肉便器の質と量が最高である。(;´Д`)ハァハァ