東大合格者60名台〜70名台のかつての湘南高校を支えてきたのが横国附属鎌倉中。
ここの生徒は横浜市民でも逗子市民でも住所さえごまかせば湘南は学区内枠で入れていた。
(しかも内申書も別格で見ていた)
湘南は県立高校の皮をかぶった実質的な国立高校だった。
湘南凋落が始まったのは、学区縮小(1980〜2004)のせいでなく
本当の理由は、横国附属鎌倉中からの学区外&内申書操作が新聞にたれ込まれた(1976)から。
元々、縮小後の学区の茅ヶ崎・寒川から来ていた生徒はそんなに多くない。
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http://todai.biz/gokakusha.html)
いまは上位層が私立へ抜けた公立中出身者しか集まらない単なる一学区のトップ校となった。
湘南の東大合格者激減に反比例して厚木や光陵の東大合格者激増が始まったのもこれが理由。