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実名攻撃大好きKITTY:
大正末期から昭和15年代にかけて商業教育全盛期があり一中か県商かという時代がありました。
神戸に一中、一高、帝大と県商、高商、商大というコースが定着していたころです。
NECの関本忠弘さんは県商を受験して失敗、滝川中学に入学、姫路高等学校に進み東大理学部を卒業されました
もし県商に入っていたら高商ー商大という平凡なコースを歩み、いまの自分はなかったというお話をうかがったことがあります。
信じがたい話ですが県商や一中の滑り止めが灘中という時期は確かにあり実例を多く知っています。
県商は学制改革により神戸四中と統合し星陵高校の商業科となり、分離していまの新県商が誕生しました。
いまの星陵の校舎はもともと旧県商の校地でした。新県商の現状はご承知のとおり。