姉妹校 光星、暁星、明星、海星

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345実名攻撃大好き教育ママごんさん?
光星学園
札幌教区長ヴェンセスラウス・キノルド司教は、かねてから高等女学校とならんで、男子中学校開校の構想を持っており、大正5年には、早くも札幌市北部の現在地を確保し、それから15年に渡って、その学校経営を引き受けてくれそうな教職修道会を探していた。これが実現し、昭和4年、ドイツの「ブライエルハイデの教職修道会」を招くことに成功した。

昭和6年10月12日、ドイツ人3修道士が札幌に到着した。キノルド司教は翌7年、男子中学校設立の申請を文部省に提出したが、当時既に満州事変、五・一五事件があり、日本の国粋主義は一段と進んでいた。同校が外国人の計画によることが判明すると、強い反対が起き、道議会議員のなかにも反対者がいて、中学校より学力の低い商業学校なら認可しても良いとの意向が伝えられた。学校側は既に校舎も完成に近づいていたので譲歩をし、8月29日、文部省から「財団法人光星商業学校」の設立の認可がきた。

満州事変以来、国粋主義が高まるなかで、キリスト教に対する圧迫が強まり、ブライエルハイデの教職修道会は、日本での活動を断念し、昭和10年ドイツに帰国した。

17年、本州で暁星中学校・海星中学校・明星商業学校などを経営していた「マリア会」の修道士が同校で教育にあたった。戦後の昭和21年4月からはマリア会が同校の経営にあたり、26年「私立学校法」施行に伴い、学校法人「札幌光星学園」と名称変更され、現在に至っている。