ちょっと長ったらしい文章で失礼します。
相手をしてもらっているとは気づかなかったのでスレ違いと知りつつ色々書いてしまったのだが、
こっちに移って少し説明を。難解で煙に巻くだけだといわれたので、読みやすさを捨ててざっと
述べてしまおうと思う。悪文は変わらないが、難解さは一切なくなると思う。
先に2点断っておくと、僕は、ガイドラインに妥当される書き込みを全て削除しなければならない
わけではなく、これを根拠に削除してもよい、という意味に削除心得1〜7の記述をとる。このため、
削除適合と実削除の間には差異ができる。この差異を認めないと「適合はすべからく削除」という
結論になると思う。僕が考えるのはそうではない場合の、差異は何が決定するのかという
ことだ。もう一点は、僕はこいつは何を言っても駄目だ、という言葉を信じていないこと。何か議論に
違和があるとき、それは必ず理由をもつと思う。何が正しいかということだけを問題にすると、他者
がなぜそのように差異を持つのか、ということを問わなくてすむが、そのような態度は僕自身は取り
たくない。とりうるのは、面倒だ、という態度のみだと思う。
削除ガイドラインは宗教的な規範ではないので、常にそれ自体で価値を表す規範として利用できる
わけではない。そうするためには、ガイドライン自体にガイドライン自身への規範が盛り込まれていな
ければならない(削除心得はそれに近いと思うけれども)。例えば、<髪を染めてはいけない>という
命法が、或る共同体で成立し得る。そして、この個別の命法は、さらにメタ的な命法に素朴には還元
されることができる。つまり<共同体の規範を守るべきだ>というものに。けれども、<髪を染めては
いけないと言ってはいけない>という命法も成立しうる。こちらは<個人の自由を守るべきだ>という
メタ規範に還元されうる。また、個別の道徳的言明は、今見たように正反対のことをいうことがある。
しかし、何かを命じる、という形式は普遍であるので、この形式を道徳性と呼び、これについて、
議論が分かれ得る。道徳(規範)がさらに上位のレベル(共同体か自由かなど)で問われ、さらに
道徳性についてもメタレベルで論争が起こる。個別の道徳(ここでいうガイドライン)は、それ自体
では正しいということを示さない。ガイドラインの上位の規範と、規範性について議論は残り得る。
ちなみに、規範性を問うものを倫理、それを問うものはメタ倫理と呼ぶのだと思う。
向こうでリンク貼らないと気が付かないと思うよ。
ここ百年ちょっとにおいて、<正しい>ということの主要な根拠であるところの目的合理性にのっとって
考えるならば、ある規範が正しいと言われるためには、それが何かの役に立っているということが示さ
れればよいということになるが、これは逆にいえば、常に、その規範が具体的にどのように機能している
か問わなければならないということだ。規範が<何のために>ということを問われず、無条件的に前提され
るならば、それはずいぶんと昔の非合理な規範の形態だと思うだろうし、死にかけの子どもに輸血しては
いけない、という規範に対して、宗教的次元を認めたとしても理解に苦しむだろうと思う。ルールに
ついて問い得るということは、むしろそのルールの合理性を示す。
よく削除議論で、なぜあれが残ってるのに俺のスレは消されたんだコンシクショ!!という言い方が
される。これには固有の意義(平等性という理念、ルールが利用者のためのものだという理念、
非論理的な対話による動的安定性という理念、削除者と利用者は同一者であるべきだという理念など)
もあるのだがともかく、この消されるかどうかという差異は、削除者心得によれば、人為的に作り出さ
れたものであり、したがって、実際に消されるかどうかのブレは、合法的で平等の上でも問題ないと
いうことになる。しかし、ここにも、ガイドラインが最上位の規範でないことが示されているように思う。
ガイドラインはガイドラインについての自己規範的な文章を持っていない。こういうケースはこういう
風に判断されるよ、と書いてあるだけで、<なぜそのように処理されるのか>ということは、個別の
ケースでは、いちいち考えなくともよい構造になっている。
僕の見るところ、大方の削除議論の答えの出ない論争の理由はここにある。もし削除ガイドラインが
議論の前提だ、と自由に設定することができるなら、議論は起きないかもしれない。
例えば、<宇宙には果てが無い。それはそもそも宇宙が全てを包摂するという概念だからだ>という
命題が信じられないのは、宇宙とは全てを包摂するので果ての無いものだ、と勝手に前提して、
その前提によって結論しているからだ。前提を自由に決定できるとなると、結論についての議論は
成されえない。つまり循環論になっている。
>489
ああそうかもね
って言うかこんな長ったらしい事を書かなくても。
今回のスレ乱立は誰が見ても、どこから見てもガイドラインの
乱立スレッド
厨房板以外では、内容にほぼ変化のないもの、内容が無意味なもの、などの乱立は全て削除します。
これに当てはまるから。だから削除が妥当。それだけの話。
したがって、難解に見える言葉をこねて煙に巻いているだけだろうということではなく、前提について
議論される余地、すなわち<ガイドラインに適合するのだからすべて削除だ!!>という議論の前提について
議論しうるというのは、正当な主張だと思う。つまり、ガイドライン(手段)を適用して削除するのは
何故かということは、正当に問い得る問題であり、土俵に上げても議論のルールを破っていることには
ならないと思う。
gejEAUi0は、議論でどちらが正しいかということにのみ関心があるようだが、そのために規範の前提
を構成的に捉えると、議論板の連中と同じ循環論に陥って、論争が終わらない。もしくは、俺が正しい、
と無根拠に宣言して論争を終わらせるしかなくなるが、これは妥当な結論を求めるという点からは否定
