大河ネタ切れは同意。
島津四兄弟や大友宗麟と立花道雪といった大物も残っているんだから、
もう少し知恵をひねるべき。
もっとも土佐一条家の一条兼定の、波乱に満ちた一生を大河で流すなならそれも一興w
で肝心の直江兼続の大まかなあらすじ。
越後時代
上杉謙信時代:上杉景勝の小姓として活動。
上杉謙信死亡:上杉景勝と上杉影虎の跡目争い時に暗躍。景勝勝利に導く。
会津時代
上杉景勝時代:上杉家会津に移封、秀吉に気に入られ米沢30万石をもらう。
ついでに庄内ももらったり。上杉最大版図。前田慶次と意気投合し配下へ。
秀吉死後:秀吉への恩で家康や他の大名に喧嘩売りまくり。
伊達政宗に「何故挨拶しない」といわれ「いやー戦場で後姿しか見ていなかったから」
と返したのはすげー嫌味たっぷり。てめーら逃げてばかりだろうと同じ意味w
で家康相手に喧嘩文送って関が原の引き金引いたのも直江兼続。
関が原時:米沢から山形最上家侵攻作戦。主力は白鷹経由で。
畑谷の大沼の畑谷一族が最上義光の命令を無視し畑谷城に篭城するもそれを全滅。
山を降りるも最上家長谷堂城の志村光安と鮭延秀綱が善戦。
上山経由部隊は地元の最上のゲリラ戦に悩まされ到着遅れる。
一ヶ月にわたる戦闘の末、関が原での西軍の負けが伝わり、兼続がしんがりつとめながら敗走。
最上に援軍に来たはずの伊達は、
上杉と最上が乱戦になったところで山形城をいただく算段wだそうだ。
結果:上杉家米沢30万石に厳封。兼続内政頑張って米沢市の基礎を築く。
で、東北の関が原、長谷堂城址の近くにある百目鬼もどぞー。