【2014年】東大合格者数 ランキング予想【Part1】
朝永振一郎の父三十郎は、東京で真宗大学在職中に旧川越藩士大枝美福の長女ひでと結婚している。
(『素粒子の世界を拓く』京都大学学術出版会)
朝永振一郎「なぜ京都にいながら東京弁使っているかっていいますと、おふくろが埼玉県生まれで、
おやじは長崎生まれで、中学の頃東京に出て、ずうっと東京にいた。そういうわけで、家庭では
東京弁を使っておりました」(『回想の朝永振一郎』みすず書房)
私は1926(大正15)年9月19日に愛知県の豊橋で生まれた。軍人だった父の小柴俊男がそのころ
豊橋の陸軍第18連隊に所属していたからだ。(小柴昌俊『物理屋になりたかったんだよ』朝日新聞社)
母親は、はやといって、千葉の木更津の農家の末娘だった。どういうなれそめで知り合ったのかは
知らないが、父も千葉の館山の生まれだから、誰か紹介する人でもいたのだろう。父は農家の三男に
生まれて、中学に通うのも親戚の造り酒屋で小僧代わりに働きながら学費を出してもらった。
(小柴昌俊『私の履歴書 科学の求道者』日経ビジネス人文庫)
私の父は仏壇屋の家業を継ぐのを拒み、文学者になろうと家をとびだした。東京で私が生まれた。
母は福島県の出身だった。しかし私が2歳のときあの大震災に遭い、一家はやむなく福井に戻った。
(『ほがらかな探究 南部陽一郎』福井新聞社)