されなければならないはず。gejEAUi0が正当性にのみこだわっている、と判断したのは、僕がレスに
何か敵意や蔑みや怒りを感じたからだが、もしかしたら、普段からそのように他者否定的なだけの人かも
しれない。そうであったら勘違いを詫びたい。
僕の主張は、メタレベルでの規範性についての対話の余地を認めるべきだということではなく、
そのことがもっと積極的に問われなければならないというところに力点がある。重要なのは合法/非合法
ではない。抽象的にはその意図だ。正当性を争う幼稚な論争者は、命題間の優劣とたった一つの王冠を
求める反作用として、多くの理念をないがしろにする。抽象的な規範が採用される理由は、状況を完全に
マニュアル処理するためではなく、それらの意図や善悪という回答不可能な問題を、状況適合的に処理
するためである云々。
ガイドラインに適合個所のあるスレッドは削除するべきである。例えばマァヴが嫌うようなこのパター
ナリスティックな命法は、個別的な問題を考慮しない限りにおいて確かに正しいと思う。したがって、
個別適合の問題は常に残るのである。ガイドラインを適応することで何をしようとしているのか、という
ことを問わずに、スレッドの削除の正当性を主張しても無意味だということになると思う。僕はこの
あたりは利用者と削除者の応答性によって非論理的に調整点へと収斂すればよいという楽観をもっている
のだが、ガイドラインについての誤った理解がそれを疎外するならば、問題として問わねばならない。
いずれにせよ、論理的にはガイドラインを最上位の前提に据えることはできないことは明らかだ。
削除が成されるためには削除者が必要であり、削除者が削除するためには動機・動因が必要だ。
削除者が十分幼稚であれば、「ガイドラインに書いてあったから」というお母さんが言ったから的な
行動をとるだろうが、削除者は個人としての考えと感情を持っているはずで、これは想定困難だ。
(さらに、これは正当性の問題であって、実際の削除の問題ではない。)
ガイドラインを使って成される行為は、削除であるかもしれないし、黙認かもしれない。例えば、
当該のニュース速報板では、ニュースではないいくつかのスレッドが存在し、普通許容される2,3の
雑談スレという制限を超えることもしばしばであるし、ニューススレッドが止められたり、雑談・自治
スレなどが止められることもある。いずれも削除ガイドラインに従えば合法的行為かもしれない理由は
あっただろう。このように、一つのガイドラインからさまざまな行為が生まれる。では削除ガイドライ
ンとは何か。常に守られねばならない戒律なのか、いざというとき不利益を排除するための規約なのか、
削除者の行為を抑制するものなのか、合法・非合法の参照点なのか、等々。
これらを全て、ガイドライン上合法だ、とする判断は、まったくナンセンスなのである。問題にたいして
何の回答にもならない。ガイドライン至上主義の実際上の弊害は、今回の問題とは直接には関係ない
かもしれないが、重要なことは、それはあくまでも手段に過ぎないとうことだ。重要なのは、それを
使って様々なことが成し得るが、ではどれを成すか、ということであり、したがって、回収されるべき
論点は、なぜそれを選択したかという意図と行為の関係になる。このような当然のことに文章を費やすのは
馬鹿げているだろうか。しかし、これらの理由があるにもかかわらず、それでもガイドライン上は、と
述べるのは、思考停止以外の何者でもないと思う。
>移動と言うのはそもそも板違いのスレを相応しい板に移動する為の物なんですが。
>削除活動は削除ガイドラインに基いて行なうのが大原則なんですが。
そもそもどうであったか、ということだけを正しいと前提して、実体にそぐわない結論することを
形式主義という。問題は実際どのように使用したか・し得るかということの内にあるものだと思う。
http://news4.2ch.net/kakolog.html こういったところも、僕の思考パターンとの大きな違いを示していて、あなたの内的なコンフリクトの
原因になっていると思う。
僕も還元主義的な思考パターンをとって批判されることがあるけど、その批判そのものも認めない、
という盲目さはここまでではない。
削除の正当性に関して僕は一切述べていないのに、あなたから帰ってくる反応はその点へのものばかりだ。
議論板だとこういう方向にいっちゃうこともよくある。
あなたが言っていることが、正当性において正しいとよく分かっているし、僕自身そのような考え方から
出発したタイプだ。移転との比較でも、対処は削除が合理的だし、ガイドライン上もっともまともだと思う。
しかし、その次元つまり、ガイドライン下の削除の正当性とうい論座から、その他の次元つまり、
ルール行使の哲学やルールそのものの構造性への議論にまで同じ方法で答えようというのは無理があるので
はないかとも思っている。もし、僕があなたと同じ議論の土俵において語っていると思っているのなら、
それは誤読に近いと思う。このような考えはあまり受け入れられていないが、しかし僕は主張する価値があると
思う。文章の稚拙のために、矛盾する点やまだまだ説明不足の点もあるかと思うが、僕なりに議論板で
消すなとか何で消さないんだとかいうレスを読みつつ考え続けたところ、頭の中でこのようなことになった。
どこが間違っているとか、議論とズレてるとか、そういうことではなくて、トータルでの思考についての
レストして読んでほしい。
あと関係ないけど、
>専属はスレストだけだろ?
>スレ移動をしているのは通常の削除人だと思うが。
これはそうともいえないかもしれない。
速に深い愛情を持つ某コテが削除人になっている経緯もあるので、
ルートによってはほとんど専属の者がいるかもしれないし、
普通の削除者はああいう馬鹿なことはしてくれないと思う。
最後の一行しか読んでないけど
最近の削除屋はあきらかに馬鹿が増えてます。