【SSH】福岡県立修猷館高等学校Part12【元藩校】

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118実名攻撃大好きKITTY
北九州の【右】な管理教育は、戦前の小倉高校(旧制小倉中学)が発祥。
第3代学校長が乃木希典(日露戦争の日本軍陸軍大将)の大ファンであり、
乃木将軍が学習院院長をしていた頃のスパルタ教育を小倉中学に導入した。
先代の昭和天皇も学習院で乃木将軍より厳しい指導を授かっていたそうだ。
乃木将軍と言えば明治天皇が崩御し、大葬の礼の夜に妻と共に自刃・殉死
した話が有名であるが、奇しくも小倉中学の第3代校長も持病に苦しみ、
切腹自殺で最期を遂げたというエピソードが残っている。
この辺りの顛末が昔の殉国思想・現在では愛国思想となっている起源だろう。
戦後この縁があって昭和天皇は小倉高校に行幸(来校)されたことがある。

旧制小倉中学の授業においても、修身学(今の道徳に相当)では乃木将軍の
話が熱心に教授されていたし、下関の乃木神社参拝という学校行事も存在した。
(乃木将軍は長州藩・山口県出身)倉高には今も乃木門という裏門が存在する。
また切腹した第3代波多野校長を偲んで、高校3ヶ年皆勤者には波多野賞という
栄誉賞・記念品が贈呈されるという伝統が21世紀の今日でも引き継がれている。

北九州の県立高校の多くで管理教育が導入されているが、全て倉高の模倣から
始まっている。さらに福岡地区でも倉高出身の修猷館長(校長)が修猷館に
導入、極右的かつ露骨であったため修猷卒業生から猛反発も受けたものの、
弱まって定着、福高・筑紫丘や城南・香住丘などその他の高校にも広がった。
さらに周辺の県外や遠くは愛知県教育委員会からの視察も受けたことがある。

大日本帝国・明治時代の学習院に於ける皇族向けの管理教育が、今日に至っても
北九州に於いて華を咲かせ続けていると言えよう。