かつての、そして未来の王よ!

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5虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc
【疑問】

(1) 規範倫理・認識・メタ倫理
初めて魔界に降り立ったとき、タルタロスの甲板上でミュウ以外のすべての存在者がルークを責め立てる場面における1つの疑問は、ルークを悪と断罪したことである。
これは、アニスの言明によって特に問題となる。
アニスは、「自分が安易に封印を解かなければよかったのだ」という趣旨の言明を受け、「元はと言えばヴァンとルークの責任である」という趣旨の言明を行った。
しかしながら、より狭い範囲で眺めるならば、根源はヴァンただ1人のはずである。
その根拠は、すべてはヴァンが仕組んだことであるからにほかならない。
ルークはイオンと同じく、ヴァンの指示に従ったに過ぎず、したがって同質なのは、(ルークとヴァンではなく)ルークとイオンであると言える。
イオンに責任を求めないならば、ルークにも責任を求めないようにしなければ矛盾に陥ることになる。
(ただし、アニスが「自らのなしたいことをなす」という基準を絶対のものとして受け入れているにもかかわらず、それを省みない者であるならば、矛盾ではない。)
もう1つの疑問は、そもそも悪とは何かということである。
もっと言うならば、善悪という概念を明確にする必要がある。実は無意味なことしか語っていないということも考えられるためである。
また、そうすることによって、われわれが善や悪という語について何を共有し、何を共有していないかも明らかにされるであろう。
これに対する回答次第では、悪であることが何の問題もないということもあり得る。
こうした探究を推し進めていけば、何がわれわれの信念や行為を正当化し得るか、あるいは何によってもし得ないか〔われわれの信念や行為に正当性を付与するのか、あるいはそのような何かは存在しないか〕という問題に行き着くであろう。
6虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/04/01(日) 00:21:26
>>5の続き

なお、上で「根源はヴァンただ1人である」の前に、「より狭い範囲で眺めるならば」と但し書きを付したが、これは、行為の連関についての、現在の日本国の多数派による共通感覚の即座の正当化に対する疑義となっている。
たとえば、その共通感覚は、殺人という「攻撃」について、それはただ殺人者の理由によるのであって、原因はないとする一方で、遺族が彼に対して何らかの「攻撃」を行うのは殺人者に原因があるとする見方である。
前者は、1つの行為ごとに切断する見方であり、後者は、「ヴァンにすべての責任がある」というように、行為の連鎖を2つまで認める見方であるが、さらにすべての行為が連鎖しているとする見方もある。
7虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/04/01(日) 00:23:54
(2) 固有名・論理・存在
ルーク・フォン・ファブレという固有名を持つ者とアッシュという固有名を持つ者は論理的に同値であるが、物理的に異なる存在であるということであろうか。
そうであるならば、1つの疑問が浮かび上がってくる。
それは、アッシュが本物のルークであり、ルークは偽者のルークであるという考え方に対する疑問である。
たとえば、わたしは、同じ企業の商品である、『木物語』という鉛筆のBを3本持っているが、論理的に同値であるが、物理的に異なっているそれらの鉛筆のどれかが本物で、どれかが偽者であるという見方をする者はおそらくほとんど、あるいはまったくいないと思われる。
ここから、ルークも、アッシュも、どちらもがルークなのであり、アッシュなのであると言えるであろう。
それでも、アッシュが本物のルークであり、ルークは偽者のルークであると考えたり、主張したりするならば、固有名とは社会的構成物であるということになりはしまいか。
たしかに、固有名が一階述語論理のように超越論的性格を有しているというのは考えにくい。
人名に絞れば、それは現在ではまず法によって保証されているし、国家という概念が生み出される以前にはその者が属する集団によってのみ保証されていたと推測することができるからである。
あるいは、こうした人間(あるいはそれに類する存在)がある惑星にただ1人だけ存在するという事態を想定することは、少なくとも「この世界」では不可能であるということを以って、上の考え方は退けれらるのであろうか。
なお、この問題にかかわっており、上で触れなかった重要な問題に、存在という概念があることを付け加えておく。
(上では反事実的条件文を用いたため、可能世界論に分け入る必要があるが、可能世界論も存在論にかかわっている。)