横浜翠嵐高等学校を語るスレ!!ぱーと2

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127 名前:実名攻撃大好きKITTY[sage] 投稿日:2010/12/09(木) 18:30:59 ID:7XBZwCjk0
>昔の神奈川公立は本当の底辺校はなかったでしょ。各校に東大合格者がいたみたいだし。

1980年代後半まではな。
その頃までは、中学卒業者の上位半分が偏差値50までの公立高校に進学
偏差値50以下が私立高校に進学と住み分けが完璧だった。
100校計画完成期の1990年代前半から「馬鹿でも県立へ」「15の春を泣かせるな」が浸透
それと同時期から私立高校の進学校化が進み
私立高校の中高一貫化・特別進学コース設置校・文理・進学コース設置校が急激に増え
私立の猛反撃が開始された。各私立高校の偏差値上昇はその頃から始まり2005年頃まで続く
1990年代後半ともなると偏差値25の超荒れた県立高校が各学区1〜2校は出現
荒れた底辺県立の社会問題化が表面化した(豊田・平安・寛政・三崎・大楠・釜利谷・田奈・湯河原その他色々)
それとは逆に1990年代後半には元ヤンキー私学は荒れた学校から普通の学校に脱却した
(平塚学園・湘南女子・三浦・逗子開成・橘女子・横浜・日大藤沢・向上・立花学園・光明相模原などなど)
県立勢もこれではいけないと、ようやく重い腰を上げて県立底辺校を中心に統廃合を2003年頃から開始
私立高校勢も1970〜80年代の荒れた私学を再燃したくないと予防線(完全中高一貫計画の推進)
結果、公立私立の全日制進学率85%と1990年代の全日制進学率96%を大きく下回って
下位15%のヤンキー・やる気のない生徒は定時制・通信制に誘導して今の高校受験状態になった。