【統合】オタク批判・叩き統合スレッド Part-16

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10虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc
【タイトル】一般人批判概説  http://fwfd.exblog.jp/


(1)多数派であることによって回避される批判

例1:ニーチェ的な強者の論理の濫用にみる屈託のない矛盾

よくなされる主張の1つに、遺伝子や環境により決定されることが明白であることがらに対してさえ、単なる個人の問題であるとする精神論がある。
たとえば、この種の主張の典型例は、「わたしの友人・知人・親戚のなかにおまいと同じ境遇にあった香具師がいたが、彼または彼女はその状況を打破した。おまいは単に甘えているだけだ」といったものである。
この主張そのものが対象を非難するものとなっているが、そこからさらに明確な排撃に移行することも日常茶飯事である。
しかし、常識や法、そのほかの公式的あるいは非公式的な規範に拘泥しているにもかかわらず、そのやうな相対主義的立場に立脚することは本来的には不可能である。
ニーチェは、基準となるものなど何もないと本当に考えていたから、あらゆるものごとは個人の問題であるという批判を展開し得たのである(また、ニーチェは強者の視点からではなく弱者の視点から発言したということも押さえておかないといけない)。

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11虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2005/08/26(金) 16:24:10
>>10の続き

例2:共同上の主観と客観の混同

一般人は、全人類が事象Aは正しいという意見を持っていれば、事象Aは正しい、あるいは事実であると「安易に」(考えなしに)答えてしまう傾向が強い。ここで問題となってくるのは、どのやうな脈絡において正しいのかということである。
このとき、一般人は客観的に正しいとする傾向が非常に強い。
客観的とは、ある国語辞典によれば、自分の考えに囚われないで物事を見たり考えたりする様子で、客観とは、同辞典によれば、絶対的にあるとされるもの、ものごとをありのままに見ることである。
しかし、自分の考えに囚われるというときの自分の考えとは、遺伝子や各種成育環境によって得られたものであって、それに囚われようと囚われまいとそれを超えて考えることはできないため、主観でしかない。
また、絶対的にあるとされるものを判断するのも、物事をありのままに見るのも、その主体が人間である以上、主観でしかないだらう。
すなわち、客観を絶対と捉えるならば、人間は客観という言葉を論拠にできないし、そうでない場合には、客観に信頼性などないということである。
人間は、この地球上で起こっていることでさえ瞬時に知覚することができないでいる。そのやうな能力の低い存在が、なぜ絶対など知覚できるというのだらうか。あるいは、先ほども述べたやうに絶対があるかどうかを確定することも為し得ていないではないか……。
なお、これまで提示してきた考え方は主観である。そして、わたしの考え方は主観であるという考え方もまた主観であらう。

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12 ◆ztUPRfX.zI :2005/08/26(金) 16:25:27
>>1
じゃあ、まずオタのどこがいけないのかageてみよう
理不尽や内容の無い批判だったらオタである俺がユルサン!
13虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2005/08/26(金) 16:26:01
>>11の続き

例3:オタク言説にまつわる誤謬からみる因果関係と相関関係の混同

「オタクは気持ち悪い」という発言は正しいのか。
特に、論理的に証明し得るものなのか。

わたしの考えを簡単に示しておく。

   ●各人の感覚を述べたものであれば正しい(感覚を他者が否定することはできない)
   ●現在の日本人の共同上の主観においては正しい(と思われる)
   ●因果関係として捉えられているならば誤りである
   ●論理的に正しいかどうかは(能力的制限により)分からない

「オタクであるというただそれだけの理由で一般人でないとは言えない」
これは、現時点におけるわたしの確信だ。
ほとんどのオタクは頭の弱い存在たる一般人のうちの1つのカテゴリーに過ぎないだらう。
ここにおける議論で注意してもらいたいのは、オタク問題のみを論じたいのでないということである。オタク問題を題材として選んだのは、それがもっとも身近なものであるという理由に過ぎない。

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14おたく、名無しさん?:2005/08/26(金) 16:28:01
>>10−11>>13
つまり何が言いたい
簡潔に答えよ
15虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2005/08/26(金) 16:28:26
(2)ものごとを世界の外から見ることができているという思い込み

(1)の例3に対して、一般人からは次のやうな反論がなされるだらう。
(なお、「オタクは犯罪予備軍であるという因果関係が存在するため、オタクが殺されても罪に問われないような社会になるのが正しく、かつそれが国益に繋がる」などといった稚拙な中傷もあるだろうけれど、ここでは反論しない)
すなわち、「必死だなw」、「キモス」。
これは、「あらゆるものごとに対して本気にならなければ大丈夫」(必要以上に距離を取ろう)とする態度、あるいは「すべて笑い飛ばしてしまえ」という態度を有していることを意味する。
(トンデモ本の流行との関係を考えてみるとおもしろいかもしれない)
しかし、どれだけ距離を取ろうとも、人間には世界の内から抜け出すことなどできないのである。
このわたしもまた……。

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