【ソフトボール】坂井寛子3【サンバイザー姉さん】

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225クーベルタン男爵さん
>>209
うんうん、これとかもね。

>自身初の五輪となった04年アテネ。
>2試合連続完封で銅メダルに貢献した。シドニー五輪(00年)の選考に
>漏れた悔しさを練習にぶつけ、「もっとも成長した」4年間の結晶だった。

>アテネでは3試合に登板し、力の限りを尽くした。その先の4年間を考えた時、
>安易に「北京を目指す」とは言えず、グラブを置いた。
>所属していたチームを離れ、05年2月にスポーツ用品会社に就職。
>満員電車に揺られ、東京都内に通勤し始める。
>一方で週1回はスポーツ教室で子供たちを指導。
>口癖のように言った。「みんなは世界一になってね」

>ロンドン五輪(12年)でソフトボールが除外されると聞いたのは
>05年夏。そこで聞いた女子中学生の言葉がショックだった。

>「私の夢は五輪に出ることです」
>「大きくなったらオリンピックで金メダルをとる」。

>北京を最後にソフトボールは五輪競技から消える。
>希望に満ちた子どもたちの姿が脳裏をよぎり、無念さを感じた。
>教える子供たちがショックを受ける姿に胸が痛んだ。

>>2のリンク先記事からそれぞれ抜粋してまとめた)